(8)
現実世界でそういう衝撃的な出来事があったからこそ、僕はヒルダの素顔を絶対に確かめたかったのだ。
――そして、異世界。
見てはいけないものを見る気分になりながらも、僕は意を決し、ヒルダのマスクをはぎ取った。
そこに現われたのは――
「日向先生……」
紛れもなく高校の保険の先生、日向ルイ子その人だった。
異世界で見ても美しい人ではあるが、化粧が濃いのとケバケバしい雰囲気は相変わらずだ。
そっくりなのは顔だけではない。
きつい性格とか、男よりも女に興味があるという性的指向も現実世界の日向先生とぴったりと一致している。
が、どうもおかしい――
僕は地面にしゃがみ込んだヒルダを見下ろし、ふと思った。
異世界と現実世界。
清家セリカの話によれば、この二つの世界は平行な関係にあり、遠く離れた次元にそれぞれ存在しているはず。
なのに僕は転移した早々、立て続けに“七瀬理奈”と“日向ルイ子”という現実世界での知り合いに出会ってしまった。
それっていくらなんでも偶然すぎやしないか?
疑念を抱いた僕は、ためしに学校でいるような感覚で魔女ヒルダに呼びかけてみることにした。
シャノンにばれないよう、小声でだ。
「先生、わかりますか? 有川です。1-Cの有川優斗です」
「………………」
が、ヒルダはまったく反応しない。
ただボーっと空を見つめている。
うーん……。
魔力ゼロになり我を失ったとはいえこの無反応ぶり、やっぱりヒルダに現実世界の記憶はないのか?
それとも日向先生とヒルダはまったくの別人格なのか?
もしかしたらヒルダ(日向先生)も、僕と同じく、セリカによって現実世界からこの異世界に転移させられたのかもしないと考えたのだが――
結局何もわからずじまいだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
でもとにかく、ヒルダを殺さないで済んだのは本当によかった。
ヒルダ≒日向先生を、万が一殺めてしまっていたら後味が悪いどころではなかった。
たぶんショックで一生立ち直れなかっただろう。
ところが――
それはあくまで僕の個人的な感想。
ヒルダとの戦いの行方を見守っていた人たちは、そうは思わなかったのだ。
「今だ! ユウト、魔女を仕留めろ!!」
と、叫んだのはマティアスだった。
「え!? いや、それは……」
「何をためらう! ロードラント王国の禍根を取り除く千載一遇の機会なのだぞ!」
確かにヒルダは、魔力をすぐ回復させてしまうかもしれない。
RPG的に考えれば、宿屋に泊るとか、アイテムを使うとか――この異世界にだって、何らかの方法はあるはずだ。
もしそうやってヒルダが復活すれば、ロードラント軍にとって脅威だ。
さらにヒルダは、再びアリスを執拗に付け狙ってくるだろう。
しかし、それが分かった上でなお、僕にはヒルダ≒日向先生を殺すことはできない。
「ユウト、なにをボケッとしている!」
マティアスが腹立たしげに叫んだ。
「ええい、竜騎士たちよ、ヒルダを討て! 魔女の首を取ってロードラントに持ち帰るぞ!」
「ウオオオオオ――!!」
ここぞとばかりに竜騎士たちが馬を走らせ、ヒルダに殺到する。
みんな多くの仲間を殺され、恨み骨髄に入っているのだ。
「ま、待ってください!」
どうしよう。
このままだと日向先生――いやヒルダが滅多切りの膾になってしまう。
そんな光景、絶対に見たくない。
と、その時――
「待ちなさい!!」
シャノンの鋭い声が飛び、竜騎士たちは慌てて馬を止めた。
ヒルダを誅殺することのみに気を取られ、シャノンというもう一人の敵が健在だということをすっかり忘れていたのだ。
竜騎士がひるんだ隙に、シャノンはヒルダに素早く近寄った。
それからうずくまるヒルダを軽々抱きかかえた。
「ヒルダ、まったく情けない姿ね! 粗相までして!」
シャノンは失禁を気にも留めないヒルダを見てあきれたようにつぶくと、僕の方を向いてフッと笑った。
「こんなサイテーのやつでも一応私の雇い主だから、放っておくわけにもいかない。わかるでしょう?」
「ええ……まあ」
僕たちと一緒に、あやうく『アストラル』に吸い込まれそうになったのに、まだヒルダを守り続けるつもりなのか。
職務に忠実なのは感心なことなのだろうけど、シャノンは肝心の主人選びを間違っているような気がする……。
「あ、あの――」
そのことについてシャノンに忠告したかったが、うまい言葉が思い付かない。
そもそも僕は人に偉そうなことを言うのは苦手なのだ。
「ゴメン、今キミとゆっくり話している暇はなさそう。でもキミの戦い方、なかなか良かった。――また近々会うこともあるかもしれないから、それまで死なないでね。じゃあ、バイバイ!」
シャノンはそう言い残すと、ヒルダをお姫様抱っこしたままパッと跳躍し、森の中にまぎれ込んでしまった。
まさに電光石火の早業だ。