第三話 旅の始まり2
次の日の朝。予定していた時間より少し早く王都城壁の北門へと行くと、そこには馬車五台と十数人からなる冒険者の一団が馬車へ荷物を積む作業に追われていた。
その内の一つ、一際豪華な馬車の周りには、冒険者とは違う鎧兜に身を包んだ騎士風の兵士が四人。メーレンティアさんが雇ったのか、バートン家に仕えている騎士なのかは分からないが、全身鎧の着こなし方や周囲へ向ける警戒の具合でそれなりの技量を持ち合わせている事が分かる。それなり、というのは結局何者か分からないし、動きを見ていないので想像でしかないという訳だ。
そんな騎士の一人を見ていると、その四人に守られるような立ち位置に居たフランシェスカ嬢がこちらに気付いた。遅れて、メーレンティアさんもこちらへ視線を送ってくる。
挨拶をしないのも失礼にあたるので、そちらへ足を運ぶ。堅苦しいのは苦手なのだが、そういう訳にもいかないだろう。
「レンジ様。本日は御同行していただき、感謝いたします」
「いえ。こちらこそ、馬を用意していただけて。ありがとうございます」
「そのような。こちらとしては、同じ馬車に乗っていただけると……」
「そちらは申し訳ありませんが。私は、馬の方が好きでして」
そう言って、同じ馬車に乗る事をやんわりと拒否する。別に乗っても構わないというか、メーレンティアさんのような美人と話せる機会は大切にしたいと心から思う。ただ、日中馬車の中で堅苦しい会話を延々と続けると言うのもまた、ご遠慮願いたい。なんとも名残惜しい。別に個人的に仲良くなれるとは思っていないが、出会いは大切にしたいではないか。それが美人なら尚の事。
それは、男として当然の思いだろう。うん。
しかし、その目付きは口調とは違って鋭さがある。先日もそうだったので、この目付きは素なのかもしれない。妹がほんわかした雰囲気なので、逆にその目つきの鋭さが際立ってしまっている。まあ、それはそれで一つの味なのだが。
「残念ですわ。貴方様のお話に、とても興味があったのですが」
「そう言ってもらえると光栄ですが、それほど珍しい武功も立てていませんよ。私は」
「そうなのですか? 妹からは、とても素晴らしい男性だと――」
「お、お姉様っ」
さて、フランシェスカ嬢は俺の事をどう説明したのだろう。気になるが、それをこの場で聞くのは難しいだろう。何より、人の耳が多すぎる。
ま、聞ける機会があれば、と憶えておくことにする。
「私一人では、王都へ辿り着くのも難しかった。妹君や他の仲間のおかげです」
「謙虚なのですね」
「そのような事は。妹君には、本当に助けられました。こちらから礼を言いたいほどです」
俺がそう持ち上げると、フランシェスカ嬢は顔を赤くしていた。
『こほん』
「それでは、少々失礼いたします。向こうに、仲間を待たせていますので。何かありましたら、お教えください」
「はい。では、もう少しお待ちください。あと少しで、荷を積み終わりますので」
「ええ」
はいはい。相棒の可愛らしい横槍に内心で苦笑しながら一礼すると、それとなく場を離れる。フランシェスカ嬢が満面の笑顔を浮かべていたのが印象的だ。メーレンティアさんは優雅に微笑んでいる。
『だらしない顔をしているぞ』
「この顔は生まれつきだけどな」
『……ふん』
「ただの挨拶だろうが」
臍を曲げてしまったエルメンヒルデに苦笑して、ポケットの中にあるメダルの縁を軽く撫でる。それだけで機嫌が良くなるとは思わないが、小言は格段に減る。
そんなエルメンヒルデを可愛く思いながら、さり気なく周囲へ視線を向ける。仲間を待たせていると言ったが、そんな事実は無い。むしろ、俺は今来たばかりなのでフェイロナ達が来ているのかすら確認していないのだ。流石にあんな事を言った手前、探して歩き回るのもバツが悪い。そうやって視線だけで探すと、金髪のエルフと白狼の獣人はすぐに見つける事が出来た。何気に目立つのだ、あの二人は。少し離れた場所にあるベンチに、ソルネアも座っている。
向こうもこちらに気付いたようで、視線を向けてくる。そのまま歩み寄ると、二人の表情が少し柔らかくなった気がした。
「すまない。遅れたか?」
「うん」
「……俺が来た時は、お前達の姿も無かったけどな」
「気のせい」
さらっと嘘を言うな、嘘を。その可愛い嘘に口元を緩ませ、少しだけ気を抜く。やはり、気心の知れた仲間の傍は安心できる。
周りの冒険者たちが信頼できないわけではないが、それでも壁を作ってしまうというか、線引きをしてしまうのは長く冒険者生活をしている人間の性か。
「何かあった?」
「ん?」
そう考えていると、ムルルが不思議そうに俺を見上げてくる。……相変わらず、その目は眠そうにぼんやりとしているが。
「そうだな。こちらとしては、レンジはもう少し早く来ると思っていた」
「そうなのか?」
「待ち合わせ時間より早く来て、準備を終わらせていると思った」
「どんだけ真面目なんだよ、俺は」
『そうだな……はあ』
そこまで真面目な性格ではないのだが。まあ、時間前行動は気掛けているが。
あと、エルメンヒルデ? それだけ大きな溜息を吐かれると、いくら俺でも落ち込むからな?
