第十一話 再会1
「蓮司さん、大丈夫ですか?」
「ん、ああ。寝過ぎて身体が辛いかな」
宇多野さんの話では五日も寝ていたという話だし。そんなに眠ったのは久し振りだ。流石に、魔術都市から腐霊の森までの強行軍に加えて魔神の眷属の相手は疲れた。
ま、それを言うなら生きているだけでも儲けものなのだが。
「あと、腹が減った」
「ふふ。死に掛けたのに、元気ですね」
「死んでないからな」
俺がそう言うと、楽しそうに阿弥が笑う。その笑顔が嬉しくて、俺も笑ってしまう。
「心配させたか?」
「ええ、とっても。フランシェスカ先輩達も、凄く心配してました」
「そうか」
ベッドの脇に椅子を持ってきて、阿弥が座る。ベッドに座らない辺り、宇多野さんよりも礼儀正しいと思う。思うだけで口にはしないが。壁に耳あり障子に目あり、である。
その阿弥の口調は少し怒っている風だが、表情が緩んでいるので全く怖くない。気付いているのだろうか?
気付いていなんだろうなぁ。
「俺の部屋で寝るくらいだ、よっぽど心配させたみたいだな」
「……もう。それは忘れてください」
頬をわずかに染めて、こっちを睨むように言ってくる。普通なら怖いのかもしれないが、今この時に限っては可愛いとしか思えない。
そんな阿弥の顔をじっと見ると、視線を逸らされてしまった。
「そりゃ勿体無い」
「勿体無くないですっ」
少し怒ったような口調で言われ、肩を竦めると右腕の傷が傷んだ。いや、傷は治っているはずだ。ただ、魔神の毒が僅かに残っているのだろう。
「大丈夫ですか?」
「阿弥が大きな声を出さなければな」
「ぅ」
クツクツと笑うと、阿弥が身体を丸めるようにして小さくなってしまう。そういう姿を見せるから、からかいたくなるのだが。普段の姿とのギャップに、こう、悪戯心が刺激されてしまう。
こういう所は、自分でも子供だと思う。何をやってるんだか。だがまぁ、今は流石に不謹慎か。
心配してくれた相手をからかうなら、こっちが体調を整えてからだろう。俺だって何度も怪我で倒れた仲間の看病をしたことがある。そういう時は、元気になってもらう事が一番嬉しいと判っているつもりだ。
「いつも、からかってばっかり」
「からかうと面白い反応を返してくれるからな」
「はぁ……。子供扱いですね」
「まだ子供だからな」
「もう十八です」
「俺は二十八さ」
そう言うと、子供っぽく唇を尖らせることで抗議の意を示す阿弥。そういう所が子供っぽいんだがなぁ、と。指摘して直されたら勿体無いので言わないが。
俺はベッドから体を起こして、阿弥はベッドの脇に置いた椅子に座って。そうやって交わす会話は、
「それはそうと、エルメンヒルデを知らないか?」
「…………。エルなら多分、結衣かバカのところだと思いますけど」
話を逸らすと、溜息を吐かれてしまう。
バカ――というと幸太郎か。阿弥と幸太郎は仲が悪い。いや、悪くはないのだがいつも喧嘩ばかりしている。それは、阿弥が頭で考えて魔術を行使するのに対して、幸太郎は感覚で魔術を編むからだ。天才型と直感型とでも言えばいいのか、二人の魔術師はお互いの感覚を理解できないのだという。だから喧嘩してしまうそうだ。
何度も仲裁しているのだが、そればかりは今も直っていないようだ。
「その幸太郎が俺の未来を見てくれたから、俺は助かったんだがな」
「そうでもないです」
俺が幸太郎を庇うと、阿弥がまた唇を尖らせる。
「蓮司さんが死ぬ未来を見たなら、早く教えればいいんです。そうすれば、宗一と弥生も連れてきたのに」
「そりゃ駄目だろ。宗一達にもやる事があるんだし」
俺としては、阿弥にも魔術都市で学生として過ごして欲しいんだが。それを今言っても意味が無いだろう。
「いつもいつも、勿体振って……だから私は、アイツが嫌いです」
「仲良くしてくれよ」
「善処はします」
まぁ、俺としてもこんな危ない未来は早く教えて欲しかったものだが。死ぬってなんだよ、死ぬって。俺はまだ死にたくないっての。やりたい事も、やり残した事も沢山あるのだ。あんな辺鄙な森で死ねるか、っての。
