第六話 腐霊の森2
腐霊の森へ侵入して四日目の夕方。野営の準備をしながら空へ視線を向ける。霧のような瘴気に遮られ、夕焼けの太陽は見えないがそのかすかな輝きが視界に眩しい。
明日にはこの森を抜けれると予想しているが、死者や悪霊の出現頻度が高い。まるで俺たちの進行を邪魔するように遭遇していると感じるのは、俺の気のせいだろうか。
フェイロナの体調やまだ見ぬ大型の魔物など、不安要素は多い。なるだけ早く抜けたいものだと気持ちは焦るが、夜の森を馬で走るのは自殺行為だ。エルフのフェイロナが居ても、強襲を受けかねない。
それに、焦らなくても明日には森を抜ける。あと一日だと自分に言い聞かせる。。まぁ、大抵はそんな時に何か起こるのだが。異世界に来てからの人生経験的に、明日は大変になるだろうなと思うと心構えが出来るというものだ。
そう考えながら、ポケットの中のエルメンヒルデがまだ黙っていることにため息を吐く。
『…………』
「まだ拗ねてるのか、お前は」
『拗ねてなどない。少し考え事をしていただけだ』
「ふぅん?」
そんな判りやすい嘘に、どう返事をするか一瞬迷って、結局あまり気にしないことにする。
実際は、口では否定しているが、武器として使ってもらえなくて拗ねているだけだろう。可愛いヤツだな、と口元を緩めるとエルメンヒルデが憮然とした感じで息を吐く。それを聞かなかったフリをして、野営の時に使う枯れ枝を集める。
「ムルル、どれくらい集まった?」
「少し」
一緒に集めていたムルルの方へ視線を向けると、片手で持てる量の枯れ枝しか集まっていなかった。
霧が濃いせいか、湿気った枯れ枝ばかりなので仕方がないのだが、まだ少し足らない。俺が集めたのを合わせても、あと倍は欲しいところだ。
ムルルもそれを分かっているようで、俺の問い掛けに応えた後は無言で枯れ枝集めに戻る。口には出さないが疲労が溜まってきているのだろう。こんな腐った森では獣人の感覚も狂ってしまい、イライラしているのかもしれない。そのあたりは、獣人ではない俺には分からないが。
「あとは俺が集めるから、少し休んでていいぞ?」
「いい。私の仕事」
「そうか」
この旅で分かったことだが、ムルルという少女は責任感が強い。いや、一人で精霊神の依頼を受けて魔術都市まで来たのだから責任感は人一倍あるのだろう。
だが、出会った時のぼんやりとした表情や金銭にあまり頓着しない性格で俺が勝手に少しぼーっとした子だと思い込んでいただけだが。
お願いした事は最後まで自分やり遂げようとする。今も、疲れているだろうに手を抜かずに頑張っている。まだ子供なのに関心だな、と思う。まぁ、冒険者として当たり前の事と言えばそれまでなのだが。
当たり前の事を当たり前にできる人材は貴重なのだ。
「フランシェスカ嬢の料理はなんだろうなぁ」
「……食べれるものがいい」
「はは――確かにそうだな」
失礼な言い方かもしれないが、ムルルに賛成してしまう。
以前旅をしたときは食事の用意は俺がしていた。貴族であるフランシェスカ嬢に料理はできないと思ったからだ。
