第九話 腐霊の森5
地面に叩き付けるような勢いで振り下ろされる足を避け、ムルルとともに距離を詰める。おそらく大きな魔術の準備をしているのだろう。尻尾を潰してから、スケルトンの動きが単調になっている。
魔術での牽制が減り、足を振り回しての攻撃ばかり。俺は兎も角、そんな攻撃でムルルを捉える事が出来ない。八本ある足は無事だが、体と思われる部分にある肋骨のような骨はボロボロだ。
しかし、それでも魔術を使ってこない。それに、これだけムルルに攻撃させているのに、俺は接近もさせてもらえない。俺の動きが鈍いだけか、それだけ警戒されているのか。槌を構えながら、何度目かの攻撃を潰されて舌打ちする。
『どうした、レンジ?』
「なんでもないさ」
息が上がる。いつの間にか、肩で息をしてしまっていた。これでも体力にだけは自信があったのだが。
両の手で槌を握りながら、右腕に視線を向ける。この傷だ。痛みを感じないという事は、相当ヤバイ状態なのかもしれない。
それだけで心が折れそうになるが、まだ折れるわけにはいかないのだと思うと不思議と笑いが込み上げてくる。まったく……どうして俺は、こんなに厄介事にばかり巻き込まれるのか。運が悪いだけなのか、何かに取り憑かれてるのか。その何かに思い当たるモノがあり、なんとも言えない気分になる。
「心配してくれるのか?」
『……む』
「安心しろ。戦うのは嫌いだが、負ける気はない」
そう言うと、メダルから戸惑いの感情を感じる。判りやすいヤツ。だから、俺の相棒なのか。
負ける気はない。負けられない。――負けたら死ぬのだ。こんな辺鄙な森の中で死ぬなんてゴメンだ。
「これだから、魔物とやり合うのは嫌なんだ」
『……ん?』
「なんでもない。いくぞ、エルメンヒルデ――」
ムルルへ視線を向け、無言のまま同時にスケルトンへの距離を詰める。
やはり、このスケルトンは俺へと意識を集中しているように感じる。叩きつけられ、地面を割りそうな攻撃を避ける。単発ならこのまま一気に間合いへと入るのだが、続いて別の腕が横薙ぎに振るわれる。その攻撃を、槌の柄を構えて受ける。
「――ぐっ!?」
その衝撃も凄まじいものだが、それ以上に右腕の傷が痛む。その一撃で、詰めた距離をあっさりと離されてしまった。尻尾の攻撃のように吹き飛ばされないだけマシだが、人と魔物では膂力の差がありすぎる。それでも勝たなければならないのは、辛いところだ。阿弥達と分断されていないなら、さっさと逃げたいレベルの相手である。
俺が攻撃を受けている間に、ムルルが距離を詰めてスケルトンの身体を削る。その鋭利な爪が骨を削り、罅を入れる。確実にスケルトンを追い詰めているはずだ。目に見えて、スケルトンの身体の傷は増えていく。
だというのに、心中に確かな不安がある。これだけ強力で狡猾な敵が、この程度で終わるのかと。そんな筈はない、と。
「大丈夫?」
「ああ、問題無い。そっちは?」
いつの間にか俺の傍に来ていたムルルが、そう声を掛けてくる。心配そうに見上げてくる視線が、少しこそばゆい。
そのムルルも、すでに息が乱れている。よく見ると、綺麗な純白の服や髪も薄汚れてしまっていた。白い肌にも所々に小さな傷があり、血が滲んでいる。
こんな戦いはさっさと終わらせて、風呂に入らせたいもんだ。男の俺がそんな事を言ったら、変態扱いされそうだが。
俺とムルル。揃った敵を警戒してか、スケルトンが様子を見るかのように動きを止める。魔術が発動する時の、独特の感覚は無い。
「まだ動ける」
「なら、俺が攻撃を受ける。今まで通り、攻めろ」
「……いいの?」
「ああ、いいんだ」
俺の変調を感じているのだろう。視線だけではなく、声までどこか心配しているように感じる。そんなムルルに、安心させるように笑みを浮かべる。……口元が引き攣っているような気がしないでもないが。
しょうがない。意識して笑顔を浮かべるなんて経験が少ないのだ。
視線はスケルトンに向けたままの笑顔をどう感じたのか、隣に居るムルルの緊張が少し緩んだような気がした。
「さっさと終わらせるぞ。そろそろ疲れてきた」
「うん」
『緊張感が無いな、お前ら……』
「この程度の危機で緊張なんてするかよ」
そのエルメンヒルデの声に、ムルルと二人して口元を緩める。規格外のバケモノが相手でもないのに、緊張なんてするかよ。このスケルトンは確かに俺の手に余るが、それでもこのクソ骨以上のバケモノを知っている。
不思議なもので、強敵との戦闘というのは経験として残るのだ。
