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第十五話 グリフィンの王2


 頭上、空という遥か上から見下ろされながら、自然体で構えながら精霊銀(ミスリル)の剣を持つ右手に力を込める。

 どうやって地面へ引き摺り下ろそうか。

 そう考えていた時、こちらが変に考えるよりも先に一匹のグリフィンが翼をはためかせながら降りてくる。その姿の、なんと雄々しい事か。

 ファフニィルという竜の王。この世界における最強の一角とされる生命体。ドラゴン。そのドラゴンよりも、二回りも三回りも、いやそれ以上に小柄な姿でありながら、翼を広げる姿は、空に在る姿は目を見惚れそうなほどの格好良さがあると思うのは俺が男だからだろうか。

 ドス、と重苦しい音と共に地面へ降りると、悠然とこちらへ視線を向けてくる。


「――は」

『ふん。見下されているぞ、レンジ』


 その視線には、仲間を殺された怒りや敵意というものが感じられない。ただ俺がここに居る。餌が、獲物が、目の前に立っている。

 欠片(かけら)も俺を脅威と思っておらず、敵とも、仇とも思っていない。生きている餌を、獲物を仕留めに来た。その視線が、雄弁に語っているように感じた。

 まあ、俺にはグリフィンの思考など読めないので、ただの勘だが。どうやらそれはエルメンヒルデも感じたようで、その声には僅かな苛立ちと、確かな怒り。そんな相棒の反応を感じると、こちらは逆に冷静になってしまう。


「さて」


 もう一匹はいまだ空。このまま一匹なのか、それとも空から援護する気なのか。どちらにしても、俺がやるべき事は決まっている。

 その視線は俺から逸らされる事は無く、いまだにフランシェスカ嬢たちには気付いていない。なら、暴れるだけ暴れさせてもらおう。仲間たちが動き易いように。


「やるぞ、エルメンヒルデ」

『ああ、やれ』


 一直線に、正面からグリフィンへ向かう。そのまま剣が届く距離まで踏み込むと、精霊銀(ミスリル)の剣を振り下ろす。

 グリフィンに動きは無い。やはり俺を見下したまま、こちらが攻撃する様を無防備に見――しかし剣が届く前に、その巨体からは信じられないほどの素早い動きで後ろへ下がった。

 空振りした剣を地面へ叩き付けるより早く、更に一歩を踏み込んで今度は斬り上げ。その攻撃は僅かに届き、グリフィンの体毛を宙へ散らす。

 青い空の下、薄茶色の体毛が舞う。はらはらと舞った体毛へ視線を向ける事無く、その散った場所を射抜く勢いで剣を突き出した。

 しかし、その攻撃が届くより早くグリフィンの巨大な体躯が急所への攻撃を避けようとして横を向いた。……そこまで認識した直後、今度は俺が宙を舞った。右からの衝撃。どうしていきなり俺は吹き飛んでいるのか、何も理解できないまま宙を舞い、一瞬後には地面を勢いよく転がってしまう。

 地面を転がりながら、何が俺を吹き飛ばしたのか視認する。翼だ。その巨大な翼を広げ、身体の向きを変える勢いで殴り飛ばしたのだ。

 たったそれだけで吹き飛ばされたのだが。……相変わらず、魔獣というのは力というか、身体能力が化け物じみている。いや、バケモノなのか。しばらくはそのまま転がって距離を開け、勢いが弱まったところで膝立ちになって起き上がる。


『くるぞっ』


 エルメンヒルデの声を聞くと同時に、横へ飛ぶ。瞬間、今まで俺が居た場所の地面が縦に裂けた。一瞬遅れて、髪と外套(マント)が暴風に揺れる。

 風の刃。鎌鼬(かまいたち)とでもいうべき、鋭利な不可視の刃。視線で阿弥とムルル、フランシェスカ嬢とフェイロナが居る位置を確認する。取り敢えず、巻き込まないように注意しよう。まあ、フェイロナとフランシェスカ嬢は木の上だし、ムルルの傍には阿弥が居る。阿弥なら、この程度の魔術なら防げるだろうが。

