幕間 賢者の一幕
今朝方渡された書類に目を通し、問題が無いならサインをして作業を開始させる。不明点等があれば、責任者を呼んで説明を受ける。魔神討伐後、私はイムネジア王国で人の上に立つ仕事に就いていた。自分でもあまり似合わないとは思うが。
ここ最近はずっとこんな毎日を過ごしている気がして、目頭を揉みながら溜息を吐く。最後に城下町へ繰り出したのは何時だっただろうか?
いや、まともに丸一日休んだのは何時だっただろうか。そう考えて、私は何をしているんだろうかと天井を見やる。まぁ、何をやっているかなど、考えるまでも無いのだが。
英雄だ賢者だと謳われても、中身は普通の人間だ。頭を使えば疲れるし、身体を動かさなければ気が滅入る。さりとて魔神が討伐された今、必要とされるのは戦う力ではなく人を導く手腕。
残念な事に、私には内政というか人に仕事を与える場が与えられていた。魔神討伐を果たした一年前から、この国――イムネジア王国の内政官という役職に就かされている。いや、私に才能があったというよりもこの国の内政・外交のレベルが現代社会よりも低いから私の知識が斬新過ぎると捉えられただけなのだが。
魔族と魔神の脅威に晒され続け、戦争に関する技術ばかりが尖ってしまっているのがイムネジア王国の現状だ。娯楽などは殆ど無く、貴族が管理する土地も管理する農夫が確保できずに使われていない場所ばかり。
物作りも武具に重点を置いており、服や装飾のような嗜好品は貴族が見栄を張る為の道具でしかない。一般市民には普及していないのは高価すぎるというのもあるが、生活に対する余裕が無いのも原因の一つだ。
魔物の脅威はいまだにあるし、魔族だってまだ存在している。魔神が討伐されたという解放感は一時的に民衆の間に広まったが、だからといってそれで生活が変化した訳ではない。それに、失業者や孤児が減るという訳ではない。魔物の襲撃で仕事場を失ったり、家族を失った人たちは多い。
知識はあるが経験が無い私ではまともな仕事斡旋など出来るはずもないし、孤児院を建てるにしても必要な物が判らない。おかげでこの一年、頭が痛い毎日を送っている。明らかに人選を間違えているだろう。もっと仕事に慣れた人を補佐に付けてほしいものだ。まぁ、聞けば教えてくれるだけマシだと思う事にしているが。
最近は少しは慣れてきたという思いがあるが、それでもまだまだだ。王都ではとても、やる事が多い。街道の整備に王城や王都を囲む防壁の修理。いまだ仮設住宅に住んでいる住人の家屋を立て直さなければならないし、食料も孤児たちには行き渡っていないので周辺の村々から無理のない徴収もしなければならない。
今は王都だけではあるが、いずれは地方の村にも孤児院は建てたいし、畑だけではなく工場の様なものを建ててみたい。土地と人員は大量に余っているのだから、挑戦してみる事も必要だろう。
今日も一日、机に齧り付いて書類と睨みあう事になるんだろうな、と思うと泣けてくる。
「私も誰かさんみたいに、旅に出れば良かった……」
そう呟くが、返事は無い。
私が執務室として与えられた部屋は広いが、人は居ない。異世界人である私の考えはこの世界では独特過ぎて、誰とも話が通じないのだ。
いや、私がコミュ障というわけではなく、この世界の皆が頭が固いのだ。おかげで、言い寄ってくる男も居やしない。見る目が無い連中だと思う。
十数の本棚に、執務用の机。来客用のソファとテーブル。簡易キッチンには食材ではなく茶葉とティーポット、カップなどだけが用意されている。部屋の掃除はメイド達がしてくれているが、机の上は書類や書物等が散らばって凄い事になっている。私だって整理整頓が苦手という訳ではないが、毎日書類と睨めっこをしているとどうしても机の上が散らばってしまう。もう一度言うが、私は整理整頓が苦手な訳ではない。……得意とも言えないが。
パチン、と指を鳴らすと本棚から本が一冊、誰が持つわけでもないのにふわふわと浮いて私の手元に来る。『浮遊』の魔法。私のチートである、『私が知っているゲームや小説、漫画の魔法』である。どんな魔法でも使えて便利なのは良いが、便利過ぎて多用してしまっている所為か、最近は運動をあまりしていない。運動不足は女性の大敵なのだが。主に体重とか、体型とか。
そんな事を考えてしまい、あまり考えないようにして本を開く。気にしたら負けだ。明日から少し運動しようと思う。
