第四話 王都への道4
馬上から見る景色は懐かしく、気分が弾んだ。それはもう、年甲斐も無くだ。
だが、馬での移動というのは、歩きとはまた違う筋肉を使う。まぁ何を言いたいかというと、全身が痛い。
「……疲れた」
『またそれか』
エルメンヒルデの呆れ声も、もう何度目だろうか。
だが本当に疲れたのだ。一年前は日中通して戦闘をして、更に夜は寝ずの番をしても頑張れたというのに。一年のブランクというか、年を取ったというか。
そんな事を考えながら眼前で燃える焚火に枯れ木を放る。
「少し寝たほうが良いんじゃないか?」
「ああ。後で代わってくれ」
フェイロナが少し心配そうに聞いて来るが、火の番の順番は決めていたので破る訳にはいかない。
まぁ、数時間後はフェイロナと交代なので、それまで頑張るだけだ。
日中の移動で疲れたのだろう、フランシェスカ嬢とムルルはすでに柔らかい草の上に横になって休んでいる。テントの様な上等なモノは用意していないので、草の上に毛布を敷いてから、包まって眠ってもらっている。
今起きているのは俺とフェイロナ、それに阿弥の三人だ。三人で焚火を囲むように座っているが、あまり会話は無い。
夜の闇の中、焚火がパチパチと爆ぜる音と風の音だけが響く。
「では済まないが、先に休ませてもらおう」
「そうしてくれ。時間になったら起こす」
「……では、ごゆっくり」
「――は」
なにを「ごゆっくり」なんだか。鼻で笑い、パキリと枯れ木を折る。
こちらに意味深な視線を向けて、フェイロナも毛布に包まって横になる。残ったのは俺と阿弥の二人。それにエルメンヒルデだけだ。
「寝なくて大丈夫か?」
「えっと。……はい」
そうか、と。先ほど折った枯れ木を焚火に放る。
口には出さず、ただ懐かしいな――と心中で呟く。
魔神討伐の旅。その最中は良くこうやって、阿弥と二人で火の番をしたものだ。あれは何時からだったか……最初の頃は警戒されていて、まともに話せなかった事は覚えている。一角鬼か何かと戦った時に助けて、それから話すようになった。
話すようになったきっかけは思い出せるが、それがいつ頃だったのかは曖昧だ。多分、阿弥はちゃんと覚えてるんだろう。そう考えると、申し訳なく思ってしまう。
「懐かしいですね」
どれくらいの間、無言だっただろうか。ふと、阿弥がそう声を掛けてくる。
「ああ、そうだな。昔はよく、こうやって一緒に火の番をしていたな」
「……。はい」
そう応えると、嬉しそうな返事が返ってくる。俺が覚えていたことが嬉しいのか、会話が成り立って嬉しいのか。たぶん前者だろう。
焚火の光に照らされた横顔は、あの時よりも随分と大人びて見える。
「なぁ、阿弥」
「なんですか?」
「魔術学院はどうだ? 楽しいか?」
そんな質問すると、視線がこちらに向き、次に肩を震わせて笑われてしまう。笑い声は抑えているが、よほど面白かったらしい。
変な事を聞いただろうか、とこっちは首を傾げてしまう。
「蓮司さん、お父さんみたいなことを聞くんですね」
「…………そうか?」
別段そんなつもりは無かったのだが、と頭を掻く。
それがまた可笑しかったのか、阿弥は肩を震わせる。
『もっと色気のある質問でもすればいいだろうに』
「どんな質問だよ」
なんだよ。色気のある質問って。
そう考え――。
「なぁ、阿弥」
「ふふ。今度はなんですか?」
「んー……」
何か話題を出そうと考えるが、考えが浮かばない。色気のある質問なんていくつか思いつくが、阿弥に「彼氏は出来たか?」なんて聞こうものならどんな目に遭わされるか……簡単に想像できてしまうのだ。
弥生ちゃんには彼氏なんかできないだろうし、宗一はこの前聞いた時に彼女は居ないと言っていた。アイツは不器用なので、嘘は下手だ。たぶん本当だろう。
