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第十四話 剣と剣1

「おい」


 陽が沈むにはまだ早い時間だが、雲が厚いからか昨日よりも薄暗くなるのが早い気がする。

 そんな空を見上げていると、川で水汲みをしていた金髪の女性が呆れたような眼を俺へ向けてきた。その両手には、たっぷりと水が汲まれた木桶(きおけ)が持たれている。


「蓮司さん、考え事ですか?」


 その女性とは別の、セミロングの黒髪を持つ少女が声を掛けてくる。その声音に少しばかり心配するような感情が乗っているのは気のせいではないだろう。

 ぼーっとしていたので変に思われたのかもしれない。


「ああ、いや。……天気が崩れそうだな、って思って」

「ふむ」

「そういえば」


 俺がそう言うと、その女性は今気付いたかのように空へと視線を向けた。少し遅れて、黒髪の少女も視線を空へ向ける。

 風が強くなり、少しだけ肌寒さを感じる。暦上の冬はまだ先だが、そろそろ秋という季節。

 俺と少女は厚手の服を着ているが、金髪の女性はまるで舞踏会に着るドレスのような薄着だ。それでもその表情にはあまり変化が無く、寒さを感じているようには思えない。

 なんでも、暑さや寒さは魔術で中和しているとかなんとか。俺にはよく分からないが、なんとも便利な能力だと思う。


「雨の夜って、ジメジメして苦手です」

「誰だってそうだろ」


 焚火は雨で消えるし、テントの中に雨水が入る時もある。夏は蒸し暑くなり、冬は身が凍りそうなほど寒くなる。なにより、雨の音で獣や魔物が出す音や、匂いが消えてしまうのが面倒だ。

 冒険者にとって、雨というのはある意味で天敵だと思う。


「雨は嫌い?」


 そんな事を考えていた俺の顔を覗き込むようにして、金髪の女性が聞いてくる。

 透き通るような翡翠色の瞳と、整った容姿。疑う事など考えもしないのだろう、その無防備ともいえる表情を見ると、溜息が出てしまう。

 しかしそうすると、今度は溜息を吐いた俺がどうしたのかと心配してくるのだ。顔を寄せて。

 どうしても、その柔らかそうな唇へ視線が向いてしまうのは、旅をしている時間が長いからだろう。


「近い」


 俺が呟くと、金髪女性の瞳が僅かに細まった。


「今更気にするような事でもないだろう」


 呆れ交じりにそう返されると、なんだか俺が悪いように聞こえてくるから不思議だ。

 どちらかというと、あまりに無防備な表情を見せてくる目の前の女性が悪いと思うのだが。


「どうした、何か考え事か?」

「むぅ」


 その金髪女性の後ろでは、黒髪の少女が頬を膨らませる……という可愛らしい表現ではなく、鋭い視線をこちらへ向けていた。

 針の筵というか、なんというか。


「なに、雨が憂鬱(ゆううつ)なだけだ。野営の準備も面倒だしな。阿弥はどうだ?」

「……私も、あまり」


 女性から木桶を受け取りながら応え、少女へ視線を向ける。

 話を振られるとは思っていなかったのか、少し戸惑ったように言葉が詰まり、おずおずといった感じでそう口にする。

 そんな少女の反応を不思議に思ったようで、金髪女性の意識は俺から黒髪の少女へと向いた。

 助かった、と内心で呟きながら歩き出すと、また風が吹いた。

 金髪の女性と並んで歩いていた少女の黒髪が揺れる。この世界に来て、もうすぐ一年が経つという頃。

 この世界に来た最初の頃に比べると、少女の髪は随分と伸びたような気がする。結ぶには少し物足りないその髪は、その容姿もあって少女と女性の間で揺れている彼女そのものを現しているように思う。


