(9)
「追え! 二人を逃がすな!!」
焦ったマティアスが大声で命令し、竜騎士たちが急いで馬を走らせようとしたその時――
「皆、止まりなさい!」
今度はリナが叱責し竜騎士を引き留めた。
ヒルダが魔力を失った時点で、リナの緊縛は解けていたらしい。
「状況をよく見なさい。今、敵を深追いするなどもってのほかです!」
まるでアリスの魂が乗り移ったかのような、威厳ある王女の言葉。
おそらくそこにいた全員が、一瞬、リナのことを本物のアリスだと錯覚しただろう。
「――全員戻れ!」
マティアスも我に返ったのか、そう叫ぶとその場にがっくりくずおれた。
これで本当に終わった。
しかし、壮絶な戦いの後に残ったのはただの虚しさだけだった。
森の中には竜騎士の死体が散乱し、生きている者もアンデッドとの戦いで全身傷だらけ、疲労は極限にまで達している。
僕が昼間目にした、堂々たる竜騎士団の面影はもうどこにもない。
中でも特にダメージを受けたのは、ヒルダに弄ばれながらも、アリスの身代わりを務めきったリナだろう。
「リナ様!」
僕はリナに駆け寄った。
「ユウト……さん」
リナは息も絶え絶え、といった感じで僕の胸の中にふわりと倒れた。
思いがけずリナを抱きしめる形になったが、こんな状況ではもちろん嬉しくもない。
「私はいったいどうしていたのでしょう……あのヒルダという人に捕らわれてから、頭がボーっとしてしまって……」
「すべて終わりました、リナ様。ご安心ください、私たちは助かったのです」
よかった。
リナはヒルダに散々嬲られたことを、よく覚えていないらしい。
「ありがとうユウトさん、あなたは私の命の恩人です。――あっ!」
リナの顔が赤くなった。
僕から離れさっと両手で胸を隠す。
ヒルダのせいで服が破れ、胸が大きくはだけていることに気付いたからだ。
「見てません、僕は見てません!」
咄嗟に顔を背ける。
本当はばっちり見てしまったのだが――
そう言っておかないと、リナがかわいそうだ。
僕は何か羽織れるような、リナの上半身を隠せるモノはないかと周囲を見回した。
が、目につくのは竜騎士の死体ばかり。
だからといって、リナにこんな格好をさせたまま先を急ぐわけにもいかない。
そこで僕は自分のマントを取って大きく広げ、それでリナの上半身をくるんであげた。
「ありがとうございます」
リナは恥ずかしそうに言った。
「私のことはもういいですから、どうかアリス様のご様子を見てきてください」
「わ、わかりました!」
さっき見てしまったリナの美しい胸が頭にちらつき、どうにも気まずくなって、僕はその場から離れアリスを探すことにした。
とはいえアリスは常に最後尾におり、なおかつ竜騎士にがっちり守られていたのだからあまり心配する必要はないだろう――
と、タカを括っていたところ、突然マティアスの怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい!! アリス様はいったいどうなされたのだ!?」
冷静なマティアスらしくない、尋常ではない感じだ。
――まさかアリスの身に何かあったのか!?
そういえば、なぜ今までアリスは大人しくしていたのだろう?
普段のアリスなら、リナの操の危機に、まわりの竜騎士を振り切ってでも前に出て一緒に戦ったはずなのに。
それができなかったということは、もしや……。
体のどこかをアンデッドに齧られ、アリス自身がゾンビ化したとか?
だとしたらシャレにならない。
アンデッド化した人間を治癒する魔法なんて僕は知らないぞ!
「ユウトこっちに来い!」
マティアスが大声で僕を呼ぶ。
これはかなりの一大事らしい。
僕は青ざめて、アリスの元に駆けつけた。