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第九話 武闘大会4

 静謐な空間に、玲瓏な声が響く。王城の中に作られた大聖堂。その最奥に置かれた女神像の前で、豪奢な法衣に身を包んだ女性が祈りを捧げるかのように膝をつきながら祝詞を読み上げている。女神アストラエラを讃え、崇敬の意を込めた言葉。銀の女神像を介して、女神さまはこの祝詞をどのような気持ちで受け止めているのだろうか。

 祝詞を読み上げている女性の名前はアマルダ・イムネジア。この国の王の娘。イムネジア王国の姫である。

 シルクのような素材に銀刺繍の施された法衣、長く伸びた銀の髪。組まれた手は小さく、動き辛そうとすら思える過度の装飾が施された法衣に包まれた体は華奢。傍に長身の騎士が居るからというわけではなく、女性の平均よりも僅かばかり低い身長。平時であるなら美しいよりも可愛らしいと称する方が正しいような彼女も、今この時は凛としていて美しい。その傍らで、彼女の想い人である長身の騎士は宝石の(ちりば)められた精霊銀(ミスリル)の鎧を身に纏って控えている。見目麗しい男女。大男と可愛らしい女性というお互いのギャップも素晴らしい。誰もがお似合いの二人に見えるのではないだろうか。美女と野獣。これは少し違うか。

 公衆の面前だというのに、二人の距離は近い。おそらくそれは無意識なのではないだろうか。しかし、その事を誰も咎めることはしない。もちろん、父であるイムネジアの国王も咎めたりなんかしない。何とも素晴らしいではないか。父親公認で玉の輿に乗っている異世界仲間に、軽い羨望すら抱きそうになる。このままお姫様との仲が進展したら、この国の次期国王になるのだろうか。九季がどのような人間か知っているだけに、アイツが国王になった姿なんて全く想像できない。

 そんな馬鹿な事を考えている間にも、お姫様の美しい声で読み上げられる祝詞は進んでいく。百人近い人間が大聖堂の中に居るというのに、その声はよく響く。誰もが無言で、息をするのも忘れたかのように聞き入っているからだろう。まるで、体の芯に響きそうだと感じてしまう。


「いつ結婚するのかな」

「しっ」


 静寂に包まれる大聖堂の中でそう口にすると、隣に居た宇多野さんに怒られた。

 どうしてどの世界も、挨拶というのは長ったらしいのだろうか。せっかくの異世界なのだから、こういうのくらいは短くしてほしいと思う。いやむしろ、神様が実在するだけに、この祝詞は俺たちの世界よりも長く、内容が詰まっているのかもしれない。元の世界ではあまり信心深く無かったので、祝詞なんて聞いた事も無いのだが。

 俺を挟んで、宇多野さんとは反対側に立つ宗一も、何処か居心地が悪そうにモジモジしている。俺ほどではないが、退屈なのだろう。分かる。ただ、その宗一も、俺とは反対側に居る阿弥に怒られていたりするが。周囲に気付かれないようにだが、時折足甲(グリーブ)ごしに足を踏まれていたりする。

 欠伸を噛み殺している俺に気付いたのか、宇多野さんが鎧の上から軽く小突いてくる。横目を向けると、俺より低い位置にある彼女の瞳がいつも以上に冷たく細められているような気がした。正直に言うと、少し怖い。この人は目力(めぢから)があるので、そういう視線をされると慣れているとはいえ無意識に白旗を上げてしまうのだ。本人は、その目付きを気にしているのだが。俺としては、この人のそういう視線も味があって良いと思うのだが。

 それにしても、眠い。しょうがないではないか、こういう堅苦しいのは苦手なのだ。まぁ、不謹慎だとは思うが。それに、昨日はあまり眠れなかったのでどうしても欠伸が出てしまう。

 子供のような言い訳だが、事実なのでしょうがない。武闘大会のトーナメント表を渡されてから、どうにも頭が痛い。病気というわけではなく、精神的な意味で。

 僅かに身動ぎすると、精霊銀(ミスリル)の鎧防具がカチャ、と乾いた音を立てた。周囲に響くほど大きな音ではなかったが、近くにいた騎士たちの視線が俺へ向いたような気がする。その視線が恥ずかしい。ああ、早くこの静かな時間が終わらないものか。

