幕間3
石造りの壁に背中を預けながら試合を観戦していると、隣に気配。
そこには、私とほとんど身長の変わらない友人――宗一君が立っていた。服装は昨日の制服姿ではなく、動きやすくて丈夫な厚手の服を着ている。
腰に吊られているのは、控室に用意されている一本いくらの量産剣という事に僅かな落胆を感じながら、また視線を試合場へ向ける。
「どんな調子?」
「まあまあ、かなあ」
私の答えが分かっていたのか、宗一君は何も言ってこない。
視線の先、今試合場で戦っているのは山田さん。あまり使い慣れていないショートソードを上手く使いながら、大剣を捌いている。
一回戦で戦っていた騎士団長殿の時よりも動きが良いのは、いい具合に緊張が解れているからだろう。それに、相手はどう見てもオブライエンさんよりも格下だ。おそらく、今の山田さんは一回戦の時よりも試合場を広く感じているはずだ。動きに無駄が無く、余裕をもって動けているのがその証拠と言える。
あの人は、物事を難しく考えすぎるところがある。私のように簡単に考えすぎるのも問題だろうが、彼のように考えすぎても駄目だと思う。考えすぎて、頭がその事だけになって、身体が雁字搦めで。
だからきっと、昔勝てなかった人に勝てた事で枷が一つ外れたのだろう。
分かり易いというか、なんというか。本当に、変な人だ。
「なんか兄ちゃん、戦い方が変だね」
「ええ。小さい剣で大きい剣の相手――多分、宗一君の先輩さんに見せているんじゃない?」
名前は、何だったか。
そう話を振ると、ああ、と宗一君が今気付きましたと言わんばかりの声を上げた。
「フランシェスカ先輩にか」
「そうそう。その人」
私の前の試合で戦っている人だから、顔は覚えている。
山田さんのお弟子さん。
弟子というには動きは荒いし、確かに似た部分もあったが、どちらかというと我流に癖がある程度といった感じだけど。
確かに彼女は、山田さんの――私達の戦い方に似ていた。非力で、速さで攻撃を逸らし、少ない隙を確実に攻めるタイプ。
ただ、その攻め手に難があった。タイミングも速さも、どれもがチグハグ。あれでよく、山田さんと一緒に旅をして生き残れたのだと思う。まあ、昔みたいに危ない旅でもなかったのだろう。
なにより、人間を斬る事に躊躇いがあった。あれでは、この大会で勝ち上がるのは無理だろう。
「そういえば、先輩。負けちゃたんだっけ」
「……一応学園の先輩なら、見ていてあげなさいよ」
「う。だって、僕の試合とタイミングが悪かったし……」
自分でも悪いとは思っているようで、宗一君はバツが悪そうに頭を掻く。
「それで。次の試合はまだでしょ。どうしたの、宗一君?」
「真咲さんがどうしてるかなあ、って」
「なあに。お姉さんを心配してくれるの?」
「お姉さんって……。一つしか年齢は変わらないじゃないか」
「それでも年上は年上よ、そういちくん?」
納得がいかないようで、唇を尖らせるその横顔が可愛らしい。そんなところが年下っぽいというか、愛おしいというか。
抱きしめようと右腕が動こうとしたが、それを何とか意志の力で抑える。こんな人目があるところで抱きしめたら、ただの変態ではないか。燐さんではあるまいし。
「真咲さん、どうしたの?」
どうやら宗一君の横顔をずっと見ていたようで、不思議そうな視線をこちらへ向けてくる。
この子はどうして、こうも無邪気なのだろうか。いや、そんな事は無いのだろうけど、なんだかこう……小動物っぽいというか。
これが山田さんや筋肉達磨の伊藤さんだと色々と問題があるのに、どうして同じ男でこうも印象が違うのか。男の人というのは、本当に不思議だ。
「えっと、それで。何だったっけ?」
