第九話 そんな戦いの無い日に2
太陽が傾き、夕焼け色に染まった空の下。中央公園に据え置かれているベンチに腰掛けながら、僅かに感じる寒さに肩を震わせる。
日本のように寒さが厳しいわけではないが、今は冬。寒いものは寒い。
外套の前を合わせて寒さを凌ごうとするが、あまり意味が無いように感じる。こんな事なら、ムルルとソルネアも残しておくのだったと後悔してしまう。何だかんだで、傍に誰かが居るだけでも十分暖かいのだ。会話をしたり、一緒に歩いたり。
先ほどまで一緒に居た仲間が恋しくなり溜息を吐くと、頭に声が届いた。
『溜息など吐いてどうした?』
「いんや。寒いなあ、と」
『冬だからな』
俺の相棒はというと、たったこれだけである。もう少し会話をする努力をしてほしいものだ。
それがエルメンヒルデらしくもあるが、だからこそ寂しさというか寒さを感じるのだ。贅沢な悩みなのだろうと分かっているが、どうしようもない事だと割り切る事にする。
ベンチに座りながら夕焼け空の下を歩く人々を観察する。両親と手を繋いだ子供や恋人達、老夫婦に幼い兄弟、俺のように誰かと待ち合わせをしている男達。皆が笑っていたり、夕食の献立に悩んでいたり、帰路を急いでいたりと様々な表情をしている。
そんな人々を何とはなしに眺めていると、その人の波の中をこちらに向かって歩いてくる見慣れた顔を見付けた。少し風があるのを気にして、右手でローブの前を合わせながら、左手で髪を抑えている。その姿は、俺以上に寒そうだ。
「すみません、お待たせしましたか?」
「いや。俺も今来たところだ」
『そうか?』
そんなありきたりな言葉を口にする俺の努力をあっさりと壊してしまうのがエルメンヒルデである。見ると、阿弥も何とも言えない表情でベンチに座る俺を見ていた。阿弥は身長があるので若干見下ろされる体勢ということもあり、なんとも居心地が悪い。
ん、と口にしながらベンチに座って凝り固まっていた身体を伸ばすと、阿弥がクスクスと肩を震わせながら笑った。
「どうかしたか?」
「いいえ、なんでもありません」
そう言うが、やはりその表情は楽しげに綻んでおり、空気が読めない相棒の所為でバツが悪い俺は心持ち肩を落としてしまう。そんな俺の表情に気付いたのか、コホン、と一つ咳払いをして阿弥が風で乱れた髪を手櫛で整える。
「それでは、いきましょうか」
「ん? ああ、そうだな」
立っているのも寒いしな、と。
そう言うと、そうですね、と言いながら隣に立って歩き出す。同じ中央公園で待ち合わせをしていた数人の視線がこちらに集まる。そのどれもが男性なのは、それだけ阿弥の容姿が人目を――とりわけ、男の視線を集めるからか。
「あの、燐さんはもう戻ってきていましたか?」
「工藤? いや。家には鍵が掛かっていた」
石造りの家屋に囲まれたコンクリート造りの家を思い出す。あの異質感は凄まじく、よくあの家に住めるものだと感心したものだ。藤堂の店のように、周囲に溶け込ませるという努力の跡も見られない、まさに異世界の建物である。
「……寝ていただけでは?」
「いや。ムルルが人の気配は無いって言っていたから、そうなんだろ」
「ふうむ。そうですか」
『なんだ。なにかリンに用があるのか?』
「ああ、ううん。そうじゃなくて。グリフィン退治に力を借りようかな、って」
別段困った風ではなく、ただの世間話のように言うには中々に驚ける話の内容である。折角の夕焼けに染まったデートスポットで話すような事ではないだろう。まあ、色気のある話をされても困るが。
「なんだ。依頼でも受けたのか?」
「そうじゃありませんけど。ギルドに討伐依頼が出た時、すぐに動けるように準備をしていようかと」
『……そうだな。アヤは真面目だな』
それだと、誰かは不真面目という事か。まあ、俺が真面目だと言う自覚は微塵も無いが。
