第十五話 剣と剣2
控え室の前に立っていた兵士へ精霊銀の剣を預けると、そのまま控室の扉を潜る。
その控室には、二十人に満たないほどの人間が、備え付けられている木の椅子に座って思い思いの時間を過ごしている。
ある人は大会で使う剣を光に透かしながら確認していたり、目を閉じて集中していたり、知り合い同士で話していたり。
そんな連中から離れるように、壁側にある一番目立たない席へ腰を下ろす。
「はあ」
『どうした?』
「緊張してきた」
『……私の方が溜息を吐きたくなる』
今日も今日とてエルメンヒルデの呆れ声を聞いていると、俺から遅れてまた数人の参加者が控え室へと入ってきた。
短く刈り上げられた赤毛と褐色色に焼けた肌がいかにも傭兵らしい容貌の男と、その取り巻きと思われる俺よりも随分と身長が低い小男。
その二人に絡まれるようにしている、見慣れた顔が一つ。傭兵というには綺麗ともいえる装備を身に纏った、蒼いローブの女性――フランシェスカ嬢だ。
どうやら、控室が同じだったようだ。
昨日は十分休めたようで、顔色が良い。ただ、見知らぬ二人に絡まれて困っているようだ。いつも浮かべている柔和な笑顔が、今は少し引き攣っているように見える。
しかし、あの赤毛の傭兵。フランシェスカ嬢とほとんど身長が変わらない。まあそれも、フランシェスカ嬢がこの世界に生きている女性、その平均的な身長より高いからだが。
それでも彼女より大きく見えるのは、その身を包む鎧のような筋肉があるからだろう。その鎧が、赤毛の傭兵を一回り以上大きく見せている。
「あんなのと戦ったら、完全に力負けだな」
『正面から挑むのならな』
違いない、と肩を竦める。ま、戦う事は無いだろう。
しかし、こういう場所だと、知り合いが一人居るだけで随分と気が楽になる。フランシェスカ嬢の顔を見て、少しだけ気が軽くなる。
宗一も真咲ちゃんも控え室が別のようで、少し心細かったのだ。
『絡まれている様だぞ』
「そうだな」
向こうはこちらに気付いていないようだ。どうあしらえばいいのか分からずに、ただただ困ったように笑みを返している。否定の声も、どこか弱々しい。
あの言い方では、ああいう男は引き下がらないだろう。それどころか、余計に気を良くしているように見える。
ああいう手合いはきっぱりと断って刺激するのも問題だが、断る事が出来ずにいると調子に乗る。特に、気の弱そうな女性を見付けると。
「元気だねえ」
『少し、あの男から元気を分けてもらってはどうだ?』
「ふむ。それは楽しそうだ」
『……はあ』
ああいう男を見ていると、傭兵が粗野な連中だと思われるのも仕方がないのかもしれないと思ってしまう。
全員が全員、ああいう男ではないのは知っている。だが、ああいう男が一人居ると、全体のイメージが悪くなってしまうのだ。
静かとは言わないが、程良い緊張感に包まれていた控え室が俄かに騒がしくなる。その騒がしさを心地良く感じているのか、赤毛の傭兵の声が殊更大きくなり、言葉遣いも乱暴になる。
『助けないのか?』
「さて、どうするかね」
そう言いながら、視線はフランシェスカ嬢から逸らさない。
どうやってあの傭兵をやり過ごすのだろうか。やり過ごせなかったら声を掛けようと思うが、しばらくを様子見しようと思う。
ああいうのも、いい経験だ。貴族として暮らすなら傭兵と関わる事などそう多くないだろうが、それでも可能性はゼロではない。貴族が持つ領地、その領地を魔物や野党から守るために傭兵を雇うという事もある。
傭兵にはどういう人間が居るのか、それを知っておくのもいいだろう。
耳を傾けていると、どうやら赤毛の傭兵はフランシェスカ嬢が一回戦で戦う相手のようだ。
