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第二話 旅の始まり1

 宝物庫の宝箱っぽい木箱を開けると、その中には見慣れた装備が一式、収められていた。

 実用性があまりなさそうな、装飾が施された剣や鎧、ローブや装飾品といったものが集められた部屋では、その木箱はとても古臭く見える。それは逆に、この宝物庫の中で一番目立たないともいえる事だ。

 泥棒のような人が忍び込める場所ではないが、それでも一番目立たないように保管されていた装備を確認する。服の上下に外套(マント)、革手袋とブーツ。服は革製品でありながら布の服のように柔らかく、肌を密着(フィット)させるためのベルトがいくつも付いている。投擲用のダガーを収める収納口(ホルスター)と投げたら絶対に命中するという魔術加工が施されたダガーが数本。エルメンヒルデが使えない時用のナイフ。これは、下位ではあるが(ドラゴン)の牙を加工したものだ。外套(マント)風精霊(シルフ)の加護を受けており、高い所から落ちた時の衝撃を和らげてくれる効果もある。外套(マント)を胸元で固定する部分には、エルフが細工した装飾品。この小さな装飾品にも魔術が込められており、心もち装備者の身体を軽くしてくれる効果があるのだとか。

 見た目的には今までとそう変わらないが、防御力という観点からは全くの別物だ。なにせ、アーベンエルム大陸に住む魔獣や魔族を素材として工藤が作った逸品。一体討伐するだけでも冒険者十数人掛かりになるであろう、まさに化け物と称すべき存在達を素材にしているのだ。市販に出回る事の無い、世界にただ一つの俺だけの装備(オーダーメイド)である。物理的な防御力だけではなく、魔術に対する抵抗力や、(ドラゴン)や魔獣の吐息(ブレス)にも僅かではあるが耐える事が出来る。これだけでも、大分生存率は上がるだろう。 


「お、あった」

『ようやく見つけたか』


 取り出すと、とても軽い。少し埃っぽいのは、やはり長い間使っていなかったからか。だが、一年も使っていなかったというのに状態は悪くないように思う。ちゃんと、服が痛まない様に管理してくれていたようだ。


「そっちは見つかったかしら?」

「ああ、あったよ。そっちは?」

「こちらは、もう少しかしら」


 宝物庫から出たら、まずは外で少し干そうと考えていると、宝物庫の別の場所から声が掛けられる。

 その声は、装飾過多な鎧の向こう側。服を持ってそちらへ行くと、形の良いお尻をこちらへ向けるようにして、宇多野さんが旅に使えそうな道具を見繕(みつくろ)ってくれていた。侵入者防止のために窓の無い部屋なので、魔力灯(ランプ)の淡い光に照らされたお尻が揺れている。タイトなドレス姿なので、その陰影の僅かな変化すらよく分かる。更に言うなら、ドレスに浮いた下着のラインがとても俺を誘惑してくる。

 その誘惑に負けないように視線を逸らすと、戦場では全く役に立たなさそうな鎧を無意味に指で撫でたりしてみる。掃除は行き届いているようで、僅かな埃も指先には付かない。まあ、宝物庫なので毎日掃除していたりするのだろう。多分。

 頭の中で、冷静に鎧を分析したりもする。


『どうした、レンジ?』

「いや。この鎧は高く売れそうだなあ、と」

『そうだな。装飾品は多いが、魔術的保護も無い。重いだけだな』

「儀礼用の鎧だから、それでいいのよ」


 こちらを見る事無く、お尻が喋る。いや、宇多野さんか。何か奥にある物を探しているようで、お尻が左右に揺れている。

 もしこの場にエルメンヒルデが居なかったら、どうなっていたのだろうか。ここ数日、真面目に働いた反動か、変に宇多野さんを意識してしまっている自分へ溜息を吐く。というよりも、宇多野さんが無防備なのか。こんな暗がりに男と二人っきりなど、意識しない方が可笑しいではないか。まあ、エルメンヒルデも一緒だが。

 以前なら、もっと自分の隙にも敏感だったはずだが。それとも、誘われているのか。

 エルメンヒルデが居る場所でそれも無いだろう、と思うならやはり宇多野さんも気が緩んでいるのかもしれない。大きなイベントも終わって、次のイベントまでのインターバル。宇多野さんだって人間だ。強力な魔法を使えても、四六時中周囲に気を張っている事など出来はしない。こうやって、気を抜く時は気を抜いて、心身共に休める事の重要性を知っている。

