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第二十話 神


 そこは、何もない場所だった。

 辺り一面、三百六十度、上下左右の全部が白一色。他の色など一切なく、だからこそ“彼女”が住むべき場所だったのだろう。

 女神像へ祈りを捧げ、その祈りが女神に届き、なおかつ女神の許しを得られた者だけがたどり着ける場所。

 静謐にして清廉。

 限られた者だけが辿り着ける聖域。

 そんな印象があった場所なのだが。


「よく来たわね」


 この場所に居る間は実体が無く、光というか、揺らぎというか……とにかく、肉体というものを持っていなかったはずの彼女は、どういう訳か俺の前で玉座のような椅子へ座っていた。

 白一色の世界に、同色のような銀の髪、銀装飾の施された美しい白ドレスを優雅に着こなし、見惚れてしまいそうなほどに白い肌がドレスの隙間から覗いている。玉座までが銀で作られており、クッション部分も白い革のような素材。それだけ白に(こだわ)っていながら、その中で唯一の違う色である黄金色の瞳。

 冷たさすら感じさせる静かな瞳が俺を見据え、口元は真一文字に結ばれている。

 明らかな不機嫌。

 彼女を模したと言われている銀女神像が浮かべている柔らかな微笑みとは真逆の表情だ。そんな姿すら美しいと思うのは、それは彼女が女神と呼ばれる存在であろう。

 女神アストラエラ。人間を生み出したとされる光の女神。

 俺達をこの世界へ召喚し、魔神討伐を依頼した存在。

 その彼女は、女王様然とした様子で、玉座にそのしなやかな足を組みながら座り、俺を見下ろしていた。


「これは、女神アストラエラ様。ご機嫌麗しく――」

「言葉だけのおべっかは必要無いわ。顔を上げなさい」


 床――というには辺り一面が白一色なので上下の間隔が曖昧になりながら、足元に(ひざまず)いて挨拶をかわそうとすると、ただの一言でバッサリと切り捨てられた。不機嫌そうだとは思ったが、相当ご立腹なようだ。

 おそらくだが、俺がここ一年ほど顔を出していなかったからだろう。

 どう謝るかと考えながら頭を上げると、やはり冷たい視線で俺を見下ろされている。とても整っている容姿なので、ものすごく恐ろしい。例えるなら、宇多野さんが怒った時と同じくらい怖い。


「ようやく来てくれましたね」


 しかし、次いでその口から漏れた声には、どこか(ねぎら)いの感情すら感じられる温かさがあった。

 組んでいた足が解かれ、僅かな衣擦れの音が耳に届く。静謐な空間に、少しだけ柔らかな空気が流れた気がした。


「この一年。どうでしたか?」

「……それなり、かと」

「そうですか」


 俺が口にするそれなりがどういうことなのか気付いているようで、その口調はとても柔らかい。立ち上がりながら顔を向けると、先程とは違い、今度は柔らかく目元を細めていた。

