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第四話 集結3

 宇多野さんから用事があるからと、半ば追い出されるような形で部屋を出る。温まった空気で満たされた部屋から出ると、余計に廊下の冷たい空気を感じてしまい両手をすり合わせるようにして暖を取る。

 部屋から追い出される時の宇多野さんの表情を思い出す。いつもより三割ほど冷たい視線だったような気がする。そんなにソルネアのことが気になるのか。宇多野さんが心配するようなことはなにもないんだが。どちらかというと、怪しさ満点で女性としての魅力を感じるより、命のほうの危険を感じるような気がするのだが。

 溜息を吐き、宇多野さんのご機嫌取りの方法を考えながら修練場へと足を向ける。折角なので宗一達の顔も見ておきたいし、そろそろオブライエンさんにも挨拶をするべきだろう。騎士団の仕事が忙しかったり、俺がギルドの仕事をしていたりと、なんだかんだでまだ顔を見せていない。流石にそろそろ顔を見せないと、怒られるというか雷が落ちかねない。もうすぐ(よわい)五十のご老体だが、まだまだ現役。怒らせてはどうなるか分かったものではない。

 修練場へ顔を出すと、九季が驚いた顔をしてこちらへと歩いてきた。傍に居た阿弥も、九季と一緒に歩いてくる。

 阿弥の顔を見ると先ほどの宇多野さんとの会話……ソルネアの件が頭を(よぎ)り、一瞬どう声をかけるべきか悩んでしまった。その一瞬をどう感じたのか、そのまま直ぐ側まで歩いてきて俺を見上げるようにして来る阿弥。サイドポニーに纏めた髪が、阿弥という少女を現しているように元気に揺れている。


「どうかしたんですか?」

「ん?」

「いえ、少し困ってるような感じでしたから」


 困っている。うーん。困っているといえるのだろうか?

 ソルネアの事を根掘り葉掘り聞かれ、どういう関係なのかと聞かれたことを思い出す。関係も何も、今日会ったばかりなのだが。むしろ、会ったと称するのも少し間違っているのかもしれない。どちらかと言えば、保護したとかのほうが正しいのかもしれない。

 ふとそんな事を考えながら、心配してくれた阿弥に笑顔を返してお礼を言っておく。すると、少しだけ頬を染めながらはにかんだ笑顔を浮かべてくれた。やはり、阿弥の純粋さには癒やされる。


「それで、何かあったのですか?」

「おう、九季。聞いてくれよ」

「……うわぁ。聞きたくない」


 阿弥の笑顔に癒やされながら九季にそう声を掛けると、露骨に嫌そうな顔をされた。チクショウ、薄情な奴め。

 昔は、色々と相談したい事が出来た時は笑顔で相談に乗ってくれたというのに。やはりアレか。姫様との逢瀬で心に余裕が生まれた男は、一回りくらいは成長したということだろうか。妬ましい。さっさと結婚すればいいのに。その時は、一晩中()ってやる。


「人助けをしたら、宇多野さんのご機嫌を損ねてしまったんだ」

「謝ればいいと思いますよ」

「……」

「どうせ、また女の人でしょ?」


 考えた間など何もない、俺が悪いと言わんばかりの言い方である。いやまぁ、前科があるのでしょうがないとも思うが。

 人助けをするには、力が必要だ。それは戦う力であったり、金の力であったり、名声のようなものであったり。助けるには、何かしらの力が必要になるのだ。昔の俺はそのどれもが不足していたのに、それでも助けたいと思ったもの全部に手を伸ばしてしまっていた。その結果、何度も宇多野さんのご機嫌を損ねてしまった経験がある。まぁ、その一因が女性関係だったことも否定はできないが。

 俺も男だ。困っている女性は助けたいものだ。そのほうがやる気も出る。それが美女美少女なら尚更(なおさら)だ。いやちゃんと、男も助けたが。それでも、宇多野さんの中で俺は「女誑し(おんなたらし)」という位置にあるのかもしれない。なんとも不本意だが。