討伐に必要な人員はダグラムが集めてくれそうだが、工藤が居てくれると確かに安心だ。『道具使い』でありながら俺よりも身体能力が高いし咄嗟の判断力もあるので、グリフィンが相手なら前線に出ても十分対処できるだろう。ただ、そうなると完全に俺がお荷物になりそうだが。
それはいつもの事か。悲しいやら情けないやら。英雄願望などとうの昔に捨てたつもりだが、阿弥や工藤だけを戦わせるわけにはいかないなあ、と。
「グリフィンなら、動物の死体と……なんだったかな。変な名前の野草が好きだったな」
その辺りは、フェイロナか商業都市に居るエルフやドワーフに聞けば分かるか。鼻が良いので好物である血と野草の匂いでおびき寄せる事が出来る。罠に嵌めるのは簡単だろう。鳥類なので夜目が利かないというのも大きい。以前教えてもらった討伐の手順を思い出しながら、俺は頭を使う方向で役に立とうと思う。
「そういえば、ムルル達は?」
「ムルルとソルネアは宿に帰らせた」
「そうなんですか? 江野宮君に紹介すればよかったのに」
『そうなのだが、レンジがソルネアにチェスの道具を買ったのだ』
「はい? チェス?」
それと何の関係が、と阿弥が首を傾げる。
「ああ。昼間に指させたら気に入ったみたいでな。で、道具を一式買ったらフランシェスカ嬢と指したくなったんだそうだ」
メルディオレを案内している途中、何度も今日は宿屋の方にフランシェスカ嬢はくるのか、と聞いてくるのだ。やはり無表情だったが。
本人は指したいとは口にしていないが、きっとそういう意図があったのだと思う。ムルルと一緒に帰らせた時、宿屋へ向かう足が軽そうに見えたのは気のせいではないはずだ。
「へえ」
疚しい気持ちなど一切無く、暇潰しとこの世界を楽しんでほしいという純粋な気持ちからの行動なのだが、どうにも阿弥さんはお気に召さなかったようだ。いや、そこまでこの子が狭量だとは思わないが、どうしてかその「へえ」はとても冷たい口調だった。あれかね。俺がソルネアに贈り物をしたことが気になるのかもしれない。
隣を見ると、いつもは勝気な印象を受ける瞳も、今は胡乱な感情を宿した半眼である。歩く速さも少し上がり、数歩先を行く阿弥の背中を追いかける形になってしまう。歩く仕草で揺れる左に纏められた髪とローブが、夕焼けの光を反射して陰影を作る。たったそれだけでも一枚絵のように様になる人物は、そう多くないのではないだろうか。
「こっちとしては、人間を好きになってもらいたいし、色々と楽しい事を知ってほしいという気持ちからなんだがな」
「ふうん。そおですかあ」
そんな俺の言い訳を、背中越しに返事をする阿弥。唇を尖らせているのだろうか。腰の所で後ろ手を組んで歩く姿は、拗ねている子供そのものだ。その子供っぽい仕草を微笑ましく思いながら、さてどうやってご機嫌を取ろうかな、と。
これがムルルやソルネアなら、屋台でオーク肉の串焼きでも奢ってやれば機嫌が良くなるのだが。そう、とても失礼な事を考えながら歩く。
『ユーイチローと会うのなら、花の一つでも買ったらどうだ?』
「そうだな」
良い具合にデートスポットという事で、花売りの露店もいくつか目に付く。エルメンヒルデの声は聞こえているようで、無言で俺の隣に立ちながら花屋を見る阿弥。想い人に花を贈ったりや死者が眠る墓に花を手向けるというのは世界が違えど共通の認識らしい。日本では菊の花だったがこの世界では小さくて可愛らしい白色い花を沢山束ねて墓前に手向けると言うのが一般的なようだ。白を銀色に見立て、銀の女神であるアストラエラに死者の魂を導いてもらうという意味があるのだとか。その花屋に用意されていた白色い花をいくつか包んでもらい、その分の代金を払う。
そうして買い物を済ませると、露店の店員さんが俺と阿弥へ何やら含みのある笑顔を向けてくる。きっと、内心で色々と想像しているのだろう。露店の主は年若い女性だ。恋話のようなものが好きなのも、世界が違えど共通の認識なのだろうか。
