(3)
シスターは大勢の兵士の好奇の目にさらされながらも、ひるむことのなく、聖職者として威厳に満ちた様子でアリスの前にやってきた。
「アリス様、お呼びでしょうか?」
と、マリアは膝を曲げお辞儀をした。
「シスターマリア! ティルファを――ティルファを助けてくれ」
「ティルファ様がいったいどうなさったのです」
「わからぬ。ひどいケガをしているのだ」
マリアは血だらけのティルファの前にひざをついた。
「これは……」
マリアの顔が曇る。
「……全力を尽くしますが、私の力では難しいかもしれません」
「いや、マリアならできる」
アリスがマリアの肩をつかんだ。
「頼む、ティルファは私のかけがえのない友なのだ!」
必死に懇願するアリス。
友人の命を救いたい一心なのだろう、アリスは完全に王女の仮面を外している。
「お待ちください、アリス様」
様子見ていたレーモンが口をはさんだ。
さっきより厳しい声だ。
「なんだ! レーモン。お前の話を聞いている暇はないぞ」
アリスは恐ろしい顔をしてレーモンをにらみつける。
離れて見ている僕も、思わずビクッとしてしまう迫力だ。
だがレーモンはアリスを無視し、マリアに尋ねた。
「シスターマリア、治癒魔法を使うのには時間がかかるのか?」
「はい。このケガではだいぶ……」
「具体的には?」
「……おそらく数刻は」
「そうか――」
レーモンはアリスの方に向き直って言った。
「アリス様、残念ながらティルファを治療する暇はありません」
「なんだと!」
アリスは激怒し叫んだ。
「レーモン、貴様っ――ティルファを見捨てろと言うのか?」
「アリス様、どうぞ落ち着いて下さい。よろしいですか? 第二軍団の副将であるティルファがここまでの深手を負っているということは、先鋒の第一軍団、そして主力の第二軍団に何らかの異変があったと考えるべきです」
「異変?」
「敵によって、かなりの損害を受けた――あるいは全滅したと見た方が良いしょう」
「は? ありえん」
アリスは薄く笑った。
「敵の数はせいぜい二千。それに対しわが軍は二万だぞ! どこをどうやったら負けるというのだ。だいたい昨日、第一、二軍は連戦連勝、イーザの拠点も陥落間近だとの報告があったではないか!」
「そうですわ、叔父様」
と、リナが言う。
「ロードラントが誇る無敗の軍団が、地方の蛮族ごときにつけ入られるわけないではありませんか。ティルファさんはおそらく何らかの理由で軍からはぐれ、そこを襲われたのでしょう」
「リナ、いいからお前は黙っていなさい!」
レーモンはリナを叱責した。
今度こそ本当に怒ったみたいだ。
「戦場ではなにが起こるかわからないと、常日頃言い聞かせてきたではないか。特に我々軍の上に立つ者はあらゆる最悪の事態を想定して物事を考えねばならないのだ。それを怠って、もし万が一のことがあればどうする!」
レーモンは続いてアリスにきつい口調で言った。
「現在の兵力でアリス様の御身を守るのは非常に不安があります。ここはひとまずコノート城まで撤退しましょう。あそこならかなりの数の兵が常駐しておりますし、武器や糧秣の蓄えも十分です。さ、急ぎご決断を」
「ならぬ。ティルファの治療が先だ」
アリスは頑なに拒否する。
「それにティルファが回復すれば前線の状況を聞けるはないか。それさえわかれば我々も適切な動きがとれようというものだ」
「そんな悠長なことは言っていられません。――どうかご覧下さい」
そう言ってレーモンは道の前方を指さした。
「このイーザの拠点へと通じる道は遠望でき一見安全そうですが、実は北には森、南には岩場と敵が身をひそめるに易しい場所が点在するのです。もし気付かぬうちに敵に囲まれ、一斉に攻撃を受ければ果たして我々はどうなりましょうか?」
「知るか!」
「まさに一大事。ここにいる二千人程度の兵力ではひとたまりもない、ということです。それどころかアリス様の御身さえ危ういかもしれません」
主に向かってそこまではっきり言うのだから、レーモンはよほど危機感を持っているのだろう。
「アリス様、あなた様は今この軍を指揮する身なのですぞ! 私情に乱され、国王様から預かった兵士たちの命までも危険にさらしてどうするのです? さあ、全軍に退却のご命令を」
「いい加減くどい! だいたい第一軍と二軍を放っておいて私が撤退したらどうなる。勝てる戦いなのに、兵たちの間に動揺が広がって間違いなく自滅するぞ。
そうなれば私は命が惜しくておめおめ逃げ帰った愚かな王女と物笑いの種だ。王位継承権すら危うくなるかもしれん。なにしろロードラントの次の王座を狙う者は他にも大勢いるのだからな」
「なにも王都まで撤退しようというのではありませぬ! コノート城までです。あそこなら安全に体制を立てなおすことができ、かつ情報も集まります」
王女と老騎士、どちらも一歩も譲らない。