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第八話 腐霊の森4

 どれだけの時間、森の瘴気に体を晒しただろうか。ガサ、と(くさむら)の揺れる音ともに、そちらへ視線を向ける。

 現れたのは、望んでいた不可視の襲撃者ではなかった。肉が腐り、白い骨が覗き、腐臭を放つゾンビ。身に着けているのは野犬か魔物にでも襲われたのか、殆ど用を成していないボロ布。

 ゲームに登場するゾンビのように四肢は無事だが、下顎が存在していない。あのクソ骨(スケルトン)は、どこかで俺達の事を見ているのだろうか?


「ま、そうなるわな」


 どっこいしょ、と立ち上がる。

 腰というか、身体が重い。身体が重い理由は、森の瘴気だけではないだろう。先程よりも右腕の痛みが酷くなってきている。だが、動かせないわけではない。痛いが、まだ力を込められる。剣を握れる。

 しかし、いつ動かせなくなるかは判らない。こんな状態であんな化け物を相手にしなければならないのかと思うと、泣けてくる。

 ゾンビが一体現れると、まるで示し合わせたかのように次々にゾンビが集まりだす。


『集まってきたな』

「本当にな。怪我人が相手なんだから、もう少し手加減してほしいね――なぁ、エルメンヒルデ?」


 その名を呟くと、左手の中に使い慣れた翡翠色の長剣が現れる。この世界で最も使い慣れた両刃の長剣。一振りすると、空気を切る音が耳に届く。

 ああ、これだ。この剣だ。手に馴染む。程よい軽さ。腕の延長のようにすら感じられる長剣に、頬が緩むのを自覚する。その柄尻にある翡翠の宝石の中にある七つの石。輝きは三つ。

 ズキリ、と右腕が酷く痛む。その痛みが、思考を冴えさせる。やるべきことを思い出させてくれる。


「ムルルを黙らせとけ」

『……大丈夫か?』


 ポケットの中のエルメンヒルデから、本当に心配している声が響く。その事が可笑しくて、口元を緩めてしまう。


「珍しいな。いつもは俺に英雄らしくしろと言うくせに」


 今のこの状況は、常日頃からエルメンヒルデが望んでいる状況ではないだろうか。

 誰かの為に、何かの為に――命を賭けて、護るという事。人が英雄に求められるもの。それは絶対の力であり、勝利であり、安心である。残念ながら、そのどれもを俺は叶える事が出来ない。

 だが、と。せめてこの時、この瞬間。この生命を天秤に乗せて、賭けをしよう。あのクソ骨(スケルトン)を誘い出し、仕留める。


『顔色が悪い』

「いつもと同じ顔だろ」


 神剣を握る手に力を込める。現れたゾンビの数は三体。多くはないが、時間を掛ければそれだけ増えるだろう。ムルルが不意打ちをしやすいように見晴らしはあまり良くないが、生に貪欲な死者だ。生きている人間が居るならそこに無条件で集まってくる。

 だが、それが狙い。まぁ、待っているのはゾンビやゴーストのような小物ではなく、魔神の眷属かもしれないクソ骨(スケルトン)だが。

 エルメンヒルデが俺たちにしか聞こえない声で、ムルルに動かないように指示を出す。

 右腕(利き腕)が使えない。助けてくれる仲間はいない。解放された制約は三つだけ。敵は無数のゾンビとゴーストに、得体の知れないスケルトン。絶望的な状況だというのに、不思議と絶望なんて感情は欠片(カケラ)も抱いていない。

 ゾンビが(くさむら)を掻き分けて進んでくる。ズルズルと足を引っ張るように、木の枝で自身の肉を削ぎ落としながら、声にならない怨嗟の呻きを上げながら。生きている俺を殺すために、喰らうために、仲間にするために近寄ってくる。


「怪我も、毒も、絶望的な状況も――初めてじゃないっ」


 重い体を無理矢理に動かして、左腕を一閃。斬るではなく打ち払う勢いでゾンビの胴を薙ぐ。腐った肉、傷んだ筋肉、破損した骨。その全てを薙ぎ、上半身と下半身が断ち斬られる。腹ではなく胸を両断する。だがそれで死んだわけではない。首を狙ったつもりだったが、狙いが逸れた。

