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第十二話 再会2

 遅めの昼飯を食い終わると、特に何をするでもなく椅子の背凭(せもた)れに体を預ける。

 天井を仰ぎ見るが、そこに何かあるわけでもない。さて、これからどうするか。


「それじゃ、食器を片付けてくるわ」


 そう言って立ち上がった宇多野さんへ視線を向ける。そこにはいつも通り、俺のよく知る真面目な顔の宇多野さん。


「片付けくらい……」

「怪我人は休んでなさい。どうせ、後でその分は働いてもらうんだから」


 それはそれで嫌なんだがな。宇多野さんからの仕事ってのは、面倒そうというか厄介そうというか。そんな俺の内心に気付いたのか、隣に座っていた阿弥が口元を隠して肩を震わせている。


「嫌な予感しかしないんだけど?」

「失礼ね。私がそんな、山田君を苛めるような仕事を回すと思う?」


 思う。……そう言ったら、どうなるだろうか?

 ふとそんな事を考えながら、宇多野さんから視線を逸らす。向けられた視線が冷たくなったような気がしたが、気にしないようにする。気にしたら、余計にズルズルと深みに(はま)りそうな気がするのだ。


「私も手伝いますね」


 そんな俺に助け舟を出すように、阿弥も立ち上がって空になった皿をトレイへ乗せていく。そんな阿弥へ宇多野さんの視線が向く。

 内心で胸を撫で下ろすと、また俺に宇多野さんの視線が向いた。慌てて背筋を伸ばしてしまう。


「それでは、蓮司さん。ゆっくり休んでいてくださいね」

「ああ――」

「私が見張ってるから大丈夫よ」


 阿弥の言葉に返事をしようとしたら、耳元からアナスタシアが返事をする。宇多野さんの傍から、また俺の肩へ戻ってきていた。


「……重い」

「あ?」


 妖精とはいえ、女の子がそんな声を出すのはどうかと思う。アナスタシアが耳元で、滅茶苦茶低い声を出す。初めて聞くわけではないが、割と本気で怒った時の声だ。


「いや、アナスタシアと一緒に居られて嬉しいなあ、と」

「そうでしょそうでしょ。泣いて感謝しなさい、レンジ」

「ふふ」


 そう吹き出したのは宇多野さんか、阿弥か。だが、耳元のアナスタシアの雰囲気は変わらない。声音は元に戻っているが、多分怒ってる。というか、絶対怒ってる。やはり、女性――女性というには少し精神的に幼いか。女の子に体重の話題は駄目だったか。冗談だったのに。そんな言い訳は通用しそうにないようだ。


「アナスタシア。山田君と仲良くね?」

「もちろん。怪我人に鞭打つ趣味はないから安心しなさい」

「怪我をしてなかったら鞭を打たれていたのか」

「それか、窓から吊るしてあげたかもね」


 どっちにしても怖いわ。人間にすることじゃないだろ。死ぬぞ。


「そんな事より、宇多野さん」

「そんな事? ほー……」

「宇多野さん、コイツも連れて行ってくれ。なんか本気で怖い」

「大丈夫よ。怖くない怖くない」


 そんな、ペットに言い聞かせるような声音で言われると余計に怖いわ、馬鹿。


「仲良いわね、相変わらず」

「え、どこが?」 


 そう聞き返すと、笑顔を浮かべている宇多野さんと溜息を吐いている阿弥。アナスタシアからは、無言で耳を引っ張られた。痛くはないが擽ったいのでやめてほしい。俺が身動(みじろ)ぎをすると、面白がって耳を掴む手に力を籠めてくる。


「喧嘩をして、部屋を壊さないようにして下さいね?」

「安心しろ。阿弥と幸太郎の二の舞いにはならないから」

「……まだ覚えてたんですか?」


 一瞬驚き、次の瞬間には恥ずかしそうに顔を伏せてしまう阿弥。以前、旅の途中。村の宿屋で喧嘩して、魔術合戦を繰り広げた過去を思い出しているのだろう。喧嘩の理由は忘れたが、アレは本当に後始末が大変だった。宿代だけではなく、修理代まで出すことになったし。 

