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第十一話 そんな戦いの無い日に4

 用意された馬車から降りると、冷たい風が頬を撫でた。空を見上げると、手を伸ばせば届きそうなほど近く見える星が瞬いている。馬車の降り口から少し離れ、ぼーっとそんな星空を見つめてしまう。

 もう何度目かの思考だが、相変わらずこの世界は星が綺麗だ。元の世界の青白い月も綺麗だったが、この世界の紅色の月も見慣れるととても美しい。以前は、血の色に思えてあまり好きではなかったが。

 好きではないというか、不気味に感じていたように思う。

 そんな事を考えていると、阿弥やフェイロナ達も馬車から降りて俺の傍に立つ。阿弥が馬車から降りる際に手を貸すと、フェイロナも真似るようにムルルへと手を貸している。最後にソルネアを下ろす。

 いつもならこんな事をしないが、阿弥の姿はシルクのような(なめ)らかな生地を使った薄緑色のドレス姿で足には踵の高いヒールである。丈の長いスカートだが、左側にスリットが入っていていつもより大人っぽい印象を与えてくる服装だ。歩きにくそうなので肘を貸すと、恥ずかしそうに組んできた。

 ムルルは純白のドレス姿で、こちらは踵の低いシューズを履いている。最初は阿弥と同じ踵の高いヒールを履く予定だったのだが、歩けなくなったのでシューズとなった。

 ちなみに、服屋でヒールを履いた際に倒れそうになったのを支えようとして、思いっきり踏まれた。物凄く痛いというか、足の甲の骨が砕けたかと思ったので俺がシューズを勧めた。本人はフランシェスカ嬢が選んだヒールをとても履きたいようだったが、とてもではないが他の人に迷惑を掛けそうなので止めさせた。

 ソルネアはいつもの黒ドレスではなく、こちらもフランシェスカ嬢が選んだ薄紫色のドレスだ。身体のメリハリがよく分かり、剥き出しになっている白い肩がとても色っぽい。

 そのどれもが精巧に作られており、一朝一夕で作れるものではない。食事の招待に応じたのは昨日の夕方なのだが、一体いつから服屋に注文していたのだろうか。後、サイズなどはどうやって調べたのか。


「この服装は変ではないか?」

「安心しろ。お前は顔が良いから、何を着ても俺より似合っているよ」

『……それは安心できるのか?』

「そうか」


 珍しく、フェイロナが僅かに落ち着きなく自身の服装を気にしている。それもそのはずで、今までいつも旅装束だったのだが、今着ているのはタキシード。所謂(いわゆる)ドレスコードを意識した服装だ。

 昨日フランシェスカ嬢から夕食へ誘われた後、用意したものだ。阿弥やムルル、ソルネアのドレスは用意しており、俺達の分の礼服まで服屋に頼んでいる徹底ぶりである。

 やはりというか顔が良い(イケメンの)フェイロナにはよく似合っており、エルフ特有の尖った耳が無ければ貴族の男児と見えなくもない。慣れないネクタイを(わずら)わしそうに指で弄っているのが微笑ましい。

 そんなフェイロナの隣に立つムルルも普段は履かない膝丈のスカートが気になるのか、スカートの裾を摘まんだり、シューズで地面を軽く蹴ったりを繰り返している。


「地面を蹴ると、折角の靴が汚れるぞ」

「あ」


 俺がそう言うと、その事に気付いたのかすぐに止めるムルル。初めての服が着慣れなくて落ち着かない所は、本当に子供っぽい。


「スカートと靴って、変な感じ」

「私はネクタイに慣れないよ。確かに、変な感じだ」

「うん」


 言いながら、スカートの裾を摘まんで揺らすムルル。屋敷から漏れる明かりに照らされる白い太腿が艶めかしい。いつもホットパンツのように短いズボンを穿()いているから見慣れているはずなのに、スカートだとまったく別に見えるのはとても不思議である。


『はしたない』

「ムルルは女の子なんだから。スカートに慣れないと」

「むう」

「そういう阿弥は、ヒールに慣れないとな」

「う……」


 相変わらず俺の腕を掴んで歩く阿弥を微笑ましく思いながら、すぐ傍にある顔へ視線を向ける。いつも再度テールに纏められている髪は解かれ、艶やかな黒髪はバレッタを使って首の後ろに纏められている。

 女の子というのは、髪型一つで雰囲気がガラリと変わる。いつもは子供っぽさを感じる阿弥も、今日は立派な淑女(レディ)と言えるだろう。踵の高いヒールでちゃんと歩く事が出来ていれば、だが。


