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第六話 武闘大会2

 阿弥と食事をした数日後の昼。オーク肉の串焼きを齧りながら大通りを歩いていると、同じく串焼きを齧りながら隣を歩いていたムルルが足を止めた。何事かと俺も立ち止まると、その視線がまた別の屋台へと釘付けになっていた。外套(クローク)の裾から覗く狼の尻尾が元気に揺れているのは微笑ましいが、何度目かの誘惑に溜息を吐いてしまう。


「まだ食ってるだろうが。食べ終わってからな?」

「……だめ?」

「駄目だ」


 そうきっぱりと言い放つと、獣耳を垂らしながら歩き始める。そういう態度をされると俺が悪い事をしている気になってしまうが、ここは心を鬼にするのだ。

 そんな俺達を、後ろを歩いていたフェイロナが面白そうに口元を緩めながら見ていた。軽く睨むと、その微笑みが更に深まる。そんなフェイロナの表情に、大通りで擦れ違った御婦人達の視線が釘付けになっている……ような気がした。美形(イケメン)はどんな表情でも目を惹くものである。

 そんなフェイロナの隣を歩いているのは、これまた美形のソルネアである。いつもはフランシェスカ嬢が居るはずの立ち位置に彼女が立っているの事を、少しばかり新鮮に感じてしまう。この世界では珍しい、長く伸びた艶やかな黒髪。透き通るという表現がピッタリと当てはまりそうなほどに白い肌。どこか生気を感じさせない、血色の瞳。その身体を包むのは、こちらも黒いローブと肩から羽織った外套(クローク)である。薄手の生地は肉感的なメリハリを明確に表し、ベルトで絞められた腰は驚くほどに細い。

 表情豊かな美貌の魔術師と並んでいても絵になっていると思ったが、こういう影のある美女と並んでも違和感が全く無い。俺は多分、このパーティでは刺し身のツマのような立ち位置なのではないだろうか。

 ふとそう考え、自分の考えに落ち込んでしまいそうになってしまう。


『どうした、レンジ?』

「なにも――」

「食べ終わった」

「――早過ぎるだろ。もっとよく噛んで食べろよ」

「大丈夫」

『……大丈夫の意味を分かっているのか?』


 絶対分かっていないだろうな、と。俺がこのパーティでの立ち位置のことを考えている間に、手に持っていた串焼きを食べ終わったムルルがこちらを見上げてくる。その様は、まさに餌を待つわんこである。狼だが。おかわり……というか、新しいものを食べたいのだろう。視線が俺と屋台を行き来しているので、簡単に分かってしまう。


「お前、これから何するか分かってるのか?」

「問題無い。お腹が空いてると、動けない」

「動かなくていいんだがな。ほら、最後だからな?」


 子供にお小遣いを上げる感覚で銅貨を一枚渡すと、スキップをしそうな勢いで屋台へと向かうムルル。

 これから武闘大会の予選が行われ、それにフランシェスカ嬢が参加しているのだ。応援に行こうと思い立ったのは今朝。本人は本戦へ参加する気満々だったが、勝負は時の運。この予選で落ちる可能性も十分有り得る。というわけで、最後になるかもしれない応援へと向かっている途中である。そう言ったら、エルメンヒルデから怒られたが。あの烈火のような怒りではなく、静かな湖面を連想させる平坦な声での怒りはかなり恐ろしいものがあった。いや、俺も本心から言ったわけではなかったのだが。魔術学院の生徒たちがどの程度のレベルかは知らないが、武闘大会に参加する冒険者や傭兵達のレベルはある程度知っている。以前参加したことがあるからが。その事から考えると、フランシェスカ嬢が本戦へ参加できる可能性はあまり高くないだろう。身内贔屓として考えても、運が良ければ参加できるといったくらいか。

 フェイロナとムルルも武闘大会がどういうものかは知らないらしく、興味があるならと応援に誘ったのだ。ソルネアは、行く所も無いからと付いて来ている。分かりきっていたが、武闘大会に興味は無いようだ。


「アレは、そんなに美味しいのですか?」


 屋台へ向かったムルルを待っていると、追い付いてきたソルネアが隣へ並びながら声を掛けてくる。その視線は、ムルル――が今居る屋台へと向いていた。

 今ムルルが頼んでいるのは、パンに新鮮な野菜とオーク肉を挟んだホットドッグもどきである。あんなに肉ばっかり食べているのに全然太る気配がないのはどうしてだろうか。まぁ、魔物退治や何やらで動き回っているからか。