「さて。買う物も買ったし、行くか」
「そうですね」
その声がやはり低く聞こえるのは気のせいではないだろう。
花が欲しかったのだろうか。そう思うが、俺達旅人のような人種に花というのはどうにも有難味が無い。飾ってもいつ次の旅に出かける事になるか分からないし、同じ理由で育てるという事も難しい。それでも花を欲しいと思うのは、女性の心理なのだろうか。元の世界でなら贈り物の選択肢には花というのもアリなのかもしれないが、この世界で冒険者への贈り物は実用的な物か即物的な物が良い……と思っているのは俺だけではないだろう。
拗ねて俺の前を歩く阿弥の後姿を眺めながら、それでも口元を緩めてしまう。いつもの大人らしい阿弥も可愛らしいと思うが、今の拗ねた姿の方が阿弥らしいと言うか、なんというか。聞きようによっては問題なのだろうが、今の姿の阿弥が俺は好きなのだと思う。
「阿弥、そんなに拗ねないでくれ」
「別に拗ねてませんー」
きっと、阿弥もこういう時間を楽しんでいるのだろうな。怒ったように唇を尖らせて俺の先を歩いているが、その声はとても楽しげに弾んでいる。
冒険者。魔物退治。異世界から召喚されて、人外の力と能力を手に入れて。それでも俺達はいつ死ぬか分からない身だ。天寿を全うして死ねるだなんて思わないし、ベッドの上で幸せに死ねるかも怪しいものだ。だからこそ、こんな些細な事でも楽しいのだと思う。俺も、阿弥も。
『仲が良いな、二人とも』
「エルが言うと、嫌味に聞こえるんだけど?」
その一言で振り返る阿弥。やはりその唇は尖っているが、表情は怒っているというよりも呆れているように見える。
これでエルメンヒルデが実態を持っているのならいいが、今はメダルの身だ。その視線は俺に向けられる。
「この一年、ずっと蓮司さんと一緒だし」
『子守りのようなものだったがな』
呆れ声で即答する相棒に言葉も出ない。そんなに迷惑をかけたつもりは無いが、きっとそうなのだろう。
反論しない俺をきょとんとした目で見た後、阿弥が笑う。年相応の笑顔に胸の奥が温かくなり、エルメンヒルデに酷い事を言われた後だというのに自分の口元が緩むのを自覚する。
「メルディオレへ来る途中にも言ったが、のんびりとした一年だったがな」
「良いじゃないですか、そういうのが。こうやってゆっくりと話して、笑っていられたら。まだまだ平穏には程遠いのかもしれませんけど、折角の平和な時間なんですから」
「……そうだな」
否定はしない。出来ない。
俺もそう思うから。こうやってゆっくりと、のんびりと、笑っていられたら。きっとそれが、一番の幸せなのだと思うのだ。魔物や魔族、魔神の脅威も無く。この自然豊かで美しい世界を旅する事が出来たら――きっと、それこそがエルの願いだっただろうから。
だから阿弥の言葉が嬉しくて笑うと、またキョトンとした顔。そして、心底から嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。
そうやって話しながら歩いていると、だんだんと人通りが少なくなってくる。建物の数も減り、代わりに今の季節は葉の落ちた木々が目立つようになってきた。道の脇には花が植えられていたのであろう花壇と思われる場所には、今は何も植えられていない。枯れた木だけしかないこの道は、とても寂しい気持ちにさせられる。
更に進むと、低い鉄柵に囲まれた場所に出た。
住宅が立ち並ぶ場所よりも僅かに高い場所に作られているからか、少し進むと海が良く見える。港町らしい墓地と言えるだろう。広さはそれほどでもなく、並べられている墓は百にも満たない。魔物との戦いで五体満足の死体が残る事は稀であり、殆どは生き残った魔物に食料として回収される。死体が残らず行方不明として扱われている人も多い。ただ、戦いの後……数日経っても見つからなかったら、生存は絶望的だと言われている。そんな、死体が無い人達は墓石に名前だけを刻まれているのだ。
