第十八話 剣と刀
手に持つ長剣が、重いと思った。
それは、いつ以来の感想だろうか――。
・
もう何度目か。試合場の上に立つと、歓声が上がった。
それは、山田蓮司という人間に向けたものではなく、救世の英雄へ向けたものだ。
そう理解しながらも、歓声を上げている観戦者の人達を見渡し、手を振るなどのサービスをしてしまう。
「随分と余裕ですね」
「そう見えるか?」
「ええ、とても」
そんな俺は、対戦相手からすると、あまり真面目には見えないようだ。二回戦でも同じような事を対戦相手である赤毛の傭兵から言われた気がするが、俺としては真面目なつもりだ。
正直、この大会に参加している人達の中に『確実に勝てる相手』など一人も居ないのだ。余裕を抱くどころか、油断や慢心も抱けやしない。
ずっと気を張っていて、精神的に疲れているほどだ。
そんな俺の内心など気にしないで、距離を置いて立ち止まった真咲ちゃんが冷ややかな視線を向けてくる。特殊な性癖の持ち主なら、ぞくぞくするような視線なのかもしれないな、と場違いにも感じながら向かい合う。
「それで?」
「ん?」
「私が相手なら、少しは本気で戦ってくれますか?」
「……一回戦も二回戦も、本気だったんだがな」
頬を指で掻きながら、そう返す。
それと同時に、頭の中には昨日と今日で慣れた魔術の『声』が聞こえ始める。
ただ今回は、何度も聞いた声ではなく、聞き慣れた――宇多野さんの声だ。彼女が俺と真咲ちゃんの紹介をしてくれるらしい。
最初に一言自己紹介をしている辺り、真面目な彼女らしいと思い、少しだけ口元が緩んだ。
「はあ」
そんな俺の反応を目ざとく見つけた真咲ちゃんが、溜息。
肩を落としながらの溜息は重く、深い。……そこまでしなくてもいいのでは、とこちらの方が悪い事をしたような気になってしまいそうな溜息だ。
「愛されてますねえ」
「ん……む」
「心配されているじゃないですか。こうやって、少しでも関わっていたいという事ですよ?」
からかい混じりの声は、どこまで本気で、どこまでが冗談なのだろうか。大仰に肩を竦めながら話す仕草は、どこかいつも冗談を言っていた幸太郎に似ていると思った。口にしようものなら、開始の合図を待たずに首を刎ねられそうだが。
それとも、冗談ではなく全部が本気なのか。
返事に困っていると、さらに踏み込んでくる。だが、珍しく戦い関係ではなく冗談で攻めてくるあたり、そこまで機嫌は悪くないようだ。寧ろ、良いのかもしれない。
思い当たる事と言えば、宗一関係か……大穴で、俺と戦えるからか。
「なんだ。宗一と、何か良い事でもあったのか?」
「……む」
おや、と。どうやら一発で当たりを引いたたようだ。
からかう仕草と表情だった真咲ちゃんの顔が、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ視線をこちらへ向けて驚いた表情を浮かべた。
何とも分かり易い。恋する乙女は、可愛らしいねえ。
「そうかそうか。そっちは一歩前進か」
「うるさいですよ」
その声が、低くなる。まるで腹の奥から出されたような声は、聞く者の心を芯から震えさせるのではないだろうか。
しかし、そこは慣れたものである。馴染みの深い、気心の知れた仲間だ。特に怖いとも、恐ろしいとも思わない。むしろ、普段が凛とした彼女なので、微笑ましくすら思えてしまうのは、俺が怖いもの知らずなのだからだろうか。
「はいはい。人の恋路を笑い話にする気はないよ」
「ぐぬ」
言葉に詰まった真咲ちゃんを可愛く思いながら、長剣を鞘から抜く。
二回戦はフランシェスカ嬢へ大剣相手の戦い方を見せるためにショートソードを使ったが、流石にそんな事を真咲ちゃん相手にすればこちらが殺られかねない。
こと戦いにおいては、彼女はとことん真面目なのだ。仲間内であっても、手加減をされると気を悪くする。
けど、この世界において本気で戦うという事は、それが訓練であれ怪我をする危険がある。剣が好きで、刀を振るのが好きで、本気で戦うのが好き。その気持ちは分からなくもないが、怪我をさせたくないという気持ちを少しは分かってほしいとも思う。
