第十四話 グリフィンの王1
昨日、オ-バーラップ様のホームページにて、書籍の特設サイトがオープンしました。
何かそのテンションで書いています。w
太陽が顔を出す前の時間、薄暗い部屋の中で鞘から精霊銀の剣を抜き、ランプの明かりで刀身を照らして具合を確かめる。メルディオレでのんびりと過ごしている間も手入れを欠かしていなかったので問題は無いはずだが、やはり実戦を前にすると確かめたくなってしまうのはもう職業病にも近い癖なのだと思う。
多分俺は、剣が好きなのだろう。こうやって具合を確かめて、手入れをする。この時間は、とても心が落ち着くような気がする。
床に腰を下ろし、布を敷いて、その上に武器を広げる。ダガーやナイフも同様だ。その一つ一つを手に取り、刀身を真新しい布で拭き、刀身の汚れを落としていく。といっても、それほど汚れていないのですぐに終わってしまうのだが。ダガーを手に取り一振りすると、ひゅ、という鋭利な刃が空気を裂く音が耳に届く。心地良い、聞き慣れた音に満足して、ダガーを鞘へと納める。
竜骨のナイフはその名の通り、骨を削って作った武器なので刀身に粗が目立つが、刃の部分の切れ味は並の剣よりもはるかによく斬れる。試しに、研ぎ終わったナイフを爪へ押し当てると、抵抗無く爪の先を切る事が出来た。
そうやって一通り具合を確かめると、息を深く、長く、ゆっくりと吐いた。最後に精霊銀の剣を鞘へ納めようと手に取った時、部屋のドアがノックされた。
「入るぞ」
「ああ」
そう言って部屋へ入ってきたのはフェイロナだ。まだ朝の早い時間だというのに、その表情は眠気を感じさせる事無くしっかりとしている。
背には弓と矢筒、腰には長剣。その見慣れた姿に、心強さを感じてしまう。
「まだ出るには少し早い時間だが、準備はどうだ?」
「ああ。もうすぐ終わるよ」
「そうか」
フェイロナが武器を外して自分のベッドへ腰を下ろす。それを見届けて、ポケットからエルメンヒルデを取り出した。
金のメダルを右手に握り込むと、その手から淡い翡翠色の魔力が僅かに漏れる。そのまま、その光が形となり、一振りの長剣が手に握られる。刀身は銀を連想させる純白。それが、ランプの光を弾いて煌めいた。
解放されている制約は一つ。これからグリフィンという強敵と戦わなければならないというのに、なんとも心許ない事だ。この制約だけは俺の意思だけではどうしようもないのは今更だが、やはりいろいろと複雑な気持ちになってしまう。
『なんだ?』
「いや。相変わらず綺麗な刀身だな、と」
『ふふ。そうか』
俺が素直な感想を口にすると、エルメンヒルデが弾んだ声音を隠す事無く僅かに笑った。
ま、エルメンヒルデの機嫌が良くなるなら、それでいいかと思う事にする。
「そっちは、準備はどうだ。もう終わったのか?」
「ああ、問題無い。といっても、グリフィンを相手にするのは初めての事だからな。何が必要なのかよく分からないというのが現実だ」
エルメンヒルデの刀身から視線を逸らさずにフェイロナへ問いかけると、特に気負いのない声が返ってくる。その声からは、特に気負いのようなものは感じられない。ちゃんとリラックスできているようだ。
未知とまでは言わないが、初めて戦う強敵を前にしてこの落ち着きは流石だと感心する。
「気にし過ぎるな。お前の実力なら問題ないさ」
「お前にそう言われると、心強いよ」
「そりゃあ良かった」
そう口にして、エルメンヒルデの刀身をランプの明かりで照らす。歪みも揺らぎも無い直刃。真咲ちゃんが使う刀のように刃が鋭いという訳ではないのに、ゴブリンやオークを難なく斬り裂けるのだから不思議なものだ。
「レンジの方はどうだ?」
「いつも通り。戦うのが怖くて震えているよ」
「ふ。それは心強いな」
「勘弁してくれ」
そう応え、神剣から視線を逸らす。白の剣が、翡翠色の魔力となって霧散した。
「戦いの前にいつも通りで居られるという事は、お前らしいと思うよ」
「なんだ。緊張でもしていた方が良かったか?」
「まさか。お前が緊張などしたら、こっちの調子が狂う」
「酷い言いぐさだな」
くつ、と低く笑って立ち上がる。装備の点検に使った道具を片付け、コキ、と首を鳴らした。
「さて。フランシェスカ嬢はどうだ。ここ数日、一緒に行動していたみたいだが」
「楽しみにしているといい。ムルルと二人で、お前を驚かせるために頑張っていたぞ」
『ふふ。驚かせるため、か』
「そりゃあ、楽しみだ」
窓の外へ視線を向ける。もうすぐ、太陽が昇る。
そろそろ、阿弥達も起き出す頃だろう。朝食を摂って、フランシェスカ嬢と合流して。禿山近くの平原に陣取って、グリフィンを全滅させる。
本当は雄一郎にも力を貸してほしかったが、それはどうにも。アイツも女性と同棲を始めて、新しい道を歩き出している。その邪魔をするというのも野暮な話だろう。
まあ、アイツの性格なら気にしないと言ってくれそうだが。
