1.11.2 料理を作って、みんなで食べて
「……この子、本当に人間の子供なのかねぇ……」ボソッ
「……?店主しゃん、いま何か言ったでしゅか?」
「いや、何でもないよ?気にしないでおくれ」
ナツから漂っていた異様な気配。それが人間から放たれるものとは思えなかったのか、宿屋の店主はナツに向けていた目を少しだけ細めていた。ナツのことを見ていると、子供特有のあどけなさを感じるよりも先に、獣としての本能が危機感を感じてしまったらしい。
ただ、シロの方は、すでにそんな感覚も麻痺していたのか、店主の反応に首をかしげつつも、手を休めずに料理を続けた。干したキノコと乾物の魚から出汁を取ると、その中に予め茹でて柔らかくしておいた穀物を入れて、一煮立ちさせ……。そこに、出汁をとるために使った乾物の魚の身を食べやすいように砕きながら適量加え、最後に山椒のような山菜を入れれば完成。魚のおじやである。
「ふーん。中々に美味しそうな匂いがしてるじゃないか?」
「まぁ、実際、美味しいでしゅからね。あとは卵があれば、味が柔らかくなって、より美味しくなるんでしゅけど……」
「なるほどね。だけど、卵は難しいだろうさ。鶏の卵は高くて手に入らんだろうし、野鳥もこの時期は産卵しないだろうからねぇ」
「いえ、そういう意味じゃなくて……なんというか、わっちが作ると……とにかく大騒ぎになると思いましゅ!」
「えっ?」
シロの正体を知らなかったためか、彼女が何を言わんとしていたのか分からず、首をかしげる店主。シロの方も、あまり言いたくはないことだったようで、それ以上、詳しく語ろうとはしなかったようだ。
なお、シロが卵入りの料理を作ると騒動が起こる、というのは、ほぼ確実なことである。恐らくは、"何の卵を使ったのか"、あるいは"どこから持ってきた卵なのか"、と皆で大騒ぎになるに違いない。
まぁ、それはさておいて……。どこか羨ましげな視線を朝食に向けていた店主に対し、シロはこんな提案を口にする。
「どうでしゅ?店主しゃん。もし良ければ、わっちたちと一緒に、朝ごはんを食べましぇんか?」
シロの質問に対し店主は、どこか心残りがありそうな表情を浮かべながらも、その首を横に振った。
「……いや、遠慮しとくよ。私もこれから亭主に朝食を作らなきゃらならないからね」
「店主しゃん、結婚してたんでしゅね?相手は人間しゃんでしゅか?」
「人間て……そんなわけないじゃないか。亭主も狸だよ?普段はこうして人の姿で生活を送っているけど、心まで人になったつもりはないからねぇ」
店主はそう口にすると、手をヒラヒラとさせながら、台所から去っていった。その様子はどこからどう見ても人間そのものだったが、彼女自身は未だ自分が狸であると思っているようである。
「変わった狸しゃんでしたね?」
「…………」
「……?どうしたんでしゅか?ナツちゃん?」
ナツからの返事が無かったので、シロが背中の方を振り向くと、そこでナツは台所から去っていった店主のことをじっと見つめていたようだ。ナツが何を思ったのかは定かでないが、彼女は彼女で、狸の店主に思うことがあったようである。
◇
「「「「おいしいっ!」」」」
人に変化した子狐と狼の合計4人が、鶴の作った料理を皆で囲んで食べる……。そんな混沌とした光景が、宿屋の一室で繰り広げられていた。まぁ正確に言うと、人間も1人混じっていたようだが。
「ふーふーふー……はい、ナツちゃん。あーん、してくだしゃい!」
「まー……がぶっ」メキメキ……
「ちょっ……お匙は齧っちゃダメでしゅよ?」
「んまんま」もぐもぐ
「良い子でしゅねー」
出来立てのおじやを木のスプーンですくい取って、息でフーフーと冷やしてから、シロはナツの口の中へとスプーンを運んだ。その様子は親子――というよりは、たまに姪の世話をする親戚の叔母といった様子で……。2人のやり取りには、ほんの少しだけ、ぎこちなさのようなものが見え隠れしていたようである。
一方……。その場には、2人のやり取りを見て、浮かない表情を見せていた人物がいたようである。
「んにゅ……」
