第六話 神殺しとオーク
次の村に辿り着く頃には、陽が沈み始めていた。
予想以上に時間がかかったと思う。
最初の予定では、今日の朝には着く予定だったのだが、それよりも遅れてもうすぐ夜である。
隣を歩くフランシェスカ嬢が申し訳なさそうにこちらを見上げてくる。
何も言ってこないのは、おそらく自分の所為で旅の行程にズレが出ているから。
その事を、必要以上に悪く捉えているのだろう。
少し悲しそうな上目遣いを向けられると、男は何も言えなくなるというのに。
まぁ、最初から何か言うつもりもないのだが。
そんな事を考えながら、村の方へ視線を向ける。
人口は、多分五十人ほどだろう。木造の家が十軒ほど確認できる。
日が傾き始めて、村の男衆が畑から戻ってくるところのようで、旅人である俺達にチラチラと視線を向けてくる。
長閑な村なのだろう。落ち着いた雰囲気を感じられた。
そのまま二人で宿に行くと、部屋を二つ頼む事にする。
受付の主人から二部屋で良いのか、と聞かれたが気にしない事にする。
「部屋を二つと、今晩と明日の朝食を用意してくれ」
そう言って、カウンターに金貨を一枚出す。
片田舎の宿屋で金貨は珍しかったのか驚かれ、それでも差額分の銅貨を受け取る。
いつもならここで交渉する所だが、今回はフランシェスカ嬢も居るのでどうするか、と。
一瞬考えて、その一瞬で交渉の機会を失ってしまう。
『女に良い所を見せようとするからだ。溜息を吐くくらいなら、いつものように値切ればよかっただろうに』
ごもっともで。
溜息を一つ吐くと、宿屋の主人からも苦笑された。
ま、田舎で宿屋など開いているなら、こういう時に稼がなければならないのだろう。
料理に期待しよう、と諦める事にする。
こんなだから、いつも金欠なのだ、と何処からか声が聞こえた気がした。
取り敢えず、ポケットの中のメダルを軽く叩いておく。
「明日は一日休みにするから、ゆっくり休んでくれ」
「……いいんですか?」
先程とは違って、嬉しそうに上目遣いで見上げてくる美少女に頬が緩んでしまう。
娘が居たらこんな感じなのかもしれない。
『まるで変質者だな』
もう少し言い様は無かったのだろうか。
本気で傷付きそうになるんだが。
頬を引き攣らせてしまった俺を、不思議そうに小首を挙げて見上げてくる。
「ん。その足じゃ、ペースも落ちるだろうし」
「すみません」
「いや、謝らなくていい。むしろ、帰りたいとか言わないあたり、凄いと思うよ」
この宿は二階建てで、一階は食堂、二階部分が個室になっているようだ。
鍵のような物は無く、個室に内鍵があるだけなので、貴重品は自分で管理しなければならない。
魔術師なら扉に鍵を想像するだけで鍵を掛けられて便利なんだがなぁ、と。
「あの」
そんな事を考えながら二階の部屋に荷物を置きに行こうとすると、呼び止められた。
「ありがとうございます」
「気にしなくていいさ。旅はのんびり楽しむもんだ」
少なくとも、俺にとっての旅とはそう言うものだ。
目的も無く、この一年はダラダラと世界を回り、見聞を広めた。
そういう意味では、旅に目的を与えてくれたこの女性と出会えたのは運が良かったのかもしれない。
その目的を達成すれば報酬も貰えるし。
依頼は魔物討伐だ。この調子では、先はまだまだ長い。
期間はまだ余裕がある。急ぐ理由もないので、俺としては旅を楽しませてもらおうと思っている。
ポケットからメダルを取り出し、指で弾く。
乾いた音を立ててメダルがクルクルと回り、それを右手に握る。
「俺は旅が好きなんだ。だから、依頼を持ってきてくれたフランシェスカ嬢に感謝してる」
『旅好きの割には、立ち寄った村でグータラしてる気がするがな』
旅は好きだが、酒も好きだしグータラするのも好きなんだ。
そう心中で言い訳して階段を上る。
野宿は一晩だけだったが、やはり野宿では体力があまり回復しない。
後で酒場を冷やかしたら、さっさと寝ようと思う。
「ま、フランシェスカ嬢のペースで頑張ればいいさ。俺はそれに合わせるから」
「……はい」
何か思う所があったのか、その返事は少し重いような気がした。
が、何かあるなら言ってくるだろう、と部屋に向かう。
文句を言わないし、勝手な行動はしないし、俺の言う事は聞いてくれる。
俺としては、そこらの同業者よりも遣り易い相手だと言える。
魔物との戦闘経験を積ませれば、良い冒険者になれるだろう。
本人は魔術学院の生徒なので、将来は学者か似たような職業に就くかもしれないが。
その辺りは、俺が気にするような事でもない。
彼女の目的を達成する。それが俺の目的だ。
村の酒場は、先日まで拠点としていた村のソレよりも一回り小さかった。