「昨日の夜に色々とあってな」
「いろいろ?」
「そ、色々だ」
『ただ単に怒られていただけではないか』
「そこは黙ってような、相棒」
『それと、酒を飲んでいた』
「まったく。前日くらい、我慢できなかったのか?」
「誘われたんだよ。それに、寝坊したのは酒の所為じゃないさ」
そもそも、ちゃんと出発前には来ているのだから寝坊とも言えないのだが。
その辺りの事で反論するのも野暮だろう。ここは俺が折れるというよりも、弄られるのが正解というか楽しいというか。こういう会話も楽しいものだ。
フェイロナも呆れながら、どこか楽しそうに笑っている。
『まったく。気が抜けているから、怒られるのだ』
「怒られた?」
「大人の男は色々と大変なのだよ、ムルル」
そう芝居掛かって言うと、その眠そうな顔が少しだけムッとした表情になった。その僅かな変化を面白く思いながら、視線をフェイロナへ向ける。
「そっちは、何をしていたんだ?」
「特になにも、と言ったところだ」
「退屈」
聞くと、荷造りを手伝おうとしたらやんわりと断られたのだそうだ。一応俺達はフランシェスカ嬢の友人として、メーレンティアさんの客人として呼ばれている立場になっている。
俺達はあまり気にしないが、貴族としては客人に荷造りを手伝わせるわけにもいかないのだろう。貴族のメンツとか、なんとか。俺なんかよりもよっぽど色々と大変なのだ、貴族というのは。
ムルルはあまり気にしていないが、フェイロナはその辺りの事情を汲んで、手持無沙汰に待っている時間の事を特に何も口にしない。内心では、同じように退屈に思っていそうだが。
まだ朝早い時間とあって、俺達以外の人は少ない。精々が、城壁の見張りと王都内を見回っている兵士達くらいか。城門近くには酒場やギルドも無いので、冒険者の姿もほとんどない。
「その恰好はどうした?」
「ん?」
「この前と、服が違う」
「ああ。王様に預けていた装備を返してもらったんだ」
俺がそう言うと、フェイロナは少しだけ驚いたような目をして、ムルルはふうん、とだけ言った。なんとも自慢しがいの無いヤツである。
「反応が薄いヤツだなあ」
「私には、装備の良し悪しは分からない」
「獣人だからな。ムルルにとっては、その肉体が武器であり鎧か」
「そう」
「それでも、少しは興味を示せ。説明し甲斐の無いヤツだな」
そう無い胸を張る仕草は可愛らしいのだが。狼の尻尾が緩やかに揺れているのは、機嫌が良いからか。別に、フェイロナも褒めたつもりは無いのだろうが。
そして、何かに気付いたように一度鼻を鳴らすと、何を思ったのかその顔を俺に近付けてきた。
「森の匂いがする」
『分かるのか?』
「私は、鼻がいいから」
そう言って、鼻をすんすんと鳴らす。俺もそれに倣って、服の袖を持ち上げて鼻に当てる。汗臭いかと気になってしまう年頃なのだ、俺も。
「森の匂い?」
「木の実と草花、深い森の空気……それに風。土精霊と風精霊の匂い」
「精霊の加護か。流石は、魔神と戦った時の装備という訳か」
そんなムルルの声に、フェイロナが反応する。その反応から、俺の装備がどういう物かは分かっているようだ。やはり精霊と一緒に生活する亜人や獣人は、こういう装備への加護には敏感だな、と再確認。
人間が鍛えた装備は確かに頑丈だ。鉄、鋼、銀。だがそれは、時と共に劣化するし、激しく使えば摩耗して壊れてしまう。
しかし、ドワーフが鍛えた精霊銀の装備やこの装備のようなエルフの加護が付与された装備は精霊の加護が失われない限り、その防御力を損なう事は無い。腐霊の森のような死んだ森では効果が薄れるが、これから向かうエルフレイム、アーベンエルム大陸では精霊の加護が篤い。見た目以上の防御力を発揮してくれることは、一年前の旅で分かっている。
その辺りの事も、この二人は分かっているようだ。
……やはり、説明し甲斐が無い。
「面白くない……説明する楽しみが無いだろ、それだと」
「レンジの長話は、難しい」