『もう少し踵の低いヒールにすればよかっただろうに』

「歩いていれば慣れると思ったんだもん……」


 自分でも踵の低いヒールにしていればよかったと思っているのか、エルメンヒルデへ返す言葉にも力が無い。


「良いじゃないか、折角の機会なんだ。ヒールとスカートだから危険ってわけでもない」


 まあ、スカート姿でいつものように動かれたら色々と変な意味で危険だが。その事は口にしないで、欠伸(あくび)を一つ。ああ、でも。ヒールで足を踏むのは勘弁してほしいとは思う。アレは本気で痛いから

 続けて視線を、黙っているソルネアへ向ける。フランシェスカ嬢の家が用意してくれた馬車に乗ってから、殆ど喋っていない。何かあったのだろうかと心配したが、どうやら特に興味深いものが無いので黙っているのだそうだ。馬車に乗るのが初めてという訳でもないし、夜なので真新しい景色を楽しむという事も無いようだ。夜の街並みというのも、それはそれで良いものだと思うのだが。


「そういえば。お前は、普通に踵の高いヒールを履いているんだな」

「慣れました」

「……その一言って便利だな」

「チェスといい、ヒールといい。ソルネアさんって、慣れるのが早いですね」

「そうですか?」


 自分ではあまり自覚が無いのだろう。阿弥からそう言われても、よく分からないといった風に僅かな困惑を声に乗せるだけだ。ただ、確かに阿弥の言う通りだと俺も思う。チェスのルールはもう覚えてしまい、今では町の貴族連中にも負けないだろうという阿弥先生からのお墨付きだ。近いうちに、またあの集まりに連れて行ってやろうかと思う。

 喜ぶだろうかと考え、内心で首を傾げる。感情を(あら)わにするソルネア、というのを想像できなかったのだ。笑顔の一つでも見てみたいと思うが、それはまだまだ先の話か。


『なんだったか。以前、今のアヤやムルルの事をレンジ達の世界の言葉で……』

馬子(まご)にも衣裳か?」

『ああ、それだ』

「怒りますよ。蓮司さん、エル」


 声は楽しげなのに、何も言えなくなってしまう俺達。聞いてきたのはエルメンヒルデなのに……。そのエルメンヒルデはエルメンヒルデで、『褒め言葉ではないのか?』と俺に聞いてくる。どうやら、俺の冗談を真に受けていたらしい。

 その言葉を聞いて、更に阿弥の笑顔が怖く見えてしまうのは俺だけだろうか。笑顔で睨まれるというある種の矛盾を自分で受けながら、この旅が始まってから阿弥が宇多野さんに似てきたように感じてしまう。芯が強くなったというか、言うべき事を言うようになったというか。まあ、あの人は笑顔じゃなくて汚物でも見るような目でこちらを静かに見つめてくるのだが。

 阿弥の笑顔から逃げるように、紅の月明かりに照らされる貴族の屋敷へ視線を向ける。

 当たり前だが、一般の人達が住んでいる家よりもはるかに大きい。屋敷を囲む塀があり、それなりに大きな鉄製の門。その門の内側には馬車で数分ほど進まなければならないほどに広い中庭があり、奥には中世ヨーロッパなどの資料で見掛けるような石造りのお屋敷である。

 フランシェスカ嬢の……バートン家の屋敷。商業都市(メルディオレ)へ来た時以来になる訪問だが、紅月の明かりに照らされる屋敷は不気味なほどに静まり返っているように見える。実際は人の声が微かに聞こえるし、廊下の明かりを遮る影も確かに見える。魔力で明かりが灯る魔力灯を家の中に導入している貴族はまだ多くないので家の中の明かりはランプの明かりだろうか。

 全員が降りてしばらくすると、御者が馬車を屋敷の裏へと運んでいく。


「それじゃあ、しばらく喋るなよ」

『喋るくらいは良いだろう。お前達が反応しなければ』

「……まあ、俺にならいいか」


 人前でエルメンヒルデに声を掛けられる事には慣れているし。俺がそう言うと、エルメンヒルデではなく阿弥がクスクスと笑う。今の会話のどこに笑う所があっただろうか。


「私にも話し掛けていいわよ、エル」

『うむ。会話が出来ないのは退屈で仕方がない。アヤは優しいな』

「それだと、俺が優しくないように聞こえるんだが?」

『レンジは喋るなと言ったではないか』


 続いて聞こえたのは、()ねたような声。

 気分を害させるつもりは無かったのだが、どうやら(へそ)を曲げてしまったようだ。どうにも、エルメンヒルデとの会話には何も考えずに俺が喋りたいように話してしまう。それが気を許した相手なのだからというのは分かるが、親しき中にも礼儀あり。好きで怒らせようとは思わない。まあ、意地悪をしたくなる時は往々にしてあるが。


