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第六話 海上の再会3

 燦々と輝く太陽の光を遮るように大鎌が振り上げられた。大振りで隙だらけの姿だというのに、その隙を突く事無く後ろへ跳んで避けると水柱が上がった。

 アナスタシアの援護で海面に立っている状態はとても不安定で、僅かな海面の変化だけで体勢が崩れそうになってしまう。そんな状況でまともな斬り合いなど出来るはずも無く、受けと避けに徹しているのだが……それも限界がある。そもそも、人間と魔族(魔王)では体力に隔絶した差が存在するのだ。

 どこかで危険(リスク)を犯さなければならない。

 そう考えると、全身が濡れる事を覚悟して水のカーテンの中へ突っ込み、得物を振り下ろしたままの体勢で居たシェルファの首を狙って(エルメンヒルデ)を一閃。しかし、水のカーテンという隠れ蓑で(おお)ったにも(かかわ)らず、その攻撃は上半身を逸らされただけで避けられてしまった。

 紙一重どころか皮膚一枚。剣先に感じた微かな感触に舌打ちをし、剣を振り抜いた状態で固まっている俺の目の前でクルリと一回転すると、その勢いで大鎌が横薙ぎに振り切られる。一瞬見えた表情は、逃げ回っていた俺が向かってきたからか――少女のように満面の笑顔であったように思える。

 ……やっている事は、可愛げの欠片も無い殺し合いだが。

 大鎌の切っ先を剣の腹で受けると、その威力にたたらを踏み、波に足を救われて転倒。海面を転がり――そのまま転がって振り下ろされる大鎌を避ける。


「くそっ」

「ちょっ、こっちの事も考えなさいよっ!」

「離れろよっ」

「私が離れると、海に沈むわよっ」


 外套(マント)に掴まっているアナスタシアが文句を言ってくるので怒鳴るように返事をすると、負けじと怒鳴り返される。

 しかし、本当に海面に立つというのは戦い辛い。足場がゼリー状のようで、踏み込むだけで体勢を崩してしまうのだ。勿論、そんな状態ではまともに剣を振る事だってできやしない。

 なんとかファフニィルが助けに来てくれるまで生き残ろうと考えているが、チラリと離れた場所(上空)で怪獣大決戦をしている紅と漆黒のドラゴンへ視線を向けた限りでは、それも難しそうだ。

 明らかに、ファフニィルが苦戦している。押されている。

 あの竜の王が。宗一や真咲ちゃん、戦いを得意とした異世界の英雄達が束になっても地へ落とす事が精一杯だった最強のドラゴンが押されている。

 こういう場合、この場は俺が何とかしなければならないのだろうかと思うが、俺が相手にするのも同様に宗一達が束になっても返り討ちにされるようなバケモノだ。むしろ、こっちだって生き残るだけで精一杯といえる。詰まる所の手詰まり。しかも、この均衡は向こうの気分次第ですぐにでも崩れてしまう。

 どういう訳か、シェルファはあまりやる気が無いのか、俺を(なぶ)るのが楽しいのか、最後の一歩を踏み込んでこない。先ほども、シェルファなら転がる俺に魔術を撃って終わりだったはずなのだ。しかし、現実は大鎌での追撃のみ。

 戦いに対してだけは真摯というか、油断はしても慢心をするような性格ではないと思っていたのだが。まあ、おかげでまだ生き残っているのだが。


「こらこら、ヤマダレンジ。折角殺し合い(楽しい事)をしている最中だというのに、考え事をするのは貴様の悪い癖だと何度言えばわかる?」

「楽しくないっての」


 まるで子供へ言い聞かせるような優しい声で言ってくるが、その手に持っている大鎌が全てを台無しにしている。

 シェルファが一歩踏み出すと、両手で神剣(エルメンヒルデ)を構えながら同じだけ後ろへ下がる。そのエルメンヒルデは、白銀の刀身に僅かな翡翠の文様が浮かんでいる状態。解放(クリア)出来ている制約は二つ。とてもではないが、魔王と正面から斬り合える状態ではない。

