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第十二話 無人島生活 七日目

 ファフニィルが目を覚まして、数日が過ぎた。

 日中は森へ入って薬草を採取したり、半魚人(サハギン)を狩ったり、ファフニィルの身体を洗ったり。

 後は、アナスタシアが落とした海鳥を解体もするし、服を洗いもする。

 ……この島に来て一週間。随分と、無人島生活に馴染んでいる自分に驚きを覚えてしまう。まあ、異世界生活だって何とかなったのだから、無人島生活など今更なのかもしれない。


『来たぞ、レンジ』


 ファフニィルが身体を休めている浜辺から遠く離れた、島の地図があるなら丁度反対側辺りにある岩場。

 そこで釣り針のついていない釣り竿をたらして身体を休めていると、エルメンヒルデが声を上げた。視線を波が打ち付ける岩場へ向けると、いくつかの人影が俺の仕掛けた罠の方へ集まりはじめている。

 人影だが人ではない。二本の足に二本の腕。遠目からだと人に見えなくもない頭部。しかし、その全身は青い鱗に覆われており、背には背鰭(せびれ)が見える。

 半魚人(サハギン)。獲物を海中へ引き摺り込む魔物だ。

 危険度的にはハーピーと同程度だろうか。冒険者の間ではそれなりに危険視されているが、それはこの魔物が獲物を海中へ引き摺りこもうとするからだ。身体能力的にはゴブリンと同程度……腕力はゴブリンよりも上だが、敏捷性はゴブリン以下。鱗のせいで刃が通り難い事と、半分魚だからか、それとも海の中での生活を主にしているからかは分からないが生臭いのが厄介だといった所か。

 その半魚人(サハギン)が二体、岩場に()として置いていた同じくサハギンの死体を眺めている。

 ファフニィルの為に食事(サハギン)を用意しているわけだが、初めてサハギンを相手にした際は危険過ぎた。人間が海に入って魔物を呼び寄せるなど、自殺行為過ぎる。……今思うと、他に何も思い浮かばなかったとはいえ、よく死ななかったものだ。思い出すだけで肝が冷える。

 なので考えた。エルメンヒルデやアナスタシア、ファフニィルと一緒に。安全にファフニィルの食事を用意する方法を。

 結果。血の匂いに敏感だという習性を利用して、誘き寄せる事にしたのだ。ここまでは先日と同じだが、今度は俺ではなく半魚人(サハギン)の血を利用している。

 そうやって離れた場所からサハギンが寄ってくるのを確認してから、行動する。

 先で言ったように、サハギンの身体能力は決して高くない。海中でなければ、ゴブリンに毛が生えた程度だ。そして頭もあまり良くないので、今も同族の死体を眺めているサハギンを視界に収めながら、ゆっくりとその視界外から近付く。


『はあ』


 そんな俺の頭に、エルメンヒルデの溜息が届く。どうせ、面白くないとでも言いたいのだろう。

 俺としては安全な狩り方だが、相棒からすると酷くつまらない――単調な作業がお気に召さないそうだ。それに、この島に来てからほとんど(エルメンヒルデ)を使っていないというのも、原因の一つだろう。

 腰裏の鞘からダガーを抜いて投擲。その刃は狙い(たが)わず、死体を眺めていたサハギンの側頭部へと吸い込まれるように突き刺さった。

 悲鳴は無い。肺呼吸も(えら)呼吸も出来るサハギンは、ちゃんと声帯も持っている。しかし、悲鳴を上げるよりも早く頭部を破壊してしまう。

 耳が良いので、ちょっとした悲鳴でも仲間が寄ってくるのだ。

 そこでようやく、もう一匹のサハギンもこちらに気付く。しかしそのサハギンも、岩場の不安定な足場に気を付けながら俺へ向かってくるだけだ。遠距離からの攻撃方法が無いのだから仕方がない。海中を主な狩り場にしているからか、物を――例えば、足元にある岩を投げるという思考も無い。