身のこなしから、それなりの使い手であろうことが予想できる。得物は、昨日フランシェスカ嬢が手こずっていた大剣のようだ。背負っているのは飾りがほとんどない、武骨な両手持ち剣。さすがに大会本選では使えそうにないので、使うのは控え室に用意されている大剣だろう。
大剣というと、フランシェスカ嬢は昨日の団体戦で学生相手でも手こずっていたが、今日は傭兵……戦いが本職の人間だ。昨日の学生や、一、二回戦で油断していた相手などとは比べ物にならないくらいの使い手だろう。
フランシェスカ嬢を口説きしながら、周囲を威嚇するように視線を向けてくる。その視線の力強さに、数人の参加者が視線を逸らしていた。
口から漏れているのは、勝利への自信だ。優勝まで口にしているので、相当自分に自信があるのだろう。
しかし、ここは闘技場の控室だ。そんな言葉は胸に秘め、結果で示すのが常。そうしなければ、ただただ反感を買うだけだ。いまの、赤毛の傭兵のように。
『ほう。あの男、優勝するそうだぞ』
「できるといいな」
『……お前がそれを言うのか』
エルメンヒルデが、赤毛の傭兵が口にしたその一言に反応する。
その言葉には、言外に「レンジに勝つつもりのようだぞ」と言っているように聞こえなくもない。言葉にしていないので、俺は理解したくないが。
そもそも、俺と戦う前に、フランシェスカ嬢と戦うのだが。エルメンヒルデの言い方だと、フランシェスカ嬢があの傭兵に負けるように言っているように聞こえなくもない。
まあ、勝率はかなり分が悪そうではあるが。
「あ?」
そんなエルメンヒルデに反応した声が聞こえたのか、赤毛の傭兵がこちらを向いた。その視線に、僅かばかりの怒りを浮かばせて。
突然の事に驚いていると、フランシェスカ嬢も驚いたように目を開き、口元を右手で隠していた。そういう様も良く似合うのは、流石美人だと思う。
それにしても、どうして俺なんかの言葉をあの男の耳は拾ったのだろう。そう考えて、先ほどの発言を思い返す。
優勝すると言った男と、できるといいなと言った俺。
……煽ったつもりは無いのだが、もしかしたらそう言う風に聞こえたのだろうか。
最近、フェイロナ達も俺と一緒にエルメンヒルデと話していたからか、少し気が緩んでしまっていたようだ。きっと今も、俺やフランシェスカ嬢以外には、エルメンヒルデの声は聞こえていないだろう。
「ああ。馬鹿にしたつもりは無いんだ、気分を害したなら謝る」
『そこはもう少し、こう……言い方があるのではないか?』
取り敢えず、何か言われる前に謝っておく。流石に、俺は独り言を言う癖があるんだ、とは言い出せなかった。それはちょっと恥ずかしすぎる。
それに、こういう場所で波風を立ててもお互いに良い事など無いだろう。大会委員に目を付けられて、後で注意されるのがオチだろう。……それだと、怒られるのは俺だけのような気がする。
まあそれでも、大勢の前で悪目立ちするのはこの男も望むところではないはずだ。
そう思っての事だったのだが、どうやら赤毛の傭兵にしてみるとあまり面白くない事だったようだ。
馬鹿にされたとでも思ったのか、まるで地響きでも聞こえてきそうな勢いでこちらへ歩いてくる。その途中にあったテーブルを腰で散らすと、そこに座っていた参加者たちが迷惑そうにこちらへ視線を向けてきた。
……俺の所為ではないのに。
「今、面白い事を言ってたな?」
その男が、眼前に立つ。
身長は俺とほとんど変わらない程度だろう。しかし、今は俺が椅子に座っているので見下される体勢だ。
まるで獣のように怒っている雰囲気もあり、どう応えるべきか迷ってしまう。
しかし傭兵の男からすると、何も言わない俺の態度が気に入らなかったようだ。その右手で、俺が背を預けていた壁を殴る。
痛みに顔を歪めないあたり、ちゃんと鍛えているようだ。