「ああ、結構イケるぞ。食べるか?」

「……よろしいのですか?」

「気にするな。一人が二人に増えるのなんて、今更だ」


 そう言って、ソルネアへも銅貨を一枚渡す。ちなみに、先日渡した金貨は服代に消えていた。フランシェスカ嬢がソルネアの私服を選ぶのに、一切の妥協を許さなかったらしい。というよりも、金貨一枚では足らなかったので自腹でいくらか出していると聞いている。その辺りは、流石貴族のお嬢様だと思う。まぁ、自分で稼いだ金なのだから、どう使おうが彼女の自由なのだが。ただ、買い物に付き合わされたフェイロナとムルルがやたら疲れていたのは印象的だった。

 銅貨を受け取ると、ムルルが待つ屋台へと向かうソルネア。その後姿を目で追っていると、今度はフェイロナが隣へと来た。


「子守は大変だな」

『まったくだ』

「お前が言うな」


 何もしてないだろうが。エルメンヒルデの声も、今はフェイロナにしか聞こえていない。ソルネアはまだ信用出来ないし、ムルルではエルメンヒルデの声に反応してしまう可能性が高いからだ。俺はコイツの声に慣れているし、フェイロナは咄嗟の事にもきちんと対応してくれるという信頼がある。

 そんなエルメンヒルデの声に、フェイロナは肩を竦めて返事をする。


「それで、彼女が何者なのか分かったのか?」

「全然だ。宇多野さんにも会わせたが、特に変わったところはないんだとさ」

「賢者殿がそう言うなら、そうなのかもしれないな」

『水晶の中で生きていた人間に、変わった所が無いというのも妙な話だがな』


 まったくである。昨日の夜、時間を作ってもらって宇多野さんへソルネアを紹介したが、特に新しい情報は得られなかった。普通の人間。あの洞窟から回収した水晶も、何の変哲もない店で売られている安物の水晶と変わりがないのだということだ。

 まぁ、考えて分からないことを考えることほど無駄な事もないだろう。溜息とともに、一旦思考を切ることにする。それこそ、これ以上の疑いは悪い意味でソルネアを特別視してしまうだろう。そういうのは、あまり好きではない。分からないなら、思考の隅にでもその事を留めておけばいい。あとは、分かった時に対応するだけだ。


「取り敢えず、分かったことは彼女に魔力が無いってことだけだな」

「ふむ」


 そう言うと、形の良い顎に指を添えるフェイロナ。そんな仕草も絵になる男である。


『魔力が無いのは、レンジと同じだな』

「本当にな。ま、俺にはお前が居るからそこまで困らないんだがな」

『……ふん』


 俺の場合は、異世界出身なので魔力が無いだけだけだが。ソルネアは……どうしてだろうか。だが、そこまで気にする必要もないだろう。魔力が完全に無い人間というのは珍しいが、まったく居ないというわけでもない。どうやっても、そういう特別な人は産まれてくるそうだ。だからといって、差別のようなものがあるわけではない。魔力があれば魔術のような便利な術が使えるが、無いなら無いで出来る事がある。勉強をして職を手に入れれば、食うに困ることもない。俺達の世界がそうだったように。魔力がなくたって、人間に出来ることなどゴマンとある。

 一応気になるのは、ソルネアが眠っていた水晶が魔力を持っていたということだが。やはりどれだけ考えても答えに行く着くことはない。

 取り敢えず、持っている情報だけで彼女が何者かと判断するのは難しい。見付けた人間として、暫く彼女の面倒を見るくらいが俺に出来る事だろう。そう考えていると、ムルルとソルネアがホットドッグもどきを食べながら並んで歩いてきた。その行儀の悪い仕草に、苦笑しながら溜息を吐いてしまう。白と黒。色は対極だが、まるで姉妹のように見えなくもない。


「行儀が悪いな、まったく」

「美味しい」

「そりゃよかったよ。俺の金なんだから、味わって食べてくれ」

「分かってる」

「ならいいんだがな」


 相変わらずの無表情だが、口一杯にホットドッグもどきを頬張る姿は微笑ましい。口元がケチャップのようなもので汚れているのも愛嬌か。

 そんな白い少女と同じく、黒い女性も同じように無表情でホットドッグもどきを頬張っている。こちらは小さな口で齧るようにして食べているので、ムルルよりも華がある。


「美味いか?」

「はい」


 そう聞くと、簡潔な言葉で返事をしてくれる。付き合いは短いが、ソルネアらしい返事だと思う。


「食べるのもいいが、急ぐぞ。フランシェスカの予選に間に合わなくなるぞ」

「おっと、そうだったな」

「んぐ。急がないと、レンジ」

「……屋台の魅力に負けたのは、お前だけどな」


 フェイロナが歩き始め、その後を追って俺達も歩き出す。ムルルとソルネアに挟まれて両手に花だと思わなくもないが、両方とも俺よりも手に持ったホットドッグもどきに夢中である。花より団子とでも言うべきか。自分がその立場になると、悲しい言葉だと思う。


