第十話 そんな戦いの無い日に3
生い茂ったと言うほどでもないが、林とは言えるほどに並ぶ木々に身を隠しながら空を見上げる。
空は快晴。白い雲に青い空、輝く太陽と頬を撫でる冷たい風。その風で身を引き締めながら、そうやって空を眺める事……そろそろ三時間ほどになるかもしれない。時計は手元に無いので太陽の動きから計った時間だが、そうズレは無いだろうと思う。
「四匹……?」
「いや。アレは今までのより少し小さいから、五匹目だな」
「そう? でも、さっきのと同じで翼の一部が欠けている」
「む」
『……よく見分けられるな、お前達は』
空を飛ぶグリフィンの数を数えていると、エルメンヒルデから呆れられた。いや、遊んでいるわけではないのだ。そのうち討伐する事になるであろうグリフィンの正確な数を調べるというのは、大切な仕事の一つだ。
木々に身を隠し、小柄なムルルを胸に抱えるようにして、その上から外套を羽織って寒さを凌ぐ。そうやって体温を確保しながら、グリフィンの行動を見る。
エルフレイム大陸のグリフィンは緑が豊富な山を巣にするが、商業都市の近くにある山は少し離れた場所にある禿山だけである。勿論、名前の通り緑などほとんど無い。
そうなると、俺やムルルの知っている生態や行動とは違う生活を送っている可能性が高い。というよりも、慣れない土地で行動する為に、違う行動をとるはずだ。それを調べるために朝からこうやってグリフィンの行動を観察しているのだ。
別に、宿屋に居てもチェスが退屈だからと、ムルルにせがまれたわけではない。これも仕事なのだ。ちゃんと、報酬も出る。
「簡単。今飛んでいるのは翼が欠けているし……新しく増えたグリフィンは、鳴き声が他のグリフィンより少し高い」
「そうだな」
『……獣人の視覚や聴覚が人間より優れているという事は分かるが、同じように分かるレンジは普通に凄いと思うぞ』
「慣れだ、慣れ」
それに、同種の魔物を見分けるというのは、冒険をする上でとても重要だ。仲間を組んでいる時に誰々に「あのゴブリンを倒せ」と言うのと「あの顔に傷のあるゴブリンを倒せ」と特徴を口にして言うのとでは伝わり方が全然違う。その特徴を瞬時に見抜く目や耳というのは、冒険者にとってとても大切なのだ。
そうやってムルルとグリフィンを観察しながら、欠伸を一つ。
これなら、部屋に籠って阿弥とフェイロナの対局を見ていた方が……まあ、向こうの似たようなものか。むしろ、身体を動かせないのが辛いという理由でこうやってグリフィンの観察をしているのだと思い出す。
ちなみに、チェスの腕前は不動の一位に阿弥が居て、その下にフェイロナ、俺、ソルネアと続く。その俺も、いつソルネアに抜かれる事になってもおかしくないという状況である。フェイロナとソルネアは呑み込みがいいと阿弥が言っていたのを思い出す。そう考えると、俺はとても呑み込みが悪いのだろう。剣の事でも同じような事を言われた覚えがあるのでアレだが、やはり自分より年が下の子や新人に追い抜かれるのは思う所がある。
もう慣れたつもりだったが、慣れただけで悔しかったり悲しかったりと、色々と複雑なのは変わらないようだ。
なので、一足飛びに上達していくソルネアと勝負する事になるのが怖くて、俺は冒険者ギルドの仕事をしているわけである。自分でも情けないと溜息が出そうだ。
あと、フェイロナはやはりあっさりと俺より上手になった。それはもう、慣れというよりもやっぱりな、と思う部分が大きい。諦めの境地である。
「大きいの、こないね」
「だなあ」
朝からずっと待っているのだが、普通のグリフィンは現れても上位グリフィンは姿を見せない。一番見ておきたいのだが。
グリフィンとアークグリフィンに、明確な違いは無い。元は同じ種族なのだから、見た目にそれほど変化があるわけではない。ただ、成長して身体が二回りほど大きくなっただけである。言葉にするなら。
グリフィンが体長三、四メートル程度。これは、俺達の世界で言うライオンが一回りより少し大きくなったくらいだ。翼長が大きいので、その体躯以上に大きく見えるが、大きさはその程度だ。それでも、人間よりは十分大きいのだが。