「どうかしたのか?」


 またぼーっとしていたようで、その女性のようにも男性のようにも聞こえる中性的な声が耳に届いた。

 視線を向けると、不思議そうに彼女はこちらを見ている。隣の少女は、少しだけ頬を朱に染めていた。


「え、っと。何かありましたか?」

「ずっとアヤを見ていたぞ。どうした?」


 どうやら、じっと少女の方を見ていたらしい。

 いや、と首を横に振る。


「髪が伸びたな、って」

「え?」


 俺がそう言うと、少女が自分の黒髪を指で摘まむようにして視界に入れている。

 その仕草を可愛らしく思いながら、木桶を持ち直す。


「短い方が……」

「ん?」


 最後の方が聞き取れず聞き返すと、俯いてしまった。そのままキャンプ地まで歩き出そうとすると……。


「レンジは、髪は短い方が好きなのか?」

「ちょ、エルメンヒルデさん!?」

「ああ」


 隣の金髪女性が助け舟を出してくれた。

 なるほど、そう言ったのか。


「さあ、どうだろうなあ」


 肩を竦めると、黒髪の少女は恥ずかしそうに視線を右往左往させている。そんなに恥ずかしかったのだろうか。

 そう思うが、男と女では、その辺りの重要性は天と地ほどの差があるのだろう。

 しかし、同じ女であるはずの金髪女性はそんな少女の反応を見て、不思議そうに首を傾げている。


「よく、分からないな。髪というのは、そんなに重要なのか?」


 そう言うと、自身の髪を指で摘まむ。

 後ろ髪は纏めているので解いた時の長さは分からないが、横髪は伸びているので随分長い。


「それで、どうなんだ?」

「ん?」

「髪だ。短い方が好きなのか?」

「今日は食いついてくるな」


 いつもは、気にしない事など全然気にしないというのに。

 そんなに髪の長さが気になるのだろうか。


「レンジ。私は貴方の物なのだから、貴方が好ましく思う容姿をする必要がある」

「ねえよ」


 その言葉をバッサリと切り捨てる。

 どうにも、自分よりも俺を優先するこの女性の考え方は苦手だ。俺としては、自分をもっと大事にしてほしいと思うのだが。

 まあこれでも、最初のころに比べると随分とマシになった。だが、やはり俺の意見よりも自分の考えを優先してほしいと思う。まあ、その辺りはこれからの旅で少しずつ変えていけばいいか。

