第十三話 再会3
「そう言えばさ」
修練場から出ると、右手の袖を引っ張っていたアナスタシアが口を開く。宙に浮いた人形のような妖精に手を引かれる二十八歳とは、周囲からどんな風に見えているのだろうか?
これが宗一みたいな美少年だったら絵になるんだろうが、俺だと……なんだろうか、自分でも想像できない。とりあえず、痛い男だろうとは思う。
「とりあえず、手を離してくれないか?」
「あ、ごめん」
そう言うと、なんでか少し照れた様子で手を離す見た目幼女。今のやりとりのどこに、照れる要素があったのだろうか?
対応に困る反応に気付かないフリをして、引っ張られていた右腕をプラプラと揺らす。二の腕が疲れたのだ。しかしその行動をどう思ったのか、次の瞬間には笑顔でアナスタシアが手の平をこちらに向けてくる。その小さくて可愛らしい手の平に、物騒な深緑色の魔力が集まっているのはどうしてだ。
「よく判らないが、冗談だ」
「その、よく判らないっていうのが余計に腹が立つんだけど」
「冗談だ」
「…………。はぁ」
据わった目が怖くて、両手を上げて降参のポーズをしながら言い直す。暫く間を置いた後に呆れたような溜息を吐かれてしまった。いや、今のは誰も判らないだろ。
なんだか判らない理不尽さを感じながら、部屋に向かって歩き出す。アナスタシアは、当然とばかりに右肩に乗ってくる。ここでまた重いと言ったら、先ほどの魔術が俺に向かって放たれるんだろうな。怪我をしない程度の絶妙な力加減が得意だからな、コイツ。
「それで、何を言い掛けたんだ?」
「え?」
「何か言い掛けてなかったか?」
そう聞くと、ああ、と握った右手で左の手の平を叩くアナスタシア。相変わらず、怒るとすぐに前の事を忘れてしまうヤツだ。
「ファフが言ってた約束って何?」
「ああ、エルとした約束か」
そういえば、アナスタシアは知らないのか。っていうか、知ってる人の方が少ないか。誰かと交わした約束なんて、誰彼に言うものでもないだろうし。一年前、エルが誰かに教えたとも思えない。
「内緒」
「……男がそんな事を言っても気持ち悪いだけなんだけど?」
「相変わらず口が悪いな、女王様」
「貴方にだけよ、レンジ」
「それは光栄な事で」
「はぁ」
アナスタシアの軽口に軽口で返すと、また溜息。
「溜息を吐くと、幸せが逃げるぞ?」
「それ、ユーコ達から教えてもらったわ」
「だったら溜息なんか吐くなよ」
「吐きたくもなるわよ、ったく」
そう言う割には、どこか楽しそうなアナスタシアだ。
「でもさ、ファフが知ってて私が知らないって酷くない?」
「ま、アレだ。イイ男ってのは秘密が多いものなんだよ」
「気色悪いなぁ」
「……お前のほうが酷いだろ、絶対」
泣くぞ。いい年した男が泣くぞ。ちくしょう。
そんな下らない会話を楽しみながら廊下を歩いていると、思ったよりも早く部屋に辿りつけた。部屋のドアを無造作に開けると中央に長身の黒鎧が突っ立っている。明るい色合いの調度品で整えられた部屋の中央に、俺が見上げなければならないほどの長身を持つ黒と蒼の騎士。その異様とも言える風景も、見慣れたものだ。
ドアを開けると同時に、悪魔の騎士を連想させる騎士兜がこちらを向く。しかし、その下にあるべき瞳――いや、頭部が無い。黒の全身鎧の下は伽藍とした空洞。それが亡霊の騎士、ナイト。この世界に未練を残し、成仏できなかった騎士達の霊が集まって生まれた不死の騎士。結衣ちゃんが最初に契約した魔物だ。
「お、居たか」
「……あ、蓮司さん」
その騎士に守られるようにして椅子に座っていた、黒鎧の騎士とは対照的な白い少女が小さな声を出す。白髮紅眼。俺達の世界の言葉を使うなら、色素欠乏症の少女。俺達と一緒に居世界に召喚された一人、緋勇結衣。
記憶の中の彼女よりも随分大人びた表情に、不思議と嬉しい気持ちが沸き上がってくるのを自覚する。なんだろうね。娘の成長を見た父親は、こんな感じなのだろうか。
「大きくなったなぁ。身長、伸びた?」
「は、はい。少し……ですけど」
「髪も伸ばして。大人っぽくなったな、結衣ちゃん」