 腰裏の鞘からダガーを一本抜き、そのまま投擲。あれだけ大きな(マト)なのだ、この距離なら集中してなくても簡単に狙える。

 だが、投げたダガーはグリフィンへ向かうも、その途中でありえない動きをしてグリフィンを避けて飛んでいってしまう。『矢除けの(まじな)い』。軽い投擲武器の一切を逸らす、風の結界。改めてその結界を目にし、頭では分かっていても舌打ちをしてしまう。まったくもって、面倒な結界だ。


「戻れっ」


 初めて見た時は驚いたが、効果や対抗方法が分かっていれば驚くに値しない。逸れたダガーが俺の声に反応して、今度はグリフィンの後ろから襲い掛かる。同時に、俺も再度正面からグリフィンへと向かう。

 ダガーは結界で逸らせると判断したのか、反転して襲い掛かるダガーを無視して俺を狙ってくるグリフィン。振り上げられた右前足を迎え撃つために、右手の剣を横薙ぎに払う。精霊銀(ミスリル)と爪がぶつかり、小さな火花が散った。

 だが、その直後に感じた衝撃は驚愕の一言に尽きる。右手が痺れ、衝撃を殺せずに後退してしまう。相変わらずの馬鹿力に舌打ちし、やはり『矢除けの呪い』によって逸らされたダガーが俺へ向かって飛んできた所を左手で掴む。後ろへ飛んで間合いを開け、右手に剣を、左手にダガーを持って構える。即席の二刀流だが、さてどうしたものか。

 魔術が使えたら色々と対抗できるのだが、剣だけでは限界がある。それは、今まで何度も感じた事だが、だからといって何か手段があるわけでもない。魔力も無ければ異世界補正(チート)も弱々しい。そんな俺には、正面から挑んだなら魔獣を傷つける事すら難しい。


『……どうする?』

「どうするかね」


 続いて放たれたであろう風の刃が地面を(えぐ)りながら俺へ向かってくる。刃を視認することは出来ないが、地面を抉っているので避ける事は難しくない。

 刃が通るであろう範囲から飛び退くように避け、もう一度突っ込んでグリフィンへ刃を向ける。ちょこまかと動く俺が目障(めざわ)りになったのか、グリフィンの攻撃が激しくなってくる。しかしそれは、攻撃が雑になる事と同一だ。

 前足、(くちばし)、翼、風の精霊魔術。それらの攻撃を逸らし、受け、避ける。

 困ったな、と。集中力を切らす事無く、内心で息を吐く。やはり、不意打ちでないと仕留めるのが難しい。僅かに息が上がるのを自覚して、

 そう考えていると、突然の衝撃に吹き飛ばされた。また地面を転がり、すぐさま視線を上空へ向ける。そこには、いまだ上空から俺を見下ろしているグリフィンが一匹。おそらく、アイツの魔術で吹き飛ばされたのだろう。転がる際に打ったのか、痛む頭を振りながら立ち上がる。


「フランシェスカ嬢は?」

『まだ木の上だ』


 ならいいか、と。そろそろ、働いてもらうとしよう。

 先ほどの攻撃で、二匹とも俺に意識が向いている。というよりも、今はもう俺しか見ていない状態のようだ。中々痛い目に遭わされたが、グリフィンの注意を集める事には成功したようだ。二匹のグリフィンへ交互に視線を向けながら、ゴブリンの死体で作られた山の方へ少しずつ移動する。

 このまま一匹なら、不意打ちで倒せるだろうとは思う。まあ、フランシェスカ嬢がグリフィンと戦う事は初めてだし、あのショートソードでグリフィンの心臓まで刃が届くのかと思うと少々不安になるが。さきほどのゴブリンとの戦いを見る限り、氷や岩を剣のように顕現させる魔術も使えるようだし、その辺りで対応してくれるだろうか。

 少し不安になるが、そんな事を考えていたらなにも出来ない。一つ息を吐いて腹を括る。そこは、フランシェスカ嬢を信じるとしよう。


「エルメンヒルデ。空に居る一匹は、フランシェスカ嬢が行動した後に阿弥達が倒すように言ってくれ」

『分かった』


 本当、こういう時はこいつの『声』が便利だ。グリフィンに人間の言葉が分かるとは思わないが、こちらの声に返事をしていたら何処に誰が居るかなど丸判りになってしまう。

 グリフィンを警戒しながら後退り、丁度エルメンヒルデの説明が終わった時に死体の山へ辿り着く。深呼吸を一度すると、吐き気がするほどに濃い血の匂いがした。気持ちを落ち着かせるための深呼吸だというのに、気分が悪くなってどうするのか。溜息を吐いて、緊張して強張っていた全身から力を抜く。