 そう考えていると、話に加わっていなかった黒髪の少女が、じっとこちらを見ていた。


「どうした?」

「……いえ」


 そして、しばらくすると唇を尖らせて視線を逸らされてしまう。

 金髪の女性と二人で話してしまい、気を悪くしたのかもしれない。大人びた容姿、考え方をするのに、そういう所は年相応に子供っぽい。


「それで、レンジ。貴方は長い髪と短い髪、どちらが好きなのだ?」

「どっちも好きだよ。要は、その人に似合っていれば良いだろ」

「なるほど」


 俺としては、どちらかというと長い髪の方が好きだが。だからといって、そう口にするのはなんだか恥ずかしい。

 あまり気にしていない風を(よそお)ってそう口にすると、口元へ指を添える金髪の女性。何かを考える混む時にする、この女性の癖だ。

 そして、何を思ってかこちらへ視線をチラチラと向けてくる黒髪の少女。ああ、何を言いたいのか手に取るように分かるというのも、こういう場面では少し問題のように思える。


「あ――」

「では、レンジ。私は、この髪は似合っているか?」


 きっと、深い考えはないのだろう。考えが纏まったから口を開いた。きっと、それだけだ。

 ただ、少女の言葉へ被せるように言うのはどうかと思う。何も言えなくなってあうあうとでも言いかねない表情は可愛らしいが、見ていて可哀想にも思えてくる。

 しかしまあ、だからといって助け舟を出してやる事も出来ず、こちらとしては苦笑いをするしかない。


「似合っていると思うぞ」

「そうか」


 ほら、と思う。

 何も思っていなかったようで、俺の言葉に何一つとして変化はない。

 ただ、髪の先を指で弄りながら遊んでいるだけだ。背を向けて歩き出したので、その表情も見えはしない。


「ほら。戻るぞ」

「…………」


 少しムスッとしたような、でも何かを言いたいのに口に出来ないような、そんな表情でしばらく立ち止まっていた少女。

 その彼女も、すぐに女性に並ぶようにして歩き出す。やはり俺は、少し後ろからついていく形だ。寂しく思えるのは、どうしてだろうか。

 しばらく歩くと、また風が吹いた。

 ああ、寒いね。まったく。



 今思えば。

 これが、使命など関係無く、彼女が初めて自分自身に関する質問をした時だったのだろう。



『どうした、レンジ?』

「ん? ああ」


 不思議と、眠気や疲れは感じなかった。

 それどころか、珍しく寝起きだというのに意識がはっきりとしているのを自覚できる朝。

 ……ついさっき見た、夢を思い出せるほどに。


『どうした?』

「いや。少し、夢を見た」

『夢?』

「ああ」


 夢の内容を口にしそうになって、何でもないと首を横へ振った。

 ベッドから体を起こしながら、視線を窓へ向ける。窓の外は快晴のようで、カーテン越しにも陽光を感じられる。冬だというのに暖かく、今日も良い天気なのだろう。

 今日は武闘大会の個人戦がある。その合間に、屋台を冷やかしに行くのも悪くないかもしれない。


『大丈夫か?』


 どうやらそのまま、ぼう、としていたらしく、エルメンヒルデが心配そうな声を掛けてくる。


「ああ。まだ少し、寝足りないみたいだ」

『まったく。昨日の夜、飲み過ぎたのではないか? 情けない……』

「そう言ってくれるな。俺の数少ない楽しみなんだよ、酒は」

『飲み過ぎるな、と言っているのだ。飲むなとは言わない』


 耳に痛いね、まったく。

 エルメンヒルデの声を聞きながら、苦笑いを浮かべてしまう。飲み過ぎたつもりは無いが、きっと誰からもエルメンヒルデと同じ事を言われるのだろうな。

 そうしていると、ドアがノックされた。ベッドから起き上がって返事をすると、一言断ってからドアが開けられる。

 ノックをしたのは阿弥のようだ。ドアから顔を覗かせるようにこちらへ視線を向けると、俺が起きている事を確認して部屋へ入ってきた。

 夢の中とは違う、伸びた髪はサイドに纏められ、表情もあの時よりも大人びている。そんな、夢の中の阿弥と、今の阿弥を比べてしまい、なんとも言えない気分になってしまった。それはとても失礼な事のように思えたのだ。