 もちろん、この場で精霊銀(ミスリル)の剣を使おうものなら、ただの一合で砕かれてしまうだろう。

 そうやって距離を置く事で時間を稼ぐ俺に業を煮やすわけでもなく、シェルファは悠々とした足取りで距離を詰めてくる。


『何とか出来ないか?』

「さて、どうしたもんかね」


 エルメンヒルデの声におちゃらけて答えるが、内心では完全に手詰まりだと両手を上げたい気分になる。

 強い強いとは分かっていたが、ここまで手抜きをされても勝ちの目どころか一矢報いる方法すら浮かばない。いくら神殺しと言われようが、魔王に勝てない現実は昔から変わらない。

 これが、一人()の限界なのだ。

 俺は弱い。アストラエラの加護も殆ど無く、魔力など欠片も無い。身体能力を強化する事も、相手の魔術に対抗する事も出来ない。

 そう分かっているのだが――。

 ファフニィルの痛みを訴える声が聞こえてしまうと、そんな弱音を言っている暇も無い。神剣を握り直し、両の目でシェルファを捉える。

 警戒も無く――警戒していなくとも不意の攻撃にすら対応できるという自信を纏う魔王を見て、息を深く吐いた。肺を空にして、少しでも身体を軽くする。

 錯覚だ。この程度で身体は軽くならないし、酸素が無ければ動ける時間も短くなる。それでいい。ただただ、危険に身を晒し、自分を追い詰め、神経を研ぎ澄ます。どうせ、数合も打ち合えるほどの技量は無いのだ。ただの一合。ただの一撃。その為だけに、神経を尖らせる。細く、長く……鋭利に。

 先ほどまでは死なないように戦っていたが、今度は必ず一撃入れるという意思を胸に視線をシェルファへ向ける。


「アナスタシア」

「――な、なに?」


 俺の思考が変わった事に気付いたのか、アナスタシアの声が僅かに硬い気がした。


「俺が合図をしたら、魔術を切れ」

「え?」

「いいな?」

「でも、それだと海に――」


 返事をせず、海の上で戦い始めてから初めて、俺からシェルファへと向かう。魔王の顔が喜悦に歪むのを確認し、愚かしいともいえるように、正面から突っ込む。

 戦い好きのシェルファは、正面から力と力のぶつかり合いを何より好む。それは、相手が強者だろうが弱者だろうが変わらない。

 というよりも、弱い人間が正面から挑んでくるという状況(シチュエーション)に興奮するとかなんとか。変態かと。

 案の定というべきか、こちらへ合わせるように魔術で海面に立ちながら、シェルファは両足を僅かに開いて俺の攻撃を受け止める体勢になった。そのシェルファへ叩き付ける勢いで剣を振り下ろすと、両手で構えた大鎌の柄で防がれる。

 火花が散り、つんざくような金属音が耳に届く。ギリギリと耳障りな音を、剣と大鎌が(かな)でる。

 シェルファの口元には笑みが浮いている。体力も腕力も、まだまだ余裕があると簡単に分かる。対する俺は、必死に歯を食いしばり、腕が震えるほどの力を込めているが、大鎌を僅かに揺らす事も出来ていない。


『レンジ、正面からでは!?』

「ふは――」


 そして、破顔したかと思うと大鎌を逸らしてこちらの体勢を崩してくる。シェルファの考え通りともいうべきか、剣を叩き付ける事に全力になっていた俺は簡単に体勢を崩してしまい、そのまま――。


「アナスタシアっ」


 そのまま、勢いよく海面へと落ちる。

 全身が濡れる嫌な感触と、視界が気泡で白く染まる。しかし、シェルファがどこに居るかは陽光が作ってくれている影が教えてくれる。

 その影――シェルファの右足裏へ向けて剣を突き上げた。確かな手応えと共に透き通るほど青い海へ鮮血が広がる。

 長居は無用とばかりにあっさりと剣を引き抜き、シェルファから少し離れた場所まで泳ごうとして外套(マント)を引かれる感触。慌てて振り返ると、浮力の関係で海面へ浮いていた外套(マント)(すそ)が何者かに掴み上げられていた。