 利き腕ではない事、そしておそらく熱のせいで体の感覚がおかしい。傷が熱を持っているのか、それとも本当にあのスケルトンの攻撃には毒があったのか。どちらにしても、生き残るには向かってくるゾンビを相手にしなければいけない。

 断ち斬られたゾンビの上半身が地面に落ちる。そのままその頭部を右足で踏み潰す。まず一匹。

 振り返った勢いで、さらに一閃。背後から迫っていたゾンビを吹き飛ばす。まだ新鮮な死体だったのか、左腕の力だけでは両断することができず、その肩に刀身が止められる。しかし力任せに振り抜き、ゾンビを吹き飛ばした。


『レンジ、右っ』


 エルメンヒルデの声に従い、右に飛ぶ。地面を転がるようにして移動すると、小石や枝で肌を傷つける。地味に痛い。

 しかし、先程まで俺がいた場所には三体目のゾンビが飛び掛かるところだった。あんな腐った歯で噛まれたら、毒というか変な病気にかかりそうだ。

 翡翠色の剣が魔力となって霧散し、代わりに現れたダガーを投擲してゾンビの頭部を穿つ。更にもう一本のダガーが手の中に現れる。慣れない左腕だが、両方の腕で投げれるように訓練はしている。右腕のように早くは投げれないが、狙いを定めて投げれば吸い込まれるようにしてゾンビの顔面にダガーが突き刺さる。

 沈黙。戦闘とも呼べない戦いが終わる。まぁ、たったゾンビが三体だ。これならまだ、ゴブリンのほうが厄介だといえる。動きが早いし、連携するからだ。

 そんなことを考えていると、また(くさむら)が揺れる。

 現れたのは新しいゾンビ。戦闘の気配でも察して集まってきたのだろう。もしくは、生きている人間の匂いでも感じたのか。まぁ、どちらでもいい。やることは変わらない。

 チラリ、と視線を右腕に向ける。千切った布で巻いただけの、簡単な治療しかしていない傷からは僅かに血が滲んでいる。


「さっさと本命に来て欲しいもんだ」

『ああ、そうだな。……もちそうか?』

「もたせるさ」


 ノロノロとこちらへ近寄ってくるゾンビの首を撥ねる。

 ふぅ、と息を吐く。スケルトンはまだ現れない。いや、もしかしたら俺が気づいていないだけでもうこの場に居るのか。姿が見えない、気配が無い、匂いが無い。この腐った森の中では、最悪といえる相手かもしれない。阿弥が居れば、最悪森ごと焼き払うという手段もあるんだが。

 そんなことを考えていると、更にゾンビの集団が現れる。今度は三体。おそらく近くの村人だろう、チュニック姿のゾンビが二体。そして、王都の兵士だろうか。中々に良い装備をした兵士姿のゾンビ。

 これがゲームなら、大量の経験値と金が手に入るんだがな、と。まぁ、ゾンビなんてゲームの中でもあまり金を落とさないんだが。そんなことを考えながら、気を落ち着ける。

 ムルルは気付かれてないだろうか。あの子が気付かれないように、暴れなければならない。

 ああ、腕が痛ぇ。外套(マント)を翻し、地を這う勢いで駆け出す。左腕を一閃、チュニック姿のゾンビ二体の足を撥ね飛ばす。地面に転がったゾンビ片方の喉を踏み、力を込めて潰す。腐った肉と骨が潰れる感触が、革のブーツ越しに足に届く。気持ち悪いが、だからといって止まる訳にはいかない。その勢いのまま、鎧姿のゾンビへ一気に肉薄する。

 こいつが厄介だ。いくらエルメンヒルデとはいえ、鎧を斬るには力が必要になる。左腕一本で斬れるとは思わない。そこまで、自分の力に自信があるわけではないのだ。狙うのは関節部分。肘を狙った一閃はガントレットに阻まれてしまう。利き腕ではない左では、細かな調整が難しい。攻撃を失敗した事に舌打ちし、仕切り直しのために後ろへ飛び退く。

