(10)
「何をするんだユウト?」
と、アリスが首をかしげながら言う。
「まあ見ていてください」
僕は地面に置かれたバケツの水に向かって手を差し出した。
『クリア!』
一瞬水面が揺れ、かすかに光ったように見えたが、すぐに元の状態になった。
でも、確かに手ごたえはあった。
「アリス様、ご覧のとおり、いま、水に解毒の魔法をかけてみました」
「ほー。しかしユウト、本当にこれで毒が消えたのか?」
「ええ――たぶん……きっと、ですか」
そう言われると、そこまで自信がない。
実際飲んでみて、やっぱり毒は消えてませんでした、では取り返しがつかないのだ。
「さすがのお前もはっきりと言い切れないか……。仕方ない、誰か馬を引け」
アリスが叫ぶと、それを聞いていた兵士の一人が厩舎の方へ飛んで行った。
ああ、なるほど。
アリスはまず馬に水の毒味をさせるつもりなのだ。
「馬には気の毒だが、この際やむを得ん」
と、アリスが言った。
「浄化された水を試飲させてみようと思う。まあユウトの魔法ならまず間違いあるまい」
兵士はすぐに馬をつれてきた。
つぶらな瞳のかわいい栗毛の馬だ。
うーん。
動物とは言え、もし毒が消えていなくて死んでしまったら後味が悪い。
でもきっと大丈夫……大丈夫だよな。
「よし、そのバケツの水を馬に飲ませてみろ」
アリスが命令し、兵士がそれに従う。
馬も喉が渇いていたのか、喜んで首を下げてバケツに頭をつっこんで水を飲み始めた。
そして実に美味しそうに、あっという間に飲み干してしまった。
「この毒は即効性だったな」
と、アリスが僕に訊いた。
「はい。ですが馬は体が大きいので、人と同じように毒が作用するかはわかりません」
「そうだな、もうしばらく待ってみよう」
アリスの指示通り、僕たちはその場に立ちつくし、五分、十分と待った。
が、馬はまったく元気だ。
むしろ、まだ飲み足りなさそうに舌で口をペロペロしている。
「よし! どうやら上手く水を浄化できたようだな。でかしたぞユウト」
アリスはホッとして嬉しそうな表情を浮かべ、僕の肩をポンと叩いた。
たぶん本音では、アリスも喉が渇いてすぐにでも水が飲みたいのだろう。
「でも……」
「なんだ、まだ不安なのか?」
「アリス様、正直申し上げればそうです。馬が平気だからといって、人に害がないとは限りません」
「まったくどうも煮え切らん奴だな。ユウト、少しは自分の魔法の力を信じたらどうだ? ――ロゼット、すまないがもう一度井戸の水をもってきてくれ」
アリスの頼みに、ロゼットは二つ返事に井戸に向かった。
そして今度はバケツではなく、立派で清潔な水桶に水を汲んできた。
まさかアリスは――
「さあユウト、もう一度この水に魔法をかけろ」
「え――は、はい」
王女の命には逆らえない。
僕はアリスに言われるまま、さっきと同じく『クリア』の魔法かけた。
「一応、終わりましたが――」
桶の中の(たぶん)無毒となった水が、陽の光を反射してきらきら輝く。
アリスはその桶を、両手でつかんで空に掲げ、いつの間にか集まってきた大勢の兵士に向かって叫んだ。
「皆を代表して、まず最初に私がこの水を飲んでやる。渇いた者たちよ、待っていろ!」
兵士たちがどよめく。
アリスにエールを送っていいのか、それとも危険だからと止めるべきなのか、迷ってしまったのだ。
だがもちろん、僕は慌ててアリスを止めようとした。
「お、お待ちください、アリス様。万が一のことがあっては困ります。ここは責任を持って僕が飲んでみます」
「触るな、水がこぼれるではないか! いいからユウトは黙っていろ、私が飲むと言ったら飲むのだ!」
焦る僕と頑固なアリスが押したり引いたりしていたその時――
誰かが、まるで雷鳴のような響きの声で一喝した。
「待たれい!! アリス様!!」
「――――?」
兵士の山をかき分け現れたのは、戦いのさなかにセフィーゼによって足を付け根から切断され、僕がなんとか治療して治した老騎士、レーモン公爵だった。
しかし完全にはよくなっていないのか、レーモンはまだずるずる足を引きずっている。
「レーモン、お前まだ寝ていなくてよいのか!?」
「アリス様、話は聞いておりました。この老いぼれ、この足ではもはや戦場でお役に立てることは叶わないかもしれませぬ。しかし毒味の役くらいはできますぞ!」
レーモンはそう言ってアリスから桶を奪い取ると、いきなりゴクゴク水を飲み出したのだった。