『偶に、妙に芝居がかった喋りをするからな』
視線を逸らしながら、そうぽつりと呟くムルル。そこまで長く説明したことは無いと思うのだが。ムルルの中で、俺はどういうキャラになっているのだろう。
なんとも腑に落ちないというか、気になるというか。一度ゆっくりと話さなければいけないな、と思いながら視線を周囲へ向ける。
そして、少し離れた場所にあるベンチに座っているソルネアが視界に映った。まだ太陽が昇っていない薄暗い時間帯だからか、黒衣の美女はどこか幽鬼めいた雰囲気を纏っているように感じてしまう。存在感が薄く、その表情はぼう、としており意思も感じられない。子供が見ると、人間というよりも精巧な人形とすら思うかもしれない。
「そう思うなら、少しは勉強が必要だな」
「……いい」
「楽しいぞ、勉強」
分からないことが分かるようになる。それは一種の快感だと俺は思う。
昔は勉強嫌いで、なあなあで仕事をしていたからだろう。この世界に来て読み書きを必死に覚えて、旅の心得、魔物の生態、武器の扱い方、戦い方。生活ではなく生きるために必要だったからという訳ではないが、その知識が役に立つ事がとても嬉しかったのを覚えている。うろ覚えの付け焼刃であっても、人から頼られるのは嬉しかった。
知識は力だ。それを身に沁みて分かっているだけに、今度時間がある時にムルルへ勉強を教えようと思ってしまう。
「フェイロナやフランシェスカ嬢だって勉強してるしな」
「う」
「なあ?」
「ふ……ああ、そうだな」
俺だけではなくフェイロナまで頷くと、ムルルは逃げるように視線を逸らした。よほど、勉強が苦手らしい。だが、反発しないので嫌いという訳ではないのかもしれない。
獣人は大地や森を駆ける種族だ。きっと、椅子に座って本を読むのという『動かない』事が苦手なのだろう。
「王都の宿でフランシェスカと一緒に本を読んでいたが、すぐに飽きていたしな」
「フェイロナ、黙っててって言ったのに」
「おや、そうだったかな?」
そうして、大仰に肩を竦めるフェイロナ。普段が冷静なイメージなだけに、今のムルルをからかう仕草はとても楽しそうに見える。
ムルルはムルルで、苦手な勉強が話題となり、黙ってしまっている。先程はゆっくりと揺れていた尻尾も、今は地面に向かって垂れてしまっている。心なしか、狼耳もしな垂れているような気がしないでもない。
「馬車に乗って、フランシェスカ嬢と一緒に本でも読みながら旅をするか?」
「断る」
即答だった。その声に宿る本気具合がまた可笑しい。
「そうか? 馬車に乗って、護衛に守られて、本を読みながら旅をする。お嬢様に見えると思うが」
「そういうの、苦手だから」
ムルルもフランシェスカ嬢に負けず劣らず、元はいいのだが。まあそれも、健康的な魅力という意味でだが。
「残念。似合わないと笑おうと思ったのに」
「レンジは相変わらず、意地が悪い」
「しょうがない。そういう性格だ」
俺がそう言って肩を竦めると、ムルルはフェイロナの後ろに隠れるように移動してしまう。
「嫌われたな」
「私は、そうは見えないが」
そして、そう言うフェイロナの背中をグーで叩いていた。音からして、それほど強くはないようだ。叩かれたフェイロナも、口には出していないが口元を緩めて笑っている。気分としては、年頃の娘を拗ねさせてしまった、と言ったところか。
「さて、もう少し時間がありそうだから、向こうに行ってくる」
「ああ。よろしく頼む」
そう一言断って二人から離れると、ソルネアが座っているベンチへ近付く。俺達が喋っている間も微動だにしていないのか、先ほど見た時と全く同じ体勢だ。疲れないのだろうか。
そんなソルネアの隣に腰を下ろすと、そこでようやく僅かな変化があった。といっても、その顔が横を向いただけなのだが。
「おはよう」
「はい」
「朝の挨拶はおはよう、だ。ソルネア」
「……おはよう」