 その直後、俺が居た位置にその手に持っていたロングソードが叩きつけられる。斬る技術なんてものはなく、力任せに叩きつけただけの一撃に地面が小さく爆発したような状態になる。それと同時に、兵士姿のゾンビの右肘あたりから(おびただ)しい量の出血。腐った肉が弾けたか、骨が肉を突き破ったのか。

 手の中の獲物が魔力の霧となり、刹那の間に刺突剣(レイピア)へと変わる。


「遅い」


 兜の隙間を射抜く。


『技術だけなら、お前も他の英雄たちと変わらんな』

「まさか。俺はバケモノから仕込まれただけさ」


 もう一度、手の中の武器が魔力となって霧散する。再度、手の中に長剣が現れる。

 俺が知っている人間の中で最強の騎士団長に。仕込まれたのは剣。短剣、長剣、大剣、刀。他の武器は、旅の途中で身につけた我流でしかない。だから、剣に頼ってしまう。


『……来ないな』

「そりゃそうだろ」

『なに?』

「俺があの骨なら、ゾンビで潰す。自分で殺す必要は無い」


 そう話していると、ゾンビがまた現れる。今度は人間だけではなく、犬のような動物、ゴブリンやオークのようなゾンビまで現れる。

 勘弁してくれ、と泣き言を言いそうになってしまう。


『それだと――ずっと現れないではないか』

「ああ、その通りだな」


 握る翡翠色の神剣が頼もしい。この相棒が居れば、もう少しだけ頑張れる気がしてくるから不思議だ。

 これが信頼なのかね?

 そんな馬鹿な事を考えると、この絶望的な状況でもまだまだやれる。一人ではない、話し相手が居るというのは存外大切な事だ。現れるはずのない不可視の襲撃者が動かざるをえない状況まで頑張らなければならないのだから。


「――いくぞ」

『あ、ああ』


 集中は切らさない。

 俺なら敵の前に姿を現さない。危険だからだ。姿を現すという事は、それだけ自分の身を危険に晒す。

 しかしあのスケルトンは姿を見せた。見せる事で、見えない敵が居るという事を俺達に教えた。おかげでこのザマだ。見えない敵をおびき出すために無茶をしなければならない。

 そうやって無茶をさせて、潰す。体力的に、物量で。判りやすい。





「は――本当に出てきやしねぇな、あのクソ骨」

『…………』


 もう何体のゾンビを屠っただろうか。息が上がり、左腕が重い。右腕の痛みも増してきているし、体力切れで身体も不調を訴えてきている。

 その疲労感を無視して、翡翠色の神剣を振る。止まれば死ぬ。ゾンビの動きは遅いが、力は強い。捕まれば、今の状態の俺では危険だ。だから止まれない。動いてゾンビを撹乱し、首を落とす。頭を潰す。

 森の瘴気だけではなく、汗も気持ちが悪い。ゾンビの――死んだ人間の返り血で外套(マント)だけではなく、服まで汚れてしまっている。こりゃ、買い換えないとダメだろうな。右腕ほど深くはないが、浅い傷も増えた。高価な服ではないが、愛着があったんだがね。


「王都に行ったら、服を買おう」

『……まだまだ余裕があるみたいだな』

「あまり、余裕はないがな」


 いくら武器が凄くても、使い手がこれでは高が知れる。

 魔物とは人よりも戦う事に特化した存在だ。魔物も、魔王も――魔神も。そんな存在と戦うには、技術だけでは駄目だ。必要なのは戦う力。この世界の人間や亜人が魔術を使うように、ムルルのような獣人が身体能力に秀でるように。

 だが、俺にはそれが無い。宗一達のように優れた異世界補正も無ければ、魔力も無い。あるのは文字通り必死に身につけた戦う技術だけ。英雄と呼ばれるに相応しい圧倒的な力ではない。誰でも身につけられる技術では、圧倒的な力に潰される。


「だが、茶番はそろそろ終わりのようだ。ムルルは……大丈夫か」

『ん?』


 あいつならもう気付いているか。

 場の雰囲気が変わる。(かす)かな変化だが、確かに感じる。それはこの世界へ召喚されて、戦い続け、育てられた勘。今まで何度も俺の命を救ってくれた、不確かだが信じられる感覚。