アイツも、元々戦いが嫌いな性格だ。だからこそ、英雄の力に頼らない墓守という仕事を選んだのだろうし。こちらから頼めば応えてくれるかもしれないが、それはちょっと違うと思う。
騎士や冒険者は戦いを生業にしているので仕方がないのかもしれないが、力があるからという理由で無理矢理戦わせるのは――そう考えるのは、甘い考えなのだろう。そう分かっていても雄一郎に頼ろうと思わない辺り、俺もまだまだなのだと自覚する。危険を最小限に、そう考えるなら雄一郎に頼るべきなのだと理解しているのだから。
「なら、お手並み拝見といこうかね」
「あまり無茶をさせるなよ」
「分かっているさ。あんなに良い子をキズ物にしてしまったら、親父さんから殺される」
|レオンハルト《フランシェスカ嬢の親父》さんの姿を思い出す。商人というには体格も良く、冒険者といわれても遜色ない身体つきをしていた男性だ。力勝負になると、少々分が悪くなる事は容易に想像できる。
『それは、向こうがその条件でフランシェスカを送り出したのだから、気にする必要も無いだろう』
「そういう訳にもいかないさ。美人をキズ物にするのは、俺の趣味じゃあない」
『レンジの趣味など、どうでもいいのだがな』
「は、違いない」
それに、戦いは命懸けなのだ。怪我を負おうが、生き残るのが先決だ。そのくらい、俺も理解している。
冗談だ、と肩を竦めるとエルメンヒルデが重い重い溜息を吐いた。
そして一瞬の間の後、ドアのノック音。
「レンジ、フェイロナ。起きていますか?」
「おう」
そう応えると、一拍の間を置いてドアが開く。
現れたのはソルネアだ。すでに寝巻は着替えており、いつもの黒いワンピースのようなドレス姿。ただ、今はその肩に青い鳥が止まっている。
「起きたのか。まだ陽は昇っていないから、寝ていたらどうだ?」
「阿弥達が動き出しましたし、朝ですので」
「それもそうだな」
その返事にかか、と笑って自分のベッドへ腰を下ろす。そんな俺の行動を見て、ソルネアも部屋にある椅子へ腰を下ろした。
同時に、肩へ止まっていた小鳥が飛び上がり、今度は俺の肩に止まる。チチ、という鳴き声が耳元から聞こえ、口元を緩ませる。動物は可愛いね、本当に。
指先で頭を撫でてあげると、甘えるように体を摺り寄せてきた。
「どうした、ソルネア。今日は一緒に居る事は難しいと説明したはずだが」
「憶えています、フェイロナ。アヤ達が、食事へ行くそうです」
「呼びに来てくれたのか。ありがとう」
「いえ」
もうそんな時間か、と。伸びをしようとして、肩に小鳥が止まっている事を思い出して途中で止める。そんな中途半端な仕草をした俺を見て、フェイロナが口元を緩めて笑い、ベッドから立ち上がって装備を身に着ける。
俺が、小鳥を気にしながら立ち上がると、エルメンヒルデがわざとらしく溜息を吐いた。
『その小鳥も連れて行くのか?』
「まさか。ソルネア、コイツの面倒を頼むぞ」
「わかりました」
俺がそう言うと、ソルネアの肩へ移動する青い小鳥。宇多野さんの調教の賜物か、それとも使い魔となった事で頭が良くなったのか。俺達が居ない間、ソルネアの行動を見ていてもらう。人語を介する小鳥は、俺の意図を汲み取ってくれたようだ。
「さあて。久しぶりに仕事をするかね」
「本当にな。メルディオレへ来てからずっと、ギルドの仕事からは遠ざかっていたようだからな。今日は働いてもらうぞ」
『うむ。存分に扱き使うといい』
「……いや。ちゃんとグリフィンの数を数えたりしていたけどな」
さっそくやる気が無くなりそうな事を。肩を落としながら外套を纏うと、そんな俺を見てフェイロナが小さくだが声に出して笑う。どこまで冗談なのか、それとも本気なのか。
「あまり期待しないでくれよ。俺に出来る事は、そう多くないんだ」
「分かっているとも。私達がお前に頼むのは、お前が出来る事だけだ」
「どうだか」
口元を緩めて肩を竦めると、今度はエルメンヒルデが声に出して笑う。
大物を相手にする前だというのに、この会話には緊張感など欠片も無い。良い事だな、と思いながら部屋を出る。
「レンジ」
そんな俺へ、ソルネアが声を掛けた。
なんだろうかと思い振り返ると、珍しく……で正しいのかは判断に迷うが、ソルネアが心持ち神妙な顔をしていた。
「どうした?」
「大丈夫ですか?」
静かな声が、耳に届く。装備の点検をしていた間に傍に来たのか、ソルネアが興味深そうに武器を手にする俺を見ていた。
「どうした?」
「いえ。もうすぐ、戦いに赴くのだと聞きました」
その言葉を聞いて、それがどうかしたのかと首を傾げる。グリフィン討伐は以前から話していた事だし、相手が魔獣とはいえ生態も弱点も知っているので……まあ、大丈夫だろうとも説明している。
物事に絶対はないが、なるだけ安全に仕事が出来るように気を付けるつもりだ。
そう説明していたのだが、何か思う所があるのだろうか?