どうせもう姿を眩ませたんだろうが、今度会ったら文句の一つでも言ってやろう。それと、助けてくれたことにお礼も言わないといけない。あの魔法使いはそういうのに弱いからな。せいぜいからかってやろうと思う。
「そういえば、結衣ちゃんも王都に来てるんだったか」
「ええ、腐霊の森からここまでファフニィルに送ってもらったんです。今は、多分修練場じゃないでしょうか」
そう言って、椅子から立ち上がると窓に近付くきカーテンを開ける。
俺も、阿弥に倣って窓に近付くと、その窓から下を見る。ちょうどこの部屋からだと、修練場が見えるのだ。そこには、真紅の巨躯を誇るドラゴンが、今は翼を休めていた。結衣ちゃんが三番目に契約した古竜――ファフニィルだ。一年ぶりに見るその巨躯は、やはり力強く格好良い。男なら誰だって、ドラゴンに憧れを抱くものだ。うん。あの巨大なドラゴンには移動する時に背に乗せてもらったり、戦いの時にはその吐息で援護してもらったりと何度も助けられたものだ。
「お、ファフニィル……って事は」
そこまで言うと、俺と阿弥が修練場を覗いていた窓に十五センチほどの大きさしか無い羽の生えた人間――妖精が近付いてくる。
白いドレスのような服を着て空を飛んで寒くないのだろうか、と以前聞いたらその辺りは風の精霊が保護してくれているらしい。便利なものである。
「――、―――」
窓を閉めているので、何を言っているのか判らない。だが向こうはその事に気づいていないようで、口を何度もパクパクさせている。
その様子が可笑しくて笑うとようやく気付いて、今度は窓を叩き始めた。相変わらず、忙しない奴である。
「窓を割るなよ?」
「なによ。人が挨拶してるのに笑うなんて、失礼だわ」
「窓が閉まってるのに話すそっちが悪いだろ。最初に気付けよ」
「ぅ――まぁ、その通りだけどね。――」
ゴニョゴニョと小声で言ってるが、何を言ってるか聞こえない。身体が小さいからか、声量も小さいのだ。
「なんだって?」
「煩い、バカ。ヘタレを拗らせて死ねっ」
「死なねーよ」
なんだよヘタレを拗らせて、って。さっきも宇多野さんに同じような事を言われたので、流石に少し傷ついてしまう。そんなにヘタレてないだろ、多分。これでも、人と向き合って生きてるつもりなんだが。
「アナスタシア、エルメンヒルデを知らないか?」
「は? なに、私よりあのメダル女が良いの?」
「お前の脳内はどうなってるんだ? エルメンヒルデが居ないと落ち着かないんだよ」
しかし、そう言う俺に向けられるのは胡乱げな瞳である。本当にどうなってるんだろうか、コイツの脳内は。
妖精アナスタシア。エルフレイム大陸にある世界樹の森。その森に住む妖精たちを統べる妖精女王。精霊魔術の使い手で、魔術の使い方だけなら阿弥よりも優れていると俺は思っている。それは妖精だからか、この口煩いちびっ子が優れているのかは……前者だと思うが。
エルメンヒルデの事を聞く俺をどう思ったのか、妖精の女王様は窓から離れて空を滑るように飛ぶ。器用なものだと思う。昔何度か精霊魔術を使ってもらって飛んだ事があるが、どうやってもアナスタシアのように綺麗に飛べなかったのを思い出した。あの時バカにされたことも。後でまた頼んで、リベンジしようか。
「ふぅん。貴女も大変ね、アヤ」
「そうでもないわ。楽しいものよ、こういうのも」
「ユーコは上の空だし……罪な男ね、レンジ」
「宇多野さんの方は、むしろ俺のほうが被害者なんだがね」
「………………」
しかし、どうしてか阿弥からはとても冷たい視線を頂いてしまう。隣から感じる気配すら、冷たくなってしまったように感じる。
「優子さんに何したんですか?」
「どうして俺が加害者になってるのか」
阿弥に疑いの視線を向けられるとは……悲しい限りである。実際、さっきのは不意打ちというかなんというか。とりあえず、俺は悪く無いと思いたい。それとも、未だにはっきりしない俺が悪いのか。
ま、この場合は男が悪いよな。うん。
「そりゃぁ、日頃の行いでしょ」
「うっせ、ちびっ子」
「ぬぅ。まだそう呼ぶか、ヘタレが」
