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第七話 無人島生活 一日目

 砂浜に打ち上げられたファフニィルの状態は、お世辞にも良いとは言えない状態だ。むしろ、どうやっても悪いとしか言いようがない。

 海水から上がって分かったが、まず何より傷が酷い。首の一部が噛み千切られ、右肩は抉れ、腹は大きく裂かれ……そのどれも、見ていて目を覆いたくなるように艶やかな肉が覗いている。傷を負った後に長時間海水へ(ひた)っていたからだろう、傷口が腫れているようにも見える。出血が止まっているのは、流石ドラゴンと言うべきか。それとも、出せるだけの血がもう残っていないのか。

 生きているのが不思議な状態としか言いようがない。

 そんなドラゴン(ファフニィル)妖精(アナスタシア)が泣きながら声を掛けているが、やはり返事は無い。意識は無く、浅く荒い呼吸を繰り返すばかりだ。あの、力強く腹の底まで響く遠雷のような声をもう聞く事は出来ないのだろうか。

 ふとそう考えて、首を横に振る。俺がそんな事を考えてどうするのだ。


「アナスタシア」

「……な、に?」


 声を掛けると、心底から疲労しているのだろう、弱々しい声がその唇から洩れる。向けられる瞳も、泣き腫らして赤くなってしまっていた。いつも見せてくれていた活発な笑顔はどこにも無く、こちらまで苦しくなりそうな悲しみの感情だけが浮かんでいる。

 その表情の痛々しさに一瞬息が詰まるが、深呼吸をして気を落ち着ける。


「島を見て回ってくる。血の匂いに吊られて魔物が集まってきたら、ファフニィルを守ってやってくれ」

「う……うん」


 守るという単語に反応したのか、泣き腫らした瞳に僅かばかりの力が戻った気がする。

 今までずっと、この思慮深い竜の王はナイトと一緒に結衣ちゃんとアナスタシアを守っていたのではないだろうか。口ではどう言おうと、このドラゴンが仲間へ優しい事を知っている。そういうファフニィルだからこそ、アナスタシアは涙を流して心配しているのだ。


「俺とエルメンヒルデは島を見て回ってくる。使える薬草があるかもしれないからな」


 視線を、今しがた流れ着いたばかりの島へと向ける。周囲は一面砂浜で、所々に剥き出しの大岩が覗いている。砂浜には貝殻のような物は見当たらず、おそらくだが潮の満ち引きはそこまで激しくないのではないだろうか。

 そんな砂浜から視線を逸らすと、まず目に付くのはそれほど深くないがそこそこ広そうな森だ。見た限りでは人の手などは言っておらず、自然のまま成長しているように感じられる。

 その樹木にはいくつか見覚えがあり、それはエルフレイム大陸で見掛けた種類だ。おそらくだが、この島はエルフレイム大陸に近いのかもしれない。だとすれば、森の中にはイムネジア大陸には自生していない、効果の高い薬草がある可能性が高い。

 もう一度安心させるように伝えると、濡れる瞳を指で拭ってアナスタシアがふわりと浮き上がった。


「気を付けてね」

「まかせろ」


 そんな状態でもこちらを心配してくれる妖精の女王様に意図して明るい声を向け、力強く頷く。

 アナスタシアにファフニィルの事を頼み、まずはこの島を歩いて回る事にする。

 俺もアナスタシアも、勿論エルメンヒルデも回復の奇跡なんて使えない。そうなると、回復の手段は薬草だけとなってしまう。ファフニィルがここまで酷い怪我を負った事など無く、人に使うような薬草が利くのかも分からないが、何もしないでいるよりはマシだろう。

 そう考えながら、濡れた服のまま島の外周を回るように足を進める。白い砂浜は美しく、そんな砂浜へ打ち付けてくる波もまた美しい。こんな状況でもなければ、のんびりと景色を楽しみたいところだが、そうもいかないだろう。