フェイロナへ視線を向けると、そんなソルネアの反応から何かを悟ったのか、廊下の壁に背を預けるようにして腕を組んでいる。どうやら、この会話が終わるまで待っているつもりのようだ。
「まだ、チェスを指していません」
「ん?」
最初、何を言われたのか分からなかった。
チェス、チェス、と。何度もその単語を頭の中で反芻すると、ようやくソルネアが何を言っているのか、その答えに思い至った。
昨日、今度チェスを指そうと話したのだが、まだ指していない事を言っているのだろう。
「そうだな。帰ってきてから指すから、それでいいか?」
「はい」
そう言うと、僅かに頷いて同意してくれる。我儘を言わない所は、本当に子供のようだ。
まあ、こんな大きな子供が居たら、それはそれで困るのだが。この歳で父親というのも似合わないだろう。子供達には、父親代わりのように接しているつもりだが。
「無事に戻ってきてください」
「お、おう」
そう言われたのは初めてなので、言葉に詰まってしまった。いや、王都の武闘大会に出る時に似たような事を言われた記憶はあるが、あの時は俺が勝って当たり前だとか、そんな風に言われていたはずだ。
心配の言葉に驚くという、ある意味失礼な反応にもやはり表情を変える事無く、ソルネアがじぃ、っと俺の目を見上げてくる。
コレは初めての行動だな、と。美人に見つめられてドギマギするより先に、その変化に驚いてしまう。その動揺を悟られないように、一つ咳払いをして深呼吸。露骨に気持ちを落ち着ける俺を、ソルネアがやはり感情の映らない瞳で見ている。
「分かった。ちゃんと戻ってくる……約束だ」
自然と、そう口にする事が出来た。いや、無意識に口にしてしまったというべきか。
昔の癖。
――約束する。絶対に果たすために。守る為に。生きて戻る為に。
相手がどれだけ強大で、強力で、圧倒的だとしても。約束したからと、約束を果たすためにと。意志を貫くために。
『いいのか?』
「ん?」
『約束は、簡単にはしないといっていなかったか? 守るのが難しいとか言い訳をして』
「いいんだ。一度口にした事は守る」
『そうか』
そう言って、歩き出す。
どことなくエルメンヒルデの声が明るく感じるのは、きっと気のせいではないだろう。
そんな俺を見て、フェイロナが緩んだ口元を隠す事もせず、隣に並ぶ。
「頼もしい事だな」
「あまり苛めるなよ。俺は、弱っちいただの人間なんだからな」
『またすぐ、そういう事を……』
「ま、適度に頑張るさ」
約束する。頑張る。それは、俺が今まで避けてきた言葉。
なんともむず痒いが――前に進むためには、避けては通れない道であり、言葉なのだ。
とまあ、難しい事を考えながら一階へ降りると、着替えを済ませた阿弥とムルル、そして朝早くから待機していたのであろうフランシェスカ嬢がテーブルについて談笑していた。
階段を降りてきた俺達に気付くと、僅かに緊張した面持ちで頭を下げてくる。そんな彼女の様子に、初めて会った時の事を思い出してしまい、小さく笑ってしまう。あの時より、フランシェスカ嬢は成長した。それは、一緒に旅をしてきた俺達にはよく分かっている。
そして、これから先も努力を怠らなければ成長できるという事も。
「おはよう、フランシェスカ嬢」
「おはようございます、レンジ様」
「どうした。待ち合わせは門だったはずだが、興奮して早く起きたのか?」
「……ふふ。そうかもしれません」
俺の言葉に何かを感じたのか、フランシェスカ嬢が緊張した面持ちを崩して笑顔を浮かべる。おそらくだが、俺と同じ事を考えているのだろう。
初めて会った時。フランシェスカ嬢を助けた次の日の事を。あの時も、フランシェスカ嬢はこうやって、早く起きていたなあ、と。その事を、思い出したのだ。
懐かしい、旅の思い出である。しかし、その事を知らない他の面々は、いきなり笑顔を浮かべたフランシェスカ嬢を不思議そうに見るだけである。まあ、聞くなりすれば教えそうだが。別段、秘密という訳でもないのだし。
「さて。それじゃあ、朝食を食べたら仕事に行くか」
「…………」
だが。そう言う俺を、隣の席に座るムルルが不思議そうに見上げてくる。今の言葉に何か変な所はあっただろうかと周囲を見渡すが、他の連中は特に反応を示していない。
「どうした?」
「なにかあった?」