 その何者かは考えるまでも無く……直後、息が詰まりそうなほどの強さで一気に引き上げられ、その勢いのまま空へ向かって投げ捨てられた。

 一瞬の浮遊感と、すぐさま背中が柔らかい海面へと落ちる。ゼリー状とも言える海面に落ちても痛みは無いが、その独特ともいえる感触が気持ち悪い。顔を上げると、驚くほど離れた位置にシェルファが立っていた。

 これだけの距離を投げられたのかと思うと、地面の上だったら下手をすると骨折くらいはしていたかもしれない。相変わらず、デタラメな怪力だと肝が冷える。


「ふうむ。今のは一本取られたのう」


 そして、足の甲を貫かれたはずだというのに、シェルファはその形の良い顎へ骨製の手甲(ガントレット)を纏った指を添えながら何故か感心していた。

 今までのように海面を歩くのではなく、背から伸びる鴉のような黒い翼を羽ばたかせながらこちらへ近寄ってくる。一応、足は痛いのかもしれない。表情に変化は無いので判断が難しいが。

 その様子から、殆どダメージのような物は無いのだと判断する。まあ、あの程度でどうこうできる相手なら、俺だってここまで苦手意識は持っていない。無痛症という訳でもないだろうが、コイツは血塗れでも笑っているのだ。

 戦闘好きも、そこまでいくと笑えない。……毎回殺されそうになっている俺は、戦闘好きという時点で笑えないが。


「相変わらず、妙な機転はよく回る男よな」

「お前に褒められると嬉しいね」

『……暗に、正面からでは勝てないと言われているのだがな』

「皮肉だっての」


 エルメンヒルデの言葉へ律儀に答え、海水を滴らせる前髪を掻き上げる。

 瞬間、陽光が(かげ)る。雲で遮られたのではない――黒い影だ。シェルファが空を見上げ、釣られる事無く一気に距離を詰めてその首を狙う。

 しかし、首を狙って剣を跳ね上げるが、濡れた服が思った以上に重くて僅かに踏み込みが甘くなってしまう。()まで届かなかった。


「油断も隙も無い」


 そう言いながら、シェルファが口元を歪めながら大鎌を両手で構える。

 ふん。殺し合いの最中に視線を逸らす方が馬鹿だろうが。命の奪い合いをしているのだ、余所見をしているから少し待て、というのは通らない。通るわけがない。

 その油断が、神剣(エルメンヒルデ)の切っ先を僅かに届かせていた。その白く細い首に、ほんの少しだが傷が出来ており――血が流れている。


()いぞ、良いぞ」


 その傷を魔物の骨で作られたガントレット越しの指で撫でると、その指先に付着した血を舐める。相変わらず、そういう仕草が妙に様になっている。


「なにがだ?」

「ファフニィルから、貴様が腑抜けたと聞いていたが……どうして」


 しかし、そう言いながらシェルファは大鎌の切っ先を下へ向けた。かわりに、視線を俺から外す。

 先ほどの不意打ちを警戒するでもないその仕草に、こちらは逆に警戒してしまう。そして、警戒を解く事無くその視線の先を見ると、空中で漆黒のドラゴンへ組み付かれた紅のドラゴンの姿があった。

 その首元へ大きな(アギト)(もっ)て喰らいつかれ、遠くからでも分かるほどの鮮血が流れている。その漆黒のドラゴンの背へ向けてファフニィルが口を開くと、背へ向けて炎のブレスを吐き出した。土を結晶化させるほどの高温であるブレスを浴びて、漆黒のドラゴンが堪らずファフニィルを解放する。

 だが、そのファフニィルは……力無く海面へと落ちた。


「ファフ!?」


 俺の方へ移動したアナスタシアが悲鳴を上げる。それほどまでに、衝撃的な光景だった。竜の王。俺達が知る中で、ある種最強とも言えるファフニィルが……負けた。

 しかも、あろうことか。ファフニィルを(くだ)した漆黒のドラゴンは、空から落ちていくファフニィルへ向けて大口を開ける。

 それが意味する事を分かってしまう。魔力の無い俺でも、あのドラゴンに有り得ないほどの魔力が集まっていくのを肌で感じる。漆黒の体躯が薄暗く淀むように霞み、それだけ高濃度の魔力が集まっているのだと理解する。