 しかし、あの頃は良かったな。旅の費用は国が負担してくれていたし。まぁ、同行していた王国騎士団、騎士団長であるオブライエンさんに俺と宇多野さんで頭を下げて謝る事になったけど。しょうがない。アレは完全に俺達が悪かった。俺達というか、阿弥と幸太郎がだけど。


「懐かしいわね。それに……阿弥の事をよく覚えてるのね、山田君」

「優子さんっ」

「そこまで過剰に反応しなくてもいいでしょうに。それと、お皿を落とさないでよ?」

「ぅ……うぅ」


 そんな事を言いながら、部屋から出て行く二人を見送る。


「あ、山田君」

「ん?」

「夜、私の部屋に来て。待ってるから」


 最後に、そんな事を言いながら出て行った。阿弥の驚いたというか、真っ赤というか、そんな表情が印象的だった。宇多野さんの事だから、多分今後の話とかだろうけど。魔神の心臓の件もあるのだし。期待はしない。何度裏切られたか判らないくらい、期待して失敗しているのだ。俺だって学習する。

 阿弥の方は、何を想像したんだか。後でからかってやろうと思う。


「どういう意味?」

「そりゃお前、大人の話だろ」

「…………」

 





 右肩にアナスタシアを乗せたまま部屋から出る。あの後ベッドに横になったが、どうにも退屈になってしまったのだ。五日も寝たきりだった身体は眠気を感じてくれない。意識がはっきりしているので、ベッドで横になっているのもどうかと思ってしまう。なので、少し歩こうかと部屋を出た。(なま)った身体を動かすのも必要だろう。


「エルメンヒルデから離れたと思ったら、今度はお前か……」

「何その言い方。一人じゃ寂しいだろうから、って私が一緒に居てあげてるのに」

「はいはい。そりゃありがとうございますよ」

「全然感謝の気持ちを感じないんだけど?」

「感謝感謝。ありがとうございます、アナスタシア様」


 怒ったというか不貞腐(ふてくさ)れたというか、肩に座っていたアナスタシアがそっぽを向く。いつも話しているエルメンヒルデの代わりに、今度はアナスタシアである。俺は一人の時間が得られないのだろうか?

 そんな事を考えながら、誰も居ない石造りの廊下を歩く。用意されていた新品の革ブーツがカツカツと乾いた音をたてる。少し肌寒いが、天気が良いので歩いていれば身体が温まるだろう。

 寝たきりだったのに、食事を摂ったら動けるようになる。異世界補正というかなんというか。身体能力もそうだが、回復力もこの世界の人より優れているのだと実感してしまう。まぁ、宗一たちのように人間離れしているという程でもないが。他の連中なら、五日寝たきりでも起きてご飯でも食べたら動き出せそうな気がする。


「どーだか。こんな美人の妖精さんが一緒だっていうのに、贅沢な人間ねえ」

「自分で言うな、自分で」


 まぁ確かに、アナスタシアは美人だろう。現実にはありえない緑色の髪は巻き毛で、背には二対の羽。俺達の世界では神話や物語の中でしか語られない妖精は、この世界には当然のように存在している。存在して、どうしてか俺の肩に座っていたりする。十五センチほどの体躯でしかないが、それを差し引いても美しい容姿をしているだろう。俺の周囲――宇多野さんや阿弥も綺麗だが、アナスタシアは現実離れした美しさがある。肢体には確かなメリハリがあり、身に纏っている白いドレスは生地が薄い。サイズがサイズなら、目の毒だと言えるだろう。今のサイズでも、人形のように可愛らしいと思う。まぁ、結局は妖精だが。

 流石に、人形サイズの妖精に邪な視線を向けることはない。そこまで追い詰められてもいないし、飢えてもいない。というよりも、こんなちびっ子に妙な視線を向けるようになったら、なんだか負けのようなきがするのだ。なんだかんだで、アナスタシアもそんな俺の感情を理解しているからからかってくる時もあるし。昔は、幸太郎や他の異世界召喚に夢を抱いていた仲間達なんかは「ファンタジーだ!」とか言いながら興奮していたが。アナスタシア的には、そういう反応はアウトらしい。俺よりもそんな判りやすい反応をする仲間達のほうがからかい甲斐があると思うのだが。だというのに、もっぱらからかってくるのは俺である。よく判らない基準だ。