 ならきっと、今は気を休めているのだろう。男としては複雑だが、それだけ信頼してもらえているというのなら悪い気はしない。


「他に必要な物があったら、持って行っていいわよ。ヨシュア王からは、許可を頂いているから」

「と、言われてもなあ」


 これからの旅。国として支援する事が難しいので、せめて宝物庫の品を使っていいと言われているのだ。イムネジア大陸ならいくつかの金貨や銀貨を渡してもらうだけでいいのだが、エルフレイム大陸ではまだ金銭という概念が定着していないので、こうやって宇多野さんに物々交換に使えそうな貴金属や装飾品を選んでもらっている。

 俺も実用的な物の見分けは出来るが、宝石やアクセサリのような装飾的な物の見分けは苦手だ。精々が、これは誰々に似合いそうだ、といったくらいでしかない。それと、本物か偽物か区別できる程度か。それも、本物を何度も見たものでなければ難しいが。その辺りの知識は、以前の旅で必死に鍛えた。なにせ戦いであまり役に立てないのだから、その辺りで役に立たなければ本当にお荷物だったのだ、

 周囲を見渡しても、実用性の無い武器防具が保管されているとしか思えない。俺には魔力が無いので、魔術的な加護があるとは分かっても、使う事が出来ないのだ。中々に不便である、俺の体質も。

 飾られていた小さな指輪を一つ手に取り、指先でクルクルと回して遊ぶ。ランプの明かりに照らすと、指輪の内側にエルフ達が使う文字が刻まれていた。それを読む限り、どうやら装備者の身体能力を僅かに高める効果があるようだ。


「ふむ」

『誰かに贈るのか?』

「それも良いかもな」


 贈るというよりも、使ってもらうと言った方が正しいだろうが。フェイロナかフランシェスカ嬢なら使えるだろう。ムルルは戦闘中に腕の大きさが変わるので、指輪は邪魔にしかならなさそうだ。そういえば、武闘大会のお祝いを渡していなかったので、フランシェスカ嬢に渡そうか。

 そう考えるが、やはりお祝いの品なら自分で用意した方がいいのか。こうやって、宝物庫から拝借(はいしゃく)した品では、感動も何も無い。取り敢えずその指輪をポケットに突っこんで、他の物も物色してみる。


『右にあるのはなんだ、傷薬か?』

「うん?」


 言われるままに視線を向けると、その辺りには色とりどりの薬品が飾られている。そのうちの一つを魔力灯(ランプ)の光に照らすと、鈍い光を透過させる。ラベルには、発音の難しい名前が書かれている。裏を見ると、その薬効が表記されていた。どうやら、強力な麻痺薬のようだ。

 傷薬とは言えないが、何か役に立つだろうか。流石に毒は取り扱いが難しいので、元あった場所へ戻す。続いて、その隣にある瓶を手に取る。やはり名称は、発音が難しい。ただ、その瓶の中身は他の物と比べてかなり減っている。他の物は瓶一杯だというのに、それだけ中身が半分ほどしかない。