 まるであのドラゴンが居る場所だけが黒い霧へ覆われているような。

 そして、理解すると同時にシェルファへ対抗する為に必要な剣を一振りして霧散させ、瞬時に翡翠色の弓を顕現させた。


「やらせ――」

「おいおい」


 その声はすぐ傍。

 慌てて視線を向けると、息が届きそうな程近くにシェルファの顔があった。


「女の前で、他の誰かを見るなど駄目だろう?」


 おどけるように言うと同時に、大鎌を一閃。至近距離からの攻撃を、刃ではなく大鎌の柄をブーツ越しに足の裏で受ける。勢いのまま後ろへ跳び、視線を漆黒のドラゴンへ。

 弓へ矢を(つが)えるが、こちらが矢を放つ前にシェルファが距離を詰めてくる。その表情は愉悦に染まり、焦る俺の反応を楽しんでいるのがよく分かる。

 そんなシェルファへ向けて、今まで黙っていたアナスタシアが水を操って足止め。飛沫が上がったと思うと、握り拳ほどの大きさはある水の弾丸が雨のように降り注ぐ。だが、その雨の中をシェルファは気にする事無く突き進んでくる。


「くそっ」

『そのまま時間を稼げっ』


 矢を番え、狙いを定める。撃ち落す必要は無い。注意を逸らせばいいのだ。

 しかし――。


「おっとぉ!」


 横から体当たりをされ、狙いを外してしまう。体勢を崩したまま放たれた矢は、関係無い方向へと飛んでいく。


「く――シェルファァっ!!」

「そうだそうだ」


 まるで漆黒のドラゴンを守るように、シェルファが間に立つ。

 その向こう、ファフニィルへ狙いを定めていた漆黒のドラゴンの口内に、火袋から溢れだした同じく漆黒の炎が覗く。

 その光景を目にした瞬間、策も何も無くシェルファへと突っ込む。手にはやはり白銀の刀身に翡翠の文様の入った剣。この状況でも満足に戦えない自分へ吐き気にも似た怒りを覚えながら、その怒りをシェルファへ叩き付けるように剣を振る。

 剣の勢いに圧され、シェルファがたたらを踏んで後退する。その美貌に張り付いた笑みを睨みつけ、二度三度と斬りつけて体勢を崩させる。

 そのままシェルファを無視してファフニィルの元へ向かおうとして――。


「まったく、貴様を本気で怒らせる事ほど難しい事は無い」


 ――隙を突かれて石突きで脇腹を殴られた。息が詰まり、一瞬の間を置いて激痛が脳に届く。あまりの痛みに耐えられず、膝を付いてしまう。


「だ、め……ファフ!」


 そして、アナスタシアが叫ぶのとほぼ同時に衝撃。視線をファフニィルが落ちた方へ向けると、まるで大型の爆弾が爆発したような水柱が上がった。ブレスの熱気の所為か、水柱は即座に水蒸気となって一帯を覆ってしまう。

 その衝撃が俺達が居る離れた場所の海面も揺らす。それほどの衝撃。それだけの攻撃。

 ――その事が、最悪の結果を連想させる。

 怒りに任せて立ち上がろうとするが、石突きで殴られた腹の痛みにそれも出来ない。自分の情けなさに唇を噛むと、血の味がした。


「ふぅむ。腑抜けたのはヤマダレンジではなく、ファフニィルの方であったようだのう」


 けたけたと笑うその声に顔を上げるとシェルファの顔――そして、その背後へ控えるように漆黒のドラゴンが降りてきた。


「ふん。王の座に胡坐をかいて、人間の娘と戯れた結果じゃ」

「アンタっ!」

「お主もだ、妖精の女王。そして、神殺し(ヤマダレンジ)