このスケルトン以上の化け物と戦った。その経験は、この程度のスケルトン以上の化け物と戦って生き残ったという自信は、俺の数少ない武器だ。
「いくぞ」
「わかったっ」
そもそも、それ以外に取れる手段がない。俺はスケルトンの攻撃を避けれないし、あのスケルトンはそんな俺を狙ってくる。なら、俺が囮になるだけだ。最初の作戦と変わらない。まぁ、作戦とも呼べない素人考えだろうが。
再度ムルルと別れてスケルトンへと向かう。やはり狙いは俺のようで、蜘蛛を思わせる骨の腕が狙ってくる。その攻撃を受け、流し、逸らす。その間に、ムルルが接近して一撃を入れる。
しかし、今度は敵も攻め手が違った。ゾワリ、と嫌な予感が背筋を通る。
「来るぞっ」
瞬間、ムルルの足元の土が隆起し、石の槍となって襲い掛かる。しかしその一撃を読んでいたかのように、ムルルは石の槍を足場に跳躍。その勢いでスケルトンの頭部へ一撃を入れた。
なんて身のこなしだ。言葉も出ないとはこの事か。
俺達のようにチートがあるわけでもないのにここまで戦える奴は少ない。獣人だとしても、凄すぎるだろ。
だが、ずっとそうやって驚いているわけにもいかない。ムルルを襲った石槍の魔術。それが攻撃を受けながらも再度発動される。
「くっ!?」
『避けろ、レンジ!!』
無理を言うな、くそったれ!?
咄嗟に直撃は避けたが、左足が切り裂かれてしまう。本当にメチャクチャだな、あのクソ骨。姿は消すわ、魔術は使うわ、魔神の眷属だわ。足の痛みに顔を顰めながら、二発目、三発目を避ける。足元からの攻撃ばかりだと思うと、今度は不可視の魔力弾。不意打ちで放たれた魔力弾を感知することが出来ず、槌の柄で受けて吹き飛ばされる。運良く柄に当たったが、二度目はないだろう。即座に起き上がり、走り出す。とりあえず、動きまわっていなければ石の槍に貫かれて終わってしまうのだ。新たに怪我をした左足が痛むが、その痛みを無視する。
ムルルの方は俺よりも動けているが、それでも接近する事すらできなくなっている。石の槍と不可視の魔力弾、更に骨の腕での追撃だ。俺より酷い状況だというのに、直撃がないのが凄い。
突然の猛攻に面食らってしまうが、それだけ相手にも余裕が無いのだろう。それだけのダメージを与えたのか、それとも追い詰めたのか。
槌を持つ手に力を込める。どうにかして一撃を入れる。仕留める。
だが、どうやって?
自問する。攻撃は激しく、俺では掻い潜れない。左足を怪我してしまい、走るのだって難儀している状態だ。止まったら殺されるというのに、その相手をどうにかして殺さなければならない。
『……大丈夫、か?』
「大丈夫に見えるか?」
エルメンヒルデの心配の声に応えず、逆に聞き返す。答えは無言。そりゃそうだ。右腕の傷はもう痛みを感じない状態だし、ゾンビとの乱戦で小さな傷が増えた。最も新しい傷に至っては、こちらの命綱とも言える足だ。これでは、いつまで動けるかすら判らない。
一気に決めなければならない。だというのに、解放されている制約は四つ。完全には程遠い。これほどの眷属となれば、四つしか解放されていない一撃で仕留められるか不安だ。
「だがま、諦められんよな」
負けられない。負けるわけにはいかない。
こんな死にそうな状況でも諦められない。立ち向かわなければならない。殺されないために、殺さなければならない。向かい合い、戦わなければならない。
そんな生き方、疲れるだけだというのに。それは、俺が逃げ出した英雄としての生き方に似ているというのに。
今は、そんな生き方にどっぷりと浸かってしまっている。
エルメンヒルデが望んでいた状況。だが、そのエルメンヒルデは俺を心配して敵に集中できていない。自身を武器だと自称するなら、心配するような感情なんか持つなというのだ。だから俺は、お前を武器としてみたくないのだから。そして、英雄としての山田蓮司を望むのなら、心底から俺を信じろというのだ。絶対の勝利を信じてもらえない俺は――やっぱり英雄じゃない。
俺とエルメンヒルデ。英雄でも、武器でもない。神を殺した人間と、その人間が心底から信頼する相棒。
俺は、それでいい。それが、いい。
「さ、て――」
スケルトンと向かい合う。眼球が無い眼孔が俺を射抜く。
ある筈がない視線に、絶対の勝利を抱いていると感じた。骨のくせに。
「ナメるなよ、クソ骨」
