(15)
「きゅるるるるるるるーー」
それは明らかに誰かの腹の虫が鳴った音だった。
しかも、中庭にいる全員にわかるぐらい盛大な。
音源は確かめるまでもない。
位置からして間違いなく、アリスの細いお腹から奏でられたサウンドだ。
「あ…………」
どうやらその音は本人にも聞こえたらしい。
アリスの顔は、まるで熱湯につかり急上昇したガラス温度計のメモリのように、たちまち赤くなった。
と、同時に、兵士の間に笑いの渦がドッと巻き起こる。
竜騎士さえも必死に笑いをこらえていたりして、緊迫した雰囲気は一瞬で吹き飛び、ほんわり和やかなムードすら漂い始めた。
ああ、よかった。これでほっと一安心。
アリスの怪我の功名――彼女のお腹の偶発的な事故によって、さしあたり仲間割れの危機は去ったようだ。
が、しかし、王女として自尊心をいたく傷付けられ面目が潰れた思いこんでいるアリスにとっては、軽く笑い飛ばすことはできない出来事なのだった。
「その、あのだな、今のは――なんというか、その……」
恥ずかしさのあまり、しどろもどろな口調のアリス。
人前で堂々オナラをしたわけでもあるまいし、そんなに気にすることないと思うのだが、アリスは今までになくいくらい取り乱しオタオタしている。
そして唐突に――
「そうだ! ユウト! さてはお前の仕業だな! お前が場の険悪な雰囲気をやわらげようと思って魔法を使ってやったな」
「え!? ええっ!?」
アリスがいきなり責任転嫁してきたので、僕はびっくりしてとび上がった。
自分のしくじりを人のせいにするなんて普段のアリスらしくないが、それだけ不名誉な出来事だったのだろう。
でも、とんだとばっちりだ。
「い、いくらなんでも魔法でそんなことできませんよ! お腹の音を操る白魔法なんてありません!」
「しらばくれるでない!」
「しらばくれてませんって」
「いや、そんなはずはない!!」
アリスはなおも顔を真っ赤にして、僕に掴みかかってきた。
それを見ていた兵士たちは、笑って囃し立てる。
「おいおい、アリス様とユウトが喧嘩を始めちまったぜ」
「こりゃ痴話喧嘩だな」
「まったく見せつけてくれるぜ」
「おー熱い熱い」
困った。どうしてこうなった。
いつの間にか、僕とアリスはみんなに公認の仲と見られているらしい。
正直嬉しくないわけではないけれど、ただの兵士である僕とカップルでは、王女という立場のアリスにとってはマイナス過ぎるんじゃないか?
「まあまあ王女様、落ち着いて」
と、そこでエリックが僕とアリスの肩に手を置いて引き離す。
「それにユウトなあ、お前もレディに対して気がきかないぞ」
「え?」
エリックは僕にこっそり耳打ちしてきた。
「こういう時はな、嘘でもいいから私がやりましたと言っておけばいいんだよ。そうすればアリス様の名誉が保たれるし後で感謝もされるだろう?」
「あ!」
指摘されてみればそうなのだけれど――そんな機転を咄嗟にきかせるなんて、僕には無理だ。
でも、今からでもフォローしてあげれば……。
「も、申し訳ありませんアリス様。確かに今のは僕が魔法でやりました。ご推察の通り少しでもみなさん雰囲気をよくしようと……」
「バカ! 今さらそんなこと言っても遅い!」
アリスがつんとして、ぷいっと横を向いてしまった。
その様子がみんなのさらなる爆笑を誘い、僕まで自分の間抜けさが恥ずかしくなって、顔から火が出るような思いだった。
それからしばらくしてようやくみんなの笑い声が収まった頃、エリックが拗ねるアリスに声をかけた。
「まーアリス様、ユウトのことは勘弁してやってくださいよ。ユウトはまだまだロクに女と付き合ったこともない未熟な奴ですから」
「そんなこと知らん!」
「それにですね、これだけ笑えばみんなしばらく空腹も紛れるでしょうよ。そう思えばお怒り具合も減るでしょう」
エリックがそう言ってくれたので、僕はここぞとばかり自分の失点を取り戻そうと、ずっと考えていた計画を切り出した。
「あのーその食料の件なんですが。ちょっと僕に考えがありまして……」
「お、なんだユウト? 例によってなにか考えがあるのか?」
アリスがいまだご機嫌斜めなので、エリックが代わりに僕に訊く。
「ええ。敵に囲まれる中、城の外へ食べるものを探しに行くのは不可能。そこで、地下の化けネズミを利用してみてはと思うのですが……」
「おいおい! ユウト、正気か? いくら腹が減ってもそりゃ無理だぜ」
エリックはとんでもない、という風に首を振った。
「実は俺も戦場で飢えて食おうとした経験があってな。ところが肉が臭いのなんの。煮ても焼いてもあれだけはどうしようもない」
「エリック、その点は考えてあるから大丈夫」
「え、マジかよ?」
「うん、だから僕に任せて。――アリス様もみんなも、期待して待っていてください」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日の午後――
僕は、化けネズミが跋扈している城の食糧貯蔵庫の前に戻って来ていた。
その傍らには、すっかりメイド服が板についた男の娘メイド、ミュゼットがいた。