そんな真咲ちゃんといつも訓練をしていたのが宗一で、いつからか毎日のように訓練をするようになっていた。
きっと、向こうは同じくらいの実力だから自分が出来る事は向こうも出来る、みたいな考えだったのだろうが。今考えると、恐ろしい考えである。下手をすれば、怪我では済まない。というよりも、訓練の後は何度も弥生ちゃんに怪我を治癒してもらっていたような気がしないでもない。俺達から隠れるようにして。
大人に気付かれたら怒られるくらいは、分かっていたのだろう。尚悪いが。
「ま、その宗一とは決勝戦で戦うんだ。勝って、何か言う事でも聞かせてみたらどうだ?」
「え?」
「ほら、よくあるだろ。『勝ったら言う事を聞け、負けたら言う事を聞くから』って」
おどけて俺がそう言うと、なんだかポカン、とした表情の真咲ちゃんが居た。
「その手があったか」
「……相変わらずのポンコツ具合で、お兄さんは嬉しいよ」
「だ、誰がポンコツですって!?」
さて、と。
ロングソードを数回振って、調子を確かめる。口では勝てる自信があるが、これからは剣での勝負だ。
いくらか集中力を乱せただろうが、試合中になれば意味が無いだろう。それほどまでに、真咲ちゃんの勝負に挑む集中力は凄まじい。
その事を知っているだけに、少しでも集中を乱しておきたいのだが――宇多野さんの『声』が、それを許してくれそうにない。
俺と真咲ちゃんの紹介が終わる。後は、こちらが構えるのを待って開始の合図をするだけだ。
「――――」
「――――」
は。
考える事は一緒だな。
視線が重なっただけで、思考まで重なったような感じがした。
久木真咲。女神アストラエラに『運命すら切り開く力』である魔剣を願った少女。
こと攻撃力という点なら勇者であり女神と精霊神の加護を得た宗一にすら劣らない、魔剣の使い手。エルメンヒルデを手に持たない俺など、十人居ても勝てないのではないだろうか。
そんな事を考えながら、腰を落とす。真咲ちゃんが抜刀の構えをするように、俺は両手で持った長剣を左腰へ隠すように構える。見様によっては、似た構えであろう。違うのは、鞘に納めているか納めていないかだ。
そのまま、数瞬。開始の合図を待つ。
冬の冷たい風が頬を撫で、鼓膜を震わせるほどの歓声を遠く感じる。まるで自分の周りに膜があり、その膜が俺と真咲ちゃん以外の存在を隔離しているかのような錯覚。
世界がゆっくりになり、風すら視認できそうなほどの集中力。瞬きすら忘れ、眼前の相手を見据える。
それは相手も同じで、その視界には俺以外は映っていない。きっと、頭の中からは宗一の存在すら消えているだろう。
呼吸は深く、長く、一定に。重なる。俺と真咲ちゃんの意識と思考、そして呼吸が重なっていく。限られたスペースしかない試合場が無限のように広く感じられ、その世界に俺達二人しかいないように錯覚していく。
瞬間。一際強く、風が吹いた。彼女の長い黒髪が、その視界を一瞬覆い隠す。
同時に、開始の合図。
コンマ数秒の誤差も無く飛び出すと、一気に間合いを詰めた。卑怯だなどと言わせないし、彼女は言わないだろう。
彼女の長い前髪が隠していた瞳と俺の瞳が重なる頃には、既に二歩目を踏み出している。
そんな俺の反応に驚く事無く、真咲ちゃんの腰が一層深く沈められた。
抜く。
そう感じた瞬間、彼女の間合いへ入り込む。俺がロングソードを振ると同時に抜かれた刀は、俺のロングソードよりも早く俺の首へ迫る。そこに、一切の躊躇も手加減も無い。
その太刀筋は寸分の狂いも無く、腰に差した鞘から俺の首までの最短距離を走る。まるで一本の線を思わせる綺麗な一閃。
だからこそ、分かり易い。
ロングソードを切り上げるようにして刀の軌道上を狙うと、お手本のように綺麗な一閃がブレた。
綺麗であるからこそ、軌道は読みやすい。狙われる場所が分かっていて、通る道も分かっているなら、取れる手段などいくつもある。
放たれた刀を掬い上げて軌道を逸らす。甲高い金属音は一瞬。
「ちっ」
「は――」
その一撃で刀を折るか、曲げるかなりしようと思ったが、それよりも真咲ちゃんの反応が早い。
流石は女神の加護を受けた人間。その反射速度はオブライエンさんのソレを遥かに上回っている。俺がロングソードで掬い上げると同時に、刀の負担を減らすために軌道を逸らしたのだ。