それは俺の勝手な偏見でしかないのだが、そんな俺の考えは当たっていた。昨日の晩御飯を阿弥と一緒に用意してもらったのだが……まぁ、推して知るべしである。
食べるのに少々勇気が必要になる、という感じの料理だった。
阿弥の方はこの一年間で随分と練習したようだった。人並みの料理を作って、俺にドヤ顔を向けてきた時はどう褒めるべきか迷ったほどだ。一年前とは雲泥の差だった。褒めたのに、なぜか怒られたが。やはり、引き合いに一年前の状態をフェイロナたちに教えたのが拙かったのだろうか。
「ま、それはそれで楽しみじゃないか」
「食材への冒涜は許されない」
『……そこまで言うか』
本当にな、と心中で苦笑する。
どうにもこの少女、大食いなだけではなく食に深い思い入れがあるようだ。悪いことではない――というよりも褒めるべきところなんだろうが、その対象が旅仲間のフランシェスカ嬢なのでなんとも返事に困ってしまう。
あっちを立てればこちらが立たず。こちらを立てれば、あちらが立たず。ま、こればっかりはフランシェスカ嬢の料理スキルが一日でも早く上達してくれる事を祈るしかない。勉強好きのようなので、近いうちに食べれる食事を出してくれることだろう。
といっても、旅の途中でする料理なんて干し肉や乾パンのような保存の利く物ばかりだろうが。塩辛いので、料理が難しそうだと思う。俺やムルル、フェイロナなら野生の獣を捕まえて捌くのだが。新鮮な肉は、焼くだけでも美味いのだ。食べられる野草を摘んでシチューなんかにすると最高である。
考えていると、お腹が空いてきた。手で腹を摩ると、グゥ、と小さな音。
「……レンジは」
「ん?」
しばらく無言で枯れ木を集めていたら、珍しくムルルから声を掛けてくる。
返事をして視線を向けると、あっという間に両手一杯の枯れ木を集めているムルル。フェイロナといい、ムルルといい。野営の準備のようなものではかなわないな、と嘆息する。
「なんだ?」
「料理はできる?」
その突然の質問に、どう答えていいか一瞬分からずポカンとムルルへと視線を向ける。いやまぁ、料理の話をしていたんだからいきなり、という訳ではないんだが。
当のムルルの視線は相変わらずぼんやりとしているというか、ぼーっとしているというか。どんな感情を抱きながら聞いてきているのか判らない。ポーカーフェイスが上手だと思う。
「普通だと思うけど。そこそこ食えるくらいだとは思うが」
まぁ、不味くはない……と思う。これでも結構作って、宗一たちには文句言われなかったし。
「そう?」
「男の料理なんてそんなもんだろ。フェイロナは……滅茶苦茶上手そうだが」
『確かに。あのエルフは上手そうだな』
雰囲気的に、アイツはなんでもこなせそうな感じがする。美形だからだろうか?
だって、アイツが料理してる姿なんて絵になりそうな感じだし。そういう意味では、フランシェスカ嬢は残念美人になるのだろうか?
……自分で考えておいてなんだが、凄く酷い評価だな。絶対フランシェスカ嬢本人には言えない。そもそも、お嬢様っぽいし料理なんてしたことがなかったんだろうけど。それで食べれる物が出ただけマシなのだろうか?