 魚面の人型がこちらへ勢いよく走り寄ってくる姿は確かに恐ろしいが、異世界という数多の異形が蔓延(はびこ)る世界で過ごした今となっては僅かにも心は揺らがない。

 しっかりと狙いを定めて、ダガーをもう一本投擲。そのダガーもまた、狙い違わずサハギンの眉間へと突き刺さった。


「戻れ」


 呟くと、サハギンの頭部に突き刺さっていたダガーが独りでに抜け、柄尻を向けながら俺の方へ戻ってくる。そのダガーをしっかりと手に取って、血の付いた刀身を外套(マント)(すそ)で拭いて鞘へ納める。


『なんとも呆気無いな』

「お前はいっつもそれだな」

『むっ』


 こちらとしては、危険など欠片も無い、安全な狩りが一番だ。

 怪我をしたら痛いし、死ぬのは怖い。命の遣り取りに慣れたとはいえ、きっとそれは一生変わらない。

 そんな、いつもと同じ事を考えながら、首をコキリと鳴らす。


「呆気無いくらいが丁度良いさ」


 エルメンヒルデの言葉へ呟くように答え、岩場に倒れているサハギンの死体を回収する。これがファフニィルのご飯となるのだが、これがまた重い。

 重量を計れる機器があるわけではないので正確な重さは分からないが、成人男性とほとんど変わらない体格をしているのだ。おそらく六十キロは下るまい。

 それを二体。しかも、死んで脱力している身体というものは元重量よりも重く感じられる。しかも、運ぶべき場所までは普通に歩いても体感で三十分ほども離れた距離にある。

 餌用に用意していた死体と先ほど殺した死体を入れ替え、その首筋を鷲掴むようにして引き摺りながら運ぶ。


「はあ。後は、死体を運ぶのをどうにか楽に出来ないもんかね」

『いい体力作りではないか』

「お前は気楽でいいな」


 まあ、体力が他の皆より低い事は自覚しているので体力作りというのも悪くはないが。

 文句を言いながらもしっかりと地面を踏みしめ、外套(マント)を帽子代わりに頭へ被って移動する事にする。片手で六十キロ以上。両手を合わせると百二十キロ以上あるかもしれない半魚人(サハギン)の死体を引き摺る。

 これが元の世界なら、警察に職務質問をされるレベルの不審者だろう。

 まだ季節的には冬の終わりか春先だというのに、照りつける太陽の熱さは初夏のソレに近い。木々の影を歩き、外套(マント)を被っていても額には汗が浮かぶ。重い死体と強い日差しで、すぐに息が乱れてしまう。

 まったく。偶には丸一日をゆっくりと過ごしたいものだ。

 そう思いながらも必死になって、時間を掛けてサハギンの死体を引き摺るようにして運ぶと、ようやく紅の巨体が見えてきた。


「あ」


 そんな俺に気付いたアナスタシアが、小さく声を上げる。彼女は綺麗な水を用意して、小さな身体を必死に使いながらファフニィルの身体に薬草を塗っていた。その傍には水で出来た半透明の人形(ゴーレム)が居る。どうやら、その身体を利用してファフニィルの身体を洗っているようだ。

 精霊魔術。土や水、火や風に仮初(かりそめ)の生命を与え、人形(ゴーレム)として使役する。アナスタシアの場合は、魔力で作った身体――今回の場合は水の身体に、精霊そのものを入れているのだとか。

 身体が小さいアナスタシアにファフニィルの身体を洗うように頼んだ理由は、俺よりも純粋に用意できる手数が多いからだ。この場合の手数というのは、文字通り手の数である。

 同じく精霊魔術を応用してアナスタシアは人間と同サイズにまで大きくなることが出来る……のだが、どうしてか彼女はそうやって大きくなる事無く、小さな身体のままファフニィルの傷の手当てをしていた。

