第十二話 狩りと試験
カツ、カツ、という乾いた音が耳に届く。その音を心地良く感じながら、椅子の背凭れに体重を預けて手に持つ手紙を読み進めていく。
差出人は宇多野さんで、内容はグリフィン討伐における報酬である。あと、近況を手紙に書いて寄越せ、とも。
俺が手紙を書くような性格ではないと分かっているのだろうが、それでも心配なのだそうだ。流石に、そこまで書かれると書かないわけにはいかないか、と苦笑する。
さて、手紙には何と書こうか。商業都市へ来て今日までの事を思い出しながら、便箋を綺麗に折りたたむ。これでも、物持ちは良い方なのだ。
伸びをすると、座っていた椅子の背凭れがギ、と鳴った。
「何が書いてあったんですか?」
男性部屋でソルネアとチェスを指していた阿弥が聞いてくる。その対面に座るソルネアも、阿弥の声に反応してかこちらへ視線を向けていた。
フェイロナとムルルはフランシェスカ嬢を連れて、近所へ仕事をしに。俺達はチェスを指したりのんびりしたり。何とも平和な一日である。それも、どうやら今日までのようだが。
ベッドの縁で羽を休めている宇多野さんの使い魔――青い小鳥をぼんやりと眺めながら小さく息を吐く。
ちなみに、宇多野さんはこの青い小鳥をとても可愛がっている。見付けるのは、とても苦労したものだ。この世界は弱肉強食。こんな何の力も無い小鳥など、魔物達にとって恰好の獲物でしかないのだ。俺達の世界では普通に飛んでいる鳥というのは、この世界では絶滅危惧種とまではいわなくても、その総数がかなり少ないと思う。
そんな彼女が使い魔を作る際に青い小鳥に拘ったのは、幸せを運んでくれるとかなんとか。どこかで聞いた話だが、彼女はそういうのを大切に想っているそうだ。その小鳥を指で撫でると、チチ、と可愛らしく鳴いた。
「勝負はついたのか?」
「いえ。まだです」
「そうか。なら、終わってから話すよ」
応えたのはソルネア。俺の返事を聞くと、視線はすぐに盤面へと向いた。対する阿弥は、手紙の内容が気になるようで、しばらくこちらを見ていた後、盤面へと向き直る。
同じ黒髪、美人と言える容姿、高い身長。二人にあるいくつかの共通点を考えると、姉妹のように見えなくもない。姉はソルネアだが。身体つき的な意味で。
また、カツ、カツと乾いた音が部屋に響く。
開けた窓から街の喧騒が聞こえ、冷たい風が流れ込んで服を揺らす。遠くに見える禿山は、今はグリフィンの巣となってしまっているので、時折視界に映る黒い点はおそらくグリフィンだろう。今日も獲物探しに熱心な事だ。
そんな事を考えながら、手紙の内容を反芻する。
律儀に日本語で書かれた手紙。俺達なら簡単に読めるが、この世界の住人には読む事も意味を理解する事も不可能な文字である。召喚された当初は不便で仕方がなかった日本語も、今では俺達の間でしか使えない暗号となっている。
ポケットからエルメンヒルデを取り出すと、ピン、と指で弾く。陽光を弾きながらクルクルと回るメダルを握り、手を開く。
出た目は裏だ。
「はあ」
『どうした?』
「いんや。出目が裏だと嫌な予感しかしないんだよ」
『いつもの事だろう』
どうしてそこで楽しそうなのかね、お前は。
グリフィンの討伐。それ自体に別段問題は無い。グリフィンどころか、あれ以上に厄介な魔獣や竜だって相手にした経験があるのだ。今更グリフィン程度でと思う気持ちがある。
倒し方が分かっているのだ。空を飛んでいるなら雷を落とせばいいし、それが難しいなら餌で釣って地面へ下ろしてから、あの翼を斬ればいい。いくら風精霊の加護があろうと、翼が無ければ飛べはしない。そうなれば、図体がでかくて魔術が使えるだけの、ただの獣だ。
……魔術が使えるというだけで、ただの獣とはまったくの別物だが。
「何か不安な事でも?」
「ん?」
考え込んでいたのを気付かれたのか、盤面から視線を逸らした阿弥がこちらを見ていた。どうやら、今はソルネアが駒を動かす番のようだ。
「何が?」
「蓮司さん。何か不安な事があると、いつもエルを弾いていますから」
「……そうか?」
そう嘯きながら、メダルをポケットに入れる。癖、なのだろうか。自分では気付いていなかったが。けど、確かに。何かあると、俺はメダルを弾いて良し悪しを計っていたような気がする。