「……お前は俺を、どう思っているんだ?」


 なんだよ、どうせって。また、って。俺が女の人ばかりを助けているように聞こえてしまう言い方である。実際はそんな事はなく、ちゃんと老若男女、助けられる人には誰だって助けてきたつもりだ。失礼なやつである。そうやって九季と話していると、右腕の服の袖が小さな力で引っ張られた。阿弥である。

 その阿弥は、先ほどの笑顔とは打って変わって、少し困ったような顔で俺を見上げている。


『どうした、アヤ?』

「あ、えっと……」


 おそらく、俺が助けた相手がどういう人間なのか気になっているのだろう。その事を聞きたいが、聞くのが恥ずかしいと思ってしまっているのかもしれない。その反応が可愛らしくて、もう(しばら)く見ていたいと思ってしまう俺は性格が悪いと思う。


『あまりアヤを困らせるな、レンジ』

「そんなつもりはないんだがね。聞いてくれば、ちゃんと答えるとも」

「う……」

『その辺りが困らせていると言ってるんだ、まったく』


 エルメンヒルデの言葉に詰まった声を上げる阿弥を見ながらカカと笑うと、エルメンヒルデから呆れられてしまう。そんな俺達の遣り取りを見て、九季も苦笑を浮かべている。阿弥も落ち着いたのか、深呼吸をするとその表情から陰りが消えた。ちょうどその時、爆発音と共に修練場に居た兵士たちから歓声が上がる。修練場に居るメンツと先ほどの音から考えるに、おそらく真咲ちゃんの炎の魔剣。その能力の一つだろう。

 相手が並の相手なら心配もするが、宗一なら上手くいなしているはずだ。他の二人も同じ考えなのか、九季も阿弥も別段慌てた様子はない。そのまま、二人を伴って兵士が作っている輪へと加わる。

 突然現れた俺に驚いたのか、兵士の輪が割れて道が出来る。その際に周囲からの視線を集めてしまい、居心地悪さに頭を掻いて一瞬尻込みしてしまった。九季と阿弥は慣れたもので、兵士が退いてくれた道をすいすい進んでいく。そんな二人の後ろをついていくと、修練場の中央で宗一と真咲ちゃんが斬り合っていた。その手には蒼い聖剣と緋色の魔剣。この場合は、魔刀か妖刀になるのだろうか。

 弥生ちゃんと工藤は、そんな二人を少し離れた位置から眺めながら話をしている。相変わらず、弥生ちゃんの笑顔が少し怖い。とまぁ、そんな二人は置いておいて、目で追うのがやっとのスピードで斬り結ぶ二人へと視線を向ける。

 甲高い音が響くたびに火花が散り、踏み込むための蹴り足で地面が弾ける。お互いの得物に蒼炎と紅炎を纏っていないことから、本気ではない事はすぐに分かる。お互いの力量を試している。そんな感じか。ただそれでも、その一閃は空気を裂き、修練場に敷き詰められた石畳を砕く。周囲の兵士達へ被害が及ばないように気をつけているのは確かだが、見ていて危なっかしい。工藤が何を言って煽ったのかは知らないが、今の二人にとっては互いの成長を見せ合うことしか頭に無いのだろう。よく目を凝らすと、互いに笑顔を浮かべながら死に至る斬撃を放っているのが分かる。お互いが死なないと思っているのではない、お互いがこの程度の攻撃は避けると判っているのだ。

