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第十七話 剣と剣4

 右手を包み込むように重ねられた小さな手から、温もりが伝わってくる。

 それと同時に、温かみのある光がその小さな(てのひら)からから漏れている。

 女神の奇跡。女神アストラエラを信仰する神官たちが使う、小さな奇跡。傷を癒し、病を治す神の御業だ。

 信仰心が薄かったり、階級が低ければそれほどまでの効果は望めないが、俺の手を包み込む少女――天城弥生ちゃんのそれは本物の奇跡そのものだ。

 時間の巻き戻しともいえるほどの治癒能力に、何度助けられた事か。

 そんな弥生ちゃんと二人、まるで病院の診察室を連想させる白いカーテンで囲まれている。他の神官たちが居る場所も同様だ。

 出場者や観客には女性も居るので、当然の配慮と言えるだろう。お蔭で、こうやって弥生ちゃんと二人、ゆっくりと話せる。


「やっぱり、弥生ちゃんが居ると助かるな」

「うう……そう言っていただけるのは嬉しいのですが」


 どうにも納得がいかないという表情は、きっとここが闘技場(コロシアム)の医務室だからだろう。

 医務室といっても特別な設備があるわけではなく、清潔そうな白いシーツが引かれた木製のベッドが五つと、今弥生ちゃんが座っているようなこちらも木製の机と椅子が四セット。

 そのどれにも白ローブ姿の神官が座って武闘大会参加者の傷を癒している。

 特に弥生ちゃんは人気のようで、俺の後ろにも行列が出来ていた。

 ……明らかに大会参加者ではない人も居るようだが、おそらく弥生ちゃんの顔を一目見ようと集まった連中だろう。

 その弥生ちゃんは、今はいつも解かれている長い黒髪を首の後ろで結び、服装も制服や私服ではなく金刺繍の施された純白のローブ姿だ。女神アストラエラを信仰する人達が着ている服だが、細部が異なる。

 女神の奇跡そのものを起こす弥生ちゃんは、神官の中でもそれなりに高い地位に居る。というよりも、『聖女』として据えられているというべきか。

 獣人や亜人達が精霊神を信仰するように、人間たちは女神を信仰する。

 その女神に召喚された俺達は、一般の人達からしたらそれこそ雲の上の存在のように見られる事がある。その中でも傷を癒し、病を治す事が出来る弥生ちゃんは女神そのもののように崇められる事も。

 いつからか『聖女』と呼ばれるようになり、その心構えも無いまま『聖女』として過ごすようになり、旅先では多くの人を救ってきた。

 戦う事しかできない俺達からしたらそれはとても(とうと)い事ではあるが、弥生ちゃん本人としては傷を癒したい、助けたい人は一人のようだ。

 その感情が表情に出ており、そしてその感情を向けられている相手の事を考えると苦笑するしかない。


「私も、綺麗なドレスを着たかったです……」

「大会が終わった後にでも着ればいいじゃないか」

「……私も、綺麗なドレスを着て、お兄ちゃんを応援したいです」


 言い直しやがった、このブラコン。

 弥生ちゃんは、宗一が好きだ。それが兄妹としてか、それとも別なのかは他人である俺には(おもんばか)る事が出来ない。

 それが行き過ぎた好意だと思う時もあれば、兄妹なのだからと思う時もある。

 宗一も困惑するほどのスキンシップをする時もあれば、それを咎めても兄妹だからと言う。それは異世界に来てから特に顕著(けんちょ)なようで、何度か宗一や親友である阿弥から相談を受けた事もある。

 宇多野さんも注意をしていたのは知っているが、それでもこの一年でそこまで変化はないようだ。


「ドレス、ねえ」

「む。蓮司お兄さん?」

「いや。今の宗一に、ドレスを見る余裕はあるのかな、と」

「むう」


 俺がそう言うと、不満そうに頬を膨らませる弥生ちゃん。それでも、やはり好きな人には着飾った自分を見てほしいと思うものなのか。同年代の少女達よりも大人びている弥生ちゃんだが、そういう所はやはり年頃の女の子か。