 身に着けた鎧防具が重い。普段は簡素な鎧すら身に着けていないのだ、いきなり装備した精霊銀(ミスリル)の防具は俺には枷のように思えてしまう。それでも、兵士たちが身に着けている鉄や鋼の防具に比べれば格段に軽いのだが。

 こういう(おおやけ)の場に出ると、どうしても儀礼用として鎧を身に着けないといけないのは異世界ならではか。俺達の世界ではスーツを着るところで、この世界では鎧やマントを着用する。スーツとは比べ物にならないくらいに重く、暑苦しく、動き辛い。しかも、今は直立不動のまま動けないので腰に来る。


『ふむ。相変わらず、人間達のこういうところは理解が出来ない』


 頭の中に、エルメンヒルデの声が響く。耳に届く祝詞を謳う声にも負けない美声だが、返事が出来ない今は声を掛けられても困るだけだ。退屈なのか、その声はいつもより疲れているように聞こえる。おそらく宇多野さんや近くに居た宗一達にも聞こえたのだろう、俺に向けられる視線が増えたような気がする。どうして誰もが俺を見るのか。自意識過剰ともいえる感想を抱きながら、静かに溜息を吐く。また、宇多野さんから鎧が小突かれた。

 しかし、エルメンヒルデの言う事も理解できる。アストラエラ――この世界の人間達が信仰する女神様は、こういう堅苦しいことがあまり好きではない。というよりも、どうしてこうまで堅苦しくするのか理解出来ないといった方が正しいか。彼女はなんだかんだと、楽しいことが好きだった気がする。世界を見守るのも、魔神の手から守ろうとしたのも……この世界に生きている人間を眺め、その生活を見ているのが楽しいからではないだろうか。

 はっきりと聞いたわけではないが、なんとなくそう思う。そういう神様なのだ、彼女は。

 視線を奥にある銀の女神像へ向ける。不思議と、人間が作ったにしてはアストラエラ本人に似ている気がする。いや、本人に言ったら烈火の如く怒りそうだが。なんとなくではあるが、彼女の特徴を上手く捉えている気がしないでもない。

 なんでも遥か昔、時の彫刻家の夢に彼女が現れたのだとか。その姿を模して造られたのが、大聖堂にある銀の女神像なのだそうだ。今思うと、何をやっているのだろうと思わなくもない。茶目っ気があるのか、退屈だったのか、何となくか。夢に現れた理由は分からないが。


『アストラエラ様は堅苦しい言葉よりも、楽しい(もよお)し物がお好きなのだが』


 そんな事、ただの人間に判るわけがないだろう。それこそ、もう一度夢枕に立ってからお告げでもすればいいだろうに。

 それをしないという事は、あの女神様もこういう堅苦しい催し物を楽しんでいるのかもしれない。それとも、女神としてのイメージを大切にしているのか。

 世界を創った神の一柱なのだ、(たてまつ)られるのも好きなのだろう。それこそ、よく分からないが。

 しばらくして、ようやく祝詞を読む声が止まる。

 そこからは武闘大会開幕の挨拶があり、王である豊かな白髭を蓄えた人が挨拶をして、騎士団長であるオブライエンさんが参加者達へ激励の言葉を掛ける。

 参加するのは今回で三度目となる、武闘大会開幕の儀式である。

 大会自体が開催されるのは明日からだが、開幕の儀式は前日に行われる。明日は、簡略化された儀式が闘技場(コロシアム)に集まった民衆の前で行われる予定になっている。



 開幕の儀式が終わった大聖堂は、どこか貴族達が行うパーティのような雰囲気になっているように思う。普段の静謐な空気は無く、思い思いに誰もが話している。

 明日の団体戦に参加する学生達や、貴族の子息達。王城に勤務している騎士や魔術師。先ほどまでの重苦しい雰囲気は完全に消えていた。

 知った顔を探すと、宗一や阿弥、真咲ちゃんは友達であろう同じ学校の友達と話しているようだ。学生達は制服姿なのに対し、宗一達は儀礼用の鎧や術服(ローブ)姿なので浮いているが。その学生の中には、フランシェスカ嬢の顔もあった。他の学生達よりも親しそうなのは、俺を介して知り合っているからだろうか。