瞬間、その左半身。四本の足が、熱線によって消滅した。視認することすら難しい光量に、堪らず左手で目元を隠す。大地を穿ち、雲を裂き、天を貫く魔術の一撃。日が落ちかけていた世界が、一瞬だけ真昼の輝きを得る。そんな威力の魔術を撃てるのは、この世界には一人しか居ない。信じてはいたが……無事を確認できて、ほっとする。
ソレは一瞬だったが、確かな現実。視線の先のスケルトンは、片側の足を全部無くして地へ伏せる。それはまるで、獣が強者へ頭を下げるかのような格好だと感じてしまう。まぁ、強者は俺ではないのだが。
「……なに?」
「相変わらず派手だな」
ムルルの呟きに、そう返す。
そのまま地へ伏せるスケルトンへ向けて足を進める。魔術による攻撃は、無い。魔術を使うには集中する必要がある。足を四本無くしては、スケルトンでも集中するのは難しいようだ。
そんなスケルトンに同情すること無く、頭部へ近付くと槌を振り上げる。
オーガのような一本角がある頭蓋骨が僅かに上る。俺を見上げてくる。
「――――」
そのまま、何を言うでもなく、頭を潰した。
どれだけ過酷な戦いでも、終わりなんてこんなものだ。盛り上がりも何も無い。映画のラストシーンがこんなものでは、金を返さなければならないレベルだ。それも、魔物が相手なら尚の事。言葉が通じないのだから、辞世の句を尋ねる必要も無いだろう。
槌を振り下ろした体勢のまま、息を一つ吐く。
「疲れた」
『第一声がそれか……』
「俺らしいだろう?」
『情けないんだっ。……嘆かわしい』
そりゃすまんね。
槌が翡翠色の魔力となって霧散し、身体から力が抜ける。魔神の眷属が死に、制約の幾つかがまた未解放の状態に戻ったのだ。情けないもんだ、本当に。
「倒した?」
「だな」
今まで戦っていたスケルトンが、黒い泥のような状態となって地面へと溶けていく。今まで戦った魔神の眷属たちと同じだ。
その様子を最後まで確認し、そこでようやく腰を地面に降ろした。
「さっきの一撃は、レンジが?」
「俺じゃない。阿弥だ」
野営場所にあった穴。阿弥達はあの穴から地下に落ちていた。そこまでは予想していたが、まさか地下から魔術の砲撃を撃ってくるとは思わなかったが。下手をしたら、俺かムルルがあのスケルトンのように半身を吹き飛ばされていたかもしれない。
そう考えるとゾッとするが、まぁ終わり良ければ、という事にしておこう。深く考えると、怖くて眠れなくなりそうだ。
先ほどスケルトンに致命傷を与えた魔術の砲撃で開いた穴の傍で、ムルルと並んで腰を下ろす。ちなみに、穴の大きさは直径二メートルほど。掠っただけでも、俺とムルルなら消し飛んでいたかもしれない。……考えないようにしよう。そのほうが心臓に良い。
「大丈夫か?」
「疲れた」
『……似たもの同士か、お前達は』
「そう?」
「似てないだろ」
そのまま、何を言うでもなく二人して穴を眺める。
一生懸命戦って、死にかけて、それでも必死に立ち上がって……オチは不意打ちで阿弥が全部持っていった。
いつも思っていたが、俺っていつもこんな役回りのような気がする。必死に頑張っても、全部宗一とか阿弥とか、他の仲間達に良い所は持っていかれるというか。いやまぁ、生きてるだけで十分ではあるけど。
そんな事を考えていると、隣に座っているムルルがこちらへ視線を向けてくる。
「頑張った?」
「ああ、頑張ったな。偉い偉い」
昔、阿弥達にしてやったように軽く叩くような感じで頭を撫でてやる。
サラサラの髪が気持ちいい。
『何をやってるんだ?』
「褒めてる」
『何故?』
「なんとなく」
そうやっていると、新しい穴から微かな声が聞こえてきた。
しばらく待っていると、今度は細い手が出てくる。ムルルが身構えるが、その手には見覚えがあった。掴んで引っ張りあげると、見慣れた顔。
その顔を見て、ようやく心底から安心できた。柔らかい手が、実に女の子らしい。穴から完全に出ると、泥だらけだった。服だけではなく、髪や顔も。しかも、服が体にピッタリとくっついている。フランシェスカ嬢のスタイルは凄いので、正直に言うと目の毒である。
「無事だったか、フランシェスカ嬢」
泥まみれとはいえ、目を惹かれる艶姿から視線を逸らして声をかける
「あ、レンジ様っ」
「様付けは勘弁して欲しいんだがね」
そのフランシェスカ嬢を引き上げると、今度はフェイロナが穴から這い出てくる。
こちらもフランシェスカ嬢と同じく、服だけではなく髪や顔まで泥まみれだった。服も湿っている。穴から地下に落ちて、下に地下水でも溜まっていたのだろうか?