「いや、エルメンヒルデ?」

『ふん。今晩はアヤと話すからいい』

「……あー、エルメンヒルデさん?」


 そこまで怒った気配を感じないのでフリなのだろうが、それでもエルメンヒルデに反応してもらえないというのは寂しい。

 どうするかと悩んでいると屋敷のドアが開き、中からタキシードに身を包んだ初老の男性が現れる。両開きのドアを解放すると、夜の闇に慣れていた目に柔らかく揺れるランプの光が映った。


「申し訳ございません。お待たせいたしました」

「いえ。お気になさらず」


 謝罪の声に何でもないと応え、歩き出す。ヒールに少しは慣れたのか、阿弥の歩き方は最初の頃に比べたら随分マシになっているように思う。それでも、俺と腕を組んだままだが。

 床に引かれた高級そうな赤絨毯を踏みながら進み、ドアを(くぐ)ると左右へ控えた十数人の執事さんとメイドさん達が迎えてくれた。

 慣れないのだろう、フェイロナは少し緊張して身体を強張(こわば)らせている。ムルルは無意識なのかもしれないが、俺と阿弥に隠れる位置へと移動していた。ソルネアは相変わらずで、やはりぼうっとした表情を浮かべて(たたず)んでいる。


「レンジ様、アヤ様」


 そんなメイドさん達の奥、屋敷の二階へ続いている大階段を背にするように立つ女性が声を上げる。そちらへ視線を向けると、明るい黄色のドレスに身を包んだフランシェスカ嬢が立っていた。

 学院の制服や旅装束を見慣れていたので、一瞬誰だか分からなかったのだ。髪型も、いつもはリボンで結んだ髪を後ろに流しているが、今日は白いリボンで纏められた髪を左肩から垂らしている。いつもと違う髪型も新鮮だが、コルセットで(しぼ)られる事によって殊更(ことさら)強調された胸元に視線が向きそうになるのを自重する。


「皆様。本日は当家を訪れていただき、ありがとうございます」


 そう言って、スカートの両端を指で摘まんで上品にお辞儀。その姿はとても流麗で、気品のようなものを感じる。やはり貴族の子女としての教育もちゃんと受けているのだろう。まあ、普段から丁寧な言葉遣いだったので、何となく分かっていたが。冒険者としてのフランシェスカ嬢のイメージが強いからか、その仕草に一瞬ドキリとしてしまった。

 思わずほう、と息が漏れるほどだ。阿弥とそう歳が変わらないのに、随分と堂に入った姿である。


「こちらこそ。本日はお招きいただき、ありがとうございます」


 そのフランシェスカ嬢へ応えるように、俺も頭を下げる。そんな俺に続いて、フェイロナ達も頭を下げた。

 真面目な事を言う俺に驚いたのか、フランシェスカ嬢が一瞬だけ笑顔を崩して驚いた顔をする。しかしその表情も、すぐに笑顔の下へ隠れてしまった。


『似合わないと思われている様だぞ』


 分かっているとも。そもそも、俺自身が似合わないと思っているのだから。その声が聞こえたのか、フランシェスカ嬢の笑顔から少し硬さが取れたような気がした。

 内心でエルメンヒルデの軽口に応えながら、阿弥を支えているのとは逆の手で軽くズボンの上からエルメンヒルデを叩く。そのいつもの仕草に、阿弥が隣で溜息を吐く。……俺が悪いのではなく、空気を読まないエルメンヒルデが悪いのに。どうして俺が悪いような空気を感じるのだろう。

 教育を間違えたか?