 先日その事を言ったが、どうしてか顔を赤くして怒られた。理由は分からない。

 そうやって手当てをされているファフニィルは、どこか眠たげに瞳を細めながら、成すがままである。それでいいのか、(ドラゴン)の王様。


「……レンジか」

「おい、ファフニィル。傷の具合はどうだ?」

「意識はしっかりしている。だが、飛ぶ事は無理だ」

「そうか」


 汗だくになりながらサハギンを引っ張ってきた俺には、(ねぎら)いの言葉も無いらしい。

 それもファフニィルらしいかと考えながら、その口元にサハギンの死体を置く。そうして浜辺へ腰を下ろすと、ファフニィルを洗っているアナスタシアをぼんやりと眺める。


「ああ、疲れた」


 外套(マント)を外して浜辺へ足を延ばすと、潮風が髪を揺らした。その涼しさが心地良くてチュニックの胸元を指で摘まむと、服の中に風を送る。

 暑いのなら外套(マント)を脱げと言われそうだが、日差しの強い場所で肌を露出させるのは逆に危険だったりする。上着(チュニック)も確かに長袖だが、被り物としても使える外套(マント)が有るのと無いのとでは全然違ってくる。

 そんな俺の(かたわら)では、バリボリゴリという、風情の欠片も無い音が響いた。ファフニィルが半魚人をかみ砕く音だ。

 鱗が割れ、肉が千切られ、骨が砕かれる音。牙の隙間から血飛沫が舞い、砂浜に落ちる。その血も、砂浜の熱ですぐに乾燥してしまう。妙な匂いが辺り一面へ広がり、無言で鼻先を手で仰いだ。

 そんな音を聞きながら、内心で本当に慣れというものは怖いと呟く。


「……足らぬ」

「少し休ませてくれ。こっちの体力は人並みしかないんだ」


 手を軽く振りながらそう言うと、呆れたような溜息を吐かれてしまう。その際に砂埃が舞い、少し(むせ)てしまった。


「ふん。どうせ我らの前から姿を消した後は、気の抜けた生活をしていたのだろう」

『うむ。もっと言ってやってくれ』


 そして、あっさりと俺を裏切る相棒である。


「ちょっとレンジっ。ゴハンを持ってきたんなら、こっちを手伝ってよっ」

「疲れたんだよっ」

「私だって疲れたっ」

「だったら、大きくなればいいじゃないか。前みたいに」

「い、いやよっ。ばかっ」


 なぜバカ呼ばわりされなければいけないのか。しかも、その両手で体格的には豊かと言える胸の膨らみを隠してしまう始末である。

 今の発言のどこに、胸を隠す必要があったのか。胸だけでは足りないとでも思ったのか、その小さな身体を隠すようにさっさとファフニィルの背の奥に引っ込んでしまうアナスタシア。

 理不尽ではあるが、まあアナスタシアが元気ならそれでいいかと思う事にする。


「ふ……相変わらず仲の良い事だな」

「はあ? ど――ぶっ」


 さも心外だと言わんばかりに俺が呟くと、疲れたと叫ぶわりには器用に魔術を使って水の球を飛ばしてくる妖精の女王様(アナスタシア)。あまり大きくないソレは、顔に当たってもあまり服を濡らす事無く弾けてしまった。

 火照った頭に気持ちが良い。これで冷水なら尚良いのだが、それは流石に贅沢すぎる願いだろう。


「今、何か言った?」

「いえ」


 ファフニィルの背中からひょっこりと顔を出して、アナスタシアがなんとか聞こえる程度の声量で呟く。この無人島生活を始めてから、アナスタシアが日に日に強くなっている気がする。勿論、精神的に。

 昔も確かに気の強い所はあったが……いや、あまり変わっていないのか。むしろ、王都で再会した頃が大人し過ぎたような気がする。俺達の世界にある言葉を使うなら、猫を被っていたと言うべきか。

 ああいう性格も悪くないが、やはりアナスタシアは元気な方が良い。なんというか、気が楽だ。


『大丈夫か?』

「冷たくて気持ちいい」

「もう一発ぶつけてやりましょうか?」


 濡れた頭に風が当たって気持ち良いのだが、声が冷たいのは精神衛生上(よろ)しくないので勘弁してほしい。というか、アナスタシアはファフニィルの背中に乗っているというのに、どうして俺の小声が聞こえるのか。まあ、風精霊(シルフ)の力を借りて聴力を強化しているのだろう。