俺がそう言うと、鸚鵡返しのように言葉を口にする。きっと、あまり意味は分かっていないのだろう。その事をどう説明しようかと考えて、言葉に詰まってしまった。そういえば、俺達はどうして毎朝「おはよう」というのだろう。自分の子供の頃を思い出そうとしても、答えは出ない。いつの間にか口にしていた、というのが正しいか。当たり前のように、親が毎朝そう言っていたから自分も。
子供は親の真似をすると言うが、挨拶や行動も親の真似をするのだろうか。なんだか、自分から思考の海にどっぷりと嵌っていってしまった感じがする。
「どうかしましたか、レンジ?」
「いいや、なんでもない。それより、今日から旅に出るが、なにか変った事はあるか?」
「特には」
だろうなあ、と。
旅の醍醐味は自分の知らない景色を見付けたり、様々な出会いであったり、金であったり。人それぞれだが、俺が思い付く限りの旅の醍醐味とソルネアが結び付かない。それはこの女性が、そのどれもに興味を抱けないと分かっているからか。
言葉などの生活していくのに必要な知識だけで、それ以外は何も無い女性。
これまでの人生も、何かを見て美しいや楽しいと感じる感性も、何かを手に入れたいという欲も。人が気付いたらその胸の中に持っている『感情』が、まだ無い。それは、子供が成長する過程で手に入れ、身体の成長と共に成長するもの。『心』とも言うべきものが、ソルネアには無い。少なくとも、感じられない。
「そうか」
何かを言うべきだったのか、それとも今はこれでいいのか。会話に頭を悩ませるというのは得意ではない。商人との交渉にだって、ここまで頭を悩ませないというのに。
そんな俺に何かを感じたのか、ソルネアがじぃっと俺を見ていた。
「どうした?」
「いえ。私は何か、間違えましたか?」
「……なに?」
「いつもと、少し違います」
「違う? 何が?」
「わかりません」
ちゃんとした会話のような、会話になっていないような。なんとも微妙な言葉の遣り取りだと思う。もしかしたら、俺がいつも以上に頭を使いながら喋っている事に気付いたのだろうか。
しかし、それだけ言うとソルネアの視線が俺から逸らされた。また、荷造りをしている傭兵達の方へ向く。疑問に思った事に関する追究は無い。
「気になるか?」
「なにがでしょうか」
「俺が、いつもと違う理由が」
「はい」
そしてまた、その視線が俺に向く。何の感情も浮かばない黒い瞳は、とても深くて冷たい。まるで、底無しの孔だ。その瞳に見詰められて、だがこちらから瞳を逸らす事無く見返す。
「なら、聞け。分からない事や気になった事は、何でも聞いていい」
「分かりました」
そしてその声も。どこまでも平坦で、何もない。
似ている、と言えるのだろうか。初めて会った頃の武器と。エルではなく、エルメンヒルデと呼んでいた頃の彼女と。武器であること以外に何も無かった彼女と、それすらないソルネア。
そう考えて、首を横に振った。エルはエル。ソルネアはソルネアだ。ソルネアからエルを連想してしまうのは仕方のない事かもしれないが、比べるのは失礼だろう。どちらにとっても。
「何か面白い物でもあったか?」
「いえ。ただ、何かをやっているな、と」
やはりその視線や声には、何の感情も乗っていない。初めて会った時から変わらず、思いついた事を言葉にしているだけのように感じてしまう。
「何か?」
俺は、その言葉を拾ってソルネアに問い掛ける。これで正しいのかは分からないが、ソルネアと会話をするにはこうするか、こちらから興味を惹きそうな事を話題にするしかないように思う。
いつもなら会話相手の声音や仕草からある程度の予想が出来るのだが、ソルネア相手だとそれも難しい。時折僅かな揺らぎはあるけど、それが興味というほどの物とは思えない。ただ単に疑問に思った、程度の思考だろう。
「豪華な衣服に身を包み、他人の為に働いて賃金を得る。それに、どれだけの価値があるのでしょうか」
「それはまた。哲学というか、難しい質問だな」
「てつがく?」