「やっぱり。お墓は寂しいです」
「本当にな」
阿弥の呟きに応えると、そんな墓地の入り口に一つの人影があった。雄一郎かと思って視線を向けると、記憶の中の彼よりも一回り以上身長が低い。もう一年以上前の記憶だが、それでも雄一郎の身長は百七十くらいはあったはずだが、視線の先に居る人影は百六十に届くか届かないかといったくらいだ。
墓参りへ来たにしては、墓地の入り口に立っているというのもおかしい。誰かを待っているのか。そう思いながら近付くと、会釈をされる。反射的に俺も阿弥も会釈を返したが、あまり友好的には感じない。社交辞令のような感じだ。
天然癖のあるセミロングの黒に近い紫髪に、どこか冷たい感じがする凛とした表情。着ている服はチュニックに足首までありそうな丈の長いスカート。その姿を横目で確認しながら墓地内へ進むと、腋を肘で小突かれた。
「もうっ」
「いや、誰か確認しただけなんだけどな」
『どうだか』
どれだけ女性関係で信用が無いのかね、俺は。そんなんじゃ、お兄さん悲しくなっちゃうよ。
内心で馬鹿な事を呟いて墓地内を進む。俺の膝くらいの高さの墓が均等に作られており、そのどれもに手入れが行き届いている。そんな石造りの墓に囲まれるように、夕焼け色の世界に黒ずくめの男が一人、竹箒のようなものを手に墓場の掃除をしていた。もう日も落ちる時間だというのに、熱心な事だと感心する。
その眼前にある大きな石墓。その黒ずくめの人間や俺よりも大きいその墓を、死体が無い人の為の墓を掃除や手入れをするでもなく、ただただぼう、と見ているように見える。
「よう、雄一郎」
その黒ずくめの男の背中に、声を掛ける。着ている服は黒、その上にあるロングコートのような外套も黒。ブーツも、革手袋も。日に焼けた褐色の肌も、夕焼け時の今では黒く見える。そんな全身が黒一色の中で、くすんだ灰色の髪だけが別色。その髪は、この一年で随分伸びていた。以前も長かったが、今は女性のように背の半ばまで伸びており、首の後ろで無造作に結ばれている。しかし夕焼けに照らされるその身体は、俺達よりも一回り小さい。その理由は、雄一郎の左腕だ。彼には、そこにあるべき腕が無い。以前の戦いで、その腕は完全に失われてしまっていた。通されていない左袖が、風に煽られて揺れている。
その男が、俺の声に反応して振り返る。メルディオレの平和に馴染んでいるのだろう。これだけ近付かないと気付かないというのは、以前からは考えられない事だ。
「あ」
微かな驚きの声と共に、その紫色の瞳が僅かに見開かれた。
「あれ? 山田さんと阿弥ちゃん。なんでここに?」
そして、どこか間の抜けた、のんびりとした口調で首を傾げた。
「久しぶりだな、雄一郎。旅の途中で寄ったんだ。調子はどうだ、元気にしてたか?」
「久しぶり、江野宮君」
「うん。久しぶり、二人とも。そっちも元気そうで」
「ああ」
ニコリと笑って礼をする。その所作は、一年前よりも随分と大人びて見えた。
「毎日、墓を見ているのか?」
「そんな、毎日ってほどじゃ。今は、週に一回くらいですよ」
「……そうか」
そう言って隣に並ぶと、雄一郎の前にある大きな墓に先ほど買った黄色い花を添える。手を合わせると、ありがとうと雄一郎が言った。
ここには、死体が無い人たちが眠っている。魔物に襲われた人達や、討伐依頼を受けて戻らなかった冒険者。そして、旅の途中で姿を消した旅人。その中には、雄一郎の想い人であったセレスティアさんも含まれている。
俺達と一緒に旅をして、そして亡くなった。その遺体は……持ち帰る事が出来なかった。
「それにしても、二人が一緒だなんて珍しいね。何かあったの?」
「そっちは今度、ゆっくり話しましょう。江野宮君」
「そうだね。宗一君は元気にしている?」
「元気過ぎるわよ。蓮司さんも相変わらず」
『うむ。墓地の入り口で、女を見ていたぞ』