 本当に、魔術というのは便利だ。羨ましく思いながら溜息を吐くと、それをどう思ったのか冷たい視線で一瞥してファフニィルの手当てへ戻るアナスタシア。


『しかし、いつまでこの島へ留まるつもりだ? あの魔王ならば、次はアヤかユイに手を出しそうだが』

「だろうな。だが、契約の繋がりがユイには危険が及んでいないと告げている」

「んで、阿弥の性格から結衣ちゃんと離れて行動するってのは考え辛い、と」

『だと良いが』


 どちらにしても、ファフニィルの傷が癒えるまでは動く事が出来ないのも事実だ。今は、結衣ちゃんとアナスタシア、ファフニィルの繋がりを信じよう。

 『魔物使い』である結衣ちゃんは、三体の魔物と契約が出来るようアストラエラから異能を授かった。『不死の騎士』であるナイト。『妖精の女王』であるアナスタシア。『竜の王』であるファフニィル。

 この世界では、妖精は亜人……人類側の一種として考えられているので、魔物と契約するという定義が微妙ではあるが。

 『誰も使えない魔法、魔術を使える』異能を授かった幸太郎。

 『あらゆる武器を使いこなせる』異能を持つ伊藤隆。

 そして、『神を殺せる武器』を願った俺。

 そのどれもに、穴はある。俺の場合なら、武器だけなら最強とも言えるのだろうが、使い手は並の人間でしかない。しかも、相手は神やそれに類する存在でなければ全力で戦えないという枷がある。

 伊藤の奴は、どんな武器も使いこなせると願った割には宗一の聖剣、真咲ちゃんの魔剣、そして神を殺せる武器(エルメンヒルデ)を使う事が出来ない。

 阿弥は魔力が強力過ぎて魔術を本気で使える場面が限られるし、『自分が知っている魔法や魔術が使える』宇多野さんだって、自分が知らない魔法や魔術は使えないという弱点がある。

 完璧など存在しない。どこにでも、誰にでも弱点はある。

 ただ少し、この世界の住人よりも優れているだけ。俺達は、そういうものだ。そんな俺達を、この世界の人達は英雄として(たた)えている。

 現実を知れば、俺達だって感情に左右され、伸ばせる手は短く、死ねば終わりの人間でしかないと分かるだろうに。


「シェルファ、か」


 英雄。

 人は俺達に英雄(希望)を求めるが、シェルファもまた英雄を求めている。まあ、アイツの場合は俺達にではなく俺にだが。

 しかも、求めるのは絶望を希望にソレではなく、ただただ強い『人間』。エルフや妖精のように魔術の素養があるわけでも、獣人やドワーフのように肉体的に優れているわけでもない。弱っちい人間に、『強い英雄』を求めている。

 どうやら、シェルファにとってはそれが俺らしい。『神を殺せる武器』(エルメンヒルデ)があるとはいえ、使い手はただの人間。いや……魔力がまったく無い俺は、この世界における並みの人間より弱いと言える。

 ……そんな所が気に入られたのだろうか?

 初めて会った時、必死に抵抗した事か。それとも、何度も撃退した事か。どこで心の琴線に触れたのかは分からないが、とにかくアイツは俺と戦う事を――俺と決着をつける事を望んでいる。

 だというのに、先日のように気まぐれで見逃す事もあったりするので、何を考えているのかはイマイチ理解できない。

 俺を殺すだけなら、それこそ両手の指でも足りないだけの機会があったはずだ。さて、あの女は俺とどうなりたいのか。


「なあ、ファフニィル。魔王の代替わりっていうのは、そう簡単にある事なのか?」

「どうであろうな。我が知っている限りでは、あの女で四人目であったか」


 そう聞くと魔王の代替わりは結構な頻度で起きているようにも思えるが、ファフニィル自体が万年を生きるドラゴンだ。その間で四回しか魔王が変わっていないとなると、そうそう代替わりは起きていないのだろう。単純に考えても、二千五百年に一度だ。

 そもそも、ファフニィルの正確な年齢はファフニィル自身が理解していないので本当にアテにならない数字である。

 そんな中で、シェルファは魔王の座を退いたと言っていた。きっと、あの女が言うからには本当に退いたのだろう。そもそも、前魔王が強かったからと戦いを挑み、勝ったからという理由で魔王になったようなヤツだ。