 その挑発を耳にしながら、必死に考える。この状況で生き残る方法を。

 まだ死ぬわけにはいかない。俺も、エルメンヒルデも、アナスタシアも。ファフニィルだって、まだ死体を確認したわけではないのだ。諦めるには早すぎる。

 諦めるのは……この目で確認してからで十分だ。


「おい、シェルファ」

「なんじゃ、ヤマダレンジ」


 やはりこちらを挑発するように、その声には喜色が浮かんでいる。しかし、俺が知っているシェルファという魔王は、こういう性格だっただろうか。

 確かに戦うために周囲を巻き込むことはあり、人と魔族の戦いには犠牲も少なくなかった。だが、死者を笑うような性格ではなかったはずだ。それが自分の認めた存在なら尚更だ。シェルファにとってファフニィルとは、死を笑うほどの相手だっただろうか。答えは否だ。

 これは信頼などという上等なものではなく、考察。

 この挑発も、何かしらの意味があるのではないか。痛む脇腹へ手を添えながら、怒りで煮えたぎった頭で考える。


「お前、さっきは本気じゃなかったな?」

「そんな事を聞きたいのかえ? つまらぬのう」

「?」


 口ではそう言いながら……シェルファはその大鎌の切っ先を下ろした。不審に思いながらも睨みつけると、今度はうわべだけの笑顔を消して肩を竦めた。


「そう邪見にされると寂しいのだが」

「お前に、そんな真っ当な感情があるのか?」


 俺が毒を吐くように言うと、かかと(ほが)らかに笑うシェルファ。殺気は、無い。切っ先を下げた事から、戦闘中止の意を示しているのだとは思う。コイツは戦い好きで、どうしようもないほど物騒な性格だが、先にも言った通り正面からの殺し合いを好む。俺のように不意を打つようなやり方は、興味があっても自分から行う事は無い。

 そういう性格だと分かっているが……さりとて、今の状況はいつ、どう転がるかも分からない。

 良くも悪くも、シェルファという魔王を知っているからこそ、その行動にどう反応すべきか迷ってしまう。そんな俺の警戒を察したのか、シェルファは呆れた様子で肩を竦めた。


「もう少し、儂の事を理解してくれていると思っていたのだがのう」

「……気色の悪い事を言うな」

「こらこら。女子(おなご)には優しい言葉を掛けぬか」


 どこまで本気か分からない声で笑いながら大鎌を肩へ担ぐと、シェルファは首元を指で軽く叩く。

 そこには、見慣れない黒いチョーカーのようなものがあった。以前は……身に着けていただろうか? 1年以上も前の事なのでシェルファの服装など覚えていないが、その不審な行動に首を傾げる。


「ちと面倒があってな。貴様に聞きたい事があって顔を出した。後、欲しいものが一つある」


 聞きたい事。それが、シェルファが襲撃してきた理由だろうか。欲しいものは……俺の命か?


「ヤマダレンジ。貴様が眷属狩りを再開したと聞いたが、本当か?」

「眷属狩り……?」


 ふと聞き慣れない言葉で言われて首を傾げるが、その単語には聞き覚えがあった。記憶の隅から引っ張り出す。

 眷属狩り。

 俺……というか、俺達が魔神討伐の旅をしていた際に、イムネジアやエルフレイム大陸で暴れていた魔神の眷属を優先して倒して回っていた事を、魔族達は『眷属狩り』と呼んでいたのだ。

 懐かしい話である。そもそも、俺達は魔神の眷属だけでなく魔物や魔族も……人に害する行動をしているモノすべてを討伐して回ったのだが。魔族達にとっては、魔神の眷属がそれだけ重要だったという事だろう。