 後は俺が、あのクソ骨(スケルトン)の気を引くだけだ。泣けてくるね、本当に。魔神を倒すために召喚され、必死に頑張った。だというのに、魔神を倒した後もこんなにも頑張らなければならない。

 風切り音が耳に届く。いや――。


「きた」


 後ろに飛び退くと、地面が揺れるほどの衝撃。周囲に転がっていたゾンビの死体が宙を舞う。

 魔術。ソレすらも、目に見えない風の衝撃波を飛ばすタイプ。本当に隠密に特化した魔物だと思う。外套(マント)が衝撃に(なび)き、瘴気の霧が揺らぐ。

 こっちは接近戦が得意だっていうのに、遠距離戦に撤せられたら勝ち目が無い。ま、向こうもその辺りは理解してるだろう。驚きも、焦りもない。

 あのクソ骨(スケルトン)に魔術では倒せないと思わせる。ゾンビの大群だって相手にしたんだ、今度は見えない魔術を掻い潜るだけ。簡単簡単。そう自分に言い聞かせる。


『どこからだ!?』

「さてね。阿弥かフェイロナが居れば、魔力の流れなんてのも判るんだろうがな」


 俺も、もう少し制約が解放されればその辺りの流れってのも感じられるのだが。今のこの状況では難しいだろう。視線を神剣の柄に嵌められた宝石へ向ける。その中の輝きは、三つ。解放されている条件が判れば楽なんだがな、と今まで何度も思った不満を心中で呟く。

 舌打ちと同時に飛び退いて、ムルルが隠れているのとは別の巨木へ身体を隠す。

 目に見える範囲で、瘴気に目立った揺らぎはない。魔術を撃ち込まれた場所が揺らいでいるが、そこは違うだろう。そう考えていると、隠れている巨木が半ばからへし折られる。

 再度舌打ちし、別の木の影へと移動する。巨木に守られて衝撃は来なかったが、頬に鋭い痛み。飛んできた破片で切ったようで、流れ出た血を左手の甲で拭う。


「どこか判るか?」

『――すまない』

「気にするな、俺も判らん」


 情けない話だが、まずはそこからだ。身を隠している巨木がへし折られたという事は、後ろではない。隠れている木から身を乗り出すと、同時に巨木が弾ける。今度はへし折られなかったが、俺の頭と同じ高さにあった樹の幹が大きく抉られる。それが、スケルトンの魔術の威力が並ではない事を教えてくれる。直撃すれば、俺の頭なんか簡単に吹き飛ぶのではないだろうか。

 あの尻尾の攻撃だけではなく、魔術も一流か。田舎の村で戦った黒いオークも魔術を使ったが、アレとはまるで違う。同じ魔神の眷属だというのに、ここまで実力が違うものなのか。信仰心とかが違うのだろうか。豚と骨じゃ、そこまで大差無いだろうが。脳みそがあるだけ、まだ豚の方が信仰心を持ってそうだと思うが。

 そんな下らない事よりも、どうやってこのクソ骨を見つけるか、だ。さっきの攻撃も、どこから撃たれたのかまるで見当がつかなかった。風の衝撃波が見えないまでも、霧の揺らぎまで騙せるはずがないのだ。


「どうするかね?」

『どうするもこうするも、私達が取れる行動などそう多くないだろう?』

「そりゃそうだ。さすが相棒、よく判ってる」


 誘き出す事には成功した、後は姿を――。

 そこまで考えていると、空から何かが降ってきた。木々の枝を折りながら、三メートル近くはありそうな巨大な骨が落ちてくる。骨だから軽いようで、それほどの巨体なのに地響きは無い。受ける衝撃も少ないようで、すぐに動き出す。落ちたダメージは少ないようだ。

 そして、少し遅れてムルルが俺の隣に降りてくる。


「見付けた」

「そのようで」


 当然のように言うムルルに、肩を竦めて応える。その姿は、すでに戦闘状態へと移っている。

 そして、二人同時に巨木の影から飛び出す。だが、そんな俺達の行動を予測していたようにその尻尾が鞭のように(しな)って地面に叩き付けられる。一丁前に、俺達を威嚇してるのか。