対してアークグリフィンは体長五から七メートルほどだろうか。俺達がグリフィンと呼んでいる存在がどれだけの時間を生きているのかは分からないが、そのグリフィン以上に長く生きて成長の限界に達したのがアークグリフィンだと呼ばれている。名称の違いはとても曖昧だと思う。ただ、その能力には明確な違いがある。
グリフィンは精霊魔術を使う亜人達が『矢除けの呪い』と呼んでいる魔術を使ったり、一鳴きで魔術師の集中力を乱して魔術を妨害する能力程度しかない。しかしアークグリフィンはそれに加えて鎌鼬や竜巻を起こしたりもできる。風に限定するなら、この世界に居る最高位の魔術師と同等かそれ以上の魔術を使える存在だと言える。
「ムルルは、アークグリフィンを狩った事はあるか?」
「ううん。お父さんが危ないから駄目だって。私はもう大人なのに、子供だからまだ駄目だって」
「そうか」
『身体が小さいからな』
「すぐに大きくなる」
エルメンヒルデの一言でムキになっている事が子供っぽいと思うのだが、それは言わない方がいいのだろうと黙っておく。
「良いじゃないか、大切にされてるって事だ」
「もう子供扱いしないでほしい」
「それは子供扱いじゃなくて、ムルルを心配しているだけだと思うけどな」
「……レンジは、お父さんの味方?」
「んー……顔も、どんな人かも知らないから何とも言えないなあ」
ただ、ムルルのお父さんの気持ちは分かると思う。実際にあった事は無いが、ムルルを大切に想っているのだろう。
きっと、精霊神からの神託でムルル一人を旅に出す事になって、凄く心配しているのではないだろうか。この話を聞いて、初めて会った時は無一文だったことを思い出す。ムルルは声を掛けられた人から路銀を盗まれたと言っていた。お金だけでよかったと思う。心無い人は、命や人生すら奪うのだから。
そう考えると、腕の中のぬくもりがとても大切なものに思えてくるから不思議だ。このぬくもりが奪われるかと思うと、それだけで胸が締め付けられる。ずっと以前、阿弥や宗一達――子供達に抱いていたものと同じ気持ち。親心のような、そうではないような。よく自分でも分からないけど、大切にしたい気持ちだ。
「どうかした?」
「いんや。ムルルのお父さんの気持ちがよく分かるなあ、と」
船に密航したり、人に騙されたり。気が気じゃない。
「レンジも、私を子供扱い?」
『子供扱いではなく、心配、というのだろうがな』
「そうだな。エルメンヒルデの言う通りだと思うぞ、ムルル」
「ふうん」
その一言では納得できないようで、どこか拗ねたような声。こういう所が子供っぽいと思ってしまうが、多分俺もムルルと同じくらいの年の頃はこんな感じだったのだろうなあ、とも思う。
気付かれないように口元を緩めると、獣人であるムルルには気付かれてしまって腕を軽く抓られてしまった。痛いというよりも少し痒い感覚で、これがまた可笑しくて肩を震わせてしまう。
「ふん」
『これくらいで怒るから、子供なのだ』
「そんなことない」
今度は先ほどよりも強く右の二の腕を抓まれるれる。
「痛い痛い」
「痛くしている」
そうやってじゃれ合いながらも空を見ていると、今度は空に鳥女が現れる。身長はムルルと同じか少し高いくらいか。下半身は鳥、上半身は毛深い人型。両腕は翼となっており、嘴は無く、口には牙が生えている。全体的に薄い橙色の体毛に覆われている。
そのハーピーが禿山の麓あたりから飛び上がったと思うと、すぐに急降下。その先へ視線を向けると、移動中のゴブリンが数体。
獲物に向かって急降下して襲い掛かるかと思いきや、それより早く上空に居たグリフィンがそのハーピーを強襲する。三メートル以上もある体躯からの突撃に小柄な体で耐えられるはずも無く、体当たりだけで空中を転がるように吹き飛ばされてしまうハーピー。貴重ではないが、グリフィンの狩りの瞬間である。
「やっぱりそうなるか」
『どうした、レンジ?』
「いや。グリフィンが現れて魔物の行動が変わってきているな、って思ってな」