「物事の根本を考えるって事だ」
俺がそう言うと、理解できなかったようでまたじぃっと俺を見ているソルネア。まあ、哲学なんて概念がこの世界にあるとも思わないので、それが正しい反応か。
そもそも、俺自身が哲学というのはその言葉と意味を知っている程度だ。いや、俺が知っている意味など一面でしかないだろう。言葉の一面しか知らないというのもまた、哲学の一部なのかもしれないが。
「人間なんて、食う物と飲み水、住む場所があれば生きていける。服も金も必要無い、って思うか?」
「そうは思いません。服を着る事で人は安心し、服を着るには金銭が必要になる。そして、金銭があればより良い服と装飾品で自身を着飾る事が出来る。人を雇い、身を守る事が出来る。そうする事で安心と安息を得る。人の生活に金銭と衣服は必要です」
「……頭いいな、お前」
どうやら俺が思っている以上に、ソルネアは人間というものをよく見ていたようだ。言葉が堅苦しいので、余計に哲学染みて聞こえてしまう。
しかし、俺はここ最近一緒に行動していなかったのだが、誰かから聞いたのだろうか。こんな事を言うのは……フェイロナかフランシェスカ嬢だろうが。ムルルは、その辺りをあまり考えていないように思う……というのは失礼過ぎるか。
それにしても、俺が居ない間にこれだけの事を考えるようになっていると思うと、なんとも情けなくなってしまう。俺って、実はあまり必要ないのではないだろうか。
「いえ」
俺がこれからの旅に何とも言えない不安を感じていると、俺の言葉を否定するようにソルネアが声を出した。その声の意味を問う様に視線を向けるが、その表情は正面……荷造りをしている傭兵へ向いたままだ。
「分かりません。人は、自分の事だけをしていれば生きていけるはずです」
「…………」
「何故他人に手を伸ばすのか。私は分かりません」
「ううむ」
人は、自分の事だけをしていれば生きられる。極論だろうが……どうだろう。その答えは、きっと永遠に出ないのではないだろうかと思う。
家を建てて、畑を耕して、家畜を飼って、飲み水を確保して。
確かにそれは、やろうと思えば人一人で出来る事かもしれない。
「多分、無理だろうな」
「そうなのですか?」
「人っていうのは、どうしても一人では生きていけないように出来ているからなあ」
例えばこうやって会話をする事。それだって相手が、もう一人の人が居なければ成り立たない。会話が無い生活などに人が耐えられるとは思わないし、一人の寂しさは――知っているつもりだ。それを癒してくれるのもまた人間。
だから俺は、人は一人では生きていけないのだと思うのだ。
だが、きっとそれはソルネア自身が気付かなければいけない、感じなければならない事なのだろうと思う。
「ま、その辺りはこれからおいおい感じていけばいいさ」
「それでいいのですか?」
「いいさ。そういうものだよ、人生っていうのは。多分」
確信は持てないが。自分ですら人生の半ばまでも辿り着いていないというのに、人生云々を語る資格などないだろう。そういうのは、教会の神官や僧侶、神様たちの仕事だ。
「なあ、ソルネア」
「はい」
「何か、楽しい事はあったか?」
俺がそう聞くと、ソルネアの感情が浮かばない瞳に微かな揺らぎが見えた気がした。
「いいえ」
しかし、答えはいつもと同じ。声音も、態度に変化も無い。
「貴方が笑っても、フランシェスカ達が笑っても、私は笑えません」
それは、その事をとても悲しんでいるような。そんな気がした。
「そうか」
「はい」
「……笑いたいと思うのか?」
「分かりません」
今は、それでいいのだと思う。少しだけ、ほんの少し――蟻の一歩にも及ばないであろう小さな一歩をその声音に感じながらベンチから立ち上がる。
「それじゃ、また後でな」
「はい」
いつか笑えるようになる、と言うべきだったのだろうか。そう考えながら、その場を離れる。
