第十九話 幸せだという事
また重苦しい鎧を身に纏いながら、息を一つ吐く。
着替えの為に用意された部屋は昨日と同じだが、俺一人だとどうしても静かになってしまう。先程まで試合に出ていたという事もあり、その静かさを強く意識してしまう。
まあ、藤堂や九季は忙しいし、鎧を着るのに手伝いは必要無いので、人を呼ぶ理由が無いのだが。あれだけ騒がれた後に、一人で寂しく鎧へ着替えるというのは、なんというか。
「寂しい……」
一人は気楽だし、自分勝手にできるからという思いもあるが、それでも寂しいものは寂しい。
というよりも、自分だけ仲間外れ感がするのは気のせいだろうか。
精霊銀の鎧へ着替え終わり、腰には同じ精霊銀の長剣。あとはエルメンヒルデが居れば完璧なのだが、そのエルメンヒルデはまだフランシェスカ嬢と一緒だ。
試合が終わった後に捜そうかとも思ったのだが、この闘技場に居るであろう観戦者の数は数千人だ。その中からフェイロナ達四人を探すとなると、少々骨が折れてしまう。
運が良ければ大会が終わった後に行われる晩餐会という名の打ち上げでフランシェスカ嬢に会った時で良いし、最悪明日の朝にフェイロナ達と合流すればいい。
偶には、こうやって別々の時間を過ごすのも悪くない、と思う事にする。この三年間、ずっと一緒に居たのだから。アイツにも、俺以外の誰かと過ごす時間も必要だろう。
……そう考えると、また溜息。ずっと居たからこそ、こう、なんというか。物足りないというか、寂しいというか。
きっと、俺はエルメンヒルデよりも寂しがり屋なのだろう。そんな馬鹿な事を考えながら部屋から出る。
「あ」
「ん?」
すると、部屋の前で持っていたのだろう。阿弥が、窓の外へ向いていた視線をこちらへ向けた。
着ているドレスはいつかの夜、一緒に夕食を食べに行った時に着ていたのと同じ深い蒼色のドレスだ。
暗い色彩のドレスだが、阿弥の白い肌を良く際立たせていると思う。あまりドレスの良し悪しは分からないが、やはりよく阿弥に似合っている。
ただ、あの時のように髪が下ろされているわけではない。いつものように左側に纏められた黒髪を、今は所在なさげに指先で弄っていた。
「何かあったのか?」
「いえ。違います」
そう言って、軽い足取りで俺の隣へ歩いてくる阿弥。
踵の高いヒールのような靴を履いているのか、いつもより少し身長が高いように感じる。それに、化粧もしているようだ。
「少し、話しをしたいなあ、って」
「そうか」
俺の肩より少し高い位置にある横顔は、嬉しそうに微笑んでいる。機嫌が良いのだろう、そういう感情が俺にまで伝わってきて、俺も笑顔を浮かべた。
「その、残念でしたね」
「何が?」
「負けてしまって」
「ああ」
俺が気にしていないと分かっているようで、聞いてくる声は軽く、表情は笑顔だ。
時折擦れ違う参加者や観戦者の人達が好奇の視線を向けてくるが、それはあまり気にならない。有名税とでもいうべきか、王都では俺や阿弥の顔は結構知られている。特に俺は、先ほどまで試合に出ていたのだから尚更だろう。
「けど、残念だな」
「なにがですか?」
「ほら。折角の祭なのに、屋台も何も楽しめていないだろ」
「気にしていませんよ。私は……」
そこまで言うと、口を噤んで俯いてしまう。また指でサイドポニーに纏められている髪を弄っているので、何かを恥ずかしがっているようだ。
その何かは分からないが、機嫌は悪くなさそうなので並んで歩く。鎧が、カチャカチャと乾いた音を立てた。
少し歩いたが、阿弥は無言。対する俺も、特別何かを話したいという訳でもない。
しかし、この無言も苦にならないのは、阿弥と居る時間に慣れているからか。あまり意識せずにゆっくりと歩いていると、コツ、と阿弥の肘が鎧越しに触れたのが分かった。