 実際、宗一は一つの事に集中すると周りが見えなくなる時がある。特に、こういう人前に立つような大会に出る時はその集中力は俺でも驚くほどだ。

 きっと今、頭の中にあるのは俺や真咲ちゃんと戦う事ではないだろうか。

 一緒に旅をして、訓練のように何度か剣を合わせた事はあるが、俺達が戦った事はあまりない。

 特に俺と宗一は、一度だけだ。

 だからきっと、アイツは疑う事も無く、俺や真咲ちゃんと戦えると思っているのではないだろうか。

 そんな宗一の性格を分かっているようで、弥生ちゃんは深い深い溜息を吐いた。『聖女』様が見せるような顔ではない。


「けど。弥生ちゃんも、ドレスはよく似合うだろうな」

「も、というのが少し引っ掛かります」

「痛い痛いっ」


 手を握り込むのは勘弁してほしい。

 弥生ちゃんとは違い、俺にはアストラエラの加護というものが掛かっていない。なので、単純な握力だけでも、俺は目の前の少女には敵わないのだ。泣ける話である。


「笑顔笑顔」

「私が笑顔を向けるのは、一人だけです」

「…………」


 不貞腐れたように、臆面(おくめん)も無く言う目の前の『聖女』様。その尖った唇を見ると、強く握られた事も忘れて苦笑するしかない。

 まったく。少しは隠すなりすればいいと思うのだが。

 それでも強く言わない俺は、弥生ちゃんの気持ちをどう捉えるべきなのか。何度も考えた事だが、結局いまだに答えは出ない。

 それは宗一と弥生ちゃん、この世界だたった二人の『家族』の問題で、部外者である俺達には踏み込めない領分だからかもしれない。それが逃げなのか、それとも信頼と言えるのかは……とても、信頼とは言えないか。


「どうかしましたか?」

「いんや。宗一と弥生ちゃんは、仲が良いな、と思ってね」

「ふふ。勿論(もちろん)です」


 そう言って、嬉しそうに胸を張る弥生ちゃん。本当に嬉しいのだろう、見ているこちらまで嬉しくなれそうな満面の笑顔だ。

 俺の腕を癒している手に、少しだけ力が籠る。

 十以上も年が離れているとはいえ、少しばかり恥ずかしくなるのはその手がとても小さく、柔らかいからか。

 剣を何度も振ってきた俺の手は、とても固く、太くなってしまったのを自覚させられる。


「羨ましいね」

「そうですか?」

「そうだろ」


 俺には兄妹が居ない。一人っ子だ。

 だからこそ、宗一や弥生ちゃん達が可愛く思えるのか。

 そう思っている俺に、弥生ちゃんが笑いかけてくる。どこか悪戯っぽい笑顔に見えるのは、きっと気のせいではないだろう。


「蓮司お兄さんも。阿弥ちゃんと、随分仲が良さそうですけど?」

「どうかな」


 そんな弥生ちゃんの視線から逃げるように顔を背けると、僅かに口元を緩める。


「またそうやって……もう」

「しょうがない。十も年が離れてるんだ」

「そんなの、あまり関係無いと思いますけど」

「そうでもないと思うけどなあ」


 流石に十歳は離れ過ぎでは、と思うのは俺の考えが元の世界寄りだからだろうか。

 この世界では、十歳という年の差など特に問題ではない。

 それこそ。オブライエンさんの奥さんなど、今はまだ三十歳にも届いていないはずなので年の差は二十近い。そう考えると、確かに十の年の差など、あまり関係無いのだろう。

 嬉しそうに笑う弥生ちゃんに向けて溜息を吐きながら、首を横に振る。


「こんな所で話すような内容でもないだろ」

「退屈なんですよ」

「仕事は沢山あるだろ?」


 少なくとも、今日一日はずっと忙しいはずだ。

 怪我人は後を絶たないはずだし、興味本位で弥生ちゃんを見に来る男どもも多いはずだ。


「怪我を治すのも大切だと思いますけど、こうやって話したいんです」


 まあ、それもそうかと思う。見知らぬ相手と、世間話をできるような性格でもないだろうし。

 カーテンの向こう側で聞き耳を立てている人がいるかもしれないが、取り敢えずそのような気配は感じない。


「で?」

「寂しいんですよ」


 よく言う、と呆れ交じりの視線を向ける。寂しさを紛らわせてほしい相手は一人だろうに。

 少なくとも、俺に向けて言うような事ではない。聞く人が聞けば勘違いされそうな殺し文句と言えるだろう。

 だが、話したいというのは俺も同じだ。

 なんだかんだで、同じ王都に居てもこうやってゆっくりと話す機会は今日まで無かった。

 特に最近は武闘大会の準備で誰も彼もが忙しかったので、なおさらだ。


「といっても、なあ」


 残念な事に、弥生ちゃんを楽しませてやれるような話題は持ち合わせていない。それに、弥生ちゃんが聞きたいのは俺と阿弥の事だろう。

 こういう年頃は、そんな話が大好きなのだと思う。けど、残念ながら話せるような事など何もない。

 ここ最近は、俺もあまり阿弥と話していないのだ。むしろ、俺よりも弥生ちゃんの方が阿弥の事は詳しいだろうと思う。


「ほら。蓮司お兄さんって、王都に運び込まれたって聞きましたよ」

「あん?」


 それはまた、随分と前の話だ。

 思い出すのは、『腐霊の森』で遭遇したクソ骨(スケルトン)