「すまない。怒らせるつもりは無かったんだ」
「ああ?」
『別に、ここで殴り倒しても問題無いのではないか?』
むしろ、俺の方が殴り倒されそうなのだが。どうやらエルメンヒルデは、この男の対応がすでに面倒臭くなっているようだ。まあ、それは俺もなのだが。
もうすぐ試合だというのに、どうして控え室でも絡まれなくてはならないのか。
顔のすぐ横にある腕は、俺のソレよりも一回りほど太い。しかしそれは肥満体という訳ではなく、ちゃんと筋肉によって大きくなっているのだ。
よほど俺の対応が面白くないようで、その腕には血管すら浮かんでいる。
俺がからかって楽しいのは、エルメンヒルデやフランシェスカ嬢、宗一のような反応が面白い相手だけなのだが。
「おい、聞いてんか!?」
「聞いているよ」
しかし、顔が近い。
唾が飛んできそうで汚いのだが。
そんな感情が顔に出たようで、男は更に顔を赤くしながら怒っていた。周囲の参加者たちは、我関せずとばかりにこちらを気にしながらも助け舟を出すつもりは無いようだ。
泣けるね、まったく。でもまあ、同じような立場なら俺も傍観するだろうけど。
「ほら、試合が近いだろ? 体を休めていたらどうだ?」
「は。この俺が、こんな子供に負けるかよ。『英雄』の弟子? はは、俺の名を上げるのに丁度良いってもんだ」
『だ、そうだが?』
「いや、何度も言うけどな。俺は、彼女が俺の弟子と言われるほど、何かを教えたつもりは無いんだけどな……」
そう、溜息を吐く。
俺がそう言うと、眼前で息巻いていた男が急に静かになった。なんだろう。凄く気まずい。
「じゃあ、アンタが……?」
「さて。俺はアンタなんて名前じゃないんでな、アンタが誰と勘違いしているか分からんね」
こういう時、俺の肩書は便利だと思う。顔は知られていないので噂が一人歩きしている状態だが、こうやって変に絡んでくる相手には効果的だ。
この世界が、俺が元居たような情報に特化したような社会ではなく、実力主義の社会だというのも一因だろう。
世界を混沌とさせた『魔神』を殺した人間。たったそれだけで、相手は俺を遥か各上の存在だと錯覚してくれる。あとは、変にオドオドしなければいいだけだ。今のように。
「フランシェスカ嬢、調子はどうだ?」
「あ、はい。昨日はよく眠れました」
「それはよかった」
赤毛の男から視線を逸らし、その背後で身長の低い男とこちらの成り行きを見守っていたフランシェスカ嬢へ視線を向ける。
よく見ると、小男の方はフランシェスカ嬢よりも少し身長が低い。フランシェスカ嬢が、女性としては身長が高いという事もあるのだろうけど。
「災難だったな」
「いえ……」
俺が赤毛の男に視線を合わせないようにしていると、相手の方はバツが悪そうな顔をしながら離れていった。その後ろを、取り巻きの男が追いかける。
あんな、筋骨隆々の男に凄まれると、寿命が縮む。慣れない事をして疲れたので、壁に背を預けるようにして休むと、隣の椅子にフランシェスカ嬢が一言断りを入れて座る。
「はあ。血の気が多いもんだ、武闘大会の参加者ってのは」
『レンジも、その参加者のはずなのだがな』
「俺の血なんて、一年前に殆ど流れ出てしまっているよ」
『はあ』
そうやってエルメンヒルデの溜息を聞きながら、フランシェスカ嬢へ視線を向ける。
緊張しているのか、少し表情が硬いように見える。それに、先ほどの傭兵との会話。あれで、変に相手へ苦手意識でも覚えていなければいいが。
なんだかんだで、フランシェスカ嬢は俺やフェイロナ以外の男にはあまり免疫が無いのかもしれない。それなりの時間を一緒に旅してきたが、浮いた話の一つも聞かないし。
「大丈夫?」
「はい。レンジ様は……」
「俺は、緊張で押し潰されそうだ」