 それで魔族達に嫌われているのかというと、そうでもない。何せ力の強弱が、そのまま自身の立場になる世界だ。一番強いシェルファが一番偉いという図式になっていた。

 しかし、魔術都市(オーファン)を襲った魔族はネイフェルを蘇らせないシェルファを魔王とは認めないと言っていたし、実際に魔族はネイフェルを復活させようとしている。

 どうにも、情報が噛み合っていないように思う。それに、情報も足りない。

 パズルのピースが足りないのに物事を理解しようとする事ほど無駄な事も無い。思考を切り替えるように先ほど水浸しになった髪を掻き上げ、ファフニィルへと向き直る。


「まあ、魔王の事は後回しでもいいか」


 どうせ、今度会った時にでもシェルファが話してくれるだろう。アイツはお喋りが好きなのだ。

 この前戦った時もそうだ。戦いを終わらせるだけなら、まともに制約を解放できていない俺など簡単に始末できたはずだ。

 しかし現実は、何度か刃を交えた後、色々と情報を残して去って行った。魔族の現状、ネイフェルの器、そして妙な癖。あの、首を叩いていた仕草は以前に無かった癖だ。あれだけあからさまな(サイン)なのだから、きっと何かしらの意味があるのだろう。

 ……これで俺の考え過ぎだったら、笑い話にもならないが。


『いいのか?』

「うん?」

『魔王は、今の魔族はレンジを殺すか様子見かの二択に分かれていると言っていたではないか。あの魔王の性格なら、確実に前者ではないか?』

「あー……」


 まあ、シェルファの性格ならそうだろう。だが、アイツの性格なら自分の手で俺との決着をつけたがるのではないだろうか。

 仲が良いとは言えないし、完全に理解しているとも言えない。しかし、もう何度も刃を交えた仲でもある。共に戦ったこともある。

 だからだろう、魔族全体が俺を殺すために動く事になっても、きっとあいつは一人で俺と戦おうとするはずだ。信頼にも似た、しかし血生臭い確信が胸にある。

 なので、魔族全体とシェルファは切り離して考える。

 その問題は、シェルファの言っていた新しい魔王。エルメンヒルデの言う二択には、そちらの方が関わっているような気がする。

 そうなると、面識も無い相手の事だ。考えるのも、今の段階では時間の無駄だろう。

 顔も名前も、どんな性格かも分からない相手の事だ。どれだけ熱心に考えようが、それは予測ではなく想像でしかない。


「それよりも、俺としてはあのドラゴンの方が気になるがね。いくら魔神の眷属を食ったからといって、簡単にお前より強くなれると思うか?」

「…………」


 しかし、俺がそう聞くとファフニィルは黙ってしまった。あの漆黒のドラゴンが自分より強いというのが、納得いかないのだろうか。


「……なれるだろうな」


 しばらくして、そう呟いた。


「そうか」

「ドラゴンとは状況に適応する事に特化した生き物だ。我が火山を根城にしていた際、溶岩の熱にすら耐えられる身体を手に入れたように」


 つまり。ネイフェルの眷属を喰らったあのドラゴンは、ネイフェルの魔力に適応する身体を手に入れたという事か。

 ――それにしても。頑丈(タフ)だ頑丈だと思っていたが、どうやらファフニィルは溶岩の熱にすら耐える身体を持っているらしい。……なるほど、と思う。確かにそんな身体なら、宇多野さんや阿弥の魔術に耐えられるはずだ。