今後に期待だな。うん。
「ムルルはどうだ? 料理はした事あるか?」
「肉を焼く?」
なんだよ、肉を焼くって。そんな事を言うヤツなんか初めて……というわけでもないか。
昔は阿弥や宇多野さんも同じようなものだったな、と思い出す。女性全員が料理を得意としているなんて幻想もいいところである。それこそファンタジーだ。まぁ、料理をした事が無い人がいきなり料理なんて出来るはずもない。当たり前のことだ。
「今度、フェイロナか阿弥に料理を教えてもらうか?」
「私は食べるほうがいい」
即答だった。その事にどう応えることもできず、視線を逸らして枯れ木集めを再開する。
ムルルらしいと言うかなんと言うか。判りやすいが、この子の将来が心配だな、と思ってしまう。
「なぁ、ムルル」
「なに?」
「王都で精霊神の依頼を果たしたら、その後はどうするんだ?」
「森に帰る……と思う」
「そうか」
「まだ判らない。森の外はご飯が――」
そこまで言った瞬間だった。ムルルが集めた枯れ枝を放って地面を転がるようにして俺の方へと来る。
その白い外套が落ち葉と土で汚れるが、ムルル本人はそんな事を気にすることなく先程まで自分が居た位置を睨みつける。そのただならぬ気配に俺も枯れ枝を放り、鉄のナイフを抜く。
「どうした!?」
「なにか居るっ!」
瞬間、ムルルが自身の爪で虚空を薙ぐ。ガンッ、と重苦しい音とともに火花が散った。
『敵か!?』
「さぁなっ!」
わずかに聞こえる風切り音を頼りに、俺も後ろに飛び退く。すると、先程まで俺が立っていた地面が弾けた。
「魔術か!」
地面が弾け土埃が舞うと、その不可視の襲撃者の得物が僅かに見えた。魔術で自分の姿を隠すことは出来るが、音や気配までは隠せない。僅かな風切り音に警戒していると、霧のような瘴気が不自然に揺らいでいる場所を見つける。おそらくそこにこの襲撃者の本体が居るのだろう。明らかに遠い。触手か何かで攻撃してきているのだと予想する。こちらの攻撃が届かない距離からの襲撃。頭が良い……ゾンビやゴーストの類ではないと判断する。その上で魔術まで使えるとなると、相当厄介な魔物なのではないだろうか。
しかし、そんな高等な魔物がこんな森に居るのか、と。自問するが、答えを出す前に再度風切り音が耳に届く。背筋に嫌な汗が流れた気がした。
敵の太刀筋が見えないし、狙いも判らない。見えない事に動揺し、攻撃を受けるか避けるか……その動作が一瞬遅れてしまった。
「くっ!?」
『レンジ、一旦引け!』
辛うじて鉄のナイフでその攻撃を受けたが、左手が痺れてナイフを落としてしまう。
クソ重い一撃に、喉元まできた悲鳴をなんとか飲み込む。エルメンヒルデの声に反論する余裕もなく、言われるままに更に距離を取り、それなりに大きな木に身を隠す。ムルルはその不可視の相手からの攻撃を、油断無く爪で切り払っている。
野生の勘か、それとも瘴気の霧の不自然な揺らぎから攻撃を予想しているのか。どちらにしても、凄まじい技量である。
「阿弥!フェイロナ!!」
恥も外聞も無く、大声を出して仲間を呼ぶ。
唇を噛む。左手の痺れもそうだが、この魔物は俺たちが分かれるのを待っていたのではないだろうか、と考えてしまったからだ。そこまで頭が良い魔物が行動を起こしたという事は、俺かムルルを確実に仕留めれる自信があるからだ。
その辺りの勘は、俺たち人間よりも魔物や獣人の方が鋭い。その事が苛立たしい。ムルルに何か声を掛けようとして思い留まる。フェイロナ達が来るまで、この不可視の敵の相手はムルルに頑張ってもらうしかない。不用意な言葉で、ムルルの集中を切らせたくなかった。
「エルメンヒルデっ」
『判っているっ』
その言葉と同時に、手の中に銀色の長剣が現れる。
その柄に飾られた翡翠色の宝石の中で輝く宝石は二つ。何の条件が解放されたか判らないが、二つだけでは碌な武器も創れやしない。そのことに舌打ちするが、現状が好転する事はない。精々が身を守る武器がナイフから長剣に変わった程度である。