 ファフニィルの傷を見たからか、それともシェルファから好き勝手に言われたからか。どこかぼんやりとした気持ちだと自分でも思う。


『レンジ、大丈夫か?』

「ああ。大丈夫だよ、エルメンヒルデ」


 心配してくれる声へ、なるだけ明るい声を出しながら返事をする。疲労はそこまで感じていない。確かにあの魔王を相手にするのは疲れるが、たった数合だけ打ち合った程度で疲れるような鍛え方はしていない。ただ、ファフニィルの傷を見て……もしかしたらという最悪の結果を頭のどこかで考えてしまっているのだろう。

 エルメンヒルデの声にも、僅かだが疲労が感じられた。いや、この場合は不安だろうか。シェルファに、あの黒いドラゴン。今の俺達ではどうしようもない相手。魔神討伐の旅をしていた頃はそういう存在も多かったが、何だかんだで平和な時間に慣れてしまっていたのだろう。やはり、どうやっても勝てない相手と相対したという事は、妙に気分を落ち込ませているように思う。

 ポケットからメダル(エルメンヒルデ)を取り出すと、その(ふち)を指で撫でる。そこで、そう言えば最近は、こうやってエルメンヒルデを撫でていなかったな、と思った。

 会話はするし、常に手の届く範囲……とまでは言わないが、一緒に居る時間は多い。だが、こうやって撫でてやる時間は確かに減ったのではないだろうか。


『どうした?』

「いや……」


 こうすると落ち着くんだ、と。そう口にするのは僅かに気恥ずかしく、何でもないと口にしながら浜辺を歩く。そんな俺の行動をどう感じたのか、エルメンヒルデの声も先ほどより柔らかくなったような気がする。

 砂浜を見る限り、目立つ漂着物は見当たらない。精々が、流木とも言えないほど細い木の枝くらいだ。俺達が居た世界のように航海が盛んでなければ、人が多いわけでもない。ゴミを捨てるような人も居ないし、そもそもここは人が住む領域から離れ過ぎているのだろう。適当な木の枝を一本拾い、子供が遊ぶように振り回しながら歩く。

 そうやって、どれほど歩いただろうか。

 濡れていた服が僅かに乾き始めた頃、行く手に紅の巨体が映った。ファフニィルだ。

 どうやら、それほど大きな島ではないらしい。歩いたのは、体感でだが一時間もないのではないか。


「困ったな。何も無い」

『そうだな』


 あったのは綺麗な海と白い砂浜。ファフニィルが居る砂浜の反対側辺りは、断崖とは言えないが、岩肌が覗く小さな崖となっていた。そして、小さな島に相応しい、小さな森。

 何かあるとすればこの森だが、これだけ小さいと薬草などが育っているかが心配になる。

 ファフニィルの傷を思い出す。体長が三十メートル近いファフニィルは全身に傷を負っていて、その傷を治すために必要な薬草は相当量だと俺でも分かる。

 この小さな森に、それだけの薬草があればいいのだが。

 そして何より心配なのは、食料だ。俺やアナスタシアだけでなく、傷を癒すためにファフニィルへも食べれるものを用意しなければならない。俺なら空を飛ぶ海鳥一匹、アナスタシアはその残りで十分だが……あの巨体は、一体どれだけの量を食べるのか。そもそも、食べれるほどまで回復するのにどれだけの時間が必要になるのか。

 ……命の危機は去ったが、すでに次の危機が目の前にある。

 エルフレイム大陸は常夏に近い大陸で、森が多いので熱帯地域に近い大陸といえる。今は二の月。地球でいう所の三月か四月の頭だが、そんなエルフレイム大陸に近いと思われるこの小島は、海へ何度か落ちて水浸しという現状でも暖かく、風邪をひく心配は低いのが救いか。


『どうする、レンジ?』

「決まっているだろ。やれる事をやるだけだ」


 そう返事をすると、まずはアナスタシアたちの元へ戻る。

 ファフニィルは変わらず短く浅い、荒い息を吐いていた。生きている事に安堵の息を吐き、その傍へ近付く。人間でいうならコメカミ辺りから生えている角の付け根を撫でると、まるで岩を撫でているような固い感触。