 俺達は異邦人だ。別の世界から召喚され、女神の加護を受け、この世界の住人とは隔絶した異能を手に入れた。俺はその恩恵が他の連中より少ないが、それでも並の相手に負けるつもりはない。しかし、残りの十二人は違う。特に、目の前で人外の戦闘を見せている二人はそれが顕著だ。手を抜いているのに、それでもこの場に居る誰もが辿りつけないような高みで戦っている。こと接近戦となれば、あの二人には九季や阿弥でも勝ち目は薄い。拮抗した実力の相手が少ないのだ。だからこそ、あの二人にとってはこうやって剣を合わせるだけの訓練でも楽しいのだろう。剣戟の甲高い音だけではなく、炎の魔剣が生み出した爆発が鼓膜を震わせる。集中力が増してきたのか、剣戟の音を耳が拾えなくなってくる。一撃一撃が早過ぎるのだ。残像を残しそうな早さで斬り合いながら、声を上げそうな笑顔で戦っている。本当に、楽しそうに戦っているというのが分かる。

 しかしそれも、永遠には続かない。最初に俺へ気付いたのは真咲ちゃん。デタラメなスピードでの戦闘だというのに、目が合ったのを自覚できた。その一瞬、たしかに剣筋が鈍ってしまった。その一瞬を見逃すほど、宗一は甘くない。アイツは、性格は弱気だが相手の隙を絶対見逃さない。そして、その隙を確実に突いていける強さを持っている。相手を仕留めるべき瞬間を見極める嗅覚を持っている。その嗅覚に従い、宗一が神速の踏み込みをもって真咲ちゃんへ突撃する。迎え撃つは、その踏み込みに合わせて頭部を穿つ意思を宿した刺突。

 (まばた)きもできないような戦闘の結末は一瞬。刀の刺突を掻い潜って、蒼い聖剣の剣先が真咲ちゃんの喉元へ突きつけられていた。先ほどまで鼓膜を震わせていた剣戟の音が止み、冷たさすら感じる静寂が修練場を支配する。


「降参。私の負けね」

「よっし」


 漏れたのは、真咲ちゃんの降参の声と宗一の喜びの声。アレだけ動いていて、少しだけ呼吸を乱しているだけのようだ。その身体の動きには疲労を感じさせない。見入ったまま動けない兵士達が、ぼう、とその二人を見ている。これが英雄。世界を救った勇者。人々の希望と鳴った人間。その視線に宿るのは尊敬と憧憬、そして興奮。

 しばらくすると、周囲を囲んでいた兵士達が戦いの熱に中てられながら訓練へと戻っていく。勇者と魔剣使い。世界を救った英雄、魔神討伐の旅の最前線で剣を振り続けた二人の戦闘だ。あんな戦いを見せられたら、ヤル気が出るってもんだろう。


「よう」

「もう。良いところで顔なんか出さないでよ、山田さん」

「……俺が悪いのか?」

「折角盛り上がってたのに、気が逸れちゃったじゃない」

『気を逸らす方が悪いだろう。そこは』

「むぅ」


 可愛らしく頬を膨らませ、次の瞬間には元気一杯の笑顔を浮かべるのは久木(ひさき)真咲(まさき)ちゃん。女神に『運命を切り開く剣』を望んだ魔剣使い。実家は確か神社とかだったはずだが、お淑やかさは欠片もない。どちらかと言うと、姉御肌とかそんな感じだ。現に、宗一に負けたというのにあっけらかんと笑っている。内心ではリベンジの事を考えてるんだろうが。

 負けず嫌いで気が強い。昔は「私は巫女さんだー」とか何とか言っていたような気がするし、たしかに綺麗な黒髪なので巫女服は似合うかもしれない。中身はアレだが。宗一と嬉々として斬り合うような女の子だ。推して知るべし。具体的に言うと、行動的で真っ先に魔物の軍団のど真ん中に斬り込んでいく。多分、俺よりも男らしいのではないだろうか。


「あれ、蓮司兄ちゃん。いつの間に来てたの?」


 そして、今気付いたと驚いている宗一。どれだけ集中していたんだろうか。まぁ、それがコイツの強さなんだろうが。しかし、真咲ちゃんと並ぶと、宗一って一年前から身長が伸びていないのではないだろうかと思ってしまう。殆ど変わらないというか、真咲ちゃんよりも少し低い。顔も童顔で妹である弥生ちゃんに似ているということもある。女装でもさせたら面白いかもしれない。