「こちらへ。お舌に合うかは分かりませんが、食事を用意させていただきました」


 そう言って、おそらく食堂であろう部屋へ俺達を案内してくれる。その際、宿屋からこの屋敷まで一緒に馬車に乗っていた紳士服姿の男性が部屋へ続くドアを開けてくれた。

 初老というには若いが、他の執事たちよりも歳が上のように見える。この屋敷における執事長のような立場の人なのかもしれない。

 案内されたのはやはり食堂であった。十数人は同時に座れそうな長テーブルには彩り豊かな果物が置かれている。部屋のあちらこちらには、貴族の家らしい華美な家具がいくつも飾られている。大きな壺や何を描いているのかよく分からない絵、人間大はある銀の女神像に魔獣の角と思われる壁飾り。

 そのどれもが高価な品であろうが、それらの調度品があまり目立たないように置かれている事に好感が持てる。根が庶民だからか、あまり貴族が持つ成金趣味は好きではないのだ。宝石が(ちりば)められて細かな細工の施された壺を見せられ、何々という有名な人物が作ったと延々説明られても困るだけである。

 食堂内へ視線を向け、そういった雰囲気が感じられない事に緊張を解く。

 そして、その長テーブルの奥に立つ四人に視線を向ける。一人は以前見たメーレンティアさん。フランシェスカ嬢が三姉妹の末っ子だとは聞いていたので、メーレンティアさんの左隣に立っているのは三姉妹の次女に当たる人だろうか。長女と妹がはちみつ色の髪に豊満と言える肢体を持っているのに対し、彼女は透き通るような薄水色の髪と姉妹とは対照的に、肉感乏しい肢体を髪と同じ水色のドレスに包んでいる。身長も一番低く、三姉妹の末っ子と言われても納得できそうな人だ。

 メーレンティアさんは以前と(おもむき)は異なるが、同じ情熱的な紅いドレスを身に纏っている。あの意志の強そうな瞳といい、彼女は紅が良く似合う。

 そんな三姉妹の母親であろう、メーレンティアさんの親とは思えない若々しさ溢れる女性と視線が重なる。彼女は次女さんと同じ豊かな青い髪を纏め上げ、メーレンティアさんのような鋭い視線をこちらへ向けている。彼女の鋭い視線は、母親譲りのようだ。身長もメーレンティアさんより低く、彼女の肩ほどしかない。メーレンティアさんよりも低く、次女さんよりも僅かに高い。


「これはこれは。本日は、当家へようこそおいで下さいました」


 そう声を上げた男性がフランシェスカ嬢の父親なのだろう。一目でそう感じた。フランシェスカ嬢と同じはちみつ色の髪に、顔には柔和な笑み。身長も高く、引き締まった体躯。正直、俺よりも筋肉がありそうな身体つきだ。商人というよりも、冒険者のような雰囲気を纏う男性だ。切り揃えられた(ひげ)がなんとも男らしい。

 ペンを手に紙へサインを書くよりも、剣を手に持つ方が似合いそうな男性である。年齢は四十代であろうが、そうは思えないほどに若々しく見える。そんな男性の笑顔を見ると、フランシェスカ嬢は父親似のように思う。髪も、笑顔も、雰囲気も。


「本日は、お招きいただき感謝いたします」

「そのようなっ。どうか顔をお上げください」

「それでは、失礼いたします」


 ここまでは英雄時代の頃からあるいつもの流れなのだが、フランシェスカ嬢のお父さんから出た本気で驚いた声に、こちらも少し驚いてしまう。

 外見に似合わず、随分腰の低い人のようだ。そんな失礼とも取れる第一印象を抱く。変に高圧的よりも親しみやすいのだが、と思っていると隣に立つフランシェスカ嬢のお母さんから肘で小突かれていた。こちらが気付かないようにメーレンティアさんがそれとなく場所移動しているのが面白い。その一連の流れから、どうやら彼がお母さんに小突かれるのは日常的な事なのだろうと予想する。気弱なお父さんと、(あね)さん女房というヤツか。


「そ、それでは。お席へ御着き下さい、レンジ様、アヤ様。それに、フランシェスカのご友人の方々も」


 俺達だけではなくムルル達にも敬語を使ってくれた事に、この人の為人(ひととなり)が感じられる。俺の隣に阿弥、続いてソルネア、フェイロナ、ムルルの順に座る。席へ座る際、阿弥の分の椅子を引く事を忘れない。紳士としての振る舞いというヤツである。

 阿弥が小さな声でお礼の言葉を口にして、席に座る。その口元が平時よりも上向きに緩んでいるのを確認し、口にせずに俺も席へ着く。

 テーブルを挟んだ向こう側にはフランシェスカ嬢のお父さん、阿弥の前にはお母さんと座り、ムルルの前にはフランシェスカ嬢が座っていた。ムルルに向けて笑顔を向け、ムルルもそれに応えるように薄く笑っている。その事を微笑ましく思いながら、前に座るお父さんへ視線を向ける。