なんともこれから先が不安になる会話である。人が嫌いな魔神。さて、昨日は宇多野さんやエルメンヒルデに大見得を切ったが、どうなる事やら。
「それにしても、お前が黙っているなんて珍しいな」
『ふん。空気を読んだのだ』
お前の口からそんな言葉が出るとはな。俺は、感動で涙が出そうだよ。
きっと、実体があるなら自慢げに胸を張っているだろうエルメンヒルデに苦笑していると、フェイロナ達二人に、影が一つ加わっているのが見えた。歩み寄ると、その輪郭が朧に見えてくる。
「……おい」
「あ、おはようございます」
悪びれもせずにそう挨拶をしている阿弥を意図して睨みつけると、まるで涼風のように受け流されてしまう。まったく、これだから命懸けの戦いを経験した相手は苦手だ。脅しがまったく通じない。
「どうしてここに居る?」
「それはもう。朝起きたら、レンジさんが外に出て行く所でしたので」
「隠れて追い掛けてきた、と」
「人聞きが悪いですね。心配してですよ」
「ほう」
俺と同じように昔の装備に身を包んだ阿弥が、髪の先を指先で弄りながら、俺の視線を特に気にした風でもなく口元を緩めている。その傍らには、おそらく旅に必要な道具が詰められているであろう荷袋が地面に置かれている。
俺の雰囲気を察してか、フェイロナとムルルは口を閉じて事の成り行きを見守っている。
「俺は、駄目だと言ったと思うけど」
「ええ、言われましたね。でもですね、蓮司さん。私はフランシェスカ先輩のご実家にお誘いされましたので」
「……なに?」
それは初耳なのだが。視線をムルルに向けると、コクンと首肯する。
「昨日の昼、宿屋に来て相談していた」
「俺が旅の話をした後か」
「さて、何の事でしょうか。私には分かりませんね」
いけしゃあしゃあと。
アストラエラからソルネアの事を聞いた翌日、俺はヨシュア王やオブライエンさん、あとこの国に滞在している昔の仲間に旅の目的を話している。そして、その場で結衣ちゃんやアナスタシアが協力を申し出てくれたが、それは断っている。理由は英雄が魔神を復活させることに問題があるというもっともらしい理由と、子供たちに危ない事をしてほしくないという自己満足が本音だ。それは阿弥も例外ではなく、旅に同行するのは駄目だと言っていた。
そもそも学生なのだから、学院はどうするのだというなんとも汚い大人の言い訳でだが。
それで納得するとも思っていなかったので出発日時は明日だと嘘を言い、本当の日時はヨシュア王や宇多野さんといった一部の人にしか教えていなかった。だというのに、その辺りを先読みして阿弥は行動を起こしていたようだ。……無い頭を頑張って捻ったというのに。
朝出発する時に宇多野さんの様子がおかしかったのは、この事に気付いていたからだろうか。そうだろうなあ。俺なんかより、よっぽど阿弥の行動は読めていただろうし。そう思うと、阿弥のこの行動は宇多野さん公認と思っていいのだろうか。
子供たちに無茶をさせるのは、俺と同じように否定的だったはずなのだが。
それとも――阿弥の事を子供と思っているのは、もう俺だけなのか。
「あ。藤堂さんから、お弁当を預かってきていますよ」
「やった」
その一言に、ムルルが喜びの声を上げた。尻尾も、先ほどよりも勢いよく揺れている。フェイロナは何も言っていない。肯定も否定も無い、判断は俺任せという事だろう。
「なあ、阿弥」
「え、っと……なんでしょうか?」
俺が改めてそう聞くと、今度は少し怯えるように上目遣いでこちらを見てくる。
「宇多野さんには話したのか?」
「……い、え。商業都市に着いたら、手紙でも書こうかなあ、と」
それ、確実に俺が怒られる流れだから。あの人、なんだかんだで子供達には甘いからなあ。その分、とばっちりというかお目付け役というか、そういうのが俺に回ってくるのは予定調和か。
そう言った阿弥は、俺に怒られると思っているようで視線が落ち着かない。