 まぁ、そんな事をしたら俺が弥生ちゃんと真咲ちゃんにヤられる事になるだろうが。


「ついさっきな。今の、見てたぞ」

「うん、勝ったよ」

「くっ」


 そういって、手の平を上げてくる。その隣で真咲ちゃんが悔しそうな顔をしているが、ここで下手に突っ込んだら俺も巻き込まれると分かっているので気にしない事にする。どうせ後で、また再戦するだろうし。俺も宗一に応えるように右手を軽く上げると、パン、と音がする勢いでハイタッチをする。相変わらず手加減をしていないようで、合わせた手の平が地味に痛い。

 顔には出さなかったが、そんな俺の内心に気付いたのか工藤が肩を震わせて笑っていた。ちくしょう。アイツは、変な所で勘が鋭いのだ。

 そうやって笑う美貌のメイドを軽く睨みつけると、珍しく楽しそうな顔で歩み寄ってくる。いつものやる気を感じさせない顔ではないのは、宗一をからかって楽しんだからか。なんとも難儀な性格である。そんな工藤と一緒に、弥生ちゃんもこちらへ歩いてくる。阿弥も含めて三人の少女に囲まれると、悪い気はしない。両手に花である。工藤はアレだが。どういう人物か知っているというのも色々と問題が多い。顔は悪くないのだ。顔は。


「蓮司さん、お久しぶりです」

「弥生ちゃんもな。無事にまた会えて良かった」

「はい。阿弥ちゃんを守ってくれてありがとうございます」


 そう頭を下げられると、どうにも気恥ずかしい。むしろ守られたのは俺の方なのだが。しかしそれを言葉にするのも(はばか)られ、気を紛らわすように指で頬を掻く。

 俺の反応が面白いのか、手で口元を隠しながら弥生ちゃんが上品に笑う。別にお嬢様とかそういうのではないのだが、弥生ちゃんからは気品のようなものを感じてしまう。艶やかな黒髪に上品な対応。大和撫子とはこういうものか。この少女が『聖女』と呼ばれるのも、こういう魅力があるからか。まぁ、宗一が関わるとすぐに崩れてしまうのだが。


「燐さんの挑発にすぐ乗るんだから……心配したわよ、弥生」

「ごめんね、阿弥ちゃん」


 弥生ちゃんと話していると、阿弥も会話に加わってくる。全然悪びれておらず、むしろ毒気が抜けたように清々しい笑顔だ。まぁ、工藤が宗一に絡んでからかっていたと分かっているのだろう。そうと分かっているなら、最初から受け流せばいいのにとは思うが。それでも反応してしまうから「恋は盲目」と言われるのだろうか。

 笑顔で話す子供達を見ていると、どうにも自分が年を取ったように感じてしまう。俺としては見慣れた光景。三年前にこの世界へ召喚されてから一緒に行動していた仲間達との会話。なんとも懐かしいと感じるのは、俺がこの一年距離を置いていたからか。ふとそんな事を考えながら、ポケットからエルメンヒルデを取り出して指でその(ふち)を撫でる。召喚された当初は命の遣り取りなんて考えず、修練場で笑いながら剣を合わせていたんだが。なんとも懐かしい記憶である。


『どうした?』

「いや、なんにも」


 少しばかりその事に寂しさを感じてしまう。エルメンヒルデの心配するような声に軽口を返す余裕もない。なんともままならないものだ。俺はこいつらよりもエルメンヒルデを選び、距離を置いたというのに。結局はここへ戻ってきてしまっている。それを悪い事とは思わないし、正直楽しいとすら思っている。フランシェスカ嬢たちとの冒険も楽しいが、こうやって気心の知れた仲間達と一緒に居るのは正直心地良い。なにより、結局俺の帰ってくる場所はここなんだと思い知らされるのは、存外悪い気分ではない


