第七話 腐霊の森3
結論から言うと、フェイロナ達は見つからなかった。
野営場所に辿り着く事は出来たが、そこには大きな穴が出来ていた。阿弥達が居なかった事を考えると、おそらく敵の罠だろう。魔術が使える魔物がいるのだ、どうにかして穴を掘ったのかもしれない。もしかしたら、阿弥やフランシェスカ嬢のように落とし穴でも作ったか。
名前を呼んでも返事がなかったということは、阿弥達はあの穴の底に居るという事だろうか。……どういう状況だ、と。頭を抱えた俺は悪くないはずだ。
流石に深さも、底の状態も判らないのでは飛び降りる勇気はなかった。ムルルは飛び降りようとしたが、宥めて止めた。阿弥達は大丈夫のはずだ。魔術には飛行できる術もある。阿弥のレベルなら、フランシェスカ嬢とフェイロナの二人を一緒に助けることだって問題無いはずだ。ただ、そうなると今阿弥達は何故まだあの穴の底なのか、という事になる。もしかしたら、もうすでに穴から出て俺達を探しているのかもしれない。どちらにしても、状況が不明瞭な現状では憶測では動けない。
穴の傍で待とうとも考えたのだが、それは難しい状況だ。巨木の虚に入り込み、ムルルと一緒に身を潜めながらどうなっている、と自問する。
阿弥達を待つにしても探すにしても、それどころではない。今までにない量のゾンビどもが溢れているのだ。おそらくゴーストではなく、先ほど遭ったスケルトン。アレがゾンビを操っているのかもしれない。これでは仲間を捜すどころか、俺たちがゾンビたちの仲間にされてしまう。
「どうする?」
「さて、どうしたもんかね」
虚の中は、二人が入れる程度の広さがあるとはいえ、決して余裕があるわけではない。ムルルと抱き合うような格好で密着しているので、彼女が動くとその動作が服越しに伝わってムズムズしてしまう。決して邪な感情を抱いているわけではないが、なんとなく悪い事をしている気分になってしまう。
隙間に余裕があるわけではないが、どうやら心には結構余裕があるらしい。我ながら、何とも言えないものだ。
未だ阿弥達とは合流できていないが、無事だと信じているからの余裕だろうと思う。姿が見えない襲撃者は確かに驚異だが、阿弥が遅れを取るような相手だとは思えない。なら、あの天才魔術師の事だ。フランシェスカ嬢とフェイロナだってきちんと守ってくれているはずだ。
――そう信じなければ、前に進めない。
そんな俺に、ムルルは非難がましい視線を向けてくる。
「心配じゃない?」
「仲間を信じてるんでな。フランシェスカ嬢は心配だが、阿弥とフェイロナが居るから大丈夫だろ」
嘘だ。心配している。けど、それと同時に信頼もしている。……人間の感情とは、なんとも難しいものである。そして、ここで俺まで不安になったら誰がムルルを落ち着かせるんだ、と言い聞かせる。
それよりも問題はこっちだ。
意識しないようにしているが、右腕が痛い。熱を持っているのが触らなくても判る。傷が化膿しているのか、それともあの骨の攻撃には毒があったのか。前者であってほしいものだ。
傷を負って、少ないとはいえ出血して、毒で体力を奪われるなんて事になったら足手纏でしかない。それは俺だけの危機ではなく、共に行動しているムルルにとっても危険な事だ。いざという時に俺が動けなくなれば、この子を守れる人が居なくなる。
体力を無駄にしないよう、極力動かないようにして時間を過ごす。虚の中の空気は冷たく、腕の中のムルルが暖かい。そしてそれ以上に、右腕が熱い。まるで熱した棒が腕の中にあるかのように錯覚してしまいそうになる。
『おそらくだが、阿弥達は穴の底だろうな』
しばらくそうやっていると、不意にエルメンヒルデが声を出す。
コイツの声は俺たちにしか聞こえない。ゾンビにも、あのスケルトンにも聞かれないのは便利だ。
「……どうして?」
『地上に居るなら、阿弥とあのエルフが私達の戦闘の音を聞き逃すはずがない』
ムルルが小声で言葉を返すと、そう説明する。
俺も同意見だ。これだけ時間が経っても阿弥達がアクションを起こさないとなると、そう考えざるを得ない。だがそうなると、なぜ地下から出てこないか、だ。地下に何かあるのか、それとも地下で襲われているのか。どちらにしても、俺たちと阿弥達は分断された。
「問題は、どうやって合流するか、だな」
「あの穴に落ちる?」
「登る手段が無いなら、二次遭難だ。オススメは出来ないな」
だが、もし地下で危機に陥っていたら?