「申し遅れました。(わたくし)、レオンハルト・バートンと申します」

「妻のアルテリアです」


 そう頭を下げる仕草はとても堂に入っていて、先ほど奥さん……アルテリア夫人に小突かれていた人と同一人物にはとても思えない。


「旅の間、フランシェスカを助けていただいたようで。どれだけ感謝の言葉を並べても足りません」

「頭をお上げください、レオンハルト殿。むしろ、こちらこそ何度も御息女には助けられました」


 そこからしばらくは、お互いにフランシェスカ嬢を褒める言葉ばかりである。ご両親へ娘さんが旅をしていた間の話をすると、誇張する形になってしまうのは俺だけではないだろう。

 その間、フランシェスカ嬢が顔を赤くして小さくぼそぼそと何か言っていたが、聞こえなかったフリをする。おそらくだが、恥ずかしさに耐えきれずに小声で否定していたのだと思う。視線が鋭いアルテリア夫人とメーレンティアさんも聞き入っており、フランシェスカ嬢には悪いが、彼女がこの家の人達に愛されているという事が分かってこちらも嬉しい気持ちになれた。

 魔術の才能が無いと言っていた彼女が家ではどういう立場なのかよく分からなかったが、ちゃんと愛されているのだと感じられたのだ。


「っと。料理を前に話し込むのも、折角作って下さった方に申し訳ありませんね」


 フランシェスカ嬢の話が一段落したところで、そう口にする。このまま旅の話をしているのも楽しいが、折角料理を作ってくれたコックの人に悪い。それに、あまり待たせるとムルルが可哀そうでもある。


「そうですな。では、話の続きは料理を食べながらという事で」

「はい」

「よろしければ。アヤ様からも、フランシェスカの学院での話などをお聞かせ願えたらと……」

「もちろんです」


 まずは俺と阿弥が料理を口にして、その味に舌鼓(したつづみ)を打つ。それから、各々が自分のペースで料理を口にし始める。

 ソルネアには、阿弥がそれとなく自分の真似をするようにと言う。ムルルは、フランシェスカ嬢かフェイロナの真似をするよう、事前に説明していた。流石に、一日二日でテーブルマナーを教え込むのは無理だったのだ。

 本人はとてもやる気があったが、集中力が続かない。じっとしている事も、細やかな所作も苦手なのだからしょうがないとも思うが。

 本来なら口を開かず静かに食事を摂るのがこの世界の(なら)わしなのだが、今夜は無礼講とばかりにレオンハルトさんが口を開いてくる。俺としても賑やかな食事は大歓迎なので、彼に求められるまま質問に応えていく。もっとも、その質問の(ほとん)どはフランシェスカ嬢に関係する事なのだが。時折思い出したように俺達の事も聞いてくるのが面白い。

 俺や阿弥の事など、普通の人間と同じように扱ってくれていいのだが。そう言っても、この家の人達を困らせるだけであろうから口にしない。

 前菜を食べ終えるとスープが運ばれてくる。運んできてくれるのはメイドさんで、その所作には何一つ無駄が無いように感じる。僅かな音も立てずに前菜が盛られていた皿が引かれ、スープが注がれた新しい皿が置かれる。


『……ムルルは足らないだろうな』


 返事が出来ないので、レオンハルトさん達に気付かれない程度に首肯する。

 隣で阿弥が、クス、と小さく笑った。



 メインである肉料理、続いてデザートを食べ終え、ワインで喉を(うるお)しながら一息吐く。テーブルマナーも一通り教えてもらっているが、やはり肩が凝る。

 ちなみに、阿弥やムルルには果物の搾り汁(ジュース)を頼んでいる。お酒は大人になってから。二人とも子供扱いするなと言わんばかりの視線を向けてきたが、これは譲れない。


「レンジ様、アヤ様。この後、お時間は?」

「何かご用でしょうか?」

「用と言いますか、少し」


 何か話したいという事だろうか。視線を横に向けているので、おそらくフランシェスカ嬢絡みの事だろうと予想する。

 阿弥を呼び止めたのは……まあ、俺と同じように英雄としての扱いか。俺としては、英雄だなんて堅苦しい扱いは遠慮願いたいのだが。阿弥の手前、そう口にするのも(はばか)られる。


「構いませんよ。フェイロナ、ムルルとソルネアを頼めるか?」

「ああ」


 なんだか最近、いつもフェイロナに子守りを頼んでいる気がする。子守りと言うと、ムルル辺りから怒られそうだが。


「でしたら。フランシェスカ、部屋でしばらくご友人とお話していなさい」

「は、はい」

「メーレンティア、カラフィナ。お前達も、親睦を深めてきなさい」


 レオンハルトさんがそう言うと、皆が静かに席を立つ。それとなくフェイロナにエルメンヒルデを渡すと。


『やっと喋れる』


 という声が頭の奥に響いた。メーレンティアさん達が居るのだからまだ喋るなと言いたかった。まあ、エルメンヒルデはフェイロナがどうにかしてくれるだろう。頼りっぱなしの気がしないでもない。もしかしたらフランシェスカ嬢が、お姉さん達に紹介するかもしれないが。