「おい九季。オブライエンさんを知らないか?」

「団長ですか?」

「そろそろ挨拶をしておかないとな」

「そうですね。タイミングが合わなかったのもあるんでしょうけど、会いたがってましたよ?」

「……それはそれで、色々と怖いんだがな」


 俺がそう言うと、九季が楽しそうに肩を震わせる。異世界補正の恩恵をあまり受けていない俺は、オブライエンさんからの指導を他の皆より受けている。そのことを思い出して笑っているのだろう。ちくしょう。


「でも、今日も難しいと思いますよ」

「うん?」

「何やら忙しいそうですよ。宗一くんが魔族を連れてきたからでしょうか?」


 ああ、と相槌を打つ。そういう事か。宇多野さんも忙しいと言っていたのを思い出し、頭を掻く。気を使わせてしまったのだろう。あの人は、目付きは怖いが誰よりも優しいのだ。そんな事を言おうものなら、多分埋められるだろうが。

 九季の言葉を聞くと、修練場で楽しそうに宗一を取り合っている弥生ちゃん達に気付かれないように歩き出す。しかし、修練場を出ようとした所で阿弥に見つかってしまう。


「私も一緒に」

「あー、うん。いや、一人で行くよ」

「……ダメですか?」

「ダメ」


 そうシュンとされても、これから行くところへは連れていけない。そんな事をしたら、本気で宇多野さんを怒らせてしまうだろう。阿弥もこれから俺がどこに行くか分かっているからか、強くは言ってこない。これから先の事を一度も見せてはいないが、きっと何をしているか薄々勘付いているのだろう。それか、もう気付いているのか。

 阿弥だってもう子供じゃない。そして、宗一達も。いつかは人間の黒い部分も見せないといけないんだろうが、今はまだただの十八歳の子供として過ごしてほしい。そう思うのはきっと、俺達の勝手な自己満足なんだろう。


「今晩は空いてるか?」

「え? え、っと」

「一緒に飯でも食いに行くか?」


 しかし、落ち込ませてしまったからと、こうやって声を掛けてしまうのはどうなのだろうか。我ながら、甘いと思う。こんな事だから、阿弥や宇多野さんの間をフラフラしてしまうのだろう。未だに、一年前の事を吹っ切れているわけでもない。微温湯(ぬるまゆ)のような彼女達の優しさに甘えてしまっている。

 先ほどの落ち込み顔から一転して、笑顔を浮かべてくれる。うん、やっぱりそっちの方が良い。ふと視線を感じると、宗一と工藤がこちらを見て笑っていた。まったく、何を勘違いしているんだか。


「藤堂の所にも顔を出さないといけないしな。一緒にどうだ?」

「是非っ」

「そうか。それじゃ、日が落ちる前に迎えに行くよ」


 そう言って、修練場を後にする。阿弥は宗一達からからかわれるんだろうな、と考えると気分が軽くなる。これから向かう場所は気分が滅入る場所なので、少しでもテンションを上げておきたい。ご褒美に阿弥のような美少女と一緒に食事ができるのだ、頑張ろうと気合を入れる。


『上手く言うものだな』

「別に、他意は無いさ。落ち込ませたかった訳じゃないからな」


 エルメンヒルデの声音に、僅かばかりの苛立ちを感じたのは気の所為だろうか。それは、阿弥を子供扱いした俺に苛立っているのか、それとも食事に誘ったからか。

 向かう場所は地下である。地下というだけで寒くて薄気味悪く感じてしまうのは、この世界の地下に良い思い出が何一つ無いからだろう。不死者(アンデッド)と戦ったり、軟体生命体(スライム)に襲われたり、下水で汚物(まみ)れになったり、生き埋めになりそうになったり。思い出すだけで、生きているのは素晴らしいと思えるようになる経験ばかりだ。


『ああ言ってるのだから、アヤも一緒に行けばいいだろうに』

「地下は寒いからな。風邪でもひかれたら、宇多野さんから怒られる」

『心にも無い事を……子供扱いされるのが、一番辛いと思うのだがな』


 それは実経験からの言葉だろうか。エルメンヒルデの声は、どこか悲しげな憂いを帯びているように感じた。風邪云々も、一応本心なんだがね。エルメンヒルデの声に肩を竦めると、溜息を吐かれてしまう。