久しぶりに会った仲間なのに、そんな事を話すのはどうかと思う。雄一郎は、エルメンヒルデと阿弥からボロボロに言われる俺を見て笑っている。
そうやって、しばらく俺が弄られる時間を過ごすと、楽しそうに笑っていた雄一郎が息を整えるように数度深呼吸をした。
「暫くはメルディオレに居るの?」
「ああ。今度、エルフレイム大陸に渡るんだ」
「そう」
話しが一段落する頃には、夕焼け色だった空が薄暗くなりはじめていた。肌寒さが増し、阿弥が寒そうに肩を竦める。
そんな阿弥を見て、俺と雄一郎は顔を見合わせた。
「それじゃあ、今度はこっちから顔を出すよ」
「気にするな。どうせ暇な身だ、また来るさ」
「うん。また今度、ゆっくり話そう」
『そうだな。それがいい』
また、冷たい風が吹く。阿弥のローブとスカートが煽られ、きゃ、と小さな悲鳴が上がった。
ここは海に近いから、街の中よりも風が強い。夏は風が気持ちよさそうだ。見える景色も良い。墓場で景色を楽しむというのも、色々と問題なのかもしれないが。
「そういえば、阿弥ちゃんと山田さんが二人っきりって珍しいね」
「ん?」
そうだっただろうか。
そう言われて、首を傾げる。割と、記憶の中では阿弥と二人っきりの場面は結構あるのだが。旅の途中、一緒に火の番をした事とか。偶に二人で買い出しに出掛けた事とか。まあ、雄一郎が言っているのは色々と阿弥が俺を意識し始めてから、という事なのかもしれない。あの頃は、男とか女とかを変に意識していなかったようにも思う。
「まあね」
その辺りを少し話そうかと口を開くよりも早く、阿弥が胸を張るようにしてそう言った。朝は酔っ払いどもにからかわれて顔を赤くしていた阿弥だが、雄一郎から言われても狼狽えたりはしない。ある意味で、慣れたとも言えるのだろう。
しばしの間の後、コホン、と一つ咳払い。まあ、慣れたとはいっても、恥ずかしいのは変わらないようだ。先程の無邪気とも取れる笑顔とは違うすまし顔を浮かべているのが面白い。
……そう思っていたら、阿弥から足を踏まれてしまった。まあ、痛くないので手加減はしてくれているようだ。そしてまた、雄一郎が笑う。それを見て、一年前よりも随分笑顔が増えたように感じた。それに、笑い慣れているようにも。意図した笑顔でも、何かを隠すような笑顔でもない、朗らかな笑顔。
セレスティアさんの事を思い出すと、どうしても悪い方向にばかり思考が向きそうになる。それでもこれだけ笑えるという事は、この一年でちゃんと心にけじめを付けたのか。それとも、前に進もうと頑張っているのか。隣の阿弥も笑い声を上げ、その目元に浮かんだ涙を指で拭う。笑い過ぎたのではなく、多分俺と同じように雄一郎がこうやって笑えているのが嬉しいのか。
丁度その時、砂利を踏む足音が耳に届いた。
「ユウイチロウさん」
振り返るよりも早く、静かな声が耳に届いた。声の方を向くと、先ほど墓地の入り口で見掛けた女性が静かに佇んでいる。
「セラさん」
雄一郎が女性の名前を呼ぶと、軽く会釈をする。セラという名前らしい。
紹介してくれと雄一郎へ視線を向けると、先ほど浮かべていた朗らかな笑顔ではなく、どこか大人びた笑顔を浮かべた。そのまま、そのセラ7さんの隣に歩み寄る。とても自然な仕草で、彼女も特に嫌がっている素振りが無い。というよりも、隣に立つ雄一郎に半歩近付いている。
「こちらはセラウィ・ゲルニアさん。セレスさんの妹さんです」
「……初めまして」
そして、もう一度会釈。そんなセラウィさんを見て、俺と阿弥は数瞬だけ視線を合わせた。
妹が居るとは聞いていなかったし、彼女の雰囲気はセレスティアさんと随分違う。活発で力強く、俺達を引っ張ってくれたセレスティアさん。しかし目の前に立つ妹は、どこか陰気にも感じてしまう。そんな風に見てしまうからか、その容姿もどこか暗いものに感じる。失礼かもしれないが、姉とは真逆のようにも。