「いや。真咲さんは大丈夫かなあ、って見に来たんだけど」
「え?」
「ほら、次の次は蓮司兄ちゃんが相手だし。なんか、意気込み過ぎてないか心配だったから」
「……それはどっちかって言うと、山田さんじゃない?」
腕を胸の前で組み、憮然といった感じで声を出す。
宗一君に心配してもらえて嬉しいし、そうやって見てくれていると口にしてくれたのも嬉しい。でも、あの山田さんより心配されるというのは複雑だ。
山田さんに喧嘩……勝負を挑んだのは私だけど、そこまで意気込んでいるつもりも無い。
ただ、この一年間行方知れずで、心配させられた事が面白くないだけだ。
だって、普通なら手紙の一つでもよこして無事を知らせればいいではないか。あの人が面倒臭がりで筆不精なのは知っていたが、それでも仲間に心配を掛けさせるような人ではないと思っていたのだ。
なので、顔を見た時は安心したが、その後も飄々としていたところが……こう、うん。せめて一言くらい謝れと言いたいわけだ、私は。
その辺りの怒りをぶつけようと思っているだけなのだが、それが宗一君には意気込み過ぎているように見えるようだ。
「兄ちゃんはあれで、やる時はやる人だし。うん」
「そう? 結構ヌけてるわよ、あの人」
「まあ、そうだけどね」
そう言って、苦笑しながら試合場へ顔を向ける宗一君。
その試合場の上では、まだ山田さんがなんとかという名前の傭兵と剣を合わせている。そう、剣を合わせている、だ。
それはとても戦いと言えるものではなく、山田蓮司という剣士が引出しを開けて、自身が持つ技術を見せているようなものだ。
あの……フランシェスカだったか。彼女は山田さんがショートソードで戦っている意味を理解しているだろうか。
そう考えると、自然と息が漏れた。
「なんというか――結構変わったと思ったけど、昔と変わらない所もあるわね。山田さん」
「だね」
これだけの大舞台。その舞台で自分の為ではなく他人の為に戦う山田さんは、確かに昔の通りなのだと思う。
そんなところは昔の山田さんのままだ。
自分の為ではなく誰かの為に。
それが無ければ戦えない彼は――やはりその本質はずっと変わらないのだろうと思わせられる。
「でも変わるなら、もう少し優子さんに優しくしてあげればいいのに」
「僕は、もっと阿弥に優しくしてほしいよ」
そう言って、肩を落とす宗一君。
視線を向けると、肩を竦めながら苦笑する。あまりその仕草が似合っていないのは、宗一君が格好良いというよりも可愛いという表現が似合うからか。
「とばっちりは、いつも僕に向くから」
「それは多分、宗一君が鈍感だからだと思うけど」
「……そこまで鈍感じゃないよ」
でも、思う所はあるのだろう。視線を逸らしているが、その口元が引き攣っている。
もしかしたら、学園の友達にも同じような事を言われているのかもしれない。そんな感じがする。
あと、宗一君は鈍感だ。それは、私も胸を張って言える。
「宗一君はどう思う?」
「ん?」
「山田さんよ。……あの人、隠し事をしているわよ?」
「――――」
引き攣っていた口元が引締められ、その視線が試合場で戦っている山田さんへ向く。私もその視線を追って、山田さんを見た。
一年前は良く笑う人だと思っていた。けど、ここ数日はあまり笑っているようには思えない。いや、表面上は笑っているが、心からの笑顔かと聞かれると首を傾げてしまう。そんな笑顔なのだ、今の山田さんは。
「そうだね」
分かり易いのだ、結局。
魔神との決着の瞬間。あの時の激情を皆が知っている。
あの時ほど、山田さんが怒った事は無い。怒りを露わにし、私達でも怖いと思えるほどの勢いで魔神へ向かっていった後ろ姿は、一年が経った今でも思い出せるほどだ。