先程のエルメンヒルデの一言で、なんだか質問の難易度が一気に上がってしまったような気がする
「もう」
しばらく悩んでいると、阿弥から呆れた様な、でも少し楽しそうな溜息を吐かれてしまう。会話もまともに出来ないなんて、何とも情けない大人である。
そう肩を落としていると、柔らかく笑顔を浮かべながら阿弥が焚火に枯れ木を放る。
その笑顔を見ながら、大人っぽくなったなぁ、とぼんやりと考えてしまう。昔は子供っぽい所もあったし、可愛い所もあった。時折見せる大人っぽい仕草に驚かされるところもあった。
でも今の笑顔は、見ていて目を奪われるくらいに女らしい表情だと思えた。その気持ちが何だか悪いもののように思えて、視線を阿弥から焚火へと移す。十歳も年が離れた子供に何を思っているんだか。そう溜息を吐く。
阿弥よりも自分の方が子供っぽいように思えてしい、恥ずかしいやら情けないやら。
「魔術学院。楽しいですよ。友達も出来ましたし、難しい魔術書をたくさん読めますし」
『友達か。阿弥なら、男友達も多いだろう?』
そんな事聞くなよ。相変わらずの発言に、俺の相棒には空気を読むという事を覚えてほしいと切に願ってしまう。
その発言の意図をどう捉えたのか、阿弥ははにかんだような笑顔で焚火を見つめている。そんな笑顔を見せられると、この一年で阿弥も成長したよな、と思わされる。そのはにかんだ笑顔は、一年前には感じなかったモノを感じさせられた。
取り敢えず、空気を読めという意味を込めてポケットの上からエルメンヒルデを叩いておく。
「ま、楽しいならいいさ。学生同士、友達と遊ぶのは大切だ」
また、話題を逸らす。きっと阿弥なら、エルメンヒルデが言うとおり男友達も多いだろう。いや、友達以上に思っている男連中ばかりなのではないだろうか。
身内贔屓になるかもしれないが、阿弥は美人だ。同年代の女子たちと比べても垢抜けていると思う。俺だって男だ、仲間だろうが年下だろうが、そういう目で見てしまう。今でこそ当たり前のように話せているが、こうやって異世界に召喚されなければ接点すらなかっただろう。
今はそれに、英雄としての肩書まである。貴族の男子に目を付けられるのも当然だろう。
「……それだけですか?」
どうやら俺の言葉に不満があったようで、阿弥が唇を尖らせる、
視線も少し鋭くなったような気がするが、気付かないふりをして焚火に枯れ木を放る。パチパチと火が爆ぜる音が心地良い。
『まったく』
「俺としては、阿弥には学生らしく、学生生活を楽しんでもらいたいんだがな」
多分、その為に宇多野さんも阿弥達を魔術学院に送って学生生活をさせてるんだろうし。
十五歳。普通なら学生として友達と遊んでいた時期だ。十八歳なら今頃女子高生なのか、と考えてしまう。
「蓮司さんはそうやって、いっつも逃げてばっかりですね」
「大人だからな」
「ズルいです」
「大人はズルいんだよ、阿弥」
そう言って肩を竦めると、溜息で応えられる。エルメンヒルデも同様だ。
だが、馬鹿正直な言葉で応えるなら、俺は一歩踏み出さなければならなくなる。阿弥が俺に求めている物は何か、明確に問わなければならなくなる。
それはきっと、阿弥はまだ望んでいない事だろう。現に、こうやって俺が逃げの一手を打つ事に不満を感じていても、本気で怒ってはいない。この言葉遊びを楽しんでいる節がある。
しばらくの無言。また、火が爆ぜる音と風が草木を揺らす音、それに俺達や眠っているフランシェスカ嬢たちの寝息の音だけが耳に届く。
「懐かしいですね」
「懐かしいな」
以前何処かで、こうやって焚火を囲みながら同じ事を話したような気がする。
俺はズルくて、阿弥はまっすぐで。