 エルメンヒルデとよく喧嘩していたし、アレだな。喧嘩するほど仲が良い。そんな感じなんだろう。


「お前は、そういうところがなければなぁ」

「あら、なにか引っかかる言い方ね?」

「さてね」


 しかし、いくら昼間とはいえ誰とも擦れ違わないのはどうにも妙だと感じてしまう。この大きな王城に俺とアナスタシアしか居ないのでは、と錯覚してしまいそうだ。


「どこに向かってるの?」

「別にどこにも」


 退屈だったので部屋から出ただけだ、特に目的地があるわけではない。どうしてか、アナスタシアどころか阿弥も宇多野さんもエルメンヒルデがどこに居るか教えてくれないのだ。

 別に、今更逃げ出すつもりも……無いのだが。フェイロナ達も心配だし、様子見には行きたいが。


「はぁ……修練場に行く? 今なら結衣達が居るわよ」

「そうだな」


 アナスタシアが少し呆れたように言ってくる。俺も別に目的はないので、それもいいかと足を修練場へ続く道へ向ける。三年前、短い間だけだけだが住んでいた場所だ。道は覚えている。突き当りの道を右に回り、階段を降りると数人の見張りをしている兵士と擦れ違う。ようやく会った城の人間だが、向こうはこちらから挨拶をしても敬礼するだけである。よく訓練されているな、と感心してしまう。挨拶をしたら、挨拶を返してほしいものだ。俺なんて、今はただの冒険者でしかないのだが。

 昔は英雄としてこの世界に召喚されていたが、召喚された目標である魔神は討伐されてしまった。魔神としか全力で戦えない俺は、もう英雄としての価値は残っていないと思うのだがね。だというのに、擦れ違った兵士達の視線はどこか尊いものを見ているというか、熱が(こも)っていたというか。元の世界では、絶対に向けられることのない(たぐい)の視線は反応に困ってしまう

 そんな俺をどう思ったのか、アナスタシアが兵士たちから十分離れたところで頬を(つつ)いてきた。


「なにを緊張してるんだか」

「別に、緊張してるわけじゃないけどな」


 どちらかというと、緊張ではなく申し訳ない気持ちのほうが大きい。魔神討伐の旅では、最後の最後でしか役に立てなかった。しかも、沢山の犠牲の上にしか成り立たない力だ。魔神は居ない。その眷属は、俺じゃなくても倒すことが出来る。そして、その眷属が居なくなった時――俺のチートは無意味なものになる。神を殺す武器は、倒すべき神が居なければ無用の長物だ。

 そんな人間に、なんの価値があるというのか。そうなったら、俺はただの冒険者でしかないし、エルメンヒルデは喋るメダルでしかない。まぁ、喋るメダルは珍しいか。

 ……俺はそれでいいんだと思っていたりもするが、エルメンヒルデはどう考えているのだろう。それでも俺の武器としてと言うのか、それとも……。俺は、武器としてではない道を見つけてほしい。その為に、世界を見せて選択肢を増やしてやりたい。――その道を、一緒に見つけたい。それが俺の旅の目的。誰にも言えない、青臭い目的だと自分でも思う。まぁ、宇多野さん辺りは気付いてそうだが。あの人は勘が鋭いのだ。 


「どうしたの、溜息なんか吐いて。悩み事?」

「肩身が狭いな、ってな」

「はぁ?」


 そう言うと、アナスタシアが大仰に驚いた声を上げた。

 彼らにとって俺は、世界を救った英雄達の一人なのかもしれない。けど俺は、世界よりもエルメンヒルデを選んだ。英雄として誰かの支えになるよりも、誰かではなく身近な相棒を支えたいと思ってしまった。

 英雄としての心構えも何もなく、戦うためには誰かを危険に晒さなければならない。そんなの、どう考えても英雄とは呼べないだろ。だから――名前も知らない兵士からの視線すら、俺には重い。


「ここは人間のお城で、レンジは人間の英雄じゃない。もっとどっしり構えなさいよ……格好悪いなぁ」

「格好悪いのはいつもだと思うけどな」


 お世辞にも、俺は格好良いと胸を張れる生き方をしてきた訳じゃない。ただ必死だった。そして、運良く生き残れた。それだけなのだ。

 アナスタシアもその辺りを判っているようで、笑顔で俺の頬を突いてくる。小さな指なので擽ったいわけではないが、気になって顔を(しか)めてしまう。その反応が面白いのか、小さく声に出して笑うアナスタシア。