「さて。これから忙しくなるぞ、エルメンヒルデ」
『そうだな。楽しみな事だ』
「勘弁してくれ。命を天秤に乗せるような趣味は無いぞ」
いつもの言葉を呟きながら、小鳥を撫でる。
これからどうするか。グリフィン討伐の報酬、その相場というものは分からない。だが、王国――宇多野さんから提示された額は相当だ。これだけの額なら、一緒に戦ってくれる冒険者はすぐに集まるだろう。その辺りはダグラムに任せるとして、俺達は討伐の準備を進めるべきか。
フランシェスカ嬢の試験の事もあるし、アークグリフィンという強敵も存在する。どれだけ用意周到に構えても、やりすぎるという事は無いだろう。
そのフランシェスカ嬢の試験だが、彼女達はどうにも難しく考えすぎているような気がしないでもない。こちらとしては足手纏いにならない……もとい、自分の身は自分で守れるという所を見れればいいと思っている。結局、彼女は冒険者になってまだ半年程度なのだ。それだけで、フェイロナやムルルのように動けるだなんて思っていない。勿論、阿弥と同等の魔術を使えるとも。
こちらの言う事を聞いてくれるか、強敵が相手でも臆せず動けるか、そして咄嗟の機転が利くか。知識や経験というものは後からついてくるものなのだ。一週間や二週間頑張ったからといって、それほど伸びるものでもない。彼女の魔力でグリフィンを打倒する事は難しく、そうなると必要になってくるのは行為力の攻撃魔術ではなく、相手を封じ込める束縛系。さて、その事に気付いているだろうか。
そう思っても、助言もせずに任せっきりにしている辺り、俺も人が悪いのだろうが。お蔭で、最近はムルルとの会話が減っているような気がする。暗に、助言をしろと言われているのだと理解しているが。
まあ、努力する事は悪い事じゃない。フェイロナも居るし、無茶はしないだろう。
『いつもそれだな』
「まだまだ死にたくないからな」
エルメンヒルデの声に、軽く答える。それは本音で、きっとこれからも偽る事無く口にするだろう。死にたくない。それが、俺の原点なのだから。
そんな心からの言葉を聞いた阿弥が、駒を動かしながらクスクスと笑った。そんな阿弥を、ソルネアが怪訝そうな顔で見ているのが印象的だ。
「もう。縁起でもないですよ?」
「ん。すまんすまん」
阿弥に謝ると、チェック、という声。どうやら、盤面の戦いは終局に向かっているようだ。それとも、今までソルネアに合わせて打っていた阿弥が本気を出したのか。
フェイロナやムルル、ソルネア達もこの街での生活に慣れはじめ、フランシェスカ嬢の周辺も色々と落ち着き、グリフィンの影響で魔物達からの被害も減少している。脅威がすぐ傍にあるというのに、俺達の生活は今まで一緒に旅をしてきた中で一番の平穏に満ち満ちていると言えるのかもしれない。
そうやって過ごした二週間。しかし、どうやらその平和も、そろそろ終わりのようだ。
「もう少しのんびりしていたかったな」
『ふん。この旅の目的を理解しているのか?』
「理解しているさ」
『どうだか』
どうにも手厳しくいってくるのは、ここ数日程ほとんど働いていないからだろう。つまり、偶の休日だからとダラダラしすぎたのが原因だ。相棒のそんな声に肩を竦める事で応えながら、視線を窓の外へ向ける。
憎らしいほどの快晴だが、僅かばかり風が湿っているようにも感じる。もしかしたら、昼か夜には雨が降るかもしれない。
「参りました」
「はい。ソルネアさんも、随分強くなりましたね」
「アヤには一度も勝てた事がありませんが?」
「そう簡単に勝たせませんよ。勝利は、自分の努力で勝ち取らないと」
「なるほど」
そう言いながらチェスの駒を片付け始める二人。手持無沙汰な俺は、幸せの青い小鳥を愛でる事にする。
眼前に指を出すと、その指に乗る仕草が可愛らしい。宇多野さんが制御しているのか、それとも鳥としての意識を持っているのか。使い魔の事はよく分からないが、こうしてみると人懐っこい小鳥でしかない。
その使い魔を指で撫でる。
『そういえば、阿弥は使い魔を持たないのか?』
「ええ。使い魔とはいえ、一つの命ですし。私、動物の世話とか苦手ですから」
「そうなのか?」
「小鳥とか子猫は可愛いと思いますけど、やっぱり少し……」