そう言いながら右肩に乗ってくるちびっ子。懐かしい重さに、自然と口元が緩んでしまう。
「結衣ちゃんは?」
「ファフと一緒。ナイトはユータと一緒に剣を振ってるわ」
「九季か――」
後でアイツにも挨拶をしとかないとな。九季雄太。『女神の騎士』と呼ばれている、騎士団に所属している英雄だ。ナイトというのは、結衣ちゃんが初めて契約した亡霊騎士。騎士だからナイト。名付け親は宇多野さんである。深く考えてはいけない。ツッコんでもいけない。
しかし、王都に来ると昔の仲間の名前をよく聞くな。その事がどうにも――自分でもよく判らない感情に、左手で頭を掻く
「身体に障りますから、窓を閉めますね」
「ああ」
「あらあら。素晴らしい献身ぶりだこと。いい奥さんになれそうね、アヤ」
「――――っ」
アナスタシアがそうやってからかうと、阿弥が無言で掴み掛かってくる。仲間相手だと微妙に沸点が低いのだ、この才女は。
俺にではないが、アナスタシアは俺の右肩に居るので俺に掴み掛かってくるような格好になってしまう。いつもなら受け止めてやるのだが、病み上がりの体力には限界がある。支えようと頑張りはしたが、結局足に力が入らず体勢を崩してしまった。
一瞬の浮遊感とともに、元凶である右肩の重みが消える。
「っと」
「え!?」
そのまま、阿弥と二人して床に倒れてしまう。俺は尻餅をつくようにベッドに背中を預け、阿弥はそんな俺の腕の中。見様によっては、俺が阿弥を抱き締めているように見えるだろう。
「ほっほぅ」
「あんまりからかってやるなよ。これで、からかわれるのには慣れてないんだからな」
「判ってるわよ」
なにを当然のように親指を立ててるんだろうか、この妖精の女王様は。
「大丈夫か?」
腕の中の少女に声を掛けるが、返事はない。視線を下に向けると、豊かで綺麗な黒い髪が視界に入る。よく手入れされているのだろう、艶やかな光沢が美しい。あと、いい匂いがしてしまうのはどうにかならないものか。流石に娘のような少女に邪な感情を抱くわけにもいかない。
「阿弥?」
「…………」
俺なりに優しく声を掛けると、阿弥の腕が胸に添えられた。服を掴まれ、皺が出来るほどに力が込められる。
そこにどんな感情があるのか――そこまで考えて、視線を上に向ける。この状況の元凶、妖精の女王様はフワフワと部屋の中を飛んでいた。ニヤニヤと擬音のつきそうな笑顔で。なんとも呑気なものである。さすが悪戯好きの妖精。その女王。
息を吐いて、身体から力を抜く。五日も寝たきりだったのだ、体力切れである。
「ほら、泣くな。俺は生きてるだろ?」
その肩が小さく震えている。
しかしどうすることも出来ずに、ただその髪を梳くように頭を撫でてやることしか出来ない。不安にさせたのも、怖がらせたのも俺なのだ。軽口を言っていたが、看病している間はずっと不安だったのだろう。よく判る。俺も、仲間の看病をしている時は不安だったから。よく、判る。
そして、その感情は自分でどうにかするしかない事も。俺はただ、少しでも落ち着けるように頭を撫でてやるだけだ。あの時のように……俺を抱きしめて、撫でてくれた彼女のように。
「相変わらず泣き虫ね」
「原因の半分以上はお前が悪いんだからな?」
「そうかしら?」
そう言って、まるで俺の内心を見透かしたかのような視線を向けてくる。まぁ、判ってる。一番悪いのは、死に掛けた俺だ。不安にさせてしまった俺だ。だから、頭を撫でながら阿弥を慰める。
俺はまだ、この少女に何もしてあげていないのに。その感情に応えてすらいないのに。だというのに、こうやって阿弥を受け止めてしまっている。こんな所が、俺の悪い所なんだろうな、と自分でも思う。
しばらくそうやって髪を撫でていると、阿弥の肩の震えが小さくなってくる。宇多野さんは阿弥の相手を、と言っていたが。こうなる事も予想してたんだろうか。そう考えると、元凶の片割れから頭を叩かれた。小さいから痛くはないが、驚いてしまう。
「減点」
「……なにがだ?」
「女の子を抱きしめてる時に、他の女のことを考えないっ」
お前は読心術も使えるのか、とツッコんでしまいそうになる。