「そりゃそうだけどね」

「そこは否定してくれないか?」

「自分で言っておいて、否定して欲しいの?」

「ああ」

「意味分かんない」


 そこまで話すと、前から身なりの良い貴族が数人歩いてくる。道を譲ると、怪訝そうな視線を向けられた。

 まぁ、それもそうだろう。俺の服装は質は良いが簡素なチュニックにズボンという格好だ。王城に居るには相応しくない格好と言える。三年前は修練場の常連だった俺の顔を兵士の皆は覚えているのかもしれないが、貴族連中まで覚えているとは思えない。ただでさえ、魔神を討伐した後は逃げるように旅に出たんだし。他の仲間達のように、貴族たちに顔を売ってもいなかった。晩餐会みたいなパーティは苦手だったので、いつも壁を温めていたような人間だ。記憶に残っている貴族は少ないだろう。

 そんな人間がアナスタシア――英雄・緋勇結衣が契約した妖精を肩に乗せているのが変に思ったのだろう。何も言ってこなかったということは、アナスタシアの気紛れとかそういった感じで捉えられたのかもしれない。


「本当なら、連中が私達に道を開ける立場なんだけどね」

「そうでもないだろ」


 領地の維持とか運営とかは俺に判らないが、この国を動かしているのは貴族たちだ。武器を振るしか能の無い俺よりも、魔神が居ないこれからの世界には必要だろうよ。


「アンタはもう。どうしてそんなに自分を人より下に見てしまうのかしらね」


 修練場へ向けて歩き出すと、アナスタシアが耳元で小言を言ってくる。エルメンヒルデといい、アナスタシアといい。どうしてここまで同じような事を言ってくるのか。宗一たちに比べたら、俺の実力も功績もたかが知れているだろうに。


「そういう性分なんだよ」

「それは性分じゃなくて病気でしょ。……治しなさい、格好悪いわ」


 いつものおどけた声音ではなく、真面目な――堅苦しい、妖精の女王としての声。


「それくらいが丁度良いだろ。今の立場だって、俺には過ぎたもんだ」

「謙虚は美徳だと貴方達は言っていたけど、私からしたら過度の謙虚なんて卑屈なだけだわ。見苦しい。貴方に相応しくない事よ、山田蓮司」

「……エルメンヒルデと同じような事を言うよな、お前」

「うそ!?」


 だが、そんな女王としての威圧感も、一瞬で霧散してしまう。どんなキャラ作りしてんだよ、お前は。そう呆れながら、混じりの溜息を吐いてしまう。なんだかなあ。


「変わらないな、お前は」

「レンジが堕落しすぎなのよ。昔はもっとやる気があったじゃない」

「そりゃお前、この世界に召喚された目標が無くなったんだ。だらけもするさ」


 魔神討伐は急ぐ必要があった。アレが生きている限り、命が消えていく。それが許せないから、たった二年という期間で俺達は魔神を討伐した。命懸けで、沢山の犠牲を踏み越えて、多くの信頼を寄せられて、世界の期待に応える為に。

 また、数人の兵士と擦れ違う。今度は頭を下げられてしまった。……勘弁してほしいもんだ。俺は、そんな事をしてもらえる立場じゃないんだがなぁ。そんな俺の内心に気付いてか、アナスタシアが深い深い溜息を吐いた。


「世界が平和になろうとしてるんだ。少しくらいのんびりしてもいいだろ」

「そりゃあ、私もそう思うけどね。実際、私達もファフに乗って世界を回ってるし。結衣も、結構人と話せるようになったのよ?」

「へぇ、楽しみだな。昔は、俺とか九季の背中に隠れてたからなぁ」

「本当よね。私達のご主人様は、どうにも気が弱くてね」


 そこが結衣ちゃんのいいところだと思うけどな。そんな仕草をされると、男としては守ってあげたくなってしまう。小動物というか、なんというか。そんな感じなのだ、結衣ちゃんは。声は小さいし、背も――まぁ、俺達の中で一番年下だったから身長はしょうがないか。