「レンジ」

「ん?」

「フランは、予選を突破できる?」


 ケチャップのようなもので口元を汚しているのも構わずに、俺を見上げながら聞いてくる。

 フラン――フランシェスカ嬢が予選を突破できるか、か。


「さてな」


 そう肩を竦めると、どこか怒ったように顔を顰められてしまう。言葉だけでも、突破できると言って欲しかったのだろうか?

 だが、こればかりはどうしようもない。相手が誰かも分からないし、今年の出場者全体のレベルがどの程度なのかも分からない。

 フランシェスカ嬢も、旅慣れて魔物と戦えるようになったとはいえまだまだ甘い所がある。彼女のあの性格だ、人間相手ならそれが顕著に現れるのではないだろうか。魔物と人間は違う。人間に向けて魔術が撃てるのか、という問題だ。阿弥や幸太郎だって、人に向けて魔術を撃つのは躊躇うほどだ。宇多野さんは撃てるが、撃った後は落ち込んでしまったほどだ。俺だって、人を斬った後は気が滅入ったのを今でも覚えている。人を傷つけるというのは、精神に負担を強いる。フランシェスカ嬢が、その負担に耐えられるか。

 耐えられたら……予選くらいは突破できるのではないだろうか。


「勝負は時の運。終わってみなけりゃ分からんさ」

「そう」

『現実的だな。もう少し、甘い言葉でも掛けてやればよかったのではないか?』


 そういうのは俺のキャラじゃないだろうよ。言葉にすることなく、肩を竦める事でエルメンヒルデの言葉に返事をする。

 自分から聞いたくせに、自分が望んだ答えじゃなかったからか拗ねてしまったムルルの尻尾が力なく垂れてしまっているような気がする。

 勝てると口にするのは簡単だろう。だが、頑張るのはフランシェスカ嬢だ。俺がおいそれと簡単に口にしていい言葉ではない。

 拗ねてしまったムルルを微笑ましく思いながら歩いていると、遠くに石造りの大きな建物が見えてきた。それと同時に、人通りが少なかった大通りに活気のようなものを感じ始める。

 闘技場(コロシアム)。円筒形の建物は、外壁だけでも見上げるほどの大きさで、入り口には人集(ひとだか)りができている。これから行われる、武闘大会の予選を見るために集まった人達だろう。見た限りでも百人は超えているのではないだろうか。まだ予選が開始されていないというのにこの数だ、これからもっと増えるであろう事が容易に予想できる。

 本来ならば、ほぼ毎日のように金に困った冒険者や傭兵、腕自慢の若人(わこうど)達が命を賭けて金を得る場所である闘技場。相手は多岐に渡り、人間、獣人、亜人等から、捕らえた魔物とだって戦える。ゴブリン、コボルト、オークのような下級の魔物ばかりだが。それでも、一対一。一対多の魔物戦は観客に好評だ。娯楽の少ないこの世界には、こういう危険と隣り合わせの刺激は堪らないものがあるらしい。勝てば大金、負ければ大怪我。最悪は死。それが、これから俺達が向かう場所で日常的に行われている娯楽である。まぁ、それは極端な話だが。

 実際は、死ぬまで戦うのような人はそう居ない。人間相手なら「参りました」と言えば勝敗はつくし、いくら諦めずに抗おうとも審判が勝敗を判定する以上、死ぬまで戦うということはそう多くない。言葉が通じない魔物と戦うような人は、命を賭けなければならない所まで追い詰められてしまった一部の人だけだ。


「そこのところはどう思う、フェイロナ?」

「勝てればいいな、とは思う。頑張っていたからな、フランシェスカは」


 そうか、と。俺は薄情な人間なのかね。

 そんな事を考えながら、人集りの最後尾に着く。俺なら顔パス出来なくはないが、こうやって皆が待っているのだ。そういうズルは良くないだろう。周囲を見渡すと、こうやって闘技場への入場待ちの人間を客にしているのだろう。先ほどまで歩いていた大通りよりも数が多い出店や屋台が目に付く。