霧の揺らぎを確認する。大本と思われる場所から、なにか触手か鞭のようなものが撓りムルルを襲っている。その動きは凄まじく、制約を二つ解放した俺が目で追うことすら難しい。霧が揺らいでいるからなんとか確認できるだけだ。
このままでは、ムルルが危険だ。いくら彼女が強いとは言え、不可視の相手ではどこまで戦えるか判らない。彼女の得意な戦い方は、その早さを活かした移動戦だ。足を止めての切り合いは彼女本来の戦い方ではない。おそらく動かないのは、動いたら敵の攻撃を見失うからだろう。敵の攻撃が見えないのなら、足を止めて防御に回ったほうが安全だと判断したのか。
阿弥達を待つか、動くか。左手を握ったり開いたりして、痺れの状態を確認する。
「一気に行くぞ」
『ああ』
そう言うと同時に隠れていた木から飛び出し、最短距離で大本がいると思われる場所へと突っ込む。ムルルが攻撃を弾いた直後の行動に、敵の動きが一瞬止まる。俺とムルルのどちらを狙うか迷ったのかもしれない。
しかし、その迷いも一瞬。次の攻撃の目標は俺。霧の揺らぎを確認する事で、なんとか攻撃が来る場所とタイミングを予想する。両手に持った銀色の剣が軋み、手が痺れる。一瞬体が浮いたように感じたのは気のせいではないだろう。どれだけ馬鹿力なんだ、この魔物は。そう心中で絶叫する。
だが俺が狙われた直後、今度はムルルが敵の大本へ向けて疾走する。俺とは違い、凄まじい速さで肉薄すると美しくも切れ味が鋭い爪を一閃。なにか硬いものを砕いたかのような音が森に響く。出血は――無い。
それを確認すると、俺もムルルもその魔物から距離を取る。空間が揺らぐ。その魔物の輪郭が徐々に顕となっていく。ムルルの攻撃で魔術が解けるのだ。
最初に感じたのは、白いという事。しかしそれはムルルのような美しさを感じる純白ではなく、白く濁った――骨。大きさは大人の象くらいはあるだろうか。とても大きい。足は八本、蜘蛛のような、だがその身体はムカデのように細長く、首もそれに合わせるかのように長い。その首の先には一本角が際立つオークの頭部。そしてなによりも目を引くのは、残像すら残す勢いで振り回されている尻尾――。
「ム――」
注意するよりも早く、体が動いた。
視認することすら出来ない尻尾の一撃を、ほとんど勘だけを頼りに防ぐ。握っていた剣が弾き飛ばされ、受けきれなかった衝撃に体が吹き飛ぶ。
一瞬の浮遊感の後、背中から衝撃。地面を転がり、さらに追い討ちとばかりに木の幹に身体を打ち付ける。肺から空気を無理やり吐かされ、酸欠に視界が霞む。身体から力が抜けて地面に伏すが、それは一瞬。自由にならない身体に鞭打って、先ほど背中を打ち付けた木に背を預けながら立ち上がる。そのまま眠ったら楽なんだろうが、そうすると二度と朝日は拝めないと判っている。
『レンジ、レンジ!!』
「聞こえてる。耳元で怒鳴るな……」
直後、右手に握り慣れた感触。それを両手で握り、剣道で見るような正眼に構える。
ジャリ、という足音に身体が強張る。カウンターで自慢の尻尾を斬り落としてやる。技術的に難しいだろうが、絶対の意思を持って剣を構える。しかし、追撃は来ない。俺の荒い息だけが耳に届く。
どれほどの時間、そうやっていただろうか。不意に、剣先に何かが触れた。その直後、剣を振り上げ――。
「もう大丈夫」
その声に、緊張が緩む。聴き慣れた声だったからだ。
「――ムルル?」
「うん」
「はぁぁ……」
その静かな声は確かにムルル本人で、今はもう戦闘状態を解いている。先ほど剣先に触れたのは彼女の小さな指だと判断すると、全身の緊張を解く。
そのままズルズルと地面に尻餅をつくと、深い深いため息を吐く。
「さっきの魔物はどうした?」
「逃げた」
「……逃げた?」
「うん」
俺を仕留める絶好の機会だったろうに。それとも、弱らせてから確実に狩るつもりなのか。
後者だろうな、と思うと気が滅入る話である。引き際が良いのは、狩りに慣れているからかもしれない。それとも、見た目の厳つさに反して、臆病なのか。どちらにしても、戦いづらい事に変わりはない。目に見えず、クソ強い。反則だろ、と心中で毒づく。