『まだ言っているのか。情けない』
「ふふ」
俺がバカな事を言うと、フランシェスカ嬢が小さくだが笑ってくれた。そんなフランシェスカ嬢に気を良くして、俺も少しだけ口元を緩めながら立ち上がる。
出番まではまだまだ時間があるが、そろそろ大会で使う獲物を選んでおくべきだろう。
「今日は、鎧ではないのですね」
「ん?」
「昨日は、王様と一緒に鎧姿で並ばれていましたから」
「俺は、鎧で身を固めるより動き回る戦い方が得意だから」
「それは分かっていますが……」
やはり、鎧を着こんでいた方が強そうに見えるのだろうか。
確かに、布の服装備で冒険終盤に参加できるトーナメントへ参加するゲームプレイヤーは居ないだろうが。この世界はゲームではなく現実なのだ。自分に合った戦い方を信じるしかない。
強い武器や防具で身を包んでも、最後に頼れるのは自分自身なのだから。
『心配されているようだぞ』
「ぁ、そんなっ。私なんかが心配など」
「……心配してくれないのか」
「いえっ、その……そういう訳ではっ」
それはそれで悲しいものがあるが、こうやって照れているというか、テンパっているフランシェスカ嬢を見ていると和む。
でもやはりエルメンヒルデの声は周りには聞こえていないので、今のフランシェスカ嬢は俺と話して照れているという事になる。周囲からしたら、それはどういう風に見えるのだろうか。
「あまり、からかってやるなよ」
『レンジはいつもからかっているではないか』
「俺はいいんだ」
「ひどいです、レンジ様……」
その事をあまり考えないようにして、フランシェスカ嬢へ助け舟を出す。
いつもは髪で隠れていた首元が、今はリボンによって露わにされているので、白磁のような肌に朱が差しているのが良く見える。
その様子を見て小さく笑うと、俺の笑い声が聞こえたようでフランシェスカ嬢の肌がさらに朱へ染まったような気がする。
「フランシェスカ嬢は、武器は?」
「え、あっ。あ、私はっ」
話題を逸らすように俺がそう聞くと、彼女は腰に吊ったショートソードへ視線を落とした。
慌てて取ろうとして、落としそうになっている。
どうやら今日も、その剣で挑むようだ。昨日の様子を見ていると、そのショートソードではどうにも心許ない。かといって、今更剣を変えても使い慣れないだろう。
俺やムルルが前衛を張れるなら問題無かったのだが、一対一だと力不足という感じが否めない。
「大丈夫か?」
「私が旅を始めた時から、ずっと一緒ですから」
『なるほど。その剣が、フランシェスカの相棒なのだな』
「……お前、俺がそう言うと怒るくせに」
『ふふ。そんな事は無い』
嘘吐け。
内心でそう言うのと、フランシェスカ嬢がまた笑うのは同時。
なんだかなあ、と。頭を掻きながら、控え室内に用意されている武器立てへと歩み寄る。
俺以外にも武器を選んでいる参加者が数人居たが、場所を譲ってくれた。どうやら、赤毛の傭兵との遣り取りで目立ち過ぎてしまったようだ。
なんとも言えない居心地の悪さを感じながら、一般的な両刃剣を取る。刃は潰されているが、刀身の長さや幅は最近使っている精霊銀の剣に近い。
その後もいくつか手に取ったが、一番最初に選んだ剣が使いやすそうだ。そう思いながら、その剣を腰へ吊る。
すると、先ほど絡んできた赤毛の傭兵が俺の隣へ来る。まだ何か言う事があるのだろうか、と身構えると、無言で用意されていた中でもっとも重量がありそうな大剣を片手で持つ。
腕力だけなら、俺では逆立ちしても勝てなさそうだ。
「随分細いんだな、英雄ってのは」
「ん?」
「細いな、と言ったんだ」
どうやら、俺が筋肉を見ていたのに気付いたようだ。
しかし、細いとは……。
「懐かしいな」
「あん?」
「いや、なんでもない」
昔は、何度そう言われたことか。