「あの時は、本当に死にかけた……」


 思い出して口から出るのは、本当に重苦しい溜息。正直な話、本当に死んでいてもおかしくない相手だったのだ。

 しかし、弥生ちゃんが聞きたいのはそんな事ではないらしい。

 好奇心に満ち満ちた視線が俺に向いている。


「その時、何かあったんですよね?」

「……何か?」


 さて、と思考を巡らせる。


「結衣ちゃんに助けられた事?」

「その後ですよ。もお」


 なんだか、道端に居るような中年女性(おばちゃん)を連想させる話し方なのは気のせいだろうか。そんな事を言おうものならどのような目に遭うか分からないが、きっと碌な目には遭わないだろうという確信がある。

 口元を手の平で隠して笑いだしそうな話し方だと思いながら、弥生ちゃんの両手に包まれている手を引き抜こうとする。するが、抜けない。

 ……相変わらず、身体能力は全般的に俺より高いな、チクショウ。逃がさないとばかりに力が込められている。

 痛みを感じないのは、治療が済んでいるからだろう。終わったなら、取り敢えず手だけでも離してくれればいいのに。


「阿弥ちゃん、蓮司お兄さんが目を覚ますまでずっと、看病をしていたそうじゃないですか」

「良く知ってるな」


 というか、俺の部屋でテーブルに突っ伏して眠っていた。

 その事を思い出すと、嬉しいというか微笑ましいというか、なんとも言えない気持ちになる。


「有名ですよ? この世界は、娯楽に飢えていますから」

「自分達の事を娯楽にされると、とても困るけどな」

「それは阿弥ちゃんに言ってください。ずうっと蓮司お兄さんの部屋に泊まり込んでいたそうじゃないですか」

「…………」


 全然気にしていなかったが、そうなのか。

 今更知った事実だが、確かにそれは噂になってもおかしくない。

 むしろ、今までよく気付かなかったな、俺。気にしていなかったともいうが。

 おそらく、話の出所は王城勤めのメイド達だろう。そういう噂話に詳しいのは、やはり同性であり数が多い彼女達だろうと思う。

 ううむ。今更口止めも何もないが、変に噂されるのも……ううむ。


「蓮司お兄さんは、もっと阿弥ちゃんに優しくしないと罰が当たると思います」

「……んむ」

「まあ。この前、夕食(ディナー)に誘ったのは良いと思いますけど」

「そうか」

「でも、あの後お部屋に連れていくくらいの事はしても良かったのでは?」

「……弥生ちゃんって、阿弥より年下だったよな?」

「当たり前じゃないですか」


 男に、親友を部屋へ連れ込めと言うのはどうなのだろう。しかも夜に。きっと分かって言っているだろうから、なおさら次の言葉を告げる事が出来ずに、少しの間固まってしまう。

 俺の感性がおかしいのか?