先ほどよりも半歩ほど近付いたのだろう。阿弥と俺の距離が、少し近い。
その事を指摘するのも野暮だろうと思い、気付かないフリをしてまたゆっくりと歩く。
ふとその横顔を見ると、先ほどよりも笑みが深まっているように感じた。きっとそれは、俺の気のせいではない。
「昼食は食べたか?」
「え?」
「そろそろ昼時だろう? 昼は食べたのかな、って」
「え、あ。はい。というか、来賓席は食べるものがたくさん置いてありますから」
「摘まんで食べたから腹は減っていない、と」
「ぅ……はい」
太るぞ、という軽口を飲み込む。勿論冗談だが、ここでその冗談を言えばどうなるか――火を見るよりも明らかであろう。
「なら、少し付き合ってくれ」
「?」
「試合が終わったら、急に腹が減ってきたんだ……少し、一緒に話さないか?」
「は、いっ」
その、意気込んだ返事に苦笑して、来賓席へ向かっていた足の向きを変え、闘技場の出入り口へ向かう。
闘技場には食堂のようなものは無いので、入り口付近に沢山ある屋台のどれかで腹を膨らませるしかないのだ。
今朝方見た屋台を思い浮かべると、口内に唾液が溜まる。空腹なのは本当で、今まで空腹感を感じなかったのは試合の事ばかりを考えて、緊張していたからだろう。
「ふふっ」
少しだけ足早に歩いてしまうと、隣の阿弥が笑う。
その事が恥ずかしくなり、またゆっくりと歩き出す。しかしそうなると、失敗したな、という気持ちになる。
この鎧姿では、悪い意味で目立ってしまう。一般の人達に鉄の鎧と精霊銀の鎧の違いは、そこまで分からないはずだ。しかし、やはり鎧姿というのは威圧感がある。そんな姿で屋台に顔を出せば、嫌でも目立ってしまうはずだ。
まあ、目立つと言えば、隣の阿弥もだが。豪奢とはいわないが、質の良い生地を使った上等なドレス。ヒールを履いて、化粧をして。女の子というよりも女性、可愛いというよりも綺麗。
身内贔屓かもしれないが、今の阿弥なら人前に出るだけでも十分目立つだろう。俺とは違い、良い意味で。
「急ぎましょうか」
先ほど俺が足早に屋台へ向かおうとした事を気にしたのか、そう言ってくる。
声が弾んでいるのは、いつもからかう俺を、逆にからかっているからか。
「なに。少しぐらいは我慢できるさ」
「もう……そんなところは、子供っぽいなあ」
「う」
そうだろうか。
十歳も年下の女の子から年下のように接せると、なんとも言えない気恥ずかしさがある。
その感情を気付かれないように、指で頬を掻くと冷たい精霊銀の感触。そういえば、今は精霊銀の装備で身を固めていたのを思い出す。
「食べにくそうだな」
精霊銀の手甲に包まれた右手を見ながら呟くと、阿弥が堪え切れなくなって吹き出した。
肩を震わせて笑うその仕草は年相応の女の子そのもので、そんな阿弥を見れると俺も嬉しい気持ちになれる。この世界に来て三年、成長して大人びた雰囲気を身に纏い始めたが、やはり年相応に笑っている方が俺は良い。
気を良くしながら歩いていると、また精霊銀越しに阿弥の肘が触れた。
「冷たくないか?」
「なにがですか?」
「鎧」
そう言うと、俺が何を言っているか分かったようで一歩、離れてしまう。
その行動を可愛らしいと思うと同時に、少しだけ寂しく思うのは父性のようなものなのだろうか。娘が父親から離れていく時に感じる感情かもしれないし、それとも阿弥を一人の女性として意識しているから離れられて寂しいと思ったのか。
自分自身でもよく分からない感情に苦笑すると、そんな俺を不思議そうに阿弥が見上げてくる。
「いや。寂しいなあ、と」
次は、その発言に顔を僅かに赤くして、すぐに視線が逸らされてしまう。
「もう。からかわないで下さいっ」