刀と剣。
その最たる違いは、切れ味と耐久力であろうと俺は思う。真咲ちゃんのような一流の剣士が振るう刀は鉄すら斬れるが、その耐久力は低い。女神が練成した魔剣でもなければ、とても戦場では使えない。
逆に、剣は斬る事に向いておらず、どちらかというと叩き切るといった方が正しいだろう。しかしその耐久力は刀のソレを上回る。戦場で使う事を想定して考えられているのだから、当然と言えば当然だろう。
俺が真咲ちゃんに勝てる可能性があるとすれば、刀を潰す。ただその一点だけであろう。
身体能力も、反射速度も、何もかもが劣っている俺の唯一の勝機。それは、開始の一合。俺に合わせてくるであろう、その一合で刀を破壊する事。
それが、失敗に終わった。
即座に距離を開けようとするが、それは許してもらえない。俺が後ろへ下がるよりも、彼女の踏み込みの方が早い。
抜かれていた刀はいつの間にか鞘に納められており、剣を構える俺よりも腰を低くして頭から突っ込んでくる。そこまで体勢を低くされると、攻撃のしようが無い。迎え撃とうにも、真咲ちゃんの頭が低すぎて狙い辛いのだ。これでは、剣を振っても力が伝わらない。
そんな気の抜けた剣では、彼女の刀に切り落とされるのがオチだろう。
「ふ、ぅっ!!」
二度目の抜刀。踏み込むと同時に放たれた神速ともいえる一閃を、後ろではなく左へ飛んで躱す。
形振り構わず避けたおかげで右の二の腕を薄皮一枚斬られただけで済んだが、試合場の上を勢いよく転がってしまう。
なんとも無様と言いたいところだが、即座に起き上がって剣を構える。
また、試合場の石床を砕きそうな踏み込み。今度は、その踏み込みに合わせて俺も懐へ飛び込む。
後ろへ飛び退くと見せかけての方向転換。その避け方は、もう二度と通用しないだろう。少なくとも、この試合の間は。
なら今度は、切れ味抜群な神速の剣先ではなく、どうやっても人を斬れない柄を押さえようと懐へ飛び込む。
しかし、そんな俺の行動は読まれていたようで、彼女は刀を鞘へ納めていなかった。三度目は抜刀ではなく、普通の斬撃。しかし、真咲ちゃんが放つ斬撃はおそらく宗一よりも鋭い――。
「ぐっ――っ!?」
咄嗟にロングソードを盾のように構えるが、まるでバターのように斬り裂かれてしまう。一体どういう造りをしているのか、理解に苦しむ切れ味だ。
その攻撃を目で追いながら、足に力を込める。
刀とは、触れただけで斬れるものではない。刀が触れた後、刃を引く事で斬れる。
ロングソードを斬る際に、刀を一瞬引いた。それはほんの僅かでしかない行動だが、俺の身体を斬るためには彼女はもう一度刀を引かなければならない。
その一瞬。服越しに刀が触れる瞬きすら出来ない一瞬――彼女の引く手に合わせて、左足を軸に体を回す。服が切れ、脇腹が浅く裂かれる。確かな鋭痛を感じながら、それでも胴がまだ繋がっている事を実感する。
右手で脇腹を押さえると、ぬめった感触。手には少なくない量の血液がこびり付いているが、まだ生きている。――戦える。
身体を回したせいで一瞬見失った真咲ちゃんへ視線を向けると、驚いた顔で動きを止めていた。さすがに、こんな方法で切り抜けられるとは思っていなかったのだろう。
「――は」
笑ったのは、俺か、真咲ちゃんか。
きっと俺が笑っているのなら、それは引き攣った、どうしようもなく情けない顔なのではないだろうか。
斬られたロングソードはその長さをショートソードほどまで短くしている。だが、切れ味が鋭すぎたのが災いしたとでもいうべきか、まだ武器としては十分使える。
驚いて一瞬止まった真咲ちゃんを見ながら、腰を落として突っ込む。今度は腰だめに構え、俺が真咲ちゃんの命までの最短距離を突っ込む。
俺と真咲ちゃんは同じだと思う。
宗一と真咲ちゃんが『剣士』として互いに負けたくないと思っても、そこには剣と刀という違いがある。
けど、俺と真咲ちゃんの場合は――まったくの同じだ。寸分の違いも無い。
どうやって、どれだけ安全に、どれだけ無駄なく、どれだけ簡単に――敵を斬れるか。殺せるか。