 ちょっと目の前の女の子を怖く思いながら、また視線を明後日の方向へ逸らす。


「蓮司お兄さんは、もっと押していかないと」

「はい」

「阿弥ちゃんなんて、食事に誘ってもらえただけで満足していたんですよ? 幼馴染として、親友として、情けないです」

「そっすか」


 どうやら、俺と阿弥の関係には大いに不満があるようだ。

 阿弥の奴、弥生ちゃんにどんな話をしたのだろう。ふと考えながら、首を横に振る。きっと、考えない方がいいだろう。何となく、そう思う。


「そんなんじゃ、いつまでも優子さんのお尻に敷かれたままですよ?」

「…………」


 なんだろう。弥生ちゃんに、何か悪い事をしただろうか。

 色々と考えてみるが、思い当たる節は無い。強いて言うなら、弥生ちゃんが言っているように阿弥との関係が曖昧だという事か。

 阿弥を一人の女と見ているのか、それとも妹や娘のように感じているのか。俺は阿弥に、男として求められているのか、家族や友人として求められているのか。

 やはり親友だから、そういう曖昧な関係に思う所があるのかもしれない。


「という訳で」

「ん?」


 そして、突然の笑顔。

 少し身構えてしまうのは、女の子という生き物が、とても怖いものだとこの身が覚えているからだろう。


「大会が終わったら、ちゃんとフォローをしてあげてくださいね?」

「う……まあ、はあ」


 そのフォローが何を指しているのかはあまり考えたくないので、曖昧に返事をしてしまう。

 そんな俺の返事がお気に召さなかったのか、また俺の手を包み込む柔らかな手に、力が込められた。ビクリ、と肩が大きく震えてしまったのは痛みからだ。


「はい、おしまいです」

「ああ。ありがとうな、弥生ちゃん」


 それでもちゃんとオブライエンさんの剣を受けていたんだ拳と腕を治してくれているので、そこまで怒っていないのだろう、と思う。

 怒っているというよりも、煮え切らない俺の態度を焚きつけた、と言った方が正しいのかもしれないが。

 なんだかね。

 俺なんかよりも、よっぽど弥生ちゃんの方が大人に思えて、悲しいやら情けないやら……成長していると喜ぶべきなのか。


「どうかしましたか? 私の顔なんか見て」

「いんや。二回戦が終わったら、また来るよ」

「怪我をしないように戦ってください。本当に」

「少し難しいけど、頑張るよ」


 そう言って、仕切られていた白いカーテンを開ける。すると、俺の後に並んでいた人たちと視線が合った。

 怪我をしているのは数人で、殆どは弥生ちゃんの顔を見に来たミーハーな連中だ。


「ほら、どいたどいた。怪我人が先だ」


 そんな連中を散らしながら、出場選手であろう怪我をしている人を優先して白いカーテンの中へ誘導する。


「それでは、頑張って。勝ってね、蓮司お兄さん」


 白いカーテンを閉める直前、そう言って弥生ちゃんが小さく手を振ってくれた。

 なんともはや。こそばゆいね、まったく。

 カーテンによって弥生ちゃんが隠れたからか、周囲に立っている連中の視線が俺に向く。その視線を気にしないようにしながら、医務室を出た。

 俺とオブライエンさんの試合から結構な時間が経っているので、もうフランシェスカ嬢の試合は終わっただろう。

 勝てただろうか。

 そう考えていると、見慣れた姿が目に入った。


「工藤」

「あら、ようやっと出てきたわね」


 欠伸(あくび)をしながら待っていたのは、昨日とは違うドレス姿の工藤だ。

 周囲が鎧兜や実用性を考えた厚手の服で装備を固めている人間ばかりなので、ドレス姿の工藤は目を惹く。

 そんな本人は、自分の事など気にも留めていないようで自然体――いつもの面倒臭そうな顔だが。これで愛想良く笑っていれば、もう少し好感が持てるのだろうが。まあ、それが工藤という女性なのだと思う事にする。


