(14)
ちょうどそこへ、レーモンが戻ってきた。
「アリス様! 全軍、準備が完了しました。いつでも出発できます。さあ、コノート城への撤退のご命令を!」
敵が攻めて来る前に、なんとか間に合いそう。
よかったなあ、と、ほっとしたその時――
「ダメだ。撤退は認めん」
アリスがやけにきっぱりと言った。
「はっ?」
レーモンが驚いて聞き返す。
「今……なんと?」
僕もびっくりしてアリスを見た。
この状況で、いったいどういうつもりだ?
「だから撤退は認めないと言っているのだ」
「な、何をおっしゃいます!」
「ティルファの話によれば、第一、二軍団の兵士の中には敵の包囲を突破できた者もかなりいるようだ。我々はこれから予定通り進軍し彼らを救い出す。コノートへ退くのはその後だ」
「そんな無謀な! アリス様、敵はすぐそこまで迫っているのですぞ!!」
「レーモン、ヴィクトル将軍もエルデン将軍も死んだぞ」
「やはり……覚悟はしておりましたが。しかし――!」
「しかしなんだ! 二人の犠牲があったからこそ多くの兵が戦場から脱出できたのに、お前はその兵士たちを見捨てろと言うのか。将軍たちの遺志を無駄にすると言うのか」
「滅相もございません。兵を救いたいという気持ちは私も同じです。が、そのためにアリス様まで危険が及んでは意味がないではありませんか。さらに二人の将が命を落としたということは、それだけ敵が強大という証。今、我々は逃げるしか道はないのです。――さあ、アリス様、一刻も早く撤退のご命令を!」
「ダメだ。私には残された兵を見捨てることはできない」
「ば、バカな!」
味方全滅の報告を聞いてもほとんど動じなかったレーモンが、今回ばかりは顔を真っ赤にして怒っている。
今にもアリスのことを「この分からず屋のアホ王女!」とでも罵倒しそうでさえあった。
真っ向から対立二人――
でも、僕はどちらの気持ちもよく理解できた。
アリスの命令は無謀ではあるが、確かにここで撤退すれば、第一軍、第二軍の生き残りの兵士たちは完全に敵中に取り残されてしまう。
彼らが助かる見込みはほぼゼロで、アリスにはそれが耐えられないのだ。
一方、レーモンはアリスの身の安全と、ロードラント軍の撤退を最優先に考えている。
二万の兵が負けた相手に、今の戦力で戦うのは不可能で、指揮官としては当然の判断といえるだろう。
ここはいずれの案を取るのが正解なのか――?
と、勝手に頭を悩ませていると、アリスがいきなり僕の肩を叩いて言った。
「レーモン、心配せずともよい。我々には強力な魔法使いがいるのだから」
――え!?
なに!? ちょ、ちょっと待って!!
慌てる僕を、アリスはグイと引き寄せる。
「お前も見ただろう、ひん死のティルファを治してしまったユウトの魔法を。ユウトがいれば、我々はこの先十分戦えるであろう」
「お、お待ちください!!」
僕は焦って叫んだ。
「私が使えるのは白魔法だけです。相手を攻撃するような黒魔法は使えません」
「だからどうした? 一人の強力な回復役は数千人の兵力に匹敵する。お前がいれば兵士たちも安心だ」
いや、いくらなんでもアリスは僕を買いかぶりすぎている。
それにあまりに責任がすぎる。
「バカバカしい」
思った通り、レーモンはまったく取り合おうとしない。
「その男が多少魔法を使えたところでなんになりましょう。まったく無意味です」
「この軍を指揮するのは私だ!」
アリスが叫ぶ。
「お前にとやかく言われる筋合いはない」
「そこまで言われるのでしたら、止むを得ませんな」
レーモンが白い眉を吊り上げて言った。
「私の命により軍を撤退させます。むろんアリス様も、力づくでも一緒に帰っていただきますぞ」
「ほう、お前にそれができるか、老人。私は父王の名代なのだぞ!」
またまたアリスとレーモンの間に火花が散ってしまう。
僕は、この期に及んでまたこれか――と嫌気がさしたが、冷静に考えれば、ここはやはりレーモンに分があるような気がした。
もしアリスの命令に従って、練度も士気も低い兵士が2000人がこのまま進軍すればどうなるか?
そんなこと、戦いに関してド素人の僕でも分かる。
敗走する兵士を救うどころか、たぶんレーモンの予想通り全員玉砕。
助かる命も助からなくなるだろう。
それでは元も子もないのだ。
では、問題はどうやってアリスを説き伏せるか、だが……。
口下手な僕では到底彼女の心を変えられそうにもない。
他に誰か説得できそうな人は――リナぐらいか。
……いや、たとえ彼女でも、アリスの頑固で強固な意志を変えるのは無理かもしれない。
しかし――
その心配は杞憂に終わった。
いや、事態はもっと悪い方向に進んでいたのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
急に日差しが陰った。
――あんなに晴れていたのに、どうしたんだろう?
僕はふと空を見上げた。