突然感じた右腕の痛みに目を顰め、視線を向ける。見ると、肘から肩にかけて酷く切り裂かれていた。あれだけの攻撃を受けて、これだけの傷で済んだことを幸運だと思う。下手をしたら、右腕が千切れ飛んでいたところだ。
何もする気が起きない。生き残れた事で気が抜けた。ただぼんやりと、止血をしないとな、と考えてしまう。
「大丈夫?」
俺の右腕を見ながら、ムルルが心配そうに聞いてくる。
その事が嬉しくて、俺も自然と頬が緩んだ。怪我をしたが、俺もムルルも生き残れて良かった。そう思うと、いくらか気が楽になる。
「ああ、大丈夫だ」
しかし、そうも言ってられない。これだけ経っても阿弥たちが来ないということは、向こうにも何かが起きたということだろう。
再度木に背を預けるようにして立ち上がると、野営場所に決めていた方向へ歩き出す。……そして、すぐに足を止める。
「野営場所は、どっちだ?」
「……ごめんなさい」
先ほどの戦闘で、完全に方向感覚を無くしてしまっていた。
目印になる様な木も、戦闘で折れたり傷ついてしまっている。これでは、どの方向が西か東かも判らない。
それはムルルも同じようで、俺と一緒に立ち尽くしてしまっている。
「おい、フェイロナ!!」
大声を出すが、返事はない。
向こうも何かあったと確信する。そもそも、そこまで離れた場所で枯れ枝集めをしていたわけではないのだ。あんな戦闘が起きれば、簡単に気付いてくれる。
考えられるのは、向こうも同じか、別の魔物に襲われたということ。しかし、あんな規格外とも思えるような強力な魔物がそう何匹も居るとは思えない。……思いたくない。とりあえず、悪いことはあまり考えないようにする。そうしなければ、ずっとのこ場所で立ち止まったままだ。
頭を掻き、これからどうするか考える。野営場所を探して闇雲に動くのは危険だろうか。二次遭難というか、完全に迷ってしまう可能性が高い。しかし、もうすぐ陽が落ちる。そうなると、死霊たちの時間だ。先ほどの魔物の事もあり、できれば仲間達と合流したい。
「ムルル。さっきの魔物か、阿弥たちか。匂いは判るか?」
そう聞くが、首を横に振られる。心なしか、彼女のオオカミ耳が力無く垂れているような気がする。
「どうかしたのか?」
「ん?」
「元気がないみたいだからな」
とりあえず右腕の服を裂き、傷口を確認する。深く裂けてはいるが、骨は覗いていない。それに血管も傷つけていないようで、見た目ほど出血は多くない。不幸中の幸いか。泣くほど痛いが、今すぐ死ぬというほどじゃない。
脇を絞るようにして簡単に止血をし、更に左腕部分の服をムルルに手伝ってもらって裂くと、その布で傷口を圧迫する。これで少しは出血を抑えられるだろう。圧迫した痛みのおかげで思考も冴える。
「元気を出せ、ムルル。すぐにフランシェスカ嬢達と合流できるから」
「うん。フランシェスカ達は、無事?」
「ああ、無事だ。俺みたいなヘマもやらかしてないだろうしな」
あのメンツなら、フランシェスカ嬢を庇いながら上手く立ち回れるはずだ。
不安はまだあるが、向こうには阿弥が居るのだ。今は無事であることを信じよう。それよりも、問題はこっちだ。道に迷って道具もない。しかも一人は怪我人だ。足手纏いどころか、このケガが足だったら見捨てられるレベルである。まぁ、ムルルがそこまで薄情だとは思わないが。
「ここを中心に、少し周囲を歩くぞ。野営場所からはそんなに離れてないはずだ」
「うん。傷、手当しないと」
「それもあるが、フランシェスカ嬢達が心配だ」
こっちは前衛二人、向こうは後衛三人だ。パーティバランスが悪いというレベルじゃない。早く合流しないと、次にまた襲われるのは俺だろう。怪我をして弱っているし、制約を解放できない現状ではまともに戦えない。
そんなことを考えながら、ふとポケットの中のエルメンヒルデが全然喋っていない事に気づいた。
「おい、どうした?」
無事な左手でポケットを叩く。
『……すまない』
そうすると、なんだか重苦しい声で謝られた。
何だ、と首を傾げてしまう。何か変な事でもやっただろうか?