 昔を思い出していると、アナスタシアから今度は頬を抓られてしまう。握力が弱いからやっぱり痛くないが。


「ほぅら。私みたいな美人と一緒にいるのに、他の女の事なんか考えないの」

「他の女って……。お前のご主人様だろうが」

「それでもよ。女心が判ってないわねぇ、レンジは」

「俺は男だからな」

「そういうところが駄目なのよ。判らなくても、女の事を気にするの。それがイイ男よ、レンジ」


 難しいね、と肩を竦めるとまた頬を抓られた。女扱いをして欲しいのかもしれないが、そうするとからかわれると判っているので女扱いをしたくない。……それはさすがに失礼か。

 アナスタシアも俺のその反応が判っているのか、別に怒った様子もない。また怒られるかと思ったら、今度は笑顔である。これが女心だというのなら、俺には一生理解できないかもしれない。


「そういうもんかね」

「そういうものよ」


 この問答も、もう何度目だろうか。相手は宇多野さんだったり阿弥だったり、今回のようにアナスタシアだったりと色々だが。決まって言われることは、もっと女心を理解しろである。これでも頑張っているつもりなんだが。

 そんな男には理解するのが難しい女心を気にしなくていいと言ってくれたのは、たった一人だけだった。そこまで思い出して、首を振る。それと同時に、またアナスタシアから頭を叩かれてしまう。


「すまん」

「先に謝ったから、許してあげる」

「そりゃありがたい」

「感謝しなさいよ?」

「判ってますとも、アナスタシア様」


 おどけて言うと、また頭を叩かれた。そうやってしばらく歩くと、ようやく修練場への入り口へと辿り着いた。石造りの廊下の両脇に立て掛けられた鉄製の剣や槍、斧、盾。それが目に入る。その懐かしいとすら思える場所を見ると、なんとも言えない落ち着きを感じてしまう。

 ここだ。俺の、最初の居場所。貰ったチートが弱すぎた俺が、最初に手に入れた戦う力。武器の使い方。それを学んだ場所。

 不思議と、心臓が高鳴った。僅かにだが、興奮している。自分でも気付かないほどに足取りを軽くして、修練場の入り口となっている門を通る。


「男の子ねぇ」


 アナスタシアがなにか小声で言っていたが、気付かないふりをして修練場へ入ると兵士たちの視線が俺に集まった。それも、懐かしい。中には幾つか知った顔もいる。

 正方形の修練場は広く、数百人の兵士が一斉に訓練をしても少し余裕がある造りになっている。今は数十人の兵士と――そんな修練場の片隅に、真紅の巨躯を誇るレッドドラゴンが丸まって休んでいる。空から差し込む陽光が気持ちいいのか、眠っているように動かない。実際に眠っているわけではないだろう。アイツはあれで、気配には敏感だ。俺が修練場に顔を出しても目を閉じたままだ。

 周囲を見渡すと、また兵士の数人と視線が合う。今度は、嬉しそうな笑顔を浮かべたり手を上げてくれたりする。俺としては、尊敬の眼差しを向けられるよりもそういう態度のほうが気が楽だ。

 そんな見知った顔の兵士たちに頭を下げたり挨拶をしたりしながら見慣れた紅の巨躯――ファフニィルへと歩み寄る。周囲からざわめきが上がるが、あまり気にしない。

 俺の気配に気付いたのか、その巨大なドラゴンが僅かに身動(みじろ)いだような気がした。


「久し振りだな、愚か者」

「耳に痛いな」


 その第一声に、口元が引き攣つったのを自覚する。そりゃ、確かに俺は愚か者だろう。世界よりも、仲間よりも、エルメンヒルデを選んだ愚か者。しかし、再会して最初の言葉がそれか。

 閉じられていた瞼が上がり、黄金色の瞳が俺を射抜く。三十メートル近い巨躯なのだ、頭部だけでも俺より大きい。その顔が不意に近付けられ、鼻息が髪を揺らす。その威圧感に、身が竦みそうになる。