 そんな俺の内心には気付かず、ドアを開ける時よりも晴れやかな表情を向けてくれる阿弥。その後ろから、宗一と弥生ちゃんも続く。幼馴染トリオは、今日も仲が良いようだ。

 阿弥と弥生ちゃんは個人戦には参加しないので、今は魔術学院の制服姿だ。しかし、個人戦に参加する宗一は、制服ではなく俺としては見慣れた旅装束姿だ。

 厚手の丈夫そうな服を着ていて、腰には飾り気のない長剣を吊っている。


「どうした?」

「声が聞こえたから。一緒にご飯を食べようって、誘いに来たんだけど」

「ああ」


 そういえば、もうそんな時間なのか。

 そう思い、ベッドから抜け出そうとして自分がまだ寝間着姿だと気付く。


「すまん。今起きたところなんだ」

「相変わらず、ベッドで寝ると朝が弱いね」

「どうにもなあ。野営なら、一晩寝なくても大丈夫なんだけどな」


 特に王城のベッドは柔らかすぎて困る。メイドさんが毎日干しているからか、とてもいい匂いがするし。

 そんな俺の姿にを気にしないようにしてくれる三人だが、阿弥だけは若干頬を染めて視線を逸らしている。


「どうしたの、阿弥ちゃん?」

「うえ!?」


 阿弥のそんな反応に気付いて、弥生ちゃんが意地悪そうに笑っていた。

 それにしても、阿弥よ。その声はどうだろう。

 その事は口にしなかったが、俺の視線に気付いて更に顔を赤くしていた。そんな阿弥を、弥生ちゃんがからかっている。


「仲が良いな、相変わらず」

「そうでもないよ」


 そう疲れたように宗一が言うと、関節を鳴らそうとしているのか、くるくると右肩を回している。

 少し間の抜けた感じだが、おそらく自分が疲れている事をアピールしているのだろう。そんな宗一の仕草を見て、阿弥が助かったとばかりに食いついた。


「なに。何か言いたいことがあるの?」

「いえ、なにも」

『……何か話し方が変だぞ、ソウイチ』


 大方、昨日の団体戦で真咲ちゃんに負けたから、何かあったのだろう。

 その様子を簡単に想像できるあたり、俺もこの三人と付き合いが長いのだと思う。


「あまりお兄ちゃんをいじめないでよ、阿弥ちゃん」

「苛めてないわよ。大体、宗一が悪いのよ。あそこで精霊神(ツェネリィア)の力を借りるなんて」

「き、気付いたら力を使っちゃってたんだから、しょうがないじゃないかっ」

「そこを我慢しなさいっ。真咲さんだって『魔剣』は抜かなかったじゃないっ」

「う……」


 どうでもいいが、朝早くから俺の部屋まで来て喧嘩はしないでほしい。

 まあ、賑やかなのは嫌いではないのだが。それに、宗一達の喧嘩は見ていて微笑ましい気持ちになれる。現実では、幼馴染や兄妹というのは大きくなると距離を置くものだと思う。

 少なくとも俺は、子供時代の友達で二十代半ばまで付き合いがあったのはほんの少しだけだった。

 だから、こうやって仲が良い三人を見ているのは気持ちが温かくなる。


「そういう阿弥ちゃんは、不純な気持ちで頑張ってたみたいだけどね」

「な、に言ってるのよ、弥生」


 そうやって宗一を責めていた阿弥だが、弥生ちゃんの一言でその気勢が削がれてしまう。


『不純な気持ち?』


 俺と一緒に黙っていたエルメンヒルデが、横から質問する。

 すると、待っていましたとばかりに弥生ちゃんが満面の笑顔を俺の方(エルメンヒルデ)へと向けた。いつもは深窓の令嬢と見紛う少女だというのに、こうやって三人が揃うと……阿弥も弥生ちゃんも、やはり気が許せる相手の前では本音で付き合えるということだろう。


「そうそう。阿弥ちゃんってば……」

「わあっ」


 何か言いそうになった弥生ちゃんの口を抑えようと動く阿弥と、その阿弥から逃げる弥生ちゃん。

 先ほどまで静かだった俺の部屋は、一気に賑やかになってしまった。取り敢えず、学院の制服はスカートが短いのであまり派手に動かないでほしい。


「蓮司兄ちゃん、ごめん」


 それをどう思ったのか、宗一が申し訳なさそうに頭を下げる。


「なにが?」

「いや、騒がしくて……」

「は。気にしなくていいさ。賑やかなのは嫌いじゃない」


 そう言って笑いかけると、宗一も笑う。


「俺は、宗一達が楽しいならそれでいいよ」

「……僕は申し訳ないよ」

「気にしなくていいんだけどな」

『そうだぞ、ソウイチ。子供は大人に甘えるものだ』

「いや。僕はもう子供じゃないよ、エルさん」

『そうなのか?』

「もう少し身長があればなあ」

「ぐ……人が気にしている所を」


 暫くそうやって話していると、またドアがノックされた。

 今度はこちらの返事を待つことなく開かる。


「相変わらず賑やかね、ここは」

「相変わらずと言われるほど、ここ最近は賑やかじゃなかったと思うがね」


 そう言いながら顔をドアの隙間から覗かせたのは、先ほど宗一と阿弥の話題になっていた真咲ちゃんである。

 今日はもう、朝からやる気に満ちているようで、学校の制服姿ではなく軽装ではあるが旅装束を身に纏っている。


「おはよ、皆」

「あ、おはよう。真咲さん」

「おはようございます、真咲さん」

「……おはようございます」


 四者四様の挨拶だと思う。フランクな真咲ちゃんと宗一。丁寧に頭を下げた阿弥。そして、表面上はにこやかな笑顔で応じる弥生ちゃん。一瞬、二人の間に火花が散ったような散らなかったような……いくらこの世界がファンタジーとはいえ、気のせいだろう。