 その時はその時と思っておこう。あまり、誰彼にエルメンヒルデの声を聞かせたくないのだが。

 皆が退室すると、食堂には俺と阿弥、それにレオンハルトさんにアルテリア夫人が残る事になる。皿を下げたメイドさん達は、何も言わずに退室している。


「改めまして。フランシェスカを今日まで助けていただき、ありがとうございます」


 最初に、レオンハルトさんとアルテリア夫人が頭を下げた。


「いいえ。先ほども言いましたが、こちらが助けていただいた場面も多いのです。それに、こちらの阿弥も、学院の先輩として良くしていただいたようですし」

「はい。学院では、フランシェスカ先輩には良くしていただきました。ですので、顔をお上げください」


 ここで堅苦しいのは苦手なので、と言えるといいのだが。そう言うのは実際、とても失礼に当たるのだ。相手はこちらをもてなしてくれているのだから、こちらはそのもてなしに応える。それが礼儀というものだ。

 根っからの庶民である俺や阿弥には肩が凝る事だが、こうやってもてなされるのも英雄としての一環というべきか。贅沢な悩みなのだろうが、やはり俺は英雄には向かないと思う。貴族として生まれ、生活してきたわけでもないのだし。


「それで。どうかなさいましたか、レオンハルトさん」

「はい。その……失礼な話なのですが、お二方から見て、フランシェスカはどうでしょうか?」

「どう、とは?」


 その言葉の真意を(はか)りかね、聞き返す。

 すると、レオンハルトさんは俺の目を正面から見返してきた。力強い視線だ。


「アレは、争いが嫌いな性格だと思っていました。蝶よ花よと育て、心優しく成長し……ですが魔術に目覚め、その道に進んでしまいました」


 やはり話の内容はフランシェスカ嬢の事のようだ。大きな体を震わせている姿には、どこか哀しさすら感じられた。徐々に顔が伏せられていき、もしかしたら泣いているのだろうかと心配になってしまう。

 ……隣のアルテリア夫人は、そんな夫をとても冷ややかな視線で見ているが。


「私は危ない事などしてほしくないですし、家は商家です。この家を継がせるのは難しいですが、商家の娘として過ごし、カラフィナのようにその道の男性の元に嫁いでくれたらと思うのです」

「は、はあ……」


 阿弥が困った風に応えるが、どうもレオンハルトさんには届いていないようだ。そこから数分ほど、魔術学院へ通う前のフランシェスカ嬢の話が続く。昔は虫が苦手で、その虫を退治する為に魔術を使ったという事。それが『魔術師』フランシェスカ・バートンの始まりなのだとか。

 この家の人達も、魔力はあるが魔術を使えるほどの量ではないようで、当時はとても驚き、そして喜んだそうだ。だがその結果、フランシェスカ嬢は魔術へのめり込み、魔術都市の学院へと入学した。ちなみに、レオンハルトさんは大反対したそうだ。その事を熱弁された。どれだけ娘が好きなのだろう、この人は。最初は温和な人だと思ったが、内面は結構な激情家なのかもしれない。その辺りも、なんだかフランシェスカ嬢に通じるものがある気がする。


「申し訳ありません。娘たちの事となると、夫はどうにも周りが見えなくなってしまいまして」

「いいえ。私も同じ男として、その気持ちはよく分かります」


 男親というのは、娘の事となるとそういうものではないだろうかと思う。

 結衣ちゃんが無茶をしたり怪我をしたら心配だし、恋人が出来たりなんかしたら俺も落ち着かないだろう。

 まあ、恋人云々(うんぬん)は俺より先にナイト(不死の騎士)ファフニィル(竜の王)というとても高い壁を越えなければならないのだが。結衣ちゃんはまだ十六歳なのだから、恋人などまだまだ先の事か。

 そう思うが、以前の阿弥は十五歳だし、真咲ちゃんも十六歳。……そう考えると、宗一とベタベタし始めた時ともう同い年なのか。雄一郎の件もあるが、あの結衣ちゃんに限って俺に何も言わずに恋人が出来たという事は無いだろう。王都で会った時もそのような素振(そぶ)りは無かったし、あのお喋りなアナスタシアだって何も言っていなかった。