「それでもさ。大人にとっちゃ、子供はいつまでも子供なんだよ」


 アストラエラが、今のお前も大切だと言ったように。それでもお前を……。

 ――首を振って、その思考を頭の隅へと追いやる。それは、エルを失った時に、エルメンヒルデと出会った時に、彼女へ問わなければならなかった事だろう。だが、あの時は問う勇気が無かった。いや、女神や魔王の言葉を受け入れる事が出来なかった。そして一年経って、竜の王からも同じような事を言われてしまう体たらくだ。何も成長していない。何も進んでいない。

 だがそろそろ……前に進まないといけない頃なのか。王都に居ると、昔の俺を知っている人が傍に居ると、どうしてもそう考えてしまう。だらしない大人だな。本心から、そう思う。宗一達だって、この世界で一生懸命頑張っているというのに。


『どうした?』

「いや。牢屋なんて、子供を連れて行くところじゃないと思っていただけだ」



 魔神に蹂躙され、冬の寒さに身を震わせる。住んでいた家屋は焼かれ、家畜は死に、僅かな支援を頼りに生きるしかない。生きているだけでも幸運だ。子を亡くした、親を亡くしたという人も多い。隣人は互いに手を取り合い、助け合う。魔物の脅威は未だに続き、命の危険は常に隣にある。

 だからといって、この世界に犯罪が無いわけではない。窃盗、殺人、強姦等など、人間同士にも黒い部分はある。それはどうしようもないことだ。富める者が居れば貧しい者が居る、今よりも更に富もうとする者も居る。金を望む者、地位を望む者、権力を望む者。世界の真理である。そして、貧しさに負けないものも居れば、負けてしまう者も。

 石造りの廊下は寒かったが、地下に作られている犯罪者を捕らえておく牢屋は冷たくすら感じてしまう。冬用に新調した毛皮付きの外套(マント)の前を合わせながら歩いていると、牢屋の中にいる犯罪者達が鉄格子を音を出すように揺らす。ガチャガチャという音が(やかま)しい。光源は石壁に立て掛けられた弱々しいランプだけなので、なんとか俺の気を引こうとしている爛々と欲望に輝く瞳が薄ら寒くすら感じてしまう。牢屋の数は、二十を下らない。数えたことはないが、その半分以上に犯罪者達が入っているようだ。魔神が討伐されたとはいえ、世界が魔物達の脅威に晒されているのに同じ人間を傷付ける。そういう道を取らざるを得なかったという人も居るのだろうが、同情はできない。この人達も犠牲者なのだろうが、この人達の犠牲になった人も居るのだ。

 牢屋の中には寝袋代わりの薄い毛布が数枚と、トイレの代わりに使っているであろう薄汚れた壺。そして、一つの牢屋には五人から十人程度の犯罪者達が詰められている。それは人間であったり、ドワーフであったり、獣人であったり。人種は様々だ。エルフが見当たらないのは、彼らは魔術が使えるので魔術師用の牢屋へ入れられているからだろう。冬の寒さの厳しさを訴えられるがどうしようもない、自業自得だ。そう割り切る。世界を、人間を救っても、犯罪者は救わない。なんとも虚しい話だ。

 気が滅入る。やはり、阿弥を連れて来なくて正解だったと思う。こういう所に、あの子はまだ早いだろう。宗一達も一緒だ。


『相変わらず、辛気臭い場所だな』

「牢屋だからな」


 しょうがない。そういう場所なのだ。エルメンヒルデの声には、言外にさっさと帰りたいという意思が込められているような気がした。俺だって、用が無ければこんな場所には来たくない。