『それはなんだ?』

「ちょっと待ってろ」


 薬効は……と裏を見ると、色々な薬草の名前が書かれている後ろに興奮薬と書かれている。

 中身が減った薬と、興奮薬という薬効。ううん。これはもしかして。


『傷薬か?』

「いや。そういうものは無いみたいだな」

『なら、用は無いな』


 用は無いが、こう。男心を(くすぐ)られるというか、とても興味深いというか。

 他にも似たようなものは無いかと、更に隣の瓶へ手を伸ばす。


「それで」


 俺がその瓶の中身を確かめていると、不意に宇多野さんが口を開いた。やはり、こちらにお尻を向けたままだ。

 そのまま、興奮薬とその瓶をズボンのポケットへ入れてしまう。いや、条件反射というか、なんというか。悪い事をしたとは思っている。反省も……するかもしれない。


「旅の目的は聞いたけど、どれくらいで戻ってこれそうなのかしら?」

「どうだろう。半年か、一年か……」


 もっと長くか。もしかしたら短いかもしれない。


「分からない」

「そう」


 俺が正直にそう言うと、いつもより平坦な声でそう返事が返ってきた。


「ん……まあ、こんな所かしら」


 あまりの無計画っぷりに、怒らせてしまっただろうか。そう思っていると、宇多野さんが背を伸ばしてそう一息吐いた。

 その手には、決して重くなさそうな品が詰められた革袋が握られている。


「これだけあれば、しばらくは大丈夫でしょう」

「ああ。ありがとう」

『ありがとう、ユーコ』

「珍しいわね、素直にお礼だなんて」

「そうか?」

「いつもはひねくれた返事で、天邪鬼(あまのじゃく)じゃない」

「お礼は、ちゃんと口にしているつもりだけどな……」


 そんなに、ひねた言葉を使っていただろうか。からかう時は意識していたが、礼を言う時は――ちゃんとしていたつもりなのだが。

 俺が言葉に詰まると、そんな反応が面白かったようで宇多野さんが口元を隠して肩を震わせた。


「冗談よ。ちゃんと、貴方はありがとう、って言ってくれるわ」

「そりゃ良かった。お礼はちゃんと言わないと、宇多野さんに悪いからな」

「そういう所だけは、真面目よね。貴方」

「……そういう所だけ、か」

『うむ』


 お前も宇多野さんの味方か、エルメンヒルデ。ちょっと悲しくなりながら、差し出された革袋を受け取る。手の平に乗るサイズでありながら、とても重い。

 落ち込んだ俺が面白いのか、先ほどまで(あさ)っていた棚に背中を預けながら宇多野さんが目元を僅かに緩める。それでも目付きを鋭く感じるのは、言わない方がいいだろう。


「ちゃんと、帰ってくるわよね?」

「勿論。帰ってくるさ……借金も、まだ返し終わっていないし」

「そうだったわね。踏み倒さないでよ?」

「そこまで不義理な性格ではないつもりだがね」

「ええ。……それも、知っているわ」


 そして、今度は誰が見ても笑顔と分かる表情をこちらへ向けてくれる。


「でも実際問題。あのソルネアという女性を、どうやって魔神にするの?」

「さて、ね。神の座へ導けと言われたけど、それが何処かも分からない。取り敢えず、ネイフェルを殺した場所まで連れていくつもりだ」

「そう。大変な旅になるわね」

「そうでもない。一度は辿り着いた場所だし、二度目なら前知識もある」


 アーベンエルム大陸に住む魔物達の生態と特性、魔族達が集まる場所、地形。

 それを活用すれば、俺一人でも魔神の城へ辿り着けるはずだ。


「そこは信頼しているわ。なんだかんだで、貴方が一番生存(サバイバル)能力に長けているもの」

「そう?」

「貴方と柊君だけよ、魔物を(さば)けるの。あと、野草の見分けが出来るのも」

「全部じゃないさ」

「でも、食べれるものは分かるじゃない。それだけでも、凄いと思うわ」

「それを言ったら、宇多野さんは古いエルフやドワーフ達の文字が読めるし、精霊の声だって聞ける」


 俺からしたら、そちらの方が旅の役に立つと思う。

 ま、それを言い出したら堂々巡りになってしまうだろう。なので、一通りお互いを持ち上げてから会話を止める。


『それで、レンジは何かアテがあるのか?』

「ん?」

『ソルネアを戦いの嫌いな魔神とやらにするアテだ』

「さてね。人の生活を見てもらって、美味い飯を食べてもらって、綺麗な景色を見てもらって……」

『それだけで、人を好きになれるのか?』

「なれると思うけどな」


 エルメンヒルデが呆れたような声で言うが、その声に俺は笑ってしまう。見ると、宇多野さんも右手で口元を隠していた。


「そうやって、人間を好きになった神様が居るんだよ」

『アストラエラ様か?』

「さて、どうだったかね」


 あっちは、美味い飯だけだった気もするが。

 ただ、そう言ってくるエルメンヒルデが面白いと同時に、僅かな悲しみも胸を過る。エルの記憶は戻らない。いや、エルとエルメンヒルデは別の存在なのだから、彼女の記憶は俺達の中にしかないと言った方が正しいのか。