 うん。大丈夫だな。


「そうですかっ」


 俺の言葉に反応していきなり顔を上げたレオンハルトさんに驚いたが、そのレオンハルトさんはテーブルの下で何かあったようだ。ビクリと一度大きく震えて、少しだけ冷静を取り戻す。

 一体テーブルの下で何があったのだろう。足でも踏まれたのかもしれない。俺も、よくやられていたし。誰にとは言わないが。


「その――これが本題なのですが。フランシェスカは、冒険者として大成できるでしょうか?」

「冒険者として、ですか?」

「はい」

「フランシェスカが家に戻ってから、レンジ様達との旅の事をお聞きしました」

「……そうですか」


 はて、あの子は何を話したのだろうか。こんなにお父上がしんみりするような冒険譚など無かったはずだが。対照的に、アルテリア夫人には動揺はほとんどない。なので、話の続きは夫人が説明してくれそうだ。

 見た目はかなりしっかりした人に見えるのに、メンタルは相当打たれ弱いのか。それも、おそらく娘さん達にだけだろうが。


「とても楽しそうに、それこそ家に居た頃には見なかったほどの笑顔で話しておりましたわ」

「はあ」

「レンジ様に助けられ、学院の課題を手伝っていただいたのがきっかけとか」

「そうですね。フランシェスカさんがゴブリンに襲われていたところを助けたのが最初でしたか」


 懐かしいものだ。あれからもう半年近くの時間が過ぎたのか。

 ゴブリン相手に殺されかけ、泣いていたフランシェスカ嬢。今はもう、ゴブリン程度ならある程度の数が集まってもどうにか出来るくらいには強くなったのではないだろうか。


「ですが、家に帰った当初は楽しそうに話してくれていましたが、最近はよく溜息を吐いているのです」

「溜息ですか」


 阿弥へ視線を向けるが、首を横に振られてしまう。どうやら、阿弥には心当たりがないようだ。

 もちろん、俺にもだ。


「あと数か月で、魔術学院も卒業です。その後の事は分かりませんが、もうレンジ様達と旅をする事が出来ない事を考えての溜息ではないでしょうか」

「フランシェスカ先輩が、そう?」

「いいえ。あの子は誰に似たのか、なにかと自分一人で抱え込もうとするところがありますので」

「そうですか」


 曖昧(あいまい)に応えながら、ああ確かにと内心では同意する。

 初めて会った頃は、なにかと自分一人で頑張ろうとしていたのを知っている。旅慣れていないのに、俺の手伝いをしようとしたり。料理が出来ないのにがんばったり。

 善意からの行動だし、助かった部分も多々ある。なにより、一人旅は寂しかった。だから、誰かと一緒というだけで随分気が楽になったものだ。

 だが、彼女は完璧とまではいわなくても、もっと周りの役に立ちたいと落ち込んでいた時もあった。その事を知っているから、アルテリア夫人の言葉には説得力があった。


「それと、冒険者と。どういう関係が?」

「……もしあの子が冒険者として大成できる器でしたら、これからもレンジ様と共に旅を続けることは可能でしょうか?」

「なるほど。そういう事ですか」


 ふむ、と顎に指を添える。

 その話は予想外だった。宿屋に来た際のフランシェスカ嬢には特に変わった所が無かったし、メルディオレからエルフレイム大陸に渡ると言った際にも動揺のようなものも無かったように感じていた。

 だからてっきり、彼女も俺達との別れにある程度の踏ん切りがついていると思っていたのだ。


「フランシェスカさんは、一度でもそう言いましたか?」

「いいえ。先ほども言いましたが、あの子は――」

「こういう言い方は酷かもしれませんが、これから先の旅は相当危険です。正直な話、俺と阿弥でも、無事に帰ってこられるか分からないほどに」


 目の前の二人が息を呑む気配が伝わってくる。

 ムルルにも言ったが、そんな場所で彼女を守ってやれるほど、俺達は強くない。女神の加護も万能ではないのだ。

 俺は神の使徒か眷属が相手でなければまともに戦えないし、阿弥は攻撃に特化している。ソルネアを守ってもらうためにフェイロナとムルルを雇ったのだ。そこにフランシェスカ嬢を加える余裕はない。なら、彼女には自分で自分の身を守ってもらう必要がある。