そんな考えが浮かぶが、首を振る。だからといって、俺達に出来ることは少ない。それよりも、ボスと思われる――ゾンビを操っているであろうあのクソ骨をどうにかする方が先だ。
少なくとも、そうすれば最大の脅威を無くせるし、運が良ければゾンビ達も黙らせられるかもしれない。
「助けに行くにしても、待つにしてもだ。あのスケルトンをどうにかしなけりゃ、危険だ」
『そうだな。現状、この獣人しかアレには気付けんのでは、不意打ちされかねんからな』
「……ムルル」
不意に、ムルルがそう言って小さな声を発する。
何事かと視線を向けると、普段のぼーっとした視線ではなく少し怒ったような目で俺を見ていた。
「獣人じゃない。ムルル」
ああ、エルメンヒルデの呼び方が気に入らなかったのか。
『ふん。お前など、まだ獣人で十分だ』
「む……」
「こいつは、変なところは頑固でね。名前を呼んで欲しけりゃ、認めてもらえるように頑張ってくれ」
俺が一言言ってもいいんだろうが、それじゃ面白くない。それに、エルメンヒルデに認められた方が名前を呼ばれた時に色々と思う所もあるだろう。
まぁ、面倒だと言われればそれまでなのだが。だが、ムルルも負けず嫌いというか強気というか、一度こうと決めたら折れない所がある。エルメンヒルデに名前を呼ばせる為という理由ではあるが、この状況でも普段通りに振る舞えるというのはありがたい。こんな時、恐怖に負けて暴れられたら判り易い死亡フラグだ。
「さて、親睦を深めるのはそこまでにしろ。ムルル、あのスケルトンに勝てる自信はあるか?」
「難しい」
「そうか」
ムルルの答えは簡潔なものだ。判り易くて良いが、今の状況ではあまり嬉しい事ではない。
もちろん、俺では無理だ。もし万全の状態で、右腕が使えたとしても勝ち目が無いだろう。エルメンヒルデもそのあたりの事は理解しているようで、何も言ってこない。まぁ、戦えと言われても断るが。
だがそうすると、手詰まりになってしまう。阿弥達を待つにしても、あのスケルトンがいる状況では……合流しようとしたところを狙われかねない。そのくらいの知能はあると考えるべきだろう。
あのスケルトンを倒さなければならない。この森を抜けるために。仲間と合流するために。
「けど、このまま何もしないつもりじゃないよな?」
「うん。あの骨の怪物を倒す」
「その通りだ」
それに、あの化物だって無敵じゃない。先程の戦いを思い出し、いくつか情報を整理する。
あの尻尾さえ無力化できれば、ムルルならどうにか出来るのではないだろうか?
ならまず、あのしっぽを無力化する方法を考えるべきだろう。不意打ちが得意そうなヤツだ、不意打ちなんてされた事が無いかもしれない。楽観的な考えだが、賭けてみる価値はある。
まずは、あの姿が見えない襲撃者に気付かれないようにしなければならないのだが。
頭が痛い。右腕の傷が痛む。それも、ジワジワと滲むような痛みではなく、傷口に細い針を何本も刺されているかのような鋭い痛み。これは、本格的にやばいかもしれないな、と他人事のように考える。阿弥達と合流するまで、この傷の事は直視したくない。そうすれば、きっと俺は動けなくなる。戦うのは怖いし、痛いのは嫌い。化膿した傷口なんて見たら、もうダメだと心が折れてしまうだろう。
俺は臆病なのだ。
「なにかいい案はあるか?」
「レンジは?」
「俺が囮になってあのスケルトンを誘き出す。ムルルが不意打ちで、尻尾を根元からへし折ってやれ」
『……案、か?』
「案だろう?」
それとも他になにかいい案があるか、と聞くと何も言ってこない。
実際、俺達がとれる行動は限られている。森の瘴気で感覚が鈍っている獣人と、チートもまともに使えない怪我人だ。
少しでも勝率を上げるためなら、大切な物を天秤に乗せなければならない。だが、乗せられるものは限られている。その事を、俺もムルルも理解している。そして、エルメンヒルデも。
「お前は優しいな、エルメンヒルデ」
『お前は馬鹿だ、レンジ』
乗せるものは決まっているのだ。勝つ為に、揃って生き残る為に。生きて仲間とまた会う為に。そして、エルメンヒルデとムルルも気付いている。
絆も無ければ繋がりも無い。思い出と言えるものも無い。それでも、腕の中の少女の温もりが愛おしい。
死は冷たい。だからこそ、生きている者は温もりを求めるのだと俺は思う。仲間の死を看取った事もある。すぐ隣に居たのに、次の瞬間には死んでいたという事も。何度も何度も死を見てきた。感じてきた。
「レンジは、死ぬのは怖い?」