 ブラフだったのだろうが……心臓に悪い。

 女神様からの圧力が弱まったのを肌で感じ、胸を撫で下ろす。この一年で、どうやら随分と人間臭い性格になっているようだ。

 その事を喜ぶべきか迷いながら、気付かれないように深く息を吐いた。


「会っていきなりの溜息は、失礼ではありませんか?」

「そちらが、矢鱈(やたら)と人間臭くなっているからかと」

「そうですか? よく分かりませんね」


 よく言う。

 どこまで本心なのかと計りかねながら、もう一度息を吐く。すると、その冷たさすら感じさせる美貌に笑顔を浮かべた。

 その表情は、エルによく似ている。それもそのはずで、彼女はアストラエラの魔力を分けて生まれた存在だ。そのエルがアストラエラに似るのも道理であろう。

 容姿は似ているのに性格は全く違う。言うなれば、母と子か。

 アストラエラとエル、そしてエルメンヒルデの関係は、言葉にするならそのような関係なのだと思う。


「ここに来たという事は、また前を向く気になったと受け取って構いませんか?」

「ご自由に。ただ、また世界の危機が迫っているようですから」

「なるほど。ならまた、世界を救ってくれるのですね?」

「本当に、世界へ危機が迫っているのなら」


 それと、と一呼吸を置いて。


「神が相手ではないのなら」

「そうですか」


 俺が肩を竦めながら言うと、特に何かを言われる事無く彼女も胸を撫で下ろすように息を吐いた。もしかしたら、俺が断ると思っていたのだろうか。

 まだまだだな、と思う。

 俺はきっと、これから彼女が何を言おうと、俺に何を願おうと……それが世界の危機なのだとしたら、断らない。

 それだけは、胸を張って言える。


「それで?」


 ただ。神の相手など、もうこりごりだ。

 目の前に居る女神にしてもそうだ。以前は戦いが苦手だと言っていたが、魔神を相手にした今ならよく分かる。この女神も、次元が違う。

 まともに戦っていては、殺せるだなどと欠片も思えない。

 ――神を殺すには、犠牲が必要だ。沢山の、そして大切な。犠牲が。


「レンジ。貴方は今のこの世界、水面のように広がる異変に気付いていますか?」

「魔神の眷属がイムネジア大陸に存在している事。それと、魔物の動きが活発になっていること、でしょうか」

「そうですね。大切なのはその前者――彼の眷属が生まれている事です」


 ふむ、と。

 やはりアレは、自然発生した特異な存在ではなく、魔神の眷属なのか、と。確信はあったが、そうやって口にされると受け取り方が違ってくる。

 頭に浮かぶのは、フランシェスカ嬢と一緒に討伐した黒いオーク。そして、魔術都市を襲った黒いオーガ。

 腐霊の森で遭遇したスケルトンは――どうだろうか。

 黒いオークとオーガには、共通している事がある。それは、魔神の眷属にしては弱すぎる事だ。いくらエルメンヒルデが神を殺す事に特化しているとはいえ、俺が一人で相手に出来るほど魔神の眷属というのは弱くない。逆に、腐霊の森に居たスケルトンには、俺とムルルの二人掛かりでもどうしようもないような強さがあった。

 生まれたてと、昔から存在していた。そう考えると、辻褄が合うのではないだろうか。あのスケルトンは、魔神討伐の旅を行っていた際に殺し損ねていた存在。オークとオーガは、生まれて間もない、成長しきっていない眷属。だから経験が少なく、力押し。――弱かった。

 確かに俺達は、腐霊の森には近寄らなかったのだから、そうも考えられるはずだ。


「一つ、質問を」

「構いませんよ」

魔神(ネイフェル)は殺した。俺が、この手で」

「そうですね」

「なら何故、魔神の眷属が新しく生まれる? 眷属を生むのは魔神のはずだ」

「ネイフェルの死体が存在しているから」

「…………」


 その一言に、息が詰まった。胸の奥にある心臓を掴まれたように、苦しくなる。


「……死体?」

「そう。ツェネリィアから送られてきた物があるはずです」


 そう言われ、思い出すのは――魔神の心臓。宝石のように美しく、鉱石などよりよほど固く――禍々しい、忌むべき心臓の欠片。

 ムルルが精霊神(ツェネリィア)から頼まれて持ってきたと言っていた、アレだ。


「心臓の欠片が?」

「貴方には、あれが心臓に見えるのですね」


 その言い方だと、俺達の認識がまったく的外れだと言われているように感じてしまう。

 いや、実際そうなのだろう。神様たちの事など、俺達が勝手に想像している部分が大きい。先入観と言えるのかもしれない。変に知識を持っていたから、特に疑いを抱かなかった。

