(3)
そもそも城内にまで響くこの奇妙な合唱は、いったい誰が何の目的で歌い、どこから流れてくるのか――?
その謎を明らかにするため、僕はデュロウ城の屋上を目指し、ランプで照らされた薄暗い石の廊下をひた走りに走った。
城内はさっきまでの喧騒がすっかり収まっている。
敵の攻撃が止んだことに加え、どの兵士もどのメイドも動きを止め、しんみりと合唱に聞き入ってしまっているからだ。
そういえばこの旋律、どこかで聞いた覚えがあると思ったら、ミュゼットが霧の中で兵士たちを導く際に笛で吹いていたのと同じだ。
現実世界から来た僕にはイマイチ理解できないが、どうやらよほどロードラント人の琴線に触れる楽曲なのだろう。
しかし、だとしても、この光景は異様としか言いようがない。
生死をかけた戦いが一転、みんな戦意を喪失し、腑抜けのようになってまったのだから……。
あれ? これはもしかして――
と、そんな彼らの姿を見て、僕はハッと気が付いた。
考えてみればこの状況、現実世界では超有名で誰もが知るあの古代中国の故事にそっくりだ。
つまりこれは敵が城を攻めあぐね、仕掛けてきた罠――
ゴロは悪いが、「四面楚歌」ならぬ「四面ロードラント歌」ということではないか?
そうだ。
きっとそうに違いない。
ロードラントの人たちは、当然僕のいた世界のことなんか知らないから、あっさり計略に引っかかってしまったのだ。
ということは、今がかなりまずい状況でもあるということだ。
いくら城の造りが強固でも、中にいる人々の精神が崩壊したらすべてが終わる。
ふとしたきっかけさえあれば、城は簡単に陥落してしまうだろう。
敵の狙いにおおよその見当がつき、僕は余計に焦燥した。
何とか迷わず城の屋上へあがる例の螺旋の塔に着き、息つく暇なくそこを一気に駆け上がり外に飛び出ると――
案の定、悪い予感は当たった。
“故郷の歌”の大合唱の中、やはりここでも、城の守備に当たっていたはずの千以上の兵士たちは完全に骨を抜かれ、全員持ち場で棒立ちになっていた。
やっぱり!
僕は舌打ちして、辺りを見回した。
アリスは、アリスはどこで何をしている――?
彼女のことだ、戦いが始まってからは自ら陣頭に立ち、みんなを励ましていたはずだ。
と、考えたその時、遠くの方で誰かが叫んでいるのが聞こえてきた。
「どうした! どうしたんだお前たち! しっかりしろ! まだ戦いは終わってはいないぞ!!」
あれは間違いなくアリスの声だ。
どうやら彼女は合唱に惑わされることなく、兵士たちを叱咤し、目を覚まさせようとしているのだ。
が、今は夜。
城の屋上は夜戦用の松明や篝火によって照らされていたが視界はよくない。
そこで僕は魔法で、辺りを照らしてみることにした。
『ルミナス!』
あまり派手に照らすと万が一攻撃が再開された時、真っ先に的になりかねない。
なのでほどほどに明かるさを絞って魔法を唱える。
すると――見つけた。
よりによってアリスは戦闘の最前線、城の外城壁の上に立っていた。
そこで懸命に大声を張り上げているのだ。
けれど、いくらアリスでも、あんな風にただ叫んでいるだけじゃどうしようもない。
みんなに、この流れてくる合唱の声が敵の計略であることを分からせないと――
が、それをするにしても、まずはアリスを落ち着かせなければだめだ。
現況を把握し、若干心の余裕を取り戻した僕は、合唱に心奪われた兵士たちをよけながらさらに足を速めた。
デュロワ城とアリスのいる外城壁とはそれなりに離れているが、構造的にひと続きになっており、ぐるりと城壁の上の通路を伝って行けば、一度も地上に降りることなくたどり着けるのだ。
その途中で外城壁に出たので、城の外に目を落としてみると、真っ暗な地表にゆらゆらと揺らめく大量の灯が見えた。
あれは松明の光だろうか、昼間見た敵の大軍とはまた別の不気味な迫力があった。
しかし恐れるには足らない。
これもおそらく計略の一環――イーザ軍が大量の松明を用意して、城内のロードラント軍を心理的に圧迫することを狙ったこけおどしに違いないからだ。
それからさらに進んで、ようやく声の届く距離まで来たところで、僕はアリスに向かって叫んだ。
「アリス様!!」
声に反応し、アリスとその傍らにいたマティアスがこちらを向く。
同じ城にいるというのに、約二日ぶりの再会だ。
「おお、ユウトか!」
駆け寄った僕に、アリスは薄暗い中でもはっきりと分かる笑顔を浮かべ言った。
「ちょうど良いところに来てくれた。――と、その前に城の中の様子はどうだ? 負傷者の治療に当たってくれているとは聞いているが」
「はい、シスターマリアと一緒に、それとお城のメイドさんたちの助けも借りてなんとか頑張っています」
「すまぬなユウト、お前にはいつも苦労をかけっぱなしだな。――それに比べて、我々ときたらこの有様だ」
アリスの顔から笑みが消え、代わりに深い当惑の色が表れる。
「いったいどうしてしまったのか、この合唱が始まった途端、みんな突然戦うのを止めてしまったのだ」
「そうなのだユウト。アリス様のおっしゃる通り――」
マティアスが打つ手なしといった感じに嘆く。
「別に魔法にかかったと言うわけでもあるまいに、全員腑抜けのようになってしまった」
どうやらアリスもマティアスも、なぜこの歌が兵士たちの心に深く響いたのかまったく理解できないらしい。
そこで僕は、試しにアリスに尋ねてみた。
「アリス様、アリス様はこの曲のことをご存じでしょうか?」
「ああ、むろんだ。ロードラントに古くからつたわる“故郷の歌”だろう」
アリスはそれがどうした、といった感じに肩をすくめた。
「ええ、まさにそうなんですが……」
うーん、やっぱりアリスは王女で王族。
一応の知識はあるけれど、兵士たちとはまったく住む世界の違うアリスにとって、この曲に対して特別な思い入れなぞまったくないのだ。
だからこそ、この大合唱を耳にしてもへっちゃらなのだ。