第八話 そんな戦いの無い日に1
商業都市も魔術都市と同じようにいくつかの区画に分かれるような造りになっている。商業区に住宅区、それに学区と港区。住宅区には一般用と貴族用と更に分かれるのだが、漁師や船乗りのような人は港区に簡易の居を構えている人も多い。建物は格子状に建てられ、中央の公園から大通りが十字に伸びているのが特徴か。
さて。都市の名前にもあるように、メルディオレは商業というか交易が盛んな都市である。海の向こう、エルフレイムから船で荷物を運んできており、王都イムネジアよりも早くその交易品を見る事が出来るという事もあるが、武器や防具、装飾品に魔術付与を出来るエルフの職人。精霊銀の加工技術を持つドワーフの鍛冶師が居るというのも大きい。
太陽も高くなり、活気に満ち満ちた商業区の大通りを歩きながら、欠伸を一つする。目は覚めているが、酒精が完全に抜けたわけではない。一応、出る前に宿屋によって身体を洗ったが、どうにも頭が重く感じてしまうのは完全な二日酔いだからか。
「大丈夫?」
「ん。心配してくれてありがとうな、ムルル」
『気にするな。どうせただの二日酔いだ』
眠そうとも取れる瞳で上目遣いに聞いてくるムルルとは違い、頭に響くエルメンヒルデの声はとても冷ややかだ。どうも、昨晩放っておいて酒を飲みに行った俺に怒っているらしい。
悪いとは思うが、昔の仲間との付き合いも大切ではないか。別に、連れて行っては駄目という事も無かったのだが。やはり、男連中で集まって馬鹿騒ぎをしたい時もある。
「レンジ。あれはなんですか?」
そう思いながら歩いていると、ソルネアが外套の裾を軽く引きながら露店に並んでいる装飾品の一つを指さしていた。
昨日聞きたい事があったら聞けと言ったからか、今日の彼女は目にする物の殆どを質問している。もしかしたら、今まで周囲を無表情で眺めていても、内心では色々と不思議に思っていたのだろうか。
「ああ、あれは――」
その露店は石畳の上に風呂敷を広げて商品を並べており、ソルネアが指をさしているのは並べられた商品の中で中央に置かれている銀細工の耳飾りだ。細かな造りであまり目立たないようにも見えるが、小さな宝石が何種類も鏤められている。小指の先程度の大きさだが、この露店に並んでいる商品の中で一番高価なように思える。
「装飾品だ。ほら、耳に飾る」
そう言って、視線を露店の店主へ向ける。並んでいる商品が装飾品ばかりだからか、その店主も多くの装飾品を身に着けている。こうやって身に着けた姿を見せる事で、商品がどんなものかを購入者へ印象付ける意味合いもあるのだろう。
ソルネアが店主の耳へ視線を向けると、おそらく二十代半ばくらいであろう店主が薄茶色の髪をかき上げて耳を見せる。そこには、その商品に似ているが少し大振りの耳飾りがある。こちらは銀ではなく、金で造られていた。
「なるほど。そう使うのですか」
「女性の身嗜み、ってヤツだな。ムルルだって、リボンで髪を飾ったりしているだろう?」
「……レンジ、それは失礼」
『だってとはなんだ、だってとは』
その失言に肩を竦めると、覗き込むように露店の商品を眺めているソルネアに視線を向ける。店主が買ってもらおうと説明しているが、どうやらその説明には興味が無いようだ。やはり感情の波が感じられない視線で、色とりどりの宝石で飾られた装飾品を見ている。
「何か欲しいものはあるか?」
「いえ」
興味があるのかと思って聞くが、返ってくるのは否定の言葉だ。その言葉と共に、露店の商品からその視線が外される。
そのさっぱりとした行動に一番驚いたのは店主だ。何とか買って欲しそうにこちらへ視線を向けてくるが、本人の興味が無いのならどうしようもない。なにより、こちらもそれほど懐に余裕があるわけではない。