少女の姿に化けていたアカネだ。彼女は、どういうわけか、複雑そうな表情をシロとナツの2人へと向けて、頭の獣耳を残念そうに倒していたようである。手にした木のスプーンも、なぜか止まったまま動かず……。彼女の食事は完全に止まってしまっていたようだ。
そんな彼女の反応に最初に気づいたのは、美味しそうに朝食を掻き込んでいた狼たちだった。
「ん?アカネ?どうしたんだい?」
「また、なっちゃんのことが怖くなったんだね?」
「目を合わさなきゃ、どーってことはないぞ?」
3人とも、アカネが、ナツと視線を合わせてしまい、怖がっていると思ったらしい。実際、ナツは、口を動かしながら、アカネのことを見つめていたのだ。
ちなみに、狼たちは、ナツのことが大の苦手である。嫌っているというわけではなかったものの、何を考えているのか分からないナツの視線がどうにも苦手で、その上、彼女に何かあれば、保護者であるアメに怒られることは明白だったので……。狼たちは、遠くからナツの様子を伺うだけで、自らナツに接しようとは思わなかったようだ。
そして、アカネも、ナツのことが苦手だった。とはいえ、アカネが浮かない表情をしていたのは、ナツに対して苦手意識があったことが直接的な原因だった訳ではない。それとは別に、アカネの中で、特別な感情が働いていたせいだった。
「ううん、ナツちゃんが怖いって訳じゃないよ?んとね……」
アカネはそう言って、自身の手にあったお椀に視線を落とすと――、
「やっぱり、何でもない……」
――しゅんとした表情のまま、口を閉ざしてしまう。普段の明るい彼女の様子を見ている狼たちにとっては、どの辺がどう"なんでもない"のか分からず……。3姉妹揃って顔を見合わせながら、首をかしげた。
一方、シロは、アカネが落ち込んでいた理由について気づいていたらしい。彼女は、ナツのために持っていたお椀を一度机の上に置くと、優れない表情のアカネに向かって、こう言ったのである。
「アカネちゃん?」
「んにゅ?」
「ナツちゃんにご飯、あげてみましゅか?」
「えっ……」
アカネはシロのその言葉を聞いてピタリと固まった。何しろアカネは、ナツに対して、食事を与えてみたいとはこれっぽっちも思っていなかったからだ。むしろ、出来るだけ距離をとりたいとすら考えていた。
しかし、シロは、アカネの内心も、ちゃんと理解した上で提案したようである。もちろん、嫌がらせのつもりはまったくない。
「わっちも温かい内にご飯を食べたいでしゅから、手伝ってくれると助かりましゅ」
唖然としていたアカネに向かってシロはそう言葉を追加しつつ、内心ではこう考えていた。
「(アカネちゃん、多分、寂しいんでしゅね……)」
アカネの表情が優れなかったのは、姉と慕っているシロに甘えられないせいだった。普段、ナツの世話はアメが見ているのだが、彼女は狩りに出ているために、シロがナツの面倒を見るしかなく……。そのせいで、本来ならシロのそばにあるはずのアカネの姿は、机を挟んで反対側。そんな状況にアカネは、寂しさを感じていた、というわけである。
シロは、そのことに気づいていた訳だが、だからといって、ナツの世話を放り出して、アカネに付きっきりになるわけにはいかなかった。ナツは赤子で、アカネは見た目が5、6歳位の子供。ナツへの対応を優先するのは当然のことだったのだ。
ではどうすれば、ナツもアカネも、不利益が被らないようにできるのか……。それを考えたシロの結論が、アカネにナツの面倒を見させる、というものだった。アカネがナツに近づくことができれば――、
「(アカネちゃんもナツちゃんも寂しい思いをしなくて済むでしゅけどねぇ……)」
――そのはずだったからだ。
問題は、アカネのシロに対する苦手意識をどうやって改善させるのかという点だった。アカネは、何を考えているのか分からないナツのことを、本能的に恐れているのだ。シロとしてもそればかりはどうにもならず、アカネに克服してもらう以外にどうしようもなかったのだが――、
「……うん。あげてみる!」
――そんなアカネの反応を見る限り、どうやらその懸念も杞憂で終わりそうな様子である。
そしてアカネは立ち上がると……。大好きな姉の横に、神妙そうな表情を浮かべながら、その腰を下ろしたのであった。