まぁ、旅人もあまり居ない村では、酒場があっただけでもマシな方か。
そんな事を考えながらカウンターに座る。
店内には数人の男が居た。
店主と、その男たちの視線がこちらへ向く。
よそ者が珍しいのだろう。その視線を無視して、銅貨を三枚カウンターに置く。
本当ならばギルドに顔を出して依頼を確認するべきなんだろうが、明日は休みなんだ、それは後回しにした。
『だからといって、真っ先に来るところが酒場か……』
相棒の声に苦笑してしまう。
しょうがない、いつもの事だ。諦めろ。
「軽いヤツをくれ」
メニューを見る事無く、適当に注文する。
基本的に酒ならワインでもエールでもウィスキーでも飲めるので、大概のものは大丈夫なのだ。
……度が高すぎたら、次の日に動けなくなるが。
まぁ、銅貨三枚分の酒なら、そうそう酔わないと思うが。
偶に嫌がらせで物凄い度の酒を出してくる店もあるが、それはそれで楽しいものだ。
所謂旅の醍醐味というヤツである。
「旅人かね?」
木のコップに酒を注いで持ってきた店主が、そう声を掛けてくる。
つまみにはこの村で採れた新鮮な野菜と、軽く炙った何かの肉が出てくる。
おそらくオークか、野の獣か。
オークの肉は食用として安価で手に入る。
栄養価も高くて、ゴブリンなどと違ってその肉も金になる。
初級や中級の冒険者が挙って狩るので、市場にはいつも並ぶのだ。
軽い味付けだけして、焼くだけでも美味しく食べれるのも大きい。
魔物の肉だ、と敬遠する人もいるようだが、俺はそう気にしない。
昔は気にしていたが。
……人間は成長するのだ。好き嫌いをしていたら旅なんてしていられない。
オーク肉について考えながら、サラダと肉が乗った皿をまず受け取る。
夕食はフランシェスカ嬢と一緒に食べたが、酒に肴は必要である。うん。
そのフランシェスカ嬢は、疲れていたのか今は宿屋で眠っている。
明日はきっと、また筋肉痛だろう。明後日には治ってくれれば、と思う。
「ああ。今日来た。明後日には出ていくよ」
そう応え、コップを受け取る。
匂いからリンゴ酒だと判断する。
良い香りだ。どうやらこの村はアタリのようだ。
一口飲むと、程良い酸味と清々しい香りが口内に広がる。
「魔物退治は得意かね?」
「得意そうに見えるか?」
その質問に、質問で返す。
店主の表情は、一瞬こちらを探るように鋭くなり、次いで柔らかい微笑に変わる。
「とても見えんな」
「良い目をしてると思う」
そう肩を竦める。
そこらの魔物に後れを取るつもりは無いが、面倒事を避けたいと思うくらいの実力だと自負している。
まぁ、田舎の魔物なら、そう厄介なのは居ないだろうが。
『そこは否定してくれ……』
断る。面倒は嫌いなのだ。
危険な事など勘弁してほしい。
まぁ、そんな事を言いながら魔物討伐の依頼を受けているのだから、矛盾も甚だしいと自分でも思う。
エルメンヒルデの悲しそうな声を聞きながら、もう一口リンゴ酒を飲む。
「何かあったのか?」
「最近、森の方にオークが集まっているようでな」
「…………ふぅん」
どうやら、この旅は思ったよりも早く終わりそうである。
そんな事を考えながら、エールを飲み干す。
「詳しく聞かせてくれ」
そう言いながら、木のコップを差し出す。
「ここ最近、森にオークが住み着いてな。畑を荒らしよる」
「ま、オークらしいな」
新しく注がれるエールを見ながら、店主の言葉に返事をする。
オークの悪食は有名で、まず被害に遭うのは村の畑だ。
そこで抵抗に遭ったら住処を変えるか森の自然で食いつなぐのだが、この村にオークと戦えるような戦士は居ないのだろう。
そして、冒険者もあまり立ち寄りそうもない。
旅人と行商の商人が時折フラリと立ち寄るくらいではないだろうか。
オークの被害の事を王都へ伝えても、騎士が救援に来てくれるのは何時になる事か。
こういう辺境の村の援助も王都に在中する騎士団の仕事だが、基本的に動き出すのは何か月も経ってからだ。
騎士団の人員もそう多くないし、なにより金にならない。
何かをするには金がかかる。それは元の世界も異世界も変わりはしないという事だ。
中にはそれでも何とかしようとしている騎士も居るが、そう言う善人は市民からは好かれるが上司からは嫌われるものだ。
つまり、騎士団が動くのはまだまだ先だという事だ。
『驚くくらいに運が良いな』
「日頃の行いが良いからな」
木のコップを受け取り、半分ほどを一気に煽る。
「いくら出せる?」
「腕を売り込むにしては、少しばかり弱そうだな。見た目が」
ほっとけ。
『だから、髭はアレだけ綺麗に剃れと』
段々言う事が母親のようになってきているのは気の所為だろうか?