「ああ、怖い」
『……おい』
ムルルからの突然の問い掛けに、間髪入れずに答えるとエルメンヒルデから抗議の声が上がる。
しょうがないだろうが。死ぬのは誰だって怖い。死んだらそれで終わりだ。
そんな俺の感情を感じたのか、腕の中のムルルが力を抜いて体を預けてくる。突然の甘えに一瞬驚くが、それを受け入れた。この子も、俺と同じだ。戦うのが怖い。傷つくのが怖い。死ぬのが怖い。――仲間に死んで欲しくない。どんなに強くてもまだ十代半ばの子供なんだ。
こういうのを何と言うのだったか。そう一瞬考えて、すぐに思いつく。吊り橋効果だ。情愛があるわけではなく、ただ傍に俺が居るだけ。その俺に温もりを求めているだけだ。俺もそれは同じで、ムルルの温もり求めて腕に力を込める。
右腕が痛むが、その痛みが生きている事を教えてくれる。
「私も」
「死んだらもう誰とも会えないし、喋れないしな」
それに、話したいと思っても話せない。
死体は何も言葉を発しない。握った手を握り返してくれない。温もりもなく、ただ冷たいだけだ。
そしてなにより――残された方は凄く悲しい。泣きたいほどに。泣いても泣いても涙が枯れないほどに。あの悲しみをもう一度味わうくらいなら、死んだ方がマシだと思える程に。
だから死なない。死なせない。
生き残ったなら、死んだヤツの分まで生きなきゃならない。死にたいと思えるような痛みと向き合って、乗り越えなければならない。
そんな思いはもうしたくないし、ムルルにもさせたくない。阿弥達にもだ。だから生きる。俺の命を天秤に載せ、賭けに勝つ。
『まったく……これから戦うというのに、そんなことで大丈夫か?』
「大丈夫さ、エルメンヒルデ。死ぬのが怖いから生きる。生きる為にあの化物を殺す。判り易いだろ?」
『確かにそうだが――はぁ』
そのため息を聞くと、自分でも驚く程に気分が落ち着いてくる。いつも通りだ。俺がエルメンヒルデを困らせて、呆れられる。
エルメンヒルデにとっては迷惑だろうが、俺にとってはいい感じに落ち着ける日常の遣り取り。
「大丈夫」
ポツリ、とムルルが呟く。
「レンジは私が守る」
『…………は。守ってもらうの間違いだろう? これでもやる時はやる男なんだぞ、レンジは』
ムルルの言葉に一瞬惚け、次いでエルメンヒルデの言葉に肩を落とす。
これでもってなんだよ、これでもって。そりゃまぁ、そうだが。真面目にやれとよく怒られるし、否定しないけど。改めて言われるとこう、うん。
そんな事よりも、もっと実用的な事を考えたいのだが。俺を囮にするといっても、そんな判り易い罠にあのクソ骨が引っ掛かるとは思えない。何か良い餌があればいいんだが。腕が痛い。頭が働かない。
それでも考えなければならない。それに、悲観に暮れるよりもこうやって元気な姿を見せてもらえるほうが気は楽だ。
「私の方が強い」
『……おい。言われてるぞ、レンジ。何か言ってやれっ』
「否定はしない」
『しろっ』
実際、制約を二つしか解放できない俺ではムルルには及ばない。
そこまで考えて、どうして制約が二つも解放されていたのか、という疑問に辿り着いた。
一つは俺の戦う意思、戦闘意欲だろう。ならもう一つは?
ムルルと約束を交わしていなければ、この子を守れるほど強いわけではない。むしろ、守られていると感じるほどだ。
仲間の死は、その死を俺が認めなければ解放されない。俺は阿弥達が死んだとは思っていない。残り二つは、現状解放されるのは不可能だ。一つは女神と会話する必要があるし、もう一つは――もう二度と解放される事はない。それは絶対だ。
なら――。
「アレは、魔神の眷属か……?」
『なに?』
「俺達の制約だ。さっき戦った時、二つ解放されていた」
『ああ、そうだな。だがそれは、レンジの戦う意志と、この獣人を守ろうとしたのではないか?』
「むしろ、守ってもらったと思ってる」
『……相変わらず、自分を卑下しすぎだ』
そう言われても、実際その通りなのだから救いようがない。さっきの戦いでは、何も出来なかったのだから。
「制約?」
「俺とエルメンヒルデの秘密だ。色々と問題があってね、今は全力で戦えない」
「死ぬかもしれないのに?」
「死ぬかもしれないのに、だ」
なんとも悲しい話である。死ぬ事になっても全力で戦えない。
本当に意地悪な女神様だと思うよ。心の底から。
「……変なの」
そう呟くと、抱いていたムルルが小さく震えた。
「どうした?」
「どうすれば全力で戦える?」
そう言われても、この白い少女の問いに応える事ができない。