 ゲームや映画、漫画、ノベル。俺達の世界には実にたくさんの娯楽がある。

 その娯楽の中には自分たちの国だけではなく外国、異世界の魔物や神。果ては亜人や獣人、妖精の知識までが多種多様に存在する。そしてその知識は、この世界でも通用した。

 森に住む魔物や獣は火を怖がるし、水辺の魔物は雷に弱い。炎には水を、水には雷、雷には土、土には風。属性という概念で考えられるそれらの知識は、この世界で戦う俺達の確かな武器だった。

 実際はゲームではなく現実なので色々な問題もあるのだが、それでも――俺達だけが持つ知識は、確かな確信をもって利用できた。

 だから魔神も……その肉体の中心に存在した弱点としか見えない『心臓』を砕き、残った肉体を跡形も残らないほど吹き飛ばした。それで十分だと思ったのだが……どうやら砕いた『心臓』が本体だったらしい。


「つまり?」

「貴方が本体を砕いたので、その砕かれた数だけ眷属が生まれている、という事です」


 その言葉を聞いた瞬間、肩がありえないほど重くなったような気がした。頭の奥まで痛くなり、指でこめかみの部分を押さえる。

 それって。もしかしなくても、俺が原因なのではないだろうか。


「ですが、問題はそこではありません」

「ん?」

「よかったですね」

「……優しい言葉をありがとう」

「それと、言葉遣いがいつもの形へ戻っていますよ」

「ありがとうございます」


 俺が言い直すと、口元を隠す事無く肩を震わせる女神様。

 世界の危機だというのに余裕があるのはいつも通りか。そう考えながら、溜息を吐く。


「それで。俺は、その生まれたての眷属を討伐して回ればいいのでしょうか?」

「それはそれで助かりますが、おそらく間に合わないでしょう」

「間に合わない?」


 その言い方に、違和感を感じて聞き返す。

 新しく生まれる眷属が世界の危機だというのなら、間に合わないという言い方はおかしい。なら、いったい『何に』間に合わないというのか。

 その答えを待ち、俺も口を(つぐ)む。


「世界の危機というのは、魔族がネイフェルを復活させようとしている事です」

「復活」


 鸚鵡(おうむ)返しのように聞き返し、続いてその単語に聞き覚えがあり記憶を探る。

 それはすぐに見つかった。魔術都市で黒いオークと魔族を相手にした時だ。あの時の魔族が口にしていたはずだ。魔王(シェルファ)は魔神を復活させることを拒否している、と。

 その事を考えると、魔神を復活させようとしているのは魔族の一部か大多数ではあるが、魔王は乗り気ではないといったところか。

 あの戦闘狂(バトルマニア)が何を考えているのかなど想像もできないが、そこはまだ深く考える事でもないか。俺がどれだけ考えても、話を聞かなければ答えなど出ないのだし。


「ですがその結末は――レンジ、貴方も分かるはずです。同じ事を、一年前に願ったのですから」

「……ああ」


 俺がエルの復活を望み、エルメンヒルデが生まれたように……きっと、魔神(ネイフェル)は全く違う存在として復活する。

 アストラエラが言っているのは、その事だろう。

 その『まったく違う存在』がどういう神なのか――それが問題なのではないだろうか。


「それがどのような存在かは、私にも分かりかねます」

「どういう意味で?」

「それがネイフェルとして――神の一柱としての意思を持っているのか、それとも力だけを持つ破壊の権化なのか……ただの器でしかないのか」

「分からない、と」

「神がその創造物である人間や亜人達を蘇らせる事は何度かありますが、眷属でもない存在が神を復活させるというのは初めてですので」


 それもそうか、と。

 女神の魔力から生まれたエルですら、女神の力を使っても完全に復活する事が出来なかったのだ。

 魔神が魔族を復活させるのではなく、魔族が魔神を復活させるとなるとどうなるか、想像もできないという事か。

 世界の危機だというのにこうも既視感(デジャヴュ)というか、思う所があるのは――俺が同じ事をしているからかもしれない。俺はエルメンヒルデという相棒を出会えたが、きっとネイフェルは――違う形になってしまうのでは。それはとても悲しい事で、辛い事で……また、沢山の人が犠牲になる。