「いや。旅の途中で三匹、見付けただけだな」

「ふうむ。儂等の間では、貴様がまた眷属狩りを始めたと話しに出てのう。貴様を全軍を上げて殺すか、嵐が過ぎ去るまで待つかという話になっておるのだが」

「…………」


 どれだけお前ら(魔族)は俺を特別視しているんだ。

 全軍どころか、こうやってシェルファだけでも俺は殺せるっていうのに。というか、ただの魔族一人でも、一対一だと俺は勝てる気がしないのだが。

 そんな俺の感情が出たのか、俺の顔を見てシェルファが面白い物を見たように破顔した。こういう状況でなければ、見惚れるような笑みではなかろうか。


「聞きたい事ってのは、それだけか?」

「うむ」

「じゃあ、俺からも一つ」

()いぞ。儂だけ聞くと言うのも、平等(フェア)ではないからの」


 俺が昔教えた言葉を口にして、さあ聞けと言わんばかりに胸を張るシェルファ。余裕がある。その様子から、やはり俺の知っているシェルファらしくないという感情が胸の中で首を(もた)げてきた。

 肩に乗るアナスタシアは怒りを隠そうともせずに睨み、エルメンヒルデは黙ったままだが、その方が警戒されないだろう。


「そのドラゴンは何だ?」

「ん?」

「言っちゃなんだが……ファフニィルより強いなんて、おかしいだろ」


 アイツは竜の王だ。それは自他共に認める事であり、最強のドラゴンという事でもある。

 そんなファフニィルを超えるドラゴンなど、俺は知らないし、先ほどの様子からファフニィルも知らなかったのではないだろうか。現に、ずっと一緒に行動していたはずのアナスタシアが何も言ってこない。

 きっと、会って間もない……もしかしたら、俺達と合流する直前にあったのではないだろうか。


「ふうむ。何、と聞かれると困るのう」

「なんでよ」


 そのシェルファの軽口に、アナスタシアが苛立たしげな声を上げた。ファフニィルの所へ行こうにも、シェルファとこの黒いドラゴンが邪魔なのだ。だから苛立っているのだろう。

 あと、俺がすぐに行動を起こさずにいるのも、その事に拍車を掛けている気がする。


「儂等はヤマダレンジに眷属狩りの事を聞いたが、こやつは眷属喰いの末に生まれたモノだからだ」

「…………」


 その言葉に、絶句する。アナスタシアも、何も言い返せずに固まってしまった。

 シェルファの背後へ控える漆黒のドラゴンへ視線を向けると、退屈そうにグルルと喉を鳴らした。


「……正気?」

「うん?」

「ネイフェルは、貴女達の神じゃない。その眷属をドラゴンに食わせるだなんて……」

『正気ではないな』


 アナスタシアが、震える声で呟く。俺はあまり信心深いという訳ではないが、この世界で女神(アストラエラ)なり精霊神(ツェネリィア)なり魔神(ネイフェル)なり信仰する人は、往々(おうおう)にして神を神聖視する。

 俺達の世界でも、神を信仰すると言う人はそういうものだったはずだ。

 その神の眷属をドラゴンに食わせるなど、エルメンヒルデとアナスタシアからすれば信じられないのだろう。


「正気なのだろうよ。儂等の魔王様は」


 そして、信じられない言葉が紡がれた。


「……魔王はお前じゃ……」

「儂は任を解かれたよ。元々、戦いに興味はあっても、治世には興味が無かったからの」


 魔族が治世というのも笑い話だがな、とシェルファは笑っている。どうやら、魔王の肩書にはあまり興味が無いようだ。元々、強い相手と戦い続け、その結果魔王まで倒してしまったという女だ。本当に興味が無いのだろう。

 いくつかの情報を聞き出し――むしろ、シェルファが喋ってくれたおかげで、少し状況が整理できた。

 つまり。


「そのドラゴンが、魔族が用意するネイフェルの器か」

「ふむ。そこまで知っておるか。感心感心」


 アストラエラは、魔族がネイフェルを復活させようとしていると言っていた。どうやってかは知らないが、このドラゴンに魔神の眷属を喰わせて器にしようとしているのだろう。

 ――それだけでネイフェルを復活できるのだろうかという疑問はさて置いて、その結果でファフニィルを超えるドラゴンが生まれた事は確かだ。


「どれだけ喰わせた?」

「さてな。儂は興味が無い」


 十か、二十か。それとももっと多くか、もっと少なくか。どれだけの数を食べたら、ファフニィルを超えるほどのバケモノが生まれるのか。そして、魔神の眷属は後何匹残っているのか。このドラゴンは、どこまで強くなるのか。