 しかし、やはりというか。彼女の発育は他の学生たちよりも抜きん出ていると思う。阿弥や真咲ちゃんと並ぶと、特にそう思えてしまう。本人たちに知られたら、冗談抜きで魔物の群れの真ん中に投げ捨てられるかもしれない。

 そうやって大聖堂の壁を温めていると、タイトな黒ローブを纏った宇多野さんが歩み寄ってきた。そのまま、並んで壁に背を預ける。


「ん?」

「いえ、寂しそうだったから」

『こういう場所では尻込みをするからな、レンジは』

「別に、そういうわけでもないんだがな」


 指で顎を掻きながら、そう口にする。

 確かにエルメンヒルデの言う通りなのだが、それを認めるのはなんだか面白くなかった。手甲(ガントレット)を装備しているからか、掻いた顎が少し痛い。


「ただ、話したい相手が居ないだけさ」

「それはそれで、寂しいわよ」

「自覚してるよ」


 というよりも、宗一達のように学校の友達も居なければ、仲が良い貴族が居る訳でもないのだ。宗一達や宇多野さんだって、友達や周囲の貴族連中との話があるだろう。

 そうなると、必然的に俺は浮いてしまう。話し掛けられれば話を合わせるが、話し掛けられないなら自分から歩み寄ろうとも思わない。そう考えると、なんとも寂しい性格に思えてしまう。もちろん、その寂しい奴は俺なのだが。

 こうやって話し掛けてきてくれた宇多野さんには感謝である。もし宇多野さんが来てくれなかったら、きっと一人で寂しく大聖堂から退室していたはずだ。想像するだけで、その後ろ姿の寂しさに涙が出そうになってしまう。いいのだ。俺にはエルメンヒルデが居るから。……正直、そうなったら救いようがないな。もちろん、その救いようがないのは俺なのだが。


「そういえば、トーナメント表」

「トーナメント表が……どうかした?」


 そう切り出すと、宇多野さんの視線があからさまに逸らされる。僅かな変化だが、普段はこちらの視線を真正面から受ける性格だと知っているだけに、その行動は逆に不自然さを際立させた。

 いやまぁ、責めるつもりはないのだが。


「俺の相手が変わっていたから、驚いた」

「……そう」

『ああ。驚いたが、感謝している』

「感謝は……どうだろう」


 エルメンヒルデの声にツッコミを入れながら、口元が僅かに緩むのを自覚する。

 一回戦の相手は宗一と思っていたが、公表されたトーナメント表での俺の相手は違っていた。おそらく、阿弥から俺がヤル気を出すと聞いて作り直したのかもしれない。最初から俺の相手が宗一ではなかったのなら、あの時呼び出した意味が無いのだし。

 そこまでしなくても良かったのに、と思う。相手が宗一(絶対に勝てない相手)でも、手を抜くつもりはなかったのだから。


「でも、出来れば……もう少し簡単な相手が良かった」

『まったく。少し気を抜くと、すぐそういう事を口にする……』

「本当ね。もっと、ドン、と。胸を張ってほしいのだけれど、こちらとしては」


 いや、武闘大会に参加する連中に簡単な相手などいないというのは分かっているのだが。しかし、そう言いたくもなる。俺の一回戦の相手はオブライエン・アルベリア。騎士団長であり、俺の剣の師匠でもある人である。

 正直に言うと、今まで勝った事が無い人だ。そんな人を相手に、公衆の面前で戦うという事に頭が痛くなってくる。

 言っては悪いが、宗一相手なら負けても言い訳が出来た。とても格好悪いのだが、相手は勇者と呼ばれる英雄だ。負けたとしても、誰も、何も文句は言ってこないだろう。善戦すれば、それだけで場は盛り上がったはずだ。

