(13)
「残念だったな、ユウト。それは出来ぬ相談というものだ。パンタグリュエルはもはや誰にも止められぬ」
それまで抜け殻のように沈んでいたヒルダが、僕の言葉に反応し、意地悪そうな笑みを浮かべて言った。
「確かにパンタグリュエルはわたしの全魔力の結晶。しかしユウト、貴様も今さっき目の前で見ていたであろう。あれに吹き込まれた命、それはすなわち洗脳済みのあの女そのもの。たとえわたしを殺したところでパンタグリュエルは動き続けるのだ。そしてお前たちロードラントのお仲間たちを虐殺しデュロワ城を破壊し尽す。どうだ? 何とも言えない皮肉かつ素晴らしい趣向だろう?」
「クソッ!」
思わずヒルダをひっぱたきたくなったが、拳を握りしめて衝動を抑えた。
この期に及んでなお、ヒルダはまだこんな嫌がらせをするのか。
僕は努めて冷静に問いただした。
「それでも何か方法はあるはずだ。あれを作りだしたお前ならそれを知っているだろう」
「ククク……わざわざ聞かなくて貴様もその方法はわかっているだろう」
「………………」
「そう、まさにその通りだ。生を得たパンタグリュエルを止める手立てはただ一つ――それはあれのコアを破壊することだ。要するに中に入っているリナをどうにかしないといけないわけだ」
ヒルダはヒール役にふさわしい、悪辣な笑みを浮かべて言った。
最後の最後まで悪の魔女を演じ切るつもりらしい。
「だがユウト、果たして貴様にそれができるか? 剣にしろ魔法にしろ、生半可な攻撃ではパンタグリュエルの鋼鉄の体には1ミリの傷もつかぬ。ましてや体内のコアを破壊するなど至難の業――たとえそれに成功したとしても貴様の想い人であるリナもただではすまんだろう。さあ困ったことになったぞ、ユウト」
ヒルダはそう言ってから、再び黙りこんでしまった。
もうこれ以上ヒルダを責めてもらちが明かない。
とにかく、今は暴走するリナを止める方法を考えないと――
「クロード様」
僕はアリスの後ろで控えていたクロードに頼んだ。
「もうヒルダに抵抗する力はないと思いますが、一応しっかり拘束しておいてください。すべてが終わったあと、アリス様に沙汰を下してもらいましょう」
「わかりました。しかしユウト君は――」
「もちろんパンタグリュエルを止め、リナ様を救いだします。――さあ、アリス様。ヒルダとここの後の処理はクロード様たちに任せることにして、いっしょに行きましょう。リナ様を助けるにはアリス様の力が必要なのです」
「ああ、ああ……」
アリスらしくない、どこか煮え切らない返事。
後から思い返すと、その時のアリスの顔色は確かに心なし青ざめていたのだ。
だが、僕はリナのことで頭が一杯で、それ気付くことができなかった。
「どなたか馬は――馬は連れてきせんでしたか?」
僕は大声で言った。
「もう水路の中を通って歩いて帰る時間の猶予はありません。一刻も早く戻らないと取り返しのつかないことになる」
「馬なら後続の部隊が連れてくるはずです。――ああ、ちょうど今到着したようだ」
兵士の一人が後方に飛んで行き、すぐにアリスの白馬を引いてきた。
この馬ならいけそうだ。
「ありがとうございます。さあ、アリス様」
僕は鐙を踏んで、馬に飛び乗り、アリスに手を差し伸べた。
アリスはその手をきゅっとつかんだので、細く軽い華奢な体を馬に引き上げ、僕の後ろに跨らせた。
「ユウト、お前確か馬に乗れなかったのではないか?」
「いいえ、ご心配には及びません。もう十分乗りこなせます」
「いつの間にか練習したのか?」
「そういう訳ではありません」
「そうか……」
アリスはそれ以上は何も言わず、僕のお腹に手を回しぎゅっと抱きしめた。
鋼の胸当てを付けているはずなのに、その熱い鼓動と体温をはっきり感じる。
「さあ、行きます!!」
手綱を持ち、アリスの白馬の腹を軽く蹴って合図した。
すると白馬は指示通りにきびすを返し、デュロワ城の方向に向かって一気に走り出す。
思った通りだ。あっけないほど簡単に乗りこなせる。
――今さらだけど、ようやく気付いた。
この世界は、自分ができると信じたことが、本当にできてしまう世界なのだ。
僕とアリスを乗せた白馬は、サバトの集会の場を瞬時に駆け抜けた。
白馬の蹄が地を蹴るたび、ぐんぐんスピードが上がり、風が僕たちの頬を切り裂く。
さすがアリス騎乗の名馬だ。速いなんてもんじゃない。
こうなったら、来るときに通った灰色の森は迂回し、緑の平原を駆け抜けて一気にデュロワ城に戻ろう。
戦場はすでに移動したのか、敵の姿が見えないのも好都合。
僕たちは、最短コースでデュロワ城へ向うことにした。
その途中――
アリスが僕にまた例のことを聞いてきた。
よほど気になっているらしい。
「なあ、ユウト、頼むから教えてくれ。お前はどうやってあの魔女を倒したのだ? 私には皆目見当がつかぬ。ほんのちょっとつぶやいただけで、いったいどうして――?」
「それは――」
僕は歯切れ悪く答えた。
この世界のアリスに事の次第を説明したところで、理解できるわけがない。
なぜならあの時、僕はヒルダにこう言ったのだから。
『ねえおばさん! というか保健の日向ルイ子せんせ! こんな異世界まで来て変なコスプレして女の子にセクハラしていったい何考えてんの。いい歳して恥ずかしくない?』
魔女ヒルダ――すなわち現実世界の日向ルイ子先生は、まだ三十代半ば。
このご時世、おばさんとはまだ呼べないかもしれない。
が、そのセリフの効果はてきめんだった。
今のヒルダに、現実世界での記憶があるのかはわからない。
しかし、すくなくとも彼女の『恥』の感情を呼び起こすことは十分成功した。
真の姿を大嫌いな僕に言い当てられた日向先生、そしてそのアバターヒルダは、恥ずかしさのあまり、内面から脆く崩れ落ちたというわけだ。
同時に、それは転移前に現実世界でしたセリカとの約束――
『向こうの世界に行っても絶対現実世界のことは向こうの人たちに話しちゃだめ。さもないと恐ろしいことが起る』
という誓いを見事に破ることになってしまった。
しかし、だ。
結局、彼女が言うような恐ろしいことは何も起こらなかった。
ただし、それもあらかじめ予測がついていたことではあるが……。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
そしてようやく――
アリスへの返答を濁すうちに、デュロワ城に向かって進撃するパンタグリュエルの超巨体が視界に入ってきた。
パンタグリュエルはもはや敵味方の区別なく、蹴散らし、潰し、すべてを破壊し尽くしながら進んでいる。
どうする、どうすれば止められる?
パンタグリュエルを――いやリナを!