 あの魔神は、どれだけ憎んでも憎み足りない。きっと、もし正しい形であれが復活するなら……俺はまた、全力で戦うかもしれない。その行為に、どれだけの犠牲が孕んでいるのか分かっていても。

 退屈だと言っていた。

 アストラエラがこの世界に生きる皆の生活を見守るように、ツェネリィアが平穏と平和の中で微睡(まどろ)む事を好むように……あの化け物には、闘争が必要だった。

 意思が残るのか、力だけなのか、それともただの器となってしまうのかは分からない。だが――そんな闘争を望む神を、放っておくことは駄目だ。


「それで、間に合わないと言っていたのは?」

「砕かれたネイフェルの本体は、その欠片もとなると数が多すぎます。きっと、復活までにその全てを討伐するのは不可能でしょう」


 そんなに多いのか。

 聞きそうになるが、聞かないでおくことにする。どうせ聞いたら、やる気がなくなるような数なのだろう。

 俺一人で無理なら宗一達にも……そう考えるが、アストラエラが言うのだから、きっとそれでも足らない数の眷属が生まれているという事か。


「なら、どうすればいい? 蘇ったネイフェルをまた殺せと言うなら……」


 俺一人では、足らない。力も、命も……何もかもが。

 ――エルメンヒルデに課せられた七つの制約。その全部を知った今、とてもではないが一人で神とは戦えない。

『俺の戦う意思』

『誰かを守る意思』

『仲間との約束』

『神かその眷属との戦い』

『アストラエラからの加護を得る』

『仲間の死』

 ……そして、七つ目。

 俺は一人では戦えない。仲間が――多くの仲間が居なければ、その力の全部を解放する事が出来ない。なにより――多くの犠牲を糧にしなければならなくなる。

 もう一度その全部を解放(クリア)できるほど、俺は強くない。

 きっと、七つ全部の制約を解放できれば、一対一でも魔神(ネイフェル)に勝てるかもしれない。いや、勝てるだろう。俺とエルの……エルメンヒルデの力は、神を殺す事のみに特化しているのだから。

 だが――。


「そうではないわ」


 そんな俺の内心に気付いてか、アストラエラは微笑みながら俺に声を掛けた。


「私は、もう少し魔物達の勢力が縮んでからネイフェルの代わりを用意するつもりでした」

「ネイフェルの、代わり?」

「今の世界は、ネイフェルの影響もあって魔物達の側に傾いてしまっています。なので、女神(人間)精霊神(獣人と亜人)の勢力を広げ、世界のバランスを取り戻そうと考えていたのです」


 それは、初めて言われた事だった。

 しかし、と思う。確かに世界には魔物が溢れ、けれど魔物や魔族が住むアーベンエルム大陸には人間や亜人達の影響がほとんどない。それは、アーベンエルム大陸で魔物や魔族が増え続けるという事だ。