『そうだな』
ゴブリンは家畜や人間を襲い、野草を食べて腹を満たす。ハーピーはそんなゴブリンや人間を襲って腹を満たす。そういう生態系が出来上がっていたのが、いきなりゴブリンもハーピーも人間も食べるグリフィンが現れて、魔物達の狩りの仕方が変わっている。というよりも、ゴブリンもハーピーもグリフィンを恐れて行動できていない。そうなると、今のようにグリフィンが空を飛んでいても、空腹に耐えかねて獲物を求めて姿を現してしまう。そして、そこをグリフィンに襲われる。
これでは、グリフィンの一人勝ちだ。この場合だと、一匹勝ちか。
放っておくと、あっという間にグリフィンが増えてしまうのではないだろうか。そして、ゴブリンやハーピーの数が減ったら今度は人間を襲い始めるだろう。運悪く、すぐ傍には商業都市がある。流石にグリフィンだけで滅ぼされるほど戦える人材が少ないとは思わないが、相当の被害が出るのは明らかだ。
今は五匹だが、グリフィンの繁殖期は春だ。あと数か月もすれば、今の倍以上になるだろう。グリフィンは俺達の世界に居る鳥類と同じで、一回の産卵で卵を複数個生む。倍々で増えていくわけではないのだ。
「ムルル、動くなよ」
「うん」
距離は離れているが、風精霊の加護を受けているグリフィンは風の動きに敏感だ。それを逆手に取った戦い方もあるが、ムルルと二人では少々相手にするのは厳しい。ここで戦っても、他のグリフィンを呼び寄せてしまうのがオチだろう。
外套で体を包み、その隙間からハーピーを捕食するグリフィンを見る。改めて見ても、大きいものだ。ファンタジー物の漫画や小説だとコレを乗り物にしている描写があったりするが、俺からするとこんなものを調教しようとは思えない。肉が主食だし、獰猛だし。背中に乗っていて、いつ自分が食べられるかと思ってしまう。
グリフィンの大きな嘴はとても力が強く、人の腕など簡単に噛み千切ることができる。それはハーピーも同じで、その細い首や腕が簡単に千切られ、丸呑みされていく。そして、内臓だけを残して食べ終えると、満足したのか飛び立っていった。その残った内臓は、ゴブリンが食べてしまい、結局残ったのは血溜りだけである。目の前でそんな事をされると、恐竜映画か何かのワンシーンにも思えるが、歴とした現実である。次の瞬間には、自分がハーピーと同じ立場になりかねないので笑えない。
突然の残酷な現場に出くわしてしまったが、それを見ても心が僅かにも動かない辺り、俺も成長したのだろうと思っておくことにする。そして、俺の半分くらいの年齢でしかないムルルも特に恐怖を感じる事無く残った血溜りを見ている辺りに、この世界の残酷さを思い知る。といっても、そんなものはこの世界へ来て半年ほどで嫌というほど思い知っているが。
「さて。あんなのと戦うなんて、気が滅入るな」
「レンジはいつもそう」
『そうだな』
「相変わらず仲が良いな、お前ら」
最近は、そこそこやる気を出しているつもりなのだが。あれかね。第一印象が悪すぎたのか。
そう考えながら、外套を払って立ち上がる。どうにも、今日はアークグリフィンを見る事は難しそうだ。空を飛んでいたグリフィンたちの姿も見えなくなったので、そろそろ帰ろうかと思う。
長時間同じような体勢でいたからか、身体の節々が痛んだ。
「戻る?」
「ああ。何かしたい事はあるか?」
「ううん」
そう言うと、跳ねるように立ち上がるムルル。何度見ても身軽なものだ、と口に出す事無く感心する。
「レンジは、グリフィンを狩った事はある?」
「一応な」
エルフレイム大陸やアーベンエルム大陸には、グリフィンというのは当然のように生息しているのだ。空を飛ぶ相手は苦手だが、苦手だからと避けて通れる相手ではない。
まあ、俺一人で倒せる相手ではなく、阿弥や幸太郎のような魔術師がよく相手をしていたが。空を飛んでいるので、雷を落とせば一発なのだ。落雷の威力……威力と言っていいのかは分からないが、落雷時に発生する電圧は約十億ボルト。発生から直撃までの所要時間は一マイクロ秒。大気の温度は局所的に二、三万度に達するのだとか。そんなものを避けれるはずもないし、直撃して生きていられる生命体が居るわけもない……と思っていた時期が俺にもあった。まあ、ドラゴンやら幽霊系やらは普通に生き残るのだ。……ゴーストはともかく、ドラゴンは本当に生命体に分類していいのか偶に謎である。