 それでも、その悲しみはほんの僅かだ。以前のように溜息を吐く事も無い。笑いながら、胸の奥にチクリとした痛みを感じただけだ。

 きっとこの痛みも、近いうちに感じなくなる。

 その時、きっと俺は泣くのだろうな。


『どうした、レンジ?』

「ん?」

「ぼう、っとしてたわよ。疲れているの?」

「いんや。その、人間が好きな神様を思い出していただけだよ」

『ん?』

「……そう」


 エルメンヒルデは不思議そうな声を上げ、宇多野さんはその一言で俺の内心を悟ってくれた。

 エルの死。その事を知っているのは俺と宇多野さん、そしてこれからエルフレイム大陸で会う幸太郎の三人だけだ。もし俺がその事を誰にも伝えなかったら、きっと宇多野さんと幸太郎も、誰にも言わないだろう。そうなると、エルという少女……女神の死は、俺達三人の中にしか存在しなくなるのだろうか。

 そう考えると、また胸の奥にチクリとした痛みを感じた。


「この旅が終わったら、お前にも言わなきゃならない事がある」

『私にもか?』

「ああ」

『ふむ。あまり期待せず、だが少しだけ楽しみに待っていよう』

「期待していないのと楽しみなの、どっちだよ」

『レンジがそう言う時は、私をからかう時が多い。だから、期待はしていない……だが、少しだけ楽しみだ』

「その言い方だと、からかわれるのが楽しみなのか?」

『違う。からかわれても――お前との会話は楽しみだ』

「ふ……お前は、相当の変わり者だな」

『しょうがない。レンジのあ……武器だからな』


 お前今、相棒って言いかけただろ。本人も気付いているようで、どこか気まずそうというかバツの悪そうな雰囲気を感じる。


「仲が良いのは分かるけど、私を忘れて二人だけの世界を作らないでほしいわ」

「いやいや。そこまで仲が良いわけでもないから」

『む』


 肩を竦めておどけながら言うと、エルメンヒルデが不満そうな声を上げる。それも、いつもの事だ。

 そんな俺達に、宇多野さんが静かに歩み寄ってくれる。その綺麗で冷たい指が、頬に触れる。


「うん」


 その表情は誰が見ても笑顔と言うだろう。でも何故か、俺には泣いているように見えた。


「さて。後は、買い出しね」


 そして、気分を変える為に一息吐いてから、いつもより明るい声でそう言ってくる。


「そっちは、取り敢えず大丈夫だ。商業都市(メルディオレ)までは、馬車で移動するし」

「そう?」

「それに、珍しいものもあるかもしれないから。買い物は向こうでするさ」

「なら、まずはここを出ましょうか」


 そう言って宝物庫を後にする宇多野さん。俺も、その後を吐いて宝物から出る。簡易な木製のドアだが、出入り口には兵士が二人常駐している。

 その兵士が、宝物庫から出てきた俺と宇多野さんに挨拶をしてくる。


「それ、着れそう?」

「埃っぽい」

「なら、場所を借りて干しましょうか」

「ついでに、日向ぼっこでもするかね」

「悪くないわね」


 いや、冗談だったんだけど。

 なんだかその一言に、宇多野さんの歩みが軽くなったような気がした。視線は鋭いまま、長い黒髪を指先でクルクルと回しながら遊んでいる。それは、彼女の機嫌が良い時の癖だ。

 表情はいつも通りなのに、そういった些細な癖で彼女の心情をある程度理解できるのは、一緒に旅をした利点だろう。そんな俺の視線に気付いた宇多野さんが、(いぶか)しげに見上げてくる。


「いや。機嫌が良さそうだな、と」

「……そうでもないわ」


 それでも、髪を弄る指は止まらない。本人がその癖に気付いていないというのも、可愛らしいものだ。宇多野さんに、この癖を教える?