「それじゃあ、やるか」

『そうだな。まだ狩りは始まったばかりなのだから、急ぐとしよう』


 エルメンヒルデの声を聞きながら、今にも涎を垂らしそうなグリフィンへ剣を向ける。


「食えるもんなら食ってみやがれ。腹ぁ、壊しても知らねえぞ」


 まあ、その時は胃袋(内側)からぶち抜いてやる。

 小声で呟き、駆ける。そして、僅かに感じた風に予測を建て、スライディングのように地面を滑って放たれたであろう風の刃を避ける。確かに感じた暴風と、一瞬後に背後にあった木々に刻まれた横一文字の傷。その攻撃へ臆する事無く懐へ飛び込むと、右手の剣を一閃。続いて、懐から追い出そうと振り下ろされた右足を、刃を向けたダガーで受ける。

 俺一人の力では皮膚を突き破るのが難しくても、相手の力を利用すればそう難しくない。ダガーの刃がグリフィンの足を貫通し、左手に生暖かい感触。その直後、力任せに振り抜かれた右足に吹き飛ばされた。

 またかよ、という言葉が浮かんだのは一瞬。小石のように吹き飛ばされ、今日何度目になるか分からないが、地面を転がる。そして辿り着いたのは、丁度フランシェスカ嬢が控えている木の下だ。

 狙い通りと、痛みも忘れて口元を緩める。地面へ横になって死んだふりをしながら一瞬だけ上を確認すると、フランシェスカ嬢が不安そうな目で俺を見ていた。あと、スカートだったので色々と戦場に不釣り合いな物も見えてしまったような気がするが、そこは気にしない事にする。


「あー、(いて)え」

『よくもまあ。それだけ痛い目に遭うと分かっていて、囮など出来るものだ』 

「慣れだ、慣れ。慣れれば人間、何でもできるようになる」

『それでも、痛みを避けるのが人間だと思うが』


 それもそうだ、と。

 痛みを訴える身体に鞭打って、立ち上がる。まあ、意識ははっきりしているし、痛み激しくは無い。軽い打撲と裂傷といったところか。骨折はしていないはずだ。そのまま少し場所を移動する。丁度、そのまままっすぐ進んだら、グリフィンがフランシェスカ嬢の真下に来るように誘導する。

 そんな俺の動きを足掻(あが)きだとでも思ったのか、グリフィンが勢いよく突っ込んできた。体当たりか、それとも前足の爪で仕留めようとしているのか。迎え撃つように腰を落とし、武器を持つ両手に力を込め――。


「フランシェスカ嬢っ」

「はいっ」


 裂帛の声と共にフランシェスカ嬢が先ほどの俺と同じように、ショートソードを構えながら木の枝から飛び降りる。

 俺だけを見ていたグリフィンが反応できるはずも無く、何の抵抗も無くその背に飛び乗り、ショートソードを背に突き刺した。直後、激痛にグリフィンが激しく暴れ出す。馬が天へ(いなな)くように両の前足を暴れさせ、背に乗ったフランシェスカ嬢を振り落とそうとする。その反応から、刃が心臓まで届かなかったと判断する。

 グリフィンの背に乗るフランシェスカ嬢が悲鳴を上げた。


「動くな――」


 精霊銀(ミスリル)を持つ手に力を込める。まるで弓に(つが)えた矢を引くように構え――。

 

「――よっ!!」


 今度は邪魔される事無く、正面から心臓があるであろう箇所まで全力で打ち抜く。剣の(つば)まで胸へ突き刺さり、グリフィンの動きが止まった。

 瞬間、今度は動きの止まったグリフィンの後ろから気配。そこには、羽ばたきながら空から降りてくるもう一匹のグリフィンの姿。その姿を確認して、ポケットを軽く叩く。


「いいぞ」

『アヤ、やってくれ』


 直後、地面から伸びた数十本という草の根がグリフィンの後ろ足を捉えた。その根の一つ一つが俺の指ほどはあろうかというほど太く、突然の事に驚いて暴れるグリフィンでも引き千切る事が出来ないほど強靭なようだ。