「一人で倒せる?」
「無理だろうな」
『どうしてそこで即答する……』
「俺は正直者でね。嘘は苦手なんだよ」
『どの口で言っている』
エルメンヒルデの呆れ声に肩を竦め、メルディオレへ向けて歩き出す。
すると、トコトコと歩きながら俺の隣にムルルが並ぶ。この周辺に生息しているゴブリンやらハーピーがグリフィンを恐れてあまり出歩いていないので、大っぴらに歩けるというのは楽だと思う。それでも、問題を先送りにしているようなものだが。
「お腹空いた」
「もう昼時だからなあ」
メルディオレへ戻る頃には、昼時は過ぎているだろう。そう考えながら、ベルトに吊っていた小さな荷袋から乾パンを取り出す。何かあった時の為の非常食だ。
「食べるか?」
「うん」
目の前でグリフィンの食事シーンを見たというのに、俺達も相変わらずである。隣でムルルが乾パンを食べ、それが美味そうだったので俺も干し肉を取り出して齧る事にする。
歩きながらは行儀が悪いと注意するべきなのだろうかとも思うが、俺も同じような事をしているので同罪だろう。阿弥から怒られる事になったら、一緒に怒られよう。何となくそう思いながら歩いていると、外套が引かれる感覚。視線を落とすと、ムルルが俺を見上げていた。
「フランとは、もう旅をしないの?」
「そうだな。まあ、彼女はただの学生だ。これからはまた、学校で勉強するだろうな」
「がっこう?」
「魔術都市とか商業都市にある、ムルルやフランシェスカ嬢くらいの年齢の男女が勉強するところだ」
「……勉強」
「大切な事だぞ、勉強」
「そう」
そして、沈んだ声。
やはり仲が良かった分、別れるのが辛いのだろうか。今は同じ都市に居るが、船に乗ったらどうなる事か。まあ、別れが旅の常だとはいえ、ムルルくらいの年齢には辛い事だろう。
「寂しくなるね」
「そうだな」
ムルルがポツリと呟き、俺もそれに同意する。寂しいのは本当だ。約半年。それだけの時間を一緒に旅してきたのだ、寂しいに決まっている。
ただ、寂しいからと別れを惜しむのもどうかと思うのだ。
俺は冒険者。街から街へ、村から洞窟へ。様々な場所を旅する人間だ。出会いがあるから別れがある。別れがあるから再会がある。何時か何処かで、予期せぬ再会を喜ぶために別れるのだ。
そう口ずさむと、ムルルから優しく叩かれた。
「もし」
「ん?」
「もし、フランが一緒に旅をしたいと言ったら、レンジは連れていく?」
「どうするかね。それがフランシェスカ嬢の本心なら、考えるかな」
さりとて、それが本心だとしても。これからの旅は命懸けだ。イムネジア大陸とは違い、エルフレイム大陸は人間に厳しい土地である。少しばかり旅に慣れたからと、簡単に連れて行ける場所ではない。アーベンエルム大陸など以ての外である。
まあ、あの大陸へはムルル達だって連れていくつもりは無いが。本当の命懸け。出来れば、阿弥だって連れて行きたくない。
「……そう」
「強要はするなよ?」
「しない。聞きもしない……けど」
『けど?』
「なんでもない」
やっぱり、まだ一緒に旅をしたいのだろう。まだ小さな子供なのだ、折角出来た友達と一緒に居たいと思うのもよく分かる。だが、こればかりはどうしようもない。無理をしてフランシェスカ嬢に怪我をさせては、ムルルも傷ついてしまう。
怪我だけならいい。旅に危険は付きものだ。これから先、魔物はもっと強力になる。俺もフェイロナもムルルも、自分を守るだけで精一杯だ。阿弥も、ソルネアとフランシェスカ嬢を同時に守るのには限界がある。彼女は高域攻撃が得意な魔術師であって、誰かを守るのは得意としていない。その時、フランシェスカ嬢に自分の身が守れるか……と聞かれると、首を縦に振るのは躊躇われる。
「辛気臭い顔をしていないで戻るぞ。そんな顔をしていたら、他の皆から心配されるからな?」