俺が求められているものはなんだろうか。
阿弥が求めているものはなんだろうか。
旅の途中。何度も宇多野さんや藤堂達に怒られた事だ。それでもまだ、俺達は答えを出していない。そして、答えを出したとしても、その答えに応えられるとも限らない。
『まったく二人して……本当に進展しないな』
「お前は黙ってろ」
本気で投げ捨てるぞ、この野郎。
「エルは変わったわね」
『ん?』
「人間臭くなった」
『……私は武器なんだがな』
その阿弥の言葉に、声を押し殺して笑ってしまう。俺が笑うとエルメンヒルデの憮然とした雰囲気を感じた。しょうがない、俺はお前を武器としてではなく相棒として見ているのだから。
だから、阿弥がそんな風に言ってくれるのは嬉しいし、お前がそんな風に人間臭く憮然とするのは楽しいのだ。
「だ、そうだ」
『レンジもアヤも、どうして私をそうまで武器扱いしないのか……いや、召喚された仲間たち皆がそうだ』
そう、ぶつぶつと文句を言い始める様は、確かに人間臭い。
それがまた可笑しくて、阿弥と二人で笑ってしまう。お前が変な事を言うから悪いのだ。俺達は進展しないのではなく、進展させないのだから。
「少し寝たらどうだ?」
「蓮司さんが寝る番になったら、寝ますよ」
それに深い意味は無いのだろうが、捉え方によっては勘違いされるんだろうな、と思う。
「他の誰かにも同じような事を言ってるんじゃないだろうな?」
「言いませんよ。蓮司さんにだけです」
阿弥がくすくすと笑う。本当に楽しそうな笑い声にどう応えるべきか考えながら、結局応える事無く頭を掻く。
本気なのか、からかわれているのか。きっと後者なのだろう、と思う事にする。その方が心臓に良いからだ。
「そうか」
「はい」
だから、出た言葉はそれだけ。阿弥の返事も、たったの一言。
それでいい。ただ、そう思う。
パチパチと火が爆ぜる。二人して焚火を眺めながら、息を吐く。一年経っても変わらない。それは良い事なのか、悪い事なのか。エルメンヒルデの言葉を使うなら、進展が無い。
そう考えていると、音をたてないようにして阿弥が立ち上がる。そしてそのまま、俺が椅子代わりにしている平坦な岩の端にちょこんと座ってきた。
「昔、旅してた頃もそうやって来たな」
「……もう」
ただ、あの頃よりも今は距離が近いような気がする。
これは進展していると言えるのだろうか。そう自問する。
『ふむ』
そして、あの頃とは違ってエルメンヒルデを預けられる仲間が居ないというのも問題か。
あの頃、火の番をする時は宗一や宇多野さんに預けていたものだ。今度野営をする時は、フェイロナかフランシェスカ嬢にでも預けようかと考える。まぁ、このパーティがいつまで続くか判らないし、阿弥との旅もこれっきりかもしれないのだが。
結局この後は、二人してあまり喋る事無く火の番に徹していた。フェイロナと交代の時間をいくらか過ぎていたのは、俺たちが真面目過ぎたからだろうと思う事にする。二人でする火の番が、思っていた以上に懐かしい気持ちになってしまったからかもしれないが。
一年経っても進展が無いという事は、一年前と変わっていないという事。勝手に姿を消したというのに、阿弥の中で俺の立ち位置は変わっていないという事。それは――喜ぶべき事なのだろうか。
フェイロナと火の番を交代して、毛布に包まりながらそう自問する。そして、苦笑しながら目を閉じる。
「おやすみ、エルメンヒルデ」
『ああ。よく休め、レンジ』
明日から、不死者と悪霊が跋扈する森を踏破するのだ。余計な事を考える余裕なんか、俺には無い。
そうやって、自分自身にも逃げの一手を打ってしまう自分が嫌になる。
大人というのは汚い。逃げてばかりだ。