「そういうつもりじゃ、ないけどな」
照れ隠しで怒られながら、それでも悪い気はしない。
宗一や弥生ちゃんに接するように自然体とは言えないのかもしれないが、阿弥がどういう性格なのかはよく知っているつもりだ。嫌なら嫌とはっきり言うし、口に出来ない時は無言で距離を置く。それをしないのは、それなりに信頼してもらえているのか。
この照れ隠しも、もう何度目の事だろう。慣れたというよりも、この照れ隠しを楽しめるくらいには、阿弥との会話を重ねてきた。だからか、また訪れた無言の時間も、そう悪くない。
この世界に来たばかりの頃はつんけんしていて、私に任せて下がっていろっ、と言わんばかりに頑張っていた姿を思い出すと、そのギャップに楽しくなってくる。
そうやって昔の事を思い出していると、またコツ、と阿弥の肘が鎧越しに触れた。
視線を向けると、やはり恥ずかしそうに視線を明後日の方向へ向けている。
「冷たくないか?」
「寂しいみたいですから」
また同じ聞くと、違う答えが返ってきた。
少しつっけんどんというか、早口で返された言葉が楽しくて肩を震わせてしまう。悪いとは思ったが、阿弥のその反応が面白かった。そして何より――嬉しい。
「もうっ」
「またそうやって、すぐ拗ねる」
「蓮司さんが茶化すから――」
「嬉しいんだよ」
阿弥の言葉を遮るようにして口にすると、そのまま口を閉じてしまう。
そのポカンとした表情が面白くてずっと見ていたくなるが、俺の視線に気付いたのだろう、ゆっくりと俯いて隠されてしまった。そのまま足が止まってしまったので、俺も少し歩いて立ち止まる。
僅かに居た周囲の人達が、そんな俺達に怪訝そうな視線を向けてくる。
「どうする。先に、来賓席へ戻るか?」
暗に、迷惑か、と聞く。
おそらく、言葉にしなくても阿弥には伝わったであろう言葉。
しかし、そう聞くと首をフルフルと何度か横に振って、足早にまた隣に並んできた。その表情が笑顔というか、にやけている事には触れない方が良いのだろうか。
また首を擡げてきた、からかいたいという気持ちを何とか抑えながら歩き出す。
コツ、と。阿弥の肘が鎧越しに触れた。
今度は、離れていかなかったし、俺も何も言わなかった。
それからしばらくして闘技場を出ると、肌寒い風と強い日差しに目を細める。
良い天気だ。試合場の上ではその事にも気付けなかった自分が、どれだけ緊張していたのかがよく分かる。
「さて、何を食うかな」
「私はいいです。お腹、そんなに減っていませんから」
「そうか? 気にしなくていいぞ、少しは持ち合わせがあるから奢る」
「いいですよ」
並んで歩きながら話していると、やはり俺達は目を惹いてしまうようだ。周囲から好奇の視線が集まるのを嫌でも感じてしまう。
俺も阿弥も視線を向けられることにはなれているが、こうも注目されると食事を摂りにくい。俺は男だからあまり気にしないが、その辺りは女の子。知らない人に食べている姿を見られるのには、抵抗があるのだろう。
「そうか」
ここで遠慮をするのもどうかと思い、取り敢えず身近にあった屋台でオーク肉の串焼きを一本買う。値段は銅貨二枚……田舎の村でパンを四つは買える値段だが、都会ならこんなものなのだろうか。それとも、今が祭りの時期だからか。
どうしてお祭りの時に出ている屋台とは、値段が平日の時よりも倍近くしているのか。しかも、そうと分かっていても俺達は買ってしまう。
祭りの雰囲気に気分が高揚して気にならなくなるのか、それとも祭りの雰囲気でいつもより美味しそうに見えるのか。
どちらにしても、お祭り気分というのが大切なのだろう。
「どうかしましたか?」
「いんや。美味そうだなあ、と」
精霊銀の手甲を装備したまま串を指先で器用に持つと、一齧り。