「どうした、こんな所に」

「一応、面白そうだから教えに来たのよ」

「ん?」

「山田さんのお弟子さん、負けちゃったわよ?」


 俺の弟子というと、やはりフランシェスカ嬢の事だろう。


「そうか」

「あら、驚かないのね」


 どうして工藤がフランシェスカ嬢の事を教えてくれたのかは分からないが、その声音には若干のからかいが混じっているように感じた。

 彼女が負けたというのに、あまり驚いていない俺をからかおうと考えているのだろう。

 そんな工藤に向けて溜息を吐きながら、これからどうするかと考える。

 フランシェスカ嬢を探すべきか、しばらくそっとしておくべきか。取り敢えず、俺は一応有名人のようで、その弟子がどうのこうのと話すと周囲の視線が集まって面倒臭い。

 その事をまったく気にしていない工藤の心臓は、鋼か精霊銀(ミスリル)で出来ているのだろうか。


「いや。驚いてるさ」

「そうかしら?」


 そう言うと、ニヤニヤと笑いながら顔を覗き込んでくる。

 先ほどまで浮かべていた面倒臭そうな顔は隠れ、浮かんでいるのは意地の悪そうな表情。まるで猫のような顔だ、と思った。


「なんだよ?」

「ふふ。相変わらず顔に出るね、山田さんは」

「お前は相変わらず意地が悪いな、工藤」


 頭の後ろを手で掻きながら、工藤の視線から逃げるように上を向く。

 そんな俺達の行動は目立つようで、周囲の参加者たちから好奇の視線が向けられた。まだ二回戦も始まっていないので、その数は結構多い。


「それよりお前、観客席で顔見せをしていなくていいのか?」

「やあよ。面倒臭い」

「……正直な奴」


 少しは宇多野さんとかに気を遣えよ。

 本当に面倒臭そうな顔で言われると、その正直さを感心するよりも先に呆れてしまう。


「ありがと」

「褒めてねえよ」

「そっか」


 嬉しそうに笑うな、と肩が落ちた俺を誰が責められるだろうか。


「それよりお弟子さん。探さなくていいの?」

「あん?」

「落ち込んでるみたいだったよ?」

「見たのか?」

「どこに居るかは知らない。試合場の真ん中で、呆然(ボーゼン)って感じだった」


 そりゃあ、重症みたいだな。

 あの赤毛の傭兵を思い出す。

 フランシェスカ嬢よりも、地力も経験も体格も……何もかもを上回っていた相手だ。

 正直、勝率で言うならフランシェスカ嬢はかなり低かっただろうと思う。同年代、同学年なら実戦を経験したという事で少しは抜きん出た実力があったのかもしれない。

 しかしそれも、同業者――冒険者や戦いを生業(なりわい)とする傭兵からしたら実力不足と言える。

 それに、試合前……俺との会話。うーむ、と頭を掻く手に力が籠ってしまう。


「それを言いに来たのか?」

「優子と阿弥って、真面目だよね」


 また、いきなり話が変わったな、おい。

 毎度の事ながら、慣れてないと混乱するであろう話題の変化に、溜息が出てしまう。

 そんな俺の溜息などどこ吹く風で、工藤は喋る。これが無いなら、コイツにも彼氏の一人や二人、居てもおかしくないのだが。

 顔が良いだけに、本当に勿体無い。まあ、俺は勘弁してほしいが。

 面倒臭がりでまったく動かない工藤だが、こうやって人をからかう時だけは精力的なのだから質が悪い。


「もっと、自分の好きなように生きればいいのに」

「そりゃあ、お前。色々と人付き合いってのがあるんだろうよ」


 後は、沢山の(しがらみ)とか。

 宇多野さんはこの国を立て直す為に頑張っているし、阿弥も自分の強力過ぎる魔力をちゃんと扱えるように努力している。

 藤堂や九季、結衣ちゃん……きっと、他の皆も頑張っているはずだ。

 そう思いながら、視線を工藤へと向ける。


「遊んでるのは、俺とお前くらいのもんだ」

「ひっどいなあ。これでも私、この世界に娯楽を広める為、日夜頑張っているんですけど?」

「半分くらいは金儲けの為だろうが」

「七割くらいです」

(なお)悪いわ」


 胸を張って言うような事ではないだろう。何処か自慢げに言う工藤を、昔のノリで引っ(ぱた)きそうになり、自重する。視線はその長い髪――綺麗にセットされた、艶やかな髪へ向く。