 そんな愚かしい事を、誰がするだろう。

 目指している場所は裏庭ともいうべき城門とは反対側の開けた場所。いつもメイドさん達が洗濯物を干している場所だ。そこなら、装備を日干ししても文句は言われないだろう。この時間帯なら日も当たるので、日向ぼっこをするにも丁度良い。

 その後も何人かの兵士や騎士、貴族と擦れ違いながら裏庭へ到着。そこには先客が居た。メイドさん達が干した洗濯物を取り入れていたわけではない。

 長く伸びた銀の髪に、僅かばかりの装飾品で飾られた白いドレスを着ている女性――ヨシュア王の一人娘、アマルダ・イムネジア姫その人がベンチに座って息抜きをしていた。武闘大会中に見た凛とした表情は無く、どこかほんわかとした表情でどこか遠くを見ている。いつもと雰囲気が違うなあ、とその横顔を眺めているとこちらの存在に気付いたようで、その視線が向く。


「あら?」

「これは、アマルダ姫――」

「ふふ。堅苦しい挨拶は抜きに。今は、誰も見ていませんから」

「わかりました」

「え」


 そんな簡単に口調を変えるの?

 なんだろう。俺が居ない間に、この二人って仲良くなったの?

 昔はもっとギスギスというか、アマルダ姫が宇多野さんを怖がっていたというか。あの視線と口調だ、良く知らない人は怖がってしまうのも仕方がない事だとは思う。しかし、一年という時間は凄いね。浦島太郎の気分が味わえそうだ。

 少し腑に落ちない気持ちを抱きながら、宇多野さんに(なら)ってアマルダ姫の傍へ行く。


「姫様、少し失礼しますね」

「はい?」

「山田君、服」


 そう言って差し出された左手に上着を渡すと、姫様の前だというのにバサバサと埃を払いはじめる宇多野さん。本当に良いのだろうか。不敬というか、失礼というか、気後れするというか。そう思いながらアマルダ姫に視線を向けると、なんだかその奥に星でも見つけられそうな瞳で宇多野さんを見ていた。


「楽しそうですね。(わたくし)もよろしいでしょうか?」

「……え」

「かまいませんよ。山田君、ズボン」


 ええ……。もう一度確認の為に宇多野さんへ視線を向けると、向こうは上着をバサバサとするのに忙しそうでこちらを見てもいない。

 いいのかなあ、と思いながら、言われた通りにアマルダ姫へズボンを渡す。すると、楽しそうに笑顔を浮かべながら宇多野さんと同じようにバサバサし始めるお姫様。その細腕には見た目通りの力しかないようで、見ていて危なっかしい。そんなアマルダ姫を見守っていると、上着を干した宇多野さんが外套(マント)を要求してくる。

 そうやって革手袋とブーツも干し終わる頃には、二人の女性が息を乱してベンチへ座っていた。いや、姫様はともかく、宇多野さんは体力が落ち過ぎだろう。


「なに?」

「運動不足?」

「……私は、デスクワークが得意なのよ」

『だ、そうだ』


 それ、昔から言っていたよなあ、と思い出しながら地面にダガーと竜骨のナイフを広げる。鞘から出すと、陽光を当てながら一本一本その刀身の状態を確認する。

 状態は今すぐにでも使えるだろう。ダガーを一本投げると、少し離れた場所の地面に刺さる。


「戻れ」


 呟くと同時に、そのダガーが手元へと戻ってくる。ダガーは七本。その全部を試し、ちゃんと使える事を確かめる。


「面白い剣ですね」

「まあ、エルフが作ったものですから」


 そう言いながら、今度は竜骨のナイフを曲芸のように操って具合を確かめる。こちらも、問題無い。魔物や魔獣、魔族が跋扈(ばっこ)するアーベンエルム大陸で命を預けた武器達だ。とても心強い。

 それが終わると、小さな拍手が耳に届いた。視線を向けると、アマルダ姫が拍手をしている。


「楽しいものを見せていただけましたので」

「いえいえ。お見苦しい限りです」


 ナイフを鞘へ納める。エルメンヒルデが無言なのは、おそらくご機嫌斜めだからだろう。

 精霊銀(ミスリル)の剣を使った時もそうだが、やはり俺がエルメンヒルデ以外の武器を使うのはあまり好きではないらしい。そんな相棒の可愛らしい抗議に苦笑しながら、ダガーの刃に付いた土を一本一本綺麗に拭き取っていく。