全力を出さなければ俺だけではなくムルルも危険になる。だが、全力になれない。それは、ムルルを守る為に何かを……もしかしたら守るべきムルル本人を犠牲にしなければならなくなる。そういう制約なのだ。それじゃ意味がない。
俺は誰も死なせたくない。仲間を見捨てたくないし、繋いだ手を手放したくない。腕の中の少女の温もりを、失いたくない。
本当に――俺の願いは歪だ。誰かを守るために、別の誰かを犠牲にしなければならない。それでも最強には到れず、神殺しに至るには一番大切な人すら犠牲にしてしまう。
「なら、約束してくれ」
「やくそく?」
「絶対死なないと。生きると。どんな事になっても諦めないって」
さっさと決着を付けよう。
阿弥達と合流し、このクソッタレな森なんかさっさと抜けてしまおう。
陽はまだ高いが、それももうすぐ沈む。夜はそう遠くない。不死者の時間は、すぐそこまで来ている。
「約束してくれるなら、俺が絶対お前を王都へ連れて行ってやる。みんな一緒に」
死ぬのが怖かった時、こうやって抱きしめてくれた人が居た。
怖くて、みっともなく震えて、泣いて、立ち止まって――それでも抱きしめて温めてくれた人が居た。話し掛けながら、ずっと傍に居てくれた人。アイツも、あの時はこんな気持ちだったのだろうか。
腕の中の大切な命を守りたい。そう思っていたのだろうか……。
今は逢う事が出来ないが、いつかまた――。
「約束する。絶対無事に、みんなを王都へ連れて行く。俺がお前を死なせない」
ああ、だからこんな所で死ねない。この程度の危機は、今まで何度もくぐり抜けてきた。魔王や魔神に比べたら、あんなのただの骨だ。
約束したのだ――「世界を見せてやる」と。まだ半分どころか、四分の一だって見せちゃいないんだ。
「わかった、約束する」
「なら俺も、約束する」
誓う。
あの時と同じ約束を。誓いを。口には出さず、心中に刻み込む。
――今度こそ守る。俺は英雄ではないが、神殺しだ。相手が魔神の眷属なら、戦える。殺せる。俺はその為の存在で、エルメンヒルデはその為の武器なのだから。
魔神を殺し、眷属を根絶やしにして――俺は、エルメンヒルデに武器以外の生き方を探させる。神殺しの武器が必要ない世界で、一緒に生きていく。
女神にも叶えられない、傲慢とも言える願いの為にも、俺はこんな所で死ねないのだ。
「私は死なない」
「俺が絶対、お前を死なせない。みんなで生きて、王都へ行く」
目を閉じる。鼻腔に、男の汗臭さや森を走った泥臭さとは違う甘い――少女の香り。
その甘さに心を落ち着かせる。なんだか、変態的な思考をしてるような気もするが、冷静さは必要なのだ。それに、ムルルに邪な感情を抱けるはずもない。
十代半ば、この世界に召喚された頃の阿弥と同い年くらいだ。手を出したら言い訳のしようもない変態だし、そもそも返り討ちに遭ってしまうのがオチだろう。そう思うと、手を出す気すら起きない。むしろ、そういった対象というよりも、娘とかに抱くような感情なのかもしれない。
目を閉じたのは一瞬。
『ふむふむ。あとで阿弥に教えておこう』
「空気を読め、馬鹿」
『それはそうと、レンジや』
否定もしやがらねぇ。本当に人間臭いというか、なんというか。
『私は守ってくれるか?』
「安心しろ」
ため息を吐きながら、巨木の虚から身体を出す。どこか期待するような、それとも意地悪そうにニヤニヤしているような、そんな声音に苦笑する。
ゾンビは居ない。多分、あのスケルトンも居ないはずだ。音も、気配もない。
アレが魔神の眷属かは判らないし、もしかしたら違うかもしれない。だが、ムルルよりも怪我を負っている俺を狙う可能性の方が高いだろう。
ムルルにはそのまま巨木の虚で身を隠してもらう事にする。あとは、俺という餌に食いついてもらうだけだ。こんな判り易い罠に引っかかってくれる馬鹿である事を願おう。
虚から少し離れ、それなりの大きさの木に背を預けて座り込む。右腕が痛い。だが、そのおかげで頭はスッキリと冴えている。
「死ぬ時は一緒だ、相棒」
『…………素直に喜べないんだが』
出来れば、陽が落ちる前に襲ってきてほしいもんだ。
それは甘い考えだろうか?
そういえば、ムルルは俺の事をどこまで知ってるのだろうか。エルメンヒルデの声に驚かなかったという事は、阿弥との――英雄達との関係も知っているのだろう。
この戦いが終わったら聞くか、と考える。その為にも、さっさとあのクソ骨を退治しよう。そこまで考えて、ため息を吐く。
こりゃ、死亡フラグかなぁ、と。