はて。その言葉の意図が分からずに、しばらくムルルと見つめ合ってしまう。まあ、見つめ合うというほど色気がある構図でもないだろうが。
「別に、なんでもないさ」
「そう」
そして、俺がそう言うと特に気にしていないといった風に視線が逸らされる。
「変なヤツ」
「そうでもない。レンジは、分かり易い」
「お前は分かり難いけどな」
まあ、飯関係になると途端に分かり易くなるのはムルルらしいと言えるのか。
きっと、何かしらの変化を感じ取ったのだろう。獣人は、感情の機微にも敏感だ。けど、そこで深く聞いてこない所がムルルらしいとも思う。
それにしても――。
「お前に分かり易いと言われるのが、結構つらい」
「……それに、レンジは失礼」
「それはすまなかったな」
心にもない謝罪を口にすると、軽く脇腹を小突かれた。こういう関係も、親しいと言えるのだろうか。
・
魔獣と魔物の区別というのは、人間と獣人という関係に似ていると思う。
獣の俊敏さと強靭さを持つ魔物の上位種とでもいうべきか。ただ、獣人とは違って中には魔術――特に精霊の加護を強く受ける精霊魔術を得意とする個体が多い。今回戦うグリフィンもそうだ。
有翼の獅子。その爪は鋼をも簡単に裂き、馬よりも速く駆け、空を飛ぶ。そして、風精霊の加護を得ており、風系統の精霊魔術を使う。
正直な話、このイムネジア大陸で最も大きく強いオーガでさえ、グリフィンと比べると見劣りしてしまう。その理由とすると、まず一番に空を飛べるという点が上げられる。何せ、人間は空を飛べない。弓矢は風精霊の『矢除けの呪い』で逸らされるし、有翼の魔獣なのだから空を自由に動き回ることに長けている。単純な石礫や火の玉なども簡単に避けてしまう。
そんなグリフィンをどうやって討伐するか。
一つは数に頼って空から引き摺り下ろし、殺す。これは、ダグラム達が最初にグリフィン討伐の際に取った行動だ。数が揃えられればそれで良いし、変に手間もかからない。その分危険でもあるが。
そして、今日俺達が取る手段。それは、誘い出して罠に嵌めるというものだ。なので、罠に必要な餌を探しに林へ入ったのだが。
「ふう」
精霊銀の剣を鞘から抜き、林の茂みに隠れていたゴブリンと相対する。数は二匹。そのどちらにも、その手には手入れがまったくされていないというのがよく分かる、錆びに錆びて茶色く変色してしまったナイフが握られている。
「レンジ様」
「ああ」
ぶん、と剣を一振り。風を裂く音を警戒したのか、ゴブリンが全身に力を込めるのが手に取るように分かる。二対二。フランシェスカ嬢が、手に持つショートソードを自然体に構える。剣の長さは違うが、その構えは何処か俺に近いように感じる。
だらん、と。全身から力を抜いているが、相手の行動へ即座に反応できるように視線はゴブリンから逸らさない。
『警戒するほどの相手か?』
「ばあか。ゴブリン程度と油断して、怪我をしたら阿弥に笑われる」
『笑わないだろうが……まあ、呆れられるだろうな』
「だろう? 俺が今まで築き上げてきた山田蓮司像が崩れてしまう」
『そんなモノはとっくに崩れて、穴に埋められていると思うが』
違いない、と笑う。
「フランシェスカ嬢、左を頼む」
「ふふ。はい」
二人同時に、左右へ別れる。同時に、ゴブリンもまた俺とフランシェスカ嬢と向かい合うように二手へ別れた。
さて、と。こちらを警戒する事無く正面から向かってくるゴブリン、その手に握られたナイフが向かってくる勢いのまま振り下ろされる。それを剣の腹で叩いて逸らし、その衝撃でゴブリンの体勢を崩す。
どうしたものかとフランシェスカ嬢の方へ視線を向けると、向こうは数度ショートソードでナイフと打ち合った後、器用にナイフを弾き上げると同時に、がら空きになった胸へ魔術で作り出した氷柱の短剣を突き刺した。
器用なものだ。剣と魔術。見ている分には簡単に見えるが、いざ行うとなると、実行できる剣士や魔術師がどれだけ居るだろうか。体を動かしながら、頭では全く別の事を考える。少なくとも、俺には少々難しい。まあ、そもそも俺には魔術を使うための魔力が欠片も無いのだが。