きっと、誰もが気付いている。気付いて、聞けないでいる。
そして、あの人はこちらから聞かない限り、その事を告げる事は無いのかもしれない。
――エル。彼女の魔力が、どうしようもないほどに弱まっている事を。大地を割り、空を裂き――肉片からでも再生する魔神を消滅させた力。それが、まるで感じられない事を。
「でも僕は、蓮司兄ちゃんが教えてくれるまで、待ちたいよ」
「いいの?」
「うん」
むう。
その、僕はお兄ちゃんを信じてます、的な顔をされると、こちらは何も言えなくなってしまう。
きっと同じ事を阿弥へ言っても、同じ顔をするのだろうな、と思う。それは幼馴染だからか、それとも二人が同じだけ山田さんに心を開いているからか。
それが面白くないと思う私は、山田さんより好かれたいという……妙な負けん気というか、嫉妬を抱いているからだろう。
否定はしない。というよりも、男に負けるだなんて考えたくも無い。
宗一君が山田さんを慕っている理由は知っているし、何度もそういった場面を見てきた。どれだけの魔物を前にしても、圧倒的な巨体を誇る魔神の眷属と相対しても、私と宗一君が二人掛かりでも倒せなかった魔王に睨まれても――それでも山田さんは、私達の前に立っていた。一番弱いからと言い訳をせず、大人だからと私達を子供扱いして。……その背中は、そう言えるだけ大きくて。
だがそれでも、好きな人の一番になりたいと思うのは正常な思考だと思う。
山田さんよりも私を見てほしいと思うのは、きっと間違っていないはずだ。
心配されるよりも、頼ってほしいと思う。
そんな意中の人は、やはりその視線を隣に居る私ではなく試合場へと向けている。鈍感というか、なんというか。私の気持ちに気付いてそんな態度をするのなら、その首を刎ねてやりたいとも思う。
けど、気付いていないのだから……溜息が出てしまう。
「はあ」
「どうしたの、真咲さん?」
「なあにも」
自分でも分かるほど、不機嫌な声が漏れた。
それが、隠し事をしている山田さんへ向けたものなのか、すぐ隣に居るのに少し遠く感じる愛しい人へ向けたものなのか。
だがまあ、好きだと告白したわけでもない。好意を隠しているつもりは無いが、それでも口にしていない私が鈍感だなんだと言うのもどうかしているのか。
また、溜息。
気を紛らわせるために、腰に差している刀へ手を添える。
「早く、山田さんを斬りたいなあ、って」
「怖っ!?」
「ほら。難しい事を考えるより、身体を動かす方が得意だし」
あの時に何があったのか、考えてもどうしようもない事だ。
私達は山田さんと魔神ネイフェルの戦いの場に居たが、その全部を知っているわけではない。なら、今できる事をするべきだろう。
私の場合は、山田さんにこの鬱憤というか、イライラというか、一年間心配した感情をぶつける事。
「なら僕が付き合うよ」
「あら。ほんとう?」
肩を落としながらそう呟いた宗一君の耳元に口を寄せる。魔が差したというか、勇気を出したというか。素早く周囲へ視線を向けると、他の参加者たちは自分の事だけで精一杯のようで、私達には気を向けていない。
もちろん、こんな時にいつも邪魔をしてきた弥生も燐さんも姿は見えない。急に高鳴りだした心臓を落ち着けるように息を大きく吸うと、少しだけ男の子の汗――言うなれば、宗一君の匂いがした。
「じゃあ、今夜。付き合ってくれる?」
「うん、もちろん」
「――――」
いや、ね。まあ、さ。
「そ、そっか」
「真咲さんと訓練するの、楽しいし」
「……ですよねえ」
そんな無邪気な顔を向けられると、ね。頭の後ろで手を組みながら笑顔を向けられると、その顔に右拳を叩き込みたくなるが……同時に、それ以上の説明をできなくなってしまう。