「えーっと……」
この国にも、金銭を管理する財務省やら建設省など、それ専門の部署があるので私が書類にサインをして各々の部署に後は任せる。
何でもかんでも一人で出来る訳がない。今でさえ限界なのに、全部の部署に指示なんて出していたら限界を超えるというか私が壊れてしまう。精神的に。
「ん?」
本を読もうとしたら、部屋の中の魔力が乱れた。
魔力が乱れたというのは感覚的な話で、何かが起きたという訳ではない。ただこの世界の魔術師は体内で精製した魔力を使うのに対し、私ともう一人の魔法使いはこの世界が生み出す魔力を使用して魔法を使う。
この感覚は、そのもう一人がこの部屋に干渉して来ようとしている合図だと判断する。
「何か用かしら、幸太郎君」
そのまま数秒。部屋に目に見える異変は無いが、魔力の乱れは大きくなっている。
『転移』でもしてくるつもりなんだろうが、一体何かあったのだろうかと思案する。この世界に召喚された十三人の英雄の内の一人。『魔眼持ち』『魔法使い』の二つ名を名乗る異世界人、井上幸太郎。
しばらくすると、何も無かった空間に薄ぼんやりと人の輪郭が顕れ、すぐに完全な形と成ってこの世界に転移してくる。
「……何その格好」
「ふ――これなら私が誰かなど、誰も気付かないだろう?」
「ボロ衣を頭から被っているだけじゃない」
「この良さが判らないとは……」
呆れて溜息を吐いてしまう。
そう言いながら現れたのは、頭からボロ衣を被った男。まあ確かに、そんな服装なら喋らなければ男か女かも判断できないだろう。実際、幸太郎君自身も男性にしては線が細いので長身の女性と……思えなくはないのかもしれない。
ボロ衣は頭から足首までを隠しており、口元だけが辛うじて見えている状態だ。部屋が埃っぽくなりそうなので勘弁してほしい。
というか、見ていてなんというか……みすぼらしい。お金に困っているという訳でもないだろうに。
この子の服装への感性はやっぱりよく判らない。旅をしていた頃も、肌を見せる薄着をしていた気がする。肌を見せると虫刺されとか、草とか木の枝で切って破傷風とかなるのでなるので気を付けてほしいのに。
「それで、そんなボロ衣を纏って何してるの? 不審者遊び?」
「なんだその遊びは……言っただろう? この服装なら、誰にも私が何者か気付かれないので動きやすいのだよ」
よく捕まらないな、と思う。王都の守衛たちは何をしているのか。今度給料を下げてやろうかと頭の隅で考えてしまう。
まあ、捕まえようとしたら『転移』で逃げられてしまうし、仮にも英雄の一人だ。身体能力もこの世界の住人のソレとは隔絶したモノを持っている。返り討ちに遭うのがオチだろう。
「何しに来たの? 残念だけど、私は忙しくて構ってあげれる時間は無いんだけど……雄太君の手伝いでもしていく?」
君――九季雄太君はこの国に騎士として仕えている英雄の一人。『盾の騎士』として有名な第四騎士団の副団長である。
騎士団へ入団してまだ一年だが、世界を救ったという実績があるので半年もする頃には副団長という立場に収まっていた。今も毎日頑張っているようだ。
それに、実力はこの国最強と謳われる第一騎士団団長オブライエンと互角どころのレベルではないので近い内に団長の地位まで登るのではないだろうか。
今は副団長として団長の仕事の補佐をしているそうで、団長の仕事を勉強しているというべきか。いきなり団長に抜擢されても騎士団を維持できるか怪しいのだから丁度良いのだろう。雄太君も周囲から嫌われている訳でもないようだし毎日を楽しんでいるようだ。羨ましい。私も体を動かしたい。
「お金に困ってるなら、給金も弾むわよ?」
「遠慮しておこう。私も暇ではないのでな。それに、金にも困っていない」
だったら何でボロ衣装備なのか。正体を隠したいなら、ゲームの暗殺者よろしく黒ずくめでも悪くないと思うのだが。
「暇じゃないなら、さっさと要件を言いなさい。私も忙しいのよ」
そう言って、読んでいた本を幸太郎君にも見えるようにプラプラと片手で振る。
内政とも言えないような、苦手な書類仕事が待っているのだ。
「……面白味のない人だ。もっと言葉遊びを楽しもうではないか」
「暇なんじゃない。話し相手が欲しいの?」
「いや。貴女の知恵をお借りしたい」
「私の?」
何か困った事でもあったのだろうか。そう胡乱げな視線を向けると頭から被っていたボロ衣を外す。