そう思いながら、俺を狙うゴブリンのナイフを最小限の動きで避け、誘導する。振り下ろし、横薙ぎ。その単純な攻撃を避け、一本の木が背に当たる。俺の動きが止まったのを好機と思ったのか、その隙を狙ってゴブリンが俺へ向けてナイフを突き出してくる。その突き出されたナイフを精霊銀の剣を持つのとは逆の手で抜いた、竜骨のナイフで弾き上げる。
甲高い音を出して、錆びたナイフが宙を舞う。そして、一瞬の間に武器を無くしてしまったゴブリンが混乱したように手元へと視線を向けた。
そのゴブリンの腹へ前蹴りを見舞い、フランシェスカ嬢の方へと蹴り飛ばす。
「フランシェスカ嬢っ」
その名前を呼ぶ。俺の声に反応したフランシェスカ嬢がこちらへ視線を向け、慌てる事無く吹き飛んできたゴブリンへショートソードを突き刺した。小学生程度の大きさしかないゴブリンの胸から、ショートソードの切っ先が生える。数度激しく痙攣した後、その四肢から力が抜けた。
「随分、反応が早くなったな」
「そうですか?」
俺がそう言うと、嬉しそうに顔を綻ばせてゴブリンからショートソードを抜くフランシェスカ嬢。
表情は麗しいご令嬢のソレだが、行っているのは魔物の討伐である。そのギャップに、なんとも言えない気持ちになってしまうのは俺だけではないだろう。
笑顔なのは良いが、その手に血塗れの剣があるのが減点か。
「それにしても、どうしてグリフィン退治にゴブリンが必要なのですか?」
「餌だからな」
「でも、餌でしたらゴブリンよりも街でオークの肉を買った方が安全では?」
「街で買った肉だと金が掛かるし、新鮮じゃないからな」
フランシェスカ嬢の質問に答えながら、今しがた仕留めたゴブリンの首根っこを掴む。子供程度の大きさとはいえ、その重さは一匹三十キロ以上はある。両手に持てば、一人で六十キロ以上だ。
そのゴブリンを引き摺りながら、その場を後にする。そんな俺の後ろを、フランシェスカ嬢が慣れた仕草でショートソードを鞘へ納めて追い掛けてくる。
「その剣も、もう随分長く使っているな」
「そうですか?」
「結構ボロがきているんじゃないか?」
「それは、まあ。でも、ちゃんとお手入れをしていれば、まだまだ使えますよ」
そう言って、愛おしそうに鞘へ納められたショートソードの柄を撫でる。随分と愛着があるようだが、もう半年近くも使っているなら相当ボロが来ているのではないだろうか。
それでなくても、ここ最近はずっとフェイロナやムルルと一緒に特訓していたようだし。今は仕事中なのであれだが、後で一度見てみようかと思う。まあ、俺も素人に毛が生えた程度の器用さしかないので、それなりの手入れしかできないのだが。
どうせなら、工藤に見せるのもいいか。アイツはまだメルディオレの自宅に戻ってきていないが、どうせあの面倒臭がりの事なので、グリフィン騒動が終われば戻ってくるだろうと予想している。
おそらくだが、宇多野さん辺りから情報を聞いて、巻き込まれると判断してまだ戻ってきていないのだろう。アイツはそういう奴なのだ。俺の性格をよく理解しているとも言う。
『大切に使っているのだな』
「はい。宝物の一つですので」
「店売りの剣が宝物っていうのも、珍しいな」
「そうですね。でも、宝物は人それぞれだと思います」
『そうだな』
「はい」
なんだか、エルメンヒルデとフランシェスカ嬢が意気投合していた。武器と、武器を大切に扱っている物とで、色々と通じ合う所があったのだろう。
そう思う俺も、あまり人の事は言えないのだが。やはり、命を預ける相棒は大切に扱わなければと思うし、それはエルメンヒルデだけではなく精霊銀の剣やナイフ、ダガーも同じだ。
だが、大切に扱うのと、ガタが来た武器に縋るのは違う。そう説明したいのだが……どう口にしたものか。
「ま、今更武器の話をしてもどうしようもないか」
そう考えるが、結局問題を先送りにする。まあ、問題というほど大仰なものでもないが。
今すぐにどうにかなるような状態でも無かったように思うし。
「っと」
そうこう話しながら進んでいると、あっという間に林の入り口、阿弥達と別れた場所へ到着した。
そこには、すでにゴブリンを十体ほど仕留めた仲間たちの姿がある。こちらはまだ二匹しか仕留めていないというのに、早い事だ。その内の半分ほどは胸に大きな風穴が空いているが。
阿弥が魔術で吹っ飛ばしたのだろうが、何とも分かり易い。
「すまない。少し遅くなった」
「いや。こちらも今戻った所だ」
「そうか」