「それで。そちらのお二人は、随分と仲が宜しいみたいで」

「言葉遣いが少々変ですよ、レンジ様」

「驚いていますので。宇多野さんに仲が良い友人が居るとは……」

「それだと私に、友達が居ないように聞こえるのだけれど?」

「気のせいさ」


 肩を竦めると、あからさまな溜息。俺は地面で宇多野さんはベンチに座っているので、その冷たい視線に見下ろされる形だ。

 その恰好に慣れていると感じる辺り、俺もどうかしていると思う。


「はあ。それで姫様、どうしてここに?」

「少し、思う所がありまして」

「思う所?」

「はい」


 なんだろうか。三本目のダガーを拭きながら、二人の話に耳を傾ける。


「以前からもですが……」

「はい」

「ユウタ様は、優しすぎると思うのです」


 ……うーむ。重苦しい(シリアス)な雰囲気なのに、なんだろう。手に持っていたダガーを落としそうになってしまった。


「一応聞いておくけど」

「あ。何でしょうか、レンジ様」

「それは、俺が聞いてもいい話なのでしょうか?」

「構いません。いえ、むしろ男性からの意見を聞きたいのですが」

「山田君の意見は……役に立つかどうか」

『何の話だ?』

「お前は気にしなくていい話だよ」

『何故だ? 私も聞きたいのだが』


 どうして変な事には興味津々なのだろう、俺の相棒は。


「それで、九季がどうしたのですか?」

「今は人の目がありません。堅苦しい言葉は不要ですよ、レンジ様」

「はあ」


 宇多野さんへ視線を向けると、首を横に振っている。もしかしたら彼女も、この調子で押し切られたのかもしれない。


「で、九季が何かやらかしたので?」

「いえ。むしろ、何もしてくれないと言いますか……昨夜も」


 やだ。女の人からそういう生々しい話を聞きたくない。そう思うのは、俺が女の子という生き物に幻想を抱いているからだろうか。まあ、アマルダ姫はまだ十八歳として、宇多野さんは今年で二十八。女の子とはとても言え――。


「なに?」

「いえ」


 人間は、睨まれるだけでも死ねるのかもしれない。この世界に来てからもう何度目かになる思考が頭を過ぎる。気付かれないように、視線を手元のダガーへ落とした俺は気弱な草食動物の気分だ。


「それで、昨夜は何を?」

「夜、寝室へお(うかが)いしたのですが……」


 アイツも奥手というか、草食系というか。アマルダ姫のような美人が夜に部屋を訪ねてきて、よく我慢できるものだと尊敬しそうになる。


「……先に、私が眠ってしまいまして」

「そっち!?」

「え?」

「あ、すみません。続けてください」


 やばい。このお姫様、天然だ。

 昔は深窓(しんそう)の令嬢とか思っていたけど、中身は相当の天然だ。俺が思わずツッコミをしてしまうほどに。


「ですが、眠っている私に何も……」

『一緒のベッドで眠ったのではないのか?』

「ええ、それはもちろん」


 それはそれで凄いな、九季。あいつの自制心に、俺は驚愕の念しか抱けそうにない。というか、そんな話を男の俺が聞いていいのだろうか。

 もう何度目かの自問に、やはり答えは返ってこない。


「お互い初めてなのですから、やはり最初は意識がある方が良いのだと思いますよ。記念になりますし」


 なんだか表現がヤらしいです、宇多野さん。

 あれ。女の人同士って、こういう話をよくするのだろうか。なんだか気後れしながら、ダガーを磨く手に力を込める。


「ですが。それとなく誘っても駄目、お酒を飲ませても駄目、寝姿を見せても駄目。……自信を無くしそうです」

「姫様……」

『ふむ』


 俺は、貴女がそこまで肉食系だった事に驚きを隠せませんが。見た目も雰囲気も清楚系なのに、中身が肉食系とか……女の子って怖い。しかも、本人は無自覚というか、本当に九季を想っての行動っぽい。宇多野さんがチラチラとこちらに視線を送ってくるが、俺にはどうしようもない。

 九季の性格は知っている。アイツはきっと、姫様を大切にしているのだろう。けど姫様的には、大切に想われるのも嬉しいけど、もっと欲望を向けてほしいというか欲望をぶつけてほしいというか。

 ……自分の考えが、訳の分からない事になってきた。


「ところで。宇多野さんに、いつもこんな相談を?」

「ちょ」

「ええ。ユーコ様は、時折私の話を聞いて下さるのです」

「ちなみに、どのような?」

「それは内緒でございます。殿方にお聞かせするのは、少々恥ずかしいです」


 それはもう、今更という気がしないでもないですが。取り敢えず、先ほど話に出ていたそれとなく誘ったとか酒を飲ませたとかが、宇多野さんの案なのではないだろうか。きっと、経験豊富だからとか言われて、持ち上げられたに違いない。その様子が思い浮かび、声には出さないようにしながらも口元が緩んだのを自覚する。