そう考えるが、特に何も思い浮かばない。あの魔物に襲われたことを気にしてるのだろうか? エルメンヒルデは何もしていないはずだが。
「ん?」
『私が役に立ちたいと言っておきながら、このザマだ』
「いや、お前のせいじゃないだろ」
俺の実力不足なところが大きいと思うんだが。
むしろ、あんな魔物と戦って、この程度で済んでいる方が奇跡に近い。エルメンヒルデとムルルには感謝こそすれ、非難することは何一つ無い。
「気にするな、相棒。次は勝つぞ」
『…………ああ』
まだ元気が無いなぁ。変なところで打たれ弱い相棒をどうやって慰めるかな、と考えていると外套を引かれる感触。
視線を向けると、ムルルが俺を上目遣いで見上げてきていた。可愛いな、チクショウ。
「なんだ?」
「誰と話してる?」
ああ、と。
「そう言えば、まだ聞かせてなかったな。ほら、エルメンヒルデ。挨拶しろ」
『その言い方だと、私がなんだか――いや、まぁ、いいか』
普段だとそこで食いついてくるのだが、どうやらこちらが思っている以上にダメージが大きいようだ。
怪我をしても、生きてるならそれで御の字だと思うのだが。相変わらず頭が固いヤツだ。
ふと地面に視線を向けると、得物として使っていた鉄のナイフが視界に入る。完全に折れていた。柄を手に取るが、これ以上は使えないだろう。柄だけを鞘に収める。これからは、完全にエルメンヒルデ頼りだ。
『ん、んっ。聞こえるか、獣人?』
「!?」
その白い小さな肩が驚いたように突然跳ねる。
どうやら、エルメンヒルデの声が聞こえたことに驚いたようだ。
『私はエルメンヒルデ。女神アストラエラがヤマダレンジに授けた神殺しの武器にして、英雄の剣だ』
「その紹介はやめろ。俺は英雄なんてガラじゃないんだよ」
何回言えば判るんだ、このバカは。
そう溜息を吐く。
「うん、よろしく」
しかし、ムルルの反応は予想していたより淡白だ。多分、阿弥かフランシェスカ嬢にでも俺の事を聞いていたのだろう。
阿弥のような救国の英雄がこんな依頼を受けたのだ。その説明するついでに教えたのかもしれない。
『む……』
だが、エルメンヒルデとしてはもっと驚いて欲しかったようで、なんだか納得がいかない声を出している。
いいじゃないか、初めて声を聞かせた時に驚いてくれたんだから。それで満足してろよ、と思う。
「自己紹介も終わったら、さっさと阿弥達と合流するぞ」
このままじゃ、次に襲われたらムルルはともかく俺がヤバい。
そう言いながら、目印になりそうな木を気にしながら歩き出す。戦闘の影響で地形が判り易くなったのは救いか。この戦場を中心に周囲を探索することにする。
どうにかしてフェイロナ達と合流しなければならない。できれば陽が落ちる前に。
明日には森を抜けられると楽観視したら、直後にこの状況である。流石に心が折れそうになるが、そうも言ってられない。
俺より十歳以上も年下のムルルが居るのだ。俺が先に折れるわけにはいかない。頑張って歩こう。この子を王都まで無事に連れて行くのだ。絶対に。