まるで待ち合わせをしていた恋人のような会話だな、と。この世界にそんなありきたりな会話が存在しているとは思わないので、俺の勝手な想像でしかないのだが。
そんな馬鹿な事を考えながら、両腕に持っていた二匹のゴブリンをその死体の山に重ねるように投げる。
「さて、と」
そう一息吐いて、首をコキコキと鳴らす。そして、両手の革手袋を外してナイフを抜く。
「少し気持ち悪い事をするから、フランシェスカ嬢は離れていた方が良いぞ」
「え?」
「ゴブリンを捌く。血の匂いで、グリフィンを呼ぶ」
言葉の続きを、ムルルが説明してくれる。その説明を聞いて、フランシェスカ嬢が一歩下がった。表情も、目に見えて引き攣っている。
気配には出していないが、フェイロナもあまりいい顔はしていない。
グリフィンは肉食で、風精霊の影響か嗅覚がとても鋭い。そんなグリフィンを呼ぶための最も簡単な方法は、血と肉の匂いである。それも新鮮な方が良い。美食家という訳でもないだろうが、店で買った肉よりもこうやって新鮮な死体の血肉を嗅ぎ分けれる程度の嗅覚を有しているのだ。
おかげで、こうやってゴブリンを数体集めるだけでも効果が望めるのだが。
そう説明しながら、ゴブリンの死体の傍へ膝をつく。
「え、っと。わっ、私もお手伝いを――」
「無理しなくていいぞ。ほら、阿弥と一緒に下がっていろ。フェイロナも、お前は木の上だ」
「そこから、弓で狙えばいいのか?」
「狙うのは血の匂いに寄ってきたゴブリンだけでいい。グリフィンに普通の矢は当たらない」
そう言って、視線をかなり離れた場所にある程良い大きさの岩に腰を下ろしている阿弥へ向ける。魔物を殺す事や傷付く事には慣れても、目の前で死体を捌くのには慣れていない阿弥はこういう時はすぐに離れてしまう。
別にそれを悪いとは思わない。人間誰にだって苦手なものはあるし、女の子が魔物の……しかも人型の死体を捌くのに慣れるというのもどうかと思う。
ムルルは、まあ。獣人だから、と。
エルフレイム大陸では自給自足が常だ。流石にゴブリンは骨と皮だけ、後は筋張った筋肉ばかりなので食べられたものではないが、オークの亜種やこういった魔獣は貴重な食料である。子供の頃から捌き方を教えている事を知っているので驚きは無い。
「私も手伝う?」
「いや。変に匂いがついても困るから、お前も離れていていいぞ」
「わかった」
そして、魔獣討伐の注意点。魔獣は鼻が良いので血の匂いが身体に滲み付くと気付かれてしまう。こればかりはどうしようもないので、グリフィンに気付かれたら俺がおとりになるしかない。ま、それはいつもの事だ。
昔からの戦い方。俺がおとりになって、仲間が隙を突く。危ない、怖い、死にたくないと毎回思っていたが、慣れるとこれが要領良く戦えるのだ。恐怖心だって、我慢をすればなんとかなる。
……恥ずかしい言い方をするなら。仲間を信じていれば、どんな状況だってどうにかなると思えるものだ。
そう思いながら、ゴブリンの腹をナイフで開いていく。死体を傷つけるのを禁忌と感じなくなったのは、いつからだろう。まあ、そんなものは魔物とはいえ命を奪う事へ慣れた時に、一緒に無くしてしまったのだろうと思う。戦うという事は、魔物を殺すという事は、そういう事でもあるのだろう。そうやって哲学的な事を考えながら、死体の腹を裂いて周囲に血の匂いをまき散らす。
これだけ匂えば、取り敢えず俺を識別するのは難しいだろう。最後に、腰に吊っていた水袋を傾けて手を洗うと、革手袋を嵌める。
『手馴れているな』
「もう何度目だ。嫌でも慣れるさ」
『ふむ』
「人間っていうのは、良くも悪くも慣れる生き物なのさ、エルメンヒルデ」
こういう場合に使うのが適切なのかは分からないが。しかし、これじゃあ猟奇殺人の事件現場だな。自分でしておいてなんだが、死体に毛布でも掛けたいところだ。そんな事をしようものなら、頑張って死体に手を加えた俺の努力が無駄になってしまうが。
これで準備万端。あとは、グリフィンがこの餌に食いついてくれるのを待つだけだ。
「フランシェスカ嬢」
離れた場所に集まっていた女性陣へ歩み寄ると、目的の人物に声を掛ける。
「俺達も木に上るぞ」
「は、はいっ」
『……今からそんなに緊張していて、大丈夫か?』
「だっ、大丈夫です」