「頑張りが実らないというのは、辛いことだ」

「……そうだな」


 その言葉に、フェイロナという青年の優しさを感じてしまう。それは実体験からの言葉なのか、それとも一緒に旅をしたことでフランシェスカ嬢へ親しみを抱いているからか。そのどちらにしても、このエルフの青年はフランシェスカ嬢の勝利を願っているようだ。そして、ムルルも。

 仲が良いものだ。その温もりすら感じそうな絆に、口元を緩めてしまう。そのことを自覚し右手で口元を隠すが、目敏(めざと)いエルフの青年は気付かないフリをして視線を逸らしてくれた。嬉しいやら恥ずかしいやらである。


「そういえば、お前たちは出ないのか?」


 ふと思い付いて、そう口にする。フェイロナもムルルも、並の冒険者よりも腕が立つのを知っている。優勝は難しいまでも、結構良い所までいけるのではないだろうか。

 しかし、そんな俺の内心を知ってか知らずか。フェイロナは首を横に振る。ムルルは気にしていないようで、先ほど買ったホットドッグもどきを黙々と食べている。こいつは本当に、食欲を優先しているな。


「目立つのは苦手だ」

「ああ、分かるわ」

『……それでいいのか、お前たちは』


 揃ってエルメンヒルデから呆れられてしまう。俺はともかく、フェイロナが呆れられるのは珍しいものだ。


「レンジは、出ないのですか?」

「ん?」


 その声は予想外の方向からだった。

 ムルルと同じく、黙々とホットドッグもどきを食べていたソルネアが声を掛けてきたのだ。驚いたわけではないが、意外に思ってしまう。こういうことにあまり興味があるとは思わなかったのだ。まぁ、だったら闘技場になんか連れてくるなと言われそうだが。しょうがない。記憶が無い女性から目を離すのも、色々と気掛かりなのだ。


「俺はもう、出るのが決まってるんだ。二日目の個人戦にだがな」


 武闘大会は二日に分けて行われる。一日目は団体戦。二日目は今日の予選を勝ち残った連中と、俺達異世界からの召喚組を交えたトーナメント方式の個人戦。取り敢えず、使う武器は聖剣や魔剣ではなく、刃を潰した訓練用の剣だが。阿弥の方も、おそらく相当の制限が課せられるはずだ。

 宇多野さんの狙い通り、俺達がいい感じに客寄せパンダへなることが出来ればいいのだが。


「そうですか」

「なんだ、こういうのに興味があるのか?」

「こういうの?」

「武闘大会とか、闘技場とか。戦う事に興味があるのかな、と思ってな」


 そう言って視線を闘技場の入り口へ向けると、ソルネアも俺の視線を追って入り口へ視線を向ける。しかし、無言。応えが帰ってこず、しばらくしてソルネアへ視線を向けると何を思ったのか俺をじ、と見ていた。やはり感情の波を感じない、ぼう、とした視線でしか無かったが。それでも近くから見詰められると、僅かばかりではあるが心音が高くなってしまう。


「いえ、特には」

「そ、うか……」


 その真っ直ぐな視線が気恥ずかしくて、一瞬言葉が詰まってしまう。そんな俺をどう思ったのか、食べることに集中していたムルルが俺を見上げてきた。


「顔、赤い?」

「気の所為だ」

「くく。年末にしては、今日は暑いからな」

『……ちっ』


 本当に仲が良いな、お前ら。そんなに俺を苛めて楽しいか。チクショウめ。引き攣りそうになる頬を指で掻きながら、視線を逸らす。その際、横目でソルネアの表情を見ると不思議そうに首を傾げていた。おそらく、気になったことを口にしただけで、特別な意味など無いのだろう。そんな言葉に、俺が過剰に反応してしまっているだけだ。言葉というか、その視線にだが。

 どうにも、まっすぐに見られるというのは苦手だ。それは、俺が自分に自信が無いからだろうか。そんな山田蓮司という人間を見られているように感じてしまう。


「ただ、レンジ。貴方が戦うことに、興味があります」

「そうかいそうかい。個人戦ではそれなりにヤル気を出すから、楽しみにしておいてくれ」


 まぁ、相手は宗一なのだが。ヤル気を出した程度で勝てるような相手ではないが、勝てないからと最初から諦めた戦いをするつもりはない。やるだけやって、取り敢えずはそこからだ。


『珍しいな。こういうのは、嫌々やるのだと思っていたぞ』


 そんな俺の言葉をどう思ったのか、エルメンヒルデが僅かに驚いた声を上げる。いつもならここで、俺が弱気な発言をして、エルメンヒルデが小言を言うのがいつも通りの流れなのだろう。