普通は鍛えたら鍛えただけ筋肉がつくと思うのだが、どうやら俺は筋肉が付きにくい体質らしい。
といっても、まったく無いわけではない。この男やオブライエンさんのように、剣を振るのに力を必要とする人間と、俺や真咲ちゃんのように速さを必要とする人間。そういう差だと言われたが、やはり男としては筋肉があるというのは純粋に羨ましく思る。
少なくとも、昔は羨ましかったので筋肉トレーニングなどを頑張ったのはいい思い出か。
結局、剣を振るのに必要な分以上の筋肉は付かなかったが。
「俺ぁ、アンタの弟子を倒すぜ?」
「そうかい。頑張ってくれ」
剣も選び終わったので、男へ背を向ける。
肌が泡立ち、表情が引き攣ってしまいそうな殺気。以前の、本当に細かった俺なら体を震わせてしまっていただろう。
しかし、まあ。殺気に慣れるというのも、色々と問題だな。それこそ、もう堅気では生きていけなさそうだ。
「その時は、アンタが俺と戦ってくれるか?」
「はあ?」
しかし、そんな自分を自嘲する間もなく、赤毛の傭兵が興奮交じりの声でそう言ってくる。
反射的に振り返ってしまうと、その視線はどこか冷めたものだ。
「細いな」
「それはもう聞いたよ」
「昔は、もっと大きな男だと思っていたんだがな」
「そうかい。細くてすまんね」
昔というと、一年以上前にこの世界を旅していた頃だろうか。
もしかしたらあの時に、どこかで会っていたのかもしれない。全く覚えていないが。旅先で出会った傭兵など、それこそ何百人と居るのだ。特別親しくないなら、思い出すのも難しい。
それにしても、やたらと絡んでくる。
強い、のだろう。おそらく……フランシェスカ嬢より。そういう自信を、話していると感じられた。
『言われたな』
「言われ慣れた事さ」
『そこはもっと別の言い方をしてくれ。実力を示すとか、本当はもっと凄いのだ、とか』
エルメンヒルデが珍しく、からかうように言ってくる。
その声が何処か心配しているように聞こえるのは、気のせいではないだろう。相変わらず、分かり易いヤツだ。
「自分の実力なんざ、口にするものじゃない。俺がどれだけ戦えるのかを見極めるのは、観戦席の皆だ」
『ふふ、そうだな』
「自分は強いと嘯いて、結果が散々だったら目も当てられない」
いくら俺でも、そんな現実には耐えられそうもない。
『あれだけ言われて怒らないのも、レンジくらいだろうがな』
「気にしちゃいないさ」
『少しは気にするべきだと思うがな』
「……まったくだ」
剣を選び終えてフランシェスカ嬢の元へ戻ると、その彼女は白いリボンで髪を結んでいる所だった。
長く美しい金髪が後ろで結ばれ、一房となって背へ流れる。いつも豊かな髪を解いた状態しか見ていなかったので、とても新鮮だ。女性というのは、髪型一つで変わるから凄い。
改めてそう思っていると、その視線が俺へ向いた。露わになった首筋の白さが目に眩しい。
「どうかなさいましたか?」
「いや、そのリボン。今まで持ってなかったと思ってな」
「ええ。昨日、団体戦で勝てたからとムルルちゃんとフェイロナさんが選んでくれて」
『なるほどな』
エルメンヒルデと同じように、内心でなるほど、と呟く。
金髪と白の色彩が、優しい色となって見る人を落ち着かせる。フェイロナもムルルも、フランシェスカ嬢という人間を現す色を、よく理解っている。
しかし、だ。
「よく似合っていると思うよ」
「そうですか? ありがとうございます」
『ああ。よく似合っていると思う』
「ええ。私はムルルちゃんの髪の色と同じ白で、ムルルちゃんには私の髪の色に近いリボンを贈りました」
「それは、どうだろう」
「え?」
団体戦で勝ったお祝いにリボンを貰って、お返しにリボンを贈るのは……いいのだろうか?