そこまで緊張する必要は……まあ、初めての相手なのだから緊張するのも仕方がないのか。
阿弥とムルルは少し離れた個所の叢に身を潜め、フェイロナはそんな二人とゴブリンの死体を同時に視界へ納める事が出来る木の上で弓矢を構えている。
そして俺とフランシェスカ嬢は、ゴブリンの死体が転がっている場所の真上。大振りの木の枝へ乗りながら、グリフィンが来るのを待つ。
「臭くないか?」
「え?」
「血の匂い。さっきまで色々やっていたからな。臭かったら、少し離れるぞ」
「あ、いえっ。大丈夫です……そんなに匂いません」
そんなにという事は、ちゃんと匂っているという事だろう。優しいのか、正直なのか。そう思いながら、心持ちフランシェスカ嬢から離れる。
枝の上なのであまり離れることは出来ないが、これで少しはマシになるだろう。
逆にこっちは、すぐ傍にフランシェスカ嬢が居るというのに、血の匂いで鼻がバカになっているので何も感じない。なんとも悲しいものだ。
「それで、その。次はどうするのですか?」
「グリフィンがゴブリンの死体に釣られて真下に来たら、飛び降りて剣で刺す」
「……それだけですか?」
「それだけだ。やる事は、単純な事ほど強力なもんだ」
そう言いながら、鞘に納めている精霊銀の剣の柄を指で撫でる。
「魔物と魔獣。同じものは何だと思う?」
「同じもの、ですか?」
俺の質問を鸚鵡返しに聞き返してくる。聞き方が悪かっただろうか。
「心臓があって、頭で考える」
「あ」
「人間と同じだ。心臓か、頭を潰せば殺せる」
そして、真下にはゴブリンの死体。この位置から飛び降りたなら、心臓も頭も狙える。グリフィンにとって完全に死角なのだ、真上というのは。
いくら風精霊の加護があろうと、気付いた時には遅い距離。
『矢除けの呪い』も、矢のような軽いものなら逸らせるが、人間のように重い物は逸らせない。つまり、『呪い』は質量や重量がある物質は逸らせないという事だ。
その事を、グリフィンが来るまで暇なのでフランシェスカ嬢へ説明する。ちなみに、その間もフェイロナの矢によってゴブリンの死体がいくつか増えていたりする。
「……はあ」
「魔術にも弱点は多いからな。その辺りを考えるのも、結構面白いぞ」
「そこを思いつくレンジ様が凄いのだと思いますが」
「そうでもない。俺は、少し頭が柔らかいだけさ」
よく宇多野さんにも言われていた事だが。これは褒め言葉なのだろうか。
そう考えていると、視界の端に映っていたフェイロナが、視線を俺達の下にあるゴブリンの死体の山から逸らした。
俺も、フェイロナの視線を追う。そこには、こちらへ向かってくるグリフィンの姿。隣のフランシェスカ嬢が、息を呑む気配が伝わる。
「さて。仕事の時間だ、フランシェスカ嬢」
「はい」
小声でそう言うと、向こうも小声で返してくれる。
視線はグリフィンに釘付けで、驚かせないようにその無防備な肩を指で突く。
「緊張しすぎなくていいさ。失敗しても仲間が居るんだ。むしろ、失敗しても大丈夫だと思うくらいで丁度良い」
「……はい」
『珍しく、優しい言葉を』
そこまで珍しくないだろう、と。木の枝の上で器用に肩を竦める。
一呼吸の間を置いて、再度グリフィンへ視線を向ける。周囲を警戒しているのか、中々地面に降りてこない。
阿弥なら、これだけ近付いてくれたなら簡単に叩き落とせるのだろうが、フランシェスカ嬢ではそうはいかない。勿論、俺もだ。
まずは、餌を食べる為に地面に降りてもらう必要がある。それまで我慢だ、と。
どれだけの時間が過ぎただろうか。数分か、十数分か。それとももっと長くか、短くか。
ようやく警戒を解いたグリフィンが、翼をはためかせながら地面に降りる。こげ茶色の体毛に覆われており、翼も同色。頭部は白色で、嘴は黄色。体長は、大よそだが三メートル以上はある。翼長となると、六メートル近いのではないだろうか。
人よりもはるかに大柄な体躯でありながら、地面を歩く音はほとんどしない。それは自重が軽いのではなく、風精霊の加護で獲物に気付かれないように音を最小限にしているのだ。
「大きい……」
隣のフランシェスカ嬢が、小声で呟く。
「これが普通の大きさだ。もっと成長すると、一回りも二回りも大きくなるぞ」
「そんなにですか」
俺の言葉に息を呑む気配を感じながら、ゆっくりと精霊銀の剣を鞘から抜く。