 竜の鱗は精霊銀(ミスリル)すら刃毀れさせるほど固く、熱や冷気だけでなく電撃にも強い耐性を持つ。そんな鱗に覆われた身体は、無残にも傷だらけ。

 同じドラゴンとはいえ、魔王(シェルファ)と対等に戦えるファフニィルをここまで傷だらけにできるあの漆黒のドラゴンは……一体どれだけ強力で――どこまで成長するのか。


「……レンジ」


 撫でながら固まっていた俺へ、弱々しい声が届く。そちらへ視線を向けると、アナスタシアがファフニィルの鼻先に抱き付きながら、こちらを見ていた。


「助かるよね?」

「当たり前だろ。ファフニィルがこのくらいで……」


 死ぬという単語は使いたくなかった。しかし、俺が不自然なタイミングで言葉を切った事で何かを察したのか、小さく頷きながらファフニィルへ抱き着く力を強めるアナスタシア。

 その姿は、見ているだけでとても悲しい気持ちになってしまう。

 そんな顔を、仕草を、感情を……見ていたくなかった。


「大丈夫だ。俺が――」


 その先は、言ってはいけない言葉だと自分でも分かっている。

 次の言葉は、アナスタシアだけではなく、自分自身を追い詰める。

 そうと分かっていても。


「――俺が、何とかするから」


 もう一度大丈夫だと呟いて、ファフニィルへ抱き着いたままで話を聞いているアナスタシアの頭を軽く撫でてやる。

 海水に濡れた髪が渇いたからか、柔らかな絹を連想させる感触ではなく、なんだか固い。次いで、頬を濡らす涙を指で拭ってやると、僅かにだが微笑んでくれた。

 それでいいと思う。

 笑っていてほしい。

 どういう状況でも……笑顔というのは、精神的な支えになるのだ。


「よしっ」

『ふん……』


 俺が気合を入れると、左手の中に居るエルメンヒルデが不満そうな声を上げた。


「どうした?」

『レンジは、アナスタシアに優し過ぎると思うのだが』

「はあっ!?」


 そんなエルメンヒルデの言葉に、アナスタシアが過剰に反応する。

 それは、先ほどまで弱々しく泣いていた姿ではなく、俺の知っているいつもの元気な姿。エルメンヒルデと口論し、俺に絡んできて、元気一杯な小さな妖精。

 まだ顔色は悪いのは、きっとそれが空元気だからだろう。エルメンヒルデの本気とも冗談とも取れない言葉も、もしかしたらアナスタシアを元気づける為の言葉なのか。


「ぐ、ぬう……」


 しかし、いつもならエルメンヒルデへ言い返すところを唸りながら自制するあたり、やはりまだ空元気も難しいのだろう。

 それに、まあ。ここで大声を出して暴れては、ファフニィルの傷に障るという事を理解しているようだ。


「取り敢えず、今度は森に入るよ」

「ファフは?」

「お前が見ていろ。俺は、使える薬草が無いか探してくる」

「……ドラゴンに薬草って効くの?」

「――薬草を加工したのが傷薬で、傷薬っていうくらいだ。傷に効くだろ」

「そう、よね?」


 正直な所、効くかどうかは分からない。なにせ、ファフニィルの傷は弥生ちゃんが回復の奇跡で治していたのだ。薬草や傷薬の類を使った経験が無い。

 それに、こんな無人島で薬草を手に入れても、満足に調合できる設備も無い。精々が、磨り潰して患部に塗る程度しかできないだろう。

 しかしそれでも、何もしないわけにはいかない。出来る事があるなら、その全部をしよう。


「信じてるからね?」

「おう。信じろ」


 アナスタシアへ返事すると、その森へ向かう。

 もう一度アナスタシアの方を見ると、ファフニィルの傍でずっとこちらを見ていた。目が合ったので手を上げると、珍しく手を振ってくる。

 口では元気に振る舞おうと、やはり内心の不安はぬぐえないようだ。

 妖精の女王。本来なら世界樹の麓で精霊神(ツェネリィア)の声を聞く存在。亜人の神官、獣人の巫女に類する立場でありながら、俺達との旅に同行してくれた。外の世界に興味があったのか、結衣ちゃんを心配してくれたのかは分からないが。