 俺もそう思うよ。目立つのは好きではないし、武闘大会ではエルメンヒルデを使えるわけでもない。異世界補正の恩恵がほとんど受けられない状況では、俺は並みの冒険者に毛が生えた程度の力しか無い。そんな俺が訓練用の剣で宗一と戦ったとしても、奇襲が成功しようが勝てる気がしない。エルメンヒルデの言う通り、いつもの俺ならそれなりに頑張ってさっさと負けようとするのではないだろうか。少なくとも、ヤル気を出すなんて言葉は出ないはずだ。


『そうかそうか。うん』


 続いて漏れたのは、そんな心底から嬉しそうな声。そんな声を聞いてしまうと、普段なら軽口でも返すのだろう。だが不思議と、何も言えなくなってしまった。エルメンヒルデが何を考えているのか、簡単に分かってしまうのだ。俺がヤル気を出したのが、嬉しいのだろう。普段から言われていたことだし。しかし、そこまで喜ばれると俺だって悪い気はしない。先ほどのソルネアから向けられた視線とは違った意味で、口元を隠してしまう。

 しかし今度は、俺のその反応に誰も気づかなかったようだ。ぼんやりと、闘技場の入り口に集まっている人達を眺める。そんな俺を、ただただじっ、と見つめてくるソルネア。


「なんだ?」

「面白い人ですね。貴方は」


 それだけ言うと、視線を逸らして再度ホットドッグもどきを食べることに取り掛かる。そんな一言では真意を理解することなど出来ず、と首を傾げることしか出来ない。


『相も変わらず、妙な娘よな』


 まったくだ。



 ムルルとソルネアがホットドッグもどきを食べ終える頃に闘技場へ入ると、客席はもう既に半分近くが埋まっていた。石造りの席へ座りと、俺の左右にムルルとソルネアが腰を下ろす。フェイロナは、ソルネアを挟んだ場所へ座っている。

 闘技場の外で売られていたオーク肉の串焼きをもっていると、元の世界で野球観戦をした時のことを不意に思い出してしまった。すると、俺と同じように串焼きを手に持ったムルルがオーク肉を齧りながら視線を動かす。どうしたのかと視線を追うと、その先には蒼い制服に身を包んだフランシェスカ嬢が居た。まだ眼下の戦場には立っておらず、控えるように出入口となっている場所に立っている。これから出番なのだろうか。


「フラン、居た」

「みたいだな。あぁ、あぁ。あんなに緊張して」


 ムルルが言うように、遠目からでも緊張しているのが分かる。得物は剣を使うのか、鞘に収められたショートソードを胸に抱いて固まっていた。

 そんなフランシェスカ嬢を一瞥して、視線を今戦っている二人へ向ける。出場登録者が多いのか、選考方法は生き残り(サバイバル)方式のようだ。十人前後の出場予定者が一斉に戦い、勝ち残った一人が本戦へ出場するという感じだろう。今戦っている二人とは別に、闘技場には五人の男女が倒れている。その誰もが痛みに呻いていることから、死者は出ていないようだ。

 戦っている二人の技量は……お世辞にも高いとは言えない。いや、先日宗一と真咲ちゃんの訓練を見たから目がそれに慣れてしまっているのだろう。この世界の冒険者としてならそこそこの腕とったところか。片方は身の丈ほどもありそうな大剣を、もう片方はショートソードを両手に持って器用に戦っている。

 しかし、そんな二人の戦いに興味が無いのか、ムルルは手に持ったオーク肉の串焼きに夢中である。それでいいのか、お前は。


「食い過ぎるなよ。後で、皆で昼飯を食べるんだからな?」

「問題無い。両方食べる」

「……太るぞ」


 そう言うと、何を思ったのか自身の胸へと手を当て始める。


『一度、太ってしまえばいいのではないか?』

「それはそれで困るのだがな」


 呆れたようなエルメンヒルデの声に答えたのはフェイロナだ。確かに、前線の要であるムルルが太るのは困る。冗談なのか、本気なのか。そんなエルフの声に肩を震わせてしまう。

 そんな俺達の会話など気にすることもなく、ムルルは胸をぺたぺたと触っている。胸は揉むと大きくなると聞いたことがあるが、アレは迷信である。それは、宇多野さんが実証してくれている。そんな事を口にすると、どんな目に遭わされるか分かったものではないが。そんなムルルの反対側に座ったソルネアは、何を見ているのかぼーっとしている。こちらもいつも通りだ。