この世界にはタレのようなものは無く、味付けとしてはシンプルに塩や香料だけだ。それが逆に、素材本来の味を引き立てているというか。
俺の少ない料理知識を総動員して、このオーク肉の串焼きをコメントするなら。
「ん、美味い」
「ふふ」
そう言いながら二口めを齧る俺を隣から見上げる阿弥は、口元を緩めて笑っている。
その様子は、周囲からするとどのように見えているのだろうか。
「一口食べてみるか?」
「遠慮しておきます」
ま、だろうな。
気心が知れた相手とはいえ、他人が食べた物を口にするのには抵抗があるだろう。
そうこうしている間に、串焼きを一本食べ終える。余計に空腹感が増したように感じるのは、それだけ腹が減っていたからか。
「それにしても、王都は人が多いな」
「そうですか?」
「ああ。なんだか、迷子になりそうだ」
俺がそう言うと、口元を隠すようにして上品に阿弥が笑う。
さて、次は何を食べようか。そう思って周囲を見渡すと、何人かの人と視線が合った。俺達が何者なのか知っているのか、それとも鎧姿の男とドレス姿の女という組み合わせが珍しいから見ていたのか。
その視線を気にしないようにして、歩き出す。阿弥も気にしていない。
「迷子にならないで下さいよ?」
「善処するよ。迷った時は、闘技場の入り口に集合するか」
「もう。蓮司さんが年上なのに」
呆れ交じりに冗談を受け止めてくれる阿弥の歩幅に合わせながら歩いていると、また違う屋台が目につく。
こちらはオーク肉ではなく、リザードマンの肉を扱っているようだ。オーク肉よりも脂が少なく、歯応えがある。元の世界風に言うならヘルシーな肉だ。
この世界には健康を意識した食というのは流行っていないので、オーク肉よりも人気が無い。オークよりも強いリザードマンだが、その肉はオークより質が下がるというのは何とも不思議な話だ。
リザードマンの肉、その串焼きを一本買い、また器用に手甲越しに指で持つ。
「それじゃ。迷っても困るし、どこかに座るか」
「そうしましょうか。何か、飲み物は?」
「あ」
そういえば買っていなかったな、と。
「何か買ってくるよ」
「いいですよ。座る場所を探していてください、私が買ってきますから」
そう言うと、こちらが止める前に歩き出してしまう。
その後ろ姿を目で追い、溜息。
ここは、男に出させてくれた方が――と思うのは俺が古い考えなのだろうか。阿弥の気配りは嬉しいのだが、年下の女の子に気を使ってもらうというのに恥ずかしさを感じてしまう。
取り敢えず、言われたとおりに座れるような場所を探すと、簡単に見つける事が出来た。
人は多いが、座って談笑している人は少ない。誰も彼もが歩きながら、祭りを楽しんでいる。笑顔で、友達と、家族と、恋人と。談笑しながら、手を握りながら、腕を組みながら。沢山の人が、色々な種族が、武闘大会という祭りを楽しんでいる。
平和で、平穏で……それを守ったのは俺達なのだと思うと、嬉しいというよりも誇らしいという気持ちが胸に湧く。
ふと。昨日の夜、幸太郎の言っていた言葉が脳裏を過ぎった。
『気になるなら、アストラエラに会うといい』
幸太郎は言った、俺が今パーティを組んでいる仲間。その中に厄介事があると。
それはフランシェスカ嬢か、フェイロナか、ムルルか。
その誰であったとしても――アイツが厄介事というなら、そしてアストラエラの名前を出すのなら……それはきっと、それなりに重要な事なのだろう。
アストラエラ。俺達に、俺に何度も無理難題を吹っかけてきた女神様。魔神討伐に始まり、船も無いのに魔族が跋扈するアーベンエルム大陸へ渡れと言ったり、同格である精霊神から信頼を得ろと言ったり、山のような魔神の眷属を殺せと言われたり。
