(1)
「全体止まれ!」
アリスがよく通る声で号令をかけた。
華奢な体からは想像もできない迫力だ。
命令を受け二千人の兵士たちは一斉に行軍を止めた。
全員の視線が、前方からこちらに向かって走ってくるただ一騎に集中する。
「おかしいぞ」
「誰も乗ってねえ」
「馬だけだ」
兵士たちが口々に叫ぶ。
確かに馬の上に人の姿はないように見えた。
しかし――
「違う、誰か馬の上に伏せってるぞ! そ、それに血だらけだ」
望遠鏡を持った見張りの兵士が叫んだ。
その通り、馬が近づいてくるにつれ、僕にもそれがはっきりと視認できるようになった。
誰かが血まみれの状態で、馬上にうつ伏せになっているのだ。
生きているのか死んでいるのかもわからない。
しかも馬は興奮状態で道をジグザグに走っていた。
このままだと、こっちに突っ込んでくる。
騎乗者もたぶん振り落とされてしまうだろう。
「誰か、あの馬を引け!」
見兼ねたアリスが叫んだ。
「私が行きます!」
リナが真っ先に応じ、自分の馬の腹を拍車で軽く蹴った。
馬は風のような速さで走り出す。
その様子を見ていたレーモンが、一瞬、心配そうな表情を浮かべて言った。
「あの馬、かなりの荒ぶれようです。私も行きましょうか」
「必要ない」
アリスは首を振った。
「リナなら大丈夫だ。お前の姪を信用しろ」
だが兵士たちは、馬で駆けるリナの様子を見て余計にガヤガヤと騒ぎ出した。
「大丈夫か、あんな小娘で」
「さあー? 俺が行った方がマシじゃねえかな」
「バカ、お前じゃ無理だ」
リナは貴族のはずなのに、兵士たちはお構いなしだ。好き放題言ってる。
いや、わざと騒いで不安を打ち消しているのかもしれないが――
そんなふざけた態度の兵士たちと正反対なのが、馬上の騎士たちだ。
全員落ち着きはらった様子で、いつの間にかアリスを守るようにきちんと陣形を敷き、周囲に監視の目を光らせている。
「竜騎士どもはやっぱよーく訓練されてんな」
エリックがつぶやいた。
「あいつら、ロードラント軍の中でも精鋭中の精鋭だからな」
「へえ、そうなんだ」
「ああ。泣く子も黙るロードラントの近衛竜騎士ってね。連中はアリス様を守ることが絶対の使命。何があっても動揺しない。しかもとにかく強い。本当に強いんだ」
「ふうん。強そうなのは見ためだけじゃないんだね」
「そりゃそうだ。連中は主に貴族や武人の子弟から選抜され、小さい頃からとんでもなく過酷な訓練をこなしているらしいからな。うーん、そうだな……」
エリックはさっと辺りを見回した。
「例えば今、ここにいる俺たち歩兵全員でいきなり連中に襲い掛かっても多分敵わないよ。全員返り討ちだな」
「ええ!? だって兵士は二千はいるよ。それがたかだか百程度の騎士に?」
「ああそうだ。嘘でも誇張でもないぜ」
エリックはニヤリとした。
「どうやら少し風向きが変わってきたようだからな。もしかしたら連中の強さを実戦で拝めるかもしれん」
「え、それって……すぐに戦いが始まるってこと!?」
「うむ。だからユウト、おめーも油断するなよ。あいつらは王女の護衛には命だって懸けるが、俺らのことなんかまったく考えちゃいねえからな。末端の兵士が何人死のうがまったく関心ないんだ。
いや、それどころかせいぜい俺らを『肉の盾』くらいにしか思ってねえ。死にたくなきゃ自分の身は自分で守らなきゃいけないぜ」
肉の盾?
今一つピンとこない。
まあ、いつの時代だって弱い者は真っ先に死に力を持つ人は最後まで生き残るんだ。
それは真実だろう。
でも、こんなに平和な雰囲気なのに、本当に戦いなんてが起きるのだろうか?
敵の気配なんてまったくないし。