 そして、空中で暴れるグリフィンをものともせず、鞭のように(しな)ったかと思うと木々を倒しながら横薙ぎに払われた。激しい音と共に木々へ叩き付けられ、その内の数本を薙ぎ倒した後に解放される。いくらグリフィンが強靭な肉体を持っているとはいえ、ああまで無茶苦茶をされては耐えられるものではない。根の拘束から解放された時には大きな翼が折れ、美しい体毛は血に汚れ、見るも無残な姿だ。

 しかしそれでも絶命しておらず、その状態でも立ち上がろうとしている。驚くべき体力だが――立ち上がるよりも早く、その頭上へ木の枝を経由して移動したフェイロナが頭部へ飛び乗り、長剣でその頭を串刺しにした。

 相変わらず、身軽なヤツだ。俺だとあそこまで身軽に動けないので、素直に感心するしかない。俺がやろうとしたら、頭から落ちてしまうだろう。そう考えながら、精霊銀(ミスリル)の剣をグリフィンの死体から抜く。血に濡れた刀身を外套(マント)の裾で拭いていると、フランシェスカ嬢が倒れ伏したグリフィンの背から降り、小走りにこちらへ来る。


「お怪我は大丈夫ですか!?」

「ん? ああ。これくらいいつもの事だ」

『……痛みに慣れるのは悪い事ではないと思うが、その言い方はどうかと思うぞ』


 何か変な事を言っただろうか?

 そう考えていると、もう一匹のグリフィンをあっさりと倒した阿弥とムルル、フェイロナが歩いてくる。まあ、ムルルは今回何もしていないが。


「上手く戦えたじゃないか」

「いきなりグリフィンの前へ出た時は驚いたぞ」

「すまんすまん。ま、こっちの意図を汲んでくれて助かったよ」


 歩いてきたフェイロナへそう返すと、深い溜息を吐かれてしまう。あそこでフェイロナや阿弥が前に出てきたら、フランシェスカ嬢へグリフィンを割り振る前に全滅させてしまっただろうから。その辺りの意図を口にせずともわかってくれたことに感謝して、フランシェスカ嬢へ向き直る。


「そうだ」

「はい?」

「右手を上げてくれ」


 こう、と見本のように手の平をフランシェスカ嬢へ向ける。すると、意味は分からないのだろうが、同じように手の平をこちらへ見せるように手を上げるフランシェスカ嬢。

 そして、ぱん、と音を立てて手の平を叩き合わせた。所謂(いわゆる)ハイタッチというヤツだ。


「わっ」


 フランシェスカ嬢が驚いた声を上げる。その反応が面白くてかか、と笑う。そんな俺を一度見て、次に自分の手の平を見て、もう一度俺へ視線を向けてくる。

 そんな俺達を見て、阿弥がくすくすと口元を隠して笑っていた。


「え、っと」

「物事が上手くいった時にやる……なんだろう。儀式?」

「そこまで堅苦しいものでもないと思いますけど」


 上手い言葉が思い浮かばずに疑問形になってしまった。そんな俺に、阿弥がツッコミを入れてくれる。


「私達の間で、よくやっている事なんです。物事が上手くいった時に。誰も欠けずに、こうやって無事に頑張った、って」


 そう言いながら、俺に向けて手の平を向けてくる。フランシェスカ嬢へしたように阿弥とハイタッチをすると、その笑顔が深まる。

 しかし、次の瞬間にはその視線が細められた。


「ただ、蓮司さんは相変わらず無茶ばかりだと思いますけど」

『本当にな。私が言っても聞かないから、アヤからもっと言ってやってくれ』

「なに。無理はしていないさ」

「蓮司さんにとっては無理じゃないのかもしれませんけど、無茶はどうかと思いますけどね」


 折角私が居るのに、という言葉は聞こえなかったことにしよう。面と向かって阿弥に頼るというのも、なんだか格好悪いというか。

 俺と阿弥が話していると、またパン、という音。視線を向けると、フランシェスカ嬢とムルルがハイタッチをしていた。二人とも笑顔で、見ている方も微笑ましい気持ちになれる、気持ちの良いハイタッチである。