 しかし、相手がオブライエンさん……英雄達以外だと、そうもいかない。いくら弱いとはいえ、俺も一応は英雄の一人に数えられているのだ。そんな俺が、同じ英雄以外に負けるというのは、誰も納得しないし認めない。英雄や救世主という肩書に特別な思い入れがあるこの世界の人達なら、尚更だ。

 オブライエンさんの強さは知っている。正面から、正々堂々と戦うなら俺よりも強い。だから困ってしまう。心底から。

 大衆の面前で、絶対に負けられない状況で、俺よりも強い人と戦わなければならないのだから。まぁ、頭は痛いが、気負いはないのだが。そんな事、この世界に来てから何度も経験してきたことだ。絶対に負けられない状況で、俺よりも遥かに強い連中と戦ってきた。誰かの為に、何かの為に、この命を天秤に乗せてきた。魔神や魔王、狡猾な魔族や魔物達。その状況に比べたら、命を賭けなくていい分、まだ気が楽だ。負けられないという状況は変わらないのだが。

 まぁ、開き直りといえばそれまでだが。こういう状況では、気の持ちようというのは大事なのだ。


「よかった」


 ふと、隣から小さな声。視線を向けると、沢山の人が居る場所だというのに、宇多野さんが柔らかく微笑みながらこちらへ視線を向けていた。

 視線が重なると、先ほどとは全く違う、温もりすら感じそうな瞳が細められた。


「少し、顔付きが良くなったわ」


 柔らかな表情で、そう言われる。

 顔付き、ねぇ。内心でそう考えながら、ガントレット越しに手で顔をなぞる。人肌ではない装備の冷たさが、僅かに熱気の籠り始めた大聖堂の空気で暖まった頬に心地良い。


「顔なんて、どこにでもいる普通の顔だと思うがね」

「まったく……そうやって、すぐに話を逸らすのは相変わらずね」

「人間、そう簡単には変わらないだろ」

「ええ、その通りね」


 その、その通り、とはどういう意味なのだろうか。そう聞きそうになるが、聞かないことにする。ただ、今度は俺の方が宇多野さんから視線を逸らした。何とも締まらない。こういう時は、泰然と構えたいものである。


「……阿弥からは、変わったって言われたけどな」

「ふふ。そうね」


 そう笑うと、ふわり、と花のような香りが薫った。隣で壁に背を預けていた宇多野さんが、話は終わりと無言で告げるように歩き出す。

 特に引き止めることもせず、俺はその背中を目で追ってしまう。亜麻色の髪がさらさらと揺れ、タイトな黒ローブ越しの背中のラインをしばらく見つめてしまう。


『少し、機嫌が良さそうだったか?』

「だな」


 あとはまぁ……俺の事を、心配してくれていたのだろう。申し訳無い気持ちが胸から溢れそうになる。

 何も言わずに、ただただ俺を気に掛けていてくれている。そう考えるのは、自惚れだろうか。王都に来て、目を覚ました最初の夜を思い出す。あの時の言葉を。

 ――俺はいつまで、旅を続けるのか。


「いい人だよな、本当に」

『ああ。本当にな』


 旅の終わりは近いのか、それともまだその道の半ばまでも歩いていないのか。

 それすら分かっていないのに、何も言わずにいてくれる彼女の気遣いは――嬉しいのか、それとも止めてほしいのか。

 そこまで考えて、俺も壁に預けていた背を浮かせる。話も終わったのだから、もうここに居る必要はないだろう。宗一達と話すのも悪くないが、このような場所では目立ってゆっくりと話すことは難しいだろう。今の俺は、冒険者のレンジではなく、英雄の一人である山田蓮司なのだから。

 ふと視線を感じると、数人の男女が俺へ視線を向けながら小声で話しているのが目に映る。身に着けている上等な衣服から、貴族であろうという事は分かる。こういう貴族というか、腹の探り合いというか、小難しい話は苦手なので、さっさと逃げようと思う。


「挨拶も無しか、レンジ」


 参加者達の人ごみに紛れて帰ろうかとした矢先、そう声を掛けられた。

 恐る恐る振り返ると、白髭を蓄えた気の好さそうな老人――イムネジア王国のトップであるヨシュア王がそこに居た。相変わらず、親しみやすいというか、フランクというか。一国の王とは思えない気軽さで話しかけてくる人である。