 人間たちが魔物に殺されている今でも、魔物達は増え続けている。確かにそれでは、バランスが取れない。

 だから魔神が不在である今、三柱のバランスを整えようとしていたのか。


「だが、魔族は自分達でネイフェルを復活させようとしている」

「はい。そうなれば、また魔族達は人間や亜人、獣人達に牙を剥くでしょう」


 その結果がどうなるか――考えるまでも無い。また、戦争の始まりだ。

 子供や老人たちですら剣を取り、畑を(たがや)すのではなく殺し殺される世界。あの地獄がまた始まる。

 ……考えただけで、眩暈(めまい)がしそうだ。


「そして。魔神との戦いで疲弊した世界は、耐えられない」

「そう言う割には、随分と余裕があるように見えるが……気のせいか?」

「いいえ」


 俺が聞くと、ゆっくりと首を横に振るアストラエラ。まるで絹のような銀糸が、その動きに合わせてさらさらと揺れた。


「レンジ、貴方に願うのは一つです」

「ああ」

「新たな魔神を――戦いを嫌う魔神を、神の座へ導きなさい」


 ただ、その言葉はあまりにも予想外すぎた。


「……はあ?」

「聞こえませんでしたか? 貴方には、新しい神をアーベンエルム大陸まで導いてほしいのです」

「それは分かるが……」


 それは必要な事なのだろうし、大切な事でもあるのは分かる。

 だが、と。

 一応俺は人類を救った英雄の一人で、魔神は人類が倒すべき敵だ。この世界に生きる人類の天敵だ。そんな俺が新しい魔神を用意するなど……周りからどう思われるか、簡単に想像が出来る。

 返事をしない俺を不思議に思ったのか、アストラエラが小首を傾げて俺を見ている。そんな可愛い仕草をされても、簡単には首を縦に振りたくないお願いだ。


「説明が必要ですか?」

「是非ともお願いします」


 口から出たのは、自分でも驚くほど平坦な声だったが、取り繕う余裕も無い。

 そんな俺を見て肩を震わせながら、またその細くしなやかな足を組む。これで眼鏡でも掛けていれば、美貌の女教師に見えなくも無い。

 そう思うのは、過去に何度かそう言って、工藤が今のアストラエラのような行動をしていたからだ。きっと、その時の真似をしているのだろう。本当に悪影響しかないな、工藤と幸太郎は。


「この世界は、次の戦いに耐えれるほど回復してはいません。ですので、戦えない魔神を神の座へ据える。そうすれば、魔物達も大人しくなるでしょう」

「……どうしてそこで、魔物が?」

(むし)ろそこは、私が聞きたいのですが」

「なにを?」

「どうしてレンジ達はネイフェルが倒された後に、魔物達の動きが活発になっている事を気付いていないのですか?」


 その一言で、全部の糸が繋がった気がした。

 同時に、重い重い……腹の底から出たような溜息を吐く。


「つまり?」

「言わなければわかりませんか? それとも、口にしてほしいのですか?」

「――いいえ」


 そして、今日この空間に来て初めて……アストラエラは、小さくだが俺に聞こえるほどに声を出して笑った。

 そんなアストラエラを見ながら、俺の心中は重くなるばかりである。

 つまり、だ。

 魔神という抑え付ける存在が居なくなった事で、魔物達は好き勝手に暴れているのだ。自分たちが食べたい時に食べ、暴れたい時に暴れる。そんな魔物の本性は、魔神(ネイフェル)という存在が居た事で抑えられていたという事だ。

 それはつまり、今の魔物が暴れている状況を作り出した大本が、魔神を殺した俺だという事。いや、そうしなければならなかったと誰もが分かっているだろうが……それでも、自分が元凶だというのは笑うに笑えない。