 闘技場。作りは円筒形で、周囲を石壁に囲まれ、その石壁には無数の傷が刻まれている。剥き出しの地面には、抉れた場所もあれば回収されずに残っている壊れた武具が転がっていたりする。その光景は、この闘技場で行われている『見世物』の激しさを物語る。

 広さは直径で二百メートルくらいはあるのではないだろうか。相当広く感じる。映画などでよく見るコロシアムを彷彿とさせる作りだ。観客席の一番高い場所には上等な布で覆われた場所があり、そこから王族が闘技場を見下ろせるようになっている。今俺達が居るのは、その王族用に用意された場所から戦場を挟んだ正面。俺達以外の観客たちは予選の内容に興奮して、大声で選手の応援をしている。

 武闘大会といえば、年末に行われるメインのイベントだ。優勝者には銀貨五枚の賞金以外にも、認められれば騎士や宮廷魔術師への誘いなどもある。それだけではなく、今までの自分の力と技術を試すのにも適した場所だ。娯楽が少ないこの世界では、この大会に出るためだけに頑張っている人だっているほどである。ある意味、この大会に出るというだけでも名誉なことなのだろう。


「フランみたいに大きくなる?」

「なるといいな」

「うん」


 どこが、とは口にしないことにする。それが優しさだろう。フランシェスカ嬢とは違い、平坦な大草原を一瞬見ながらそう思う。それだけ口にすると、再度串焼きを食べ始めるムルル。まぁ、いいか。夢を持つのは大切なことだ。現実は、胸ではなくまず腹から肉が付くのだが。まぁ、獣人の身体能力で動き回っていたらそうそう太らないだろう。そもそも、獣人に太った人は居ないような気がする。少なくとも、俺は見たことがない。

 そうこうしている内に、何回戦かは分からないが予選の戦いは佳境となっていた。二刀流の冒険者が一気に攻勢に出たのだ。会場が盛り上がり、歓声が上がる。その声に背中を押されたように、勢い任せではなく確かな技術を感じさせる連撃を打ち出す。しかし、大剣を持つ冒険者はその連撃を器用に受け捌いていく。


「どちらが勝ちますか?」

「ん?」


 その声は隣から。視線は前に向いたまま、ソルネアが聞いてくる。


「大剣を使っている方だろうな」


 そんなソルネアの声に答えたのはフェイロナだ。迷いないその答えに、俺も頷く。勢いは二刀流の男にあるが、堅実さは大剣の男だろう。二刀から繰り出される連撃を、余裕を持って受け流している。二刀流の男のスタミナが切れるのが先だろうというのは、戦闘経験が少しでもあるものなら容易に思いつく。

 案の定、暫くすると目に見えて連撃の勢いが落ち始める。それでもまだ大剣の男は動かない。完全に疲れきった所を攻める……確実性を重要視する性格なのだろう。その考えは間違っていなかったようで、疲れた男が下がろうと一瞬だけ二刀の攻めを緩めた瞬間、男の大剣が二刀ごと男を吹き飛ばした。大歓声が上がり、その中で本戦出場の切符を手に入れた男は一礼すると入場門へと戻っていった。無愛想というか、無骨というか。男らしい男である。使っている得物も大剣だし。


「フェイロナの正解だな」

「誰だって簡単に分かる事だ。お前も予想出来ていただろう、レンジ?」

「さてね。勝負は終わってみないと分からないもんだ」

「ふむ。それもそうだな」

『次が始まるぞ』


 その声と同時に、歓声が上がる。

 倒れていた出場者達を、職員が介抱しながら連れて行く。それと同時に次の組――フランシェスカ嬢達が入場してきたのだ。


「始まったぞ」

「ん、分かってる」


 串焼きを一気に口内に収めながら、ムルルの視線が場内へ向く。出場者達の数は七人。勝者は一名。選手の紹介が始まり、一番最初はフランシェスカ嬢だった。魔術で観戦している人達の頭の中に、声が届く。エルメンヒルデで慣れてはいるが、他人の声を頭の中で聞くのはどうにも変な気分だ。

 フランシェスカ嬢以外は王都や戦術都市の冒険者らしく、近接職の人間ばかりだ。ショートソードを持っているが魔術師であるフランシェスカ嬢なら、上手く立ち回れば勝ち残れるかもしれない。


「彼女は勝てるのですか?」

「もうすぐ分かるさ」


 ソルネアの声にそう答えると、出場者達がバラける。緊張しているのか、フランシェスカ嬢が深呼吸をしているが、戦い慣れた冒険者たちがその様を見逃すはずもない。厄介な魔術師、しかも相手は緊張しているとなれば真っ先に狙われるのが道理だろう。同じ戦場に立っていなくても、相手の心理がよく判る。