愛想笑いを浮かべて断ると、向こうも肩を落としながら諦めてくれた。こちらに買う気が無いと分かり、あっさりと手を引いた印象だ。
「何か欲しいものがあったら、言っていいからな?」
「分かりました」
露店を離れてからそう言うと、やはり平坦な声でそう返ってくる。本当に分かっているのだろうかと溜息を吐くと、その視線がこちらに向く。
「買った方が良かったですか?」
「いいや。お前が興味の無いモノを買っても、意味が無いさ」
「そうですか」
俺がそう言うと、どうしてか首を傾げるソルネア。表情に変化が無いので、とてもシュールだ。
すぐに興味を無くしたように視線は前を向き、静かに歩き出す。黒いドレスという事もあり、なんだか冷たさすら感じてしまうが、慣れるとあまり気にならない。そういうのがソルネアと言う女性の味なのだろうと思う事にする。
「レンジ、アレ」
次はムルルが外套の裾を引っ張り、露店を指さす。そちらには、魚をすり身にして棒状に伸ばしたものを焼いている露店があった。焼き鳥の、つくねのような奴だ。俺には分からないが、鼻が良いムルルには良い匂いが感じられたのかもしれない。
そんなムルルへ呆れ混じりの半眼を向けると、上目遣いでこちらに視線を返してくる。先程はどこか眠たげだった瞳が、今は好奇に輝いているように見えなくもない。
「美味しそう」
「俺はソルネアに言ったつもりなんだけどな?」
「分かった」
『……食べ物ばかりだな、お前は』
「食べた事が無いから、興味がある」
だったら自分の金で買えと言いたい。何故俺に言ってくるのか。
そう考えていると、ソルネアの黒いドレスを引くムルル。俺の外套を引いた時よりも優しいように感じるのは、気のせいではないだろう。
「ソルネア」
「そうですね。レンジ、あれは何ですか?」
「……それはズルいだろ」
『ふふ。楽しそうだな』
そう肩を落とす俺を、エルメンヒルデが笑う。その声が本当に楽しそうだから、何も言えずに屋台へ歩み寄る俺達。先ほどよりもソルネアの視線に何らかの意思を感じてしまう事が、とても複雑に想えてしまう。
「色気より食い気だな、お前達は」
「なに、それ?」
「自分を飾るより物を食べる方が好き、って意味だ」
『レンジの事か?』
「んー……男に使うような言葉じゃないかもなあ」
あまり男に使っている場面を見た事は無い気がする。あと俺は、食い物は大事だが睡眠の方に重点を置きたい。
財布代わりに使っている革袋の紐を緩めながら説明して、二人分の串焼きを買い、俺はすり身よりも安いオーク肉の串焼きを買う。いや、俺一人我慢するのも馬鹿らしいし。
「ほら、残すなよ?」
「もちろん」
『まるで、子供に甘い父親だな』
「こんな大きな子供が居てたまるか」
「私も……レンジは少しだらしない」
『少しというか、物凄くだと私は思うが』
朝、二日酔いで潰れていたからだろうか。言いたい放題だな、チクショウ。
しばらく無言になり、食べながら歩いているとまた外套を引かれ、立ち止まる。そして、ソルネアの質問に答えるという事が何度か続く。それは先ほどのように装飾品であったり、服屋に売られている露出度の高い服であったり、化粧品の類であったり。日常生活に必ずしも必要とは言えない、だがそれなりの値段で売られているものにソルネアは興味を示しているように思う。
俺のように実用性重視の思考が頭にあるのだろうか、と考えてしまう。俺のような男ならそれでもいいが、女の子がそういう考えというのも少し問題ではないだろうか。まあ、ソルネアにその辺りを考える事が出来る判断材料があるのか、と聞かれると首を傾げるしかないのだが。