 ……あの化け物は、結局何をしたかったのだろう。

 俺は、ネイフェルを憎んでいる。

 きっと、ネイフェルはそんな俺を望んでいたはずだ。

 殺されたかったのか、世界を滅ぼしたかったのか。だというのに、ネイフェルが居たからこそ魔物は抑えられていた。

 結局――アイツの進んだ先には、何があったのだろうか。俺が負け、ネイフェルが生き残っていたら……世界は、どのように変わっていたのだろうか。


「レンジ、次に来てくれるのはいつですか?」


 頭を抱えそうになっていると、静かな声が俺を呼んだ。

 まるで水面のように揺らぎの無い声は、アストラエラ本来の声だと思う。初めて会った時の声音を聞くと、少しだけ気分が落ち着いた。

 ただ、その内容はとても初めて会った頃には聞けないような、私事であったが。


「……次」

「来てくれないのですか?」

「いや、来ると思いますけど」

「そうですか」


 なまじ肉体があるからか、その笑顔を見せられるとどうしても意識してしまう。

 多分だが、もし肉体が無く、光というか、揺らぎのような姿であったならそれとなく言いくるめていたかもしれない。


「近いうちに」

「私は待つのが苦手なようです。次は、なるだけ早く顔を見せてください」

「はい」


 生返事を返しながら、重くなった頭を軽く振る。


「レンジ」

「ん?」

「折角の祭りだったのですから、せめて一声欲しかったです」

「……貴女が街中に出ると、祭りどころの騒ぎではないので」


 そっちかよ。

 視線を逸らして溜息を吐くと、彼女から感じる圧力が増したような気がした。


「待っていたのに」

「……知りませんよ」


 不敬とも取れそうな言葉を口にして、聞こえるように溜息を吐く。


「この身体に食事は必要ありませんが、味覚はあるのですよ?」

「知っていますから」


 それは以前、何度か屋台に誘った事があるので知っている。

 きっとそれで、食事を摂るという娯楽に目覚めたのだろう。それは良い事なのだろうが、だからといってどうしていつも俺に言うのか。

 俺でなくても、宗一や九季――それこそ、幸太郎など二つ返事でアストラエラのお願いを聞いてくれるだろうに。

 やはり、最初にこの空間から連れ出したのが俺だから言ってくるのだろうか。


「焼きたてのお肉は、とても美味しいのですよ?」


 女神としてどうかと思う発言をする彼女は、冷たい視線を俺へ向けておらず、どちらかというと拗ねたような顔をしていた。信仰されることは神として必要な事らしいが、大仰な祈りや祝詞(のりと)等よりも祭り好きという変わった女神様。

 絶世の美女ともいえる彼女が、祭りの屋台で買ったオーク肉の串焼きに齧り付く姿など、誰も見たくはないだろう。俺も見たくない。

 それでも、目の前の女神はそうやって肉を食べたいらしい。神様の考える事は、よく分からない。


「今度来るときは、買ってきますよ」

「違いますよ、レンジ。私は、焼き立てを食べたいのです」

「……そっすか」


 どうやっても、この空間から出たいのか。

 まあ、分からなくもない。一度娯楽のようなものを覚えたら、この何もない空間は退屈で仕方ないのかもしれない。

 それは、この空間から連れ出した俺の責任なのだろうか。


「以前は、何度も私を連れ出してくれたのに」


 私といっても、女神アストラエラという意思の一部だろうに。


「若気の至りですよ」

「私から見ると、まだまだ若いですよ。貴方は」

「それはどうも」

「それと、話し方はいつも通りが好ましいです。私はそう思います」

「……はい」


 それで、と一旦会話を区切り。


「俺が連れていく次の魔神は、今どこに?」

「…………」


 しかし、その次の瞬間にはアストラエラの表情には驚きが浮かんでいた。


「本気で言っているのですか?」

「何か、変な事でも?」

「いえ。貴方は本当に、敵意にだけは敏感なのですね」


 それは暗に、俺が鈍感だと言いたいのだろうか。

 少しムッとしてしまうと、それが表情に出たのかまたアストラエラが口元だけを緩めた笑顔を浮かべた。


「貴方達が亀と呼んでいた眷属。彼の眷属を(ほふ)った場所に居た少女ですよ」

「亀?」


 この世界では聞き慣れない名前に一瞬首を傾げ、次いですぐに思い出した。

 亀。というよりも、幸太郎が『玄武』と名付けた魔神の眷属の事だろう。

 山のように巨大で、鈍足。上空から見るとまさに亀そのものといえる……イムネジア大陸最大最強とも言われていた魔神の眷属の事だ。その懐かしい名前を聞きながら、次いでその亀を討伐した場所、そして……。


「……ソルネアか」


 俺がその名前を口にすると、女神はその美貌に浮かべた笑みを深めた。



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