 別に、仲が悪いわけではないのだ、この二人は。。間に宗一が入らなければ、だが。

 幼馴染トリオと同じくらい、弥生ちゃんと真咲ちゃんの仲は良いと思う。宗一が関わらなければ。

 あれかね。好きな男の子には自分しか見てほしくないとか、そういう感情なのだろうか。


「おはよう、真咲ちゃん」

「おはようございます、山田さん」


 そしてこちらにも、にこやかな笑顔で挨拶をしてくれる。

 うーむ。

 先ほどの弥生ちゃんと真咲ちゃんの視線を見ていると、どうにも身構えてしまうのは男の(さが)か。

 隣の宗一も、その笑顔が少し引き攣っているように感じる。


「今日はよろしくお願いしますね」

「それはこっちのセリフなんだがね。お手柔らかに頼むよ」

「ふふ」


 そこで笑われると余計に怖いのだが。昨日の宗一と真咲ちゃんの試合を思い返すと、どうにも口元が引き攣ってしまう。

 目で追うのがやっとの攻防。とてもではないが、俺ではこの少女の攻撃を受け続けるというのは難しいだろう。


「ん?」

「なんでもない」


 そんな俺の内心を分かってか、無邪気そうな笑顔を俺へ向けてくる。このドSめ。


「それにしても、起きるの遅くない?」

「しょうがないだろ。昨日の夜は、客が来ていたんだ」

「客? 何もない部屋に?」

「酒があるだろ」


 そう言って部屋に置かれているテーブルへ視線を向けると、そこには空の瓶が一本。

 宗一と真咲ちゃんが、揃って溜息を吐いた。


「そんなに美味しいの、お酒って?」

「美味いというか、飲むと落ち着く?」

「それって依存症じゃない……」

「そこまで酷くは無いだろ」


 多分。二人の呆れた視線が辛い。


『ほら、そういう目で見られる』

「……ぬう」


 枕の脇に置いていた金のメダルへ視線を向けるが、頭の中へ響く声はどこか勝ち誇っているように聞こえる。


『やめろとは言わないが、せめて少しは減らすべきだろう』

「俺の、数少ない楽しみを」

『昔のように剣を振れ。汗を流して身体を動かせば、酒を飲むよりよっぽど健全に眠れる』


 ああ、耳に痛い。


「まあ。エルさんが……正論、かなあ」

「そうね」

「味方がいねえ」


 ちくしょう。

 後で藤堂か宇多野さんに愚痴ろうかと考えていると、弥生ちゃんと遊んでいた阿弥がこちらへ視線を向けてきた。

 そのまま、弥生ちゃんを追う足を止めて真咲ちゃんの隣へ並ぶ。


「誰が来たんですか?」

「気になるの、阿弥ちゃん?」


 そんな阿弥の後ろから、耳に息を吹きかけるような格好で弥生ちゃんが囁く。


「あー、もうっ。弥生は少し静かにしててっ」

「ふふ。はあい」


 仲が良いなあ、本当に。

 そう思いながら、阿弥へ視線を向ける。


「幸太郎だよ」

「――――ふうん」


 その、怒ってはいたが楽しげだった表情が、一瞬で静かな湖面を思わせる冷たい物へと変わった気がした。

 おお、怖い。

 隣の宗一が、静かに、だが確かに一度震えた。


「何の話ですか?」

「ちょっとな。仕事の話だ」


 阿弥の幸太郎嫌いも、ついにここまで来たか。

 アイツの性格は、合わない人間からしたら確かに合わないだろうというのは分かる。それでも、一際顕著に少女の顔が不機嫌なソレへと変わった。


『どうした、アヤ』

「いえ、別に。ただ、相変わらず変な事をしているなあ、って」

『コウタロウが変なのは昔からだろう。それよりも、どうしてそこで不機嫌になる?』

「私は不機嫌じゃないわよ、エル」


 それは、幸太郎と阿弥が水と油だからだろう。まあ、そんな事を言おうものなら俺にも飛び火するから口にしないが。油なだけに。

 その辺りを相変わらず理解せず、空気を読まない相棒を悲しむべきか、それともエルメンヒルデからも変人扱いされている幸太郎を哀しむべきか。

 まあ、どちらも悲しむことにしよう。悲しんだところで、現実が変わるわけではないのだし。


「でも、珍しいね。幸太郎さんが来るなんて」

「そうなのか?」