「いえ、そのような事は……」

「相変わらず堅苦しいな。お前達は」

「王が柔らかすぎるのかと」


 そう言うと、傍に控えていた恰幅の良い初老の男性が全くだと言わんばかりに大きく頷いている。彼はこの国の宰相であるヲーレン様。頷いてはいるが、彼も王様に負けず劣らず柔らかい人である。これで国政が成り立つのかと言われれば、実は成り立っていたりする。

 この世界には俺達の世界のように多くの国家、多くの人種、多くの思想があるわけではない。国家といえば『イムネジア王国』『エルフレイム』『アーベンエルム』の三つだけであり、思想としても各々の神を信仰する宗教団体に近いのかもしれない。俺達のような人間、ムルルのような獣人、フェイロナのような亜人。魔族は貿易など行っていないので、繋がり(パイプ)など何もない。

 政治に興味が無いので詳しくないが、俺達の世界にある政治のように複雑な国家ではないのだ。そこで必要になってくるのは、主義主張を伝える弁ではなく、互いの思想や主張を認める器のようなもの。そういう意味では、この柔らかな性格の王様は確かに王の器なのだろう。それに、ちゃんとしっかりするべき所はしっかりしている。

 王を挟んで反対側に控えているオブライエンさんは、何処か困ったように頬を掻いている。俺も同じ気持ちである。


「ご無沙汰しております」

「気にするな。ユーコやコウにはいつも助けられておる。レンジの方からも、礼を言っておいてくれ」

「はい」

「……どうも、お前たちは堅苦しすぎる。以前も言ったが、立場としては儂よりもお主達の方が上なのだがな」

「そのような事は無いでしょう」


 一国の王様と、世界を救った異世界人。

 世間がどちらを支持するかなど考えたくはないが、立場が上というわけではないだろう。ヨシュア王の傍でヲーレン様が声を荒げているが、王様は右から左に聞き流している。いつも見ていた光景だが、改めて見てもヲーレン様の苦労で目頭が熱くなってくる。


「まったく。お主が怪我をして運ばれてきた時は、肝が冷えたぞ」

「それは――」

「だというのに、傷が癒えても挨拶に顔を出しただけ。偶には酒に付き合え」


 無理ですと口に出かかったが、口元を引き攣らせる事でなんとか思い留まる。この国のトップからそう言われるのは光栄な事なのかもしれないが、そんな事になったら緊張で酒の味など分からないだろう。酔って変な事でも口走った日には、どうなる事か。そう考えるだけで、胃が痛くなってくる。そもそも、一介の冒険者が王様へ気軽に会いに行くのも問題だと思うのだ。どうやらそれが、お気に召さないようだが。

 そんな俺の内心を読んでいるのか、オブライエンさんは口元を柔らかく緩め、ヲーレン様は同情するかのように溜息を吐いている。この人は、もう少し自分の立場というものを……と思うと、なんとも申し訳なくなってくる。

 王族とは、民の為に生きているのだと言っていたのを思い出す。そこには自己の意思など存在せず、国と民衆にとっての最善、最良の為に生きているのだと。

 国の為、人間の為、世界の為。

 その為に生きるのが王族であり、その為に死ぬのが王族だとも。この世界の人間だって、全員が全員、善人というわけではない。それでも、全員の為に世界を守ろうとした姿を知っている。決して豊かではない物資で俺達を支援してくれた事、良好とは言えなかったエルフレイム側との交渉に尽力してくれた事、特別な力なんて持っていないのに魔族との戦いでは先頭に立って戦っていた事。

 そのどれもが尊敬できる生き方であり、だからこそ生きてほしいと思える人だ。

 だから……。


「その、武闘大会が終わりましたら、酒に付き合えるかと……多分」

「くく。そうかそうか。それは楽しみだ」


 そう口にして、後悔しそうになってしまう。

 王様と一緒に酒を飲むなんて、考えるだけで胃が痛くなってくる。もう何度目かの誘いだが、こればかりはやはり慣れない。その時は、宇多野さんと九季も誘おう(巻き込もう)と思う。