「犬は?」
「昔、吠えられた事が」
なるほど、と。だから動物が苦手なのか。犬にほえられて動物全般が苦手になってしまった、という事なのだろう。
その事が恥ずかしいようで、その横顔には僅かな羞恥の感情が浮かんでいるように見える。
「それに、一番の問題なのですけど。人に限らず、何かを自分の意思で操るというのに抵抗が……」
『そうか』
「そうだな。その方が良い、うん」
そう言われると、何も返せなくなってしまう。
きっと、阿弥の魔力なら操れない者など……それこそ、神か神の眷属以外なら操れるのではないだろうか。まあ、契約術を詳しく知らないのでよく分からないが。
だが、阿弥の反応から、きっと俺の考えはそう外れていないのだと思う。そして、そんな阿弥がそう思っている事は、とても喜ばしい事だと思う。
「さて。それで、宇多野さんは何と?」
チェスの道具を片付け終わった阿弥が聞いてくる。その表情は、先ほどまでのんびりとした時間を楽しんでいた少女の顔ではない。
雰囲気が、僅かに変わる。
「さっさとグリフィンを片付けろ、ってさ」
「そうですか」
俺と阿弥の反応は似たようなもので、あまり驚きは無い。商業都市はその名の通り、商業……というよりも、交易の要だ。唯一エルフレイム大陸との航路があり、このイムネジア大陸からの輸出品と、エルフレイム大陸からの輸入品が集まる場所。
そして何より、人間、亜人、獣人が集まる都市だ。そんな場所で事が起きれば、両大陸間での要らぬ問題になりかねない。なので、さっさと片付けろという事だ。
なんとも簡単に言ってくれるものだと思う。
「ふふ」
「ん?」
「いえ――」
「どうしてレンジが笑うのですか?」
一瞬、ソルネアが何を言っているのか分からなかった。笑っているのは阿弥ではないかと反論しかけて、場の雰囲気で俺も笑っていたのだと理解する。
そのソルネアの指摘に、小鳥を乗せている手とは逆の手で顎を撫でる。
「笑っていたか?」
「はい」
『ああ。どうやら、随分やる気があるようだな』
「……そうじゃないけどな」
やる気があるというよりも、こうやって指示をもらうと気が楽なだけだ。それがどれだけ理不尽で危険な事でも、やる事がはっきりしているというのは分かり易い。
それがヤル気に直結しているかというと、そうでもないと思うが。現に、やはり戦いは好きにはなれないし、自分から進んで行おうとも思わない。怪我をするのは嫌だし、痛いのは勘弁だ。危険は避けたいと思う。
でも、やれと言われたらやる。こういうのは、根っからの下っ端根性とでもなるのだろうか。
「それじゃあ、私はフェイロナさん達を呼んできますね」
「ああ、頼む。俺はギルドの方に居るから」
「分かりました」
そう言って部屋から出て行く阿弥。この辺り、行動が早いのは流石だと思う。やるべき事を口にしなくても分かってくれるというか、なんというか。
グリフィンの討伐。流石に今からすぐというのは無理があるので、宇多野さんから送られてきた手紙の内容を皆に伝えて、その準備をして、早くても明日か明後日か。
フェイロナ達はギルドの依頼を受けて仕事をしているはずだから、戻ってくるまでまだ時間がある。その間に、ダグラム辺りに討伐の準備を手伝わせよう。
「レンジ」
「どうした、ソルネア」
考え込んでいると、部屋に残っていたソルネアが声を掛けてくる。
阿弥が出て行ったのに動かない俺を不審に思ったのかもしれない。
「俺ももうすぐ出るけど、お前はどうする?」
「着いていきます」
「分かった」
『……即答するのだな』
エルメンヒルデが、どこか俺の内心を探るような、疑わしげな声を出す。
俺が、何か邪な事でも考えていると思っているのだろうか。
「ソルネアがそうしたいと思うのなら、俺は可能な限り叶えてやるだけさ」
『ふうん』
「何を拗ねているんだ、お前は?」
『拗ねていない。レンジがそんなに素直だというのが疑わしいだけだ』
「なんて相棒だ、まったく」
旅支度……戦いの準備をするために立ち上がる。といっても、外套を羽織って、その下に投擲用のダガーを隠し、竜骨のナイフをベルトに差す。最後に精霊銀の剣を腰に吊るだけだが。
「さて、お前はどうするかね」