 そうやって妖精の村を出て、世界を旅して見聞を広げて……。

 初めて会った頃は女王様然とした仕草をしていたが、すぐに元気が取り柄の子供にも思える仕草が板についた。それが素なのか、そちらの方が結衣ちゃんと話が合うから合わせているのかは分からないが。

 きっと、子供っぽい方が素なのだろうと思う。エルメンヒルデと喧嘩して、結衣ちゃんと遊んで、ファフニィルの為に涙を流して。

 今のアナスタシアの方が、生き生きとしているように思う。だから――泣いてほしくない。笑っていてほしい。

 その方が、もっとアナスタシアらしい。


『何も言わないのか?』

「どうせ、すぐに戻るさ」

『……きっと、優しい言葉を求めていると思うのだがな』

「そういうのは苦手でね。その辺りの事は宗一や九季に任せるさ」


 わざとらしく言って肩を竦めると、重い溜息を吐かれてしまった。

 そうやっていつもの調子で話しながら、森へ入る。 

 手入れをする人が居ないので伸び放題となっている雑草を、鞘から抜いた竜骨のナイフで掻き分けながら進む。足元を確認しながら歩いていると、いくつか見覚えのある草を見付けた。膝を付いてその薬草を摘んでいくが、やはり量が少ない。森が小さいのだから、相応の量しか育っていないのだ

 薬草と雑草を見分けながら、薬草だけを手際良く集めていく。


『よく分かるな』

「これでも、勉強熱心でね」


 身体能力という点で他の皆に劣っているのだから、それ以外の技術と知識を身に着ける必要があっただけだ。特に、俺達の世界には無かった、もしくは一般人である俺達が知らなかった異世界特有の知識。薬草や鉱物、調理に魔物の生態等々。

 学ぶべき事は多く、しかし学ぶ時間は少なかった。必死になる必要があった。きっと、異世界に来てからが、今までの人生で一番勉強した時間なのではないだろうか。

 本当に、この世界へ召喚された時に勉強しておいてよかったと思う。

 暫く伸びた草を払いながら森を進むと、すぐに汗が噴き出してきて服の袖で額を拭う。この時期でも暖かい気候は、エルフレイム大陸の特徴といえるだろう。日本のように四季があるイムネジア大陸、常夏とも言える比較的暖かな気候が年中続くエルフレイム大陸。そして、寒暖の差が激しいアーベンエルム大陸。

 イムネジア大陸では見かけない、エルフや獣人達が好んで使う効果の高い薬草を集めながら、乱れた息を整えるように深呼吸を数回。


「効いてくれるといいんだが」

『そうだな』


 しばらく森を歩き回って薬草を集めると、アナスタシアたちの所へ戻る。それを数回繰り返すと、両手で抱えるほどの量はありそうな薬草の山が出来ていた。

 小さい小さいと思っていたが、どうやらこの島は薬草が育つのに適した条件が揃っているのかもしれない。自分でも驚くほど、見た事がある薬草を簡単に見つける事が出来た。

 しかし逆に、木の実や果物のような物はどこにも無かった。

 そして、そうやって食べるものが無いからか、動物や魔物の類も居ない。魔物はあまり居てほしくないが、しかし食料という点で見れば魔物でもいいので生物が居てほしかったとも思う。天敵が居ないからか虫が多く、しかし流石に虫を食うのは躊躇(ためら)われる。

 なにより、湧き水の類も無かったのが辛い。食べ物も飲み物も無い状態では、俺もアナスタシアも数日と経たずに動けなくなってしまう。


「困ったな」

『ん?』

「いや……」


 砂浜へ腰を下ろし、近くにあった適当な大きさと形の岩を手元に置くと、その岩の上に先ほど摘んできた薬草を乗せる。そうして竜骨のナイフを構えると、その柄尻で薬草を磨り潰していく。

 本当ならちゃんとした道具でペースト状……粘り気のある流動性の状態まで磨り潰すのが理想だが、今の状況でそこまで望めない。こうやって磨り潰すだけでも、そのまま傷口へ貼るよりも効果がある。