「あ、でも」


 だが、すぐにフランシェスカ嬢の表情が曇ってしまった。


「どうした?」


 何かあっただろうか、と声を掛けるとムルルと一緒にこちらを向く。


「いえ、グリフィンを倒す事が出来ませんでしたので……」

「ああ」


 その事か、と。

 まあ、その剣では流石に無理があるだろう。俺としては魔術で剣のような物を作って攻撃してくれるかと考えていたが、アレはアレで悪くない。やるべき事はやったのだから。


「別に、気にしなくてもいいだろう。ちゃんと動けていたんだし」

「……そう、ですか?」

『私も、ちゃんと動けていたと思うぞ』

「ええ。木の枝から飛び降りれましたし」

「ほら」


 そこで安心したのか、胸を撫で下ろしていた。そうそう気にしながら戦う余裕も無いと思うがね。

 後グリフィンは二匹。それにプラスしてアークグリフィンが一匹の計三匹。


「俺は、冗談は言うが嘘を吐く趣味は無いんでね」

「そこは正直に、良くやったとか褒めたらいいのに」

「そういう真面目なのは苦手なんだよ」

「ふ。確かにそうだな」


 阿弥の呆れ声に、フェイロナが同調する。そんなに俺を苛めて楽しいのかね。硝子(ガラス)の心を傷だらけにして落ち込んでいると、ムルルが外套(マント)の裾を引っ張った。


「フラン、よくやった?」

「そうだな」


 ムルルの言葉へ正直に答えると、フランシェスカ嬢が胸の前で手を組む。嬉しいようだ。こういう反応が気恥ずかしいから、正直な事をあまり口にしたくないのだが。

 自分のことながら、天邪鬼というか、面倒臭い性格というか。

 俺の言葉にムルルも満足したようで、そう、と小さく呟いて笑顔を浮かべる。


『レンジはもう少し、素直になるべきだな』

「素直になった俺なんて、気持ち悪いだろう?」

『そうでもないが?』

「……お前は少し素直すぎると思うけどな」


 俺のボケへ素直に反応する相棒に溜息を吐く。そんな俺を見て、阿弥がまた小さくだが声に出して笑う。ムルルも、フランシェスカ嬢も、だ。

 まだ仕事の最中だというのに、呑気な事で。


「ほれ」

「……私もか?」


 そして最後に、フェイロナへも手の平を向ける。自分も言われるとは思っていなかったのか、どこかぶっきらぼうな言葉が返ってきた。普段冷静(クール)な印象が強いので、こういうのが恥ずかしいのかもしれない。

 その反応が楽しくて、その感情が顔に出たのかフェイロナが少しだけ眉を(しか)めた。


「まだグリフィンは残っているんだ。さっさとして、次に行くぞ」

「ああ……」


 その一言で観念したのか、フェイロナも右手を上げる。

 ぱん、という乾いた音がまた響いた。



 メルディオレの傍にある禿山は、岩肌が剥き出しの断崖絶壁という訳ではなく、頂上まで続く道はちゃんとあるし、舗装もされている。どちらかというと、日本の富士山のような山である。高さはそこまでないと思うが。

 ただ、周囲の景色とは真逆で、緑が一切無い。数年前までは緑が溢れる山だったらしいのだが、以前この山を住処にしていた魔神の眷属の影響で緑が無くなってしまったのだとか。俺達がこの世界に召喚された時にはもう緑が存在していなかったのだが、昔の姿を知る人達の話を聞く限り、この山はとても美しい場所だったそうだ。

 その話を思い出す度に、一度見てみたかったと思う。化学や機械が無いこの世界は、自然豊かで空気も綺麗。美しい世界だ。その美しい世界の中で、人が綺麗だったという場所。その綺麗な景色を見てみたいと思うのは、きっと俺だけではないだろう。