「何事だ?」
「阿弥殿から、魔術で押し上げてもらっている」
「なるほど」
地下から阿弥が飛行の魔術でフランシェスカ嬢とフェイロナを押し上げているようだ。器用なものだと思う。。二人には目立った傷はない。精々が泥汚れ程度だ。地下なんて光源がないだろうに、よく岩のような物を避けて押し上げれるな、と感心する。
なら最後は阿弥か。フェイロナを引っ張りあげると、髪や服に付いた泥を手で払う。そんな仕草も様になるな、イケメンは。全然落ちていないが。
「いきなり居なくなったから、心配したぞ」
「魔物に襲われてな。しかも、足止めされた直後に足場を崩されたのだ」
「そうみたいだな。結構大きな穴だったぞ」
野営場所の惨状を思い出しながら伝えると、フランシェスカ嬢は顔を青くしていた。
まぁ、あんな大きな穴から落ちて生きていたのだから、運は良いと思う。
「しかも地下には、スライムの大群まで居たんです。阿弥様が居て下さって、本当に助かりました」
「……スライム」
『……スライムか』
ムルルとエルメンヒルデが同時に呟く。
スライム。軟体の単細胞生物。物理攻撃が殆ど効かない、俺やムルルの天敵といえる存在だ。そのことはムルルも知っているようで、少し嫌そうにその名前を呟く。
俺も、あまりスライムには良い思い出がないので、なんとも言えない気持ちになってしまう。
ゲームでは最弱クラスの魔物だというのに、現実では最悪に厄介な魔物。
剣や槍で攻撃するだけでは効かず、松明の炎や魔術での攻撃が効果的。その体液には様々な効果があり、毒や麻痺のような状態異常を起こすような個体から、防具や服を溶かして防御力を下げるなんて個体も居る。そのせいで、何度地獄を見たことか。主に、仲間の女性陣から。
スライムが生み出した惨劇の記憶を思い出していると、フェイロナが俺の右腕に視線を向ける。。
「そちらも大変だったようだな」
俺の傷を見ながら、そう言ってくるフェイロナ。フランシェスカ嬢も、俺の状態に気付いたようで口元を手で隠している。
「ああ、死に掛けた。生き残れたのは、ムルルのおかげだ」
「うん」
フンス、と胸を張るムルル。微笑ましくて、三人で声には出さずに笑ってしまう。
そうやって和んでいると、穴から細い手が出てきた。
「よっこい、しょっ」
なんか、年頃の女の子が言うような事じゃないと思う。
穴から出てきた阿弥は、先の二人と同じようにその顔を泥まみれにしていた。スライムの粘液に泥が付いてしまったのだろう。
いつもは凛としているというか、大人びた美貌だというのに。今の顔は、子供っぽいと思う。
「よう」
「……ぇ?」
「凄い顔だな」
そう言うと、無言で穴の中に引き返していく阿弥。器用だな、と内心で突っ込んでしまう。モグラか。
「ほら、さっさと出てこい。野営の準備をするぞ」
左手でその細い手首を掴み、引っ張り上げる。抵抗はなく、阿弥は簡単に出てきた。思っていた以上に軽かったのは、引っ張り上げる時に穴の足場をちゃんと踏んでくれたからだろう。少し拍子抜けしてしまう。
阿弥のことだから、泥まみれの顔なんか見られたくないと、抵抗すると思ったのだ。この少女は大人びた外見通り、人に弱さを見られるのを嫌がる。
完璧な自分でありたいと思うわけではないようだが、強い自分を見せたいとでも思っているのかもしれない。
「大丈夫だったか?」
「私は――って、蓮司さん、怪我してるじゃないですか!?」
「ああ。ムルルもな」
阿弥が遠慮無く傷に触ってきて痛い。簡単に応急処置をしただけの傷は、巻いた布を真っ赤に染めるほどの出血をしていた。
傷の割には少ないが、それでも相当な出血量だと思う。
そこまで考えると、膝から力が抜けた。あれ、と思うまもなく尻餅をつく。
『レンジ?』
エルメンヒルデの声が遠い。それも、倒れた俺の心配ではなく、何故倒れたんだという疑問の声。
自分でもどうして倒れたのかわからなくて、どうして、と思う間もなく今度は全身から力が抜けた。
スケルトンを倒して、仲間と合流して、気が緩んでしまったのだろう。情けない。この程度の事で倒れてしまうなんて。
その事を謝ろうとするが、口が動くだけで言葉が出ない。パクパクと、何度か口だけを動かすと、最後には口を動かすことすら億劫になってしまった。。
目を閉じる。
世界が真っ暗になる。
――誰かが俺を揺すっている。声が、残響のように木霊して意味を成さない。
疲れた。
だから、俺は意識を手放した。