気の所為だと思いたい。
「仲間には魔術師が居る」
「あの嬢ちゃんは魔術師か」
店主の顔が、僅かばかり驚きに染まる。
流石に小さな村だと、旅人の情報はすぐに広まるか。
すでに俺とフランシェスカ嬢がパーティで行動している事は広まっているようだ。
まぁ、その程度なら驚くほどでもないが。
田舎の村は御近所付き合いが盛んだ。余所者の情報など、すぐに広まる。
「魔術都市の学生でな。学年主席だとよ」
「ほう、そりゃ凄い」
魔術都市の事は知っているようで、そこの学院の学年主席という肩書は信用に足るようだ。
もちろん嘘だが。
いや、聞いていないので嘘かどうかは判らないが。
それくらいの嘘は良いだろう。たぶん。もしかしたら本当かもしれないし。
『偶に、流れるように嘘を吐くな……』
「それで、どうだ。少しは信用できそうかね?」
その言葉を聞き流し、話を店主に振る。
情報を得るためだ、必要な嘘だと心中で言い訳をする。
大人とは汚いモノなのだ。
「そうだな。ダメ元で依頼してみるか」
「ヒドイ言い草だ」
そう笑うと、新しくリンゴ酒が用意される。
頼んでいないのに注いでくれた事から、どうやら店主の奢りらしい。
「森の奥の方にな、オークが三匹居る様なんだ」
「三匹か」
多いな、と口内で呟く。
まぁ、あいつ等は足が遅いからいくらでもやり様はあるが。
分断させるのも良いし、魔術師の魔術で遠距離から焼いても良い。
下手を打っても逃げて仕切り直せばいい。
色々と策も思い付く。
「しかも、そのうちの一匹がやたら強くてな。村の若い衆じゃ手を出せん」
「強い?」
「ああ。黒いオークだそうだ」
黒い?
思い付くのは指揮官だが、こんな田舎に現れるとは思えない。
アレは魔族が住む大陸に生息する存在だ。
イムネジア大陸には生息していない。そもそも、そんなバケモノならこんな村など最初の襲撃で破壊され尽くしている。
だとすると、何だろうか?
黒いオーク。突然変異の新種か、ただ黒いだけの普通のオークか。
「何か思い当たるかね?」
「さて、ね。取り敢えず、依頼を受けるかどうか悩んでいるよ」
ただのオークなら問題無い。
三匹相手でも、最悪逃げればいい。
アイツ等の足の遅さはよく知っている。
だが、黒いオーク。
少し気になった。
「取り敢えず、明後日にでも様子見に森へ潜らせてもらうさ。受けるかどうかはそれからという事で」
「うむ、それで構わん」
話を振ったが、そこまでは期待されていないようだ。
それもそうだろう。ただの通りすがりの冒険者だ。期待する方がどうかしてる。
しかも外見はそこらの村人と変わらない。
強者のオーラ的なモノを、俺が持っているとも思わない。
しがない神殺しでしかないのだから。
『そこは真正面から、神殺しの武器を使ってだな――』
「ま、死なない程度に頑張るさ」
そもそも、そんなオークがいるのに村が無事なのも気にかかる。
そんなに強いなら、畑を襲うなんて事をせず、村を襲ってほしい物を奪えばいい。
未知の敵との戦いは避けたいが、この旅の目的がオークなら、ここで狩っておきたい。
村を襲っているという事だ。報酬も期待できる。
フランシェスカ嬢からの報酬も合わせると、おそらく結構な額になるはずだ。
それだけあれば、暫くは旅費に困る事も無い。
何だかんだで、旅には金が掛かる。
先月ずっとのんびりしていたので、余計にそう思う。
それに、そろそろ少し真面目にしないとエルメンヒルデが怒りだしかねない。
『ふむ――戦い甲斐のありそうな相手のようだな』
神殺しの武器が嬉しそうな声音で言う。
だが、使うのは鉄のナイフである。
……流石に無理がありそうだな、と思わなくもない。
まぁ、森に罠を仕掛けるのも一つの案か。
その辺りも、偵察の時に決めようと思う。
「勝ち目が薄そうなら逃げさせてもらうが、そうなっても恨まんでくれよ?」
「安心しろ。報酬は討伐に成功してからだ」
「そりゃ安心だ」
つまり、報酬が欲しければ狩るしかない。
その代り、逃げたら何も得られない。
判り易くて、笑えてくる。
「なら、せめて前祝にもう一杯」
そう言うと、店主は苦笑して注いでくれる。
良い人だな、と思う。
『お前は相変わらず……明日起きれなくても知らないからな』
「明日は休みなんだ、とことん飲むさ」
そう言うと、木のコップに新しくリンゴ酒が注がれる。
それを眺めていると、自然と頬が緩んでしまう。
これも旅の醍醐味の一つだ、と俺は思う。
色んな村の、美味しいものを食べる。
オーク肉とサラダを食べながら、リンゴ酒を飲む。なんて贅沢だ。
『……はぁ、嘆かわしい。もっと節制した食生活をだな――』
エルメンヒルデのいつもの口癖を聞きながら、酒を飲む。
フランシェスカ嬢との旅ももうすぐ終わるかもしれない。
中々に寂しい気持ちになる。
あの胸との別れか。
エルメンヒルデに気付かれたら怒鳴られそうな事を考えながら、夜は更けていった。