 先ほど相対した時よりも、その軌跡が見える。落ちたダメージで姿が見えるというのも大きいのだろう。


「しっぽ」

「ん?」

「ごめんなさい。しっぽを落とし損ねた」

「謝ることじゃない。むしろ、見つけてくれてありがとな」


 木の上に居たのか。そりゃ気付かない訳だ。あの巨体で、とも思ったが所詮骨だ。落ちた時も大きな音はしなかった事から軽いのだろう。

 体勢が整わないうちに攻めたいが、やはりあの尻尾が邪魔だ。


「よく気付いたな」

「遅かった。もっと早く気付けたら……」

「気にするな。助かった」

『……ずいぶん、その獣人に優しいではないか』


 そうでもないだろ。

 スケルトンが完全に起き上がる。蜘蛛を思わせる八本足に蛇のような身体。撓る尻尾が木々を倒し、オーガのような一本角がある頭部。


「二手に分かれるぞ。尻尾に狙われなかったほうが、尻尾を壊す」

「判った」


 そう言うと同時に、俺が右、ムルルが左に分かれて走り出す。尻尾の狙いは――ムルル。俺よりもムルルが脅威だと判断したのだろう。


「エルメンヒルデ、やるぞっ」

『ああっ!』


 翡翠色の長剣が魔力となって消え、代わりに巨大な槌が現れる。両手で持つが、見た目ほど重くない。

 その槌を肩に担ぐ様に構えて駆け出す。骨といったら打撃武器だろ。剣のほうが使いやすいが、威力ならこっちだ。一撃で尻尾を砕く。

 巨大なハンマー部分は翡翠色、握る柄と飾りは黄金。柄尻には翡翠の宝玉があり、その中に輝く宝石の数は四つ。ゾンビと戦っていた時以上のスピードで、スケルトンの背後へと回り込む。

 スケルトンとムルルの戦いはすでに始まっており、今の俺でやっと目で追える勢いの尻尾をムルルは自分の爪で打ち払う。いくらムルルの爪が強力とはいえ、あんな勢いの尻尾をいつまでも受けられるとは思えない。目標は尻尾の付け根。

 しかし、そんな俺の狙いは判りやすいようで、こちらへは不可視の魔力弾が撃ち込まれる。霧の揺らぎと勘を頼りに直撃を避けるが、直進するスピードが落ちる。舌打ちが出てしまうが、下がる訳にはいかない。下がればそれだけムルルの負担が増える。それだけは避けなければならない。俺とムルル、どちらが欠けてもこのスケルトンの相手は厳しい。

 魔力弾を避け、打ち払う。撃ち出される数が多い。一体どれだけの魔力を有しているのかと舌を巻く。更に、その魔力弾でそこらに転がっているゾンビの死体が打ち上げられるのも邪魔だ。即席の弾幕までも避けなければならなくなってしまう。

 たった一体で集団を相手にする強さは、たしかに魔神の眷属だ。あの黒いオークやオーガとは根本が違う。何度も宗一達と――英雄達と一緒に戦った強力な敵だ。


『無事か、獣人!?』

「獣人じゃない、ムルル」


 エルメンヒルデの声に反応してムルルへ視線を向けると、最初打ち合っていた場所よりずいぶん後退していた。あの小柄な体躯では、尻尾の攻撃はこちらが思っている以上の負担なのだろう。

 だが、魔力弾の勢いが強すぎて俺も接近できない。弾幕となったゾンビの血が霧へと混ざり、紅の煙幕となる。そんな戦場の真ん中には三メートル大の、蜘蛛のような蛇ともとれるスケルトン。まるで悪魔だな、と冷静な頭が呟いた。


「ちっ」


 素で強い。不意打ちが得意だからって弱いとは限らないよな、そりゃ。

 ムルルの相手をしながら、こっちにもこれだけの魔力弾を撃てるのだ。攻め手が緩めば強力な範囲魔術も撃てると考えるべきだろう。そんなものを撃たれては、俺はともかくムルルは無事では済まない。