……思い出すだけで、よくもまあ、そんな無理難題をこなしたものだと思う。自分で自分を褒めたくなる。
そんなアストラエラから、次の無理難題を言い渡されるかと思うと少し気が滅入るが、目の前の光景を見ているとどうにかしなければとも思う。
女神様からの無理難題は、この世界を守る為に必要な事だった。今でこそ笑い話だが、あの時は真面目に、必死に、命懸けでこなした気持ちを思い出す。
この世界の為に――エルが愛した、俺達が好きになった、沢山の人が生きる、この世界を守る為に。
ああ、と思う。
俺の休暇は、終わりを迎えたのだろう。
「蓮司さん?」
手に持ったトカゲ肉の串焼きを食べるでもなく、ぼうっと立ち尽くしていた俺に阿弥が声を掛けてくる。
その両手には、一つずつ木製のコップが持たれている。匂いからして、果実の搾り汁だろう。
「ああ。阿弥か」
「……大丈夫ですか?」
「ん?」
「あ、えっと。座って食べた方が、行儀が良いですよ?」
「はは。そうだな」
何か聞きたそうな顔をして、そして聞かずにこちらを気にしてくる。
そんな阿弥の優しさを感じながら、近くに空いていたベンチへ腰を下ろす。ああ、本当に鎧というのは不便だ。物凄く座り辛い。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
ジュースを受け取って一口口に含むと、喉を潤す。ジュースはあまり飲まないが、酒で割ってもいいかもしれない。
「良い天気ですね」
「そうだな。冬だっていうのに、暖かい」
「それに、皆が楽しそうです」
それは、俺達の前を通り過ぎていく人たちの笑顔を見ての言葉か。
俺が考えていた事と同じ感想を口にしたのがおかしくて笑うと、阿弥が不思議そうな顔で見上げてきた。
「いや、俺と同じような事を考えるんだな、って」
「そうですか?」
「俺もさっき、同じような事を考えていた。皆が笑顔で、それを守ったのは俺達なんだ、って」
「――はい」
沢山の人間が死んだ。亜人や獣人もだ。
そして、沢山の魔物や魔族を殺した。最後には――神すら殺した。
そうやって手に入れた平和の中で、沢山の人が笑ってくれている。笑顔で過ごしている。
しばらく無言でその光景を眺めていると、トカゲ肉ともジュースとも違う、柔らかな香りがふわりと薫った。視線を隣へ向けると、すぐ傍に阿弥の横顔がある。
俺の視線に気付いたのか、横目を俺へ向け……でも、離れる事無く自然体のまま座っている。少しだけその頬や耳が色付いているのは、気のせいではないだろう。
「寒いか?」
「え?」
「顔が赤い」
「……もう。そこは気付いても、気付かないフリをして下さい」
「はは」
ああ、きっと。こういうのが幸せというのだろう。
胸の奥が温かくなり、気持ちが落ち着いていく。老若男女の笑い声と、屋台を出している職人達の元気な客引きの声。暖かな日差しに、少しだけ冷たい風。
そんなゆったりとした時間の中で、食事をする。ただそれだけで、人は幸せになれるのだ。笑えるのだ。
「あ」
そんな幸せの中で、見知った顔と目が合った。
はちみつ色の髪を陽光で輝かせ、いつもは柔和な笑みを浮かべている表情は、今は驚いた顔で止まっている。
はて。何か驚かせるような事があっただろうか。首を傾げるが、答えは出ない。それと、その両脇と後ろに居るフェイロナとムルル、ソルネアはいつも通りだ。
「どうしました、蓮司さん?」
「いや、フランシェスカ嬢達がこっちを見ている」
俺がそう言うと、俺の視線の先に居るフランシェスカ嬢に今気付いた阿弥が、まるで跳ねるようにベンチから立ち上がった。
