1.7.2 お風呂が嫌いで、やっぱり臭くて
「おふろ~、おふろ~♪」とてててて
「お風呂ォ……」コォ……
「もう、アオしゃんたら……。いったいどれだけお風呂入りたくないんでしゅか?」
名前は『赤』と『青』だが、表情は『明』と『暗』だったアカネとアオ。そんな2人の表情のギャップを前に、人の姿で道を歩いていたシロは、ただただ苦笑を浮かべるほかなかったようである。
そんな彼女の問いかけを受けたアオは、ゲッソリともドンヨリとも表現できる表情を浮かべながら、今まで溜め込んでいた鬱憤を吐き出すように答え始めた。
「もうですね……正直言って、この世界からお風呂なんて消えて無くなれば良いと思っています。あれに入ると、なんというか……心の底から浄化されてしまいそうな気がするんですよ」
「それ、何も問題ないじゃないでしゅか?」
「はぁ……。良いですか?シロさん。私が感じているこの感情は――そう、恐怖です。お風呂に入っている時、もしも一瞬でも気を抜いてしまったとしましょう。そうなったら私は、きっと、まるで溶けるようにして、この世界から消えてしまうに違いありません。それに……私たちの種族とはそういうものだと、小さな頃から事あるごとに教え込まれてきましたし……」
「あー、そうでしゅか。で、どこまでが冗談でしゅ?」
「…………全部?」
「……なるほど。アオしゃんがお風呂を憎むほどに嫌っていることだけは、よーく分かったでしゅ(理由は良く分かんないでしゅけど)」
そう言って、呆れたように大きなため息を吐くシロ。そんな彼女の心境は、お風呂に入りたくなくて駄々をこねる子供と接している状態に近いのかもしれない。
一方で。
リアル子供の内、獣耳と尻尾が生えている方は、まだ見ぬお風呂が楽しみで仕方がなかったようである。
「おふろ~♪」
「すごく嬉しそうでしゅね?アカネちゃん」
「うん!僕、お風呂って、見るのも入るのも初めてだから、すっごく楽しみ!どんな形をしてるんだろ……どんな色のお湯なんだろ……虹色かなー」
「に、虹色……ちょっと……うん……。どんなお風呂なのか楽しみでしゅね……」
虹色の湯船ならともかく、虹色の湯が注がれている風呂とはどんなものなのか……。それを想像して、シロはどう返答して良いのか分からなくなってしまったようである。そんな彼女が想像した風呂は、正体が鶴である彼女にとって、あまり近寄りたくない類いの虹色の液体で満たされていたようだが……。幸い、いま彼女たちが目指している温泉のお湯は、虹色ではない。
なお、これは余談だが、彼女たちが歩いていた場所から、さらに北に向かって300kmほど進むと、正真正銘、虹色——もとい原油が含まれる湯が湧き出ている温泉があったりする。もしかするとシロは、以前そこに行ったことがあって、そこで痛い目に遭ったことがあるのかもしれない……。
まぁ、それは置いておいて。
一行が風呂に入る発端になったアメとナツは、というと――
「……のう、ナツよ。ワシはそんなに臭いじゃろうか?」
「んま?」
「シロいわく、ワシら2人は獣臭すぎて、人に擬態しておるというのがバレる、と申しておっての?」
「んま……」
「ワシは元が狐じゃから、自分の臭いが他人にどう思われておるかなど知るよしも無くてのう……。じゃから、お主ならどう感じるのかと思うて聞いてみたんじゃ」
「んまんま」
言葉が通じているのかどうかは定かでないが、自身を背負うアメの背中に鼻をくっつけるナツ。それから彼女はゆっくりと顔を上げるのだが……。その際、アメの背中からナツの口元にかけて、なにやら糸のようなものを引いていたのは、赤子ゆえに仕方のないことか……。どうやら、2人の臭いの原因は、狐臭さだけではなかったようだ。
そしてナツは、臭いについての感想(?)を口にする。
「んまー」
「ほう?臭くないと?」
「んまんま」
「たまにはお主も良いことを言うのう?」
「…………」にたぁ
「……む?気のせいかのう……。何やら怪しげな臭いが、背中から漂ってきたようじゃが……」
と、あまり嗅ぎたくない類いの臭いが、背負っているナツの方から漂ってくる気がして、思わず眉をひそめてしまうアメ。
それから彼女は、ちょうど良いと言わんばかりの様子で、隣を歩いていたシロに対して問いかけた。
「シロよ。風呂まではあとどのくらいじゃ?」
「んー、そうでしゅねー……。わっちは基本、歩いて移動することはないでしゅから、ここから見える景色だけでは、あとどのくらい掛かるかを答えるのは難しいでしゅね。でも確か……周りを山にぐるりと囲まれた場所にあったはずでしゅから、この峠を越えれば、お風呂はもうすぐだと思いましゅよ?」
「ふむ……時間にして、あと半日と言うところかのう。……ナツよ?それまでおしめの交換、辛抱できるか?」
「んまっ!」がぶぅ
「……できるようじゃのう」
「アメしゃん?冗談言っちゃダメでしゅ。ナツちゃん、めちゃくちゃ怒ってるでしゅよ?」
「はぁ……仕方ないのう。このままでは獣臭さどころの話ではなくなるゆえ、交換するかの……。感謝するのじゃぞ?ナツよ」
そう言いつつ、その場にあった岩の上に風呂敷を敷き、そこ背負っていたナツを置いて……。そして慣れた手つきで、ナツのおしめの交換を始めるアメ。そんなどこからどう見ても母子にしかみえない2人は、しかしそれでも赤子と狐。弱肉と強食である。
そしてそれからしばらく歩き、夕暮れ前になって……。アメたちは山々の稜線に到着した。
石油が含まれる温泉や、外輪山に囲まれた湖の縁にある温泉、それに集落や漁村、峠道、森などなど……。
架空の場所ではなくて、すべて実在する場所をモデルにしています。
もちろん、全部行ったことのある場所です。
そして、これから書くだろう南の地に至るまでの経路も、そこにある人々の暮らしも、景色も……。
まぁ、アメちゃんやナツちゃんが生きてきた時代まで遡るのは無理ですけど……。