 攻め手は緩められない。だが、攻め切れないのも事実。せめて制約をもう一つ解放できれば――。

 魔力弾の雨を掻い潜りながら、どうしようもないことを考えてしまう。あと解放できるのは、女神アストラエラからの許しを得る事。ただそれだけ。残り二つは解放出来ない。


『チッ――レンジ、獣人が危険だっ』

「判ってるッ」


 一瞬だけムルルへと視線を向けると、打ち合うのをやめて尻尾の攻撃を避ける事に徹していた。

 すまん、と心中で謝る。俺がさっさと尻尾を壊せれば。

 さっきまでゾンビの大軍を相手にしていて、こっちの体力も残り少ない。右腕なんて、痛みが酷すぎて感覚が麻痺しかけている。槌どころか剣すら振れるか怪しいだろう。今は興奮しているが、その興奮が引いたら動けなくなる。その前に、このスケルトンを倒さなければならない。

 魔力弾を避けていると、その魔力弾が地面を抉る音とは別に、ドン、と重い音が耳に届く。ムルルの方へと視線を向けると、スケルトンの尻尾が巨木へと突き刺さっていた。

 思考が冴える。何が起こったのかと考える間もなく、一気にスケルトンへと肉薄する。エルメンヒルデを握る腕に力を込めると、それと同時に翡翠色の魔力が溢れ出す。

 視線の中のスケルトンが、一気に目前へと迫る。駆ける、駆ける、駆ける――!!


「ぶっ飛べ!!」


 スケルトンの尻尾が巨木から抜けたのか、動き出す。

 だが遅い。

 その反応よりも早く、槌を振り下ろす。翡翠色の魔力が収束し、尻尾の半ばを中心に周囲が消滅した。

 それと同時に、振り下ろした体勢で無防備な俺へ魔力弾が叩き込まれる。地面を何度も転がり、ゾンビの死体に当たって止まる。血生臭(ちなまぐさ)いというか、腐って臭い。

 だが、これでようやく最初の一歩だ。槌を杖のようにして立ち上がる。ムルルの心配そうな視線が珍しくて、口元だけだが笑ってしまう。


「こっからが本番だ」

『ああ、やるぞ。さっさと倒して、アヤ達を探さなければならないしな』


 本当にな。これで終わりじゃ無いのだ。やらなきゃならない事は多い。

 気が滅入るってもんだ。


『それに、手当をしないといけないからな』

「お前は出来ないけどな。フランシェスカ嬢にしてもらいたいもんだ」

『……』


 ああ。体中がクソ痛い。

 ま、そんなに上手くいきそうな相手ではないのだが。ムルルへと視線を向けると、その表情にはまだ諦めの色はない。だが、肩で息をしている。尻尾の相手は、相当堪えたようだ。

 相手にはまだ魔術があるし、他にも隠し玉が無いとも限らない。これだけ強いのに、姿を消して不意打ちをするようなヤツだ。警戒しすぎるのも問題だが、これで勝てると考えるのも問題だろう。


「やるぞ、エルメンヒルデ、ムルル!」

『ああ、決着を付けるぞ』

「……わかった」


 ムルルがボソボソといつも通りの声音で言う。聞こえ辛いが、ムルルらしいとも言えるのか。

 そのことに、少しだけ気が楽になる。戦う。勝つ。勝って、阿弥たちと合流して王都へと向かう。

 その為に――。


「俺がお前のご主人様を殺したんだ」


 その言葉が通じたのかは判らない。だが俺の攻撃が、この翡翠色の魔力が、どんなものなのかは理解したのだろう。ムルルではなく俺を敵として認識したかのように、スケルトンの顔がこちらへ向く。

 ああ、そうだ。殺した。あの地獄のような戦場で。沢山の人が死に、沢山の命が散った場所で。

 一瞬だけ、目を閉じる。

 黒い、黒い、黒い、黒い――闇色の外殻を持つ魔神を殺した。仲間と一緒に、友と一緒に……エルメンヒルデと共に。


「お前も殺してやる、骨野郎」


 目を開けると同時に、その決意を口にする。

 声帯の無い体で吠えるように、蜘蛛を思わせる八本の骨の足が地面に叩き付けられた。



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