「酒の肴に、お主が優勝する話でも聞きたいものだな」

「う」


 そうくるか、と声が詰まる。そんな俺をどう思ったのか、ヨシュア王がカカ、と(ほが)らかに笑う。その様は、一国の王様というよりも、どこにでも居る好々爺(こうこうや)のような印象を受ける。

 そんな王様の言葉をどう受け止めたのか、オブライエンさんが低い声で笑う。


「御安心を。御身が楽しめるよう、尽力致しましょう。そうだな、レンジ」

「……はい」

「情けない声を出すな、馬鹿者。王の御前であるぞ」


 ぐ、と声を詰まらせる俺を楽しそうに(たしな)めてくるオブライエンさん。王城に居る人達の殆どは、俺の実力を知っている。知らないのは、ここ最近から王城に勤務している人達くらいだろう。もちろん知っている人の中には、目の前の王様と宰相様も含まれている。

 それほどまでに、俺が平凡(弱い)という事は有名だ。だというのに、なんとも無理難題を言ってくれるものである。しかも、助け舟を出してくれた人も、どうにも助け舟とは思えない発言をしてくれる。


「最近はアマルダの奴も、儂よりもユウタといる時間の方が楽しそうだしのう。この寂しさを紛らわしてくれよ、レンジ」

「どこまで王の御身が感じておられる寂しさを紛らわせる事が叶うかは分かりませんが、全力を尽くさせていただきます」

「うむ。だが、無理をせぬようにな。お主が怪我をしては、心配する者が多い。そうだな、宰相」

「は」

「それと」


 そして、その口調が僅かに重く、強くなる。

 それは気のいい老人としての言葉ではなく、王としての言葉。この国のトップの言葉。


「一番に楽しませねばならぬのは民衆よ。魔神の脅威が去ったとはいえ、未だ世界は平穏とは程遠い。武闘大会が開かれている一時だけではあろうが、魔物や魔族の脅威を忘れて楽しむ事が出来る試合をしてくれ」

「ご期待に沿えるよう、誠心誠意努力いたします」

「ふ。そこは、堅苦しい言葉など要らぬだろうが。ただ、はい、と言っておけ」

「はい」


 返事と共に脇へ避け、道を開く。

 俺達の会話は目立っていたようで、思いの外、周囲の取り巻きは多かったようだ。まるでモーゼの十戒のように人波が割れ、その中を悠然と歩きながら去っていくヨシュア王達の背を見送る。ふと視線を感じると、その中には見慣れた金髪の女性――フランシェスカ嬢の姿もあった。

 変なところを見られたな、と。いつもの癖で頭を掻きそうになるが、我慢する。王様の前では、不敬すぎるだろう。あの人ならあまり気にしないだろうが。


『ふふ。これで、逃げ道が無くなったな』

「元から、そんなモノは何処にも無いさ」


 エルメンヒルデの声に、ぼそりと答える。

 異世界から召喚された人間として、神を殺した人間として、民衆から期待を寄せられる人間として武闘大会に参加するのだ。なら、無様を晒すことなど出来ない事は理解している。

 そして、少なくとも俺なりに頑張ると決めたのだ。なら、相手が誰であれ全力で挑むだけだ。

 ……ここで、絶対に勝利するだなんだと言えないところが格好悪いというか、締まらないとは思うが。


「さて。んじゃ、帰るかね」


 宗一達は同級生たちと話しているし、宇多野さんの姿は見えない。おそらく、ドレス姿が窮屈でさっさと自室へ帰ったのだろう。かくいう俺も、さっさと重苦しい鎧を脱ぎたいと思う。作ってもらっておいてなんだが、やはり動き辛い装備は好きになれない。昔も、装備は軽鎧のようなものしか身に着けていなかったのだ。

