第二話 英雄と新人冒険者2
魔物と言えば森である。
誰が言い出したのかは知らないが、この世界の一般常識というか、間違った知識として、そういうモノがある。
ちなみに、この異世界に来た当初は俺達もそう思っていた。
街道よりも少し外れた草原。草原よりも薄暗闇の森。
その方がエンカウント率が高いと言ったのは、ゲームが得意な仲間の一人だった。
実際は、そんな事は無いのだが。
確かに、森にも魔物は居る。居はするが、実際は森よりも草原の方が厄介だったりする。
特に、ギルドで会った蜂蜜色の髪を持つ女性が捜しているであろう、魔物の代表格とも言えるゴブリンは。
アイツ等は群れる。それはもう、絶対に一匹では行動しないと言われるくらい、群れて行動する。
少なくても三匹。多ければ十数匹の群れで行動する。
洞窟ならば、囲まれることなく対処できる可能性もある。
だが草原ならば、その数に囲まれて死角から襲われてしまう。
あの女性は、その辺りの事を知ってるだろうか?
『お前も相変わらず、損な性格だな』
「本当だよな……一文にもなりやしない」
否定できないので、同意する。
こんなタダ働きも、これで何度目だろうか。
金に困ってるくせに、金にならない事ばかりしてる。
それで周囲から信頼されるかと言えば、微妙な所だ。
なんと言っても、冒険者の花形は魔物討伐だ。戦わない冒険者には、相応の視線しか向けられない。
特に俺は、薬草採取のような危険度の低い依頼しかこなさない。
それで十分生きていけるからだ。
危険は犯さない。
でなければ、生き残れないからだ。特に俺は、あの十三人の中で、一番弱いから。
『はぁ』
溜息を吐くなよ、こっちまで悲しくなってくる。
救援要請が出た訳でも、誰かから頼まれた訳でもない。
なら、今回の俺の行動は何の報酬も無い、タダ働きとなる。
溜息だって吐きたくなるのも判る。判るが、勘弁してほしい。
人助けは素晴らしい事じゃないか。出来れば、報酬も欲しいが。
あの女性を助ける事が出来たら、その辺りを相談しようか、とも思う。
こっちは聖人君子って訳じゃない。霞を食って生きている訳じゃない。
生きていくのには金が要る。ご飯を食べるのにも、宿を取るのにも、装備を整えるのにも。
……本当、英雄時代はタダ働きしたよなぁ。
善意は人の為になるかもしれないが、自分の為にはならない。
泣ける現実である。
『お。レンジ、足元だ』
珍しい、呪いのメダルが興奮した声を上げる。
その声に言われたとおり、足元に視線を向けると銅貨が一枚落ちていた。
この世界では銅貨、金貨、銀貨の順で価値が上がる。
普通は金貨と銀貨の価値が逆じゃないかとも思うだろうが、金貨には魔力付与も出来ないし、何より重い。
銀貨も重いが、こちらは魔力付与が出来るし、何より幽霊や不死者に対して特殊な効果を発揮する。
再生能力を失くしたり、灰にしたり、成仏させたり。
そういう事で、この世界では普通のファンタジーとは違い、金と銀の価値が逆転している。
そう考えると、ファンタジーのゴールドアーマー等は、現実だとどれだけ重かったのだろうか。
一度装備してみたいものだ。重くて動けなさそうだけど。
とまぁ、そんな事はさておき、落ちていた銅貨を拾う。
「でかした」
『これで、パンが二つは買えるな』