「儂がここへ来たのは、先もいったが欲しいものがあるからだ」

「……俺の命か?」

「それも魅力的ではあるが、貴様は儂が、万全の状態で、正面から叩き伏せる」


 じゃあ、他に何が、と。


「貴様、ネイフェル様の欠片を持っておろう?」

「――――」

「儂は、それを貰い受けに来た」


 ムルルが――ツェネリィアが宇多野さんへ渡したあの黒い宝石のような心臓の欠片。

 あれは、俺ではなく宇多野さんが持っているのだが……馬鹿正直に言うのは、やはり駄目だろう。最悪、ファフニィルを下したこのドラゴンが、イムネジア大陸で暴れまわる事になる。

 そうなったら、どれだけの犠牲が出るか。

 そう思いながら、腰の裏に吊っていた荷物入れとして使っている小袋へ手を入れる。その中に在るのは、いざという時に路銀の代わりとして使うための小さな宝石だ。旅へ出る前に宇多野さんに選んでもらったものだが、指で中を漁って記憶の中にある心臓の欠片と似たような形状の宝石を探す。

 俺の予想が正しければ、きっとこれで通用するはずだ。


「エルメンヒルデ」

『なんだ?』


 シェルファへ聞こえないように小声で呟くと、俺の意図を察してエルメンヒルデも俺にだけ聞こえるように声を出す。


「魔力の宿った宝石はあるか?」

『魔力?』

「シェルファを騙す」


 俺では魔力の有無が分からない、アナスタシアが動けば警戒される。エルメンヒルデに宝石を見繕ってもらうと、条件に合う宝石がいくつかあった。あとは、運。今掴んでいる宝石が、黒に近い色である事を今まで(ろく)に祈った事が無いアストラエラへ祈りながら取り出す。

 取り出したのは、紅玉(ルビー)というには僅かに暗い、小さな宝石。

 ……駄目だ。これは赤すぎる。


「うむ、それだ」


 賭けに負けた気持ちになりながらも溜息を我慢すると、どういうわけかシェルファがそう言った。

 驚いた顔を向けると、さっさと渡せと言わんばかりに右手を差し出している。


「ネイフェル様の心臓と引き換えに、この場は見逃してやっても()いぞ?」


 何を言っているのだろう。

 言葉の意図が分からずに固まると、また魔物の骨で作られたガントレット越しの指で首にある黒いチョーカーのような物を軽く叩いた。シェルファに首を叩くような癖は無かったはずだ。