続いて、今はベッドの上で羽を休めている小鳥へ視線を向ける。すると、俺の言葉が分かったのか、軽く飛んで俺の肩に止まる。
ドラマとかだと、確かにこういう場面がよくあったように思うが、現実には鳥というのはかなり警戒心が強い。こうやって人の肩に止まるというのは、かなり人間に慣れている証拠か。
まあ、宇多野さんの使い魔だからと言えばそれまでだが。それでも、嬉しい気持ちになってしまう。
「よし、一緒に行くか」
『……人の喧騒に驚いて飛んでいっても知らないからな』
「その時は、宇多野さんの元に帰るだけだろ」
『それもそうか』
後は、財布代わりの布袋を手に取り、部屋を少し片付ける。
「そういえば」
支度をしながら、視線をただぼんやりとこちらを見ているソルネアへ向ける。
「チェスはどうだ。楽しいか?」
「よく分かりません」
「随分と曖昧だな」
「そうでしょうか」
椅子に座り、その細い両腕で抱えるように持つのはチェスの道具が詰まった革袋。道具を買ってやってからずっと、ソルネアはまるで宝物のように道具一式を扱ってくれている……と思う。
少なくとも、これほど大事そうに物を持つ彼女の姿を俺は他に知らない。
「阿弥も褒めていたじゃないか」
「はあ」
俺が言っている事が分からないとでもいうように、曖昧な声がその艶やかな唇から洩れる。
こうやってメルディオレで生活して少しは変わったかというと、実はそう変わっていないと俺は思う。相変わらず表情は読み辛いし、口にする言葉は短いし、何かを欲しいと言ってこない。精々が、興味深い事を聞いてくるようになったくらいか。それも、フェイロナ達の前ではあまり聞かないのだそうだ。
今日だって、チェスを指したいと口にしたわけではなく、手持無沙汰というか何かを言いたそうな顔をしたソルネアを、阿弥が気を利かせて誘ったというのが現実である。この調子でいいのだろうかと僅かに不安になるが、特別良い案が思い浮かぶわけでもない。
エルはどうだっただろうか。
最近は、よくそのような事を考える。考えて……記憶の細部を思い出せない事に落ち込むのだが。記憶とは過去だ。人は、過去を置いて未来に進むと言っていたのは誰だったか。ネットで見たのか、本で読んだのか、友人か家族でも言っていたのか。エルの事を思い出そうとして、その単語ばかりが思い浮かぶ時がある。
それは酷く悲しくて、でも思ったほど落ち込まなくて。やはりそれもまた悲しくて。人は、こうやって過去と折り合いをつけていくのだろうか。我が事ながら、なんとも他人事のように感じているが。
「そうなのですか?」
「ん?」
「私は褒められたのですか?」
「ああ。褒められていたよ」
またそうやって考え込んでいると、そのソルネアの声で現実に引き戻された。
そして、その物言いに苦笑してしまう。
こうやって人の好意に気付かないまま首を傾げる姿は、容姿が整っている事もあり、ギャップを感じさせる可愛さがある。これから先、色々な事に興味を持って、会話を重ね、感情を理解して。そうなった時、ソルネアはどう変わるのだろうか。
それとも、変わらないのか。
「お前はもう少し、自分がやりたい事を口にした方が良いぞ」
「そうですか?」
「ああ。その方が俺は助かる」
「わかりました」
装備の点検をして部屋を出ると、その後ろをソルネアが付いてくる。チェスの道具が入った袋は相変わらず胸に抱えられており、その事に少し笑ってしまう。
「置いてこい。落として壊しても知らないぞ」
「はい」
そう素直に返事をして、そのまま女性部屋へ入っていく。
「まるで、素直な子供だな」
『あんなに大きな子供が欲しいのか?』
「まさか」
冒険者が子供を作っても、きっと子供が不幸になるだけだ。作るなら、冒険者を止めてからだろう。
宿屋の壁に背を預け、腕を組む。
「今でも、子供の子守りで手一杯なんだ。これ以上子供が増えちゃあ、敵わん」
『阿弥に聞かれると、雷が落ちるぞ』
「別に、子供が誰かだなんて口にしていないけどな」
『む』
普通、まず最初に浮かぶのはムルルなのではないだろうか。まあ、エルメンヒルデの中では、阿弥はまだまだ子供という事なのだろう。
「お待たせしました」
「いや。それじゃあ行くか」
