『廃』
遅筆かつ不定期ですが少しずつ書いていきます!
正男は目を覚ます…
辺りを見回してみるが陽は沈んでいるらしく真っ暗闇の中にいた。
寝起きの気だるさにうんざりしながら、正男は愛用している米軍払い下げのランタンに灯を入れた。
夜闇の中、変わり映えしない殺風景な自分の部屋が目に映る。
壁に目をやってみると、時計があった。ガラス部分は割れ、分針と秒針はいびつに曲がっている上に傾いたまま壁に掛かっている。
どうやら午前2時をまわったところらしい。
「…っだよ…、4時間しか経ってねーし…」
正男は眉間に皺をよせ、苛立ちのままに呟いた。
正男はここ2年ほど5時間以上の睡眠をとっていない。
寝る前にハルシオン2t、ロヒプノール3t、ベゲタミン1tをアルコールで流し込んでいるが、このところ効きが悪くなってきている。
こんな時代だ…不眠症になるのも仕方がない。
けれど、正男の不眠はまた違ったところに原因がある。
もっとも4時間といっても、ここの時計は壊れかけていてしばしば止まったりする為、正確かどうかは不明だ。
ここは某県の中都市で、比較的繁華街にも近かったが経営難と医院長の巨額脱税で潰れた病院の跡地だ。
病院といっても、バブルの時代に莫大な予算を投入し創られた一つの街ほどもある巨大なものだ。
県会議員ら数名が裏金で関わっていたふしもあったそうだが、トカゲの尻尾切り。
県警トップとお金のやり取りがあったらしく、医院長他数名が責任を問われるかたちとなった。
議員達は我関せずで、ローカルニュースのインタビューでは「大変遺憾である」と応えていた。
それ以来ここ病院の話題はタブーとされるようになり、打ち捨てられたままとなっている。
そのうちに社会の日蔭者アウトサイダー達が入り込み、違法に増改築を繰り返し無法者の要塞となった。
解り易く言えば、香港で取り壊された九龍城のようなものだ。
そのうちに人が増え、現在では犯罪者、薬物中毒者、フリークスの巣窟となっている。
そうして彼等はいくつかのコミュニティーを形成し、日夜対立派閥どうしの争いは絶えない。
ここ病院ではまず人が死なない日はなく、文字通り無法地帯だ。
人間が殺されても警察が介入することはなく、死体も病院内で処理される為ここでの死は永遠に行方不明ということになる。
もっとも、その人間を探す家族がいればの話だが。
日常的に人が死ぬのにも関わらず、病院の人口は減ることはない。
人が減っても、すぐに新しいクズが集まってくるのだ。その為、病院の人口は年々増加傾向にある。
そういう時代だということだろう。
正男もそういった人間の一人だった。
正男は煙草に火をつけて、再びベッドに倒れこむ。
元々は入院患者が使っていたであろう安っぽいパイプベッドのスプリングは、長らく放置されていた為か、ガタがきているらしくギシギシと音をたてた。
正男はこの動く度に軋む寝心地の悪いベッドを気に入っている。
恐らくは何人もの重症患者が人生の終わりを迎えたであろうこのベット。
すばらしいものになる希望に満ちていた人生が、病に蝕まれこのような処で朽ち果てるのだ。
死にゆく者は、最期の時に何を想っただろう…
そんなことを想うと正男は安心した子供のように眠れるのだった。
ふと正男は気がつき、独り言を言う。
「あ~ぁ、腹減った。人間はなんで食わなきゃ生きてけないかな…」
煙草を灰皿にねじ込むと、おもむろに立ち上がり近場のコンビニへ行くことにした。
正男は26歳になるが、物心ついたころから家族というものがいたことがない。
教えてくれる人はいなかった。故に自炊などしたことがなかった。
基本的には外食が多いが、最近はもっぱら近所のコンビニに行くことが多い。
これにはある理由がある。
正男はオーバーサイズのレザージャケットに袖を通しブーツを履くと、枕元に置いていた解体用のナイフを懐に収めた。
ここでは、一歩外に出れば身の安全は保障されない。いや、自分の部屋にいたとしても保障などない。
この病院で安全な場所などどこにもありはしないのだ。
殺傷能力のある凶器の装備は、ここで生きていくのに最低限必要なものだ。
正男は、口元が緩んだにやけ顔で部屋を出た。この後の展開をイメージすると、ついつい表情が緩んでしまう。
14階建てのこの病棟の6階にある一室が正男の住居だった。
この病棟には電気が通っておらず、エレベーターなど動いていない。
病棟によっては発電機が生きていて電気が通っているところもあるらしい。
そういった良い場所は、力ある者に押さえられている為狙われることが多い。よほど自信のある者でなければまず近づこうとしないだろう。
それに、正男は決して便利ではないがこの場所を気に入っていた。
正男が病院にやって来た時、一番にこの病棟を選んだ。
その理由は、病院では知らない人はいないであろうフリーランスの象徴的人物の出身地だったからである。
正男は現在、憧れの人物が以前使っていた部屋を使っている。
廊下を歩き西階段へ向かう。
通路の端に3人程の蹲る人影が目に入った。
目の焦点が合わず瞳孔は開き、虚ろに中空を眺めている者…
よだれを垂らしながら不気味に笑みをうかべている者…
意味不明な奇声を発し、ひたすら壁に頭を打ち付けている者…
皆、中毒者だ。その為、特有の体臭もひどい。
こういった輩は、まず一般社会ではやっていけないだろう。
普通であれば然るべき施設に収容されるはずだ。
しかしここ病院では勿論警察など介入しないし、統治する者もいない為ジャンキーたちがのさばっている。
これが日常風景であって、正男もこれといって気にすることもない。
正男が階段を下り3階の踊り場にさしかかった時、ふいに後ろから声をかけられた。
何者かの襲撃の可能性もあった為、正男は相手を刺激しない程度の速さでナイフを忍ばせた懐に手を入れナイフの柄をしっかりと掴んだ。
正男のテリトリー、必殺の間合い。
振り向きざまの一撃で、頸動脈を断ちしとめる自信はあった。
相手の呼吸に合わせ虚をつき振り向き一閃を浴びせようとしたが、すんでのところで手を止めた。
正男はため息をこぼし、ふりかざしたナイフを懐に収める。
正男の視線の先には、日ごろ見慣れた顔があった。
この病棟の3階に住む「信也」だ。
信也は、たった今死の脅威に晒されたばかりだというのに、へらへらと薄い笑みを浮かべている。
この状況で笑っていられるのはよほどの実力者か、危機管理能力を欠いた愚者だ。
恐らく信也の場合は後者だろう。