「変わったな」

「ん?」


 一歩、下がる。仲間として過ごした時間は短いが、このドラゴンがどういう性格かはよく知っているつもりだ。別に怒っているわけでもないし、呆れているわけでもない。そもそも、たかが一人間の行動などあまり気にする性格ではない。一歩下がったのは、近すぎて鼻息が辛いからだ。アナスタシアなんて、その鼻息で吹き飛ばされそうになっている。顔に抱きつかれると、色々柔らかいので勘弁してほしいもんだ。

 その一言一言が、まるで遠雷のように身体の芯に響いて重苦しいとすら感じてしまう。それがドラゴン。この異世界で最強とも称される生命体。その最強の頂点に君臨する存在。吐息(ブレス)は大地を焼き、羽ばたきは大気を裂く。爪は鋼すら容易く切り裂き、尾の一撃は一角鬼(オーガ)を簡単に肉塊へと変えてしまう。チート持ちの俺達ですら規格外と思ってしまう存在。それがファフニィル。この世界最強のドラゴン。最古の竜王。

 ちなみに、仲間になった――というか、結衣ちゃんの契約に応じた理由はなんとも間抜けである。

 足の裏に槍が刺さり、自分では抜けなかった。痛くて暴れていたところを俺達が倒し、暴れていた理由を知った結衣ちゃんが槍を抜いて助けた。なんとも間抜けな理由である。

 まぁ確かに理由は間抜けだが、暴れていたファフニィルとの戦いは本気で死に掛けた。今でも軽い悪夢(トラウマ)である。宗一や真咲ちゃん、阿弥や九季のような戦闘メンバー全員で戦いを挑んだのに、空飛ぶドラゴンを地面に堕とすのが精一杯だったのだから。


「覇気が抜けた。腑抜けたな、神殺し」

「しょうがないさ。只の人間が神様を殺すなんて偉業を成したんだ。気も抜ける」


 そもそも、俺に覇気のようなものがあったのかも怪しいが。


「憎しみをもって殺しただろうに。いや、だからこその腑抜けか」

「……腑抜け腑抜けって、言ってくれるな」

「そりゃそうでしょ。一年前と全然違うもの、貴方」

「そこの羽虫が好いたお主とは、随分と違うからな」

「誰が羽虫だ!?」


 いや、突っ込む所はそこじゃないだろ。


「え、なに。お前って、俺が好きだったの?」

自惚(うぬぼ)れるな、ヘタレっ」

「いや、それは流石に俺も傷付くぞ」


 言ったのはファフニィルなのに、俺に怒られても困る。しかも、体重どうこうの話をした時よりも怒ってるような気がする。


「少しは静かになったと思ったが、また騒がしくなったな」


 そう言うと、ファフニィルの瞼がまた落ちた。首が修練場の床に降ろされるだけで、少し地面が揺れたように錯覚してしまう。それほどまでに、この目の前のドラゴンには威圧感があった。一挙手一投足に、過敏に反応してしまう。王者の風格とでも言えばいいのか、流石は魔物を統べる魔王すら一目置く存在。


「結衣が心配していた。あまり心配させるなよ、神殺し。アレは泣き虫でな……泣かれると、そこの羽虫よりも面倒だ」

「そのつもりはないさ」


 好きで女の子を泣かせるような性格ではないつもりだ。そう言うと、目の前のドラゴンから感じていた威圧感が少し緩んだような気がする。

 言葉遣いは乱暴だが、誰よりも結衣ちゃんを心配しているのだと判る。そこには魔物使いと呼ばれる少女との契約だけではない、もっと別の繋がりのようなものを感じた。あれだけ騒いでいたアナスタシアも、結衣ちゃんの名前が出たら黙ってしまう。そこには、ファフニィルと同じ――確かな意図と感情があった。だから頬を緩めると、またファフニィルの瞼が上がる。


「なんだ?」

「変わったな」

「――む」

「ツンデレよ、ツンデレ。言葉ではツンツンしてても、貴方の事を心配してるのよレンジ」

「その単語は似合わないからやめとけ、アナスタシア」


 ファンタジー世界でツンデレとか言うな。夢も希望もありはしない。


「だから何だ、その言葉は。意味は判らぬが、不快だ」

「文句なら幸太郎に言ってくれ。俺も今度言うつもりだ」

「まったく……あの小僧にも困ったものだな。騒がしいやつに、不快な言葉を吹き込みおって」


 しかし、と周囲を見渡す。俺達が気になって視線を向けている兵士の人達もいるが、目当ての人物は見当たらない。

 結衣ちゃんと九季、それにナイト。どこかに行ってるのだろうか?