まあ、フランシェスカ嬢本人が喜んでいるならそれでいいか。
「そうかあ」
『レンジの半分くらいしか生きていない獣人の方が、甲斐性があるな』
「お前、甲斐性なんて言葉をどこで覚えやがった」
何故だろう。先ほどまで俺を心配してくれていたエルメンヒルデの声に、鋭利な刃物を連想させるような冷たさを感じるのは。
確かに長い髪は戦いの邪魔だし、今回のような一対一の決闘だけでなく、これから冒険者として生きていくとしても、貴族の一人として生きていくとしても、リボンという贈り物は素晴らしいもののように思える。
思えるのだが……なんだろう、この仲間外れにされたような気持ちは。
いや。ここ最近、忙しいというか、フェイロナ達とあまり会っていなかった俺が悪いのだが。
悪いのだが……なんだか、とても悪い事をしてしまった気になってしまう。ここ最近感じていなかった罪悪感に、口元が引き攣った。
「どうかしましたか、レンジ様?」
「――いや」
『はあ』
そしてまた、とても人間臭い溜息を吐く相棒。
こいつは今日だけで、いったい何度の溜息を吐いたのだろうか。
「やっぱり、俺の相棒はお前だよ。エルメンヒルデ」
『そうか』
相棒の声が冷たい。
その、相棒の冷たい声に晒されている俺をどう思ったのか、フランシェスカ嬢が肩を震わせた。
「やっぱり、仲がお宜しいですね」
「……え?」
『…………』
その一言で、完全にエルメンヒルデはご機嫌を損ねてしまったようだ。まあ、半分以上は分かっていて言ったのだが。
それでも、フランシェスカ嬢がこうやって笑ってくれるなら、後でエルメンヒルデに頭を下げてもいいかと思う。
どうやら、完全に緊張は解れたようだ。その顔に浮かぶ笑みは、旅をしている時に見せてくれるリラックスした時のソレだ。
こういう時は、俺なんかよりもムルルが居てくれるといいのだが。さすがに参加者ではない人を控え室へ入れてやるほど、俺も立場を乱用したくない。
もともと目立つのが嫌だし、そうなれば悪目立ちをしてフランシェスカ嬢にも迷惑が行くだろう。
「私の剣も、エルメンヒルデ様のように話してくれると嬉しいのですが」
「そうか? 小言が五月蠅いだけだぞ?」
『それは、レンジがだらしないからだ』
「まあ、一人でも寂しくないのは良い事だけど」
『む』
「でもやっぱり、小言がなあ」
『だからそれは――』
そんな俺達の遣り取りを、やはり楽しそうに聞いているフランシェスカ嬢。
以前はエルメンヒルデにも畏まっていたのだが、今では随分と節々の対応にも余裕が感じられる。慣れた、という事だろう。だからこその言葉だったのだと思う。
喋る武器。
確かにそれは、一種の憧れを抱かせるものなのかもしれない。中二とか、そんな意味でも。
幸太郎や宗一達も、エルと旅をしていた最初の頃は凄く興奮していたのを思い出す。もしかしたら、フランシェスカ嬢はもっと違う意味があるのかもしれないが。
「けど、エルメンヒルデは俺の相棒だ。こればっかりは、いくらフランシェスカ嬢でもやれないな」
『当たり前だ。私はレンジだけの』
「相棒、だ」
『武器、だ』
いつもの問答。もう、何度したか分からない――子供のような意地。それでもお互いに譲らず、この一線だけは妥協しない。
俺は相棒としてのエルメンヒルデを求め、エルメンヒルデは俺に武器として扱う事を求める。
けど、それでいいのだと思う。
こんな俺達だからこそ、楽しくやっていけるのでは、と。これだけ正反対の事をお互いに求めているのに、俺はエルメンヒルデを心底から信頼している。そして、エルメンヒルデも俺を信頼してくれている。