「うん。優子さんの所には結構顔を出しているみたいだけど、僕もここ最近はあまり合ってないし」


 宗一はそう言うと、真咲ちゃんへ視線を向けた。


「私もさっぱりよ。結局あの人、ノリが良い人と会わないといけない人以外には会ってないんじゃない」

「ああ、ありそう」


 どうやら真咲ちゃんの方にも顔を出していないようだ。

 同調している様子から、弥生ちゃんも会っていないのだろう。阿弥は聞かなくても分かる。


「まあ、とにかく。そういうことだ。あと、そろそろ着替えたいから部屋から出てもらっていいか?」

「あ、ごめん」


 俺がそう言うと、代表するようにまた宗一が謝った。


「それじゃ、食堂に席を取っておくね」

「おお、頼む。先に食っててくれていいからな」

「いいよ。待ってる」


 別にいいのに。

 そう言いながら部屋を出ていく宗一達へ手を振って……最後に部屋を出ようとした阿弥を呼び止めた。


「阿弥」

「はい?」


 いったい何を言おうとしたのか。

 ――思い出したのは、朝に見た夢だ。


「身長」

「……はい?」

「伸びたな」


 何を言いたいのか伝わらなかったようで、小さく首を傾げながら部屋から出ていく阿弥を見送る。

 まあ、脈絡が無さすぎるよな、今のは。


『いきなり何を言い出すかと思えば』


 エルメンヒルデからも、なんとも言えない雰囲気が漏れている気がした。

 もし肉体があるなら、きっとこちらが罪悪感に(さいな)まれそうなほど冷たい視線を向けられている事だろう。


「気にするな、いつもの事だ」

『ああ、そうだな』


 そこで反論してもらえないというのも、辛い物があるな。

 服を着替えながら溜息を漏らす俺を、エルメンヒルデがこちらも溜息を吐いている。泣くぞ、ちくしょう。


「ただ」

『ただ?』

「……夢の中の阿弥より、身長が伸びていると思っただけだ」

『ほう』


 そう口にすると、今度は楽しげな声が頭に響いた。


『阿弥の夢を見たのか』

「……そんなところだ」


 それだけではないのだが。

 それ以外の事は、口にしなくてもいいだろう。

 本当に、それだけだ。

 夢の中の阿弥は、もう少し身長が低かった。髪も短く、言葉遣いや表情も、今より少し違っていた。

 でも――。


「はあ」

『ふふ。あとで、阿弥に話してやろう』

「は……楽しい事になりそうだ」

『その中心はレンジだからな』


 夢の中のエルは、どんな顔をしていただろう。

 俺はいつの間にか、彼女の顔を思い出せなくなっていた。


「なあ、エルメンヒルデ」

『なんだ?』


 その声は、とても楽しげだ。

 こいつのこういう声は、聴いているこちらも楽しくなってくる。


「俺が宇多野さんか阿弥と――」


 そこまで口にして、また(つぐ)む。

 ここ最近、俺はエルメンヒルデに対して最後まで口にしない事が増えたような気がする。

 それは、以前のように全部をエルメンヒルデ(相棒)へ伝えていないという事ではないだろうか。


『ユウコとアヤがどうした?』

「なんでもない」


 着替えが終わる。

 昨日着ていたような、貴族が着るような上等な服ではない。旅の間に着ていた厚手のシャツとズボンだ。腰に精霊銀(ミスリル)の剣を吊り、腰裏に鉄のナイフを刺す。


『そうか』


 その声は、やはり楽しそうだった。

 こいつは、俺が全部を口にしなくても、何も言わない。

 俺が宇多野さんか阿弥を選んでも――きっと、祝福してくれるだろう。



「君はそろそろ、アストラエラと向き合うべきだ」

 


 簡単に言いやがって、あの野郎。

 その感情を顔に出さないようにして、枕の傍に置いていたエルメンヒルデを手に取ると、親指で弾く。

 ピン、と乾いた音を立ててクルクルと回転し、手の平に落ちたのは。


「表か」

『今日は、運が良さそうだな』


 その明るい声が、胸を軽くしてくれた。



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