 まぁ、九季のヤツは仕事をしてるのかもしれないが。


「結衣ちゃんはどうしたんだ?」

「お主とそこの羽虫を探しに行った。ナイトの奴と一緒にな」

「あれ、会わなかったけど?」

「知るか。擦れ違ったのであろう」


 それは悪い事をしたな。もう少し、部屋でダラダラしていたほうが良かったかもしれない。戻ったら、部屋でダラダラしようと思う。

 最近頑張りすぎだったんだ、そろそろ少しゆっくりしてもいいだろう。


「それはそうと、ファフニィル」

「ん?」

「エルメンヒルデを知らないか?」

「知らん」


 にべなく、一言でバッサリ切り捨てられた。もう少し言葉を選んでほしいものである。会話が途切れると、何を話せばいいのか判らなくなってしまうじゃないか。


「いいじゃない。あんなメダル女」

「そうもいかんだろ。アイツはあれで、寂しがり屋なんだよ」

「…………」

「無言で髪を引っ張るのはやめてくれ。お願いだから」


 ハゲたらどうするんだ、このバカ。

 しっかし、エルメンヒルデは一体どこに連れて行かれてるんだか。俺以外には、そこまで使い道があるヤツじゃない。小言は(うるさ)いし。

 今度は九季のヤツを探すかな、とファフニィルに背を向けて歩き出す。間違っても、騎士団長のオブライエンさんには会いたくないところだ。あの人は根が体育会系だから、田舎に逃げた俺を見つけたら絶対に肉体言語でお話になってしまう。それだけは、もう勘弁してほしい。病み上がりだし。病み上がりじゃなくても嫌だが。


「レンジ」


 そんな事を考えている俺を、竜の王は呼ぶ。以前のように、俺の名前で。神殺しなんてクソ恥ずかしい呼び方じゃなくて良かったと振り返ると、黄金色の双眸が俺を射抜いた。


「この一年、何をしていたのだ」

「エルメンヒルデと……旅?」


 疑問形になってしまうのはしょうがない。していた事といえば、田舎の村でのんびりしていただけだし。


「違う」


 しかし、そんな俺の答えに納得がいかない竜の王様は強い瞳で俺を見下ろしてきた。遠雷とも思えるような、身体の芯に響く声が俺を捕らえる。力強い意志を宿した瞳が俺を射抜く。その一言が、まるで言霊のように俺を締め付ける。

 ああ確かに、この存在は人を遥かに超越した種なのだと理解する。俺の弱さも、痛みも、傷も、何もかもを気にせず、ズカズカと入り込んでくる。


「何故、エルメンヒルデに(こだわ)る」

「相棒だからな。それに、約束したんだ。……平和になったら、一緒に世界を見て回るって」


 そう。約束したんだ。大切な――命と同じくらい大切な約束を。黄金色の……。


「違うだろう、ヤマダレンジ」


 アナスタシアが肩から飛び上がり、俺の服の袖を引く。何か言っているが、耳に届かない。

 俺は、ファフニィルの双眸から目が離せない。その力強さから目を逸らすことが出来なかったというよりも、目を逸らしたら負けだとなぜか思ってしまっていた。


「その約束は、エルメンヒルデではなくエルと交わしたもののはずだ」

「ああ、そうだ。だから俺は、約束を果たすんだ」


 そう言い切る俺を――。


「そうか」


 その一言だけを口にして、瞳を閉じた。

 金の双眸から解放され、息を吐く。何故か、アナスタシアも一緒に息を吐いていた。普段は軽口を言い合っているのだろうが、やはり妖精とドラゴン。格が違いすぎる。俺も、仲間に優しくないドラゴンだなと心中で軽口を言うのが精一杯である。


「行くか。今度は九季を探すかね」

「え――ええ。そうね。結衣も私達を探してるみたいだし、すぐ会えるわ」

「それじゃ、またな。ファフニィル」

「ああ。次は腑抜けてないお主と会いたいものだな、レンジ」

「ご期待に添えるといいがね」


 そう言って肩を竦める。そんな俺を、ファフニィルは見てもいなかった。


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