現れたのは銀髪に金と紅のオッドアイ。この世界に召喚された際に、女神に頼んで容姿を変えた結果である。中性的な容姿と体格に、銀の髪と右目は紅、左目は金のオッドアイ。本物のファンタジー住人である。というよりも、こんな偏った容姿の人間はこの男一人ではないだろうか。
「私の魔眼が蓮司殿の未来を視せたのだが、どうにも彼に危機が……」
「山田君の危機なんて今更じゃない」
その言葉をバッサリと斬り捨てる。
それに、言ってはなんだが幸太郎君の『未来視の魔眼』は精度が曖昧だ。いや、確実な未来は無いという方が正しいのか。元の世界の本で読んだ知識でしかないが、未来というのは分かれした木の枝のようなものだという。未来は一つではなく無限にある。
特に、私達――その中でも規格外と言える『勇者』宗一君、『魔剣使い』久木真咲ちゃん、それに山田君。この三人に関する未来は彼の『予言』からは外れる事が多い。
その山田君の危機だと言われても、ああまた厄介事に巻き込まれるんだな、という思いが強い。実際、彼はずっとそうだった。命の危機だと予言されても、生き残ってきた。相手が上級魔族だろうが、魔王だろうが、魔神だろうが。必死に足掻いて、必死に立ち上がって、必死に恐怖を隠して。
だがまぁ……。
「それで、山田君がどうしたの? この前言っていた、精霊神様からの依頼と関係あるの?」
「うむ。明日にも魔術都市を発つと思うのだが、その旅路の途中で魔神の眷属に襲われる」
「また? この前は宗一君達と一緒に戦ったんでしょ? それに、辺境の村の方でも戦ったらしいけど」
そう言って、机の脇に立て掛けていた精霊銀の剣を手に取る。柄尻に紫水晶が嵌められた剣は山田君の物だという証明。
これは山田君が田舎の武器屋に売った剣だ。王様や騎士団に見つかる前に、私がポケットマネーで買い戻したのだ。今度請求してやろうと思う。貧乏らしいので、しばらくタダ働きをさせるつもりだ。
私にこんな面倒な立場を押し付けて、子供たちは放っておいて、自分勝手に辺境で人助けなんかしている罰である。赤の他人を助けるのは美徳だと思うが、だからといって私達を放っておくとは何事だ。そう簡単に許すつもりは無い。
なんだかそう考えると、仕事の疲れよりも山田君に対するイライラが心中を占めてくる。大体、あの男は自分勝手すぎるのだ。兄というか、父親というか、保護者というか……そういう立場であろうとしているくせに、前線に出ては怪我ばかり。子供たちを守ろうとするのは良いが、どれだけ私達に心配を掛ければ気が済むのかと言いたい。ダメ大人の典型である。だというのに、信頼してしまうというか、そんなところに魅力を感じてしまうのがどうしようもない。一生懸命な所がいいのだ。……なんだか負けた気分になるのであまり考えないようにする。
一番弱いくせに、実は一番の規格外というのもいただけない。私達十三人の中でたった一人だけ正解を引き当てたのに、その力を自分ではなく誰かの為に使おうとする。結果、魔神殺しなんて大罪を一人で背負って魔族からは憎まれている。私達は神殺しとして英雄視されているというのに。魔族は私達十三人ではなく、魔神を殺した山田君一人を憎んでいる。
あの男の為に何人の女が泣いた事か。その内の一人が私だというのも面白くない。女を泣かせておいて放っておくとは何事か。しかも一年も。
もうすぐ精霊神からの依頼というか、依頼を受けた獣人を護衛して王都へと向かってくるらしい。覚悟していろ、山田蓮司。とっ捕まえて扱き使ってやる。
武闘大会の日程も近い。まずはその時か。
そう決意していると、幸太郎君が一歩退いていた。
「なに?」
「いえ、なんでもないです」
どうしてか敬語だった。この子は偶に素に戻るから面白い。
精霊銀の剣を机に立て掛け、息を一つ吐く。
「それで、山田君がどうしたって?」
「こほん……王都へ向かう途中、魔神の眷属に襲われる」
「ああ、そうだったわね」
あまり心配はしないが、山田君の危機かぁ、と。
「山田君ならなんとかしそうだけど、心配なの?」
「私の右目が、彼の死を予言している」
「……そう」
死、というのは穏やかではないな、と。
そうは思うが、私はここから動けない。私にしかできない仕事があるし、今まで放っておかれたのに私から会いに行くというのも面白くない。比重としては前者の方が重いが、後者の方も無視できないくらいには重くて大きい。