革手袋を嵌めた手でこめかみを抑えると、目に見えて阿弥の表情が曇った。まあ、悪い事をしているという意識はあるのだろう。というか、別に悪い事ではないのだが。危ない事、周りを心配させる事……それは俺もか。だから俺は、阿弥や宗一達に違う出発日時を教えたのだが。
子供たちに危ない事をしてほしいと思う大人は……確かに居るのかもしれないが、俺や宇多野さん、他の皆はしてほしくないと思う。
どう説得するかなと考える俺と、いつまでも子供扱いするのもどうかと思う俺が居る。果たして、そのどちらが正しいのか。
「ムルル。私達は、向こうで弁当を頂くとしよう」
「うん。レンジ、後でね」
そう言ってムルルを連れて離れてくれるフェイロナは、本当に空気が読める。エルメンヒルデ、お前は少し見習え。ムルルは阿弥に手を振っていた。仲良いな、お前ら。
「で、だ」
「はい」
その声に、殊勝にも縮こまる阿弥。さっきの強気は何処にいったのか。
「……本当に、フランシェスカ嬢の家に呼ばれて来るだけか?」
「それは――」
「怒らないから言ってみろ」
「…いいえ…」
そうか、と。
息を深く吐いて、吸う。まあ、だ。
「分かった」
「え?」
「分かった、と言ったんだ。宇多野さんへの手紙も、俺が書く」
というか、まだ出発の準備が済んでいないので王城までひとっ走り……というのはさすがに無理か。それに、あの人の事だからこうなる事は分かっていただろうし。この考えを、信頼と呼んでいいのかは甚だ疑問だが。
まあ、メルディオレへ行く途中で行商人にでも会えたら手紙を頼むとしよう。この世界に郵便物を配達する事を専業にしている人はおらず、そういう物は商人が運んでくれることが普通だ。あまり秘匿性は高くないし、その商人が魔物に襲われたりすると手紙を届けるどころかその手紙がどこに行ったのかすら分からなくなるのだが。それか、魔術師の使い魔に伝書鳩よろしく頼むという手段もあるが……そう言えば、フランシェスカ嬢が魔術師だったなあ、と。まあ、使い魔を持っているとは聞いていないので、多分持っていないだろう。後で、メーレンティアさんに聞いてみようかとも思う。
とにかく、だ。
「自分で決めたんだろう? なら、これ以上俺が何か言う事も無いさ」
もう十八歳だ。この世界に来て三年。旅の過酷さも、十分知っている。戦いの危険さも、傷の痛みも。それを分かって、それでも来ると決めたのなら俺が何かを言う理由は。
宇多野さんではないが、俺も甘いのだろうか。甘いのだろうな。まだ十八歳。また長い旅に出るよりも、魔術学院で友達を作った方がいいに決まっている。そう分かっているのに……こうやってまた一緒に旅をするとなると、心強いと思ってしまう。
心強い、だ。間違っても、嬉しいとは思ってはいけない。それはまあ、色々と問題がある。大人は本当に、色々と面倒だ。
そんな俺をどう思ったのか、阿弥の表情は曇ったままだ。おそらく、俺が怒ったとでも思っているのだろう。実際、彼女がここに来た時は少し怒っていた……かもしれない。
無茶をしてほしくない、危険な目に遭わせたくない、子供らしく学院で勉強してほしい。大人として、保護者としての感情のつもりだが、結局はそれも俺の独りよがりでしかない。阿弥の心情を完全に無視した、俺の意思。そういうのは――駄目だと分かっている。以前の旅で何度も怒られた事だが、やはりその感情は根っこの部分に存在しているのだ。十八歳では、まだまだ消すことは出来ない。
……いや、きっと阿弥達が何歳になっても、どれだけ大きくなっても、子供たちは子供たちで、俺達は大人なのだと……きっと心のどこかで思ってしまうだろう。
そんな子供に視線を向ける。一年前より、少し身長が伸びて成長した。まだ言うつもりはないが、綺麗になったと思う。きっと将来は、とんでもない美人になるだろうと予想できる。そう言ったら、阿弥はどんな顔をするだろうか。そう思うが、そういう「からかい」は俺の主義に反する。からかいは、相手の反応を楽しむためのものだ。そこに本気の感情を混ぜるのは、どうかと思うのだ。