 一瞬フランシェスカ嬢が見えた気がしたが、今は話さない方がいいだろう。変に注目されても、彼女の迷惑にしかならないだろうし。

 いくら貴族のご令嬢とはいえ、流石にこの場で話しかけては、彼女にとっても迷惑だろう。


「あれ、蓮司兄ちゃん。もう戻るの?」 


 そうやって大聖堂から出ようとすると、今度は宗一から声を掛けられる。

 身に着けている鎧は俺よりも動き易さを重視しているようだが、かといって見栄えばかりを追求したものでもない。だが、俺と同じで敵の攻撃を受けるよりも避ける事に重点を置く宗一からしたら、動きを阻害する鎧は邪魔に思えるのかもしれない。こちらに歩み寄ってくる動きも、何処かぎこちない様に感じる。


「ああ。堅苦しいのは苦手だからな」

「またそう言って……少しは阿弥の相手をしていってよ」

「それは幼馴染の仕事だろうが」

「もう」


 そう言いながら溜息を吐く宗一は、昔から変わらないと思う。それが羨ましいのか、それとも別の感情か。胸の奥が少しだけ暖かくなった気がした。


「それで、肝心の阿弥は?」

「向こうで、友達と話してる」

「……俺が相手をする必要も無いだろ」


 友達と話してろよ。明日の団体戦、一緒に戦う仲間なんだからさ。

 その言葉を飲み込んで、視線を阿弥が居る方向へ向ける。魔術学園の生徒達が数人集まっており、その制服姿の女子生徒達の中に一人だけローブ姿の少女が居た。この世界では珍しい黒髪の少女は、俺の視線に気付かないで友達と楽しそうに話している。

 うん、それでいいのだ。まだ十八歳。友達と仲良く話すのが正しい姿だと思う。その中には弥生ちゃんも居たが、そちらの視線はこっちへ向いている。こっちといっても、多分宗一を見ているのだろうが。

 そう思いながら、視線を宗一へ向ける。


「お前、友達居ないのか?」

「居るよ!?」


 いや、だったら俺の相手なんかしていないで友達と話せよ。


「ほら。阿弥達だって学校の友達と話してるんだから、お前も友達と話してこいって」

「だって、ほら。僕以外って、みんな女の人なんだって」

「ん?」


 そう言われ、もう一度魔術学院から来たであろう学生たちへ視線を向ける。

 確かに、言われてみると男子生徒が一人も居ない。団体戦への出場者は五人で、その控えに数人来ているのだろうが、ものの見事に女子生徒ばかりだ。男子生徒は宗一が一人だけ。確かに、あれは居心地が悪いだろう。

 ハーレムなんて幻想で、現実では針の(むしろ)なのだ。


「大変だな、お前も」

「そう言いながら背中を押すのはヤメテっ」

「両手に花どころか、花に囲まれた生活なんて羨ましいもんだ」

「嘘ばっかりっ」


 実際、全く羨ましくなどないのだが。

 それはそうだろう。男ばかりのパーティはむさ苦しくて嫌だが、女性ばかりのパーティだって気を遣い過ぎて疲れてしまうだろう。男と女というのは、全く別の生き物なのだ。

 そうやって宗一で遊んでいると、今度は数人の男女を連れた真咲ちゃんがこっちに来る。こちらは宗一とは違って、男女が三人ずつと均整がとれている。というか、本当にどうして魔術学院側は女子ばかりなのだろうか。選考基準が気になる。


「相変わらず楽しそうね。宗一、山田さん」

「あんまり楽しくないよ……」

「男が情けない声を出すなよ」


 別に、女性恐怖症というわけではなかったと記憶している。最近は弥生ちゃんと真咲ちゃんに囲まれた生活をしているから、もしかしたら女性関係に疲れているのかもしれない。贅沢な疲れだろう。女の子に囲まれて、取り合いされる。うんうん。相変わらず女難の相があるな、宗一は。

 内心で宗一の現状を楽しんでいると、カチャ、と乾いた音が耳に届く。真咲ちゃんが腰に指した刀の柄に手を添えたのだ。こちらも英雄に相応しい豪奢な服に身を包んでいるが、下はスカートである。絶対に動き辛いだろうな、と思う。こういう式典というか、公の場では動き易い服よりも見栄えの良い服や鎧を着せられるので困る。魔神討伐という命がけの旅をした俺達からしたら、見栄えの良いだけの服や鎧、スカートなんて邪魔の一言に尽きる。