そう言うと、顔を赤くして伏せてしまう。そんな結衣ちゃんの行動をどう思ったのか、黒鎧の騎士が前に立って結衣ちゃんの姿を隠した。ナイトの身長が高いので、本当にすっぽりと隠れてしまう。
小動物っぽいというかなんというか、そういう仕草がまた可愛い。ナイトに隠れてしまったのが勿体無いと思えてしまうほどに。今は確か、十六歳になったのか。俺達の中で一番年下だったから、一番成長が見て取れる。
身長が伸びて、身体付きも子供とはもう言えない。以前は簡単に切り揃えられていただけの髪も、今は両端を縛っておさげのような髪型だ。身長も、昔は俺の腰くらいしかなかったのに、今は多分、胸に届きそうなくらいまで伸びている。恥ずかしそうにする仕草にも、可愛らしさだけではなく、女の子らしさを感じるようになった。今みたいに上等な洋服を着ていると、貴族のお嬢ちゃんのように見えてくる。
立って話すのも何なので、テーブルを挟んで結衣ちゃんの正面の椅子に座る。昔は全体的に細くて、顔色が悪かったイメージがあるが、今は歳相応の少女のよう。あの頃は見慣れていなかったアルビノの白髮も、異世界生活が長い今では普通に綺麗な髪だと思える。ムルルやアストラエラのような銀髪の知り合いが居るというのも一因だろう。そんな結衣ちゃんを観察していると、右肩に乗っていたアナスタシアがまた俺の頭を叩いた。そのまま飛び上がり、眼前に指を突き立ててくる。女王なのに行儀が悪い。
「いや、今のは意味が判らない」
「女の子をジロジロ見るなんて、変態じゃない?」
「ジロジロなんて見てないだろ。結衣ちゃんが大きくなってたから嬉しいんだよ」
「そういう視線が変態っぽいのよ。特にレンジは」
そのまま言い争いになろうとすると、黒鎧の騎士が無言で威圧してきた。身長があるし、亡霊という特性からか妙な威圧感も感じてしまう。というか、鎧の関節部から魔力が蒼炎のように吹き上がり少し怖い。
燃え移らないというのは知っているが、目の前で燃えられると人間としては怖いのだ。それはアナスタシアも同じだったようで、言い争おうと開いていた口を閉じてしまう。
「あの。喧嘩は、その……」
「いやいや、喧嘩じゃないから。これはその、アレよ。ねえ、レンジ?」
「じゃれ合いみたいなもんだよ、結衣ちゃん。だからナイトを引っ込めてくれ」
蒼炎の魔力が溢れてるって事は戦闘状態って事だ。本気ではないだろうが、その威圧感は凄まじい物がある。傍にいるだけで寿命が縮みそうというか。
騎士の亡霊だからか、こいつの戦技は人間離れしたものがある。異世界補正で強化された宗一達と互角か、それ以上なのだ。勿論俺は、一対一では絶対に勝てない自信がある。アナスタシアと組んでも、今の状況ではアナスタシアが魔術を使う前に潰されて、その後俺は美味しく料理される事だろう。まぁ、脅しだけで本気ではないだろうが。
「ぁ、ナイトさん。もう大丈夫です」
結衣ちゃんがそう言うと、控えるように一歩下がるナイト。先ほどまで感じていた威圧感も霧散し、関節部からあふれていた蒼炎の魔力も消えてしまう。忠臣だなぁ、と。相変わらずのナイトに、口元が緩む。本当に変わらない。その事が嬉しいのか懐かしいのか。自分でもよく判らない。
「ふぅ、怖かった」
「ご、ごめんなさい……アナ」
「いいのいいの。レンジをからかいすぎた私も悪いんだから。ユイは悪くないわ」
結衣ちゃんの傍へ飛んで行くアナスタシア。そのまま、そこが定位置と言わんばかりにナイトの肩に座る。その、見慣れた白と黒のコントラストが美しい。
「いやぁ、久し振りに会ったから。少しはしゃぎ過ぎちゃったわ」
「ふふ。アナ、蓮司さんと会えなくて寂しがってたものね」
「まさか。どこかで野垂れ死んでないか思ってただけよ。心配なんかするわけ無いじゃない、この私が。レンジなんかを。本当よ?」
そこで俺に同意を求められても困るんだが。とりあえず、頬を掻いて視線を逸らす。
「え、いや。何その反応!?」
照れたみたいな反応をしたら、お前も照れるかなぁ、と。内心で俺の思い通りの反応をするアナスタシアを楽しみながら、無言のままでいる。案の定というか、慌てて何か意味のない言い訳をし始めるアナスタシア。そもそも、言い訳をするような状況でもないだろうに。
