(8)
エリックは複雑な表情を浮かべて言った。
「ユウト、やはり撃つ気はないのか。だが――その甘さ、のちのち後悔するような事にならなければいいが……」
これまで様々な戦場で経験を積んできたエリックは、わずかな間に、セルジュという少年の持つ歯止めのない無邪気なまでの残虐性を見抜いたのだ。
そして、このままセルジュを放っておくべきではないと考えたのだろう。
確かにそれはエリックの思っている通りかもしれない。
ゼルジュがかなりヤバい人間であることは、僕にだってすでに知っている。
でも、それでも僕はどうしてもセルジュの背中に砲弾を撃ち込むことはできなかった。
というのも、さっきからしきりに頭の中にシャノンの顔がちらついて仕方なかったからだ。
彼女はリナをさらった憎き敵ではある。
が、しかし――
「エリック、実は僕もデュロワ城に来る途中、ある女剣士に額の先に剣を突きつけられて殺される寸前まで追い詰められたんだ」
「なにっ? そんなことがあったのか!」
「うん。でも、その女剣士は僕を殺さなかった。なぜなら僕がその人より年下だったから。たったそれだけの理由で命を助けてもらったんだ。だから今はその人を見習い、あの少年を――セルジュを見逃してやろうと思う」
「おいおい、本気で言ってんのかよ! それに、もしかしてその剣士って、俺たちが霧の中で待機している時リナ様をかどわかしたシャノンとかいう女と同一人物じゃないのか――?」
「ああ、エリックは知ってたんだね。シャノンがリナ様をアリス様と勘違いして連れ去って行ってしまったことを……」
「アタシが話したのよ」
と、男爵が口に手を当てて、ひそひそ声で言った。
「リナのことアリス様に悟られないよう、今、みんなでウソをついてるでしょう? リナはリューゴと王都に戻ったって。――その点エリックにも口裏を合わせてもらわなきゃいけないから、事情を説明しておいたの」
「あーあ。まったくわけが分からねえぜ」
エリックが頭をくしゃくしゃ掻く。
「ユウト、なんでお前はそんな俺たちの敵のような女のことを見習わなきゃならないんだよ」
「それとこれとは話が別だよ。シャノンはただ傭兵としての自分の任務を忠実に果たしただけなんだ。しかも彼女はリナ様が傷つくようなことは絶対にしないって約束していった。多分それは本当なんだ。――あ、エリック、誤解しないでね。それでも僕はリナ様のことを諦めたわけじゃない。少しでも早く、絶対に助けてみせるから」
「やれやれ、それはいいとしても……。なんと言うか、お前のそういった優しいというか、お人よしな性格嫌いじゃあないがなあ」
と、エリックがため息をついて、男爵に訊いた。
「男爵様、どう思われます? このままあのセルジュとかいう獣使いを逃しちまっていいもんですかね?」
男爵が一瞬考え、答えを出した。
「そうね――エリック、あなたの気持ちも分かるけれど、この作戦を思いついて見事成功させたのはユウちゃんだわ。だから今回はユウちゃんの意思を尊重しましょう――それに見てごらんなさいよ、そっちにへたりこんでいるミュゼットを。これ以上とても戦えないわよ」
『地獄の業火』をワイバーンに放ったミュゼットは、ヘロヘロな様子で城壁に持たれかかり、女の子座りをしていたのだった。
その姿はまったく無防備。
メイド(ミニ)スカートの裾から下着が見えてしまいそうだった。
けれどミュゼットは、そんなこと気にする余裕もなかった。
「あの、ミュゼット……大丈夫?」
「ふぇぇ、ユウ兄ちゃん、もうダメぇ……。しばらく魔法は使いたくなーい」
「あら、ミュゼットしっかりなさい」
男爵が甘え声を出すミュゼットに苦言を呈する。
「ご苦労だったけど、頑張ったのはあなただけじゃないのよ」
「えー、男爵様、そりゃひどいよお。だってハイオークと戦った時の疲れがまだ残っているのに、まーたとっておきの魔法を連発しちゃったんだもん。さすがのボクでも結構キツいんだよね」
「それは本当です、男爵様」
と、僕はミュゼットをフォローした。
「どんな魔法使いでも、あれだけの魔法を連続して使えば疲労もたまります」
「そう――まあ確かにここのところ連戦だったものねえ。ミュゼットも精力を使い果たして、空っぽになっちゃったのね」
と、男爵は頷いて言った。
「いいわミュゼット、アンタしばらく部屋で休んでいらっしゃい。メイド業も免除してあげるから」
「ほんと、ラッキー!」
ミュゼットは座ったまま僕に両手を伸ばす。
「ねえユウ兄ちゃん、ボクを部屋のベッドまで連れていってよ。できればお姫様だっこしてさあ」
ミュゼットの甘え方はまるで子供のようだ。
内心悪い気はしないけれど、みんなの前でやられるのはかなり恥ずかしい。
「おっとユウトにお嬢ちゃん! お楽しみの邪魔をして悪いが――」
困っている僕を見て、エリックがニヤリとし、それから城壁の向こうを指した。
「残念ながらそんな暇はなさそうだぜ」
遠くの方から――
しかしデュロワ城を取り囲むように、四方八方から戦の声が聞こえてくる。
もはや改めて確認するまでもない。
敵だ。
それも今までとは比べ物にならない数の――数万のコボルト兵と、数千のイーザ騎兵が、唸る黒い波となって一斉に押し寄せてくるのが見えた。
おそらく今、このデュロワ城に敵の全兵力が集結しようとしている。
アリスがこの城に居城していることを知り、ロードラント軍の援軍が到着する前に戦いを終わらせるため、最後の総力戦を挑んできたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ただ、この地上からの攻撃は誰もが予想していたこと。
いまさら慌てふためいてもどうなるものでもなかった。
そこで、男爵は現況を報告するためいったんアリスのところに行き、ミュゼットは疲れ切った体を休めるため、諦めて一人で部屋に戻った。
残ったのは僕とエリックにトマス、それと城の守備兵およそ二百人だ。
「おーいみんな、すまないがもうひと働きしてもらうぜ。包囲戦の準備だ!」
と、エリックが守備兵たちに声をかける。
「砲兵は砲を再発射するための準備、他の者は投石用の石を集めてくれ。なあに心配することはない。攻城戦というのは守備側が圧倒的に有利と相場が決まっているからな」
エリックはピンチの場合の方が燃えるタイプなのか、この状況でも、何だか溌剌としているように見えた。
ところが、そんなエリックの肩を、トマスがつっつく。
「エリック……アレ……」
「なに? どうしたトマス?」
「……アレ、ほうっておくと、まずいヨ」
「ん――? って、なんだありゃ!!」
エリックが驚いたのも無理はない。
突然、城の北側、一キロほど先に巨大な虹色の竜巻が現れ、渦を巻きながらこちらに向かってきたのだ。
間違いない。
あれは風の少女セフィーゼの強力な風魔法『ミストラル』だ。
「死ね死ね死ね! みんな死んじゃえ――!」
その時、セフィーゼの狂ったような叫び声が、城壁の上まで聞こえてきた。