それは俺達の命綱であり、芯であり、背骨のようなもの。
鞘に納められていない刀が俺の首を狙うのと、斬られたロングソードが心臓を狙うのは同時。
横薙ぎと突き。どちらが早いかと言われれば、どう考えても突きだろう。
ただ――それはロングソードの長さが足りていればの話だ。
「ぐ……ぅぬ――」
「……はあ」
刀の鋭い刃が首に触れている。その感触だけで、寿命が十年は縮みそうだ。
対する俺の剣は――真咲ちゃんの心臓へは、届いていない。刀で斬り落とされた分の踏み込みが、足らなかったのだ。
そして、頭の中に宇多野さんの『声』が響いた。
俺の負けだ。
「うぅぅっ」
「え、っと」
唸りながらこちらを涙目で睨みつけてくる真咲ちゃんに、困惑する俺。
取り敢えず、そんな顔だと怖いのでさっさと首に添えている刀を鞘へ納めてほしい。このまま刀を引かれると、俺は頸動脈から血が噴き出して死んでしまう。
「な」
「な?」
「な、っとくがっ」
まあ、正直な話。必殺のタイミングをやり過ごせた時に、俺も勝てるかな、という欲が出た。
そして、あの瞬間に勝ちを確信していたであろう真咲ちゃんは動きを止めてしまった。その差だろう。
戦場では致命的ともいえる隙だが、ここは試合会場だ。戦場ではない。現に、勝者は真咲ちゃんで、敗者は俺なのだ。その事実は、覆らない。
だが、真咲ちゃんとしては言っている通り、納得がいかないのだろう。
もし俺の武器がエルメンヒルデであったなら、きっと斬られる事も折れる事も無かった。なら、勝敗は逆転していたのかもしれないのだから。
……それだと逆に、最初からこちらに合わせず、全力で斬りに来ていただろうが。むしろ、そちらの方が勝ち目は無い。
「ここで叩きのめして、一年間姿を消して心配させられた鬱憤を晴らそうかと思っていたのにっ」
「…………」
本気で悔しそうな表情なので、きっと本心からの言葉なのだろう。
うん。正直者に育ってくれたようで、お兄ちゃん嬉しいわあ。
「ええ、っと」
「ぐっ。これで勝ったと思わないで下さいよっ」
なんだか、凄い……なんというか、凄い。
負け犬っぽいというか、特撮物の悪役が言いそうなセリフというか。
そのまま、刀を収めると去っていく真咲ちゃんの後姿を目で追う。なんだろう……俺が悪いのだろうか。いや、悪いのだが。
この一年の事を、真咲ちゃんなりに解消しようとした結果なのだろうというのは分かるのだが。これだと俺が完全に悪者のように見えなくもない。少なくとも、昔の仲間達からしたら。
だからといって、手を抜いたら真咲ちゃんは機嫌を悪くしていただろう。
「はあ。難しい年頃だな、まったく」
取り敢えず、そう言う事にしておく事にした。どうやら俺と真咲ちゃんの戦いに相当盛り上がったようで、試合開始前より凄い歓声だ。冗談抜きで、耳がどうにかなりそうに感じる。
「ま、女の子の事は想い人に任せるかね」
謝ると余計に機嫌を損ねそうなので、決勝戦で戦うであろう宗一に丸投げする事にして俺も試合場を後にする。
一応これで俺の武闘大会は終了なのだが……何とも後味が悪い。まあ、いくら真咲ちゃんが俺に合わせてくれたとはいえ、あそこまで戦えるとは思っていなかったのが原因か。
そう思いながら、右手に視線を落とす。握ったり開いたりしても、いつもと変わらない手だ。
「少しは強くなったのかな」
ま、肉体的にどれだけ強くなろうが、それに精神が伴わなければ意味が無いのだが。
ズキリ、と脇腹が痛んだ。先ほど、真咲ちゃんに斬られた傷だ。手で押さえると、まだ血は止まっていない。
まったく、もう少し手加減をしてくれたら本当に嬉しかった。
取り敢えず、また弥生ちゃんに傷を癒してもらおう。まずはそこからだ。
血に染まった手を見ながら、苦笑する。真咲ちゃんには善戦したが、怪我をしたとなると素直に喜べない。
きっと、また……色々な人達に心配させてしまうだろうから。
「よくて引き分けってところ、か。はあ……今更強くなってもねえ」
ただ、まあ。
俺の人生はこれから先も続くのだ。
その先で誰かを守れるかもしれないなら、強くなりたいと思う。
開いていた右手を力強く握り込み、少しだけ気持ちを軽くしながら歩き出した。