それは私が意気地無しだからか、ヘタレだからか。……どちらも同じか。
顔を逸らして口元を引き攣らせる。横目で宗一君へ視線を向けると、私を不思議そうな顔で見つめていた。
これ、私って脳筋とかそんな感じに思われてるって事かな。そうじゃなくても、少なくとも女として意識されていないという証明ではあるだろう。
「どうしたの、真咲さん?」
そしてやはり、こちらの意図など気にせず聞いてくる宗一君。
その、本当に不思議そうな視線が辛い。
刀の柄へ添えていた手に力が籠ったとしても、何も悪い事ではないだろう。
「あ」
それと同時に、頭の中に魔術の『声』が響いて勝者の名前を告げた。
勝ったのは山田さん。
まあ、当たり前か。試合場の上では、僅かに息を乱した山田さんが、大剣を杖のようにして膝を付いている傭兵の彼へ手を差し出している。
それと同時に、色々と気が削がれてしまったので刀から手を放すと、右手で頬をペシペシと軽く叩く。これから試合だというのに不謹慎という気持ちもあるが、それ以上に赤くなっているであろう頬を誰にも気づかれたくなかった。
「どうしたの?」
「なんでもないわよ、鈍感」
「……ええぇ」
見ていた感じだが、山田さんの戦い方は昔から変わっていない。攻撃を避け、逸らし、隙を突いて決める。
あの時見た、力任せに正面から叩き潰すのではない、山田蓮司本来の戦い方。その戦い方を見て、安堵しているのか、落胆しているのか。
山田さんが本気で怒った姿を知っている身としては、その山田さんと戦いたいとも思うが――エルに課せられた制約。その七つ目を私は知らない。それに、それなりに信頼している人を本気で怒らせるのは……やはり心が痛む。
今は、何時か本気の山田さんと戦えれば、と思っておこう。
その山田さんは、少し前から私達の事に気付いていたようで、試合場の上から視線を向けられる。宗一君は笑顔を浮かべ、私は……多分、笑えていると思う。多分。
はあ。
「次は真咲さんの試合だね」
「そうね」
柄に添えていた手から力を抜く。
相手の名前は一応確認したが、知らない名前だった。それなりに実力のある冒険者らしいが、さて。
「頑張ってね」
そうやって笑顔で応援してくる好きな人の顔を見ながら、溜息を一つ。
山田さんと戦っていた傭兵がそばを通り過ぎるが、その表情はどこか晴れ晴れとしていた。自分の全力を出し切った、という顔だ。
その傭兵から視線を逸らすと、宗一君が困ったような、どう反応すればいいのか、微妙な表情で固まっている。
「……なんで溜息?」
「今夜。私の運動に付き合う約束、忘れちゃ駄目よ?」
「う、うん?」
でもきっと、邪魔が入るのだろうな、と思いながら試合場へ向けて足を進める。
その、邪魔をしてくるであろう何人かの顔を思い浮かべながら、試合場の上に立つ。
先ほどまで山田さんが戦っていた場所。
相対するように、一人の男が立つ。
さて。
緊張はしていない。呼吸も乱れていないし、観客達の声も良く聞こえる。
私が意図して笑顔を向けると、対戦相手の男性は蒼い顔をしていた。……その反応は、失礼過ぎるのではないだろうか。
そう考えるが、まあいいかと思う事にする。それでは、八つ当たりの相手をしてもらおう。
私は笑顔で、左腰へ差している刀の柄へ右手を添える。腰を落とし、全身から力を抜く。
精神を研ぎ澄ます、とでも言えばいいのか。目の前に立つ男が剣を構える様が、ゆっくりと見える。首筋、肘、手首、膝――心臓。狙うべき急所が丸見えで、開始の合図が聞こえる前に動こうとする身体を必死に抑える。
大歓声の中、カチ、という鍔切り音がはっきりと聞こえた。