 そうやって犯罪者達の助けを求める声を無視しながら歩くと、最奥に一際頑丈な牢屋が見えてくる。数は五つ。他の鉄格子製の牢屋ではなく精霊銀(ミスリル)製。その格子には、細かな文字で呪文が刻まれている。俺には読めない、エルフたちが使う魔術文字だ。紡がれている魔術は『封印』。その中では、魔術を行使出来なくなる牢屋だ。魔術師のような魔術を使える犯罪者を捕らえておく場所。広さは大人が十人ほど入れられても余裕があるくらいか。

 その一つに、数人の人間が入っていることが分かる。近付くと向こうも俺に気づいたのか、兵士の一人が牢屋の鍵を開けてくれた。


「……山田君」

「さっきぶり、宇多野さん」


 そう声を掛けながら牢屋の中に入る。中に居たのは初老の騎士と、彼に従う鎧兜を身に纏った兵士が五人。そして宇多野さん。後は――ランプの光源ではよく判らなかったが、先日魔術都市で捕らえた魔族。こちらは両手を後手に縛られ、牢屋の床に転がされている。肌の所々から血が滲み、手当てもされていないのは拷問の後だろうか。視線で今の現状を確認し、この場で最も偉いであろう初老の騎士へと向き直る。


「ご無沙汰しております、オブライエン殿」

「そう簡単に頭を下げるものではない、レンジ殿」


 しかし、こう堅苦しい言葉遣いは俺達には似合わない。オブライエンさんもそう思ったのか、咳払いを一つして体を揺する。身に纏っている精霊銀製の全身鎧が高い音を鳴らした。俺より頭ひとつほど身長は低いが、鎧の下の筋肉は俺よりも豊かなはずだ。オブライエンさんが身に付けている全身鎧なんて、俺が装備したら動けなくなってしまう。

 イムネジア王国騎士団、第一騎士団長オブライエン・アルベリア。御年四十八歳でありながら第一線で剣を振るう現場主義者。国王からの信頼も厚く、兵士達からも慕われている。騎士団の中心と言える人である。ちなみに、俺に戦い方を教えてくれた師匠のような人でもある。この世界に召喚された当初は、英雄だなんだと関係無く、修練場で朝から夜まで滅多打ちにされたのも良い思い出だ。宗一達は異世界補正もあって最初から並の兵士以上に戦えたが、俺はそうじゃなかったのでよく気に掛けてもらったものだ。ちなみに夜からは、大図書館で深夜までこの世界の文字や歴史、魔物の生態に魔術の基礎を叩きこまれた。……よく頑張ったよな、俺。今思うと、なんてオーバーワークだと思う。まぁ、その御蔭で魔神討伐なんて危険極まりない旅を生き残れたし、今でも冒険者と食っていけているのだが。


「お前はもっと自分の立場を考えんか、救世主」

『まったくだ』

「いや、偉ぶって胸を張るなんて似合わないかと」

「偉ぶる必要など無い、そんなものがお前に似合うなどと誰も思わんよ。だが、胸を張るのは必要だ。どれだけ逃げようが、お前は英雄の一人なのだからな」


 逃げる、という言葉に口元が引き攣ったような気がする。実際その通りなのだが、ファフニィルといい、俺の周りの年上は相変わらず俺に優しくない。いやまぁ、優しくされても困るのだが。

 その言葉に反論することが出来ず、視線を反らすと床に転がされている魔族へ視線を向ける。その表情は一瞬の驚きから、憎悪を纏ったソレへと変わる。


「一応、こっちはただの冒険者で、オブライエンさんは第一騎士団の騎士団長ですから。俺よりも肩書は上じゃないですか」

「ただの老いぼれた騎士と世界を救った英雄では、お前の方が肩書は上であろうが。馬鹿者」


 俺達の遣り取りに困惑したように狼狽(うろた)える兵士達が可哀想に思えてくる。取り敢えず、俺なんか気にしないで拷問の続きをしてほしい。いや、そんなのを見て楽しむ趣味なんて無いが。