そんなアナスタシアを見守る結衣ちゃんの温かい視線が、なんとも微笑ましい。相変わらず面白いなぁ、アナスタシアは。
「アナスタシア」
出来るだけ神妙な声で、アナスタシアを呼ぶ。そうすると、凄い勢いで訳が判らない言い訳をしていたアナスタシアが一瞬で黙ってしまった。
「いや、このくらいで照れないから。子供じゃあるまいし」
次の瞬間、俺に向けられた手の平をナイトが目で追うのもやっとの早さで掴んだ。結衣ちゃんの視線が、温かい眼差しから心配するものへと変わる。というか、突然の事にオロオロし始めてしまう。
「離して、ナイト。大丈夫、殺したりしないから」
「笑顔で物騒なことを言わないでくれるか、女王様」
「鞭で殴ってあげようかしら、唐変木さん?」
「は、離しちゃダメだよ、ナイトさん。アナも、蓮司さんの性格をそろそろ覚えないと……」
アナスタシアはナイトが抑えてくれているので、こっちはいくらか余裕がある。しかし、なんだろう。他の誰に言われるよりも、結衣ちゃんにそういう事を言われると一番ダメージが大きいんだけど。寝たきりから起きた後という事もあり、足元が覚束なくなってしまう。
そんな俺を見て、更にオロオロしてしまう結衣ちゃん。その仕草が可愛い。こういうのって、親バカみたいな感情なんだろうか。
「そんな事より、結衣ちゃん」
「そんな事!? 乙女の純情がそんな事!?」
誰が乙女だ。俺より年上だろうに。
「蓮司さんも、アナをあんまりからかわないで」
「反応が面白くて、つい」
いやまぁ、妖精って女性ばっかりだったからまだ乙女なんだろうか?
そんな下世話な事を考えていたら、アナスタシアが顔を真っ赤にして暴れていた。よく判っていない結衣ちゃんの表情に、なんだか罪悪感を感じてしまう。このネタは、結衣ちゃんや阿弥の前では止めておこうと思う。
「すまんすまん。後でなんでも言うことを聞くから、許してくれ」
「なに軽い調子で言ってるの、許すかバカッ」
「いいのか?」
「え?」
「何でも言う事を聞くんだぞ? なんでも、だ」
「……ぅ」
まぁ、アナスタシアなら……結衣ちゃんと一緒の時なら、そう無茶な事は言ってこないだろう。多分。とりあえず、この話題になったら結衣ちゃんの所へ避難しよう。それでも変なことを要求されたら……まぁ、その時はその時だ。あとで考えよう。
ようやく静かになったアナスタシアに、胸を撫で下ろす。まぁ、悪いのは完全に俺だが。からかうと面白い反応をするアナスタシアも一割くらいは悪いと思う。
「なんだか、すごく元気ですね。蓮司さん」
「いつまでも寝てられないしな」
そう言うと、口元を隠して笑われてしまう。一年前より伸びた白いおさげ髪が胸元で揺れる。昔よりも伸びた身長が、それだけの時間の流れを教えてくれる。
「結衣ちゃんも元気そうで良かったよ」
「はい」
「ナイトも、結衣ちゃんを守ってくれてありがとな」
そう言うと、無言で頷く黒鎧の騎士。鎧と兜が擦れ合ってカチ、と乾いた音がする。喋れないから行動で気持ちを示すその姿は、やっぱり格好良い。そう判っていても、俺は追い詰められると喋ってしまう性格なのでナイトのようにはなれない。いつかは、背中で語れるような男になりたいとは思うが。まぁ、俺には似合わないだろう。格好つけるなと笑われるのがオチか。
「ところで結衣ちゃん、エルメンヒルデがどこに居るか知らないか?」
「エルさん、ですか?」
「ああ、宇多野さんも阿弥も教えてくれないんだ。勿論、アナスタシアも」
「勿論って何よ……もぅ」
またなにか頬を膨らませているアナスタシアを無視して、結衣ちゃんに視線を向ける。だが、ユイちゃんもエルメンヒルデの事を知らないようで首を横に振る。ナイトにも視線を向けるが、こちらも無言で首を横に振っていた。ちょっとシュールだ。
「ま、諦めなさい。夜、ユーコにお呼ばれしてるんでしょ? そこで教えてもらえるわよ」
「だろうな。ま、運動ついでに探してただけだしな」