いくつか買うように勧めてみたが空振りをしてしまい、これでいいのだろうかと悩みながら歩いていると、また外套を引かれる感覚。今日半日で慣れたその感覚に視線を向けると、ムルルが指差す方向に人だかりが出来ていた。なんだろう、今日は子守りをしているような気しかしない。
「レンジ、あれは何をしているのですか?」
「お祭り?」
「今日、何かお祝い事があるなんて聞いてないけどな」
集まっているのは二十人ほどで、簡易テントの下で何かをしているように見える。二人を伴って近づくと、カツ、と乾いた音が耳に届いた。
「チェスか」
その人だかりの後ろからテントの中を覗き込むと、その集団が何をしているのかが分かり口にする。
チェス。
俺達の世界にあった遊戯で、工藤が相当数を作って売った商品だったはずだ。それなりの値段がするし、チェスで遊ぶよりも畑仕事をする方が大事な世界なのであまり流行らなかったと聞いていたのだが。見てみると、身形の良い男たちが乾いた音をさせながらチェスを指している。
チェス盤は五つ。五つの丸テーブルに二人ずつ座って対局しており、他のテーブルではトランプをしているようだ。どうやら、テントを張って影を作った即席の遊技場といった場所のようだ。
「チェス、とは?」
「あー……うん。どう説明すればいいかな」
どうすれば簡単に理解してもらえるかと考え、迷うこと数瞬。
「ああやってお互いに駒を動かして、駒の取り合いをするゲーム……遊戯だな」
「駒の取り合い?」
「ええ、っと。兵士やら騎士やら、駒ごとに特性があるんだが――どう説明したもんか」
『レンジは出来るのか?』
「一応、ルールくらいは知っているが……」
『なら、やりながら教えた方が早いのではないか?』
「……それもそうか」
その方が早そうだな、と。対局を見ていた男の一人に聞くと、チェスを見ている人の多くは暇潰しらしい。ルールは聞いても小難しいが、こうやって見ているのは楽しいと考えている人が多いのだそうだ。
それに、見ているとルールを何となく覚えて対局できるようになる人も居るらしい。まあ、そういう事もあるのか、と思う事にする。といっても、俺もチェスのルールなんて興味本位で覗いたネットの情報でしかないのだが。周囲にチェスを指せる友達もいなかったので、相手もネット上のNPCだったし。もう何年も使っていない知識なのでかなり不安だ。
そう思いながら暫くすると、テーブルの一つに空きが出来る。周囲の人達に断りを入れると、嬉々として席を譲ってくれた。どうも、あまりチェスは人気が無いようで、こうやって新しい人が参加するのは嬉しいのだそうだ。
「さて、と」
俺の正面にソルネアが座る。自分陣地の駒を並べ終え、ソルネア側も駒を並べると手首をコキコキと鳴らす。どうやら俺達は新しく来たという事で注目されているらしく、テーブルの周囲に人だかりが出来てしまっていた。あまり目立つのは好きではないのだが、折角ソルネアが興味を示したのだから楽しんでもらえるように頑張ろうと思う。といっても、俺が出来る事などチェスの基本を教える程度なのだが。
俺とソルネアの駒を交互に操り、兵士や僧侶、戦車といった駒がどういう軌道で動くのかを、実際に動かしながら教える。駒を動かし、取り、相手陣地に侵入したら昇格をする。
そして最後に、王が取られたら負け。一通りの事を教えると、ソルネアがなるほど、と小さく呟いた。
「ふむ」
カツカツと、乾いた音が耳に届く。
お互い無言になりながらの三戦目。といっても、一戦目はソルネアの分も俺が動かしたし、二戦目はやはり勝負にならずに俺の勝ち。
チェスというのは、どれだけ相手を自分の考え通りに動かすか、という事に終始するのでは、と俺は思う。一手一手の先を読み、罠を張る。こちらが想像する通りに駒を動かさせるように、こちらから誘導する。よくネットや動画で見ていた「何十手も先を読む」というのは、流石に分からないが。