「放っておいていいんじゃない?」
「薄情だな。流石魔女殿」
「ひっぱたくわよ」
「ごめんなさぃ」
笑顔でそう言うと、即座に謝ってくる。うん、素直な子は大好きだ。
相変わらずキャラが安定しない幸太郎君に癒される。誰が魔女だ。私としては、弥生ちゃんよりも聖女だと名乗ってもいいとすら思っている。……それはさすがに辛いか。
「まぁ実際、山田君なら大丈夫でしょうよ」
「……そうか?」
「貴方の右目で、山田君の死なんて何回視えたの?」
そう言うと、視線を中空へ向けて指折り数え始める。
右手の五本が折れ、左手の五本が折れ……。
「何回か判らないな」
「そんなもんでしょ」
『勇者』である宗一君や、運命を切り開く力を願った『剣士』である真咲ちゃん以上の規格外である彼に、確定された未来など無い。
誰にも負けない力。運命を切り開く力。それはどちらも強力な力だ。使い方次第で、魔族の王である魔王にすら匹敵する力となる。しかし、意志の力は個人の限界を超えるが、人間という種の限界を超えるほどではないと私は思う。それに比べて、山田君が願ったのは神を殺す武器。神を殺す力。神という人知を超越した存在と同等の力を願ったのは阿弥ちゃんだが、それも魔力に限定した話だ。神を殺し得るほどの、神を超える力を願ったのは山田君だけだ。
その意味、その結果を、私達は一年前に見た。だから信頼できる。
「彼は無事、王都に辿り着くわ。それは絶対」
「だといいが」
「信じなさいな。私達のリーダーを」
本人は否定するだろうし、そう望んでいたわけではないだろうが……山田蓮司という男性は、間違いなく私達のリーダーだ。それは今でも変わらない。彼が私達の前から姿を消しても、それでも私達は彼をリーダーだと……私達の中で最強だと言う。
カリスマ性があった訳でもないし、彼が選ぶ選択に間違いが無かったわけでもない。何度も一緒に間違えた。何度も一緒に失敗した。何度も一緒に立ち止った。それでも折れなかったのは、一番前に立ち続けたのは、子供たちを引っ張っていたのは彼だった。エルメンヒルデを手に、魔神としか満足に戦えないのに、それでもその背中を私達に見せてくれた。
その背中を、宗一君達は追いかけた。私達は、安心感を抱いた。それは、彼が望んだ姿だったのかもしれない。そう願った彼の理想だったのかもしれない。大人として、年上として、胸を張れる生き方を。いつもそう言っていたから。
「彼は物語の英雄だもの。死なないわ」
「そう信じられる優子殿が羨ましいな。それと出来れば、その立ち位置には私が居たいのだがな」
皆そう言うなぁ、と。男の子というのは、やっぱり仲間の中心になりたいと思うものなのだろうか?
山田君を見る限りでは、その立ち位置はとても辛く、重く、苦しいものなのだが。そう思い、苦笑する。
「なら頑張りなさい。英雄とは動詞よ。名詞ではないわ――主人公になりたいなら、英雄としての行動を続けるしかないのよ」
「うむ」
それに、とも思う。
「それに――山田君の事はアストラエラが見てるでしょうから、大丈夫でしょ」
「……そういえばそうだった」
あの過保護で意地悪な女神を思い出す。
何が心の琴線に触れたのか判らないが、山田君を想い、命を賭け、人間に救われた女神を。神殺しを想う神を。
「だがそれでも、私の目は蓮司殿の死を視せてくるんだが」
そこまで言った時に、指をぱちんと鳴らす。
次の瞬間、視界から幸太郎君の姿が消える。『転移』の魔法を発動させて、跳ばしたのだ。行先はエルフレイム大陸にある精霊の森の中央。世界樹と呼ばれる大樹の傍だ。いくらか誤差はあるだろうが、そこまで外れた場所にはテレポートしていないだろう。たぶん。
山田君の死だ、死だと。そんなに気になるなら、隠れて手でも貸せばいい。幸太郎君の実力なら気付かれずに力を貸すくらい簡単だろう。そして、エルフレイム大陸から戻ってくるのも。
「まったく。私は忙しいのよ」
手に持っていた本を開き、ページを捲る。
孤児院の建設、浮浪者へ仕事場の確保、王都の再生、魔物討伐、エルフレイム側との外交――他にもやらなければならない事は多い。
お喋りな魔法使いは必要無いが、猫の手は借りたいところだ。
だからさっさと王都に来なさい、山田君。仕事をたくさん用意して待っているから。