 そんな俺をどう思ったのか、宇多野さんが歩み寄って俺の耳へ口を寄せてきた。


「どうして来たの?」

「魔神が関わるなら、俺だって当事者だからな」


 英雄の肩書からは逃ても、魔神からは逃げたくない。女神の使徒としてではなく、神を殺した英雄としてでもなく……この世界に召喚された一人の人間として。それは、彼女と歩んだ道だから。彼女が望んだ事だから。そして、叶えてあげたかった彼女の夢だから。


「ヤマダレンジッ」

「……またそれか」


 魔族の間じゃ、俺のフルネームを呼ぶのが流行ってるのだろうか。確かシェルファ……魔王のヤツも、俺をフルネームで呼んでいたような気がする。憎悪の籠もった視線を受け流しながら、数歩後ろへ下がる。そんな俺と入れ替わるように、オブライエンさんと兵士達が前に出る。これから先の事を思うと気分が悪くなるが、それでも向き合わなければならない。


「相変わらず、魔族からは良く思われていないのね」

「そりゃ、魔神を殺した張本人だからな」


 信仰する神を殺されたのだ、憎んでも憎み足りないはずだ。これが人間なら、女神を魔族に殺されるようなものだ。そんなこと誰も受け入れられないだろうし、認めたくもないだろう。だからその当事者に憎しみを向ける。殺し合ったとはいえ、誰かから憎まれるのにはあまり慣れないが。それでも、丁度良いとも思う。宇多野さんや宗一達ではなく俺に憎しみが向くのなら、と。

 宇多野さんからは呆れられ、オブライエンさんはあまり気にしていないように床に転がっている魔族を蹴りつける。人権などありはしない。人間や亜人、獣人達と魔族は憎しみ合い殺し合う関係なのだ。こうやって捕まればどうなるかなど、決まっている。

 俺達の世界だって、国家間で戦争をしていた頃は人道に反した事をやっていたのだ。それが人間や魔族のように種族が別れれば、憎しみを向けるのに何の枷もありはしない。女神が(うれ)うのも分かる気がする。いつかは誰もが手を取り合えるようになるのだろうか。


「それで、何か分かりましたか?」

「まったくだ。全然口を割りはしない」

『それもそうだろうな』


 エルメンヒルデの声に同意する。どうせ殺されるのだ。こちらに有利になる情報など口にしないだろう。

 懐柔するなんて方法は、やはり無理なんだろうか。宇多野さんへ目配せをすると、首を横に振られてしまう。そもそも、俺達が納得出来るだけの情報を持っているのかも怪しい。あれだけの魔物を操り、魔神の眷属すらも召喚した力量は確かなものだろうが、それでもその後がお粗末だ。この魔族は使い捨てなのだろう。もしくは単独犯。でなければ、宗一が王都へ運んでいる時に襲撃なり何なりがあってもおかしくない。

 オブライエンさんも、その辺りは分かっているはずだ。多分、ある程度の尋問をしたら、それで終わりのはずだ。


「ああ、それと」


 ふと思い付いて、ポケットから件の水晶の欠片を取り出す。ソルネアが眠っていた水晶の欠片だ。アレは色々と分からないことが多いから、丁度良い。石床へ這い蹲っている魔族の傍へ膝をつくと、その水晶を見せる。


「これに見覚えはあるか?」

「……なんだそれは?」

「ちょっとした物です」


 オブライエンさんの声を聞きながら、魔族の表情を観察する。それは憎しみに染まったもので、特に変化はない。


「ソルネアという名前は?」

「知らん。知っていても、誰がお前に教えるか」

「お前の口は信用しないさ。ま、感情が顔に出るから判りやすい」


 そう言って立ち上がる。

 ハズレか。水晶の欠片を指で弄びながら、彼女が何者なのか考える。情報なんて殆ど無いのだから、答えなんて出るはずはないのだが。そんな俺をどう思ったのか、宇多野さんが横目でこちらに視線を向けてくる。また何か勘繰っているのだろうか。



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