部屋から出てきたソルネアを伴って宿屋の一階へ向かう――と、外套に違和感。振り返ると、相変わらず感情の乏しい表情を浮かべたソルネアが俺の外套の端を掴んでいた。
ここで、指で摘まむような持ち方なら可愛いのだが、本気で握り込んでいる所がソルネアらしい。
「どうした?」
「レンジ、後でチェスを指しませんか?」
「は?」
いきなりの発言に面喰い、まともな返事を返せなかった。
「……どうしてそうなる?」
「先ほど。私のやりたい事を、と」
『なるほど』
「なるほど、じゃねえよ」
ズボンの上から、訳の分からない事を言い出した相棒を軽く叩く。
今更俺とチェスを指しても、なあ。俺の技術など、阿弥はおろか、フェイロナにも及ばないのだが。ソルネアに勝てるのかと聞かれると、分からない。分からないが、正直自身が無い。
「俺よりも、阿弥とかフェイロナの方が強いだろう?」
「私がチェスを指すのに、強い弱いは関係無いのですが」
「そうなのか?」
「はい」
よく分からない。ならなんで、チェスを指しているのか……まあ、楽しいからというのが理由なのかもしれないが。
そこに、相手の強い弱いというのはどうでもいい事なのだろう。
「まあ、俺でいいなら」
「そうですか」
『もう、レンジでは勝つのは難しいのではないか?』
「かもなあ。ま、それでもいいなら今度一緒にチェスを指すか」
「よろしくお願いします」
だがまあ。しばらくは忙しいので、チェスを指すのは少し後になってしまうだろうが。
「忙しいから結構後になるけど、いいか?」
「構いません」
「そうか。それじゃ、ギルドに行くか」
そう言って歩き出す。今度は外套を引かれる事は無い。
宿屋を出てギルドの前へ到着すると、両開きのスイングドアを押し開く。すると、冒険者達の喧騒が耳を叩いた。グリフィンの脅威が傍にあるとはいえ、冒険者の仕事が無くなるわけではない。
確かにゴブリンやハーピー、魔物の被害は減っているが、冒険者の仕事は魔物討伐だけではなく商人の護衛や薬草、魔術や錬金術に使う素材集め等もある。実入りは減るが、そういう細かな仕事を頑張っているのだろう。
数人の冒険者が、ギルドの建物へ入ってきた俺に視線を向ける。そのうちの何人か、見知った顔は俺に声を掛けたり、片手を上げたりして挨拶をしてくれる。そう言う人達には挨拶を返すが、俺ではなく俺の後ろへ向けられている視線もいくつかある。それは、俺ではなくソルネアへ向けられている視線だ。こんなどこにでも居るような男よりも、見目麗しい女性を見て目の保養にしているのだろう。
「おい、ダグラム」
「やっと来たか、レンジ。お前の事だから、朝一番で来るかと思っていたぞ」
「あん?」
『ふむ。何かあったのか?』
ギルドの受付で暇そうにしていたダグラムを見付けて声を掛けると、いきなりそう言われてしまう。
訳が分からずに首を傾げると、ダグラムも同じように首を傾げた。
「なんだ。グリフィン討伐の仕事を受けに来たんじゃないのか?」
「それはそうだが、なんで朝一番なんだ?」
「そりゃあ、お前。昨日の夜に、王都からの伝令が届いたからな」
「……そうなのか?」
「知らなかったのか?」
「ああ。王都の知り合い……宇多野さんからの手紙は、ついさっき届いたからな」
どうやら、宇多野さんとは別のルートで王都からの手紙がギルドに届いていたらしい。だったら、昨日の夜にでも俺の所に話を持ってくればよかったのにとも思う。
だが、これだけ大きなギルドなのだ、人手が足りなかったのだろう。それに、放っておいても、その内俺が来るのを分かっていたというのも大きいのかもしれない。
「なんだ。こっちはむさい男からの手紙だっていうのに、お前は女か。相変わらず羨ましいヤツだな」
「勘弁してくれ。こっちだって、近況を手紙に書けとか言われたんだ。この俺が、手紙だぞ。似合わないにもほどがある」
「ああ、確かに。お前が机に向かって手紙を書く姿は、確かに似合わんなあ」
「それを言うなら、お前が事務仕事をしている姿も似合わないけどな」
「うるせえ。誰がお前のお仲間に仕事を斡旋していると思ってやがる」
そうやってダグラムと話していると、肩に止まっていた小鳥が軽く頬を突いてくる。驚いて会話を止めると、大人しくなる。
これは、さっさと話しを進めろという事だろうか?