 同じくらいに緊張しているムルルが、そんなフランシェスカ嬢を(まばた)きも忘れたように見ている。


『始まるぞ』

「ああ」


 そして、開始を告げるドラが鳴る。魔術を使っているわけでもないだろうに、その大きな音は闘技場全体に響いたような気がした。

 同時に出場者達が動き出す。近場の相手に襲いかかるかと思いきや、真っ先に狙われたのは案の定フランシェスカ嬢だ。まず一番近くに居たスキンヘッドの剣使いと、ドワーフの斧使いが正面から同時に襲い掛かる。出場者が共闘するとは思っていなかったのか、フランシェスカ嬢の反応が一拍遅れてしまうのも無理の無いことか。勝ち残り戦での共闘など、共通の敵が居なければ成り立たない。今日日、会っただけの連中にそんなものが居るはずもないのだ。

 しかし、フランシェスカ嬢も初めて会った頃から随分と経験を積んだ。驚いたのは一瞬で、右足で地面を軽く蹴るとスキンヘッドの男がつんのめって剥き出しの地面に顔面から倒れ込む。一緒にパーティを組んでいる俺達からしたら見慣れた落とし穴。造られたのは、目立たないほど浅い穴。爪先(つまさき)がかろうじて引っ掛かる程度でしかない穴である。両手で剣を構えていたので、受け身を取ることも出来なかったようだ。そんな隣人の行動に驚き、ドワーフの動きも一瞬止まる。次の瞬間には、動きが止まったドワーフは不可視の魔力弾――風の弾で吹き飛ばされた。顔面を(したた)かに打ち付けて悶えていたスキンヘッドは、そのまま鞘に収めたままのショートソードで腹を打ち据えられて地面を転がる。斬れる心配がないからか、思いっきり殴りつけていたので男は気絶してしまう。タフさが売りのドワーフがヨロヨロと立ち上がるが、そんな無防備な姿を晒した後ろから別の出場者が頭部を殴って気絶させる。相手はフランシェスカ嬢だけではない、隙を見せたらそれで終わりだ。

 これで残りは四人。フランシェスカ嬢が二人を相手にしている間に、更に一人が脱落していた。魔術師が一人に剣士が二人、もう一人は素手。格闘家か、暗器使いか。リーチの有利はフランシェスカ嬢にあるが、残り三人が油断してくれるということはないだろう。膠着状態のまま、十数秒。最初に動いたのは剣士の一人。短剣を二刀流のように使う男が素手の男へ向かう。脇を締めた素早い一撃。だが、それを最小限の動きだけで避けると、返しにその胴へ拳を叩き込む。革鎧の上からだが、その一撃は相当重かったようで武器を手から落とすと座り込んでしまう。


「残り三人」

「だな」


 ムルルの声に相槌を打つ。いい感じに潰し合ってくれていると思う。最初、二人同時に狙われた時はダメかと思ったが、上手く切り抜けてくれたことも大きい。選手紹介で学生だと気付かれているが、最初のそれで警戒させることが出来た。戦いの経験では、フランシェスカ嬢は残り二人には遠く及ばない。それでも三すくみの状態が成り立っているのは、最初の奇襲を凌げた事を残り二人が目にしているからだろう。それに、落とし穴には気付いていない。これは大きい。魔術の基本は炎や風の弾、岩や氷の矢である。この世界の人間が持つ魔術の概念に、落とし穴というのはあまりない。精々が、英雄である大魔導師、阿弥がそういう魔術を使っているという情報くらいか。一年経った今でも、その魔術を模倣する魔術師は居ないのではないだろうか。少なくとも、俺は聞いたことがない。ならあの落とし穴は、地味で目立たないが切り札に成り得るかもしれない。

 次に動いたのはフランシェスカ嬢と剣士の男。ロングソードと皮の盾を構えた男が素手の男へ向かう。フランシェスカ嬢も無詠唱で氷の玉を作り出し、それを素手の男へ放つ事で剣士の男を援護する。しかし、動体視力が良いのか、経験値が高いのか。横薙ぎに払われたロングソードの一閃と拳大の氷の玉を器用に避ける。避けて、カウンター気味に剣士の男へ殴りかかろうとして先ほどの男と同じようにつんのめってしまう。倒れる無様は晒さなかったが、明らかな隙を見逃してもらえるはずもない。距離が近かったからか剣を振る事が出来ず、皮の盾を使って殴ることで気絶させる。