「ふふ」
そんな俺達の問答を、ここ数か月は聞いているであろうフランシェスカ嬢は笑うばかりだ。
「レンジ様」
「ん?」
「二回戦、戦えるといいですね」
「え?」
『ん?』
そう言われると、エルメンヒルデと二人して間の抜け声が出てしまった。
隣で笑っていたフランシェスカ嬢も、驚いた顔をしている。
「二回戦はフランシェスカ嬢か!?」
「どうしてそこで、そんなに驚くんですか!?」
『二人とも驚いているぞ。かくいう私も、驚いた』
「いや、お前が驚いたのはどうでもいいが」
『むう』
しかし、と頭を抱えてしまう。宇多野さんは、どういう考えでトーナメント表を作ったのだろう。
俺の隣では、フランシェスカ嬢が悲しそうな顔をしていた。
「もう少しくらいでいいですから、私の方を見てもらえると嬉しいのですが」
『本当にな。甲斐性が無くてすまない』
「お前が謝るなよ」
泣くぞ、ちくしょう。
あー……本当に、俺は周りが見えていない。
自分の事ばかり考えていて、周囲の事には本当に無頓着だ。
こんなにも、周りから支えられているというのに。その事にも、全然気付いていない。
オブライエンさん、真咲ちゃん。二人の事ばかりを考えて、それ以外を考える事が出来なくなって。視野狭窄。本当に、俺が見ている世界は狭い。
「どうかしましたか、レンジ様?」
肩を落として落ち込んだ俺を心配して、フランシェスカ嬢が声を掛けてくる。
その声は、何処までも優しさが溢れていた。
「いや、二回戦。お互い、勝ち上がれるといいな」
「はいっ」
俺の相手は、もう知っているのだろう。だから、心配してくれたのかもしれない。
二回戦で、俺と戦うために。学生として、冒険者として。
きっと、フランシェスカ嬢は魔術学院を卒業したら冒険者業からも足を洗うだろう。器量良しの貴族なのだ、冒険者のような危ない橋を渡る必要など、どこにも無い。
だからこの最後の舞台で、せめて俺も――一緒に旅をしてきた仲間と戦いたいと思う。それができたら、きっと笑って別れることが出来ると思う。
冒険者業は出会いと別れ、そして再会の繰り返しなのだから。
ふとしんみりしてしまい、二人して黙ってしまう。
まるでその時を待っていたかのように、俺の名前を呼ばれた。
「あ」
隣から聞こえた声は、とても不安そうに揺れている。
「先に、二回戦で待ってる」
だから、そう口にした。
それでも俺を見上げてくる視線には、不安が宿っている。
なので、ポケットからエルメンヒルデを取り出してその手に握らせた。
「お守り。御利益がある、優れものだぞ」
「いいのですか?」
『そうだぞ。一人で大丈夫か?』
「もう子供じゃねえよ」
相変わらず、妙な所で母親のようなことを言うな、お前は。
「リボンの代わりだ。大会が終わったら、俺も何か贈るよ」
「え……」
「約束だ」
あーあ、と。そう、心中で呟く。
ついに口にしてしまった。約束してしまった。
約束というものは、とても重い。口にするのは簡単なのに、叶えるのはとても難しい。叶えなければ約束を交わした相手だけではなく、自分自身を裏切ってしまう。傷付けてしまう。
俺はそれを知っているはずなのに、それでもまた――約束を交わす。
闘技場の入り口へ案内されながら、ふと思う。
「はあ」
負けられない理由が出来た。
腰に吊った剣はひどく脆いように思えて落ち着かない。
こんな時、いつもならエルメンヒルデが軽口を言ってくれるのだが、それも無い。
は――。
寂しいね、まったく。




