(7)
もちろん僕の魔法なら、立ち込めた霧をすべて消し去ってしまうことも余裕でできる。
が、あいにくここは見通しの良い広大な平原の一角――
もしもいま霧を晴らしてしまったら、傷つき疲れ果てた数百人の兵士は四方八方から丸見えなってしまう。
それこそ敵にどうぞ気付いてください、と自らアピールするようなものだ。
ならば先程のように霧を部分的に『ブレイク』で消去し、兵士たちがぞろぞろ歩けるような狭いトンネルを作ればよさそうなものだが、さすがの僕もそこまで細かく魔法をコント―ロールする自信はなかった。
そこでグリモ男爵は、平原を抜けるまでは全員徒歩で霧に紛れ行動するという方針を取り、各人の役割分担を決めたのだ。
まず笛の名手であるミュゼットを先頭に、僕とリナ、付近の地理に詳しい男爵。
この四人が前衛。
そのあとにエリックやトマス、他の生き残った兵士たちが続く。
彼らは霧の中、ミュゼットの笛の音を頼りに進むのだ。
そして最後、もっとも敵に襲われやすい後衛は、マティアスとクロードを中心とした竜騎士たちが務めることになった。
――危険なしんがりの守りを進んで買って出て、失った兵士からの信頼を少しでも取り戻したい。
マティアスたちには、そういった思惑もあるらしい。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ミュゼットは、デュロワ城へ続く道の方角を向いて、笛を吹きながら霧の中に入っていった。
彼女には僕の『ミスト』の魔法は効いていないから、ちゃんと前が見えているのだ。
「さあ、僕たちも行きましょう」
リナと男爵に声をかけ、僕もミュゼットを追って歩き出した。
「ねえ、ちょっと待ってよユウちゃん。アタシたちは霧で何にも見えないんだから置いていかないで!」
男爵はそう言って、ガシッと僕の右手を取り、強引に腕をからませてしまった。
「わ、私も!」
リナも心細いのか、遠慮がちに反対の腕をつかむ。
「あらま、完全に“両手に花”状態ね、ユウちゃん」
と、それを見た男爵が茶化す。
「この色男!」
「………………」
その会話を聞いていたのか、ミュゼットが笛を吹くのをいったん止め、振り向いて言った。
「ねえ、ちょっと静かにしてよ! ボクの笛の音がみんなに聞こえなくなっちゃうじゃん」
「ス、スミマセン……」
まだまだ敵を警戒して注意深く行動しなければいけないのに……。
男爵と一緒にいると、どうも緊張感に欠けるというか、調子が狂ってしまう。
「もう、気をつけてよ!」
ミュゼットはそう言って前を向き、再び笛を吹き始めた。
――ああ、それにしてもなんて美しい笛の音なんだろう。
僕は歩きながらも、ついうっとり聴き入ってしまった。
時にやさしく時に哀しく、どこか懐かしい不思議な旋律。
まるで魔法のような、幻想的な曲だ。
けれどそう感じたのは僕だけではないようだ。
後からついてくる数百人の兵士たちもその笛の音に心奪われ――言葉は悪いが、ほとんど夢遊病者みたく霧の中をぞろぞろ歩き続けている。
だから決して速くはない、ゆっくりとした足取りだ。
が、それでもこのまま行けば、一番の危険地帯であるこの平原は何とか無事に抜けられそうだった。
さらに10分ほど歩いたころ――
「ネエまだ? まだ霧から出られないの?」
と、男爵が僕に小声で訊いた。
「もうすぐです」
僕は答えた。
「晴れた空と、ゴツい岩場が見えてきました」
事実、まもなく霧は途切れようとしていた。
ここまで来ればまず大丈夫。
作戦は七割方成功したと言ってもいい。
――と、ホッとしたのも束の間、ミュゼットの笛がピタリと止んだ。
「あら、なに? どうしたの? どうしたのよミュゼット!」
男爵が前に立つミュゼットに向かって叫ぶ。
「……敵がいる」
ミュゼットがつぶやいた。
「化け物が霧の外で、ボクたちが出てくるのを待ち構えている」
「ええ! ウソでしょ!」
男爵はあわてふためいて言った。
「コボルト兵とイーザ兵はリューゴ君たちを追ってどこかいっちゃったはずなのに!どういことよ!」
「男爵、落ち着いて。ちょっと待ってて下さい」
僕はすがりつく男爵の腕を振り払い、前に進んでミュゼットと並んで立った。
「ほら、あそこにいるでしょ。超おっきな奴が」
と、ミュゼットが指をさして、僕に言った。
「あれは――」
……確かに見えた。
よりによって、岩山と岩山に挟まれた道を通せんぼする、一体のハイオークの強大な影が。