 これで一対一。間を開けず、フランシェスカ嬢へ向かって距離を詰める男。迷いのないその行動は、魔術師との戦い方を知っている事を教えてくれる。魔術師は砲台だ。遠距離から大威力の魔術で敵を倒すというのが、この世界における一般的な魔術師のイメージだろう。そんな魔術師を好き勝手に動かせないようにするには接近戦を挑んで集中させないことだ。魔術は、集中して想像を高めることで発動する。逆に言えば、集中さえさせなければ魔術を封じることが出来る。それが分かっているのだ。

 ここで普通の魔術師なら距離を開けようと後ろに下がるだろう。しかし、フランシェスカ嬢はショートソードを鞘から抜いて相対した。その四肢を包む淡い光は魔力か。身体能力の強化。初めて使っている所を見る魔術で、そんな隠し球があったのかと軽く驚いてしまう。


「それでいい」


 フェイロナの声が耳に届く。彼女に剣の扱い方を教えたのはフェイロナだ。ロングソードをショートソードで逸し、受け、辿々しく感じるが、なんとか捌いていく。その際、倒れている他の参加者に足を取られないように気を配る余裕もあるように感じる。剣の使い方、戦場での体の動かし方。移動する際も、注意しなければならないことを、よく覚えている。頭ではなく、身体がちゃんと反応している。よく鍛え、教え込んだものだ。

 そして、剣だけではなくフランシェスカ嬢には魔術もある。相手の攻撃に慣れてきたのか、それとも攻め手に焦りが生まれたのか。攻撃が大振りになってくる。盾があるので攻め切れないようだが、受け捌く分には余裕が生まれてきたようだ。ロングソードの一撃を、危なげなく避けることも出来るようになってきた。


蜥蜴男(リザードマン)に比べれば、動きが遅い」

「そりゃそうだ」


 王都周辺に湧く魔物の名前を口にするムルルに同意する。魔物の方が体力も腕力も持久力も、何もかもが人間より上だ。比べるのもどうかしてるだろう。

 確かに、同じ人型で人間よりも上位の敵を相手にできるなら、一対一でのフランシェスカ嬢の動きも納得できる。魔術師と剣士。後衛職と前衛職。だというのに、互角以上に打ち合っている。知らないうちに、新人冒険者だったフランシェスカ嬢も一端の冒険者へと成長していたのか。

 そこから更に数合の打ち合い、その頃には相手に疲れが見え始める。対して、フランシェスカ嬢には油断も慢心も無い。身を包む魔力にも揺らぎはなく、まだまだ魔力に余裕が有る事を教えてくれる。最後には、大振りの一撃に合わせて足元に小さな落とし穴を造り、足首までが地面に埋まる。体勢を崩した一撃は地面を抉り、隙だらけの横っ面をショートソードの柄で殴りつけた。あれは痛いな、うん。相手はもんどり打って地面に転がり、そのまま小さく痙攣するだけになってしまった。横っ面を殴ったはずなのだが、地面を転がった際にぶつけたのだろうか。流れ出る鼻血が痛々しい。


「ふぅ」

「はぁ」


 知らず知らずのうちに緊張していたようで、深く息を吐くと隣からも同じように息を吐く気配。顔を向けると、ムルルと視線が重なった。

 それと同時に、またもや頭の中に声が響く。エルメンヒルでのものではない声が、勝者であるフランシェスカ嬢の名前を告げる。


「勝った」

「だな。お祝いしないといけないな」

「うん」


 珍しく満面の笑みを浮かべるムルルに笑みを返す。その表情に、胸の奥が暖かくなってくる。

 フェイロナも、あまり表情に変化はないが喜んでいるようだ。普段よりも口角が上向きになっていることに、本人は気付いているのだろうか?

 そんな俺の視線に気付いたようで、さりげない仕草で口元を隠すエルフの美丈夫。いつもからかわれるので、後で目一杯からかってやろう。絶対に。


「勝ちましたね」


 ただ、ソルネアだけは普段通り……といえるほど長く一緒の時間を過ごしたわけではないが、いつも通りの平坦な声でそう告げた。

 もう一度、視線をフランシェスカ嬢へ向ける。おそらく、この結果に一番驚いているのは彼女だろう。勝者として告げられたのに、ただただ驚いたようにショートソードを握る自分の手を眺めている。

 どんな表情なのだろうか。どんな気持ちなのだろうか。

 ふと気になったが、後でお祝いの時に聞いてみよう。係員に声を掛けられ退場するまで、彼女は固まったままだった。


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