 こいつも一応、女だからなあ。

 まあ、叩こうとしても簡単に避けられるだろうが。もしくは、遊び感覚で叩かれてくれるか。どちらにしろ、折角セットされた髪を乱すのは俺も本意ではない。

 工藤の性格はアレだが、髪に罪は無い。


「おや」

「なんだ?」

「叩かれると思った」


 そして、両手で頭を庇うような仕草をする工藤。

 マイペースというか、なんというか。周りをあまり気にしない性格を知っているからか、その仕草が少し子供っぽい。


「叩いてくれない?」

「やだよ」

「ちぇ」


 子供か、お前は。

 溜息を吐きたいのはこっちだ、まったく。


「私、山田さんのツッコミって好きなんだけどなあ」

「どういう好意だよ」


 反応に困る好意を向けるのは、勘弁してほしい。

 こんな調子で宗一達もからかうのだから、向こうも大変なのだろう。特に宗一は、周りに女の子が多いからなあ。


「そういうのは、宗一にでも言ってやれ」

「最近は、藤堂さんも面白いけどね」

「……アンジェラさんか?」

「あ、知ってたんだ」


 っと。いつの間にか、また話が逸れていた。


「フランシェスカ嬢は、もう闘技場(コロシアム)を出たのか?」

「まだだと思うわよ。多分、裏側の出入り口か、トイレじゃない?」


 その二択は、俺でも簡単に予想がつく。

 武闘大会が開催されている今、闘技場(コロシアム)には沢山の人が居る。

 落ち込んで、一人になりたい場所を探すならその二か所くらいしか、人が少ない場所は無いだろう。トイレなら会うのも難しいが、裏側の出入り口なら会える可能性も高い。


「そうか。行ってくる」

「あら。私との会話より、弟子が大事?」

「弟子、っていうほど何かを教えたわけでもないけどな。まあ、お前よりフランシェスカ嬢の方が大事だよ」

「ひっどいなあ」


 そして、ケタケタと楽しそうに笑う工藤。

 こういう冗談が通じるから、こいつと話すのは結構楽しい。なんだかんだで、工藤も楽しんでくれているのだろう、とも思う。


「嬢、ね」


 そのまま背を向けて歩き出そうとすると、そう言われた。


「なんだ?」

「いいえ、なにも」


 そして、くすくすと笑う。

 ドレス姿という事もあり、品があるというか、様になっているというか。

 ほかの誰かが同じように笑ったなら魅力的に映るだろうが、それが工藤だとただただ胡散臭さしかない。


「それじゃ、教えてくれてありがとな」

「どういたしまして」


 そして今度こそ、背を向けて歩き出した。



 フランシェスカ嬢は、裏側の出入り口――所謂非常時や貴族達用として使われている出入口の傍に居た。

 造りは一般に開放されている表の出入り口と変わらないが、所々に花や絵画などが飾られていおり、品というか、華やかさがある。

 忘れそうになるが彼女も貴族の一員で、こういう場所に居ても特に問題無いと判断されたのだろう。一人になりたいと説明したのか気を利かせたのかは分からないが、周囲に守衛の兵士達も居ない。

 そのフランシェスカ嬢は、人が居ないというのに、それでもあまり目立たないよう、隅の方に設置されているベンチに腰を下ろしていた。落ち込んでいるようで、その肩が落ちている姿は今にも泣きだしそうにも見える。

 と、そんなフランシェスカ嬢を見ていた俺の手が、不意に引かれた。


「なんだ、もう見付けていたのか」

「待ってた」


 引いたのはムルルだ。

 ここ最近はあまり会えていなかったが、あまり変わりはないように思える。ただ、その綺麗な白髪に、今は黄色いリボンが巻かれている。


「そのリボン、似合うな」

「ありがと。……フランの事」

「ああ。聞いた」


 試合に負けた、とは口に出来なかった。

 色々と意気込んでいたのだろうから、一勝も出来ずに負けたという事はとても辛い事なのだろうというのは理解できる。

 俺と初めて会った時から、武闘大会に出場するために頑張っていた姿を知っている。ゴブリンに殺されかけても、折れないで。

 だからこうやって、遠くから眺めている事しかできない。それはムルルも同じなのだろう。俺より先にフランシェスカ嬢を見付けていたようだが、俺と同じように遠くから見ていたようだ。