俺達の世界にあるチェスは何百年という時間を掛けて洗礼されたスポーツでもあり、遊戯でもあり、戦略であるのだそうだ。こうしてやってみると、確かにそうなのだろうと思う。二戦目の際にソルネアを誘導した時は、かなり頭を悩ませた。そして三戦目、ソルネアは俺が先ほど使った手順をなぞる様に指し、俺はその手に乗りながら罠を張る。今日始めたばかりの素人なので、この対局を見ている人からしたら罠と言えるほど高尚な物でもないだろうが。
それでも、同じ素人でしかないソルネアには十分すぎるようだ。やはり三戦目も俺が勝ち、一息吐く。
「負けました」
「一応、教える立場だからな。簡単に負けてはやれないさ」
それでも、もう教える事は無いだろうとは思う。やはり、ソルネアは頭が良い。人を見る目が……観察眼が鋭いというか。俺が最初に見せた差し手をなぞる記憶力も、その対策への対応も出来ていた。それと結局、ネットで片手間に調べただけの知識では教える事が出来るもそう多くない。そういう意味では、聞いただけで駒の動かし方を学んだソルネアは凄いのだろう。
きっと、こういうのを才能があると言うのか。それとも、彼女の元が魔神の眷属であるからこその才能なのか。
まあ、結局のところ――物静かとも言うべきソルネアがチェスを黙々と指す姿は、とても美しい。俺達が指している間、周囲を囲む男達の視線はソルネアばかりに向いていたような気がする。
「なるほど」
「どうだ、楽しかったか?」
「はい。これは、動きをなぞるだけで勝つのは難しい」
そう言って、また駒を並べ直すソルネア。その動きはゆっくりとしたものだし、表情に動きは無いので分かり辛いが、楽しいのだろうか?
「もう一度、お願いしてもいいでしょうか?」
「その前に。俺以外の人と指してみたらどうだ」
そう言って席を立つと、別の男性がソルネアの前に座る。金髪に巻き毛の、いかにも貴族といった風貌の男性だ。初対面でありながら、にこやかにソルネアへ挨拶をしている。簡単に挨拶をして、駒を並べる。
少し予想していたのとは違うが、こうやって人と触れ合うのも良いだろうと思う。ソルネアの世界は酷く狭い。一緒に旅をしている俺達と、メルディオレで俺が紹介した友人、王都で顔合わせをした宇多野さん達くらいしか知り合いと呼べる人は居ない。こうやって沢山の人と話をする、というのも悪くないのではないだろうか。
しかし、ソルネアはあまり乗り気ではないようで、席を立った俺をじっと見上げてくる。その瞳に、微かな困惑の感情が見えた気がする。その感情を見て、喜んでいる俺はいじわるなのだろうと思う。
「ムルルが退屈そうなんでな」
「うん」
その視線を受け流し、隣のテーブルに座っているムルルへ視線を向ける。俺の意図を察したわけではないのだろうが、早々にチェスに飽きてしまったようで、今は椅子に座って両足をプラプラさせている。
そのムルルの対面に腰を下ろす。
「飲み物でも買ってくるけど、何を飲む?」
「私が買ってくる」
俺が聞くと、勢いをつけて椅子から立ち上がるムルル。狼の尻尾が揺れていて、嬉しそうだ。どうやら、じっとして居ているのはとても退屈だったのだろう。
こうなると、身体を少しでも動かした方が良い。苦笑して、いくつかの銅貨と金貨が入った革袋を投げて渡す。
「俺とソルネアの分も、適当に買ってきてくれ」
「分かった」
「無駄遣いをしないようにな」
「……分かった」
その返事に間があった事を感じながら、特に何も言わずに送り出す。まあ、迷子になる事も無いだろう。この場所は分かり易いし、ムルルは鼻と勘が良い。