そう思った時には、フランシェスカ嬢の元へ小走りで近寄っていく。走らないのは、履き慣れないヒールを履いているからだろう。後ろ姿だからよく分からないが、耳まで赤くしているように見える。
そんなに、見られて恥ずかしかったのだろうか。それはそれで傷付くなあ、と思っているとフェイロナとソルネアがこちらに歩み寄ってくる。フランシェスカ嬢とムルルは、向こうで阿弥と話している。何を話しているのかは分からないが、まあ、楽しそうだ。ムルルはよく分かっていないようだが、フランシェスカ嬢は満面の笑みを浮かべている。
「ここに居たのか」
「ああ。試合が終わったら、腹が減ってな」
「ふ、緊張していたのだろう」
「ご名答。エルメンヒルデは?」
「フランシェスカと一緒だ」
肩を竦めながら聞くと、答えはすぐに帰ってきた。
ま、あっちはあっちで仲良くやっている事だろう。女同士でもあるし。
ただ問題があるとすれば、同じ女である黒髪の女性だ。フェイロナの隣に立ち、ベンチへ座る俺を静かに見ている黒い瞳を見詰め返す。
「ソルネアは?」
「どうしました、レンジ?」
「いや、女の子同士の会話には参加しないのか?」
「……した方がいいのですか?」
それを俺に聞くのか。
苦笑しながらフェイロナへ視線を向けると、肩を竦められてしまう。どうやらずっと、この調子のようだ。
「お前に興味が無いのなら、今はそれでいいさ」
「分かりました」
事務的というか、なんというか。ソルネア独特の返事に、どんな言葉を返せばいいのか分からなくなる。
それはフェイロナも同じようで、こちらは特に気にした様子も無い。
「よく似合っているな」
「あん?」
「その鎧だ」
「お世辞でも嬉しいよ」
残っていたトカゲ肉を食べ終わり、手に持っていた木製のコップに入っていた果実の搾り汁を一気に煽る。
「お疲れ様でした」
「うん?」
珍しく、ソルネアから話しかけてきたのを不思議に思いながら聞き返す。
フェイロナとしても珍しいと思ったのか、いつもは静かな表情に、僅かな驚きの感情を浮かべている。
「いえ。やはり貴方は強いのだな、と思いました」
「勘弁してくれ。俺より強い奴なんざ、腐るほど居るさ。目の前にもな」
そう言ってフェイロナへと視線を向けると、特に何を言うでもなく静かに笑っている。
「そうでしょうか?」
「そういうものさ」
さて、と。
空になった木製のコップに木串を突っ込んで立ち上がる。
「これからどうする?」
「レンジは?」
「俺は、王様の相手だ。夜は参加者を集めて舞踏会のようなものがあるから、時間が空くのは明後日からだな」
多分、明日は二日酔いで死んだように眠る事になるだろう。
それに、アストラエラにも会わなければならない。
「そうか。なら、その時にでもまた話そう」
「ああ、分かった」
その話というのは、俺達の今後の事だろう。
ムルルの依頼で王都まで来たが、本来ならフェイロナは魔力の森に居を構えるエルフだ。阿弥とフランシェスカ嬢は魔術都市の生徒だし、ムルルはエルフレイム大陸に住んでいる獣人。
ソルネアはどうするか分からないが、俺は――きっと、また旅に出る事になる。確信にも似た予感だ。
幸太郎はエルフレイム大陸で待っていると言っていた。アストラエラに会い、そしてエルフレイム大陸へ渡って来いという事だろう。ムルルとなら途中まで一緒に行けるだろうが、流石に別の大陸まで他の皆を誘うのは難しい。
そう考えると、この仲間達との旅ももうすぐ終わる。
「どうかしたのですか?」
そんな俺の内心を感じ取ったのか、ソルネアが聞いてくる。
やはりその声音に、感情の波といったものは感じられない。ただ、黙った俺を不思議に思い、聞いて来ただけなのだろう。
「なんでもないさ」
そんな俺をどう思ったのか、フェイロナが苦笑しながらこちらへ視線を向けていた。