「フェイロナは?」

「ソルネアと一緒に、試合を観てる」

「で、お前は探しに来たのか」

「……フラン、悲しそうだったから」


 まあ、工藤が俺へ教えに来たくらいだ。負けた時、よほど顔に出ていたのだろう。

 きっと、あの面倒臭がりの道具使い(アイテムクリエイター)も色々と心配していたのかもしれない。アイツの動く基準がイマイチ分からないが、今はどうでもいい事か。


「こういう時は、そっとしておくのが一番だと思うがな」

「…………だめ」

「分かってるよ」


 ムルルの瞳に、僅かな怒りが浮かぶ。黄金色の瞳がまるで、獰猛な獣のソレのように感じたのは一瞬。

 すぐにまたその瞳は心配そうに、そして悲しそうに眉尻が下がった。


「イイ奴だな、お前」

「なに、急に?」

「友達の為に悲しめる人は、イイ奴だよ」


 視線の先、フランシェスカ嬢はまだ動かない。

 弥生ちゃんの治療を受けていた時間も考えると、もうしばらくしたら次の試合だろう。

 次の試合――フランシェスカ嬢を破ったであろう、あの赤毛の傭兵との試合。


「レンジは、悲しくない?」

「俺はまだ、試合の最中だからな。悲しんでいる暇はない」

「……ならレンジは、酷い人」

「ああ、そうだ」


 そう言って、フランシェスカ嬢へ歩み寄る。別に物陰へ隠れていたわけではないが、向こうは全然気付いていない。

 内心で、ずっと負けた試合の事を考えていて、その事にしか思考が向いていないのだろう。

 よく分かる。俺も、昔――皆の足を引っ張っていた頃は、ずっとそうやって悩んでいた。悩んで、そうやって悩む事こそ周りの皆を心配させるのだという事に気付いたものだ。


「よう」

「――――!」


 その華奢な肩が大きく震えた。

 そして、下を向いていた顔が俺の方へ向く。


「隣、いいか?」

「……ど、どうぞ」

『やっと来たか』


 申し訳なさそうというか、悲しそうなフランシェスカ嬢の声。そして頭に響くエルメンヒルデの声を聞きながら、少し間を開けてフランシェスカ嬢と同じベンチへ腰を下ろす。


「ほんっとうに、御利益が無いのな、お前」

『……むう。そこは、本当に申し訳なく思う』

「政治家か、お前は」


 意味が通じないであろう単語を呟くが、フランシェスカ嬢の反応は鈍い。

 どうやら、本格的に重症のようだ。


「なあ、フランシェスカ嬢」

「は、いっ」

「……」


 鼻の頭を掻く。その返事が少し詰まって聞こえたのは、きっと……。

 頑張ったな。惜しかった。次、頑張ろう。また大会に出ればいいさ。次は勝てるよ。

 たくさんの言葉が頭に浮かぶが、そのどれもを口にする事は(はばか)られた。

 俺とフランシェスカ嬢は違う。俺が感じた苦悩と、今フランシェスカ嬢が感じている悲しみもまた、違う。

 でも、俺が一人になりたかった時、誰とも話したくなかったように。

 今のフランシェスカ嬢へは、どんな慰めの言葉も届かないだろうというのは分かる。

 こういう時は、落ち着くまで何も言わずに傍に誰かが居るだけでも、随分と気持ちが楽になると知っている。少なくとも、俺は、だが。

 だから結局、次の言葉を告げる事無く、視線を前へ向けたままベンチに座るだけだ。チラリと先程まで俺とムルルが居た場所へ視線を向ける。そこではまだ、ムルルが心配そうにこちらを見ていた。こちらというか、フランシェスカ嬢をか。

 それから、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 ちらほらと視線を感じるようになりそちらへ向くと、何人かの貴族が談笑しながらこちらへ視線を向けていた。俺が向くと、慌てて視線を逸らしている。

 それはムルルも同じようで、見るからに冒険者然……そして目立つ狼の耳と尻尾から、あまり良く思われていないようだ。それでもこの場を離れない辺り、本当にフランシェスカ嬢を心配しているのだろう。