「うん」
低い位置にある頭に手を乗せ、軽く叩くように撫でてやる。抵抗は無く、撫でられるがまま。昔はこうすると、阿弥や宗一達は元気になったのだが。
「レンジ、それも食べたい」
「ああ、ほら。これを食って元気を出せ」
食べ掛けの干し肉も渡すと、むしゃむしゃと食べてしまうムルル。
空腹だと、思考が悪い方へ向かうものだ。非常食だけで満腹になるのは難しいだろうが、少しでも元気になってくれるといいのだが。こいつが辛気臭いと、どうにも調子が狂う。それは俺が、子供に甘いからなのだろうか。
『まるで、子供への餌付けだな』
「それは失礼過ぎやしないか、エルメンヒルデ」
「私は子供じゃない」
こんな、エルメンヒルデの空気が読めない一言への返しも、どこか力が無い。こりゃあ、重症だ。
・
宿屋へ戻ると、入り口にどこかで見た覚えのある馬車が止まっていた。
それを横目で確認して、ムルルと分かれて男部屋へ入ると、誰も居ない。フェイロナは、女性陣の部屋でチェスを指しているのだろう。そう思うと、どうしてか寂しい気持ちになってしまう。何だろう、この疎外感は。
「なあ、エルメンヒルデ」
『どうした、レンジ』
何となく寂しくなってエルメンヒルデへ声を掛けながら、ベッドへ外套を投げて腰を下ろす。
「お前も、フランシェスカ嬢と別れるのは寂しいか?」
『そうだな。寂しいと言えば寂しいし、そうでもないと言えばそうでもない』
「なんだ、そりゃ」
『……私は、ずっとお前と一緒だということだ』
「恥ずかしいヤツ」
『そうか?』
装備を外し終えて落ち着くと、ふう、と重苦しい溜息が漏れた。
寂しいわけではない。エルフレイム大陸へ渡れば、フェイロナやムルルとも別れる事になるのだから。仲間との別れは覚悟している。
ただ、ムルルほど寂しいと思う感情が強くない事に、別れに慣れてしまった自分に気付いて少し疲れてしまった。王都で、宇多野さんと別れた時の事を思い出す。半年か一年。もしかしたらもっと長くかもしれないし、今生の別れになるかもしれない。それでもあっさりと別れ、こうやって旅に出た。あの人は、その事をどう思っただろうか。
今度、機会があれば聞いてみようか。まあ、聞いたら聞いたでへこまされそうだが。言葉で。こういう時に、彼女が容赦しないという事はよく知っているのだ。
「本当、お前が一緒で心強いよ」
『ふふ。そうだろう?』
「ああ」
どこまでが本心なのか分からず、苦笑する。俺を元気づける為だけの言葉なのか。それとも、これがエルメンヒルデという一つの意思からの言葉なのか。
ただ。こうやって話して、少しだけ胸の奥が軽くなったのは事実だ。
勢いをつけてベッドから起き上がり、伸びをする。腹が減ったから、こういうことを考えるのだ。そう思うと同時に、部屋のドアがノックされた。
「はい、空いてるぞ」
「失礼します」
そう一言断ってドアが開けられると、ここ数日見ていなかった蜂蜜色の髪が視界に映った。
「フランシェスカ嬢」
「お久しぶりです、レンジ様」
そこには、見慣れた旅装束ではなく、上品な洋服に身を包んだフランシェスカ嬢が立っていた。
「どうした。何かあったのか?」
「あ、いえ。ムルルちゃんがどうしているかな、と思いまして」
『……本当に仲が良いな、お前達は』
「え?」
「いや、なんでもない。ムルルとはもう会ったのか?」
また余計な事を言い出しそうなエルメンヒルデを喋らせないように、こちらから質問を返す。先ほどの事をフランシェスカ嬢へ話しても、二人が気まずくなるだけだろうに。
「はい。先ほどまで、向こうのお部屋にお邪魔していましたので」
「そうか。ああ、立ち話も何だ。座ったらどうだ?」
フランシェスカ嬢へ椅子を勧め、テーブルを挟むようにして俺も座る。
「飲み物は?」
「大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます」
彼女の、この堅苦しい言葉遣いも懐かしい。口元を綻ばせて笑う彼女に、俺も自然と笑みを返す。
「久しぶりだな。元気にしていたか?」
