1.3.6 焼いて、食べて
2人がすべての準備を終えたのは、日が落ちてからのことだった。その結果、移動が億劫になった彼女たちは、大穴を穿った場所の近くに、今晩の根城を構えることにしたようである。
ただし、その様子は、ここまで繰り返してきたものとは、大きく異なっていたようだが。
「……して、ワシらはなぜ、焚き火を囲んでおる?」
「だから言ったではないでしゅか?これから先、人に紛れて進むためには、人のように夜営ができなければ、すぐに正体がばれてしまう、と」
「人が誰も来ん山に入って眠れば良いだけではないか?」
「アメしゃん、分かってないでしゅね?人を真似て行動しゅる利点。それを知ったら、もう、山で野宿しようだなんて思えなくなりましゅよ?」
そう言うと、焚き火の横で串に刺して焼いていた川魚を手にとって、そしてそれをアメへと向けるシロ。
「む?何じゃ?これを食えと申すか?」
「アメしゃん、こういうの食べたことないんじゃないでしゅか?人が考えた料理って、美味しいんでしゅよ?」
「ただ火で炙って焦げただけの魚ではないか……。こんなものが美味いわけ……」はむっ「……美味っ!」
「でしゅよね?お塩を少しまぶして焼いたお魚は絶品でしゅ。お魚には、焼く以外にも、煮るとか、蒸すとか、色々な料理の方法があるんでしゅよ?」
「ふむふむ……。長い間、生魚ばかりを食ろうてきたが、これはこれで悪くないのう……。もしやナツも温めて食べると、より美味いのではなかろうか……」
「んまんま」
「む?お主も、これが食いたいのかの?」
「んま」
「お主はまだ歯がちゃんと生え揃っておらぬからのう……。ふむ。仕方あるまい」
そう言うとアメは、焼き魚を口に含み、そして咀嚼して……。それを飲み込まずに――
「…………」
「…………」
――口移しで、ナツに食べさせた。それはこの時代における離乳食の食べさせ方。人も親子の間で一般的に行われていた行為である。
「どうじゃ?美味いか?」
「…………んま!」もぐもぐ
「そうかそうか。まだ食べたいか」
それからも、魚の骨がない部分を齧っては咀嚼して……。そしてそれをナツへと与えていくアメ。
その様子を端から見ていたシロの目には――
「……微笑ましいでしゅね」
――二人のことが、本物の母子のように見ていたようである。
「ん?非常食への餌付けがかの?お主、心が荒んでおるのではないか?」
「もう、アメしゃんたら……素直じゃないでしゅね?」
「素直もなにも、それ以外に表現のしようが無いではないか……」
「はいはい、そうでしゅね。まぁ、それはいいんでしゅけど……アメしゃん?もう一人、餌付けをする相手がいることを忘れてましぇんか?」
「は?」
「ちゅーっ……」
「……気持ち悪いのう」
「んぐっ?!」
「ダメじゃぞ?ナツ。シロみたいに育っては。少しくらいならまだ我慢できるが、ここまで気持ち悪くなってしもうては、ワシもさすがに食欲が無くなってしまうからのう……」
「んまんま」
「何じゃ?まだ食べたいのか?仕方ないのう。新しい魚を焼くゆえ、暫し待つが良い」
「んま!」
そんなやり取りを交わしながら、シロが川で捕ってきた小魚を手にとって、木の枝で作った串を突き刺すアメ。そして、ひとつまみの塩をまぶしてから、焚き火の横の地面に、それを突き立てると……。
アメは、魚に火が通るまでの間、真っ白に燃え尽きた灰ような状態になっていたシロへと話しかけることにしたようだ。
「なんじゃ?お主。そんなにワシの口移しで、料理が食べたかったのかの?」
「ふぇ?ち、違うでしゅ……。それは副次的なものでしゅ。本当は……なんというか……こう……」
そう言って目を閉じ、顔を上げ、唇を付き出すかのような格好になるシロ。
それを見たアメは――
「(ふむ……あぁ、そういうことじゃな?)」
――合点がいった様子で、シロに近づくと。
焚き火の炎によって赤く照らし出されていた彼女の小さな唇に――
ぶちゅぅーーー
――と、ナツの口をくっ付けた。
「?!」
「んまんま」ぶちゅぅーーー
「ちょっ、やっ……あ゛ぁ゛?!」
「なんじゃ?違ごうたか……」
「んまー!」
そしてアメは、ひとしきり吸引を終えて満足げな表情を浮かべていたナツを、シロの顔から引き剥がすのだが……。
その後で、シロがビクンビクンと痙攣していた理由は不明である。
◇
「ぐしゅ……わっち……もう……お嫁に行けましぇん……」ぐすっ
「(うるさいのう……。早よう寝ねてくれんかのう……)」
焚き火が小さくなり、辺りを暗闇が支配した頃。人の姿のまま、木にもたれ掛かって眠ろうとしていたアメとシロ。どうやら今日は、2人とも、人間の姿まま眠ることにしたようである。さしずめ、人間体験1日目、と言ったところだろうか。
そんな中。隣人が出す騒音(?)に悩まされて、眠れなかったアメは、森の小さな違和感に気づいていたようだ。
「(しっかし、ここは、随分と静かな森じゃのう……。フクロウたちや鹿たちの鳴き声すら聞こえぬとは……)」
森の中にいると聞こえてくるはずの、ホウホウといった低いフクロウの声や、キュッという甲高い鹿たちの声。アメはそんな動物たちの声を夜な夜な子守唄にして眠っていたのだが……。どういうわけか、彼女たちがいた森の中には、隣でブツブツと呪詛を唱える鶴の泣き声以外に、声という声が聞こえてこなかったようだ。
「(気配がせんわけではないが……なんというか、皆、息を殺しておるような気がするのう。そのせいで何となく、森の中が殺気立っておるというか……)」
もしや、近くに熊がいるのではないか……。アメがそんなことを考えた時だった。
――――ゾクッ――――
何か"冷たい"と表現できる感覚が、不意に彼女たちの背中に走る。
「「?!」」
その途端、音も無く立ち上がり、周囲を見渡すアメとシロ。どうやら彼女たちがいた森に、"来客"がやって来たらしい。
「(どこでしゅ?)」
「(まだ遠い……。しかしこれは……本当に熊の気配じゃろうか?)」
「(分かりましぇん。こんな……気配だけで奥歯がガチガチとなるような経験、初めてでしゅ。……わっちだけ逃げても良いでしゅか?)」
「(……熊に対する罠を考えたのはお主じゃろ。じゃがまぁ……無理強いはせん。逃げても良いが、その時は、報酬とやらを一切受けとれぬと思うが良い。ワシは何がなんでも欲しいものがあるゆえ――逃げぬ!)」
「(……本当に素直じゃないでしゅね……)」
「(今日、ワシは、料理というものを知ったからのう……。銭を稼いで、より美味いものを食いたいのじゃ)」
「(……やっぱり素直かもしれましぇん……)」
張りつめた空気の中、そんな他愛ない話を交わして……。森の中を歩き始めた2人。
この日は、三日月。森の中も外も、完全な暗闇ではなく、うっすらと獣道が浮かび上がっていた。
そして、それ以外にも、山とは異なる巨大な影も……。