「別に、考えてないし」
「あとでエルとユーコに教えてやるからね」
「へいへい」
そんな俺の返事が気に食わなかったのか、また頭を叩かれてしまう。今度はグーで。まぁ、それでも痛くないんだが。
「一年も私達を放っておいて、この程度で済ませてあげる私の優しさに感謝しなさいよ?」
「はいはい」
「……まったく。ツンデレね」
「それは絶対、使い方を間違ってるからな」
俺のどこにツンがある。そもそも、男のツンデレなんて気持ち悪いだけだ。
「エルメンヒルデも偶に変な言葉を使ってるんだけど、誰だお前たちにそんな言葉を教えたの?」
「コータローよ?」
アイツ、後で絶対泣かす。助けてくれた感謝の気持はあるが、それとこれは別である。
そう心に決めて、まだ腕の中に居る阿弥を両脇を抱え直して――両脇に腕を通して、抱きしめる要領で持ち上げてベッドに腰を下ろす。俺の膝の上に女の子座りをする格好になるが、阿弥は文句を言ってこない。俺としては、そろそろ動いて欲しいのだが。相変わらず、俺の胸に頭を押し付けてくる。いい匂いが、毒である。
「あー……阿弥?」
「なんですか?」
やっぱり泣き止んでいたようで、その声はしっかりしている。そのことに、一先ず安堵の息を吐く。
「そろそろ退いてくれ」
「よく言えるわね。ある意味尊敬できるわ」
頭上で妖精がなにか言っているが無視する。というか、半分くらいはお前が悪いんだからな。今の状況。
しかし、どうしてこんな事になったのか。そう考えて、苦笑する。悪いのは俺だ。どう言い繕おうが……弱くて、心配させてしまった俺が悪い。
「心配させたか?」
「とっても」
「そうか」
先ほどと同じ問答。ただ、先ほどとは違って阿弥が泣いている。だが不思議と、悪い気はしない。心配してもらって、泣いてもらって、悪い気などするはずがない。しかも、相手は美少女だし。
もう一度そうか、と呟いてアナスタシアへ視線を向ける。
「お前にも、心配させたか?」
「ええ、それはもう。物凄く。とっても、とーっても心配したわ」
「大げさなやつだな、相変わらず」
「扱いが違いすぎるわね、相変わらずっ」
「それくらいで十分だろ、お前は」
そんな問答をアナスタシアと繰り返すと、腕の中の阿弥の肩が小さく震える。しかし今度は嗚咽は聞こえず、小さな笑い声が聞こえてくる。
「ありがとうな。泣いてくれて」
「――はい」
腕の中から、スルリと阿弥が抜け出す。先ほどまで泣いていたのに、驚くほどに足取りは軽い。
代わりに今度は、アナスタシアが右肩に座る。
「蓮司さんが泣けないから、私が代わりに泣くんです」
「そうか」
「……だから、その事を悪いと少しでも思うなら、もう私を泣かせないでください」
目元を赤くして、でも笑顔で、そう言ってくる。
「告白?」
「さて、どうかね」
「そんなところよ」
同時の言葉に、三人で笑ってしまう。
どちらが正解なのか、それともまだどちらも不正解なのか。
その意味が有るのか無いのか判らない会話と同時に、ドアがノックされる。
「食事を持ってきたわよ、山田君」
入ってきたのは宇多野さん。その両手には器用に料理を載せたトレイがある。
どうやってノックをしたのだろうか?
「あら、アナスタシアも居たのね」
「はぁい、ユーコ。私の分は?」
「私のを分けてあげるわ」
「だから大好きよ、ユーコっ」
食べ物に釣られるなんて、現金なものである。さすが妖精。
右肩が軽くなり、息を吐く。ふと阿弥と視線が重なると、どちらからでもなく口元を緩めてしまう。
「十分甘えられた?」
「――――」
瞬間、阿弥の顔が赤く染まる。顔を伏せて隠すが、首筋や耳まで赤くなっている気がした。
相変わらず、突発的なことに弱いな、と思う。
「さて、飯にするか」
こういうのは、気付かないふりをして嵐が過ぎ去るのを待つのが得策なのである。なにか間違ってるような気がしないでもないが。
そんな俺に、宇多野さんは一瞬だけ視線を向けて溜息を吐く。
「溜息ばかりだと、幸せが逃げるってさ」
「大丈夫よ。幸せはもう掴んでるもの」
さよで。