「ふふ。レンジ様も、お変わりないようで」
『そうでもない。さっきまで、色々と悩んで塞ぎ込んでいたよ』
「……そうなのですか?」
「さあ、どうだろうな」
ポケットの上からエルメンヒルデを叩き、フランシェスカ嬢の質問には肩を竦めて返事をする。まったく、相変わらず一言多い。
「そういえば、ソルネアさんにチェスを教えたそうですね」
「ああ。そういえば、フランシェスカ嬢はチェスを指せるのか?」
「少々、友人に教えてもらったくらいです。友達が、学院の寮に持ち込んでいましたので」
「そうなのか。よかったら、偶にでいいからソルネアの相手をしてやってくれ。なんだかアイツ、チェスが気に入ったみたいでな」
「そのようですね。先ほど一度勝負しまして、なんとか勝てました」
なんとか、か。それがフランシェスカ嬢の実力か、それとも謙遜か。彼女の性格から、多分後者なのではないだろうかと思う。
その後も世間話をしたりしていると、また部屋のドアがノックされた。
「はい?」
「失礼し――」
その言葉が終わる前に、ドアが開かれる。多分ノックをしたのは阿弥で、その言葉の途中でドアを開けたのはムルルだ。
おそらく、部屋で二人っきりという状況で話している俺とフランシェスカ嬢の事が気になったのではないだろうか。まあ、ムルルは違うだろうが。
「あ、ちょ……ムルル。まだ挨拶が途中なのに……」
「レンジは気にしない」
「気にするわ。ちゃんと挨拶をしてドアを開けろよ、ムルル」
「……気にするの?」
『気にするのか?』
お前もムルルと同じ考えか、エルメンヒルデ。
「俺が着替えたりしていたら気まずくなるだろうが」
「今はフランが居るけど……」
「居ない時の話だ」
「私は気にしない」
「気にしろ。もう大人だったら、ほいほい男の部屋になんか入らないぞ。普通は」
「……そうなの?」
「え、あ。そう……じゃないかな?」
どうしてそこで阿弥に聞くのか。同性だからだろうか?
あと、そういう所を気にしないからお前は子供なのだとムルルに言いたい。将来、変な男に騙されないか不安になってくる。
阿弥は阿弥で、何を想像したのか頬を赤くしていた。一体何を想像したのか。俺の視線に気付いたのか、慌てたように視線を彷徨わせ、コホンと咳払いをしている。
『一体何を想像しているんだ?』
「うわあ!?」
『……何故私の声に驚く』
面白いなあ、相変わらず。阿弥とムルルにも椅子を勧め、足らなかったので俺はベッドへ再度腰を下ろす。
こうなると、向こうはフェイロナとソルネアの二人なのか。向こうの方が部屋は広いのだが、と思うが出て行けと言うのも気が引ける。話が一段落したら向こうの部屋へ移動しようかと考えていると、フランシェスカ嬢から話を振られた。
「レンジ様。明日の夜、何かご予定はあられますか?」
「いや、無いが。どうかしたのか?」
「父が。レンジ様とアヤさんをお呼びして食事会でも、と」
「俺と阿弥を?」
視線を阿弥へ向けると、頷いて応えてくる。学院の先輩からの御呼ばれなのだし、特に気にしていないようだ。
ムルルへ視線を向けると、フランシェスカ嬢と楽しそうに話している。その姿を見ると、しょうがないか、という気持ちになる。と言っても、別に深く気にする必要など無いのだが。
「フェイロナとムルル、それにソルネアは?」
「大丈夫です。皆さんをお誘いするように言われていますから」
「なら、その誘いを受けるよ」
「本当?」
「ああ。明日は腹いっぱいご飯を食べて良いぞ、ムルル」
「……そんなに食べない」
俺が言うと、ムスッとした返事を返される。その表情が可愛らしくて、三人で口元を綻ばせてしまう。
それが気に入らなかったようで、かるくフランシェスカ嬢を叩く仕草をする。そんなムルルの頭を撫でながら笑うフランシェスカ嬢は、とても楽しそうだ。二人を見ながら笑うと、阿弥も微笑ましそうに二人を見ている。
『寂しくなるな』
エルメンヒルデの声に、誰も反応しない。それは、俺だけに向けた言葉だった。
「そうだな」
だから俺も、偽りの無い本心を口にした。




