1.3.2 山を越えたくて、毛皮を買いたくて
二人が漁村を発ってから3日目の昼。大きな河にかかっていた小さな橋を渡った頃、シロが不意にこんなことを言い始めた。
「そいやぁ、アメしゃん。この先に2つ、道があるのでしゅが、どちらを進むでしゅか?」
「む?どいうことじゃ?」
「険しい近道か、平坦な遠回りの道か、2通り道があるでしゅ」
「山を突っ切るか、あるいは山を避けるか、といったところかの?」
「えぇ、大体そんな感じでしゅ」
「ふむ……」
と、シロの言葉に相槌を打ってから、進行方向の景色へと目を向けるアメ。
その視線の先にあった地平線近くには、彼女たちの行く手を遮らんばかりに高い山の稜線が連なっていた。まず間違いなく、厳しい山越えが待ち構えているだろうことを予見させるような、黒い壁の稜線である。
それ自体は、鳥であるシロにとっても、狐であるアメにとっても、大した障害物ではなかった。何しろ、山というのは、彼女たちにとって、住み処のようなものなのだから。
しかしである。問題は、アメの背中にいたナツにあった。彼女は人間の赤子なので、その頭以外には、一切の毛が生えていなかったのだ。もしも、腰巻き一丁の防寒具(?)しか身に付けていない彼女が、標高の高い山へと行ったらどうなるのか……。アメの非常食ではなく、冷凍保存食になる未来が待っているに違いない。
ただ、山の上にまだ積雪は見受けられなかったので、峠は氷点下になっていなさそうだった。だが、いずれにしても、ナツにとっては、極めて厳しい山越えになるのは間違いだろう。
「……ちなみに、近道と遠回りとで、距離はどのくらい違いそうじゃ?」
「そうでしゅねー……。わっちも空からしか眺めたことがないので、時間的にどのくらい違うかは、断言できないでしゅけど……距離はざっと5倍くらいでしゅかねー」
「……うむ。なれば山越えするかの」
「んま?」
「なーに、案ずるでない、ナツよ。お主が寒いと思ったなら、いつでもワシが、腹の中で温めてやろうぞ?」
「んまっ!」がぶぅ
「ナツちゃん、激怒してるでしゅ……」
「ふっ……これはこやつなりの愛情表現じゃ。どうじゃ?お主も。たまにはこやつを、あやしてみんか?」
「…………」にたぁ
「うっ……ぜ、全力で遠慮しておくでしゅ……」
自身に向けられたつぶらな瞳の奥に、アメ以上の獣の姿を見たような気がして、背筋に何か冷たいものを感じた様子のシロ。もしもそれが見間違いだったとしても、口から粘着性の液体を流しながら、自身に向かって何か物欲しげな表情を向けていたナツのことを、彼女は間違っても、抱きたくなかったようである。
「ふむ……まぁ、貧相なシロでは、ナツのおやつにすらならぬか……」
「ちょっ?!」
「しかし困ったのう……。ワシとしても、凍って固まってしもうたナツは、美味しくないと思うゆえ、食べとうないのじゃ。これはもう、ナツのために、毛皮を用意せねばならぬやもしれぬ……」
"毛皮"と口にした後で、険しい表情を浮かべるアメ。
その様子を見たシロは、おおよその心中を察したらしい(?)。
「もしかして、アメしゃん。ナツちゃんに……狐しゃんの毛皮を着させるつもりでしゅか?それで我が子のように愛でると?完全に、親バカでしゅねー」
「親バカって……そんなわけなかろう。どうやって、毛皮を調達するか、それを考えておったのじゃ」
もしも毛皮の服を作るというのなら、乾燥にかなりの時間がかかってしまうので、アメとしては、あまり気が乗らなかったようである。何しろ、この地方の夏は、すでに終わっていると言っても良い時期。つまりそれは、もう間もなく、厳しい冬がやってくることを意味していたのだから。
もしも、冬が来てしまえば、家を持たない狐のアメには、暖房の無い場所で人の子であるナツを育てるのは困難である。それが一体何を意味するのかは、言うまでもないだろう。
そのため、アメにもナツにも、立ち止まっている時間はどこにも無かった。結果、アメは、時間をかけて服を作るのではなく、別の手段で、毛皮の服を調達しようと考えていたようである。
そのためには、どうすれば良いのか、そして何が必要になるのか……。それを考え、そして思い至って、彼女は頭を抱えてしまったようだ。
「やはり……人から買わねばならぬか……じゃがのう……」
「えっと……アメしゃん?お金持ってるんでしゅか?」
「……ふっ。狐にそれを聞くか?お主は、どうなんじゃ?」
「ふふ……ふふふふふ……奇遇でしゅね?」カタカタ
「じゃよな……。まずは、先立つものから調達せねばのう。ここは……シロを売るかのう?」
「……アメしゃんのためなら、この身体、売っても構わないでしゅ!」うるっ
「さよか……。じゃが、肉として売っても、二束三文も良いところじゃろうのう……」
「えっ……そっちなんでしゅか?!」
「ん?それ以外に、お主が売れるようなものなんぞ、あるのかの?」
「……これは一度、腹を割って話す必要がありそうでしゅねぇ……アメしゃん!」ゴゴゴゴゴ
そして、殺気を放ち始めるシロ。
しかし、アメには、シロが激怒している理由がまったく分からなかったらしく、彼女は背中の温もりを感じながら、毛皮の調達方法について頭を悩ませ続けたようだ。
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