「ん、なんだその鳥は?」
「宇多野さんの使い魔だよ。コイツが、さっき俺に手紙を届けてくれたんだ」
「ほう。あの姐さんの事だから、もっといかつい魔獣とかが似合いそうだが」
「あれでも結構、可愛いものが好きなん――」
そこまで言うと、また小鳥から頬を突かれた。今度は割と本気なのか、かなり痛くて声を上げてしまう。
「かかか。使い魔と主人は一心同体、その鳥が見て、聞いている事は主人の姐さんにも筒抜けだぞ、レンジ」
「だからって、使い魔まで怒らなくてもいいだろうに」
分かっていて言う俺も俺だが、なんとも宇多野さんに忠実な使い魔ではないか。
そう思っていると、また突かれた。こうやって先を急かすところも、主人によく似ているのかもしれない。
「俺の周りは、先を急ぎすぎて困る」
「お前がのんびりしすぎているってのもあるんだろうがな」
『うむ。まったくもってその通りだ、レンジ』
「そんなに急いでどうする。前だけを見て進んだら、周りの美しい景色を見逃すぞ」
『レンジは、景色に見惚れてそのまま足を止める事が多いように思うが』
そしてまた笑われる。
いいじゃないか。美しい景色、綺麗な空気、牧歌的な雰囲気。その全部が好きなのだから。
頭を押さえる俺を見て、エルメンヒルデとダグラムが声に出して笑う。チクショウ。
「それで。グリフィン討伐の依頼を受けるのか?」
「……ああ。明日の昼に動くから、その時間帯はあまりメルディオレから人が出ないようにしてくれ」
「随分と激しく戦うつもりだな」
「阿弥だからな」
アイツを本気で戦わせるとなると、周りに人が居るのは好ましくない。正直な話、俺も足手纏いでしかないのだから。
肩を竦めると、ダグラムも疲れた溜息を吐く。ギルドの古株というか、二年前にもメルディオレのギルドに居た冒険者は、阿弥や幸太郎がどれほどの魔術師かをよく理解している。なにせ、今はグリフィンが住処にしている禿山の一角を吹き飛ばしたのは、あの二人なのだから。
それでも、アーベンエルム大陸にいくつもクレーターを作った時ほどではないが。
「まあ、なんとかしてみるが。結構時間が掛かりそうか?」
「わからん。何度かグリフィンを観察するために外へ出たが、アークグリフィンだけはまだ見ていないんだ」
ただのグリフィンなら簡単に終わるだろうが、アークグリフィンがどれほど歳を経ているのか確認できていないので何とも言えない。流石に、魔神並という事は無いだろうが。
そのアークグリフィンの事を詳しく聞こうにも、生き残ってメルディオレへ戻ってきていた冒険者も先日亡くなっている。グリフィンに襲われた時の傷が元で、だ。
冒険者なのだから、というにはやはり人の死は悲しすぎる。その事をあまり表に出さないようにして、一つ息を吐く。
『私には、グリフィンの違いも判らなかったが……』
まだ言っているのか、お前は。
「少し面倒かもしれないが、頼むな」
「少しじゃねえよ。毎日、どれだけの数が街道を行き来しているか知っているか?」
「……う」
『どれだけなのだ?』
「さあな。詳しくは調べなけりゃ分からんが、結構な数だぞ」
「おい」
知らないのに俺に言うなよ。そんな昔と変わらない仲間へ呆れた視線を向けると、いつもの暑苦しい笑顔で応えてくれる。
『むう』
そして、予定調和とも言うべき拒絶反応の声がエルメンヒルデから聞こえた。
さて、後は阿弥達と合流して、明日の打合せか。明日は大変になりそうだなあ、と。他人事のように呟く。
そんな俺に向けて、肩に乗る青い小鳥が慰めてくれるようにチチ、と鳴いた。