 砂利(じゃり)道を歩きながら、少し乱れた息を整えるように、首を軽く回す。


「ふう」


 さて、山というなら、ここはどれくらいの高さだろうか。一合目とか三合目とか、分かり易い区切りがあるわけでもない。おそらく三分の一程度は昇っただろうという認識だ。

 本当は、山登りをする予定は無かった。ゴブリンの死体を使ってグリフィンを誘き寄せ、不意を突いて討伐する。それが一番安全で、簡単な討伐方法だと俺は思っている。出来れば残りのグリフィンとアークグリフィンもそうやって討伐したかったのだが、どうにもそう簡単には終わらせてくれないらしい。

 あの後グリフィンを一匹討伐したが、後は待てど暮らせど現れやしない。ダグラムに頼んで人の通りを制限させたが、それも昼まで。そして今、空を見上げると、曇り空の中を昏く照らす太陽は中天へと差し掛かろうとしている。つまり、もうあまり時間が無いという事だ。

 焦ったらいい結果が出ないという事は分かっているが、時間が肥えれば要らぬ犠牲が出るかもしれない。

 なので、少し危険だがこちらからグリフィンの巣へ向かう事になったわけだ。いくらグリフィンが鳥型の魔獣とはいえ、あの巨体だ。剥き出しの崖や足場の悪い木の上に巣を作る事は無い。そんな事をすれば、自分の自重で落ちてしまう。

 巣を作る場所は拓けた場所で、外敵の接近が目で見える、それである程度平坦な地形。この山の地図は事前に調べており、頭の中に入っている。


「レンジ、まだ?」

「もう少しだ。なんだ、疲れたのか?」

「ううん」


 俺が聞き返すと、ムルルが首を横に振る。彼女が聞いて来たのは、自分が疲れたからではなく、フランシェスカ嬢に疲れが目立つからだろう。

 俺達から少し離れて歩いているフランシェスカ嬢へ視線を向ける。その傍には、阿弥が付いている。離れているが、その乱れた息がこちらまで聞こえてきそうだ。こういう山道は初めてだそうで、今までとは違う道に体力の消耗が激しいのだろう。


「どうした?」


 しばらく立ち止まってフランシェスカ嬢を待っていると、先行していたフェイロナが戻ってくる。こちらは息一つ乱す事無く、軽い足取りで剥き出しの岩肌を跳ぶように降りてきた。


「疲れたから休憩していた」

「……そうか」


 その視線が、俺ではなく遅れているフランシェスカ嬢へ向く。疲れたの意味を察したのだろうが、何も言ってこない。


「それで、どうだった?」

「ああ。レンジが言った通り、この先にある開けた場所に巣を作っていた」

「なら、そこに居るグリフィンを倒せば終わり?」

「そうだな。さっさと終わらせて、宿屋で寝よう」

「お腹空いた」

「……お前達は、相変わらずだな」

『はあ、集中しないか。……嘆かわしい』


 エルメンヒルデとフェイロナから、同時に呆れられてしまう。

 そうやって話していると、遅れていたフランシェスカ嬢がようやく追いついてくる。呼吸は乱れ、肩で息をしている状態。その額や頬に、汗で濡れた髪が張り付いている。


「大丈夫か?」

「は、い。まだまだ、大丈夫です」


 その強がりに口元を緩め、フランシェスカ嬢を支えるように歩いていた阿弥へ視線を向ける。

 こちらは困ったように苦笑すると、首を横に振った。おそらく、麓で待っているように言っても聞かないのだろう。


「それじゃあ、先に進むか」

「ああ。気付かれずに確認できる場所を見付けておいたから、案内しよう」

「頼む」


 きっとそれは、グリフィンを確認しながら休めるようにという気遣いからだろう。本当、良く周りを見ている奴だと思う。

 改めて、空を見上げる。雲が厚くなり、今すぐ天気が崩れそうでもないが、こちらもあまり時間が無いだろう。まあ、グリフィンと戦うとなると、雨の方が何かと便利なのだが。


「どうかしましたか?」


 どうやら立ち止まっていたようで、ぼう、としていた俺に阿弥が声を掛けてくる。


「いや。天気が崩れそうだなあ、と」

「そうですね。雨が降ってくれると楽ですけど」


 雨――というか、水滴で世界が満ちている状態というのは、風精霊(シルフ)の力を顕現させる精霊魔術にとって致命的だ。風の刃、『矢除けの(まじな)い』に代表される風の結界。それらはすべて、目で見る事が難しい。だが、雨が降っていれば、その不可視の風も視認する事が出来る。