 岩は小さく、磨り潰すナイフの柄尻も小さい。対して、用意した薬草はまだ山のように積まれている。

 ……だからって、弱音を吐く暇も無い。こうやっている間にも、ファフニィルは弱っているのだ。やれる事をやろう。それが、無意味な事だったとしても。


「くっさっ!」

「良薬は、(にが)くて臭いってのが相場なんだよ。その磨り終わった薬草を、ファフニィルの傷に塗ってくれ」

「……これ、毒じゃないでしょうね?」

「ばあか。エルフや獣人がよく使ってる薬草だ」


 まあ、そのままでも効果はあるが、人間の場合はもっと臭みを抑える為に他の薬草と合わせて磨り潰している。

 ぶつぶつと文句を言いながら、それでも服が汚れるのも構わずに磨り潰した薬草を両手で抱えながら飛び上がると、アナスタシアは丁寧に傷口へ薬草を塗っていく。


『効けばいいがな』

「ああ」


 ドラゴンに薬草の類が効くかなど分からないのに必死に薬草を磨り潰すさまは、どう見えるだろうか。きっと、アナスタシアもその辺りは感づいているのではないだろうか。

 普段は悪戯好きな子供だが、やはり妖精の女王という肩書を持っているだけはある。機微には(さと)いし、冷静な部分もちゃんと持っている。

 それでも何も言ってこないのは、俺と同じで他にやる事が無いからだろう。きっと、何もせずにファフニィルを見ていると不安ばかりが大きくなる。いつか……きっとすぐに、その不安に耐えられなくなる。

 そう分かっているから、出来る事は何でもして……悪い事を考えないようにする。

 薬草を磨り終わり、それでも全然足らなくてまた森へ潜って薬草を集める。それを何度か繰り返す頃には、夕焼けが海に沈みかけていた。

 心なしかファフニィルの呼吸が落ち着いているように感じるのは、きっと気のせいだろう。こんなに早く薬草の効果が表れるはずも無いのだから。しかし、それでもアナスタシアは安心したようで、今はファフニィルの大きな顔へ寄り添うようにして眠っている。

 

『こういう所は、見た目相応に子供だな』

「疲れたんだろ」


 砂浜の上で焚き火をしながら、そんなアナスタシアの寝顔を眺める。

 この火も、火打ち石のような物が無いので原始的な方法で起こしている。神剣(エルメンヒルデ)で木を切り、竜骨のナイフで形を整え、形を整えた木の板に木の棒を回転させながら(こす)り付けて火を起こす。

 本当に、今日は疲れた。シェルファに襲われ、ファフニィルは瀕死の重症で、無人島に流れ着いて。

 明日からどうなるのか、見当もつかない。


『レンジも眠るといい。何かあったら、私が起こすから』

「まだ寝るには早いよ」


 俺を気遣ってだろうが、まだ太陽だって完全には沈んでいないのだ。寝るには早すぎる。

 焚き火へ枯れ木を放ると、パチ、と爆ぜた。


「阿弥達は無事だと思うか?」

『ふふ。レンジがそれを聞くのか?』

「……そうだな」


 無事だと信じている。きっと、エルメンヒルデがどう言おうが、この考えだけは変わらないだろう。

 俺には遠視の魔術も、未来視の魔眼も、手紙を運んでくれる使い魔も無い。だから、こうやって信じるしかできない。

 阿弥、フランシェスカ嬢、フェイロナにムルル。そして、ソルネア。

 結衣ちゃんにナイト、船に乗っていた人達。

 全員が無事である事を祈りながら、ぼんやりと焚き火を見つめる。


「なあ、エルメンヒルデ。シェルファが言っていた事、憶えているか?」

『ん?』

「魔族が、全軍を上げて俺を狙うとか何とか」

『そういえば、そんな事を言っていたな。……怖いのか?』

「まあ。怖いって言えば怖いというか、面倒という気持ちが強いが」

『……はあ』


 どうしてか、溜息を吐かれた。


「そんな事はさて置き、だ。シェルファの口から、ソルネアの事は一言も出なかったな」

『……そういえば、そうだな』


 それに、色々と変だった事を思い出す。全力で戦っていなかったし、口調は微妙に変だったし、なによりネイフェルの心臓を渡せと言ったくせにまったく違う宝石を持って帰った。