 最初は言葉少ないヤツだと思ったが、根っこの所は本当にイイ奴なのだろう。


「少しは落ち着いた?」

「――はい」

『そうか。何度も言うが、お前はよくやったよ、フランシェスカ』

「はい」


 エルメンヒルデの声に返事を返すが、本人は納得がいっていないようだ。

 試合を観ていたわけではないが、きっと緊張でもして本調子ではなかったのだろう。

 自分が今持つ技術、その全部を出し切れなかった。その事が、心残りなのかもしれない。


「さて。それじゃ、そろそろ次の試合かね」

「あっ」


 そこで何かに気付いたように、フランシェスカが大きな声を出す。

 何事だろうと視線を向けると、また頭を下げていた。


「どうした?」

「あ、いえっ。レンジ様は次の試合があるのに、私の傍に居たら……」

「気にしなくていいさ。俺にとっては、次の試合よりフランシェスカ嬢の方が心配だしな」

『……お前は、呼吸をするように女を口説くのだな』

「違うっての。どういう耳をしていやがる、馬鹿」

『馬鹿とは何だ、馬鹿とは』


 そんないつも通りと言える俺達の遣り取りに、フランシェスカ嬢が小さくだが、笑う。

 やはり、美人は落ち込んでいるよりも笑ってくれている方がいい。華がある。


「申し訳ありません、レンジ様」

「ん?」

「一回戦、進むことが出来ませんでした」

「――そうだな」

「二回戦で戦えたら、と。約束までしていただいたのに」

「気にするな」


 ベンチの背凭(せもた)れに、背中を預ける。


「下を向くな、前を向け。下を向いてたら、人の顔なんて見えないだろ?」

「…………」

「落ち込んでも、悲しくても、悔しくても。前を見て、周りを見てみるといい」


 そう言うと、フランシェスカ嬢の顔が上がる。

 前ではなく、俺の方を向く。


「ほら、誰が居る?」

「……レンジ様が」

「そうじゃなくて」


 その答えに苦笑し、周囲を見るように(うなが)す。

 そしてヒントを与えるようにムルルの方へ向くと、フランシェスカ嬢があ、と声を上げた。


「ムルルちゃん……」

「一人で悩むと、ズルズルと落ち込んでいくもんだ。少し落ち着いたら、周りを見回してみるといい。きっと、何かしらの道標(みちしるべ)がある」


 それは友人であったり、仲間であったり、何かしらの小さな切っ掛けかもしれない。

 それでも、きっとそれが次の一歩になるはずだ。

 困った時、焦った時、そんな時はいつもその言葉を思い出す。


「オブライエンさん――この国で一番強い騎士の言葉だ」

「――――」

「少なくとも今は、フランシェスカ嬢は一人じゃないよ。心配してくれる、友達も居る」


 俺達の視線に気付いたのか、ムルルが恥ずかしそうに物陰へ隠れる。

 だが、尻尾が隠れていない辺りが可愛らしい。

 ……約束を守るっていうのは、凄く難しい事だ。

 俺は、その事を知っている。

 守ろうとどれだけ頑張っても、どれだけ足掻いても、やっぱり守れない時が多々ある。

 それでも人は約束をする。

 約束が人と人を繋ぐ、大切な絆の一つだと。そして、その絆を強固にできるものだと知っているから。だから人は、約束を交わす。誰かと繋がっていたいから。一人では生きていけないから。


『それでレンジ、そろそろ次の出番ではないのか?』

「あっ」

「もう、そんな時間か」


 エルメンヒルデの声に応え、ベンチから立ち上がる。

 さて、次はあの赤毛の傭兵か。正直、あの筋肉を見ているとあまり戦いたくない。


「あまり話せなかったな」

「いえ。ありがとうございます」


 話す事で、少しは気が紛れたようでよかった。

 その表情は、もういつものフランシェスカ嬢の笑顔だ。俺も胸が軽くなり、その気持ちのままに右腕を数度回す。


「次の俺の戦い、よく見といてくれ」

「え?」

『珍しいな、レンジがそういう事を言うとは』


 俺もそう思うよ。

 その声に肩を竦める。


「ま、一応。師匠だなんだと言われてるからな。それらしい事もしようかな、と」 

「え、っと」

「得物が大きい相手が苦手みたいだからな。大剣使いとの戦い方を見せてやる」


 よく見とけよー、と軽い調子で言いながら歩き出す。

 どうにも、こうやって宣言するのは苦手だ。

 すると、物陰からムルルが出てきた。


「ありがと」

「尻尾が隠れてなかったぞ」


 そう言うと、尻尾を抑えるムルル。少し恥ずかしそうな表情が珍しくて、口元が緩む。

 最初の頃は無表情……とまではいかないが、表情が乏しかったのに。成長したというか、変わったというか。


「フランシェスカ嬢を頼むぞ」

「レンジは?」

「俺はまた試合だ」


 あまり気乗りはしないがね。

 そう肩を竦めると、ムルルはそう、とだけ言って視線をフランシェスカ嬢へ向ける。

 もう、俺よりもフランシェスカ嬢が心配なのね。寂しいね。悲しいね、まったく。


「大丈夫?」

「ん?」


 ただ、フランシェスカ嬢へ視線を向けながら、そう聞いて来た。


「次の相手、勝てる?」

「さて、どうだろうね」


 どうやら心配してくれているらしい。

 なんだろう。それだけで、喜んでいる俺が居る。……なんだかなあ。


「勝って」


 そして、こちらへ視線を向けてくる。

 そこには、ムルルにしては珍しく、強い意思のようなものが宿っている。

 ……フランシェスカ嬢が負けた相手なのだから、色々と思う所があるのだろう。


「頑張るよ」

「約束」

「…………」

「約束して」


 友達思いというか、仲が良いというか。

 こういう微笑ましい友情を見ると、頑張ろうという気持ちになれるのは、俺が歳を取ったからだろうかね。


「ああ、分かった。約束だ」

「ん」


 俺の返事に満足したようで、今度はフランシェスカ嬢の元へ歩いていくムルル。

 ……やっぱり寂しい。

 勝てとは言われたが、心配はしてもらえていないというか。なんだろう。蓮司さんは寂しいよ、ムルル。もうちょっと、こう。優しい言葉というか、そういうのが欲しかったと言うか。

 少しだけ足が重くなったように感じながら歩き出すと、ふと視線を感じた。

 今まで何度も感じた好奇の視線ではなく、もっとこう――。


「――――」


 その視線の方へ顔を向けると、一人の女性が立っていた。

 はちみつ色の髪に、情熱的な紅いドレス。そのドレスに合う、意思の強さを感じさせる鋭い視線。

 誰だろう。そう考えると同時に、俺が視線に気付いた女性は顔を逸らして歩き去る。その方向は、貴族用の観客席がある場所だ。

 ……貴族、という事か。

 まあ、あんな豪奢なドレスを着ているのだから、貴族なのだろう。


「ま、いいか」


 綺麗な女性だったな、と思いながら歩き出す。

 いつもならここでエルメンヒルデのツッコミがあるのだが……やっぱり、寂しい。


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