「なるほどなあ」


 そしてあの黒いドラゴンは、そんなファフニィルの身体を傷だらけにできるだけの力を持っているという事。

 溜息しか出ない。

 そんな相手を、どうにかして打倒しなければならないのだから。


「なあ、ファフニィル」

「なんだ?」

「お前、あの黒いドラゴンに勝てるか?」

「勝てる――と断言はできぬ。分からぬとだけ言っておこう」

『珍しく弱気なのだな』

「ふん」


 それだけ言うと、ファフニィルは疲れたように瞳を閉じてしまった。それは何度か見た不貞腐れたような仕草ではなく、本当に分からないと言うような……。

 そこで、先ほどの言葉を思い出した。

 ファフニィルは、ドラゴンは状況に適応する事に特化した生き物だと。強靭な生命力、溶岩の熱に耐えられるほどの身体。

 その言葉を信じるなら、ファフニィルの身体はこの状況に適応しようとするのだろうか。自身よりも遥かに強力な、魔神の力を有するドラゴンに対抗する為に。

 その大きく、雄々しい真紅の身体を見上げる。身体中の至る所が傷だらけで、自分で食べる物すら手に入れる事が出来ないほどまで弱ってしまった竜の王。

 俺がシェルファの事をある程度信じている……という言葉もあれだが。まあ、アイツがどういう行動をするのか予想できるように……ファフニィルの心情もまた、ある程度の予想できた。それは、短いながらも共感できる時間を過ごしたからだ。

 力こそが正義と言わんばかりのアーベンエルム大陸。そこに存在する最強の魔物(ドラゴン)。そのドラゴンたちの頂点に君臨した王。


「まあ、負けっぱなしは性に合わんよな」

「ふん」


 その言葉が不本意だったのか、ファフニィルが鼻を鳴らした。


「……貴様はどうなのだ」

「ん?」

「シェルファだ。貴様はあの女のお気に入りだからな。これからも、永劫狙われるであろうよ」

「勘弁してくれ。美女に追われるのは大歓迎だが、あんな物騒なのは勘弁だ」


 なにせ、大鎌を手に持って追いかけてくるのだ。夢に見るだけで寿命が縮む。しかも、口を開けば決着を付けよう、殺し合おう、だ。色気も何も無い。

 あの女に追われるくらいなら、工藤の話し相手をしている方がマシだ。


『だが実際、あの魔王はまたレンジの前に現れるぞ』

「ま、その時はその時だ。何とかするさ」


 簡単に呟いて肩を竦める。

 また、ファフニィルが溜息を吐いた。砂浜の砂が大きく舞い、僅かに抉れる。


「その言葉、信用するからな」

「おう、信用しろ。けど、期待はするなよ?」

『……まったく。どうしてすぐ逃げるような言葉を口にするのか。嘆かわしい』

「無理に見栄を張っても、碌な事にならない事は経験済みでね」


 人間は弱い。それは肉体的にも、魔力的にも、他の種族より劣っているからだ。その事は、誰でも知っているし、特に俺はその人間の中でも下位に属してしまう。魔力が存在せず、剣の才能があるわけではない。腕力も弱ければ、咄嗟の閃きが出来る訳ではない。

 それでも、何とかしなければならない場面は常に存在してしまう。それが英雄として求められる事であり、魔王(シェルファ)であり、魔神(世界の敵)であり。

 形は様々だが、俺がどうにかしなければならない場面は、どうしても俺の前に壁となって現れるのだ。


「だから、頑張るとしか言えないな」

「ふ。……それでいいのだ」


 壁を乗り越える、壁を壊す。そんな恰好の良い事は言えないけど、せめて壁から目を逸らさない程度の覚悟は胸にある。目を背けたくなるし、立ち止まるけど――何とかするさ。

 それしか言えない。

 ファフニィルがあの黒いドラゴンをどうにかするように。俺もまた、あの魔王(シェルファ)をどうにかしよう。

 

「くく」


 そんな俺をどう思ったのか、ファフニィルが小さく笑った。


「どうした?」

「いや。王都で会った時よりも、随分と生き生きとしているではないか」

「そうか?」


 あまり自覚は無いが……ファフニィルが言うなら、そうなのだろう。

 ただ。


「こんな状況で生き生きしていると言われると、なんとも複雑なんだがね」


 無人島にエルメンヒルデとアナスタシア、それにファフニィルだけ。人間は俺だけで、人型はアナスタシアという塩梅だ。

 流石に、この状況は色々と勿体無い。

 折角の南の島っぽい所なのに、水着はおろか女性すら居ないのだ。……そんな事を口にしようものなら、アナスタシアからどんな事をされるか分からないので心の中に留めておく。

 取り敢えず、水の球をぶつけられる程度で済ませてもらえないのは確実だろう。



書籍発売まで、あと二日。

あと二日ですよっ。

もう買った人っているのかな?

……不安で夜も眠れませんよ。

本当ですよ?(寝癖付き

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