ムルルの小さな背中を見送った後、ソルネア達が指す盤に視線を向ける。俺以外の相手と指すのはもちろん初めてなので、とても指し辛そうだ。静かな水面を連想させる表情は相変わらずだが、その差し筋は俺が指していたものとは全然違う。混乱しているというよりも、相手を誘導しているのか。
相手はそれが分かっているので、相手を誘導しようとするソルネアを逆に誘導しているように感じる。手の先は読めないが、その指し方に迷いが無い。強い……というよりも、チェスを指した経験が多いのだろう。
チェスというのは、貴族が暇潰しにする遊戯だと聞く。俺達の世界のように試合や大会があるわけでもないし、チェスが強いからと金が稼げるわけでもない。なら、チェスを指すよりも畑を耕した方がマシと考えるのが当然だ。なので、暇を持て余す貴族の次男や三男が指すのだそうだ。きっと、この巻き毛の青年もそう言う類の貴族なのだろう。
『妙なものだな』
「ん?」
『魔神が人に囲まれている』
その、エルメンヒルデの一言に吹き出してしまった。
いきなり吹き出した俺に好奇の視線が向けられるが、カツ、という駒の音に視線はまたチェス盤へ向く。
「そうでもないだろ」
『……ふん』
ソルネアは魔神とは違う。それが、経験や過去といったものが何も無いからか、それともソルネアという存在の人格だからか。どちらにしても、会話は出来たが話の通じなかったネイフェルとは違う。そう思う。
……そう思いたい。
アストラエラではないが、ソルネアには人を好きになってほしいと思う。フランシェスカ嬢やフェイロナ、ムルル。それだけではなく、もっと沢山の人と交流を深めて。
結局その対局もソルネアの負けとなり、別の男がテーブルに着く。チェスというのは結構頭を使うイメージがあるのだが、ソルネアは大丈夫なのだろうか?
そうこうしている内にムルルが口にすり身の串焼きを咥え、両手に飲み物を持って戻ってきた。
「その口に咥えているものは何だ?」
「ん、もぃひい」
『ちゃんと食べ終わってから喋らないか』
相変わらずブレないな、お前は。
・
その後、金髪貴族から熱心に誘われて、何局かを指してその場を離れる頃には昼時になっていた。
「疲れていないか?」
「いいえ。問題ありません」
少し名残惜しそうな気がするソルネアも、俺が歩き出すとその後を追いかけてくる。ムルルの方は、ソルネアがチェスを指している間に周囲の屋台を冷やかしていたようで、その引き締められていた腹部が少し膨らんでいるように見える。
……俺もよく確認していないが、一体どれだけ食べたのだろうか。
「それとムルル、明日は仕事に行くからな」
「分かってる」
『そうだな。食べた分は働いて稼ぐのが冒険者というものだ』
「うん」
自分でも食べ過ぎたという意識はあるようで、少しバツが悪そうに言っている。殊勝と取るべきか、自業自得と取るべきか。
それでもお金を入れていた革袋はそこまで軽くなっていないので、一応自重はしていたのだろう。そう思っておく。食べた分は働いてもらうが。
「ソルネア、チェスは楽しかったか?」
「どうでしょうか」
やはり平坦な声だが、俺達以外と話している姿を見る限り、そう悪くも思っていないのではないだろうか。
良くも悪くも、あまり喋らないソルネアが沢山の人に囲まれ、訥々とはいえ会話をしていたのだから。こういうのはお節介というのか、それとも親心のようなものなのか。まあ、後者は色々と間違いだらけのような気がするが。
「そうか」
「レンジは……」
「ん?」
少し膨らんだ腹回りを気にしているムルルを見ていると、ソルネアがポツリと呟く。視線を向ける事無く耳だけを傾けると。
「チェスは、楽しかったですか?」
「ああ」
その質問に即答する。ネットではなく生で指したのは初めてだが、中々楽しかった。ああやって、沢山の人と集まってワイワイやるのは楽しいものだ。