「その危険を理解して、それでも彼女がそう望んで、一緒に旅をしたいと口にして、そして……」


 そして。


「レオンハルトさんが、そんな危険な旅に大切な娘を出す事を本当に許すのなら、一つ試験(テスト)をしましょう」


 この人は許すだろうか。大切な娘が、危険な……死すらあり得る旅に出る事を。

 俺なら――分からない。どうだろう。娘を持った経験が無いし、娘のように思っているかもしれない阿弥は付いてきているが、心のどこかではできれば安全な場所に居てほしいと思っている。

 もし結衣ちゃんがそんな危険な旅に出たいと口にしたら。俺は、どう応えるのだろう。


商業都市(メルディオレ)の近くに住み付いたグリフィンの話はご存知で?」

「は、はい」

「商人は情報が命ですからね」


 それくらいの事は、知っていて当然か。


「近いうちに、そのグリフィンを討伐します。もし彼女が一緒に旅をしたいと言うのなら、その時に俺が実力を見定(みさだ)めます」


 そう一息に言って、息を吐く。

 フランシェスカ嬢がまた一緒に旅をしてくれるなら、ムルルは喜ぶだろうし、ソルネアにもいいチェスの相手が出来る。それに、個人的にも旅に華が多いのは喜ばしい。

 だが、危険な旅なのだ。死すら有り得る。

 彼女がその事をしっかり認識して、ご両親の許可を得て、それで自分の身を守れるだけの実力があるのなら。その時は――と。


「彼女は確かに、初めて会った頃よりも見違えるほどに強くなった。ですが、これから先の旅で自分の身を守れるほどかというと疑問があります」


 ただ、思うのだ。初めて会った時もそうだった。フランシェスカ嬢は、死ぬかもしれないと俺が言っても前を見ていた。オーク討伐を成し遂げた。

 二人はフランシェスカ嬢が大成するかと聞いて来たが、そんなこと、俺に分かる筈がない。

 魔神討伐の為に世界中を旅したが、冒険者として活動している時間は二年にも満たない。

 だが、冒険者にとって大切なものは何なのか。それは、朧気だが分かる気がする。

 意思と努力。才能は二の次だ。冒険者として大成するには才能が必要なのかもしれない。けど、冒険者にとって大切なものは、才能ではなく生き残る意思とその為に努力する事だと俺は思う。


「話しはそれだけですか?」

「は、はい」

「そうですか。では、失礼いたします。本日は楽しい時間を、ありがとうございました」


 一つ息を吐いて、意図して笑顔を向ける。

 その事に安堵したのか、あからさまに表情を崩す二人。俺は英雄という肩書が重荷だが、世間はそんなこと関係なく、俺を英雄として見る。今も、俺を怒らせたのかと恐縮しているようだ。

 神を殺した俺なんかよりも、沢山の資金があり、流通の要である船を持つレオンハルトさん達の方がよっぽど凄いというのに。

 きっと。俺が今、何を言っても二人には届かないだろう。後でムルルを間に挟んでフランシェスカ嬢に言伝(ことづて)を頼もうか。


「馬車の支度をいたしますので、少々お時間を頂けるでしょうか?」

「ええ。フランシェスカさんとも少し話したいですし。馬車の準備が出来ましたら、声を掛けてください」


 そう言って、席から立ち上がる。腹も膨れたし、フランシェスカ嬢の昔ばなしを聞く事が出来た。

 最後は少し気まずくなってしまったが、楽しい夜だったと言えるだろう。後で、どうにかして今夜の事を謝ろうと考えるのは俺が一般市民の思考だからか。


「阿弥、行くぞ」


 左肘を差出し、阿弥が腕を絡めてくる。まだ踵の高いヒールに慣れていないようだ。

 微笑ましいもんだ、まったく。


「勝手に決めてすまないな」

「いいですよ。フランシェスカ先輩がそう望んで、蓮司さんがそれでいいなら」

「……危ない旅だけどな」

「ふふ」


 何が面白いのか、阿弥が小さく笑う。

 レオンハルトさんが手を叩くと食堂のドアが開いて、控えていた執事さんが数人入ってくる。どうやら、フランシェスカ嬢の部屋へ案内してくれるようだ。

 その執事さんの後をついていく。


「私も一緒です。一緒に守りましょう」

「ああ」


 心強いね、本当に。


「頼りにしているよ」

「はい。頼って下さい――たくさん」


 そう言った直後、慣れないヒールだからか、何もない所で躓いてしまう阿弥。

 俺と肘を絡ませていたので倒れる事は無かったが、なんとも……うん。


「不安だなあ」

「……もう、ヒールは履きません」


 それはそれでどうかと思うが。



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