 大根役者も顔負けの説明口調をしていたのも変だ。

 そう考えると、今日俺と戦ったシェルファは、何から何までが変なのだが……手加減をしてあれだけ強い魔族がそうそう居るはずも無いので、偽物という事も無いだろう。


「あと、魔王はやめたとか」

『そうなると、あの女よりも強い魔族が現れたという事か』

「悪夢だな」

『まったくだ』


 シェルファの強さは、嫌と言うほど知っている。なにせ、何度も戦った相手だ。魔神(ネイフェル)には及ばないまでも、たった一人で戦況を変え得る実力は魔王という肩書に相応しい。

 そんなシェルファ以上の魔族が現れたという事なら、何かしらの情報が手に入ってもいいはずなのだが。アストラエラや宇多野さんが何も言っていなかった事を考えると、どうにも怪しいというか。大体、シェルファ以上に強い魔族というのが怪しい。

 あんな化け物がポンポン現れたら、それこそ人類はなす術も無く蹂躙されるだけだ。


「あいつ、脳味噌まで筋肉だからな。案外、下っ端に下剋上でもされたのかも」

『脳味噌まで筋肉だからこそ、いついかなる時も、寝ている時すら殺気を振りまいていそうだが』

「……笑えないな」


 実際、きっとそうなのだろうと思う。妙に、エルメンヒルデの言葉が的を得ているように感じながら、焚火に枯れ枝を放る。

 目を閉じているファフニィルへ視線を向けると、ちゃんとその腹部が呼吸の度に上下しているのが見える。

 話していた時間が過ぎたのか、今はもう真っ暗な夜だ。空には星が浮かび、紅色の月光が海を照らしている。幻想的な光景でありながら、どこか寒々しい。海は何処までも続いていて、星空は何処までも深い。

 星の海とはよく言ったものだと思う。風に揺らぐ海と、揺らぐこと無く輝き続ける夜空。薄い朱月の輝きと相まって、ファフニィルの巨体が淡く輝いているようにも見える。

 周囲に小さな島が点在してはいるが、それだけだ。僅かな虫の音と、波の音、焚き火によって枯れ枝が爆ぜる音。そして、竜の王(ファフニィル)が呼吸する音が耳に届く。


「これから、どうなるんだろうな」

『ん?』

「いや、なんでもない」


 僅かに漏れた弱音を無かった事にして、砂浜へ横になる。美しい星空が、視界一杯に広がった。

 綺麗なものだ。こんな状況でなければ、酒を片手にこの光景を楽しみたいと思えるほどに。

 食料も無ければ、飲み水も無い。ファフニィルは重傷で、その傷を負わせたドラゴンはほとんど無傷。しかもそのドラゴンは、世界を破壊する事が出来るだけの力を得るかもしれない。

 本当に、これからどうなるのか。だが、そう考えているが、胸には思ったほど深い絶望を抱いていない。

 なんとかなるさ。

 そう軽く考える余裕が、どうしてかあった。

 何故だろうか。

 そう考え、答えは一つ。

 俺は一人じゃない。信頼できる仲間が居るし、ファフニィルだってまだ死んでいない。俺一人ではできない事ばかりだけど、信頼できる仲間が居て、友人が居て、守りたい人も多い。

 そういう人間は存外しぶとく、力を借りれば出来ない事などあまりないのだ。

 なんとも情けないが――諦めるほど絶望的な状況ではないのだから。


「静かだな」

『ああ』

「……これで平和だったら、酒でも飲みたい気分だ」

『またそれか。――変わらないな、レンジは』


 その優しい声に誘われるように、目を閉じる。

 自分では気づかなかったが疲れていたのだろう。眠気はすぐに来た。

 ……阿弥達が、無事でありますように。

 そう思うとともに、眠りへ落ちた。



皆様。

オーバーラップ様にある特設サイトにて公開されている

立ち読みサイトと、わりとヤル気を出しているっぽい蓮司のイラストは見ていただけたでしょうか。

まだでしたら、あちらも楽しんでいただけると嬉しいです。

では、また次回。

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