取り敢えず、今日の晩飯の心配はしなくて良さそうだ。
ちなみに銅貨一枚だと、小さなパンが二つか、干し肉が一枚買える。
ちょっと小洒落たレストランで少し良いランチをするなら、銅貨二十枚くらいが相場だと考えていい。
ふふん、と鼻歌を歌いながら、軽くなった足で草原を進む。
いやぁ、人助けはするもんだな。うん。
『……あ、ちょっと泣きそう』
「その身体で泣けるのか?」
『うるさい。……こんな貧乏生活が、身体の芯まで浸み込んでるなんて』
なんか落ち込んでいた。
多分、無駄に高いプライドが、小銭を拾って喜んだという事実に耐えられなかったのだろう。
偶にあるので放っておくことにする。
これだけ落ち込んでも、落ちてる小銭を見つけると喜んでしまうあたり、もう救いようがない。
あと、俺よりエルメンヒルデの方がよく小銭を見つけるので、本当にどうしようもない。
拾った銅貨を親指で弾きながら歩いていると、耳に剣戟の音が微かに届いた。
「やっぱり……」
溜息を一つ吐く。
どうして若い子は無茶をするのか。
視線を向けるが、女性の姿は見えない。視線の先には、村から目印にしていた三メートルほどの大きな岩。
目立つ場所を目標にして進むだろうと思っていたが、どうやらアタリのようだ。
多分女性は、岩を挟んだ反対側。
手遅れにならないように、小走りに岩に近付いて様子を窺う事にする。
まず最初に視界に収めたのは、先ほどあった蜂蜜色の髪を持つ女性。
服の所々が裂けているが、無事を確認。一息吐く。
そして彼女が相対する、土色の肌を持つ、小学生高学年ほどの身長しかない魔物ゴブリン。
手に持つのは、殺した冒険者から奪ったのであろう身長に不釣り合いといえるロングソードや戦斧、鎚。
顔の割には鼻がデカく、高い。耳は大きく、両耳を合わせれば顔と同じくらいの面積があるのではないだろうか?
ゴブリンは、鼻が高い方が美形というか、偉い立場にいるような気がする。
何度か戦った俺の主観でしかないが。
そのゴブリン達は、各々の得物を片手で軽々と振るって女性を追い詰めていく。
『ふむ。まだ無事だったか』
「お、元に戻ったか」
『黙れ。殺すぞ』
「はいはい」
その罵声を聞き流しながら、案の定複数のゴブリンと剣を交えている女性を観察する。
戦い始めてそう時間は経っていないはずだ。
あの時は武器を持っていなかったが、今はそこそこ良さそうなショートソードを所持している。
俺と別れた後武器屋で武器を手に入れて、狩りに出たと言ったところだろう。
おそらく十分かそこら。
だというのに、女性は肩で息をして、そこまで重くないショートソードを両手で構えている。
ゴブリンの方は五匹居て、そのどれもが余裕を持って相対している。
数の上でも技術の上でも相手の方が上なのだ。囲んで攻めれば、中級冒険者でも不覚があり得る。
初心者なら、一気に攻めても仕留められるだろう。だが無理をせず、獲物が弱り動けなくなるのを待っている。
魔物の厄介な所はここだ。自分が有利な状況で戦おうとする知能。
今回なら数の差を生かして相手を弱らせる。
ここは開けた草原だから、囲まれれば死角となる背後や側面からの攻撃は、防げても集中力と体力をかなり消費する。
洞窟などで相対すると、下手をすれば罠すら仕掛ける時がある。