 攻撃が見えるのと見えないのでは、戦う際の疲労がまったく違ってくる。ただ……。


「フランシェスカ嬢、もう少し頑張れよ」

「は、い」


 雨に濡れるという事は、身体が冷え、体力の消耗が激しくなる。

 フランシェスカ嬢だけではなく、フェイロナやムルルだって表面に出ていないだけで疲労は確かにある。勿論俺や阿弥にもだ。ふうむ、と顎に指を添えながら歩き出す。

 グリフィンの上位種、アークグリフィンとの戦闘は確かにいい経験だろうが、あまり無茶もさせられない。そうなった場合、見栄など変に考えずに阿弥へ任せた方が良いだろう。開幕一発目に、雷を落とす。比喩ではなく、現実にだ。

 それで終わるだろう。

 そう考えていると、フェイロナが見つけたというグリフィンの巣が確認できる場所へと到着した。


「少し休むぞ」

「え、でも……」

「もうすぐ昼時だ。ほら、水でも飲んで息を整えろ」


 腰に吊っていた水袋をフランシェスカ嬢へ渡し、背負っていた荷袋を地面へ落とす。中身は日持ちする食糧と傷薬や薬草である。量があるわけではないので、フェイロナとムルルに乾パンと干し肉を分ける。

 あまり美味しくないのを分かっているからかムルルが顔を(しか)めたが、どうしようもない。ここで料理をしようものなら、その匂いでグリフィンから気付かれかねない。阿弥にも食事を分けると、二人でグリフィンの状態を確認する。

 残りは二匹。一匹は先ほど討伐したグリフィンと同じこげ茶色の体毛に覆われた獅子の体と鷹の翼を持つ魔獣。

 そしてもう一匹。傍に居るグリフィンよりも二回りほど大きな体を持ち、こげ茶色ではなく黒ずんだ体毛、遠目ではあるが――。


(メス)か……」

「そうですね」


 その体の下には、黒い体毛とは真逆の白い……卵。人間の子供並に大きな卵が、草木で作られた巣の中央に鎮座している。

 なるほど、と。何度かムルルと一緒にアークグリフィンの姿を確認する為に外に出たが、見なかったわけだ。身ごもっていたのか、卵を温めていたのか。どちらにしろ、巣から離れられなかったのだ。

 だとすると、傍に居る最後のグリフィンは、(つがい)(オス)だろうか。


「気が滅入るね、まったく」


 息を深く吐いて、天を見上げながら呟く。先ほどよりも僅かに雲が厚くなったように感じる曇天(どんてん)は、まるで俺の感情を現しているかのようだ。

 これだけ何の感情も抱かず魔物を殺し、先ほども同種であるグリフィンを殺し、今更卵を温める母親の姿に動揺するか。

 そう苦笑する。馬鹿らしい。

 今から母親を殺すというのに、卵一つで動揺などしていられるか。


「阿弥、フランシェスカ嬢を連れてメルディオレに戻るか?」

「……戻りませんから」

「そうか」


 少し怒った声は、そんな事をいまさら聞いた俺が悪いからか。

 それはそうだ。その程度の覚悟が無くて、旅などしていられない。戦う覚悟とは、生きるという事は、命を奪うという事だ。その覚悟は阿弥にもあるはずなのに、そう聞いてしまう。

 きっとそれは、俺がまだ阿弥を子供扱いしてしまっているからだろう。


『レンジ』

「うん? どうした、エルメンヒルデ」

『……戦えるか?』


 逆に、俺が心配されて始末である。

 その声に苦笑を浮かべ、ポケットから金のメダル(エルメンヒルデ)を取り出す。


「なあに、それこそ今更だ」


 戦うさ。

 親指でメダルを弾くと、乾いた音と共にクルクルと回る。そして、落ちてきたそれを右手で掴んだ。

 出た目は、表。


「表だ。なんとかなるさ」



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