 それでも、綺麗な服を着てご機嫌なのは女の子だからか。俺や宗一なんて、鎧を身に着けているだけでもストレスを感じそうだというのに。

 まぁ、ご機嫌だからと笑顔で刀に手を添えている美少女なんて恐ろしい限りだが。


「手加減しないで下さいね? もちろん、宗一もよ」

「もちろん。こっちだって、負けるつもりはないしね」

「俺は、団体戦には出ないけどな」


 個人戦は明後日である。オブライエンさんに勝てれば、真咲ちゃんと当るのは三回戦である。

 団体戦では宗一と戦えて、個人戦では勝ち上がっていけば宗一や九季とも戦える位置に居るのでご満悦なのだろう。見た目は御淑やかな大和撫子だというのに、中身は自分の実力を試すのが趣味という戦闘好き(バトルマニア)なのだ。だからだろうか、真咲ちゃんの後ろに居る同級生たちは、どこか真咲ちゃんに似た雰囲気を持っているような気がした。つまり、皆が戦闘好き(バトルマニア)。悪夢か。


「大丈夫ですよ、山田さん。個人戦でとっちめますから」

「……え?」


 なんで名指しで、とっちめるとか言われているのだろう。

 本気で分からなくて、呆然と聞き返してしまう。そんな俺に、なんというか、後光のようなものが差しそうな笑顔で応える真咲ちゃん。


「阿弥や優子さんは怒らないから、私が怒ります」

「は、はぁ……」

「いきなり姿を消して、心配させて。姿を見せたと思ったらぽやー、としてて」


 なぜだろうか。真咲ちゃんは笑顔なのに、物凄く怖いのは。これはあれだ、宇多野さんが怒った時に似ていると思う。あの人も怒った時は、烈火の如くというよりも、まるで水面(みなも)のように表面上は静かだがその下では……となるのだ。

 変だなぁ。真咲ちゃんが本気で怒るのは、いつも宗一が関係している時だったのに。そう思いながら、俺の隣で真咲ちゃんの怒りを向けられ慣れているであろう宗一へ横目を向ける。あと、真咲ちゃんの取り巻きのような同級生達も怒っている真咲ちゃんに一歩引いていた。

 ちなみに、怒られ慣れているであろう宗一は、あろうことか俺から距離を取ろうとしていた。なので、その肩を掴んで捕まえる。


『ぽやー、というのは分からないが。確かに、最近のレンジは気が抜けているな』

「その通りっ」

「お前は黙ってような」


 エルメンヒルデの声に力強く同意する真咲ちゃんと、相変わらずの空気を読めない相棒をズボンの上から宗一を掴んでいるのとは逆の手で叩く俺。


「ですので。三回戦、とても楽しみにしています」

「あっ、はい」


 それだけ言うと満足したのか、短いスカートを(ひるがえ)して去っていく真咲ちゃん。腰まで伸び、お尻のところで縛られた黒髪が、しっぽのようにヒョコヒョコと揺れている。


「これ、三回戦までいけなかったらどうなると思う?」

「多分、修練場で捕まるんじゃないかな?」


 どっちにしろ、真咲ちゃんと戦う事になるのか。いやまぁ、別にいいのだが。少し怖いが、流石に殺しに来たりはしないだろう。多分。


『勝ち進む理由が出来たな』

「嬉しそうに言うな」

『嬉しいからな』


 俺としては、恐ろしい限りなのだが。

 いくら刃を潰した剣とはいえ、当たれば痛い。使い慣れない西洋剣なのでいくらかの隙はあるだろうが、宗一と同等クラスの身体能力を持つあの『魔剣使い』と正面から戦うなど悪夢でしかない。


「ま、頑張るさ」

『ああ、頑張れ。レンジ』


 そう、言った。そう、期待された。なら、頑張ろう。

 それに――お前が嬉しいなら、俺も勝ちたいと思う。口にはせず、内心でそう呟いた。


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