 俺に気付かれた事を悟ったのか、宇多野さんの表情に驚きの感情が浮かぶ。視線が定まらないのは、動揺しているからだろう。


「それで、レンジ様。何か良い案はございませんでしょうか?」

「さて。こちらからは、正攻法が一番だとしか思えませんが」

「正攻法ですか?」

「夕食でも一緒にして、お互いに酒を飲んで、ムードを作って、それとなくベッドへ誘う。九季のような男なら、変に搦め手で攻めるよりも効果が高いと思いますがね」

「それで駄目だったのですが」

「……あのヘタレめ」

「雄太君も、山田君にだけは言われたくないでしょうね」

『まったくだ』


 エルメンヒルデ。お前は誰の味方なのだ。

 相棒の酷い裏切りに心を痛めながら、それっぽい事を思案する。まあ、今夜の九季が面白い事になりそうだという下種(ゲス)な思考も五割くらいはあるかもしれない。


「でしたら、いい物がありますよ」

「どうせ、ロクでもない物でしょうね」


 宇多野さんの呟きは聞こえないフリをしながら、ポケットへ手を伸ばす。先ほど、宝物庫で見つけた興奮剤だ。こういうのもありますよ、とそれっぽい事を言いくるめようと考えたのだが……。

 取り出したのは、中身は満タンの瓶。興奮剤ではなく、その後手に取った、まだ薬効も確かめていない薬だ。


「それは?」

「どこから持ってきたのかしら、そんなモノ」

「宝物庫から」

「私に手伝わせている間、そんなものを探していたの?」


 宇多野さんの視線が鋭くなる。


「で、中身は?」

『何と書いてある、レンジ』

「ええっと……」


 陽光に(かざ)しながら、薬効を確かめる。薄紅色の液体が美しい。材料の名前がいくつも書かれていて、最後に――媚薬とあった。


「…………」

「どうかなさいましたか、レンジ様?」

「山田君?」


 駄目だ。こっちは興奮剤以上に危険なヤツだった。それとなくその瓶をポケットに戻そうとすると、何を思ったのか宇多野さんが指をパチンと鳴らす。たったそれだけで、手の中にあった瓶の感触が消えてしまった。

 慌てて視線を向けると、件の瓶は宇多野さんの手の中だ。


「…………」

「ユーコ様、どうしたのですか?」


 そうなると、今度は宇多野さんが黙る番である。流石は賢者様。媚薬がどいうものか、ちゃんと知っているようだ。また俺が変な物を用意したと思って回収したのだろうが、その変な物が媚薬だとは思っていなかったのだろう。勿論、俺も思っていなかった。

 見る見るうちに、その頬が赤くなる。人前では絶対に見せない表情の変化だ。いつも仏頂面というか、人を寄せ付けない雰囲気だからか、その変化にアマルダ姫も驚いているようだ。

 そんな宇多野さんの変化を見ながら、俺は今日死ぬかもしれん、とどこか達観した気分になれた。

 いったい誰が、こんなものを宝物庫に保管したのだろうか。


『何なのだ、いったい?』

「わかりませんわ、エルメンヒルデ様」


 呑気な二人の声を聞きながら、俺はポケットからエルメンヒルデを取り出すと、少し離れた位置へ放る。それを待っていたかのように、パチンと宇多野さんの指が鳴らされた。

 九季は地獄(天国)へ落ちればいい。俺は地獄(落とし穴)に落ちながら、そう思った。ちゃんと、地面に並べていたベルトの収納箇所(ホルスター)に納めていないダガーを回収してくれている辺り、優しいと思うけど。

 もうすぐ命懸けの旅に行かなければならないというのに……俺達は相変わらずだ。

 俺がバカをやって、お仕置きされて。昔のまま。――また、戻ってこれたような気がした。仲間達が居る輪の中に。

 流石に、媚薬はバカすぎると自分でも思うが。あと、子供達が傍に居なくて本当に良かったと思う。



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