待ち伏せやら落とし穴やら、色々と。それほどまでに知能が高い。
特に人型の魔物はそれが顕著だ。
『あまりもちそうにないな』
「判ってる」
視線の先で、女性が追い詰められていく。
一気に仕留められないのは、ゴブリン達が彼女で遊んでいるからだ。
獲物が一人、しかも戦いは素人となれば、加虐的な嗜好が現れてもおかしくない。
まぁ、そのお蔭で間に合ったようなものだが。
素人がゴブリン五匹に十分も持つなんて、それこそ奇跡だと判っているから。
そう思い、ポケットからメダルを取出して左手に握る。
「力を貸してくれ、エルメンヒルデ」
『了解だ、我が主よ』
先ほどまで罵声を浴びせていた雰囲気は消える。
戦いは真面目にやる。相手は格下だが、余裕と油断は違う。
人間の命なんて、小さな油断一つで簡単に消えると知っている。
左手に、温もりが灯る。チートの源の魔力が形を成す。
一振りのナイフ。五つのダガー。
飾りは無い。無骨な、実用性重視の武器だ。
その武器を確認して、メダルをポケットに仕舞う。
ナイフは左手に持ち、ダガーはズボンを留めているベルトに固定する。
「ほんと、お前が居れば武器を買わなくて済むよ」
『使い方が間違ってるからな、絶対』
「わかってるって」
俺は『神殺し』で、お前は『神殺しの武器』だ。その事を忘れる事は一生無いだろう。
そう言うと同時に岩陰から飛び出し、ダガーを投擲。
飛び出した俺を認識する事すら出来ず、そのダガーに頭部を貫かれて絶命するゴブリン。赤い血が草原を汚す。
更に一本のダガーを構え、投擲。一匹を仕留める。これで二匹。
そこまで来ると俺という乱入者に気付き、警戒される。
もう一本ダガーを投げるが、コレはロングソードで叩き落された。
ダガーだけで全部片付けたかったが……ま、こんなもんだ。
世の中そんなに甘くない。
「あ」
女性が安堵の声を上げるが無視。
一対三。数の上ではまだ不利だ。
技量では勝っている自信があるが、囲まれては不覚を取りかねない。
ナイフを右手に持ち替え、左手にダガーを持つ。
二刀流。だが、残念ながら俺は右利きだ。
「シャァッ!」
ロングソードの一撃をダガーで受ける。
逸らすだけの技量は持ち合わせておらず、左腕が痺れるが返すナイフで喉を裂く。
エルメンヒルデが作り出したナイフの切れ味は凄まじく、抵抗は一切感じない。
返り血が服を汚し、頬に掛かる。気持ち悪さに顔を顰めてしまう。
一匹を仕留めた隙に、残り二匹が左右から同時に間合いを詰めてくる。
その一方に、左手に持ったダガーを投げつける。
痺れた腕では狙いも何も無いどころか、刃すら向いていない。
だがそれでも、持っていた得物でダガーを弾いて一瞬足が止まる。
左右同時の連携が乱れる。
その一瞬で、こちらに詰め寄ってきたもう一匹に向かう。
振り上げられる鎚。それが振り下ろされるよりも早く、ナイフで柄を切断した。
両手で構えていたゴブリンの構えが乱れ、鎚が武器として成り立たなくなる。
鉄製の柄を斬られるとは思っていなかったのか、ゴブリンが俺を目の前にして混乱したように動きを止める。
その一瞬で、首を刎ねる。
あと一匹――振り返ると、最後の一匹は一目散に逃げていた。
「ふぅ」
一息吐く。
結構何とかなったな、と。
服の袖で頬に掛かった返り血を拭う。
これ、洗ったら落ちるだろうか?