彼女の印象が強すぎるからか、どうしても比べてしまう。そんな自分の感性が悪いのだと思うし、姉妹で真逆の性格などよくある事だとも分かるのだが。
「今、一緒に暮らしているんです」
しかし、続いて出た言葉に心臓が飛び出るほど驚いた。
「はい?」
驚いて言葉が出ない俺と、ぽかん、とした表情で雄一郎を見る阿弥。
雄一郎という少年は、物静かな少年である。引っ込み思案で、あまり自分の意見を口に出来ない。言い方は悪いが、周囲に流される……そういう少年だった。うん。
自分が考えている事の真逆である人の意見に頷いてしまう事も度々あり、それがストレスとなっていた事もあるほどだ。そんな雄一郎を叱咤激励していたのがセレスティアさんであり、雄一郎はそんな彼女に惹かれたし、彼女に好かれようと頑張って変わる努力をしていた。
そんな雄一郎が、セレスティアさんの妹さんと一緒に暮らしているというのは、純粋に驚いた。いや、別に新しい恋をしてはいけないという訳ではない。むしろ、前に進んでいると応援したくなる。
ただ、雄一郎はセレスティアさんのような活発な女性が好みだと思って驚いた。あと、奥手だ奥手だと思っていたという、とても失礼な思考の所為でもある。
「初めまして、セラウィさん。レンジ・ヤマダといいます」
「これは、また。ご丁寧に。セラウィ・ゲルニアです。お話は、ユウイチロウの方から伺っております」
「え、っと。初めまして。アヤ・フヨウです」
そう挨拶をして、三人で会釈をする。一人立っている雄一郎からすると、シュールな光景なのかもしれない。
「お仕事とお話は終わりましたか?」
「うん。待たせてごめんね、セラさん。阿弥ちゃん達は、これからどうする? よかったら、晩御飯でも……」
「あ、いえ。いいえ。今日は遠慮しておこうかなあ、って。ねえ、蓮司さん?」
「そうだな。うん」
「そう? まあ、メルディオレに居るなら、また今度誘うね。それじゃあ、帰りましょうか、セラさん」
「はい」
そう言って、固まってしまった俺達二人に一礼して去っていく雄一郎とセラさん。彼女は雄一郎の左側に立ち、今は無い左腕を支えながら歩いているように見えなくもない。
……マジか。
「蓮司さん、知っていましたか?」
「いや、知らなかった」
頬を抓ると、やはり痛い。夢ではないのか。
この世界の女性の貞操観念はとても高く、嫁入り前の女性が肌を晒すというのはとても御法度な事だ。同棲をするというのも同様で、家族でも子供でもない男女が一つ屋根の下で暮らすという事は、周囲からすると“そういう”関係なのだと言っているようなものである。
俺達と同じ異世界の人間である雄一郎だけではなく、この世界の住人であるセラという女性も一緒に暮らしているとなると……きっと二人とも、そういう関係なのだろう。所謂、男と女の関係というヤツだ。
喜ばしい事ではあるが、色々と複雑なのはその事を俺達が知らなかったという事か。一言くらい話してくれてもいいだろうに。
まあ、ネットも電話も無いこの世界だ。手紙を送っても数か月後に届くという事も稀にあるし、旅をしていては住所が分からずに届かないという事もある。その事を悪くも言えないのか。
「優子さんも、知らなかったのかな……」
「どうだろうなあ」
その声は、俺に聞いたというよりも、思った事をそのまま口にしてしまったという感じだった。その声に返事を返す俺も、その声に力が無いように思う。
それくらい衝撃だったのだ。雄一郎が。あの雄一郎が、女性と同棲しているだなんて。
あの人、外見に似合わずと言うのはかなり失礼だが、こと恋愛事に関してはかなり奥手というか初心だからなあ。知っていても自分から言い出せなくてそのまま言い忘れてしまったとかありそうだ。
『何をニヤニヤしている。気持ちが悪い』
「……本当に容赦がないな、お前」
そういえば、グリフィン退治の事を伝えなかったと思いだしたのは、しばらく経った後だった。