「さっさと渡せ。それとも……儂と、ファフニィルを下したこやつを同時に相手取るか?」


 やはり、何かがおかしい。アナスタシアもそれを感じたのか、怒りの感情が薄れて困惑の表情を浮かべている。

 しかし。だとしたら、首を叩く事に何の意味があるのだろうか。あるのは、先ほど俺が付けた傷と、黒いチョーカーくらいだが。

 そう思いながら、宝石を投げ渡す。


「うむ、これだろう。儂には心臓の欠片がどういうものか分からぬが、魔力を感じるし間違いは無いだろう」


 そして、いきなり説明口調で呟くと、漆黒のドラゴンの背へ飛び上がった。


「ではな、ヤマダレンジ。約束通り見逃してやろう」


 ドラゴンが天へ向かって方向を上げると、翼を羽ばたかせて上昇していく。ファフニィルと戦ったというのに、目立つ傷はほとんど無い。

 ……それは、このドラゴンがそれだけ強力な存在なのだと思い知らされてしまう事でもあった。


「もしこの宝石が偽物であったなら。儂を(たばか)っていたなら……その時こそ、儂直々にその命を奪ってやろう」


 ドラゴンの羽ばたきへ負けないように大声でそう言うと、ドラゴンが飛び立つ。その姿は、あっという間に見えなくなってしまった。

 取り敢えず安堵の息を吐くと、立ち上がる。脇腹に鈍痛を感じ、小さく呻く。


「ファフは!?」

「ああ、急ぐぞ」


 そして、痛みを気にしないようにしてファフニィルが落ちたであろう場所へ向かうと――そこには、傷だらけで痛々しい姿を晒す竜の王が海面へ浮いていた。


「ファフ!」


 傷が深い。見ただけで、肩と腹。それに翼も。

 青い海一面がファフニィルの血で赤く染まっており、傷口からは艶やかな肉が覗いている。エルメンヒルデの剣すら弾く鱗もボロボロで、無事な個所を見付ける方が難しい。その傷だらけの姿にアナスタシアが涙声になりながら話し掛けている。半分以上が海面へ沈んでいる身体が上下している事から、弱々しくはあるが呼吸をしている事が分かる。

 まだ生きている事が分かって息を吐くが、しかし返事をしないという事は意識が無いという事でもある。

 海を赤に染める血の量から、出血も相当量であると分かる。どこかで手当てをしなければならないのだが……。


「アナスタシア」

「ファフっ! 目を開けて、ファフっ」

『アナスタシアっ』


 珍しくエルメンヒルデがアナスタシアを名前で呼ぶと、ファフニィルの姿に動揺していたアナスタシアがこちらを向いた。

 その瞳は何時涙をこぼしてもおかしくない状態で、それだけファフニィルを心配しているのだと一目で分かる。胸を締め付けられるほど、その気持ちは分かる。

 ……仲間を失うかもしれないという気持ちは、俺だって何度も感じたのだ。

 だから。


『いいか。ファフニィルはまだ生きている。落ち着け……お前が混乱しては、誰がファフニィルを助けるのだ』

「……え?」

「見ろ。まだ呼吸をしている。生きている証拠だ」


 言わなければならない事はエルメンヒルデが言ってくれる。アナスタシアもエルメンヒルデに言われたからか、すぐに落ち着きを取り戻した。


「ぁ」

「けど、ここじゃ手当てを出来ない。空へ上がって、近くに島が無いか調べてくれ」

「し、島? 島なんて、いくつも見えるじゃないっ」

「近いか遠いか、平坦な海の上じゃ分かり辛いんだよっ。空の上から一番近い……いや、そこそこ大きくて近い島を探してこいっ」

「で、でも……」


 俺がどなるように言うと、瞳の中に溜まった涙が零れそうになってしまう。

 そんなアナスタシアを(さと)すように、指を小さな肩へ乗せる。


「海の上じゃ出血が止まらないし、体温が下がるんだ。それに、この状態のファフニィルを連れて阿弥達と合流するのは無理だ」

『私達でファフニィルを助けなければならないのだ。分かるな、アナスタシア』


 揃って視線を、弱々しく呼吸する意識の無いファフニィルへ向ける。こんな状態で今この時も移動している船へ追いつく事など不可能だ。それこそ、ファフニィルが死んでしまう。

 阿弥達との合流は諦めて、まずはファフニィルの傷を癒す事に専念するべきだ。

 俺とエルメンヒルデがそう言うと、慌てた様子で空へ上がるアナスタシア。その際、アナスタシアが離れた事で魔術の効力が切れてまた海へ落ちたが、ボロボロの鱗を伝ってファフニィルへ登る。これだけの血の量なら、どこから半魚人(サハギン)やら海の魔物が寄ってくるかも分からない。警戒するように(エルメンヒルデ)を用意すると、アナスタシアが降りてきた。


「あったっ!」

「よし。お前、水も操れたよな? その島の方へファフニィルを移動させるぞ」

「レンジは?」

「俺は半魚人(サハギン)狩りだ。血の匂いに寄ってきたヤツを、片っ端から撃ち殺してやる。やるぞ、エルメンヒルデ」

『ああっ』


 今更翡翠色へと変わった弓へ矢を(つが)え、即座に放つ。

 魔力の矢は水の抵抗を受けずに水中を進み、透き通るほど美しい青の海を泳いで近付いてきたサハギンを貫いた。


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