(9)
ティルファを眠らせることにようやく成功した僕たちは、“癒しの間”から廊下に出た。
ただ、シスターマリアだけはどうしても一晩ティルファに付き添ってあげたいと言い張り、一人で部屋に残ることになった。
「看病する方も、休息は必要なのにねェ……」
シスターの申し出を不承不承認めた男爵が、困り顔で言う。
「アリス様、ユウちゃん、よくって? 若いからって無理は禁物、アナタたちはゆっーくり休まなきゃダメよ。いろいろ考えなきゃいけないこともあるだろうけどさ、それはすべて明日になってから!」
有難い。
疲れ切った心に男爵の言葉がジーンと染みる。
本当は一刻も早くエリックたちを助けに戻らなければいけないのだけれど、今は体がどうしても言うことを聞かない。
ただひたすら休みたいのだ。
「部屋はもう用意してあるから、すぐに案内させるわね。――リゼット、ロゼット悪いけどお願い」
「かしこまりました」
おしゃれなメイド服を着た侍女のリゼットとロゼットがお辞儀をし、僕たちに言った。
「アリス様、ユウト様、それではご案内します。どうぞこちらへ」
しかし、アリスは声を掛けられても、うつむいたままそこから動こうとしない。
ぎゅっと拳を握りワナワナ震えている。
どうも様子が変だ。
と、心配になって、アリスの顔を覗き込もうとすると――
「なぜだっ! なぜこんなことになったっ!」
アリスが突然叫んだ。
「アリス様……」
「ユウト、教えてくれ! 私はいったいどこで道を間違ったのだ! この戦は反乱を鎮圧する我々の側に大義があったはず。そして作戦計画そのものも万全だった。――なのに結果として私は多くの兵を傷つけ死なせ、仲間を戦場に見捨てることになった。しかも親友であるティルファまでもが抜け殻の廃人になってしまった!」
アリスは壁をドン、と殴った。
拳には血がにじみ、その青い瞳から一気に涙があふれ出す。
「王国のため、そして皆のために良かれと思ってやってきたことがすべて無駄だったのか!」
「そ、そんなことありません!」
僕は荒れるアリスを必死にフォローした。
「セフィーゼとの決闘をはじめ、アリス様は危機的な状況を何度も切り抜けてきたじゃないですか。僕ら兵士も、そんなアリス様の勇気と強さに助けられてきたのです」
「強いだと? いや、私は強くなどない! 過保護なまでに守られながら、生き恥をさらしてきただけだ」
アリスは泣きながら叫ぶ。
「ユウト、さっきあの森でなぜ私が気絶したか教えてやろうか? アンデッドだ! 大量のアンデッドを生れて初めて見て、恐ろしさのあまり気絶してしまったのだ」
アリスの弱点――アンデッド、ゴースト。
僕は『スキャン』の魔法でそのことを知っていたわけだが、まさかプライドの高いアリスが自ら告白するとは思わなかった。
――根は正直で一途な性格のアリス。
が、今はその真面目さがたたり、とことんまで自分を追い詰めてしまっているのだ。
「どうか落ち着いてくださいませ、アリス様」
男爵は泣きじゃくるアリスの肩に、そっと手を置いた。
「アリス様のお気持ちはアタシにも痛いほどわかります。でも実際、この世には人知を超えるような、不条理な出来事が満ちあふれているのです。ですからいくら上手くいかない、思い通りにならないことがあるからといって己を責めても、仕方ない場合もありますわ」
「うるさい、つまらん気休めを言うな!」
「アリス様、そうヤケになってはいけません。さあ、その美しいお顔が台無しにならないよう涙を拭いましょう。そして今晩は休むのです。きっと明日になれば、空に昇る太陽のように希望もまた見えてきますわ」
そこでアリスはガバッと頭を上げた。
顔は涙でぐちゃぐちゃだ。
「グリモ、一つ質問がある! 現在、この城にはどれほどの兵を置いているか?」
「……守備兵としておおよそ100。そのうち騎士は20、といったところですわ」
僕はアリスが何を考えているかはすぐにわかった。
アリスはデュロワ城の兵を動員して、戦場に取り残された兵士の救出に向かおうというのだ。
しかしあの大軍相手に、わずか100人程度の兵数ではどうしようもないだろう。