「成長したな」
『なんだ、それは』
「大きくなったな、と思ったんだよ。ほら、身長だって少し伸びた」
以前は、俺の胸くらいの身長だったのに、今はその位置より少し高い。そう指摘すると、阿弥の表情が少しだけ安堵の感情に落ち着いた。
「でも、だ」
「はいっ」
「無理はするなよ? お前を守るって約束したからな。阿弥に無理をされると、俺は命を天秤に載せなきゃならないからな」
「それは……」
「死ぬつもりは無いさ。お前を死なせるつもりも無い……危険な旅だけど、皆で帰ってこよう」
皆で。以前は沢山の命をなくした旅。今度は、誰一人死なせない。それは、難しい事なのだろうか。誰一人欠けないという考えは、甘いのだろうか。
きっと、そうなのだろう。
分かっていても、そう口にしてしまう。そう口にしなければ、俺は前に進めない。悪い考えに押し潰されてしまう。だから俺は、約束をする。それがどれだけ困難で、辛くて、苦しくて……悲しい事でも。約束を守る為なら、俺は前に進めるから。そんな弱い人間なのだ、俺は。
「ありがとう、阿弥」
また、息を深く吐いて、同時にそう口にする。
弱いから。だからこうやって……きっと本心では、阿弥が一緒に居てくれる事が嬉しい。絶対、口にはしないが。
「え?」
『珍しいな。天邪鬼なお前が』
「……それ。昨日、宇多野さんが言っていた言葉そのままじゃねえか」
意味も分からずに使うなよ、と笑う。
「これでも寂しがり屋なんだよ、俺は。旅の仲間は、多い方がいい」
「そっちですか……」
すると、阿弥が目に見えて落ち込んだ。肩も若干落ちている気がする。その反応だ、と。珍しく礼を言った俺の次の言葉に何かしらの期待を持っていたのだろうが、そうそう分かり易い言葉を俺が口にするかよ。
かか、と笑うと恨めしそうな瞳で見上げてくる阿弥。その反応が楽しいというのに。
――きっと、俺もこの旅に不安を感じているのだろう。そう思う。
世界の救済、魔神の復活、女神の依頼……この旅の結末には、絶対の犠牲が発生する。それは、もう変えられないだろう。
ソルネアは、自分が笑えない事を気にしていた。今はまだ疑問とも呼べない漠然としたモノなのだろうが、確かに彼女の中にはいくつかの疑問が生まれているように感じた。きっとそれは喜ぶべき事なのだろう。今のソルネアには感情と呼べるものは無いが、このまま沢山の世界を見て、学んでいけば……そう期待できる。
でも。
その結果は、魔神としての生活。ソルネアという個人ではなく、魔神として、人とは関われない生活が待っている。それを告げた時、ソルネアはどういう反応をするだろう。……まあ、アストラエラは偶に屋台を冷やかしていたが。そう考えると、この考えもどれだけ馬鹿らしいのか。やはり、俺一人だと悪い方に考えてしまう。だから、目の前に居る阿弥の存在が心強い。……俺の視線に、小首をかしげている姿は可愛らしいのだが。
ソルネアへ視線を向けると、やはりぼう、とした視線をこちらに向けている。
笑ったら、美人なんだろうな。
「どうかしましたか、蓮司さん?」
「いや、ソルネアをな……」
「ソルネアさん?」
「笑ったら美人だろうなあ、と」
「…………」
『……なに?』
その直後、思いっきり脇を肘で殴られた。……骨が折れるかと思った。本気で。
堅苦しい空気を和ませるための、小粋なジョークというヤツなのに。いい角度で鋭いモノが入ったので、本気で呼吸が辛くなる。そんな、若干前屈みになった俺を置いて、阿弥は歩いて行ってしまう。そして、しばらく歩いて肩越しにこちらへ振り返った。
「蓮司さんは、朝ご飯は抜きです」
と。とても良い笑顔を浮かべてフェイロナ達の方へ歩いていく阿弥。笑顔なのに怖いというのはどういうことか。
「ヒドい。場を和ませるための冗談なのに」
『自業自得だ』
ごもっともで。
まあ、重苦しい空気で旅を始めるよりいいだろう。俺はそう思うのだが。