買い替えるとなると、また痛い出費だなぁ。
『うんうん、腕は鈍っていないようだな』
「まさか」
運が良かっただけだ、と。
どうしてか、このメダルは俺が強いと勘違いしている節がある。
勘弁してほしい。
十二人の神殺しを知っているからか、俺を連中と同じくらい強いと思っているのだろう。
他のチート連中と違って、俺はそこまで強くない。
異世界補正で身体能力はこの世界の住人達より少し高いが、それでも一流の戦士や魔導師と戦うと負ける自信がある。
ゴブリンとの戦いだって、他の連中ならもっと上手くやる。
鎧袖一触。それこそ、触れる間もなく仕留めるだろう。魔導師なら、遠距離から大魔法一発だ。
そういう連中なのだ、『神殺し』というのは。
「戦いは苦手だ」
そう小さく呟き、今回の目的である女性の方へ歩み寄る。
いきなりの事に混乱しているようで、草原に座り込んだまま、ぼんやりと俺の事を見上げてくる。
その仕草がちょっと可愛い。
『鼻の下が伸びてるぞ』
「…………」
そんな事は無いと信じたい。
服の袖で口元を拭い、コホン、と咳を一つ。
「どうして魔物討伐に拘ってるのか知らないけど、無茶すると簡単に死ぬよ?」
死ぬ、という単語に女性の肩が大きく震えた。
きっと、ギルドで話していた時は、自分が死ぬだなんて思ってなかったんだろう。
新人には多い事だ。そして、生き残れたこの女性は運が良い。
普通は、あのまま誰も助けに来ず、ゴブリンに嬲り殺されてしまうのだから。
ゴブリンの牙をナイフで切り取る。これをギルドに提出すれば、討伐の報酬が貰えるのだ。
ゴブリンに限らず、魔物を討伐したら体の一部を持ち帰る。
大体は加工できる部位や、腐敗しない物を持って帰る。
ドラゴンのような大物なら、討伐しなくても鱗一枚でそこそこの値段になる。
まぁ、ゴブリン四体の報酬なら銅貨十枚くらいだろう。
依頼を受けていないので、もう少し安いかもしれないが悪くない稼ぎだ。
ちなみに薬草採取だと、一日掛けて集めても銅貨五枚ほどである。
魔物討伐は良い稼ぎになるが、やっぱり命の遣り取りは心臓に悪い。
俺は苦手だ。
「これに懲りたら、ギルドの仕事をこなして実力を付けよう―――か」
ゴブリンの牙をポケットにしまい、振り返ると……女性が泣いていた。
嗚咽は零していなかったが、涙とか何とか、色々な液体が溢れている。
成人しているであろう女性が見せるにはあまりな表情に、慌てて背を向ける。
『なーかした、なーかした』
「子供かお前は」
小声で呟き、ポケットの中のメダルを殴りつける。
そのまま、女性が泣きやむまでゴブリンの装備を漁ったり、他に戦利品は無いか探したりする。
『……ほとんど追剥ぎだな』
というか、魔物が相手じゃなかったら完全に追剥ぎである。
「金になるからな」
『本当に英雄か疑いたくなる光景だ』
ロングソードは刃毀れが酷いし、鎚は柄を切断してしまったのであまり価値は無いだろう。
それでもいくらかの値段になるだろうから持って帰る事にする。
戦斧は状態も良好で、これなら結構な値段になるだろう。良い拾い物だ。
装備は皮の胸当てとかだが……臭そうだからどうするか悩む。
持って帰っても使えるかどうか。
置いていても、そのうち死体は獣に喰われ、装備は他のゴブリンやコボルトのような知能がある魔物に奪われ、再利用される。
うーん、と悩んでいると、背後で気配。
振り返ると、泣いていた女性が立ち上がっていた。
「落ち着いた?」
俺の問い掛けに、コクン、と頷く女性。
まだ結構落ち込んでいるようだ。まぁ、死に掛けたんだから当たり前か。
すぐに立ち直れる方が精神的にどうかしてる。
「じゃ、村に戻ろうか。送るよ」
戦斧を肩に担ぎ、空いた手にロングソードと二つに別れた鎚を持つ。
防具は置いていく事にする。この武器だけでもそこそこの値段になるだろうから。
この女性に臭い思いをさせるのも忍びない。
回収した武器と、ポケットにはゴブリン四匹分の牙。
これで二日は贅沢が出来る。その事実に、少し足が軽くなる。
女性の保護が目的だったはずだが、いつの間にか目的が変わってるような気がしないでもない。
『……嘆かわしい』
「この一年で口癖になったよな、その言葉」
『くっ』
「?」
独り言を言う俺を不思議そうに見上げてくる女性の視線に、何でもない、と答える。
ついつい喋ってしまうのだ。
こればかりは、しょうがない。
話し掛けられると返事をしてしまうのは、人間として正しいと思う。