まあでも、やはり俺は体を動かす方が性に合っているようだ。珍しく集中して頭を使ったからか、凄く疲れた気がする。
……自分が脳筋だとは思いたくないものだ。
「そうですか」
「また今度、指しに行くか?」
「レンジがそれでいいなら」
相変わらず自己主張をしないな、と。それをソルネアらしいと思うとともに、でも僅かに感じる感情の波に少しは進展があったのかとも同時に思う。
「それにしてもムルル。お前、どれだけ食べたんだ?」
「……結構?」
『その結構がどれほどか聞きたいのだが』
俺が腹を見ている事に気付いたのか、ムルルが俺を軽く睨むように見上げてくる。
かか、と笑うと軽く握った拳で太腿を殴られた。痛くは無いが、それが面白くてまた笑ってしまう。
『何をやっているのだ、お前達は』
そんないつもの呆れ声を聞きながら、大通りに並ぶ商店の中で一回り以上大きな印象を受ける道具屋に入る。
並べられている商品は王都のソレと遜色ない……というよりも、王都の道具屋よりも充実していると言えるだろう。
「レンジ、何か買うのですか?」
「ん、ちょっとな」
その道具屋は商品ごとに分けて陳列されており、目的の物を見付けるのは簡単だった。チェス盤と駒。思ったよりも値が張るというのが少々買う手を躊躇わせたが、構わずその一式を手に取る。……いくつか種類があるのだが、真ん中の値段の物なのが俺らしいと思う。
「……レンジもチェスをする?」
「まあな。これがあれば、ソルネアも退屈しないだろ」
俺やムルルは身体を動かしたり景色を眺めたりするのが好きだが、どうにもソルネアは感情の機微が分かり辛い。
なら、チェスのように興味を示したもので楽しんでほしいと思う。エルフレイム大陸でチェスを指しているような物好きは居ないだろうが、メルディオレに居る間は十分楽しめるだろう。
「フランシェスカ嬢が遊びに来た時に指したらどうだ?」
「フランもチェスをする?」
「どうだろうな。けど、貴族は結構指しているらしいぞ」
「ふうん」
あまりムルルはチェスに興味が無いようだ。まあ、それは先ほどの行動でも分かっているのだが、頭を使うよりも身体を動かす方が好きなのは、俺に似ている。フェイロナは……教えたらすぐ出来るようになりそうだ。というよりも、あっさりと俺より強くなりそうなイメージしかない。
「ほら」
「良いのですか?」
「お前は、何かを欲しいとか言わないからなあ」
チェスの道具一式を買って道具屋から出ると、袋に包んでもらったそれをソルネアに渡す。興味を示しても、欲しいとは言わない。言うのは、食べ物だけ。本当に色気より食い気という言葉がよく似合う。俺としては、ムルルよりもフランシェスカ嬢か阿弥を見習ってほしいのだが。
これで、少しは女らしい感情でも……とも思うが、チェスで女らしいとは何だろうか。俺は俺で、贈り物に色々と問題があるような気がしてしまう。
「ありがとうございます」
『気にしなくていい。レンジは、女には優しいからな』
「誤解を招くような言い方はやめてくれませんかね?」
いきなり変な事を言い出すエルメンヒルデに、敬語のような言葉で返して歩き出す。
さて。昼飯を食ったら、今度は何処へ行こうか。
「というか、ムルル。お前、昼飯は食べれるのか?」
『無理をしてまで食べなくてもいいだろう』
「大丈夫、だと思う」
俺とエルメンヒルデから呆れ声で言われると、自信なさげに返してくるムルル。まあ、この状態なら無理をする事は無いだろう。
相変わらず無言のソルネアが迷子になっていないか振り返って確認すると、チェスの道具が一式詰められている袋を大事そうに胸に抱いていた。少なくとも、袋に皺が出来るくらいには、強く抱いている。
顔は相変わらず無表情だが。