そこまで言うと、ふあ、と欠伸が出てしまう。
「寝たきりだったのにいきなり動くから……少し寝たら?」
「そうするよ。そろそろ、体力切れだ」
「だ……だいじょうぶ、ですか?」
その驚きと心配が混じった声が心地良い。
「そうやって心配してくれるのは、結衣ちゃんだけだよ」
「……あ?」
「だってお前、俺の事は心配してなかったんだろ?」
「ぐ……」
さっきの事を話題に出すと、女の子が出すのはどうかと思う声で呻くアナスタシア。女王がこれでいいのか、妖精は。
そうやってアナスタシアをからかっていると、結衣ちゃんが肩を震わせて笑う。
「結衣ちゃんは、暫くは王都に?」
「はい。武闘大会も近いですから」
「……ああ」
そういえば、もうそんな時期なのか、と。この世界は九ヶ月周期で一年なのだが、毎年八の月――地球で言うなら冬の初め頃に行われるこのイムネジア大陸最大の祭り。祭りというか、オリンピックみたいなものか。内容は物騒だが。剣や槍のような武器や魔術を使ったトーナメント大会。
あまり良い思い出がないので、微妙にぶっきらぼうな返事をしてしまう。
「宗一お兄ちゃん達も出るみたいですから」
「そういえば、なんか聞いたことがあるような、無いような……」
しかし、宗一が出るのか。俺達がこの世界に召喚された最初の年は宗一と真咲ちゃんが男子の部と女子の部で優勝したんだったか。なんとも懐かしいもんだ。あれからもう二年以上経つのか。
「蓮司さんも出るんですか?」
「さて、そんな話は来てないな」
「出るでしょ。というか、お爺さんかユーコが出すんじゃない?」
「妙に現実的なことを言うな……縁起でもない」
アナスタシアが言うお爺さん――オブライエンさんなら、俺を出そうとするだろう。というか、出すだろう。俺もあの人には返しきれないほどの恩があるので、出ろと言われれば……うん。
ああ、嫌だ。目立ちたくなんか無いのに。まぁ、宗一が出るなら俺はその影に隠れてしまうだろうけど。一年も姿を消していた男と、勇者として名を馳せる美男子。どちらに注目が集まるのかと聞かれれば、誰だって後者だと答えるはずだ。
とりあえず、まだそんな話は聞いてないので深く気にしないようにする。気にしすぎても、良い事は無い。
「それじゃ。そろそろ私達はお暇しましょうか、ユイ」
「う、うん……えっと、また、ね?」
アナスタシアがそう言うと、結衣ちゃんがおずおずといった感じでそう言ってくる。
「ああ。俺も暫くは王都に居るから。今度、どこかに遊びに行かないか?」
「はい。楽しみに、待ってます」
その笑顔が眩しく思えてしまう。本当に成長したと実感させられる。昔はもっと暗くて、こうやって誘っても遠慮ばかりしていた気がする。
だから、その成長が嬉しくて俺も自然と胸の奥が暖かくなった。トコトコと歩いてドアを開けると、最後に振り返って手を振りながら出て行く結衣ちゃん。十六歳という年齢からしたら随分幼い感じがするが、それはそれで可愛いのだ。
最後に、アナスタシアを肩に乗せたナイトが僅かに屈みながら部屋を出て行く。身長が二メートル以上あるのだからしょうがないのだろうが、少し笑えてしまう。
「さて」
そんな結衣ちゃん達を見送って、俺もベッドへ横になる。すぐに眠気を感じて、瞼を閉じる。意識が沈む。
目を閉じながら、少しだけ昔のことを思い出した。そういえば、昔は俺の事を『お兄ちゃん』と呼んでくれてたんだよな、と。もう呼んでくれないのかなと思うと、なんとも複雑な気持ちになってしまう。結衣ちゃんの成長は嬉しいが、月日が経つのは少し悲しい気分になる。そんな事を考えながら、思考が徐々に止まっていく。
最後に、ファフニィルの言葉だけが残った。
『何故、エルメンヒルデに拘る』
それは一年前、アストラエラとシェルファからも言われた言葉。
ドラゴン、女神、魔王。どうして人を超越した連中は、俺の内面にズカズカと入り込んでくるのか。暇人どもめ。
……ただ、その言葉の意味も判るのだ。エルメンヒルデ。エル。俺が守れなかったもの。守りたかったもの。
眠りに落ちる。今は、夢を見たくない。そう願いながら。