『私を使わないのか?』
「どうせ、解放できる制約は一つか二つだろ。なら、こっちの方が使いやすい」
『むう』
相手がどれだけ強力であれ、俺が解放できる制約は条件が決まっているのだ。魔神の眷属でもなければ、危機感を覚えるほど強力な個体でもない。であれば、解放できる制約も自ずと分かってしまう。
三つも四つも解放できるならエルメンヒルデを使うが、そうでないなら精霊銀の剣が何かと便利だ。切れ味もエルメンヒルデに遜色しないし、危険も無い。こっちは折れても大丈夫だが、エルメンヒルデが折れては色々と問題が多い。というか、こんな状況でエルメンヒルデに無理をさせたくない。
「よく見ておけよ、フランシェスカ嬢」
グリフィンが、頭を下げてゴブリンの死体へ嘴を近付ける。その瞬間を見計らって、
「心臓は翼の付け根の真横、背中の中心だ」
そう口にして、木の枝から飛び降りる。グリフィンまで、大よそ三メートルという高さか。剣を両手に持って、体重のすべてを乗せるイメージで一気にグリフィンの背中を貫いた。
断末魔の声は長く、しかし致命の一撃という感触を確かに手へ感じた。
一瞬飛び上がろうともがいたが、心臓を貫かれた体では翼をはためかせる事も出来ず、一瞬後には地面に倒れ伏した。
「……抵抗されたらどうしようかと思った」
『情けない』
俺の呟きに、エルメンヒルデが心底から悲しそうな声を出す。しょうがないではないか。相手は俺の倍以上も大きいのだ。その爪で襲われれば、俺など簡単に引き裂かれてしまう。
こうやって万全の状態で誘き寄せても、怖いものは怖い。
そう思いながら、もう一度木に登る。フランシェスカ嬢がスカートなので上を向く事は自重して登り終えると、さっきと同じ木の枝に腰を下ろす。
「次は、フランシェスカ嬢だ」
「はいっ」
『気負う必要は無い。複数同時に来なければ、あまり警戒されないのだから』
「魔獣っていうのは強力な個体が多いが、その分頭があまり良くないからな」
結局、獣なのだ。本能で行動するので勘は鋭いが、食欲には勝てない。罠と分かっていても、目の前に餌が転がっているなら向かってしまう。
実際、エルメンヒルデが言ったように複数が同時に来ないなら、この罠は結構使える。まあ、グリフィンやそれに類する特定の魔獣にしか使えないが。
離れた場所に居る阿弥とムルルの方へ視線を向けると、向こうは安堵の息を吐いているのか肩を落としていた。
『それでは、次も一匹で来てくれることを願いながら待つか』
「……おい馬鹿。フラグを立てるな」
『なんだそれは?』
そうやって話していると、翼がはばたく音が耳に届いた。
視線を向けると、今度は二体のグリフィンがこちらへ向かってきている。弓に矢を番えた、フェイロナがこちらに視線を向けてくる。
二匹なのでどうするか、という事のようだ。取り敢えず行動しないように手で制して、どうするかな、と考える。
まあ、討伐するだけなら阿弥に頼めばそれで終わりなのだが。これから先、一緒に旅をするならフランシェスカ嬢にはたくさんの経験を積んでもらいたい。しかし、流石に二匹同時は危ういか。
いくつかの事を脳裏で考えて。
「それじゃあ、頑張るとするか」
「え?」
「俺がおとりになるから、フランシェスカ嬢はどうにかしてグリフィンの動きを止めてくれ」
「どうにか……ですか?」
「そ。どうにか、だ」
そう言って、何の躊躇いも無く地面へ降りる。ゴブリンの血の匂いは、洗った程度で完全にとれるものではない。なら、血の匂いがする俺がグリフィンの注意をひきつけるのが一番手っ取り早い。
あとは、気付かれていないフランシェスカ嬢と阿弥を信じよう。
昔からそうだった。その事を知っている阿弥は、俺の行動をどう思うだろうか。
おそらく、頭を抱えているのかもしれない。
地面に足を付けると、精霊銀の剣を鞘から抜いて右手に持つ。
『ところで、フラグとは何だ?』
「口にした事とは正反対の事が現実に起きるって事だ」
『どのような魔術だ、それは』
「ただの験担ぎだよ」
これは、少し意味が違うか?
そんな事を考える事が出来る程度には、余裕がある。その事に驚きながら、口元が緩むのを自覚する。
さて。
「来いよクソ鳥。恨みはないが、殺してやる」
宙を飛ぶグリフィンを睨みながら、躊躇いも恐怖も無く、そう口にした。




